*星空文庫

白くま

遠藤健人 作

 もはや総務部の寄生虫は俺と白くまの二人だけになった。リストラ勧告を受け入れなかった社員五人はそれぞれの部署から総務部へ転属となり、ひと月のうちに三人が辞めていった。まあ、一か月以上居座っている俺と白くまの方が異常なのだ。俺たちに与えられた仕事はネジの着脱。なんだかわかんねぇ機械にひたすらネジを突っ込んだり外したりを繰り返すだけの簡単なお仕事だ。およそこの世にこれ以上無意味な仕事は、というか行為は存在しない。それはわかっているのだが、とにかく給料はもらえるわけで、俺にはその後の就職のあてもないわけで、とりあえず毎日ここへ来てしまうのだ。それにまだ白くまもいる。ああ、言っておくが白くまってのはあだ名じゃない。やつは言葉はしゃべるがどう見ても本物の白くまだ。だから冒頭の一文は「総務部の寄生虫は俺と白くまの一人と一頭だけになった」に各自訂正しといてくれ。OK?
 なぜ会社に白くまがいるのか見当もつかないが、やつは毎日しれっと出社して、そんでもって結構ほかの連中とうまくやっているのだ。女子社員が大きな荷物を持っていたりするといつの間にか側にいてドアを開けてやったりするし、昼飯のあとで社員食堂のおばちゃんに「今日の煮魚は最高でした。ごちそうさまでした」なんて声をかけたりもする。視界に入るとなんとなく和むし、愚痴なんか一切こぼさない、いや、それどころか、白くまはネジの仕事を実に楽しそうにやっているように見える。まるで人間の子供が積み木遊びでもしているように、目を輝かせてネジを締めたり、外したり、会社側の思惑に反して毎日楽しそうに仕事をしているのだ。俺はむかついたから聞いてみた。
 「おい、白くま、てめえこの仕事そんなに面白いかよ」
 「長谷川さん、面白くないんですか?」白くまは仕事の手を休めずにそう答えた。
 「こんなの面白いわけねえだろ」
 「長谷川さん、じゃあなんでこの仕事続けてるんですか? 辞めたらいいじゃないですか」
 俺は答えに詰まった。まったくもってその通りだ。ぐうの音も出ない。
 「…うるせえよ。お前、白くまのくせに近くで見ると結構黄色いじゃねえかよ、毛がよ」
 「長谷川さん、ひどいっすよ、関係ないっすよ」
 「お前、いちいち長谷川さんって呼ぶのやめろよ」
 「あ、すいません、癖なんですよ、長谷川さん」
 
 それから俺は白くまとだらだら会話をするためだけに会社に来るようになった。そのままだらだらと年末に突入し、総務部で忘年会が開かれることになった。俺は普段同僚とは一切付き合いがないが、ビンゴゲームで何か当たればもうけもんだな、くらいの気持ちでなんとなく参加してみることにした。結果、俺は「もつ鍋セット」を、白くまはでかいバウムクーヘンを当てた。まあ悪くない収穫だな、などと話していると、バランスボールを当てた社員が、おい白くまぁ、これでなんか芸でもやってみろぉ、と言ってボールを白くまに投げつけた。白くまは、長谷川さあん、どうしましょー? と救いを求めてきたが、俺は、知らねえよ、適当になんかやれよ、と突き放した。白くまはぶつくさ言いながら社員みんなから見える位置にボールを持っていくと、驚いたことに、ひょいとその上に飛び乗り、器用に前後左右に行ったり来たり、挙句の果てに逆立ち乗りまでしてみせて会場を大いに沸かせた。俺はあっけにとられてそのさまを呆然と眺めていた。社内では俺と一緒に日陰者の立場のあいつが脚光を浴びているのが少し誇らしくもあったが、普段俺たちを寄生虫呼ばわりしている連中から拍手されてまんざらでもなさそうな様子の白くまが腹立たしくもあった。面白くねえ、と悪態をつきながら俺は黙って会場を後にした。
 
 元日の朝、俺は携帯電話の着信音で目を覚ました。公衆電話からだった。
 「もしもし?」
 「あ、長谷川さん? よかった、番号間違ってるかもなーと思ってたんすけど。あ、あけましておめでとうございます」
 「白くまか? 俺お前に番号教えたっけ?」
 「いや、デスクにあった名刺見て勝手に覚えてたんすよ。長谷川さん、あんまり社員と付き合いたくなさそうだから、普通に聞いても教えてくれないかなーとか思ってたんで、連絡先」
 「そんなこともねえけどな…」お前だけは別だ、と気恥ずかしいことを心の中でつぶやいた。久しぶりにやつの声を聞いて喜んでいる自分がいる。「お前、どこにいるんだよ?」
 「ちょっと遠いところです。長谷川さん、僕、会社辞めたんですよ。サーカス団にでも入ろうと思って。ほら、忘年会の時、僕、玉乗りしたでしょう? あんなの初めてやったんですけど、自分でもこんなにできるもんなのかってびっくりしちゃって。僕、才能あるんじゃないかって思うんですよね」
 「辞めたぁ? サーカスぅ?」寝起きにこの展開ではとても頭が追いつかない。「ちょっとできたからっていい気になりすぎじゃねえの? それにサーカスの熊って、ふつうに黒とか茶色っぽい熊のイメージだけどなあ」
 「長谷川さん、そこっすよ。サーカスに白くまって珍しいでしょ? 物珍しさで人気出るんじゃないかって僕は踏んでるんですよ」
 「お前さあ…お前っていつもなんか楽しそうでいいよな」俺は苦笑した。忘年会の日に感じた白くまへの苛立ちはもうすっかり消え失せていた。
 「ところで、長谷川さん」と白くまは切り出した。「長谷川さんって、下の名前、(けん)っていうんですね、名刺見ましたけど」
 「ああ、それがどうしたよ?」
 「あの仕事、全然健康的じゃないっすよ、ネジの仕事。あんな仕事押し付けてくる会社も不健康です。辞めた方がいいですよ」
 「ああ、まあ、そうだな…」わかっちゃいるけどな。
 「長谷川さん、常同行動って知ってます? 動物園の白くまがずーっと同じところを行ったり来たりする、あれです。多分ストレスでああなっちゃうんでしょうけど、僕、あれを見るのはとてもいたたまれないですよ。ネジの仕事もあれと同じですよ、ひたすら締めたり緩めたり、人間じゃなくてロボットとか檻の中の動物のすることですよ…長谷川さん、僕たちもう一生分のネジ締めましたよね?」
 「はは、そうだな」俺は力なく笑った。「ていうか人間の仕事じゃないとか、白くまのお前が言うなよ。そういやお前あの仕事も楽しそうにやってたじゃねえかよ」
 「ははは、僕はなんでも楽しもうと思えば楽しめちゃうんですよ。とにかく、長谷川さんは名前の通りに健やかに生きた方がいいですよって言いたかっただけです…それじゃあそろそろ、またどこかでお会いしましょう」
 「ああ…」俺はまだ白くまと別れ難かった。特に言うべきことも見つからなかったので適当に会話を延ばすことにした。「お前さあ、これからはもうちょっと綺麗にしろよ、白くまのくせに黄色いんだよ、毛がよ」
 「長谷川さん、ひどいっすよ、ふつうにしててこの色なんですよ。それにサーカスのステージならそんなに色は目立たないんじゃないかなあ? そもそも白くまって人間が勝手に言ってるだけで、こっちは別に黄ぐまでもなんでも…長谷川さん、この話どうでもよくないすか?」
 そうだな、と俺は答え、ひとしきり笑ったあとで俺たちは電話を切った。
 そのあとしばらく、俺は一人暮らしのしんと静まり返った部屋でただぼうっと天井を眺めていた。頭の中には、あいつが俺の名前を呼ぶ声がまだ響き続けていた。長谷川さん、長谷川さん…そうだ、俺は長谷川健という一人の人間だ。ロボットでも檻の中に閉じ込められた動物でもないんだ。
 そういえば、俺はあいつのことをずっと白くまとしか呼んでこなかったが、あいつにも名前くらいあったんじゃないか? それくらい聞いておけばよかったな、などと考えながら、俺は退職願を書き始めた。

『白くま』

『白くま』 遠藤健人 作

俺と白くまはこの会社の寄生虫だ。3,226字。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2016-09-10
CC BY

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