春の風見鶏

春の風見鶏

本当の気持ちというのは、いつだって表裏一体の本質があるようです。誰しも裏表を持ち合わせて生きていると僕は信じていますが、決してそれも大人になれば笑えないほど忘れてしまうもの。
これは青春にしか見えなかったであろう彼らの、人生をかけた大いなる冒険記とも言うべきドラマと言えるでしょう。

概要編

・あらすじ
1クール

1話『桜時雨』
東京に住む常蔵 光(つねくら こう)は中学卒業の春を過ごしていた。中学入学と共に東京へ引っ越してきた光たちは父親と母親の別居により、妹を母のもとの長崎にそして長男の光は父親と共に転勤を機に東京へ引っ越したのだったわけだが、すでに新しい生活にも慣れ、親しい友と共に同じ高校へ入学することが決まっていた。そんな春休みのとある日、秋葉原にて自由参加型の清掃ボランティア活動を友人と共にするはずだった光は急な友人のドタキャンで1人になった。元々はその友人がボランティア活動の参加者にのみ渡されるアニメの限定商品が2種類あるということでそれを2種類とも欲しいあまり相方として光にも頼んでいたわけだった。こうして1人になった光はたまたまその日は何の用事もなかったために、仕方なく知らない人たちと一緒になって秋葉原の裏通りあたりでゴミ拾いをしていた。そんな退屈しのぎの光の目にふと宙を舞う帽子が映った。一瞬の事だったが光の脳裏にどこか忘れた風景が、田園の景色が映し出されたかのように過ぎ去った。気がつくと帽子は裏通りを吹くビル風によりそのまま近くの樹の高い幹に引っかかってしまった。それを追いかけて上ばかりを見ていた女性が、帽子に気を取られたままの光とぶつかってしまった。互いに謝罪したのちにすぐさま彼女がその帽子の持ち主だと光が理解した。だが樹に引っかかって自分の高さでは取れないことに気づいた彼女はしょんぼりと樹を眺めてしまう。そんな彼女の元へ来た光は手にしていたほうきで幹をつつくとその帽子を落として見せた。ふわりと降りた帽子を掴んだのは彼女と光の2人の手だった。笑う2人に彼女が説明をする。話すうちに名前も聞かぬまま意気投合した彼らは彼女がこの町をあまり知らぬというので清掃活動が終わる午後過ぎになって、なぜか途中から参加する形となった彼女とそれぞれ限定商品を手に入れると、2人は秋葉原を散策した。知らないことだらけだった彼女はどうやら東京へ来ることが初めてだったようで、田舎育ちの彼らは互いに盛り上がった。そんな時間もつかの間、いつしか夕闇が迫りつつあった時間になって、彼女がホテルに戻らないといけないこともあったため、その場で2人は別れることにした。互いにホームの反対側に立った光と彼女は、ふと名前を聞くことを忘れていたことを思い出す。互いに名前を言い合うもその声は電車がホームへ来たことででかき消された。それぞれが車窓の向こう側に手を振り、行き違いに反対の方向へと互いの乗った電車が走り始めた。その時にふと聞こえたはずの彼女の言葉がそこにあった。
「また会おうね。次こそは名前聞くからね」
それから光は何度かもう一度あの子と会うために清掃活動に参加したがどこへ行っても彼女の姿は見当たらず、それ以降、光が春休みにその子と会うことはなかった。こうして春休みも終わり、新生活の始まった光は幾人かの友人たちと共に高校へ進学した。そこで入学式早々度肝を抜かれることとなる。桜舞う木々の向こう側で桜時雨に打たれてこっちを見つめる存在。そしていつか見た帽子を光の元へ投げたその存在はあの日の彼女だった。彼女は名乗る。
「凪乃 和泉(なぎの いずみ)。ちゃんと聞こえてた?常蔵 光くん」
そこにいたのは、あの日の彼女だった。

2話『その姿、再び』
およそ2ヶ月ぶりとなる再会を喜ぶ2人はクラスは違えど共に同じ時間を過ごしてゆくようになった。彼女の少し破天荒な行動はのんびりしがちな光にとっては新鮮な存在であり、2人の距離は喧嘩する度に深まっていった。一方で光の中学からの友人とも和泉はすぐに仲良くなり、賑やかな面子となっていった。中でも密かに光に想いを寄せていた神楽 栞(かぐら しおり)はそんな光の前に現れた美人に対しても、本心から仲良くなることができていた。それは栞の特質であり、光への想いのためにでもあった。香川県育ちの和泉は時折その訛りを気にするも、光や周りの友人たちから親しまれていくにつれ、そのままでいいんだと受け止めていくようになった。

3話『ふたつの影は』
やがてその関係に慣れ始めた2人は兄弟のように登下校を共にし、光は徐々に和泉を1人の女性として意識し始めるようになっていった。そうした中で彼らの周りにいる様々な友人たちの問題を乗り越えてゆくこととなる。だがそんな2人に憧れを抱いていた栞は影で自分の気持ちに正直になれるよう友人の遠藤 誠(えんどう まこと)の励ましもあり、しっかり光の背中を支えることを決意したのだった。

4話『もうひとりの男』
光と和泉を誰もが恋人だと疑いの余地もなく信じる一方で2人はそんなことも気にせずに毎日を過ごしていた。そんな中で、常に一緒に行動する仲のいい連中、栞に誠らと2人をあわす4人はよく放課後に街で遊んでいた。そんな中で学校でも評判の悪い不良グループのリーダーにしてカラーギャングのボスという噂のある北門 八重人(きたかど やえと)らに絡まれたことで、4人は学校で軽く喧嘩をふっかけられる。人情深い八重人はケジメとして光ひとりに喧嘩の代表を選ぶが、光は弓道精神を思い出して、互角に八重人と渡り合う。そんな子供じみた喧嘩が光を栞が、八重人を和泉によって静止させられたこで八重人は和泉に対する普通にはない違和感を感じる。こうして平穏を取り戻した彼らはいつしか八重人を含む5人でなんとなしに日常を過ごしてゆくようになった。

5話『ある雨の日』
その日は朝から雨だった。しんみりとする教室。湿気でにわかにじんめりする机。午前なのか午後なのかを忘れる感覚。光と和泉はいつもの5人で呑気な放課後を校内で過ごしていた。それぞれの夢を語り合う栞や誠、そして八重人や和泉に光の5人はいつしか雨が止まない今日を忘れることはないのだった。栞と誠と光の中学時代の話題に盛り上がったり、机を並べて菓子会を開いたり、そんな退屈なはずの毎日にどこか親しみがわく、ある雨の日の放課後だった。下校チャイムが鳴るまで彼らの笑い声は止まなかった。

6話『隠れた恋風』
春休みに2人が出会い、その後名前も聞かぬまま別れた2月の終わり。光は3月から中学時代の弓道部の後輩たちが行く部活合宿に元部長が毎年恒例で行う指導係として共に同行し、2週間滞在することとなった。現部長に指導しつつ、時間が有り余っていた光は合宿地である鳥取は大仙の付近を散策していた。もう2度と会わぬのだろうかとあの日限りに出会った彼女の姿を思い出していた光は訪れた毎年来る土産屋でぶらぶらと歩いていたのだが、ここで4度目の再会となる深和 雪絵(みわ ゆきえ)と遭遇する。久方ぶりで毎年合宿があるごとに出会っていた同い年の子である雪絵は、光と仲がよく地元の中学校でも有名なおてんば娘だった。そんな彼女も今年で卒業し、光とは2度と会わないと思っていたために、ここで会ったことが彼女にとっては大きな機会となった。もはや会わぬために諦めていた光への好意を捨てきれずにいた雪絵はそれから2週間もの間、光とゆっくり時間を共にし、たくさんの話で盛り上がった。光に彼女への好意があるかどうかは分からぬままであったが、光が雪絵に対して、友人以上の信頼があることに変わりはなかったのだ。光は秋葉原で出会ったある女子のことも話し、若干嫉妬する雪絵であったがそんな何気ないずっと続くことのない平穏に雪絵はますます光への想いで満たされていった。

7話『今宵月夜は謳う』
弓道部の部活合宿も明日を持って帰途につく時となり、雪絵は練習終わりの光と共につかの間の安息に浸る。こうしていつか初めて出会った時の神社へ登った2人はそこから見える海と月光の絶景にしばらくのあいだ声をかけられないようになった。そんな光に雪絵はようやく想いを告白する。宙を舞う刹那。月に絡まる気持ち。それが恋なんだと雪絵は納得してしまう。光はその気持ちに礼を言い、心からそう言ってくれる存在がいると言うことを正直に喜んだ。光から雪絵に返事はなかったが、それでもいいのだと雪絵は決めていた。なぜなら、これはもう返事がどうかというものではなく、ただ内にある想いをこれ以上相手を前にして秘められずにはいられなかったからだった。翌朝、雪絵はいつもの笑顔で光を見送った。その瞳に映るぼやけた世界をぬぐいながら、常蔵 光という男をこれからもまた想い続けて。

8話『雨に打たれて』
光たちとの賑やかな高校生活を過ごす和泉には秘めごとがあった。恋人ではなくとも、和泉には互いに好意を抱き合う恋仲とも呼べる相手がいたのだ。それはかつて香川に住んでいた頃に3人くらいでいつも連んでいた幼馴染の1人である黒羽(くろば)という男だった。東京に和泉が越してからは連絡のみとなっていたのだが、いつしか黒羽に違和感を感じはじめた和泉は恋人ではないにもかかわらず黒羽にどうしたのかと問う。そして黒羽が地元の女と付き合い始めたことを知った。付き合ってなくてもかつて彼らの想いは重なっていたはずだった。季節は移り変わり、いつしか黒羽の想いに和泉はいなかったのだった。親友のような関係だったこともあり、和泉は友として大好きだった黒羽が違う知らない世界に行ったように感じてゆくのであった。2人が過ごした時間と季節がめくりめくられ、想いがそこに介入してすらいなかったことを、そして、自分が恋なんだろうと思い込んでいたものが親友のカタチであるという事に和泉はようやく気づいた。雨が降り始める。この時期がもう春の終わりを告げ、夏への移行へとうながそうとしていることは目に見えるほどにわかっていた。雨に打たれながら、和泉は黒羽に想いはなくとも浮気をされたような気分となり、かろうじて裏切られたショックは彼女の頬に雨と涙を落としていった。和泉は友との別れをこの日初めて知った。尚ここでは和泉自身が彼の名前を呼ぶ事もなく、当人も自ら名乗る事なく、ただ和泉の地元の友人から出てきた男の苗字だけでしか当人を特定できないままだった。

9話『信頼の答え』
本当に信頼していた幼馴染との別れにより、行き場をなくした和泉はその気持ちを光にあてつけないよう、自立を目指し始めた。だがそれはただ自分の内にあるものを否定し抑え続けているだけのものに過ぎなかった。そんな和泉に栞は優しく話に乗った。初めは多くを語らなかった和泉は栞の必死さや、大胆な行動に落ち着くようになり、誠らにもそれを話してゆくようになった。そして最後に語った光の受け止め、しっかりと意見を述べる姿になぜかふと安堵を覚えたのだった。和泉は本当の気持ちを割り切って、許しあえる友たちと光に、そこで信頼の答えを得たのである。

10話『譲れぬ想いに』
高1の夏、光と和泉と栞と誠、そして八重人ら5人は共に旅行へ行くととなった。はしゃぐ男子を横目に海を楽しむ栞と和泉は互いに恋話で盛り上がる。栞は常に好きな相手の事をあいつとしか言わないため光を除く5人グループの中でも誰もその相手を知らないという設定は常識であった。こうして楽しむ合間に、誠と八重人がそれぞれ光に和泉の事が好きである事を自白する。そしてそれぞれがその時々に話したことで、光が2人がそれぞれ告白しに行くタイミングを変えなければならないという事故が起きた。そんななかで応援はしても想いは変わらないことに光は和泉への気持ちを再確認したのであった。こうして2人はあっさり断られた。

11話『雪の足跡』
己の気持ちを、和泉と過ごしていくうちに正直にしていった光は、冬の二学期の終業式の後、和泉にばれぬよう隠していた恋心を、ようやく告白した。雪の積もる駅の前で光はただ自分の想いをしっかりと和泉に伝えたのだった。ただ驚きかたまる和泉に光は本当のことを伝えると、彼女の返事を待った。和泉の口が開き、呟かれたのはただの断りだった。彼女は好きな人がいるからと、光の言葉を遮って断ったのであった。和泉は遠くを見つめると駅の中へ入っていった。光は呆然と雪の積もる足元を見つめることしかできなかった。そんな光を見てしまっていた栞はゆっくりとその場を去ることにしたのだった。3学期の初め、光たちは和泉が香川へ移転することとなったことを初めて聞いた。普段通り話す光たちはそれでも何故今なのかと和泉に問いかけた。彼女曰くどうも父親の転勤帰りとなったため地元の西香川へ帰郷することとなったという。つまり1年生までは東京に住んで、それ以降は香川の高校へ転校するということだったのだ。4人は何も言えなかった。和泉のそれは別れを惜しむような顔ではなかったからであった。

12話『ふたりの距離』
唐突な事情に周りもうまく整理できてはいなかったが、それでも和泉は光にだけ自分の出発日を教えたのであった。様々な想いが飛び交い、光を苦しめたがそれでもあきらめなかった。どんな振られ方をしようが和泉と光があの日あの時過ごした季節は本物だったからだ。友人たちの助けもあり、うまく出発時間まで間に会えた光はプラットホームに和泉の姿を見つけた。ひとまわり成長したかのような雰囲気の和泉に光はいつものような口調で喋り始めた。だがそうしてる間に時間が来て、光は行くなよと問いかける。そんな光を一心に見つめていた和泉は、別れのベルが鳴ると同時に光を見つめた。深く深く思いが突き刺さるような気持ちになった光はその場で思わず目を開いてしまう。彼女が、和泉が、別れ際の新幹線のドア越しに光へ初めてのキスをしたからだった。そして光と和泉の時は止まった。彼女は光にこれまでのすべての想いの内を解き放った。ドアが閉まる。窓を振り返った和泉は車窓の向こうにいる男の涙を見つけた。光はただ隠すこともなく、和泉を見つめたまま泣いていた。声にもなく柄にもなく、ただ想いの溢れるばかりに。こうして去っていく列車に光は、その想いの真意を知ったのであった。光はその場に立ったままただ新幹線が、その車窓から見える彼女の顔が過ぎ去ってゆくのを見届けていったのであった。和泉の想いはそこにあったのだった。彼は誓った。彼女のもとへ自分自身が向かうことを。そこにあるはずの想いを自ら押し込めて。

2クール

13話『置手紙』
家に帰った光は自室に置かれた見覚えのある帽子と手紙を見つける。そこに書かれていたのは様々な想いを馳せて書かれた和泉からの別れの言葉だった。光に対する強い想いと、自分がそこにいるべきではない理由。彼女にとっては光を取り囲む周りの女性の想いが光にとっては最高の幸せだと実感する一方で、自身がそんな光を振り回すことで、これまでも色々な恋に半端だったままの和泉には、自分が醜く見えて仕方なかったのだ。そうして光への想いでいっぱいになる前に、その現状を変えるために東京を去ることにしたのだ。父親はとうに転勤をして香川へ帰っていたのだ。実費で月ごとにバイトで稼いだ和泉はそれを糧に安いアパート暮らしだった。何度か家へ行ったことはあったものの、父親が仕事に行っているものだと光はてっきり思っていた。こうして彼への想いに終止符を打つために和泉は自らその想いを押し殺して1人去って行ったのであった。そんな彼女の気持ちを光はひとり受け止めていったのであった。周りの人間はそんな光を配慮してあまり彼女の話題を振らないようになった。痛む道を選んだ和泉との連絡は誰にも取れなくなり、誰もが和泉を過去の存在として見ていくようになった。春休みに東京へ修学旅行でやって来た雪絵と再会した光は事の結末を雪絵だけに話していた。未だに光への想いを消せずにいた雪絵はその痛みを共に背負うことを決め、光に思わずキスをした。そんな光景を何故かフラッシュバックした光は雪絵に対して依存してゆく。

14話『男は旅立つ』
春から遠距離で雪絵と付き合うようになった光は高2の大晦日を過ごしていた。彼女との長い恋人関係に支障は何1つなく、喧嘩は時折するもそれぐらいのものにすぎなかった。光はやがて近く冬に、あの頃の彼女の姿を思い出してしまうことがよくあった。好きなのかと問われれば今はそうではないのにもかかわらず、決して忘れていい存在ではないことは確かだった。雪絵への想いを大切にする一方で光はやがて自分の映し出す鏡に凪乃 和泉を当ててしまっていた。光はこのままでは何にも変わらないまま後悔してしまうことを実感し、雪絵という大事な存在との関係をはっきりさせて、過去の和泉にケリをつけるために光は高校2年をもって東京を出ることを決めた。別れのようなその決意に雪絵はしっかり受け止めるもそこには多くの不安と焦りでいっぱいになっていた。そんな雪絵に光は自分の気持ちを正直にさせてくることを伝え、友人たちの支えもあり、高校2年の終業式に、和泉のいる香川へ向かう支度が始まった。どれくらいかかるかわからないため、高校は一時退学として、春から3年生として香川の高校へ通うことを決めたのだ。移住先は以前、母型の父の実家だった家が西香川の田舎に残っていることからそこになった。そんな旅立ちの日の前夜、お別れ会でお泊まり遊びに来たいつもの友人たちと笑い合ったあと、のんびり空を眺めていた光に唯一の女子 栞が眠り際にキスした。光への想いは雪絵だけではなかった。栞のそんな意外な態度に光はこんな自分がそうやって好きだと言ってくれる相手がいることに感謝の気持ちで溢れていた。こうして翌朝、友人たちに見送られて光は新幹線に飛び乗った。本当の自分と本当の和泉を探す旅に。

15話『君のいる場所』
以前和泉が東京で働いていたバイト先で聞いた引っ越した香川の高校へ、和泉を追って通うこととなった光は自分の家へ来て驚く。そこにいたのは久しく会っていなかった成長した3歳下の妹だった。実の兄に対して好戦的な妹 常蔵 唯(つねくら ゆい)は思春期の盛りに母親から離れていった父と光に少なからぬ嫌悪感を抱いていた。だがそれはただ唯と光たちとの間に時間の壁ができたからにすぎなかった。そして中学2年を終えたばかりの唯がここへ来たのは母親の父となる光たちの亡き祖父 遠山 弘蔵(とおやま こうぞう)がかつて生まれ育った故郷であるこの西香川の田舎の旧遠山宅に一人暮らしとなった光の面倒を春休みの間だけ見るために母親がおくったというオチだった。光の小学校卒業と共に5年近く会っていなかった光はその妹の成長ぶりに初めはタジタジになるも、これからの新しい暮らしに期待を高めたのであった。尚、父親は光がここへ来る理由を承知していたが唯たちは知らされていなかった。父親は光に、いい里帰りをしてこいよと言い残した。真意を理解できないまま光は、唯との2人の生活が始まった。

16話『空いた机と』
クラス別に分けられない、ひと学年に20人程度しかいないここ松咲高校に光は春休み中に学校を訪問するよう唯にガミガミ言われたことで仕方なくやってきたのだった。教師研修でここへ来ていた大学生 琴葉 夏海(ことは なつみ)に連れられて光は自分が新学期から新たに在籍するさびれた教室へと荷物を置きにやってきた。松咲高校はその在校生徒の年々の減少ぶりに隣町の学校へ合併するかを検案されていた。そんな学校において、いまだに春休みであっても部活動は盛んに行われていたし、その古めかしさ漂う古風な雰囲気にはこれまでの歴史があるように光には感じられた。光はそんな松咲高校をすぐに気にいるようになった。こうして訪れた教室には聞いていた人数とは揃わぬ座席があった。空いているにしては自分に加えもうひとつあったのだ。それについて尋ねられた研修生 夏海によると、以前、光のように1年くらい前に転向してきたある女子生徒がそこにいたそうだ。退学になる理由もなく、提出物は定期的に学校に送られているため、あとは欠席日数が問題となっていたわけだが、半年くらいしてから学校に来なくなったその女子高生の名前を凪乃というらしかった。光は確信した。彼女がどういう理由であれここにいることはたしかだったのだ。彼女は何を思いどうして学校へ来なくなったのか、そして、今ある光への想いとは、光は彼女の周りからそれを聞いて彼女が生きるこの町の風景を知っていくようにした。一旦彼女の家を探すという行動は置き、光は彼女を知ることから始めたのであった。学校で夏海たちから住所を教えてもらってはいたものの、自身から行く勇気はまだなかったのもあった。そんな未練に引きずられる兄を唯は軽蔑していた。だがその一方で心配していたことに変わりはなかった。

17話『水芭蕉の行方』
田んぼや小山に囲まれた西香川の田舎風景は光と唯の暮らしに変化を与えていた。自分に対してこれまでのことが無かったかのように話しかける兄 光にたいして初めは極度の偏見を持っていたものの、いつしかそのわだかまりは溶けていくようになる。そんな春休みも終盤に差し掛かり、近隣の人々と仲を深めていった光は和泉の家へ行くかどうかで悩んでいた。そんな光にご近所さんとなった松咲高校2年の同級生 斎藤 千裕(さいとう ちひろ)と正岡 遼(まさおか りょう)は新しい転校生ということもあってとりわけ積極的に仲良くなってきたのだった。することもなくただ家で待つだけの生活だった唯は徐々に光たちと共に行動するようになっていく。千裕や遼は光たちの転校の訳を知り、愕然とする。そのことについてあまり触れない2人の心境に気づかずに光はこの町のことを知りたいと2人に持ちかけた。こうして唯を含む4人は春休みの終わりまで春祭りや遼たち以外の同級生らとも会うなど、ゆっくりとその時間を進み始めたのであった。そんな中で誰に対しても優しくなれる兄にどこか切なさを感じ始めた唯はある時を機にそれが兄への恋だということに気づき始めた。家族としての愛以上のものを求め始めた唯は、離れていった想い人を追う兄に嫉妬するようなになった。だがそれが何故だか素直になれない唯はやはり兄に冷めた態度ばかりをとってしまうのだった。そんな唯がある日ひとりでいた時に出会い頭にナンパしてきたひとりの地元の不良と喧嘩した末、それを相談することとなった。どうやら松咲高校の生徒らしいその男は自分をレオンと名乗ると唯の名前に違和感を抱くも、それからは普通に話すようになった。兄にするはずのない恋をレオンは知り、お前のために押してやるよと唯を励ました。ツンケンしていた唯もレオンの意外な素朴さに気をゆるしていったのであった。

18話『瞳に映るもの』
唯はレオンの言われるがままに兄に積極性を示そうとするもそれはどこか食い違った勘違いを兄にあたえるばかりだった。それでも困惑しても兄として妹を優しく気遣う光に唯はその想いが膨れ上がらずにはいられなかったのだ。レオンは唯の背を支えつつ毎日のように唯を口説こうとしていた。そんな馬鹿らしい不良を相手に唯は冗談交じりに振る一方で次第に自分の帰る日が迫っていることに焦燥感があった。共に2ヶ月の日々を過ごし、唯は光に多くの気持ちを教えてもらったことを知った。唯はその想いを胸に最後の夜に兄にようやく触れたのだった。淡い時間が過ぎ、光が唯の優しさに気づいた瞬間だった。別れの朝、唯を駅前まで見送った光に、唯は思い切って告白にでた。唯を抱きしめる光。ふと涙に包まれた唯は自分の想いを相手に伝えられることの大切さを知ったのだった。光は妹として、家族以上の想いがあることを唯に伝えると、今ある和泉への想いに決着をつけることを約束して唯を見送ったのだった。ひとりの女性として振られた唯はそんな兄への想いが無くならない自分を知り、溢れるその想いを胸に改札口を通った。プラットホームには唯を待つレオンの姿があった。いつもとは違うレオンの目に唯はそっぽを向くが、それでもレオンは唯を抱きしめ、それでいいんだという言葉と共に唯を慰めた。思わず抑え込んでいた気持ちが出て、唯はもはやその涙の雨を止められることはなかった。唯の泣き声とやってきた列車の音に遮られたまま、レオンはそんな唯に別れと最後の告白をしたのだった。光は妹の泣く姿を遠くから見ていた。声はかけなかった。そばにいる男が誰だろうと自分が今ここにいる理由は、妹がこれまで歩んできた春休みと同じように秘めごとばかりだったのだから。
新学期が始まり、光の1人暮らしがようやく始まったのだった。始業式ではほとんどの3年生とは顔を合わしていたこともあり、気疲れすることはまずなかった。光はだがそれでもまだ来ることのない空いた机に目を向けてしまっていた。自分がここにきた目的を忘れないようにしなければならなかった。だからこそ、今日は始業式の日であることもあったため空いた時間を使って彼女の家を訪問することにしたのだった。出向いた先の家は田舎固有の古めかしい和風邸だった。これで、すべての終着駅にたどり着いた。本当にこんなところに、自分が追い求め続けていた女性がいるのだろうか、そんな様々な雑念の中で光はそこにある玄関を叩こうと手を差し出した、その時だった。玄関からちょうど角で死角になっている方向から楽しげな男女の会話が聞こえてきた。その角の向こう側に嫌な予感がした。なんだこの緊迫感は。光の差し出した手が玄関の前で震えだす。そんなことが、あるのか、いやありうるのか。だが真実というものがその全てを薙ぎ払った。優しい表情をした男女は互いの手を握り合い、繋いだ手は一緒に買い物袋を持っていた。角から現れたそんな景色に光は片手に持っていた携帯を思わず落としてしまう。チャリンと音がしていつかの限定商品がついた携帯が地面を打ち付けた。その音に気づいた向こう側の女性が思わず男性に手を寄り添う。その手についた指輪や知らないキーホルダーに、光はその瞳から色を失った。眼前にいる存在が誰であるかを今ようやく理解した和泉は男から勢いよく手を離した。止まり消えようとしていた2人の時間は、最悪の再会と共に今、動き始めたのである。

19話『君の名前を呼ぶとき』
声が喉を通らない。和泉はおそらく眼前の男と同じ顔をしていた。今更なんと言えばいいのだろう。幸せな関係を前にして光はそれまでの覚悟が泡のようになった。だれ?と横にいる男が和泉に声をかける。和泉は平静を取り戻したかのように、知らないと返した。落とした光の携帯を拾った和泉は、はいと光に渡すと何も言わずに家に入っていった。入ろうとした相手の男に和泉は今日は帰ってと鋭い声で切り捨てた。断られた男は心配そうに玄関に入る彼女に触れようとしたが、ハッと彼女の顔を見るとその場から離れた。光にはその和泉を見ることができなかった。男の方は光を前にして振り返っていた。光を少し睨んだその男は名前は?と問うた。常蔵 光と名乗った光にその男は、知らないようだった。和泉がここへ来た理由も、だが光にもわからなかった。お前ら恋人なのかと光は男に聞いた、すると向こうは言った。こんなこと、今更聞くまでも無かったのだが。ああそうだと肯定した彼 木原 獅童(きはら しどう) と光はその後、互いに失っていた和泉の時間と、和泉に対する想いが同じであることを話し合った。だがたとえそれを知ったところで、獅童は和泉の気持ちの為に自分が彼女のそばにいることを光に宣言した。光はその勇ましさと和泉との幸せそうだったあの瞬間を重ね、自分の立ち入る隙がないことを実感した。生真面目で漢の男に光は未練たらしい自分の醜さを教えられたのだ。1人で帰途についた光はもう妹のいない家で1人苦悩する。雪絵の姿が。栞のキスが。唯の告白が。友人たちとの約束が、すべてが光には切なく思えた。凄く、寂しかった。和泉という存在が光を好きだと言ってくれた前提で光には1人ではない強さがあったからだった。だが、もはやその未練は本当に未練でしかなくなってしまったのだ。光はそれでも抗うことを決めていた。たとえ今が何に和泉の気持ちがあろうと、かつてあの時に2人が見つめあった時間は本物だから。鈴虫の鳴く夜に、光は自分をこれまで信じ支えてきてくれた誰かの想いを強く受け取った。翌朝、光は和泉の家に走りだした。
ある春の終わり、私は恋をした。そんなことにも気付かぬ相手の男は、実は他の女性たちから信頼され、尊敬され、愛され、恋されていた。私が付け入る隙はどこにもなかった。だが彼はそんななかでこんな私をずっと見ていてくれた。凪乃 和泉は今日も学校には行かなかった。窓を開けては空を見つめるばかり。最近できた彼氏にもさして今では興味などあまりない。好きなのか?好きなのかもしれない。でもどうして?優しいから。和泉はそんなことを考えながらどこともなく聞こえてくる足音を感じていた。だがそれは次第にこちらへ来ているものだと気づく。ハッと瞬時的に窓から顔をのぞかせた和泉に走ってきたばかりで息切れしてる光が話しかけた。和泉は身を乗り出して光に言う。
「何のために来たのよ…私には彼氏だっているのよ…だからもうほっといて!私なんかにかまわないでよ!どうせあなたたちあの後で話したんだろうけど、私はあなたから離れたの、もう終わってることなのよ!」
「…なんて言うな」
「何よ」
「私なんかなんて、言うなよ。お前はお前なんだからよ」
「…」
「誰が誰を好きになろうと、その価値はみんな同じだ。けんどな、お前の言葉が、あの日の言葉が嘘だとはこれっぽっち思ってなんかねぇんだ。誰に笑われても俺はここにいる。」
「昔話にどこまで執着してんのよ…」
「俺は絶対に、諦めないからな。バカだと思うなら結構だ。…和泉、俺はお前を奪いにきた」
「…光」
「俺は学校に行ってくるわ。じゃあな!」
光は走り出した。そんないつかの影を追うようにその姿を眺める和泉はただ、見つめることしかできなかった。いつのまにか、その姿を忘れていたかのように時間が進み始めたからだ。そして、その一部始終を見ていた影がようやく角から引いて行ったのと同時に、気づかぬ和泉は暖かくなりつつある空を見上げたのだった。その顔は誰にも見えなかった。

20話『彼らはそこに立つ』
4月も下旬。光は毎日のように彼女の家を訪ねた。誰かが学校の配布物を渡しに行かなければならなかったのは当然、光が行くべきだと親しい連中も光を信じていたからだった。そんな光に会わない和泉は、中学卒業後から就職している獅童にのみ玄関を開けるのだった。そんな光はある日、今日は獅童ともう一度話してくることをクラスメイトに相談した。こうして獅童が和泉と会ってから家を出てきた時に光は彼と近くの浜辺で話すことにした。いつもどおりに優しくも芯のある態度の獅童に光は何が彼女を変えたのかを持ちかけていた。そんな光にふと背後からの声が聞こえた。
「人が人を好きになるのは、有限に等しい」
その声に振り返る2人に、彼は一歩前へ歩き出した。
「そうかとは思っていたが、やっぱライト、お前だったんだな。また会うとは思ってなかったわ」
誰だと問いかける光に、獅童が初めて焦り顔を見せた。それをまるで、その先を口にしてはならないかのように。
「俺は黒羽 零音(くろば れおと)。人呼んで、レオンだ、だよなぁイズ?」
レオンこと零音がそう言って影の方へ声をかけた。声をかけられた影にいる何者かは溜息をするかのように光たちの前に現れた。その正体はまぎれもなく和泉本人だった。獅童や光が口々に名前を呼ぶ。光は読めなくなったこの状況にその場で立ち上がった。
「どういうことだ。レオン?お前は、誰だ…いや、もしかしてあの日唯の前にいた奴か?何故俺を知ってる?ライトっつのは、俺の名前からか?」
零音は全ての謎を、これまで誰も語らず、ひたむきに隠し続けてきたこの町の物語を語り始めた。
「ライト。簡潔に概要を解説するぜ。この場にいる4人は、もはや今現在に至って始まった関係ではないんだ。それがこれから話す物語の大前提だ。そして獅童、お前が俺たち3人組の輪にいなかった理由は何よりも、お前自身が知っていることだろう。イズ、もう、俺たちは思い出さなきゃらならねぇ頃合いだろ」
「…どういう、事なんだよ」
不良じみた背格好の零音が向き合う3人に持ちかけるように光へ語りだす。和泉はその意を確かめるように、だがその顔は過去への罪悪感に満たされているようだった。
「今より半世紀以上昔、ある男児が何もないこの町に生まれてからすぐに町役所に預けられたんだ。彼はある財閥の大御所の隠し子だったらしい。彼らは自らの名誉のためにその子を誰も知らない町へ捨てるように置いていったんだ…」
こうして、彼は数少なかった当時の村の人々によって全員で手分けしながら育てられたそうだ。そんな彼も初めは生み親の事情がために極度の人間不信になったものの、人々による愛情が功を奏したのか、正義立つ優しい男になっていった。そんな彼が成人を迎えた頃、身寄りのなくなった赤子を預かって欲しい3家族の親たちが彼の元へやってきた。時代は不経済。殺せるはずのない赤子を彼ら3家族はある男の有名談から、この町へやってきたらしかった。その男とはまぎれもなく彼の事であり、いつしか町を超えて物語は様々な山荘の向こうにまで伝わっていっていたのだった。やってきた3家族は生まれた場所も生きていた時間も違えど、その親としての想いは同じだった。彼はその3家族の言葉を受け入れ、かつて、自分を愛してくれた村の家族のように、彼らの子供を愛し村の人々と共に育てていた。3家族から生まれたのは、ある家族からは2人の姉と弟。ある家族からは2人の姉と妹。ある家族からは2人の兄と弟だった。だが、可愛がる彼らとその男の前に突如として見知らぬ者たちと遭遇する事となった。彼ら曰く、この町に置いた財閥の大御所の隠し子を都合上好展開となったことなら、引き戻しに来たそうだった。答える余地もなくその男の心は決まっていた。彼はこの町での生涯を誓い、彼らを町民と共に追い返したそうだ。
6人の男女が青春を共に過ごし、喧嘩をすれば仲をより深めたり、学校においても彼らの破天荒ぶりは有名になるほどだったそうだ。やがて、彼らは自分を預けに来た家族と再会した。互いに理解した後、彼らは共に片親ずつから苗字をもらうこととなった。姉と弟の家族からは伊予と凪乃。姉と妹の家族からは綾瀬と木原。兄と弟の家族からは常蔵と黒羽だった。様々な恋愛間を経て彼らはいつしか友情以上の絆を知り始めていったそうだ。
「そして、これも紆余曲折した恋愛話に繋がるらしいんだ。だから、彼らの育て親である彼は、それらを手記に残したんだとよ。育てに関しては徹底して優しかったんだろうな、これがそれだ」
獅童、光、和泉、そして零音の4人が夜の浜辺でそれを眺めた。そして光だけがその表紙を見て驚愕した。まさしく、いやまさしくその表紙をかざる著者名が、自らが知る亡き祖父の名前であったことを。かつてあった青春と幻影の手記を書き、彼らを育て、町の人たちに愛された男の名前を。その男が、遠山 孝蔵であったことを。

21話『過ぎ去りし物語』
およそ、半世紀近く前。6人の男女がいた。そしていつしか多くの季節が過ぎ去り、彼らは互いに結ばれあっていったのだった。やがて、凪乃は綾瀬と、常蔵は伊予と、黒羽は木原と。そしてそれぞれに、凪乃家は1人の少女を、常蔵家は1人の少年を、そして黒羽家は1人の少年を産んだ後やがて離婚し、黒羽性はその1人の少年に、離婚した木原性は後に生まれた黒羽性との間にできていたもう1人の少年を育てていった。そしてそれはまさに、凪乃 和泉であり、常蔵 光であり、黒羽 零音であり、木原 獅童だったわけだ。やがてその子供達は元気に育ち、小学校を共に過ごしていくようになった。が、和泉と光と零音は仲良く3人組として時間を過ごしていく一方で、木原の子 獅童は親が離婚しており、母親が父親と疎遠だった事から、その輪に入ることはできなかったのだ。子供なりの考えだ。それは親が見せてはならない光景だ。取り返しのつかない家族の末路だった。だが、だからこそ、獅童という少年は父を知るため、母を知るため、彼ら3人と同じ時間を、同じ気持ちを確かめたかったのだった。遠山孝蔵はそんな彼らに手出しはしなかった。彼らの生きるその姿こそが、人の道の知恵と孝蔵は知っていたからである。
やがて時は経ち、凪乃家の娘 和泉は早くに母親を亡くすこととなった。父親との生活は父の思いもありしっかりと育てられた。だがやがて仕事の多忙さに、親と子の時間は消えていくようになった。くすんでいく心に和泉は仲のいい光や零音にさえ歪んだ八つ当たりをするようになっていった。それでも彼女を支えようと必死だった彼らはそれぞれがそれぞれの場所で彼女を喜ばせようとした。そして零音は小さなキーホルダーのプレゼントを、光は彼女に告白の想いを伝えた。それが本心であろうがなかろうが、和泉にはただのなだめにしか感じ取れなかったのだった。和泉はある雨の日、告白する光を突き放して、そのまま池に落としてしまった。走って逃げる和泉は泣いていた。急いで駆けつけた孝蔵と零音たちは溺れ瀕死だった光を助け出し、事の末路を聞いたのだった。そして光は池の事故から耳と記憶が若干ではあるが鈍るようになったのだそうだ。こうしてショックによる記憶喪失のごとく、光たち常蔵家は母親の生みの親の住む長崎へ、親たちの介護と世話のために引っ越していったのであった。孝蔵は来る日も来る日も和泉が泣く理由を知っていた。そんな彼女を慰め続けた零音や獅童は共にいつしかその記憶を、光のいた時間の記憶を閉ざしていくようになったのであった。こうして遠山孝蔵の手記はそこで幕を閉じることとなった。それはいずれくる自らの死を孝蔵自身が覚悟していたからである。こうして、孝蔵の死後、町は変わった。彼を知らない人間たちで溢れかえり、村でしかなかった町は徐々に隣町との合併などを経てその風景を現代の田舎町に変えていったのだ。それからやがて、和泉は零音と恋人のような関係になっていった。それは付き合ってはいなくとも、恋仲も同然だったのだ。そんな和泉も父親の転勤でその町を出ていかなればならなくなったのだ。中学卒業と共に東京へ行った和泉はそこで、運命の如く、彼に再会したわけである。彼への想いを、閉ざしていた、あの時言えなかった本当の想いを、和泉は再認識した。だからこそ、半端な気持ちじゃ零音と付き合えなかったのである。だからこそ彼女は零音の浮気のような真実が辛かった。やがて多くの時間の後、帰ってきた和泉は零音と光の物語を獅童に伝えた。ずっと前から、あの輪に入れなかった頃から泉を想っていた獅童は彼女を優しく包んだ。和泉は光への想いを押し殺して彼の愛をまっすぐに受け止めたのだった。
「愛がなんだか、俺ですらまだよくわからんが、俺らの間に起きていた昔からの歴史はそれを教えるものがあるんだと思う」
話し終えた零音は光にむきなおった。
「これが真実だ。町自体がこのことを隠していたのは、獅童やイズや俺や孝蔵さんの思いを守り抜くためだ。だがやってきた。それでもライト、お前はここへ帰ってきた。どんな理由であれ、これは俺たちが決着をつけるべき問題だ。それでも、いいのか、光」
光は真摯にそれを受け入れ、応えた。
「ああ。俺はそれでも、ここに来た理由を忘れてなんかいねぇよ」
だったらと、彼ら4人は立ち上がった。俺たちは決着という名の再会を果たしたこととなる。これが始まりであり、止まっていた物語の新章となるのだ。和泉はただ黙っていた。この4人を、忘れられるはずなどない。だが光は今それを思い出したのだ。複雑であり、様々な思いがおそらくこの4人の中には流れているのだろう。だから、和泉はまだ4人に返す言葉も見せる顔も無かった。
初夏を、迎えるために始まった梅雨のはじめ、光はその事を東京にいる八重人たちに電話していた。八重人は光の奥ゆかしいそんな態度を気に入っていた。自分もどこかにそういう迷いがあったから。八重人は喝を叩き込むように、光に語った。あの4人の集結から数週間が経った。光は遼や千裕の3人でよく過ごすようになり、相変わらず和泉や零音は学校には登校せず、獅童も仕事に集中していた。だが進展はあった。光と和泉はかつてのようにではなけれども、ある程度の会話はできるようになっていたし、かの4人が集まれることも少なくなかった。だが、和泉と光は互いに暗黙の了解かのように、互いの想いに関しては何1つ触れなかった。光が切り出すことも、和泉が切り出すこともできないでいた。だが一方で光自身にはやはりといっていいか過去を思い出したことからくる時間の累積がその背中を重くしていた。そしてもはや和泉への想いは光自身が一番よくわかっていた。何の余地もなく光は和泉がどうして光を知っていながら光に知らぬふりをしたのかを理解できたからだ。光はそんな事を考えながら校門を出ようとした。その時、校門前に立つある女性の姿に気づいた。光は初めて救われたような気分になった。いつか来るとは聞いていたがこんなにも早くに光のもとへ来てくれるとは思ってもみなかったからだ。光はそんな久方ぶりの雪絵に手を振った。高校教師の研修生 夏海との連絡が取れていたこともあり、雪絵はこちらへ来れたらしかった。雪絵との時間を過ごす光は自宅でこれまでのことを彼女に話した。そして途中から来た遼と千裕の参加でその日の晩飯は大いに盛り上がることとなる。雪絵との夕暮れの散歩道を歩いていた光は自分たちの影を見つめながら、遠い目を向けた。雪絵はそんな光の奥ゆかしい、もどかしい、切なくも惜しみない、そんなまどろっこしい性格な彼を影で支えることが好きだった。延々と続く田圃道を2人がただ歩いていた。和泉が獅童の肩に寄り添いながらその光景に横目を流す。今そこにいる存在が彼にとってかけがえのないものであることを、受け入れているつもりだった。はずだった。けれどそれはかたちであって、彼女が今そこに寄り添う存在は希望なだけではないのだろうかと、と。和泉はそんな夕陽の彼方に消えゆく二つの影をゆっくりと見つめると目を逸らした。そんな和泉の目の先を知る獅童はそれでも彼女のそばにいたのだった。家に帰るなり遼たちの食材提供から料理対決が始まったのはまた別の物語である。こうしてしばらくするうちに月明かりが満天の星空とともに宙を舞う頃になり、2人が帰って行ったのと同時に、雪絵と光は蚊帳を立てて空を眺めながら寝ることにした。光は自分が和泉へ告白したいことをいまだ雪絵に伝えきれずにいた。そして翌朝、ランニング帰りの光は帰りしな雪絵と千裕の会話を耳に入れてしまうのであった。

22話『返り咲き』
千裕はどうしても不安だった。これは夏海含む学校やクラスメイトの心配事でもあったわけだが、それでもやはり和泉の過去を知る町の人々として、光が今きっぱりと和泉に対する気持ちがどちらにあるのかを決めなければいけない時であることを、当人の恋人である雪絵に伝えられずにはいなかったのだ。光は納得した。だが雪絵はそんな千裕に対して初めて怒りの気持ちを晒した。自分が想い合う相手に好意を持つ別の女がいたことに憤慨しているのでもなく、千裕がそんな余計なことを秘密裏に話してきたことに怒りをあらわにしたのでもなかった。雪絵にとってすべての選択肢がまるでふたつしかないような、好きなら付き合うのか、嫌いならこれから先離れて行けというのか、そういう区別の意味合いに光の純粋な恋心を町の重荷を背負わせるなということだった。実質、光が誰に好意を持とうがそれは光自身が決めることであることを、雪絵は願っていたからだ。たとえそれが、自分へ向くことのない幸せでも。それでも雪絵にとって光はそれだけかけがえのない存在だった。自ら道を選び自ら道を作り、決意と覚悟を持って自由に生きていて欲しかった。なのに、町は、旧友は、かつての物語は彼をまだ引きずり続ける。そんな腐りきった現状が雪絵には許せなかったのだ。光はそんな雪絵の姿を初めて見ていた。だからこそ、光はなぜか、ようやく決意が、自身の持つ想いに決着をつける勇気が、湧き上がったのである。その日の昼、光は自分が町の責任でも、連中の目を気にするのでもなく、ただ想いのままに、和泉を好きであることを、雪絵に伝えた。雪絵はそんな光の眼差しを儚げに見つめ続けた。それが答えであるとどれほど願わなかったことが。どれだけ自分に否定していたことか。それが答えであるとわかっていても、雪絵は、涙を流さずしてその言葉を受け入れた。雪絵が光を想う気持ちに偽りはなかったのだから。まっすぐに彼を好きだったのだから。こうして雪絵は昼下がりの午後、田圃道を歩きながら1人地面を一滴一滴濡らしながら歩いたのであった。そんな彼女を慰めるかのようにある若者が駆け寄った。2人の男が後ろの方から歩き続いてきているようだ。先頭の女子が雪絵の涙を拭いた。訳もなく振り向く雪絵は彼らに誰であるかを問い尋ねた。3人の若者のうち唯一の女子が雪絵に語った。
「私か?私は神楽栞って言ってな!君を泣かせるような男とその想い人の物語に決着をつけさせにきたのさ」
こうして東京の3馬鹿トリオがやってきたことは町中の話題となったのだった。
零音や獅童のもとに光や八重人に誠が向かい、ことの事情を互いに整理しあった。零音ははじめこそ何も知らない人間に話す気などなかったものの、和泉に対しかつて好意さえ抱いていた遠藤誠や北門八重人という人物について知る為に、仲を結んでいくようになったのであった。こうして光は千裕や遼と共に栞や高校の夏美らも含めた面々で事の話に整理を行い始めた。その一方で、雪絵は東京の面々と次第に仲を深めていき、自ら和泉に常蔵光への想いに対して宣戦布告をしたのであった。そんな光への想いに真っ正直な女性たちの声が和泉にさらなる追い打ちをかけていた。わかっていた。自分の想いがどれほど傲慢で恩知らずな我がもの顔であるかを。かつて付き合っていたような恋仲だった零音との関係も、光に対する本当の想いも、獅童への感謝すべき気持ちにも、和泉には大切であることに変わりはなかったからだ。故に、1人であろうが2人目であろうが3人目であろうが和泉には、もう決めるべき相手がいたのだった。だが、そんな雪絵の言葉にどこか自分の想いを再認識できた和泉の瞳にはようやくだが輝きが灯り始めたのであった。そんな和泉に久しぶりに会った栞は彼女の気持ちを聞き出そうとするもそれは残念ながら簡単には行かないことだった。栞の気持ちすらも和泉には何となく理解できていたからであった。栞はそんな自分の立ち位置に関係なく和泉を理解したかったわけだ。だが雪絵はそんな栞をなぜだか理解してしまうのであった。こうしていくうちにほぼ全員が和泉と光の件とは別に仲を深め始めた、結果その日の晩には和泉を含む零音や獅童に千裕や遼や夏美の西香川の面々と、光を含む雪絵や栞そして誠に八重人の面々とが合流して、光の実家宅で大きな晩飯会を行ったのであった。その日の夜、各々がそれぞれに会話を楽しむ頃、零音と和泉は外の庭園にいた。零音は付き合っていた彼女などいなかったことを和泉に白状する。それを知ったところでどうすることでもない和泉に光じゃなくて自分を選べと零音は和泉に問いかけた。そうして、光が東京に帰ることでことは丸く収まると彼は考えているのだった。何より零音自身が和泉を想っている事が理由だっただろう。そんな零音に和泉は断る事ができなかった。それは優柔不断な和泉による零音へのささやかな恩返しだったのだ。けれどもそれは零音ですらも悩みにおとしめていた。零音は唯を想へどそれでも和泉を大切にしたかったからである。そんな零音と和泉のやり取りを見ていた光は零音がそれを口にしようとしている事を悟った。それは和泉も同じだった。零音が今まさに零音自身の想いを和泉に伝えようとしている事をわかってしまった。故に和泉はそこから退いた。わかっていても、和泉にはその想いが、こらえきれない重荷に感じたのだろう。誰にも分かるはずのない幼馴染故の勘だった。去っていくその姿を見つめる零音に光は、ようやくではあったが、自分も必ず彼女へ伝える事を宣言した。零音にも光にも、その瞳が、互いの瞳が爛漫に深みを帯びている事を知ったのだった。聞いていないふりをしていても、栞には、雪絵には、それがどんなにわかっていたとしても、聞こえずにはいられなかった。だからこそ片付け作業にせっせと手をつけ始めた。みんなを呼び集めそれぞれの洗い場作業が始まり、まるで大きな家族かのようにその晩を過ごしたのであった。彼女たちが洗う皿にはそれが水として滴り落ちているものなのか、それとも別の何かなのかという事には気を止めなかった。その日は久しぶりの快晴だった。和泉は星空の下をひたすら走っていた。

23話『万感の想い』
雨は止む事なく降り続けている。いつしかそんな天気ばかりが続くようになり、梅雨の終わりを告げるかのように、東京の面々や雪絵にも帰るべき時が迫っていた。和泉は零音にあの夜以降、一文たりとも話さなくなった。零音はそれでもと諦めずにいる一方、その努力は虚しく無駄のようだった。和泉はしばらく落ち着いて考えていたいのだった。そんな彼女を察した八重人たちは零音に我慢するよう持ちかけていた。だが零音はとうとう限界を感じ、光と互いに怒りをぶつけ合い、大雨の中、外で乱闘騒ぎを起こしたのである。誠や獅童たちが止めに入ろうとしたが、八重人や雪絵たちは止めに入ろうとする2人の男子を止めた。これは互いに想いを伝えきれてない証拠だったからだ。己の願いを、気持ちを、本心を心からぶつけあわなければいけない時だってある。それはおそらく叶わぬ願いだとしても男だからや、同じ相手を欲しているからでもなかった。ただ自分たちを素直に受け入れたかったからであった。そんな2人の喧嘩を見ていた栞はふとその場を去って行った。それを追いかけたのは雪絵と部活帰りの千裕だった。栞は傘もなく雨の中を走り続けた。零音の右手が光の腹に決まったが、光はまだ立っていた。栞はその頬に何滴もの水を滴らさせながら田圃道を走りぬく。栞は向かわなければならない場所があった。彼ら男たちの想いを彼らだけで終わらせないように、女には女の義理の通し方があるということを。零音をこけさせた光は、零音によって地面に同じく叩き倒される。両者は決して引く事なく体を休めず隙を見逃さず向かい合っていた。町民に聞きながら辿り着いた栞は、ある山の上にある草原で和泉をようやく見つけた。栞は叫ぶ。
「和泉。行くよ、あいつらの殴り合いが結果を出す前に」
「…私が行ったらどうなるのよ。栞」
「…君は、会うべきなんだ!」
「…!」
無表情から怒りをだした和泉は栞を睨みつけると彼女の前に来て栞を土砂降りの地面に叩きつけた。これまで幾千幾万と言われ続けたその言葉に、和泉はもはや悲しみや彼らへの想いを怒りのやり場に変えてしまっていたのである。
「さっきの発言を取り消して。謝ってよ」
栞は頑としてずぶ濡れの頬を拭かずに真正面に和泉を見据えるとはっきりと言った。
「取り消さないし謝らないよ、何度でも言う。会うべきだよ、和泉。君を想う男たちに、何より零音君に会うべきだよ。自分の人生をかけて想い続け、ましてや君を想ってはるばるここまで耐え続けてくれた男に会わずに済まそうなんて、それはよくないことだよ。それは、それは正しくない」
「何を言ってるのかさっぱりわからないわ。少しくらい論理立てて喋ってくれない?」
「論理なんて知るか。つべこべ言わず会えばいいだろうが。数年またいで君に会うためだけにやってきた男だぞ。どうして今更会ってやらないんだよ」
「だからそれは栞の誤解だってもう何度も言ってるじゃない。そんなくだらないエモーショナルな理由で、零音は私のところへきたわけじゃないし、現に嘘までついて別れる口実を作ったのよ。どちらにしても、これは唯一の存在たる幼馴染故の自然現象に決まってるのよ」
「誰かが誰かを好きになる気持ちだって自然だろうが!誰かが君を好きな気持ちを否定するな」
「だから…わからないかなぁ。そういうのではないんだって、幼馴染みたいな関係は好きぶ好きで語るようなものじゃないのよ、栞にわかるわけないじゃん!」
「幼馴染みたいな関係は好きぶ好きじゃない。それを和泉は光の前でも言えるの?」
「あの時あの別れの日、私が光に言った通り。今の私にとって意中の存在で幼馴染と言える相手は君の言う光しかいないのよ。今の私には…。」
「和泉は、私の言っていることがわからないと言うけれど、私に分からないのはそのへんだよ。私が気に入らないのは正しくそのへんなのよ。」
「うん?」
「まるで、幼馴染が1人しかいちゃいけないみたいな言い方じゃん。たとえば、和泉と光と零音君や獅童君と、4人で仲良くやっていくという想定はないの?」
「4人でって…。なに?仲直りをすればいいと、栞は言ってるの?」
「仲直りするかどうかはどうでもいい。もしも和泉が零音君よりも光を選ぶというのなら、それでいいんだよ。けどそれを相手に伝えるのは和泉じゃなきゃならない。獅童君や光に任せるべきじゃない。」
「栞は何もわかってないよ。私と零音との関係性を。ちがう、今現在の私と光との関係性さえ栞は知らないんじゃないの?」
「確かに…知らない。でも私にはわかる。初めての気持ちも…2番手の気持ちも。」
栞にとっては、零音の気持ちの方がわかるのだ。純愛のごとき。愛する者を影で支える気持ちを。
「今更、零音に会ったところでかけてやれる言葉なんてない。現実を見てよ。今やこの町からようやく昔話になろうとしている過去を光が来た事で零音が決着をつけることにしたのよ、私がどんな気持ちになるかぐらいわかるでしょ!」
「わかってる。だから!」
「だから、だから尚更会ってやるべきだって?あの男は私なんかにそんな気があるはずないに決まってるわ。会えば私はまたこの町のしきたり通り、何かを秘めていなければいけないかもしれない。光と決着をつけると言ってるらしいけど、その決着の行方によってはこの町の責任は栞たちでは済まないかもしれないのよ。それも全部含めて−」
「それも全部含めて!会うべきだと言っている!だから、理屈とかいんだよ!なんでみんなそうやって人と会うことを拒むんだ!話にならない!誰かと誰かが出会わなきゃ、話にならないだろうが!物語にならないだろうが!はっきり言えばいいだろ和泉。怖いって、会うのが怖いって。会って話して感情が乱れるのが嫌だって!」
和泉は愕然とした。
「君は彼に会うことが、獅童君に対する裏切りのように思うから、会わずにいるつもりかもしれないが、」
和泉の瞳が揺れる。
「−それは違うよ!君が裏切っているのは、自分自身だ。…言えばいいだろ!数年またいでそばで待ち続けているような愛情は重いって!獅童君とかと仲良くやっているところに、今更好きだと言い寄られてきても困るって!あんたの気持ちは迷惑だって!そのまま友達でいればよかったって!言えよ!それが言えないんだったら、レオンだの幼馴染だの口にするな!男泣かせな女でもなければニヒルに浸りたい女でもない!君はただの男好きだ!」
和泉の口がふさがらない。
もうそれは否定のしようなどどこにもなかったからだ。
「何が幼馴染だ。君には告白を待つ権利も、誰かの肩にすがる権利もない!」
「は、」
「君には今更の関係を築く権利なんてない」
「はは、ははは!は…!
言いたい事はそれだけ?全てを台無しにして楽になれたつもり?私が許すわけないでしょ」
「やれよ。だったら。私は謝らない。やって、今度は光や獅童君と気まずくなればいい。きっと今零音君を避けているように、今度は光たちを避けるんだろ。今彼を過去の話にしたように、将来光たちの事も、昔話にすればいい。和泉は、1人目を捨てるようにいつか、2人目も捨てる。1人目に向け会えない君が、2人目に向き合えるわけがない。3人目も4人目も5人目も。永遠に人と別れ続けろ!」
「永遠に…」
「実は好きだったんだろ?いつか言ってたよ、光が。和泉が明日死ぬなら俺の命は明日まででいいと。だけどきっと、和泉はそんなことは言わないな。言ったとしても同じことを3人目にも言う。4人目にも言う。5人目にも言う。いつまでも言い続け、いつまでも生き続ける」
「…誰もが栞のように社交的だと思わないで。さっき私を男好きとまとめてくれたけど、誰かに会いたくないという気持ちだって、自然なものじゃない」
「それは不自然だよ。人と人とは会わないことはあっても、合わないことはない」
「私は男も、人も、嫌い」
「かもしれないね、その様子だと」
「会ったところで、私は零音に何を言ってやれるわけでもないのよ。憎みあって別れ、ただの勘違いのように好きだっただけの関係なのよ。よりを戻すつもりもなければ、4人で仲良くやっていくつもりもないし、1人目と2人目を並べて語るつもりもないわ。比べること自体、私の想い人に失礼と思ってる。私と私の想い人がもし結ばれたとして、私が仲良くしているところを見せつけて、それで何の意味があるの?今やあの男に私が何の気持ちもないことを見せつけて、どんな意味があるの?そんな残酷なことをしろというの?」
「ああ。残酷なことをしろと言っている。昔の男を傷つけるのが君の役目だ」
和泉の瞳孔が開く。
「和泉は、人に好かれて、そのうえ良い奴でいたいの?愛されたままで終わりたいの?」
「栞の言っていることは、風化や摩耗させるくらいだったら破壊してしまったほうが良いと言っておるようなものよ?」
「言っているんだ!だから!」
「あいつが私を恨んで殺そうとしているのであれば、私はあいつを殺し返すことになる。それでもいいの?」
「それでもいい。その時は憎しみという気持ちに応えてやればいい。その想いを断ち切ってやればいい。だけど謝って許してくれたならその時は」
「その時だって同じことよ。私が許した直後に、零音はこの町の闇に飲まれる。それでもいいの?」
「それでもいい。それでもいい!」
「栞の阿呆な予想通り、あの男が私を想って未だに待ってくれていたのだとしても、私がその想いに応えることはないわ。私があいつに会ってできることは、こっ酷く手酷く振るだけ。それでもいいの?」
「それでもいい!」
「私があいつに会って、もしもその想いに応えたくなったらどうするの?私があんたの光よりもそばで生き続ける存在を幼馴染に、好意を持つ者に選んだらどうするの?それでもいいの?」
「それでもいい。その時は…その時は、獅童君ときっぱり別れて、光から永久に離れて、彼と永遠に添い遂げるがいい」
雨に打たれる中、2人の男が地面に倒れた。互角だった。息を荒くした2人は軽い言葉をかわす。彼らを見守っていた2人が駆け寄ってくる。
濡れた服に気にもとめず、2人の女が道端で起き上がった。彼女たちを見守っていた2人が駆け寄ってくる。
想いが巡り巡って物語を呼んだ。己の願いを、乞い願う想いを。雨に打たれ、若者は空を仰ぐ。ひとまわり広く世界が見渡せているような気がした。それぞれの頬に雫が伝う。その日、彼らは初めて、想いを叫びあったのだった。
彼らの友情が今一度、固くなった瞬間だった。
零音は泣きながら、音も無くただ泣きながら光に全てを、託したのであった。
大声で天を見上げて涙を呼ぶ和泉は栞に抱きしめられるままに想いの内を放った。栞は泣いていなかった。自分の想いはすでにもう、この鈍感娘に託していたからであった。
今一度、若者は万感の想いを馳せて、雨に謳ったのであった。

最終話『一輪華』
大雨が夕暮れの到来とともに消え去った頃、各々の事情をかかえた若者たちは、様々な場所でその夕陽に頬を染めていた。夏が近づいていた。夕闇が闇夜へ変わり、町には人の住む明かりが付き始めた。光は広い畳の上で、零音と会い、事の全てを話し終えた和泉は風呂場の中で、ついさっき正式に振られた零音は着替えながら、栞はうどんを食べながら、獅童は仕事場で、雪絵は光を見守りながら、八重人らは公園で、夏海は職員室で残業に打ち込みながら、唯は港を坂道の上から眺めながら、それぞれが、この物語の終幕を、どこかで思っていた。
星々が爛漫に輝きわたる。光は消えた夕刻の夜空に宝石を眺めていた。明日、光はようやく、何のつっかえも無く、誰の為にでもなく、自分の想いを、詰まり続け、自分どころか他人までも巻き添えて苦しめていたこの気持ちを、ようやく、彼女に伝える事が、できるのだ。和泉は窓から見えるその景色を胸に、目をつむった。全員が明日の為にこの日々を刻んできたように、夜は全ての者たちの夢を包んで天を舞ってゆくのだった。
翌朝。快晴の空に大地を踏みしめた若者たちがそこにいた。光はいつか遠い昔に、3人でよく遊んでいた電波塔の下の草原に和泉を連れてきた。光はただ思い出せる限りの記憶を和泉と話した。周りには誰もいなかった。誰もがその時をもう理解していたからこそ、誰もがもうそこに行く事はないと悟っていたのである。電波塔の下に広がる木々に囲まれた草原は風が止まぬ山の頂上だった。和泉の指にいつかの指輪は無かった。覚悟の末だった。だから、そういう奴だと知っているから、光は何も不安には感じなかった。木の葉が、木々が風に揺れる。時が止まったかのように、2人は見つめあった。いつまで、いや、どこまで話していたのだろうか。目と目が合い、その口が紡ぐこの物語最後の告白を呼んだ。光はどんなに時が経とうとも、その思いを捨てていなかった。諦めきれなかったと言えば誰もがそう言えるだろう。だからあえて彼の言葉から放たれた想いの結晶に、それでもという言葉は無かった。和泉がその瞳からいつしか涙をこぼすその瞬間まで、光はそのすべてを和泉に伝えた。
「和泉、俺はお前を、愛しているんだ!」
何度だって伝えれた。何時だって、何処でだってそのたったそれだけの言葉は言葉から口から溢れるように、彼を埋め尽くしていた。だけど、これが、これでその言葉は締めくくられた。これに埋められることの無かった時間と失っていた時間を込めて、光は和泉に叫んだ。和泉はそれに大声で、いやおそらく、大声のように叫び返した。
「バカ!遅過ぎるのよ!」
走り寄る彼女の姿、その刹那、男女はその草原で走り寄って互いを抱きしめあった。もう、和泉の気持ちが揺れる事は無かった。答えなんてとうの昔からわかっていたから。
零音や千裕を含む栞たちは、海辺で集っていた。事の結果なんて、もう誰がどう見たってわかる展開だということを、知っていたからである。獅童が言う。
「あの日、光が初めてのように、和泉の家の前で、俺たちと出会った時、和泉は冷たい顔で僕に帰ってと言った。その時にな、彼女は光の前を素通りして玄関を閉めようとしたんだよ。だから僕が止めようと彼女の顔を覗き込んだんだ。けど、彼女は怒ってすらいなかった。泣いて…喜ぶように、まるで見せた事のない顔をしてたんだ。だから、もう僕は何も言えなかった。わかってたなんて、女々しい話だけど、けれど彼女の気持ちはいつだって、馬鹿正直だったんだよ」
光は和泉を優しくけれど、強く抱きしめた。彼女の言葉が紡がれる。
「愛してるなんて、言わないでよ。私だけが愛してないみたいじゃない」
嗚呼。どれほど、どれほどその言葉が聞きたかっただろうか。和泉は、光は、互いの涙を一粒の雫に繋げた。2人の影が草原で波に揺られていた。それは風のやまぬこの場所でいつまでも輝き続けていたのである。
栞は帰途の号を出した。八重人と誠と雪絵はそれに応え、零音は獅童と共に、千裕は遼や夏美と共に、それぞれの家へ帰って行った。栞は大きなその山を爛漫の笑顔で見上げた。そこに少なからずも、恋に落ちた存在がいるからということは今のところ否定はできない。けれども、彼らが様々な思いをもってその方角へ目を向けたように、彼女にも多少なりの成長の兆しがあったに違いないのだった。紡がれる青春の物語。過去と今をつなぐ、そのすべての若者たちによる青き宴。本のひとしずくに過ぎない春の幻。それは、波打つ風吹く桜時雨の隙間。時と情に抗う、儚き一輪華なのだ。
卒業式が終わり、東京のあらゆる高校で多くの若者たちが次なる人生を歩み始めた。光は八重人たちと学校に一礼をすると校門へ振り向いた。その先には、冬の風を吹き消すように、凪乃 和泉が待っていた。溢れんばかりの、あの、いつもの笑顔で。
和泉は東京へ上京した。1人暮らしを再開した和泉を支えるように、光たちもそれぞれの生きる道へ進み始めた。光はすぐに働き始め、いつか和泉と共に小洒落た喫茶店を営む夢を持ちながら、めげずに貯金の生活を行っている。時折、付き合い始めた唯と零音が光に邪魔をしかけてきたりもするが、光たちはかつての西香川の面々とも仲良くやるようになっており、それぞれが大学へ進んだり、上京してきたり、地元で働き始めたりしている。今回の件により、唯の母と光の父は仲直りすることとなった。時は変わり、若者は成長を遂げ、時代の波に生き続けている。そしていつしか青春の思い出なるものは、そんな日々もあったのだなと言わせるぐらいにしか思い出せなくなってゆくのだ。どこかにあった物語は、いつまでもそこで永遠の花を咲かせている。そうやって、人は大人に、なってゆくのだろう。このような、消えゆく時の隙間にあったはずの幻影を、人はこう呼ぶ。
忘却の一輪華、と。

完。

番外編25話『青春風』
古き6人の青春の思い出物語
凪乃 洋一(なぎの よういち)と綾瀬 美由貴(あやせ みゆき)。常蔵 剣時(つねくら けんじ)と伊予 薫(いよ かおり)。黒羽 潤(くろば じゅん)と木原 東華(きはら とうか)。彼らが紡いだ青春の日々とは。

番外編26話『幻影歌』
光と和泉の結婚に至るまでの物語
点々と就職を繰り返しながら日々葛藤しつつ成長を遂げる光と、残業続きの苦しい生活を強いられながらも大きく変化してゆく和泉の、結婚という大きな決断の意味とは。

番外編27話『里程標』
彼らがとある喫茶店に集うまでの物語
唯は早朝に電車に飛び乗ると東京へ向かった。途中、雪絵の車に乗り込み、千裕と遼も後に乗車。話がはずむ中で、大学院を卒業したばかりの栞や誠や八重人の3馬鹿トリオが待ち合わせ場所に到着、後に新幹線で来た夏海と獅童と零音に合流後、彼らはそれぞれに笑い話を進めながら、とある街から少し離れた小洒落た喫茶店に入って行った。そこにはいつかの2人が待っていた。

春の風見鶏

この度は、概要編であるにもかかわらず御愛読いただき誠にありがとうございました。D'Arc作品と言えど恋愛ものを書くと言うのはいささか自分自身にもダメージがくるようで、綴りながらどこか切なくなってしまうこの頃でした。
恋という一大テーマは本編でしか語れないものもありますが、彼らにとって、様々な意味で虚空のような壮大な成長に繋がったのではないでしょうか。
この物語を通して何かを感じとっていただけのなら、僕にとっても、本望です。
また、どこかの物語でお会いしましょう。

春の風見鶏

青春は、あの時あの場所のどこかで、確かにあったんだ。

  • 自由詩
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-29

CC BY-NC
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