籠目

ちぃひろ 作

 蝋燭の炎と窓から入り込む月明かりに照らされた女の顔は、相も変わらず白く美しかった。薄ら明かりに紅く浮かび上がる唇はたいそう艶やかで、指で弾くとよく震えそうであった。
 私の腕に抱かれた女は悦に入った表情で我が胸に頬を寄せた。女の体温、重みが妙に心地良い。
 私が今、国を想いその行末を憂うることができるのは、この世に女がいるからだ。命の駆け引きをすれば、例え生きのびようとも至極当然己の精神はすり減ってゆく。焦り戸惑い渇いた心を潤すが女という生き物だった。
 その数々の女の中でも、この女はとりわけ美しかった。
 大枚を叩いてでもこの女を買いたい。
 泰平の世を築くためにも、この女を己の側に置くことは必要なことに思われた。
 長くかかったが、今日ようやく身請金を用意できた。
「ここを出よう。その時がきたのだよ」
 私は女の耳元で囁いた。
 女は少し顔を上げ、長いまつ毛の奥から私の目を覗いた。
 私は白粉に包まれた純白な頬を撫でながら再び言葉を繰り返した。
「ここを出よう。おまえはこんな籠の中で暮らすような女じゃない」
 女ははっと驚いたように私を見つめた。
 そして、ならぬならぬと呟き、その目からは玉のような涙が溢れ出た。
「ならぬことなどない。身請金の用意ができたのだ」私は簪の多く刺さった頭をそのまま抱きしめながら言った。
 それでも女はならぬと嘆き続け、私がもっと強く抱こうとすると、まるで帯のほどけた衣を脱ぐかのように、するりと私の腕から逃げ出した。
「なぜならぬと言うのだ」
 私の手の届かないぎりぎりのところで、女は私に向き直った。
 もう女は泣いていなかった。瞳に鋭い光を湛え、私の喉元を睨んでいた。
 そうして低く重みのある声を絞り出し、一つ一つ語り出した。

ーならぬものはならぬのじゃ。ここから抜け出すなどということは。わっちは所詮籠の中の鳥。ここがわっちの籠にありんす。
 わっちを外に連れ出すじゃと? 金があれば買えるとでも?
 いや、金や店の問題ではないのじゃ。これはわっちの問題じゃ。
 多くの他の女がそうであったように、この街に育ちこの街に死ぬがわっちのさだめ。
 わっちは知っておるのじゃ。身請けの話が既(すんで)のところで破談になった女のその憐れな末路を。
 聞くも虚しき物語があるのじゃ。
 聞くと言うなら聞かせてやろう。

 昔、お鶴(つう)と言う女がおった。
 お鶴は顔の形はそれほどではなかったが、芸と学問がよくできた女であった。
 しかしそのためか少し気高過ぎるところがあり、一夜の契りを交わすものはおっても女を身請しようとする者は現れなかった。
 そうするうちにお鶴は三十路になった。もう、ここから出ることは叶わぬと腹を据えていたに違いない。
 しかしついにお鶴にも身請けの話がやってきた。それは、お鶴がまことに愛した男であった。
 男はしっかりとした学のある大商人の息子だったそうじゃ。お鶴はその男のあだあだしさのないところに惹かれたのじゃと。
 契りを交わし、日取りがいついつになるといった細かなことを決め始めたそのとき、男はここに来なくなった。
 勿論なんの音沙汰もなしにじゃ。
 お鶴はそれでも男を信じて待ち続けた。一月(ひとつき)待ち、二月待ち、やがては一年待った。しかし男は帰って来やせんかった。
 わずかな望みが崩れていくとお鶴の気は少しずつ怪しくなっていった。
 嘗て艶やかだった髪は汚らしく乱れ、破れた着物を気にもせず纏った。皮膚は自らが引っ掻いた痕で所々血が滲み、どこかを見つめるその目はもう何も映してはおらなんだ。
 そのうちお鶴はその姿のまま街を練り歩くようになった。
 道中の日でも見えていたのだろうか。
 呪詛のようにも聞こえる呟きを吐き出しながら、街を練り歩くお鶴の様子は誰の目にも異様に映った。
 殊更、街の小童ら(こわっぱ)には気の触れた女がおもしろく思われた。
 少なくともそれが人であるような心地はしなかったし、物の怪のように恐るべきものだとも思わなかった。
 それは籠の中の鳥を眺める心持ちと似ていた。
 誰に何をされようと復讐する力の無き籠の中の鳥。
 小童らがお鶴を虐め始めるまで、そう時はいらなかった。
 小童らは悪態をつきながら砂をかけ石を投げお鶴をからかった。
 お鶴は素っ頓狂な声を上げて逃げ惑うのだが、小童らにしてみればそれが余計におもしろくて、新しい遊び道具を手に入れた気でいた。
 小童らはさらに新しい遊びを思いついた。子どもらみんなで手をつないで逃げられぬようお鶴を囲ってしまうのじゃ。
「籠女を囲め、籠女を囲め」
 そうして囲んでしまうと今度は、外から罵声を浴びせた。
 次はいつ出逢うんだろうね。ははは、所詮籠の中の鳥のおまえはもう二度と男と出逢うことはないさ。夜明けに眠りにつくこの街で、鶴が信じた身請け話はやはり滑り流れたそうな。
 女は悶え叫び輪から抜け出そうとした。けれど童は固く繋いだ手でお鶴をしっかりと囲い、輪の中に押し戻した。
 小童らは街中にお鶴を見つけるたびにこの遊びを行った。
 ある日、いつものように小童がお鶴を虐めて遊んでいると、お鶴はその日一際おぞましい叫び声をあげ、輪の中を暴れまわり、ついに童らの手を振り切って、輪の外に飛び出した。
 小童らは追いかけまわしてからかってやろうとしたが、お鶴は乱心者とは思えない速さで街中を駆け抜けてゆき、やがて姿が見えなくなった。
 その日よりあとに、誰もお鶴を見た者はおらん……。
 まあ、お鶴は帰ってはこなんだが、それでもそのうち小童らは大きくなった。
 そう。その童の一人がわっちでありんす。
 あの頃は何もわかってはおらなんだ。わっちの身が売りに出される日など思い描いたこともなかった。
 男に裏切られるということが、いったいどういうことなのか、あまりにも浅はかな考えしかもっておらなんだ。
 今男に百の愛の言葉を囁かれても、昔のことが思い出されて、いつか裏切られるような気がしてならん。
 愛が深まれば深まるほど、疑いは深くなり、苦痛に顔を歪ませるお鶴の顔が頭をよぎる。
 そうしてわっちも同じ道をゆくのだと気づかされる。この愛はまやかしなのだと強く信じるようになる。
 いや、それはぬしも同じはずじゃ。
 この話全てがぬしから更なる金を引き出す手管ではないと言い切れるやつはおるか?本当は他の男に愛を感じているなどということはないと言い切れるやつはおるか?
 幾度の逢瀬を繰り返せど、ただの夢芝居に興じるがこの街の道理。本気になったら負けをみる。
 誓いなどという言葉はこの街においてはなんの意味も持たぬのじゃ。
 わっちは籠の中の鳥。籠の目から外の自由を眺め見る憐れな鳥にすぎん。
 けれども、それでも外の世界に飛び立つよりも、偽りとまやかしに彩られた籠の中で夢に生きる方がいくらか幸せなのじゃ。
 籠の目から覗き見る外の世界は、美しくも哀しいー

 蝋燭の炎の揺らめきの中で女の顔もちらちらと揺らいだ。
 私は余計に女が愛おしくなって、女に近づき手を延ばして繰り寄せようとした。

籠目

籠目

「かごめ」の歌に関する古い絵を見て作った作品であったと思います。 明るい作品ではありませんが、誰の心の中にもある薄暗いものを通して、何か感じてもらうことができれば嬉しいです。

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更新日
登録日 2016-05-05

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