雨の日が好きなわけ

 私は雨の日が好きだと言ったら、妻は晴れた日がいいと言った。洗濯物が乾かないし、気分も暗くなるし、なによりも買物に行くのが億劫になる。そんなところだろうと想像した。私はどうして雨の日にボーッとして家にいるのが好きなのかを考えると、思い当たる節がある。
 私の家族は終戦後に満州から引き揚げて来た。私が3歳の時だ。そして9歳になった時、父は苦労がたたって41歳で他界してしまった。母子家庭の我家は貧乏だったので私なりに母を助けようとした。           
私の通う田舎の小学校は農繁期になると休みに入った。田植えの仕事は今の様に機械化されていなかったから、農家は猫の手も借りたい程に忙しかった。他県から出稼ぎの応援隊も来ていたし、私と母も近所の農家に手伝いに行くことがあった。私の役目は横一列に並んで田植えをしている人達の苗が無くなった時に苗束を補給することだった。だが、子供の私は苗投げが下手だったのでみんなに引け目を感じていた。狙った人の所にうまく投げられず、遠くの母にも届かず、力を入れすぎて苗束がほどけてばらばらになることもあった。男の人に「へたくそっ」とどなられたが、母はそんなことは言わなかった。からだの小さい母の植え方は亀さんの様に遅くて、いつもビリでかわいそうだった。それに前かがみの腰が疲れて痛そうだった。私は特に注意して、取りやすいように母のすぐ目の前に苗束を投げようと苦心していた。
 大概は母と一緒に農家の手伝いに行くのだが、その日、私はいつもの新聞配達を終えてから一人で行く事になっていた。雨なので母は私に蓑傘を着けてくれた。蓑傘の格好でゴム長靴は歩きにくかったけれど、遅くなって叱られはしまいかと急いで行って「手伝いに来ました」と農家の玄関をあけた。しかし、今日は手が足りているから手伝いは要らないと、すぐに断られた。帰って母に報告すると、「ご苦労様、大変だったね」と言って、びしょぬれの蓑傘を取ってくれた。そうしてもらいながら、私は心のなかで、米も野菜も貰えず、役に立たなかった自分を母に詫びた。母は「さあ食べなさい」といって茹でたばかりの温かいサツマイモを出してくれた。
いつもは働きに出かけて夜にならないと帰ってこない母が、その日は頼まれた着物の仕立てをしていた。私は母が家に居るのが何よりも嬉しかった。弟は母のそばで本を読んでいた。雨が一段と激しくなり、雷が鳴り出した。とたんに弟は母にしがみつき恐がった。そのために母はしばし針の手を止めなければならなかった。私は弟を可愛いと思った。
 私は遠い日のこの情景を思い出すと幸せな気分になる。だから一日中雨でも苦にならない。妻がCDでアヴェマリアをかけ、濃いコーヒーをシュガー、ミルク入りで出してくれたら、最高に幸せだ。
 とは言っても、晴れの日も好きだ。息子と釣りに行ったり、孫と公園で遊んだり、妻と町に出かける時に雨では困る。
                                            2016年5月12日
   

雨の日が好きなわけ