はつがおいしくなったわけ

梅干しができるまでを物語にしました。

幼稚園の頃に考えたお話を、大人になって、大人向けに書き換えた童話です。

大人が読んだ時と子どもが読んだ時に印象が変わる、そんな作品をめざして書きました。

まだ少し寒さは残っているけれども、すんだお空に優しいお日さまがほほえむ、そんな冬と春の間の日に、はつとはっちは出会いました。
はつは今年咲いたたくさんの梅の花の中の一輪でした。
はつの本当の名前は、はるつげと言います。けれどもそれでは長いし、何よりかわいらしくないので、はるつげは自分のことをはつと呼んでいました。
はつを育てた木は、保育園の真ん中にあります。
毎年のことではあるのですが、今年も木の下では、小さな子どもたちが梅の花が咲くのを心待ちにしていました。ですから木はとびきり素敵な姿をみせたいと思い、一生懸命たくさんの花をつけたのです。
枝のあちこちに、白くて可憐な花が咲きました。
はつはその花の中でも、枝の少し上の少し奥の、子どもたちの目からは見えにくいところに生まれました。
ですから、子どもたちが「わあ。あのお花かわいいね」と愛らしい笑顔を見せたそのとき、子どもたちの目の中に、はつは映ってはいなかったのです。
はつは誰にも知られずに咲いている自分をむなしく思いました。
はつがはっちに出会ったのは、そんな時のことです。
はっちは花の蜜を集めにきたみつばちでした。
もちろん、はちと言う生き物は言葉を持たないので、彼が本当にはっちという名前なのかはわかりません。けれどもはつはなんとなくそんな気がしたので、彼をはっちと呼ぶことにしたのです。
はつはそのみつばちが近くの花に降り立つのを見たとき、ものすごく恐ろしい生き物だと思いました。羽音は低く唸っているようだし、お尻には鋭い針もついています。
けれども、すぐにそのみつばちが優しいことに気がつきました。
花の蜜を集める姿が思いやりにあふれていたからです。花が大切なものであることを知っているようで、柔らかに花弁に着地し、丁寧な手つきで蜜を集めてゆきました。
はっちは手前に咲く目立った花だけではなく、奥の方に咲くはつのところにもやってきました。
はっちはふわりとはつの花びらの上に降り立ち、懸命に蜜を集めて巣へと帰ってゆきました。
はつはその小さな体で蜜を集めて力いっぱい飛びたってゆく、けなげな姿に心を打たれました。
それではつははっちのことが大好きになったのです。
はっちは毎日やってきました。
あいかわらずはっちと言葉を交わすことはできませんでしたが、そのうちにはつは、はっちが毎日花を去る前に、二度三度大きく羽を震わせることに気がつきました。
最初はわからなかったけれど、はっちの言葉で「ありがとう」という意味だということに気がつきました。
はつも白い花びらをよりいっそう白にして、美しい姿ではっちを迎えました。
けれどもある時からはっちは訪れなくなりました。
はつはそれがはつの梅の香りが、薄らいでしまったからだということを知っていました。香りを頼りにはつのもとを訪れていたはっちは、はつがどこにいるのかわからなくなってしまったのです。
はつは一生懸命風に揺られ、香りをはっちのもとに届けようとしました。けれどもどんなにがんばってみても、匂いはさらに弱くなるばかりで、やがてどれほど身体を震わせてみても、香りはちっともしなくなりました。
はつは悲しくてさみしくて元気がなくなってしまい、美しかったあの白い花びらもやがては萎れて、見るに忍びない姿になってしまいました。
そうしてついには、はつの花びらは一枚残らず散ってしまったのです。
それからしばらく時が経ちました。暖かい春がやってきましたが、それでもはつが再び咲くことはありませんでした。
やがてその悲しみが空に伝わったかのように、毎日雨雲が空を覆うようになりました。重くのしかかるような灰色の雲から、びちょびちょとしずくが落ち出し、そしてそれは何日も続きました。
はつはその空を見ると、いっそうさみしくなり、はっちに会いたい想いはどんどんと膨らんでゆきました。
想いは膨らんで膨らんで、やがてはつは文字通り本当に膨らみはじめました。
切ない想いをからだいっぱいに詰め込んで、一つの緑の立派な実になったのです。
ある日大きな青梅になったはつを園長先生が見つけました。そして、はしごを持ってきて、はつを掴むとひょいと木からとりはずしました。
はつは一緒に収穫された他の梅の実とともに袋に移されました。
そうして何日か過ぎた後、保育園の先生がやってきて、梅たちに色んないたずらをしたのです。
はつは頭を竹串でつつかれました。次にからだ中を透明な液で洗われました。それから、小さく四角い結晶をこれでもかというほどまぶされました。
とうとう最後には他の実と一緒にぎゅうぎゅうのビンに詰め込まれてしまいました。
こんな狭いところは嫌だなあとはつが思ったときでした。
不意に懐かしい香りがしたのです。
それは甘く優しい香りでした。上の梅の間からとろーりと滴り落ちてきて、はつをそっと包みました。そうしてじわじわとはつの中に染み込んでゆきました。
はつはその匂いがなんであったか、一生懸命思い出そうとしました。何か大切な香りであることは間違いないのです。
ああ、はっちの香りだ。
はつは気がつきました。それは、はっちがやってきたときのあの匂いでした。とろりと落ちてきたのは、はっちたちが一生懸命集めたはちみつだったのです。
そっと耳を澄ますと、そのはちみつの中にはっちの羽音を聞いた気がしました。
はつはなんだか急にむず痒くなって、黄色い頬をそっと赤らめました。昔の思い出とは、愛おしくも少し気恥ずかしいものなのです。
やがて青々とした梅の実だったはつは、だんだんとしわくちゃになってゆきました。けれども、今度は悲しい気持ちにはなりませんでした。
思い出がはつを支えてくれていたからです。はちみつにふれたときに、はっちがはつの記憶の中に息づいていることに気がついたのです。
ある日、はつはひさしぶりにお日様の下に出されました。
空はすっかり晴れて、世界全体にぎらりぎらりと力強いエネルギーが満ちあふれていました。
夏はもう間もなくです。
はつは遠くに保育園のあの梅の木が青々とした葉をたたえ、風に揺れているのを見て、そっと微笑みました。
あの梅の木に一輪の花として生まれ、はっちと出会えたことが一つの奇跡に思えたのです。
はつは再びビンに戻されましたが、それでも幸せな気持ちでいっぱいでした。
幸せな気持ちは何よりの隠し味になりました。
こうして、ほんのりすっぱく、けれども甘くて美味しい梅干しが出来上がったということなのです。

はつがおいしくなったわけ

はつがおいしくなったわけ

ある幼稚園に咲いた一輪の梅の花、はるつげ。彼女が恋をしたのは、あるみつばちであった。 はるつげが梅干しになるまでの物語。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-08

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