暗闇に明りが欲しい

私はエダラボンの点滴注射とリルゾールの内服をしている。効果はそれ程でないといわれるが、藁をもつかむ思いで続けている。主治医も含めて世界中の研究者がALSの特効薬開発に立ち向っているが、朗報はまだ聞こえて来ない。
 母は100歳で他界した。怪我がもとで体が不自由となり認知症もでてきた。家での介護が困難となり施設に入った。施設の職員は忙しい、母が食事、着替えなどのろのろして叱られていないか心配だった。母の様子からは数年間の入所生活は満足なものではなかったようだ。気持はよく分かった。
母の経験したことは、今度は自分が否応なしに経験する番だ。母は認知症があったが、私の病気にはそれがないという違いはあるが、体が利かなくなっていくのは同じだ。どちらが大変か等の問答はナンセンスだ。
 私はいま在宅介護を受けているが、最後までうまくいくとは思えない。これ以上の苦しみを自分自身にも家族にも与えたくないという時がくる。八方塞がりになる前に何とかしなければならない。施設入所もいいがあまり気はすすまない。母の場合を見てきたからだ。
識者のいう「尊厳死」について私はまだ把握しきれていない。呼吸器をつけなかったり、はずされたりしたら苦しいだろうな、人間らしく死ぬとはどういうことかな、と心配になる。きれいな言葉でベールされているが本当に尊厳と言うのにふさわしい状況なのかな、悪くは言いたくないが、所詮は見殺し、自殺幇助、殺人ではないか、と素人の私は思う。尊厳死は良くて、安楽死は悪いとする根拠が素人には分からなくなってくる。不毛の議論は時間の無駄だ。対立からでなく相互理解から始めてこそ良い知恵が生まれ、難問も解決されるのだと思う。
 私は自宅で家族に見守られながら、尊厳のあるうちに、尊厳を保って「安楽死」ができたらどれ程いいかしれないと思っている。呼吸器をはずすかわりに、致死薬を選択するだけだ。こちらの方が苦しむ間もなしに終わる。保身を考えずに私のために安楽死を実施してくれる医師がいたら、あの世に逝ってからも感謝するだろう。「先生、生きていた時も酸素を充分吸えたから楽でした。死ぬ時も一瞬で終わり楽でした。家族も立派な最後だったと言ってくれました。もし裁判になったら、先生は名医でしたと弁護するつもりです」。報道されたことだが、施設の建物から落されたり、部屋で刺されたりして殺されるよりましであろう。まして、せっぱ詰まって最愛の家族に依頼して殺人をさせるなどは悲劇である。
 しかし、思い通りにいかないのが現実だ。多様性を認め、重んじる社会と言っているわりには安楽死は法律で認められていない。世論も弱者には寛容でないようだ。また、経済的に余裕のない年金生活者にも安心して入れて、かつ、充分な設備と人員のそろった理想的な施設をみつけるのは難しい。気管切開して呼吸器をつけたALS患者を受け入れてくれる所となるとさらに難しいようだ。
 健康な人達には関心のない事かもしれないが、私の住む社会にはさしあたって私が必要とするものが備わっていない。特効薬、安楽死、理想的な施設、この三つのうちどれか一つでも私を包んでいる暗闇の明りとなって欲しい。                                         2016/06/07

暗闇に明りが欲しい