*星空文庫

【長編】シルバーエイジの物語

万田 竜人(まんだ りゅうじん) 作

シルバーエイジの物語

プロローグ

 自然環境に囲まれているためか、鳩が飛んできて楢の木でくつろいでいる姿を時々
見かけることがある。この庭には、欅や紅葉・楓なども植えてあり、四季を通して、
窓の外の景色を楽しむことが出来る。

 窓は横長に大きく広がっており、木々を眺めながら、心に語りかけて来るような
アルパの音色を聴いていると、そこに、小宇宙が出来上がったような感覚に陥る。

 私は演奏を聴きながら、演奏者と聴き手の間にある微妙な空間の存在が気になり
だした。演奏会場は小規模ながら天井は高くドーム状になっており、アルパの音色が
やさしく響き渡る。この会場は通常は喫茶店として運営されており、店主の趣向で、
演奏会場や英会話の交流会の場に早変わりする。

 演奏会場への早変わりは「土曜コンサート」として土曜日限定で開催されている。
演奏種目は楽器演奏によるものが主体であり、バイオリンやギター演奏などが人気
種目であるが、ときには、二胡による演奏なども披露されているという。

  私が土曜コンサートに参加するのは初めてのことである。この土曜コンサートを
プロモートされている野仲先生を取材するには、実際の演奏会に参加させていただ
き臨場感を共有した上でのほうが良いのではないかと考えて喫茶店の店主に演奏会
参加の申し込みをして、アルパの演奏会に出席させていただいたのであった。

 アルパの音色は、大型のハープの音色にも良く似ており、演奏を聴いている自分の
気持ちが、だんだんとやさしくなって行く過程が自覚できる。演奏の曲目「月下想」
「さくら色のしずく」の後で、自己紹介した演奏者倉品真希子さんの声は凛として
いて歯切れも良く歌声は澄んだ声で耳に優しい。

 倉品さんはANAインターコンチネンタルホテル東京のラウンジ演奏においてアルパ
の演奏を続け、やがて、この経験の積み重ねの中から独自のライト・ミュージックと
いう演奏スタイルを編み出して行き、自らの作詞・作曲につなげていったというだけ
あって、ごく自然に親しみが湧く演奏会であった。

 演奏者と聴き手の間の空間は、この歌声に合わせて、オーケストラ演奏の指揮者でも
ある野仲先生が設けた独特の間合いであった。野仲先生は、大会場から中・小会場にい
たるまで、各種の演奏会のプロモートをこなされており、大きな会場においては、自ら
指揮棒を振る。

 アルパは素手で持ち歩ける手軽さがあるため、倉品さんのオリジナル企画では全国
の農業地域を廻り「オーガニック・コンサート」という呼称で演奏会を開催している
という。このコンサートの特徴は、各地で採れた有機無農薬野菜や果物と物々交換を
する方法を仕掛けて、演奏会に参加する楽しみを盛り上げているという。また演奏会
の形態も、アルパのソロ演奏だけでなく、マンドリンとのコラボ演奏や、ハーモニカ
とのコラボ演奏など多彩な催しを企画してファン層を増やしているようである。南米
の民族音楽とオリジナル曲とを組み合せた演奏会も好評なようである。今日の演奏会
でも「アメージンググレース」は拍手が多かった。

 アルパはスペイン語でハープという意味がありアルパの奏者をアルピスタと呼ぶ。
日本では女性の奏者が多いという。倉品真希子さんも日本のアルパ奏者として有名な
方で、その豊かな演奏の音色は、自らの作曲による創作と独自性から癒し系の演奏会
として、再来を待つ人が多いという。当日も、アルパの演奏会が終わるやいなや会場
からは、満足げな表情をした聴衆からアンコールを求める拍手が会場内に沸き起こり、
まさに聴き手の気持ちが一つにまとまって大いに盛り上がったことは云うまでもない。

 演奏会の後は、喫茶店の店主とプロモーターの野仲先生。それに本日の主役アルパ
奏者の倉品真希子さんの三人で、この場所からは歩いて行ける同じ入間市内のホテル
のレストランにおいて、懇親会があるというので、所期の狙い通り臨場感を共有出来
た野仲先生との取材の時間は、後日と云うことで日時と場所を決めて再会を約した。

 演奏会の会場出口では、アルパの音色の余韻を自宅でも楽しみたいという人が列を
成してCDを買い求めた。もちろん、私も倉品さんが手作りしたというCDを買って
帰った。演奏会の会場では、「さくら色のしずく」の曲が印象に強く残ったので、
早速、拝聴することにした。演奏会で興味深く聞いた曲だが、あらためて一人で聴く
とまた違った味わいが感じられて、癒し感が心の中に沁み込んでくる印象であった。
自宅にて日本的な琴の音色にも似た音感のある、「さくら色のしずく」の曲を聴いた
後で倉品さんが手作りしたという栞を拝見していると最終頁にこんな記述があった。

「主役はいつもお客様です。いろいろな、想いを抱いている人たちの心に、一瞬でも
アルパの音色に触れて、その人が元気になったり、生きる力が湧いてきたり、自分の
大好きな人や自分のことを大切に想ってくれる人の存在に改めて感謝したり、そんな
気持ちになってもらえたら、私は、一番嬉しいのです。そんな空間は、私が主役では
なく、いつも、お客様が主役です」。

 このメッセージを拝見して、演奏していたときの倉品さんの笑顔と優しい語りかけを
想い出し各地で演奏会の再来を待つ人が大勢いることが私には皮膚感覚で理解できた。

 野仲先生は、音楽教室も運営されており忙しい方なので、演奏会場となった喫茶店
に演奏会の後片付けに見えるという時間に合わせて再会、取材をさせていただいた。

 私が、取材を担当することになった経緯は、生涯学習として学んでいる大学および
科目履修のみを選択している大学院の学習を振り返る過程で、地域における実践活動
が必要となり市役所に出向いたところ、地域に根付いて生涯学習を実践している方々
の紹介記事を担当してみないかということになり、市役所で年2回発行している記事
の一部を担当することになったのである。

 野仲先生は武蔵野音楽大学を卒業されて、東京フィルハーモニー交響楽団で、活躍
され、現在は、地域の子供たちの音楽教育および地域における大規模な演奏会から、
中・小規模な演奏会まで幅広くプロモートされるなど、まさに生涯学習的な観点から
大活躍されている方と云うことで取材が決まり、私が担当することになったというの
が大まかな経緯である。

 野仲先生には今回の取材の趣旨を先ずはお伝えして予め用意した質問項目に沿って、
お話をお伺いした。たいせつなポイントは、手元のメモ帳に書き留めて、後日、記事
にするときの備忘録とさせていただき、記事に添えて掲載する顔写真も撮影させてい
ただいた。取材後、先日のアルパの演奏会に話が及び、私が「アルパの演奏会に参加
させていただいて良かったです」とお伝えすると、次は、この夏に群馬方面に出掛け
てピアノによる演奏会を開催するという話題が紹介され、その演奏会場について思い
がけないお話が飛び出してきて、私は思わず身を乗り出して聞きいってしまった。

 群馬では、「日曜コンサート」という呼称で演奏会を開催しているとのことで野仲
先生も定期的に、群馬に出掛けているとのことである。次回の群馬での夏の演奏会の
計画もあって、野仲先生がカバンの中に群馬の音楽堂施設のパンフレットを持参され
ていたので、拝見させていただいたのであるが、立派な音楽堂であり演奏会場も広く
150名が収容できる本格的な音楽サロンである。

 まさに、そこは快適な音楽空間として設えてある。パンフレットには土地探しから
始まり、ご夫妻の手で施工した土地の造成現場や基礎工事の写真。さらには建設現場
の写真などが手に取るように紹介されていた。ご夫妻だけで、これだけの建造物を
約5年間の歳月をかけて建設されたとは、ただただ驚くばかりで、まさに想像の及ば
ない芸術作品が写真に写っている。しかも、奥様は魔女ではなく指先を大切にする
ピアニスト。ご主人も建築士や大工さんではなく、声を大切にするオペラ歌手である
という(この建設の経緯については、外伝記事として、別途掲載を考えている)。

 その後、野仲先生とは別の機会にお会いする幸運に恵まれて思いがけず群馬の音楽
家ご夫妻の建築日記(コピー)をいただけることになり、人生の不思議なめぐり合わ
せを感じた。この建築日記は音楽堂を訪問した人々に来訪記念としてプレゼントされ
ているものであり、表紙には「美音里ホール(Vinely Hall)建築日記」
と表記されている。

 どうやら奥様による著作のようである。表紙には音楽堂を正面から撮影した写真が
掲載されており、全部で36枚の構成による冊子となっている。音楽家ご夫妻の建築
日記は、「簡潔な文章でまとめてあり」「読みやすく」「書かれている内容も、冒険
小説のような書き出し」になっていて面白い。

 野仲先生はこの建築日記を手にされたとき奥様に、「出版されたらいかがですか?」
と声をかけたところ、「そのような考えはないこと」が返事として返ってきて、少し
残念な思いをされたのだという。今回の取材で、「野仲先生が音楽を好きなように」、
「私が文章を書くことが好きであること」を知って、私に、音楽堂の建築日記を渡し
たら、多分、私の執筆の参考になるのではないかという直感が働いて大急ぎでコピー
してみたのだという。


作家としての目覚め

 実は、私も「T&Kのついの棲家Ⅱの建設日記」を執筆してパソコンの中に収めて
いたのである。これは私と家内が定年後に共同設計して建設した二度目のついの棲家
造りの経過を記したもので・・・

「つい」は、シルバーエイジからゴールデンエイジにつながって発展してゆくところ
の「終の棲家」でもあり、鳩などに代表される一対の象徴としての「ついの棲家」で
もある。私と家内との初デートにおける昼食が中華料理店で、お店からのお土産が鳩
の置ものであったと記憶している。それぞれが家に持って帰ったものであるが、今、
一対の鳩の置ものとなって並んでいる縁を考えると、「ついの棲家」と云う表現方法
はイメージ的には、そちらに近いかも知れない。

 そして、この建設日記は日常生活を過ごすなかで建設工事が進んで行く状況を文章
にしたものである。私は、この「二つの建設日記」を読み比べているうちに「方丈記」
と「徒然草」に書いてある記事のことを思い出した。

 生涯学習の一環として、古事記をはじめとして、古典を繰り返して読み通すという
学び方の魅力は、大学の島内裕子教授から学び取ったものであるが・・・

「生涯学習を進める上で脳内を活性化させ、さらには思考を発展させる」という意味
において極めて有効であるということを感じ取ることが出来た。

  古典を通じて学び取ったことの一つに・・・

「人間は、日々の暮らしの中において自分の生活の中心にある職業観や存在感を意識
して、五感を働かせ、居住空間を設計するのではないか」という考え方である。

 先日も私にとっては、生涯学習の一環である大学の授業に参加して、方丈記を皆で
声を出して読み通すという学びの機会に恵まれたがそこでも面白いことに気付いた。

「方丈記の書き手である鴨長明は、作家的な人物というよりも、報道記者的な人物と
いう方が適切なのではないか?」

「方丈記は住まいについて追求した著書である」と云われているが、そこに書かれて
いる内容は一般論としての住居論ではなくて、報道記者的な鴨長明が求めた長明なら
ではの執筆者としての住居論と云えるものではないかと私は考えるようになってきた。

方丈記は、源平の争乱期を生きた鴨長明が建歴2年(1212年)の人生の晩年期に
書き上げた体験記であり「400字詰め原稿用紙にして20枚程度のもの」であるが、
内容的には・・・
「大火事や飢饉」そして「平家による遷都の混乱の状況」などが精緻に描かれており、
作家というよりも報道記者としての長明の辣腕がうかがえる。

 住居論については、最終段階で自分好みの1丈(約3メートル)四方の小さな庵を
理想の閑居生活として実現させているが、これは執筆者としての庵でもある。鴨長明
にとって形のある理想の住居は晩年になって実現するのであるが、鴨長明にとっての
好ましい空間認識は、「若い時からあったものではないか」と私は考える。

 その理由は「長明は葵祭で有名な京都の下鴨神社の神官と云う名門の家系に生まれて
18歳の時に父親が没しているとは云え神官にはなれずに50歳の時に出家している」
「長明は父親が没した後で父方の祖母の家屋敷を受け継いでおり、長い期間にわたって
そこに住んでいたものの家とは縁が切れて、30歳過ぎのときに、前の住居に比べて、
十分の一の大きさの庵に移り住んでいる」「何故、30歳の時に家と縁がきれたのか」
「ここに長明の居住に対する空間認識として、方丈の居住空間に似たところの眼には
見えない、日常生活のバリアー(防壁)が存在していたのではないか?」

 これは推測の域を出ない見方であるが祖母から受け継いだ大きな家屋敷がありながら、
家に住む人々との交流が少なく、自分だけの方丈の空間に閉じこもっていれば家の人々
には異なった世界の人として認識されてしまう。
(そこに共存する必要性はなくなってくる)。
「家の中にあって将来は神官として、家の人々を引っ張って行くだけの存在感がそこに
あれば、家と縁が切れるようなことにはならないのではないか?」
「このことからの推測として、長明の職業観と存在感は、神官として家の人々を引っ張
って行く頼もしい存在感ではなくて、執筆活動を第一に考えて、自分の執筆の世界に、
没頭するという生活スタイルを貫き通したのではないか?」

 そうであるとすれば方丈の庵は自らが求めた究極の選択であり、もはや迷いはない
筈であるが、それでも最終段階で仏道に照らして心の迷いを見せているところがまた
長明の魅力なのかもしれない(時に建歴の二年、弥生のつごもりごろと記している)。

 音楽堂と居住区を併設させた音楽家ご夫妻の場合は「職業観からの要求」と「自分
たちの生活感」を合体させた建造物をご夫妻の素手によって、納得が行くように建造
した訳であり、そこには、生き活きとした建造物としての知見が豊富に詰まっている
に違いないと考える。

 徒然草については「家の作り様は、夏を旨とすべし。冬は、いかなる所にも住まる」
という書き出し有名であり建築関係の書籍にも、この書き出しが引用されていること
がある。実際、私が大学のテキストで学んだ住いの環境学にも涼しい住い環境の章で、
徒然草の「家の作り様は、夏を旨とすべし」の文章が紹介されていて、私も長期間に
わたって信じ続けてきた。

 徒然草は「徒然なるままに」と云う書き出しでテーマを決めなくても執筆が出来る
ということを確立した文学である。またその画期的な執筆方法が傑作を生みだしたと
云える。そして、兼好が書いた徒然草の文章は、それぞれの事柄が深く物事を考える
ための「思考の窓」のような役割を果たしており、本を読むことの楽しさを実体験と
して伝えてくれる存在である。

 私はあるとき熟読の過程で徒然草に書かれている「家の作り様は、夏を旨とすべし」
の記述に疑問をもつようになった。私は、大学の授業において、島内裕子教授による
「徒然草を読み通す」を選択。予習の段階で「兼好は決して最初から人生の達人では
なかった。徒然草を執筆することによって、成熟していった人間である」という記事
を見つけて、それならば、徒然草を予め読み通すことでどこかに達人になって行った
経過を読み取れるかも知れないと考えて、徒然草の最終段であるところの第243段
から、序段に向けて逆読みをしてみた。結果、第41段において・・・

「兼好が見知らぬ群衆の中に入って行き、何気なく兼好が発した言葉が、人々の心を
動かすことになり、その瞬間こそ兼好が自らの殻を破って脱皮。人生の達人の道へと
歩を進めることになる」のであるが、そのことは大学の授業で徒然草を序段から読み
通す過程においても、「この41段こそ」が、兼好をして成熟の域に踏み出した瞬間
であることが再確認できた。

 しかし問題は、「家の作り様は、夏を旨とすべし」とする第55段であった。熟読
の結果、「家の作り様は、夏を旨とすべし・・・」の書き出しで始まるこの段の文章
の末尾には、「家の作り様は・・・(中略)・・・人の定め合い侍りし」とあるでは
ないか。末尾のこの文章の表現は、「人々が定め合った」ということであり、兼好の
自分自身の意見ではなくて、皆でいろいろと話し合った時の談話を書きとめたもので
ある。これは、この段の文章を最後まで読んで初めて気付く云い回しであり、そのこ
とに後日気付いたときなどには唖然とする書き方になっている。

 確かに読書百篇とは云うが、兼好としても好んでそのような末尾で驚くような書き
方をしたとは思えないが、第55段の初めだけを読み早呑み込みして、「兼好が云う
のなら間違いないだろう」と云う人が出てきても不思議ではない状況ではある。

 しかしながら私は後日になって、「家の作り様は、夏を旨とすべし」の話し合いが
行われても不思議ではない場面に遭遇することになる。熊本県における旅の体験で、
昔、武士たちが役所務めをしたという大きな屋敷を見学した時のことである。
屋敷内を案内する係の方に連なり大広間に出た。場所的には屋敷の中央部に位置して
おり、当時は、役どころを中心に会合が行われていたようであるが「場所的に風通し
が良くない印象」であり、案内の方に・・・

「梅雨時や夏場は蒸し暑くてたいへんだったでしょうね?」と問いかけたところ、
「その蒸し暑さは尋常ではなく、皆、丘の上に設えられた風通しのよい茶室に憧れた」
という。「ああ、これが兼好の云うところの夏の堪え難き状況に似た場所なのだな」
と推測した。仮に、このような状況での話し合いなら、「暑き頃、悪き住居は、堪え
難き」と云って、皆で「家の作り様は、夏を旨とすべし」と話し合ったという経緯も
納得出来る瞬間であった。

 それにしても現代において住居論を述べるのであれば、「それは方丈記に記された
住居論でもなく」「徒然草に記された住居論を引用することでもなく」、現在の最大
の課題であるところの温暖化やそれに伴う酷暑。そして、厳寒や大雪への対応など、
現代の気象状況の激変や日々に変化の激しい気候に合わせた「住居論の見直し」が
必要ではないかと考える。同時に大地震という生命にかかわる大災害にも対応できる
「住居論の在り方」が必要になってきていると考える。そして、それは個々人の日常
の生活レベルにおいて採り入れることが出来るレベルまで、「咀嚼された住居論」に
なっていることが望ましいと考える。

 個々人が日常的に生活して行く住居は、四季を通じて暮らしやすいことがベストで
はあるが実際には「酷暑か厳寒か」どちらかに重心をおいて、「酷暑でも快適に暮ら
せる設計仕様にして厳寒への備えを加えて行く」、または「厳寒でも快適に暮らせる
ような設計仕様にして酷暑への対応を加えて行く」という方法を採れば、結果的には
四季に対応出来る。したがって、「この二つの方法」が日本国内で暮らして行くには
現実的であると考える。

 ただし、賢者は、「第三の設計仕様」を考え出すかも知れない。私にとって次世代
となる子供たちは、既に家庭をもって住居も入手しているので、私としては、さらに、
次の孫にあたる世代が賢者として第三の住居論を考え出すことを願っている。そこで、
私に出来ることはと云えば私自身が体験してきた事柄を、「家造りの経験知」として、
孫の世代に伝えて行くことではないかと考え始めた。私の場合は家内と共同設計した
「T&Kのついの棲家Ⅱ」造りに、今までの経験知がもっとも濃厚に詰まっていると
考え、今回の記事を書くときの中心に据えることにした。

 ただし一番年下の娘家族の場合はパートナーが転勤の多い職業柄、今は社宅住まい
であるので、定年の前後の最適な時期になって「終の住まい造り」に思いがいたった
ときにでも孫世代と共々、ここに記述された内容を参考にしていただければ、望外の
幸せである。世間で良く云われるところの、「家は三軒建てて初めて納得の行く家が
出来るものである」という説があるが、自分の経験に照らしても、「その通り」と考
える。そして、そのことについては一軒目そして二軒目の失敗談などについても紙面
に織り込むことを考えてみたい。

 私は執筆に取り掛かるに当たってパソコン内に収めてある私の「建設日記」を取り
出して、約2年間にわたる記事として分散・保存されていたものを編集しやすいよう
に一本化した。大方の準備が完了して、書斎の窓から外の景色を眺めると、そこには
私の好きな、「黄昏」の風景がゆったりとした感覚で広がりをみせていた。その時に、
私は、今回の執筆のきっかけとなった、群馬の山里の音楽堂に想いが及んだ。


 ~そして脳内に「山のあなた」の詩が浮かんだ~


   山のあなた (カール・ブッセ  上田敏訳)

     山のあなたの空遠く
       幸(さいはひ)住むと人のいふ。
         噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて
            涙さしぐみ、かへりきぬ。山のあなたになお遠く
               幸(さいはひ)住むと人のいふ。


 そして黄昏の風景を楽しみながら、愛聴のモーツアルトの「ピアノ協奏曲第20番
二短調」と「ピアノ・ソナタ第8番イ短調」に耳を傾けた。私にとってピアノ協奏曲
第20番については、「第二楽章」が一番のお気に入りである。
 
 続けて倉品真希子さんが奏でるアルパの曲を聴く。

 この三つの曲を聴いていて、脳内に浮かんだイメージは、映画「黄昏」で見た紅葉
のシーンであった。そして、連想ゲームのようにニュージーランドで見た、丘陵地帯
の秋の景色が眼前に浮かんできた。あの時は、自然保護運動を展開した政治家ハリー
エルが建てた英国風の建築物を見に行った。その建築物には、どっしりとした風格が
あった。建物内に入ってロビーに設えられたテーブルに座ると、「なんとなく気持ち
が落ち着いた」記憶が蘇ってくる。外の景色も居ながらにして手に取るように見えた。
外観的にも石積みされた外壁は魅力的であった。

 T&Kの「ついの棲家Ⅱ」は、ハリーエルが建てた、「なんとも居心地の良かった
居住空間に、どこまで、近づくことが出来ただろうか」と云う思いを巡らしながら、
ピノ協奏曲の「第二楽章」をもう一度だけ聴くことにした。



第一章  春から夏にかけて

 春から始まった土地探しは最重要テーマであった。「日当たりの良い土地探し」は、
何処も手遅れ感がありなかなか思うように進まなかった。そのような状況の中で地元
の建設会社Jグループに出会い予想外な展開があって「T&Kの終の棲家Ⅱ」の建設
に弾みがついた。今回の土地の取得については、「中途半端な妥協はしない」方針で
臨んだため、連日にわたり日当たりの良い土地を見つけて走り廻る日々が続いた。

 しかし、その努力は報われた。家造りの出発点となる土地探しは妥協しない姿勢で
取り組めば「それはワンチャンス」だが、ご縁はあるものだと、私と家内が笑顔で迎
えた朝のことを昨日のことのように思い出す。


~この記述は2010年の「T&Kのついの棲家Ⅱ」建設日記からの抜粋である~


8月26日(木) 酷暑 建設工事の開始記念日

 室内テニスコートとはいえ室内の気温は37℃を超えている。そして外壁は43℃
という酷暑である。今夏の暑さは異常であり処暑を過ぎても涼風が吹く気配はない。

 テニスクラブの仲間が交わす会話において「冬の寒さに比べたら、夏の暑さの方が
好き」という人が多いが、今年のこの酷暑は別の世界の話である。私にとって、毎週、
木曜日は室内テニスの練習日である。今日も、コーチを入れて8名による実戦練習を
楽しんだ。狭山市祇園のテニススクールで大汗をかいた後は入間市のスポーツクラブ
で家内と合流して軽い昼食をとり、その後、風呂で汗を出し切って家路に付くことが、
我が家の生活習慣として根付いてきた。今日は帰り道に楽しみが待っている。

 本日は入間市東町で私と家内の「ついの棲家Ⅱ」の建設工事が開始される日なので
ある。建設現場の暑さは室内テニスどころではなく炎天下での作業なので、その暑さ
は想像を超えるものと考えながら、家内を乗せて車を走らせ現地に着くと敷地内には
トラックが止まっていて建設機械のシャベルで掘り出した土を盛んに積載していた。

 敷地の周囲には、板囲いが出来ていて、建設機械を巧みに旋回させながら手際良く
作業をこなしている。道路を挟んだ向かい側の敷地では、建設工事が先行していて、
上棟が済み屋根がかかっている。

 この造成地は、私と家内がようやく探し当てた区画であり日当たりの良さから即断
即決で購入を決めた。昔から、たまに買うことのあったケーキ屋さんの脇に入って坂
を登りきり、左手に曲がってすぐに、この土地に出るのだが、今まではこの坂を登る
ことがなかった。Jグループの営業の松本さんに、初めてこの土地に案内されたとき
にはそれまで住んでいたところから自転車で5分ほどの距離にもかかわらずまったく
訪れたことのない土地であった。先ず、二人で気に入ったのは土地の配置であった。

 南側には、6mの道路があり、西側には、4.5mの道路。北側にも、4.5mの
道路がある。「一日中、陽が当たる家がいいわ」と、云い続けていた家内にとっては
申し分のない土地と云える。

 私にとっても喜びは共通のものであり望外の理想的な土地を取得できたと云える。


【建設工事の開始記念日に寄せて】

 T&Kが描く「ついの棲家Ⅱ」への思い

     ~ まさに、ピンチをチャンスに変えて行く夫婦力の発揮 ~

 家内が定年退職した翌日(2010年4月初め)のことである。

南側の隣家のご夫婦から・・・

「今年の冬から長男家族と一緒に暮らすことになり、現在の住居は手狭なので二世帯
住宅に建て替えることになりました。つきましては、建築現場の騒音などでご迷惑を
おかけするかもしれません」と挨拶にみえたのである。

 建築図面を持参されていたので拝見すると・・・

「隣家の土地の面積は約60坪であり、建屋を当方の土地にぎりぎりまで寄せて建て
ないと、建屋の収まりがつかないという。しかも、東西の長手方向に大幅に拡幅する
設計になっており、我が家の南側は全幅にわたって大きな建屋で覆われてしまうこと
になるようである。唖然として図面に食い入るも、埼玉県入間市の建築基準は満たし
ているという。」

 玄関先での挨拶であり、家内も出掛けているので、概略の状況だけお聞きして頭の
整理をすることにした。いずれにしても、これからの日常生活を考えるとたいへんな
ことである。間もなくして、外出先の家内から電話がかかってきたので駅まで迎えに
行くことになった。家内が勤めている間は、二人でそれぞれに車を所有していたが、
私の定年に続き家内も定年退職となったので、我が家の車は一台に集約した。

 お互いに外出した時の駅までの出迎えは、二人の約束ごとになっている。電話での
会話のやり取りを察知できる我が家の飼犬も駅まで一緒に迎えに行くというので車に
乗せて駅の待機場で待っていると、隣家の二世帯住宅の計画を知らされていない家内
は、飼い犬の姿をみて笑顔で車に乗り込んでくる。車を発進させてから、

「今度、お隣で二世帯住宅を建てることになったみたいだよ」というと驚いた様子で
状況を聞き返してくるので、隣家の概略の建築計画を紹介すると・・・

「今までは休日以外の昼間は会社で仕事をしていたので、さして、気にもかけていな
かったけれど、これからは、終日を通して家に居るようになるので、なんともタイミ
ングの悪い話だわね」ということになり、お互いに不安気な顔を見合わせた。

 その翌日からと云うものは、日々、過密なスケジュールで過ごすことになる。
約三か月間というもの二人して連日のように朝から晩まで動き廻った。企業人として
活動する中で身に着けた考え方はフルに活用した。

 最初は、フィージビリティー・スタディー(実現の可能性の調査)という考え方を
使ってみた。先ず試みたのは、「現在の住居地で、日当たりの良い住いに建て替えが
出来ないか」という実現性の調査から始めた。

 土地の地形は東西に20メートル。南北に10メートルの土地なので、約60坪は
あるが南北方向の余裕が少ない。とりあえず、東西の余裕を生かした計画を5案ほど
考え出して、地元のK建設に持ち込んだ。設計担当の方に、親切・丁寧な対応をして
いただき、終日にわたる日当たりの状況をシミュレーション(計算で想定)していた
だいた。結論としてどの計画も日当たり改善は期待できないことが明らかになった。

 現在の住居は、子供たち4人が中学生や高校生になり、独立して勉強出来るように
しようという考え方で、「従来の3LDKから7LDKに大改造」。その際はまさに
夏向きの住居仕様にして徒然草に記述のある、「家の作り様は、夏を旨とすべし」に
沿って、それが一番と思い込んで暮らしてきた。

 ところが今回の隣家の建て替え計画により、冬場が日当たりの悪さから、「洗濯物
の乾き具合の悪さ」や「冬場の日陰ゆえの寒さ」が襲ってきそうである。

 このことを東京都内の友人に話したら、「都内の土地に制約のある住居では、日陰
になる一階はものを置くようにして、二階の日当たりの工夫をすることで快適に暮ら
しているよ」という話であった。このことを聞いて二人で二階の日当たりを調べてみ
たが、階段を上がって一番奥の部屋まで行けば日当たりは良いが、一階の西側のダイ
ニングキッチンから二階の奥の西側の部屋までは大きなUターン移動を繰り返すこと
になり、日々の暮らしを考えるとたいへん不便である。

 二階につながる段階口を見上げてながら二人で気付いたことは「子育てが終わった
今では家が広すぎる」と云うことに尽きる。今まで住んでいた住居は、まさに、終の
棲家として、「子供たちの成長期には、建屋を倍増させるほどの大改造を実施」、
「定年を迎えるに当たっても終の棲家として住み心地の良さを追求してリフォームを
行い」、「昨年は、子供たちが孫を連れての帰省に備えて、ゲストルームを新設する」
など、「これからの終の棲家としての維持を熟慮して、大掛かりな改造を3回も施工
してきた」、それだけに、突然の日照問題に端を発するトラブルには頭が痛い。

 しかしこのままではなんの問題解決にもならないと考えて住み難さが目の前で現実
化する前に「問題解決の糸口を探し出す狙い」から二人で住宅展示場に出掛けてみた。

 今時の住まいの状況はずいぶんと進化しており、なかでも、S林業の住居に対する
考え方が「二人の住まいへの発想」に近いことを知った。またS林業の女性の営業職
の方はとても対応が丁寧でありかつ親切で「住宅展示場の展示物は大家族向けのため、
もう少し小ぶりで我々二人の要求仕様に近く実際にこれから住み始める住居を見せて
いただける」というので、坂戸まで車を飛ばしていただき、今風の住居を見学させて
いただいた。

 坂戸地区は、現在売り出し中の物件も多く手頃な大きさのものが揃っているという。
しかしながら現在の入間市には30歳代のときから暮らしてきており日常の買いもの
など住環境も優れており、二人とも住み慣れた街を離れることには抵抗感があった。

 そこで入間市でも熱心に土地を探してくれたのであるが、ちょうど300戸の規模
の戸建団地の売却が最終段階になってきていて、大家族向けの物件のみが残っており、
土地の販売は完売になっていた。

 念のために、S林業でも二人で住むためのダウンサイジング(小型化)した住居の
間取りを再度設計して、現在住んでいる60坪の土地に当てはめて、計画してみたが、
南北の幅が10メートルと云う制約から日照問題の目に見える改善は無理と判断した。

 それからは二人で市内の日当たりの良い土地探しに方向転換して近隣の地域を含め
て二人で走り廻ったが、気に入った土地はほとんどが売却済みであり、これから建設
を開始と云うところが多くタイミングとして後手に回っていることが分かった。

 そのような手詰まり状態の中で、駅に近い茶畑を造成して、これから住居を建てる
という広告のチラシが新聞に折り込まれてきた。早速、電子メールで現地を見たい旨
を営業担当に発信して約束の時間に現地に出向くと建設会社Jグループの営業の松本
さんが待機していて、現地を丁寧に案内してくれた。しかし、ここでも広告のチラシ
を入れる前の段階で現地の造成現場を目撃した人々から先約が入り二人で気に入った
土地は売却済みであった。

 そこで発想を変えて息子家族が住んでいる西武線のひばりが丘駅周辺のマンション
暮らしを計画。スープの冷めない距離に住むのも一つの案かと考えて、現地の不動産
の営業マンの案内であちこち見て回ったが、気に入った日当たりの良い物件にはお目
にかかれなかった。ただし一件のみについて、これから建築するという物件のモデル
ルームが気に入ったのだが、マンションの建つ土地に借用期限が課せられており熟慮
して購入を断念した。

 そのような折に、先日の営業担当の松本さんから電話が入って、現在、土地探しで
苦戦している状況を伝えると「一度、店長にも会っていただいて、現在、抱えている
問題や、住まいへの要望および希望などを洗いざらい話していただけませんか」とい
うことになり、今まで想定していなかった建設会社Jグループの入間店を訪問するこ
とになった。

 Jグループの入間店長は、現在、我々二人が住んでいるところをわざわざ訪ねてく
れて、「何故、こんなに、りっぱな住まいがあるのに、それを売却してまで、新しい
土地を求めるのですか?」という投げかけから始まり、その後は、入間店に移動して
長時間にわたり会議室で、親切かつ丁寧に相談に乗ってくれて、最終的には、私たち
二人の決心として「日当たりの良い土地でなければ決着しない」ことをお互いの共通
認識として散会とした。

 それから三日後のことである。建設会社Jグループの営業の松本さんが朝の8時に
我が家に見えて「ご期待に添える土地が見つかりましたのでこれからご案内します」
ということで、私と家内は松本さんの車に乗り込み、現地に到着すると我が家からは
自転車で5分程度の近さであるが、二人とも、このような造成地があることすら知ら
なかった。

 しかも、南側には道路があり幅は6メートルであるという。西と北も道路に囲まれ
ており、道幅は4・5メートル。当然、日当たりは抜群、「即断即決」で土地の購入
を決めた。土地そのものは南北に15メートル。東西は10メートルあり、約45坪
の広さの土地であるが南側の道路を考慮すれば、建屋の南側に幅10メートルの空き
スペースは確保できる。

 したがって、「終日、日当たりが良い」土地と云うことになる。しかも南西の角地
であるので夏場は暑すぎるほどの日当たりの良さと云える。今回は、あくまでも中途
半端な妥協をしなかったこともあり晴れて二人の願望が叶った。これも、Jグループ
の入間店長が自ら、「日当たりの良い土地を探してくれた」おかげである。

 現住所は、かつての妥協の産物と云える土地であり、初めての持ち家となったマン
ションの時代に、「家族から一戸建てに住みたい」という願望が寄せられて住宅供給
公社の一戸建て物件の二期目に応募して購入が決まった物件であった。

 最初に希望した購入物件は抽選に外れた。しかし、資金調達の見通しがついている
ということで、供給公社から、「資金調達が上手く行かず購入を辞退した物件がある
ので購入しないか」と云う話が来た。そこで、既に、同じ戸建団地の一期目に住んで
いたテニス仲間の住まいを見せていただき、「住みやすそうな造り」であることから、
住居の外観の形状は気に入らなかったものの妥協して購入したのであった。

 しかし、その後、西側の広目の空き地で日照などなんの問題もないと安心していた
土地が売りに出されたが売れなくて東西に二分割されて再度売りに出された。我が家
に隣接する土地を購入された方は土地の制約もあり、当方にぎりぎりまで隣接させて
家を建てた。結果、「西側は封鎖された状況」となった。そして今度は南側に二世帯
住宅の建設が決まったので「購入時の妥協のツケが容赦なく回ってきた」ことになる。

 当時に比べると住居に対する学習経験も積み上げてきており今回の日照の問題発生
に対しても「二人で根気よく日当たりの良い土地を求めて」、中途半端な妥協をしな
かったために、Jグループの入間店長の支援もあり「南西の角地を取得すること」が
出来た。まさに、ピンチをチャンスに変えることが出来た喜びには云いつくせないも
のがある。

 それにしても、「現住居の築28年となる我が家」は、今まで、「T&Kプラン」
として、二人のイニシアルを並べて大改造やリフォームを施工。快適さを求めてそれ
を具現化してきた。おそらく今回の隣家の二世帯住宅の話がなければ、ずっとそのま
ま快適さを求めながら、「終の棲家として暮らし続けていたに違いない」。

 T&Kプランの愛称は親戚にも良く知られており、「Tで始まりKで完結する単語
はTHINKである」として、常に二人で考えに考え抜いて住居問題を解決してきた。
子供の学習環境が大切と云っては夫婦力で知恵を出し合い。私の定年後にも、「終の
棲家を住みやすくして行こう」といっては、知恵を出し合い。孫たちを連れた家族の
帰省も楽しく過ごしてもらおうと云っては夫婦力で知恵を出し合いその度にアイデア
を出し合ってきた。考えてみれば、この積み上げ努力が「終の棲家Ⅱ」の建設計画に
大いに役立ったことは間違いなく、これらの経験は、大きな知的財産になっていたと
云える。それは建屋だけでなく、庭造りにも云えることであり、二人でやってきたこ
とには無駄はなかったと確信している。

 したがって今まで、住んでいた家の売却に当たっても、ありがたいことに、二世帯
で住むことになった家族の方々が、現在、住んでいる快適なホームに集合したいので、
「ついては物置として活用したい」ということで、住居の広さを気に入っていただき、
即、ご購入いただいた。それに「室内は二階など昨年リフォームしたばかり」であり、
一階のガスオーブンや給湯機器も入れ替えたばかり、それもあって購入者の若い家族
には、物置を兼ねた住居として使えるということですっかり気に入っていただくこと
が出来た。ただし、住居の三回にわたる大改造やリフォームの費用回収までには至ら
なかったが、住居が解体されることもなく、そのまま「物置(兼)住居」として継続
使用されることがなによりも嬉しいことである。

  ~ かくて、8月26日の建設工事の開始は、記念すべき日となった ~

【後日談】 ごく最近のことであるが散髪(理容店)の帰りに廻り道をして元の終の
棲家の周辺をゆっくりと散策してきた。かつて、ニュージーランドの旅行のときに、
「石造りの家」を二人で気に入って、元の終の棲家のリフォームのときに石造り風の
外壁を張り付けた。その効用もあって隣家の新築住宅に比べても見劣りしない状態で
あったので安心した。

 私が当初、「住宅供給公社に購入を希望して申し込み抽選に外れた住居」は、家の
建て替えを行っていた。この区画は南側が5メートル幅の道路。北側は8メートル幅
の道路なので、周りに影響を与えることなく「自分たちの住居の建て替えが出来る」。
人生航路を辿ってみれば、「子供が幼い時代は3LDKあれば十分な広さであり」、
「子供たちが中学生・高校生になってくると、7LDK相当にしないと4人分の子供
の個室は用意できない」、そして、「子供たちの巣立ちに伴い家はダウンサイジング
(または減築)が必要になってくる」。しかしながら、そこまで、長期の建設計画を
立てることは、現役時代には考えが及ばない。

 しかし、築30年を超えてくると建て直して、「新しい建材を取り入れる」計画も
良案として浮上して来る。その時に、長期の見通しをもって、土地を購入した賢者は、
「建て替え自在」の幸運に恵まれるのである。

 その日は賢者の建て替えを目の当たりに見ながら帰途についた。



 ~ 続けて「ついの棲家Ⅱの建設日記」から抜粋 ~

8月27日(金) 酷暑  地鎮祭でみせた設計士の男気

 彩の森入間公園の下池に着いて飼犬を自転車の前かごから降ろす。携帯電話で時刻
を確認すると午前5時37分。池の面には彩の森の樹木が涼しそうに映っている。

 この時間帯は、夏の太陽がまだ顔を出していないために公園内は涼しくて気持ちが
良い。早朝にも関わらず、ウォーキングや犬の散歩をしている人は、老若男女を問わ
ず多い。今夏は、異常とも思われる暑さなので、「朝は5時に起きて飼犬と散歩」と
決めたのは、地鎮祭の日のことであった。入間市東町に建設する「ついの棲家Ⅱ」の
宅地の地鎮祭は8月1日に行ったので、あれから早や3週間が経過している。

 農業関連の人々にとっては「この朝食前の時間帯活用は常識となっている」が一般
の人々には、「まだ夢心地のレム睡眠の時間帯」である。

 今年のような酷暑の続く日々の生活を考えると、建設関連にも早朝の作業の実施は
有効な気がするが、「建設場所が住宅地の中となると安眠妨害の苦情が来る」恐れが
あるかもしれない。現住居の我が家の北側にお住いのご夫婦は3年前から朝5時起き
のウォーキングを彩の森入間公園内で続けている。しかも公園内の外周を「毎朝3周
されるというからすごい」ことである。

 今朝も公園内の入り口でお会いしたが、ご夫婦揃っての健脚である。
(この健脚ぶりはニュージーランドの山路でも確認されたと云う)。

 本日の公園からの帰り道でのお楽しみは、「東町の我が家の基礎工事を見せていた
だき建設工事の基礎を学ばせていただく」ことにある。

「昨日、大活躍していた建設機械は宅地の脇に片付けられて、ひと仕事終り」という
印象である。土を掘り起こした現地は建屋外壁となる部分が深く掘り下げられており、
「ここが配置図に書かれていたところの深基礎に該当する部分だな」と独り納得する。

 これらのことと併せて「確認済証に書かれていた着工予定日の8月20日には地盤
調査をしっかりと行っており」これで地震への備えは十分と云う印象をもつに到った。

 地鎮祭のときに、設計士の宮崎さんが「エイッ、エイッ」と鍬入れの儀を元気良く
こなされていたときには正直驚いた。毎週、月曜日に、デザインミーティング(設計
会議)を宮崎さんと、私と家内との三人で行なっているときには、物静かな雰囲気で
対応していただいていたので、男気の溢れる鍬入れの儀をみて、「男たるものやると
きゃやるものだ」と家内と顔を見合わせて、その元気ぶりを二人して見よう見まねで
「エイッ、エイッ」と真似てみた。

 それもあって「建築確認のための書類と設計図がまとまりましたので申請手続きを
しておきます」と云う言葉に対して、「頼りにしております」と、二人で素直に頭を
下げた。そして、8月6日には確認済証が発行されて建設会社Jグループの夏季休暇
明けに工事着工となったのであった。

 地鎮祭には営業の松本さんも、「コーディネーター役」として同席されて我々夫婦
と一緒に玉串奉納の儀にも加わっていただき神様のご加護のもと我々夫婦と宮崎さん、
松本さんが、それぞれ顧客・Jグループの代表として「安全・無事な建設工事の遂行」
を祈念させていただいた。

 現地では、私も心の中で日頃から慣れ親しんできた安全5原則を唱えて帰宅した。

「一つ、安全は全てに優先する」
「一つ、危険な作業はしないさせない」
「一つ、災害要因の先取り」
「一つ、ルールを守る」
「一つ、自ら努力する」

(こうして、建設現場の安全を心から祈願させていただいた)。


8月28日(土) 酷暑  深基礎にコンクリート注入

 このところ夕立もなく快晴続きで猛暑を超えた酷暑が続いている。しかしながら朝
の5時頃は相変わらず別世界のような快適さが続いている。今朝は家内も彩の森入間
公園に一緒に行けるというので、飼犬も車に同乗させてのショートドライブである。

 いつもは自転車のためにその分も運動になっていた。今日は車で行くのでウォーキ
ングの距離を多目にする必要がある。そこで、「先ずは二人だけで彩の森入間公園の
外周をひと廻りして」、その間、飼犬は車内で留守番となる。「車の窓は開けておい
たほうがいいわね」ということで話がまとまり二人で歩き出す。

「ウォーキングすると猫背を直す効果があるようだよ」と云うと・・・

「どうかしら私の背中まっすぐに伸びているかしら?」と聞いてくるので背中を見な
がら、「大丈夫、背筋シャンとしているよ」などと会話を交わしながらのウォーキン
グが続く。「一般的に女性は油断していると猫背になりやすいので、先ずは、大空に
向かって両手を突き出して両手をそのまま下に降ろすとウォーキングの姿勢になる」
と大学の教授から学んだ覚えがあるので、その記憶をそのまま家内に伝えた。

 ウォーキング教室も生涯学習の一環で「夏の盛りのなか野外授業において生徒全員
が胸に心拍計を貼りつけて自分自身にとっての最適なウォーキングペースを把握する
ための試し歩きをした」、私の場合「背筋にうっすらと汗をかく状態」が最適である
ことを実体験として把握した。

「踏み出した足は踵から着地して、リズム良く後方に蹴りだして行くと良い」と教授
から教えていただいたままを家内に紹介。二人でウォーキングすると「あっという間
の一回り」である。家内はそのままウォーキングを続けてさらに一回りすると云う。

 私は飼犬を迎えに行く。その後は家内と合流して朝の6時30分に開始と決まって
いる「ラジオ体操の第1と第2の音楽に合わせて」手足を動かしほどよく身体をほぐ
してから帰途に着く。

 今朝の建設現場のウォッチングは彩の森入間公園に来る途中で寄ってきた。「深基
礎の部分にコンクリートが打ち込まれているよ」と云うと家内が「綺麗な仕事ぶりね」
と返して来る。昨日の安全5原則を思い出して、今日もさらなる安全を祈念する。


8月29日(日) 酷暑   間取り図は25案を用意

 東町の丘の上(入間ケ丘)は、落ち着いた静寂が保たれており、居住区として申し
分ないロケーションである。我が家の建設現場では基礎に鉄筋が組み込まれた。

 鉄筋はまだ横方向のみに配置された状態で、縦方向の鉄筋との出会いを待っている
かのように見える。横方向に走っている鉄筋のせいか全体的に広がり感がある。

 東町での日常生活は「一階のエリアのみでも暮らせるようにしよう」ということで、
設計士の宮崎さんと間取り図を練り上げた。そして、二階は子供たちの家族が訪れた
ときの、「ゲストルーム(来客用)として」計画を立てた。

 最終的な間取り図に到達するまでに、「25案のドラフト(素案)を作成した」。
またこれは、不思議な体験であったが、「明け方になると間取り図の案が脳内に湧き
上がってくる」現象が楽しかった。もちろん「一般人の浅知恵という自覚は自分自身
で持ち合わせている」ので、月曜日の定期的なデザインミーティング(設計会議)に
おいて、設計士の宮崎さんの知見から貴重なアドバイスをいただき、修正案を加えて
行くのだが、これに対する家内の反応はというと「よくもまあ飽きずにやるわね」と
半分は呆れ顔であった。

 しかしながらそう云う家内も、「計画案としては、さらにそれを上回るグッドアイ
デアを出してくる」ので、私の案を次々と紹介することはそれなりの相乗効果が期待
できる。どうやら私と同じ発想法で、「その間取りの中で、二人の生活シーンを想像
して快適さを点検した上で代案を出してくる」ようである。

 家内には、カラーコーディネート(色彩調和)は、すべて任せた。これもおそらく、
「構造物が色塗りされたイメージを想像しながら全体的な色彩の調和を頭の中で点検
しているもの」と思われる。

 今までにもかつて「終の住処」と決めた上で現住居を大改造およびリフォームした
ときにも、カラーコーディネートは、すべてを家内に任せて成功してきている。

 二人で考えて成功した外壁のリフォームは、「二人でニュージーランドに旅行した
ときに、石造りの家の外壁が気に入って、これをなんとか、外壁を張り付けることで
実現できないか」と考えて見積を取り寄せたところ「費用は塗装に比べると3倍かか
ること」が分かったが思い切って実行に移した。

 それに合わせて「外柵はウッディーにしよう」と申し合わせてそれも実行に移した。
結果、購入時には外観が気に入らなかった家屋も、構造的な大改造および石造り風の
外壁の実現によって、「お気に入りの外観」に変身することが出来た。

 そのような大掛かりな「リフォーム体験」は、今回の「ついの棲家Ⅱ」の設計に際
して、大いに役立った。私と家内の間で、間取り図の意見交流を活発に交わせるのも、
二人にとって、「繰り返しのリフォーム体験」という下地があるからである。

 しかし大掛かりなリフォームを3回も実施すると費用もかさんで来る。当然、住ん
でいる家屋にも愛着が湧いてくる。それだけに土地を探して「ついの棲家Ⅱ」を建て
ることには相当の抵抗感があった。しかし腰を据えて改めて考えてみると「たしかに
夫婦と飼犬だけで暮らすには7LDKは広すぎる」。今回は家内の定年退職の翌日に
起こった日照問題を起点に、大急ぎで、フィージビリティスタディー(実現の可能性
調査)を行い、私にとっては得意分野であるので始めれば楽しいが、なにせ予備調査
を開始したのが4月初め。建設会社Jグループに出会い、契約をしたのが5月初旬、
その間は驚くほどのハイペースで、いろいろな角度から、現地調査に次ぐ現地調査を
重ねて、息子家族が住んでいる近郊のマンションをはじめとして、入間市の戸建団地
300戸の調査や仏子の戸建団地など、あちこちの戸建団地を見て廻り当初は現住居
を壊して、建て直す計画まで練り上げた。

 振り返ってみると、「二人とも気持ちが大いに若返った」気がした。


8月30日(月) 酷暑  スピード感のある基礎工事

 早朝の彩の森入間公園でのラジオ体操を終えて、帰宅後にシャワーを浴び、朝食が
済むと連続テレビドラマ「ゲゲゲの女房」放映の時間である。これで夏の朝の快適な
生活リズムは出来上がった感じがする。

 これからは、冬に向けて日の出の時間をみながら、少しずつ時間をずらせて行けば
この快適さは持続できそうである。朝の8時の時間帯といえば、現役の頃には業務を
開始していたのであるから、朝のイベントとして特別なことを始めた訳でもない。

 一般的に製造業の始業開始は早い。入社以来、早起き型の生活を続けてきているの
で早起きの方が体質的に合っているのかも知れない。新入社員だったころは午前8時
には設計図を書き始めて午後4時(当時の定時)には仲間と一緒に仕事を切り上げて、
渋谷に繰り出したこともあった。週休2日制になってから終業時間が午後5時となり、
「終日を2分割して楽しむ生活スタイルは出来なくなった」が週休2日を丸々楽しむ
ことは可能になった。

 昨日は日曜日であったので朝は建設現場には寄らずに午後の郵便局への用事のつい
でに、東町の建設ウォッチングをした。基礎の鉄筋は縦方向にも入っていて、丁寧な
仕上りが目に入った。基礎工事はコンクリ養生があるので頻繁な人の出入りはない。

 この建屋の引渡しは、12月10日と決められているが、Jグループの俊敏さから
は十分に可能な日程であろう。

 現在の住居の南隣りでも、家の建て直しが4月下旬から開始されているが、完成は
11月下旬と聞いているので、建設工期という面から、Jグループの進捗には格段の
スピード感があり、建設現場を見ていても、「建設力の差異によるもの」であること
は明快である。

 Jグループでは材料の切り出しから建設現場への搬入や建設業務などが極めて手際
良く、一貫性をもって進められているので、「人手に無駄がなく」、「かつ途切れる
ことがない」ので連続性をもって作業が進められている。

 当然、「スピード感のある建設工事」となってくる。

 豊臣秀吉の「一夜城」の例を引くまでもなく、30年超の知恵の結集が成せる技と
いうことであろう。「心技体の研鑽」を掲げて匠の世界を目指している、「500名
規模の職人集団」の集合体であることも、技術力の積み上げに一役買っているものと
推測する。

 かつて、ハウスメーカーのプレハブ工法を支えている、「量産工場の現場」を異業
種交流会の研修で見学させていただいたことがあるが住宅がコンベアに乗って流れて
ゆく姿は圧巻であった。作業者は流れるプレハブ内においてビスを締めて行く。

「Jグループの仕事に、そこまでの徹底はないが、その俊敏さ」において「技術集団
として構築してきた仕組みとしての力強さ」が感じ取れる。

 今後も「安全は全てに優先する」で工事を進めていただきたい。


8月31日(火) 酷暑  基礎はコンクリ養生の期間に突入

 朝の佇まいのなかでコンクリ養生をしている建設現場を見ながら、昨日届いた外構
図面のことを思い出す。外構というのは「建物の外側の造り」のことであり植栽など
も含めて採光や風通し、そして暑さ避けなど四季を通しての配慮が必要になってくる。

 今回、ついの棲家Ⅱは「冬場の日当たりの良さ」に重点を置いて間取りを設計して
おり、夏場の涼しさは外構の設計で補って行く必要がある。

外構には「オープン・スタイル」と「クローズ・スタイル」がある。
最近はオープン・スタイルが多くなってきている。現在の住居は、典型的なクローズ・
スタイルであり敷地も60坪あることから、植栽を楽しんできた経緯はある。今度の
東町の敷地面積は45坪ということもあり私は独自の「セミ・オープン・スタイル」
を考案した。

 外構プランの基本的な考え方としては、「家屋の周りに中・低の植栽を寄せ植えに
して」、建屋の外側を緑の植栽で包むようにして夏場の暑さを和らげることにする。

 西側の窓辺には、ゴーヤを植えて緑のカーテンで夏の日差しを遮断する。南側には
低い草花をプランターに植えることで風通しを良くする。北側の玄関脇は、坪庭風の
庭園にする。キッチンの出入口には薔薇のアーチを配置しようと考えている。

 東側の細道は隣家との境界なので白砂利を敷くことにする。オープンな出窓の前に
は、シャラ(夏椿)を植え、細窓3連を配した出窓の前には姫沙羅を植える。

 防犯面では外構に頼ることなく建屋の構造を工夫して一階にも二階にもシャッター
を取り付ける。風呂場やトイレの窓には外側に菱面格子を取り付けて、お洒落な感じ
を出しながら防犯をする。

 明日、「外構図面に承諾印を押して、Jグループに郵送すれば」、これにて、外構
プランは確定という次第である。



【続けて「ついの棲家Ⅱの建設日記」から抜粋】


9月1日(水) 酷暑  飛行機に縁のある人生

 俳句の季語でいうところの「葉月」に入った。彩の森入間公園でも意識して木々の
葉を観察すると、まだ葉の緑が濃くて残暑という気配である。突然、近くから、起床
ラッパが鳴り響く。彩の森入間公園に隣接する航空自衛隊のテニスコートの方向から
聞こえてくる。時間は午前6時である。時計の針は縦一文字であり区切りの良い時間
である。

 私の人生は飛行機に縁がある。東町からも入間航空基地に飛来する飛行機の姿を目
にするが、場所的に飛行の音響が届く場所ではない。私の出生地は群馬県の太田市で
ある。これは、前橋市出身の父親が太平洋戦争の戦時中に、中島飛行機で働くように
なって社宅に入り、私は、1942年(昭和17年)に太田市で生まれた。

 戦争が真っ盛りのときに赤ん坊であった私は母親に抱えられたまま、防空壕に逃げ
込み、飛行機からの機銃掃射のまさに間隙を抜けて、「生き延びた」と母親から聞い
ているので、まさに「生かされた」という体験の持ち主なのであると云う。

 そのような経緯で私が生まれた地域にも飛行場があり、戦後は飛行機が燃やされる
姿を子供ながらに見て、「背筋を寒くした思い」が、今でも脳裏に残っている。
学校を卒業して入社した会社での初仕事は「純国産ジェットエンジン」の量産設計で
あった。全社的に、航空エンジン部門に人を集めている時期で、私も航空エンジンの
設計部門に就業することが出来た。

 今回、お世話になる建設会社Jグループのキャッチフレーズが「Jから始まる物語」
であるが、私の企業人生活もJから始まっている。

 ただし、私の場合は「ジェットエンジン」のJである。


9月2日(木) 酷暑  コンクリ養生中の基礎は実尺の間取り図

 今夏はテニスをしていても異常な暑さで、ヘッドコーチも水分の補給をするように
と頻繁に注意を促している。そして小刻みな休憩時間を意識的に設けてコーチも注意
深く水分の補給をしている。私も「その通り」と思いながら口に含むようにして水分
補給をする。したがって、実戦練習の約2時間が終わる頃には水筒は空になっている。

 今朝の新聞には、「113年間で一番暑い夏」の見出しで記事が紹介されていた。
「気象庁は今夏(6~8月)が観測史上において最高に暑い夏であった」と発表した。
この厳しい暑さは9月中旬まで続くとみられており、最近のテニスコートにおける暑
さを経験しているだけに納得である。

 私が毎週通っているテニスクラブは、会員制とスクール制の2部構成になっており、
会員は、屋外の炎天下でテニスをする。スクール生は、室内コートを使う。
今日の室内コートは、気温が37℃を超え、外壁の温度は42℃を超えていた。屋外
に出て、準備運動などをしていると、灼熱の太陽が肌に突き刺さるようで暑さが痛い。

 飼犬が屋外で熱中症になるケースが出ているというが、室内の冷房の効いた場所で
人間と共存している飼犬とは、天国と地獄ほどの違いが出てくると云える。

 我が家の早朝ウォーキングは、今夏から始めたものだが、最近、彩の森入間公園に
集まる人は確実に増えてきている。これは必然の成り行きと云える。テレビニュース
によれば、「今年は工事現場などでも、気温と湿度が表示されるペンダント風のもの
を、現場の作業者が首からぶら下げて熱中症の予防に努めているという」、熱中症に
向けた安全対策としてはたいせつな配慮であると考える。

 基礎コンクリート養生中の建設現場は、酷暑の中で周囲の外枠に支えられながら、
まさに、「図面の間取り図を実尺に拡大したような形態」で次の展開を待っている。
良き建築設計は細部設計にこそ秘策を宿しているというが、基礎工事の全景をみな
がら、今回、「細部設計の段階でこだわった階段下のスペースと、和室の押入れを
連結させた独自の収納エリア」に思いを馳せる。

 Jグループの入間住宅展示場を見に行ったときに、細部設計として・・・

「玄関脇のシューズ・イン・クローゼットのアイデアに納得して」
それを採用した。

 同時に「トイレ内から利用する階段下の収納エリアの使いにくさ」については問題
発見と考えて、その解決策に心が動いた。そこでこだわりの細部設計は階段下の収納
はトイレでの活用ではなく、隣接する和室の押入れとの連結によって・・・

「和室内にクローゼットを誕生させるという冒険である」。
それが何故、冒険かと云えば、「間口半間に対して奥行が一間という使い難さ」への
挑戦となるからである。

 これを無理やり設計士の宮崎さんにお願いして実現させた。
 
 したがって、「このエリアを有効活用する責任は私にある」と自覚しているので、
この内部の使い方をなんとしても「グッドデザイン」にもって行きたいのである。

 私と家内は、設計士の宮崎さんの助けもお借りして・・・

「細部の設計にトコトンこだわって」みた。標準設計に収まらずに「オプション仕様」
になるものもあったが、「こだわりを貫き通すことで、二人のアイデア合戦は幕開け」
となった。幾つかの事例を挙げてみることにする。



◇◆◇ 玄関を上がってから、リビングへの入り口となる扉は、バリアフリーを考慮
 して引き戸にした。これによってフラットな床となる。この大型の引き戸には設計
 士の宮崎さんの配慮でV字型のレールを採用。大型ドアでも開閉が軽く、ドアには
 細長型の強化硝子の窓を設けたので、向こう側のシルエットが確認できて、安全面
 からも優良設計となった。

◇◆◇ リビングから外部を確認する出窓は、細窓の3連式にした。このアイデアは
 出窓も細窓も両方欲しいという二人のわがままを宮崎さんに聞いていただいて実現
 したものである。

◇◆◇ 二階の出窓はやめて一階に出窓を集中させた。これは外観のイメージアップ
 にもつながった。

◇◆◇ リビングと和室の間は三連式の引き戸にして夏場は大きく解放、冬場は閉め
 切るようにして、四季を通してのバリエーションを考え使い易さにも配慮して頑丈
 な造りにした。

◇◆◇ 1階のリビング南面の大型シャッターは、電動にして、操作を容易にした。

◇◆◇ 和室8畳の天井は、標準仕様のプリント柄ではなく木目調の天然材にした。

◇◆◇ 玄関の脇にはシューズ・イン・クローゼットを設けた。これにより玄関前
 がワイドになるので、自転車2台が置けるようになり、郵便受けのエリアが設計
 しやすくなった。

◇◆◇ 階段はゆったりとした設計仕様にして、途中には、踊り場を設けて階下の
 床まで滑り落ちないようにした。登りは左手側、下りは右手側に手すりが来るよ
 うにして利き腕が生かせるようにした。

◇◆◇ 二階の北側クローゼットは中には入らずに、外側から、洋服が取り出せる
 設計仕様にした(これは我ながら最高傑作)。

◇◆◇ ゲストルーム(2階)の南側の大きな硝子戸は、4分割にして、軽く動か
 せるようにした。

◇◆◇ 二階のバルコニーは、L型にして、排水口を東西に2か所設置。排水能力
 を倍増させた。

 など、狭山台のデザインセンターにおける「デザインミーティング(設計会議)」
における私と家内と設計士の宮崎さんによる意見交流の場が懐かしく思い出される。


【T&Kの細部設計への思いと気配り】

 建築計画はホップ・ステップ・ジャンプ

   ~ 今までの人生経験と知恵をデザインセンターで共有 ~


 初めて、狭山台のデザインセンターを訪れたときには、建設会社Jグループの営業
スタッフ松本さんと一緒であった。Jグループとの土地購入の契約に続いて建屋建設
の契約が完了して、いよいよ建設計画の具現化が始まる。

 「設計仕様はユーザーが自由に計画できる」契約になっており、細部にいたるまで
自分たちで設計できるというのは嬉しい。ただし、契約金の基準には標準仕様が設定
してあり、それを超える部分は個々にオプション契約となる。

 狭山台のデザインセンターは、同じ狭山市内の祇園にあるテニスコートに近く毎週
木曜日にはテニススクールに通っているので、親しみのある街である。この頃には、
営業スタッフの松本さんとも気軽に・親しく会話が弾むようになってきていて、二人
で「松ちゃん」と呼ぶようになっていた。

 デザインセンターの内部は、フロントの案内スタッフが入り口で、出迎えるように
なっており、入ってすぐのエリアがデザインミーティング(設計会議)の場所として、
用意されていて、それぞれの打合せが干渉しないように、低いパーテーション(衝立)
で区切られている。机の上には、パソコン端末がそれぞれのブース毎に設置してあり、
設計内容の打ち合わせもパソコンを活用して行われるようである。

 デザインセンターの奥のエリアは、建材や調度品の展示場になっている。

 デザインミーティングの日時の設定については、営業の松本さんから・・・
「土曜日や日曜日は、若い人たちが、休日を利用してのミーティングで混み合う」と
云う貴重なアドバイスをいただいた。

そこで私と家内は毎週「月曜ミーティング」を定例的に行うことで日時を設定した。

 第1回目の「デザインミーティング」のために、狭山台のデザインセンターを訪問
すると、受付カウンターの担当には、私たちの訪問が徹底されている様子で・・・
「設計ブースにご案内いただき」すぐに設計士の宮崎さんが見えて名刺をいただいた、
「名刺には一級建築士と記されていた」挨拶が終わり三人揃って席に着くと、すぐに
ミーティングが始まった。

 資料が机の上に並べられて最初に「マスタースケジュール」の説明があった。
印象として「これならば設計ガイドにしたがって個々の細部設計を無理なく無駄なく
進めて行ける」ので安心であると感じた。

「個々の細部設計への思いやこだわりのようなものは私と家内が共同設計者となって、
設計士の宮崎さんからアドバイスをいただきながら、建築図面に、反映させて行ける」
ので、「三人寄れば文殊の知恵の陣形」が組めたことになる。

 マスタースケジュールによれば本日(5月21日)が設計開始日であり7月10日
が設計の全日程を完了。建物の引き渡しが、12月10日と明記されていて気配りを
感じる。

 設計の進め方は・・・

「ステージ1(ホップ)」

「ステージ2(ステップ)」

「ステージ3(ジャンプ)」

 と三段階(三段跳び)に分けて進める日程が設定されている。

 ステージ1では、「基本となる間取り設計から始まり」「間取りへの要望」「建坪
の設定」「屋根の形状」「ライフスタイルへの要望」「駐車区画」などを、設計者と
相談しながら進めて行くように案内している。

 ステージ2では、「住まいの仕様について、細かい部分の打合せを進めるよう」に
設定してあり「ドアの引き戸に始まって収納関係」「窓の最終確認」「台所・トイレ・
標準小物などの置場」「屋根材の選択」へと進んで行く。

 ステージ3では、「インテリアの色関係に始まり」「ショールームにおける住宅設
備機器の選択」、その他、「外構関係は必要に応じて別途調整」となっている。

 全体の日程の進め方については、冒頭に説明のあった設計開始が5月21日、設計
完了が7月10日、住居の引き渡しは「2010年12月10日」として、お互いに
再確認し合った。

 私と家内が、事前に相談して決めておいた間取り図の案は、デザインミーティング
第1回目で披露することができ、デザインミーティングは順調にスタートした。
それもあって、その後は電子メールのやり取りで連絡を取り合い・・・
「5月23日には間取り図を最終決定」して、電子メールの添付資料として、設計士
の宮崎さん宛てに「間取り図の最終版」として電送した。

 その後も、月曜日定例のデザインミーティングは順調に進み最終的な設計書の確認
となる「デザインレビュー」については、カラーデザインも含めて、6月28日には
完了させた。

 ここまで、順調に進めることが出来たのは、かなり早い段階から間取り図の計画を
細部の家具の配置までを含めて考え抜き、全25通りの間取り図を用意して自分たち
なりに最終案を絞り込み、設計士の宮崎さんとの「初回ミーティング」に間に合わせ
たこと、および宮崎さんからのアドバイスも俊敏であり、全25通りの間取り図につ
いても参考的に、「的確な、長所と短所に基づいた、助言があり」、私と家内も迷う
ことなく決心出来た結果であると考えている。

 間取り図には、私と家内が生きてきた人生経験が反映されていると云っても良い。
持ち家としては、一軒目のマンション暮らしの間取り図。二軒目となる、一戸建ての
間取り図。その後の大改造を含めた3回にわたる大掛かりなリフォーム。そして池袋
のサンシャインから徒歩で5分のセカンドハウスの間取り図など、自分たちの暮らし
を振り返っての間取り図は、お気に入りを取り入れて、失敗策を見直すという思考を
とっているので、「夫婦と飼犬で暮らし、たまにゲストを迎える」という狙いからは、
バランスの取れた間取り図になったと考えている。

 池袋のセカンドハウスは、ワンルームでありながら、必要な機能はすべて整ってい
たので、「風呂場のデザイン」、「セキュリティの考え方」、「訪問者への対応」、
「キッチン周りの調度品」、「今風のクローゼットの在り方」などの面で近頃の建築
スタイルを把握するのに役立った。

 またS林業の営業の方に案内していただいた坂戸の規模的に親近感のある間取り図
や息子の住んでいるひばりが丘で見ることの出来た、新築マンションの間取りなども
参考になった。そして、お世話になったS林業の営業の方には、「建築を条件とした
土地の購入であった」ため、建築工事をお願いできなくて申し訳ない旨を連絡して、
住宅展示場に菓子折りを届けさせていただいた。

 Jグループの営業の松本さんを始め営業職の方は親切である。

 細部設計の段階では、それぞれのステージ毎に、チェックボックス(レ印)が設け
られていた。大まかに、第1ステージで「17のチュックボックス」、第2ステージ
で「28のチュックボックス」、第3ステージで「26のチェックボックス」・・・

 ホップ・ステップ・ジャンプの合計で「71のチェックボックス」があり、すべて
のチェックボックスに「レ点が付いた」ときには二人で乾杯をした。

 そして、一通りの細部設計を完了したときに感じたことは、「細部設計の要所要所
において企業人とした活躍した時代の体験や経験がすべて生かせた」ことであった。

 「それぞれの体験や経験が、どこで、どのように生かせたのか」「その謎解き」は
後述することにする。



【ニュージーランドで培った夫婦力】

 私と家内にとって、最初の海外旅行先はハワイであった。二人揃っての海外体験は
ハワイ旅行が初めてと云うこともあって、ハワイでは観光旅行を満喫することに終始
した感がある。

 その点、二度目の海外旅行先となったニュージーランドの旅は、二人共に地に足が
付いた感じで日頃からの日常生活を離れて、「これからの行く末を考える」のに良い
機会となり、二人のチームワークが大いに培われたという意味において・・・

 「ニュージーランド合宿」と云っても良い有意義な旅となった。

 
 ~ その成果はデザインセンターで抜群の夫婦力発揮につながった ~


オータム・ショック

 あの日、成田空港に集まったツアーの仲間は、多彩であった。新婚組の若手が2組、
60歳代後半の夫婦が3組、親子連れの混成が2組、70歳代の友人ペアのお二人。
他のお二人はシングルで参加されていた。

 そして、年齢的には平均に位置する私と家内であった。

 まだ、初対面で気心も分からず、ツアーの女性コンダクターが掲げる旗に連なって
ぞろぞろと歩いた。出国手続きが済むと、出発時刻まではそれぞれ自由時間となって
いる。成田の出発ゲートで、私は、手荷物だけを持って、家内と一緒にベンチに腰を
かける。「この待機の時間は、なんとも夢があっていいわね」と家内が云う。

「すぐにも海外に向けて飛び立つ時間が刻一刻と近づいてくる感覚が好きなのかな」
と想像する。それとも、松尾芭蕉の「奥の細道」の序章にある風情、「月日は百代の
過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」という心境なのかと、、次々に想像を膨ら
ませる。

 やがて、NZ090便に乗り込む。機内に乗り込むとJL090便と共同運航便に
なっていた。機内で、通路を挟んで、隣り合せとなったツアー仲間のご夫婦と挨拶を
交わす。ご主人が名刺を差し出して挨拶される。私も財布のポケットに名刺が入れて
あることを思い出して名刺を差し出す。いただいた名刺から、新橋で弁護士事務所を
開設されていることが分かる。

 他のツアー客にも、機内を歩き回って盛んに名刺を配っている。「ご自分の仕事に
全力投球する商売熱心な方」なのかなと想像する。私も、弁護士さんに習って家内を
挟んだ隣席の親子連れの母親と思われる、60歳代後半の女性に名刺を渡す。

 こういう場面での名刺交換の経験はあまりない。しかし、それも自然な成り行きで
あった。弁護士さんの気さくな態度に学んだのと、同時に「新幹線における5分間の
理論」を思い出していた。

「新幹線に乗ったときに東京駅などで、隣席の方がシートに座ったときに目安として
5分間以内になんでもいいから、一言でも声をかけておくと、後の時間を気持ち良く
過ごせる」という経験則である。

 そんなことを思い出していると、名刺を渡した女性が唐突なことを云い出す。
「あなたは出世をあきらめての海外旅行ですか?」、
「なんということを」と絶句する思いであったが、そのまま、しばらくは沈黙を守る
ことにした。

 「会社の永年勤続の表彰旅行です」と間をおいて答えると、「おみかけするところ
まだ働き盛りのご様子で、そのような時期に海外旅行とは出世をあきらめた方かと」、
このなんともハッキリとしたものいいには恐れ入った。

 「そうでしたか。永年勤続のご旅行でしたか。銀行関係では、勤続15年くらいで
皆、海外旅行させるようですよ、そして本人が旅行中に身辺調査をして不正が起きて
いないか審査するそうですよ」と女性が続ける。

 その後、ツアーに単身参加の銀行員が、まさに、勤続十五年で参加していることを
知って、この女性の話題には、真実味が帯びてくることになる。新々人類を思わせる
情報通のその女性には、旅の途中で、何度か、貴重なアドバイスをいただきお世話に
なることになる。

 飛行機がニュージーランドに近づくと女性コンダクターからそれぞれに入国手続き
の書類が手渡され、記入を終わって、身の回りの整理や整頓が始まる。

 クライストチャーチに到着すると空港には見るからに頑丈そうなベンツ製のバスが
待機していた。大型バスということもあり「快適な観光ツアーの始まり」という印象
を受けた。やがてバスは花壇がよく整備された建物の前に到着する。
(これは大いに庭造りの参考となった)。

 花壇を抜けて行くとエイボン川のほとりに出た。
「あら鴨がゆうゆうと泳いでいるわ」という声をきっかけにツアー仲間がいっせいに、
鴨を背景にして、お互いの連れや家族にカメラを向けて、写真を撮り始める。

 その場所で、一時、みんなでゆっくりとして奥に行くと、グランド一面が、バラ園
になっていた。ほとんど、同時に、全員が歓声をあげる。

 良く手入れされたガーデニングの眺めを楽しんで、全員がバスに乗り込むといっせ
いに「疲れた、疲れた」と口に出しはじめた。思えば、成田で飛行機が出発したのが
17時55分。クライストチャーチには、現地時間で、朝の7時35分着であった。

 日本とニュージーランドでは時差が3時間あるので日本の現地時間に換算をすれば
明け方の4時半に叩き起こされての入国手続きということになる。まだ、気持ちの上
では、脳の機能の半分が寝っている状態での観光であった。

 やがて、バスは、市内の大聖堂に到着する。英国ゴシック様式の大建築物は尖塔が
空よりも少し濃い青色で、大窓のエンジ色とのコンビネーションが、とても、お洒落
な印象で見栄えが良い。建物の縁取りは、白色で統一されている。

 次に、カンタベリー博物館を訪問した。ここで、ニュージーランドの歴史を学ぶこ
とになる。ニュージーランドは、地形的に日本列島から北海道を取り外した大きさで
あり、北島と南島からなる。

 クライストチャーチは、南極寄りの南島の東岸に位置している。
クライストチャーチの丘陵地帯からの眺めは素晴らしく、市内を一望できる。旅程に
おける天候が快晴ということも手伝って、旅先での秋を大いに満喫できる幸運に恵ま
れた。丘陵からの視界には、背の高い建造物はなく、秋が一面に横たわっていた。

 私は、この旅行の出発前に東京で暮らしていて、これが初めてとも云えるほど見事
な桜を会社の桜祭りで満喫した。

 そして、地元の稲荷山公園でも桜を楽しみ成田を旅立った。「海を越え一瞬にして
秋の眺望に変わるなんて、なんとも不思議な体験だね」と家内に呼びかけると、
「素晴らしいわこれがほんとうのオータム・ショックね」と目を丸くして喜んでいた。

 「ニュージーランドでは眺めの良い丘陵地帯に家を建てることが、ひとつのあこが
れになっています」と女性のコンダクターから説明があり、丘陵から広がった視界の
良さを見て、「なるほどね」と納得した。

 この眺望を楽しんでいるとき、隣には、私と家内だけで「ミセスCIA」と呼んで
いる奥さんが一緒に風景を眺めていた。
(なんでもご存知の奥さんに敬意を称しての称号である)。



理想的な居住空間

「たしかに高級住宅が丘陵地帯に密集して建っているわね」という家内の感想に続け
るようにして、ミセスCIAから「この丘陵地帯には自然保護運動を展開した政治家
ハリーエルが建てた英国風の建築物があるのよ」ということで、みんなで、見に行く
ことになった。

 その建築物は、さすがに、どっしりとした風格であった。現在はレストランに改造
されていて、一般に公開されている。ロビーに設えたテーブルに座ると、なんとなく
気持ちが落ち着くから不思議である。外の景色も、居ながらにして、手に取るように
見える。外観的にも、外壁は石積み風になっており、どっしりとした落ち着きが感じ
られる。

 その時の「居心地の良さから来る好印象」の衝撃は大きく、私と家内にとっては、
「理想とする我が家のイメージを目の当たりにした手応え」であった。

 当然、帰国後には、終の棲家のリフォームや「ついの棲家Ⅱ」を新築する際に
大きな影響を与えたことは云うまでもない。

 市内観光も終わり、今晩の宿泊ホテルに着くと、それぞれに、部屋の鍵が渡されて
ディナーでの再会が、女性コンダクターから、アナウンスされる。部屋に入り、旅行
カバンを片付けてから、二人で、ロビーに行くと、ツアー仲間の若いカップルから、
声がかかる。「すいません。教えて下さい」と云われて「なんでしょうか」と答える
と、若い女性から、「先程、ディナーの案内がありましたがどんな服装で出ればいい
のでしょうか」、ここは家内の出番である、「くつろげる感じの気軽な服装で大丈夫
じゃないかしら」と、やがて暖炉の火が燃えているレストランにツアー客が集まって
来る。

 席は、自由席のようである。先程の若いカップルがこちらに向かって近づいてくる。
その後から情報通として有名人になったミセスCIA親娘と60才代後半のご夫婦が、
談笑しながら歩いてくる。私と家内もレストランの係りの女性に案内されて席に着く。
私と家内の前には、若い新婚夫婦。隣の席にはミセスCIAチームの四人が席に着く。

 大きな八人掛けのテーブルが、たちまちいっぱいになる。隣のテーブルには弁護士
さんたちが友人と一緒に案内されて席に着く。こちらのテーブルでは、最近、出かけ
た旅行の思い出から話しが始まっている。

 ミセスCIAとは、親友と思われる女性が、スイス旅行の話しをご主人と掛け合い
よろしくとても楽しく紹介して下さる。「スイス旅行では登山電車での山登りが一番
楽しかったわ」という。「あっそうそう。ビデオが撮ってあるから、今度、家に遊び
にいらっしゃい」という話しに発展する。

 ミセスCIAの友人が、「どちらにお住まいですか」と聞くので、「埼玉県入間市
です」と答える。「私たちは新所沢よ」、ニュージーランドからの距離感では、ほと
んどピンポイント的に、同じ地域といって良い。世間は狭いものである。新婚夫婦の
新居は相模原だという。「今度この旅行から帰ったら我が家に遊びにいらっしゃい」
と両家で誘って下さる。「ありがとうございます」と云いながら、ご近所のしかも、
隣組という親近感が湧いてくる。

 やがて、ディナーの料理が運ばれてくる。「どちらかというと薄味だね」とお互い
の感想を述べあって運ばれてきた料理を口に運ぶ。新婚夫婦は「海外旅行は初めて」
だといって、とても楽しそうに、皆さん方の話しを聞いていた。

 食事の途中、女性コンダクターから今回の旅程の概略が、あらためて紹介された。
「昨日は、機内泊のため、みなさんそろそろ眠くなってきたと思いますので」と云う
心遣いで要点だけが説明される。明日は、マウントクックから、クイーンズタウンに
バスで行き、4日目の旅程については、オプションでミルフォードサウンドの観光が
計画されているという。

 そして、後半には、北島のオークランド泊が旅程の仕上りとして用意されている。

 話題満載のディナーは、あっという間に時間が過ぎた。的確な会話は食事の調味料
というが、今回について云えば、話題そのものがメインディッシュという盛りあがり
ようであった。

 それに皆さん、パワーに満ち溢れていて、パワーを分けていただいた気がする。
「ご一緒しているだけで自然に気持ちが明るくなってくるね」とその日のことを振り
返りながら、その晩は、早目にベッドに入ることにした。

 充分に睡眠をとったこともあり、翌朝は、早起きして外に出るとテカポ湖の水面が
目に入ってきた。「あらもう霜がおりているわよ」と、家内が枯れた芝生の上を先に
歩いて行く。「テカポ湖の風景も一緒に撮っておこうか」と、家内に、振り返っても
らってカメラに収めた。

 やがて朝食が済むと、「希望される方には今からバスの出発前に、テカポ湖周辺の
ご案内を致します」という案内があってガイドさんに付いて行くことにする。
「善き羊飼いの教会です」と説明があり、内部に入って行くと外部からの見た目には
小さな教会だが、内部からの景色は大きく広がっており厳粛な空気が伝わってくる。
「きれいにしているわね」と家内が感動の声をあげる。たしかに、内部の掃除が行き
届いている。近くには犬の銅像が建っていた。

 ニュージーランドの犬たちは、羊たちの面倒を良くみる。犬たちの活躍が羊毛産業
を支えているといってもよいだろう。その中にあって銅像になっている忠犬はある時、
牧場主の危機を救ったのだという。



南島の屋根マウントクック

 雪をかぶったマウントクックの姿は、美しく、ずっと観ていても飽きが来ない。
ミセスCIA親娘は、バスの前列に陣取り娘さんが盛んにビデオで前方の風景を撮影
している。南島の屋根ともいわれているあのサザンアルプスの最高峰マウントクック
は、探検家キャプテン・クックの名前を記念して命名されたものである。しかしなが
らニュージーランドを三回も訪れたという英国の探検家キャプテン・クックは、この
秀麗な山を一度も見ていないのだという。

 ベンツ製の頑丈なバスは、全員にシートベルトを着用させて、制限速度なしの高速
運行で突っ走って行く。バスの進行方向の左手には秋の野原が一面に広がっている。
「春にはこの野原一面が花でいっぱいになります」というガイドさんの説明がある。
この野原で採れる蜂の巣は、そのまま、スライスされて、天然産の蜂蜜として売られ
ている。右手には湖が続いている。空が写っているような青さが印象的である。この
バスに地元の案内役として、同乗した日本人ガイドさんは、ニュージーランドが気に
入ってそのまま住みついてしまったというだけあって土地の事情に詳しい。

「皆さまの右手に見えております、この湖には、2メートル級のうなぎが棲んでおり
ます」、「ときには水を飲みにくる子羊を呑みこんでしまう」と、聞いておりますと
いう説明には思わず背筋が寒くなった。

 目の前にあるトンネルは最近の雪崩のときに大雪で埋まってしまい、ブルドーザー
で掘り出したのだという。ミセスCIA親娘が、「あっ、虹よ」といってビデオを
回している。地平線上に完全な形で跨ぐ虹を見たのは初めてのことであった。

 地元のガイドさんが、「虹はあちこちで頻繁に見られますよ」と説明している。
「このトンネルを抜けるとマウントクック村です」とガイドさんの案内がある。

 話題は変るがニュージーランドに来てから随所で環境保護への配慮を感じ取った。
例えば、ゴミ捨て用の袋には燃えやすく工夫された特別製のものを使い、公衆トイレ
においては、施設全体がステンレス製で建設されており、天上から一気に水が流れる
設計になっている。トイレ内の洗浄についても小まめに実施されている様子でトイレ
特有の異臭感はまったくないといって良い。

 ハイキングコースなども有名な景勝地を訪れる登山者は登録制になっていて登山者
に対しては登山をする上でのエチケットが、徹底されていて、厳格に守られていると
いう。マウントクック村に着いて、最初に目から入ってきた印象は、ゴミひとつない
清潔感であった。

 マウントクック村からの眺めは、マウントクックが目前に迫ってきて圧巻である。
標高が三七六四メートルもある最高峰は、最近の大きな雪崩で標高が変ってしまった
のだという。このマウントクックに、更に近づきたいという人のために、軽飛行機で
頂上付近の氷河に着陸する航空サービスが用意されている。

 「風の強いときに、飛行機に乗ると、機体がかなり大揺れしますよ」とガイドさん
から説明があったが、「私たち飛んで来るわ」とミセスCIA親娘と友人夫婦は一番
乗りの名乗りをあげる。さすがに、好奇心旺盛で反応も俊敏である。新婚夫婦も同行
するという。

 私が「どうする」と家内に聞くと、「私は子供たちをまだ育てきってないからやめ
ておくわ」と、云う返事が返ってきた。私と家内は、ミセスCIA親娘と新婚夫婦の
乗った軽飛行機が飛び立つのを見送ってから、レストランで昼食を取ることにした。

 昼食後には、マウントクックの風景を楽しむ場所が用意されており目の前の大き
なガラス窓にマウントクックの美しい風景が広がっている。

 外に出ると、弁護士さんご夫婦とお友達のご夫婦たちが、森の中を楽しそうに散策
していた。「森の中がどこに行ってもきれいですね」、「空気が澄んでいて、とても
気持ちが良いです」という会話が交わされ、バスが置いてある広場に戻ると、皆さん
が集まり始めていた。

 広場では、ミセスCIA親娘が盛んに、マウントクックの山頂付近の氷河への着陸
体験の感想を飛行機に搭乗できなかった人たちのために熱心に説明していた。

「飛行機は、揺れも少なくて氷河にはスムーズに着陸できたわ」
「思わずみんなで拍手したわよ」

 氷河に、自分の足で降り立ったときの感動は、素晴らしくて、忘れることのできない
体験だったと話をされているミセスCIAの目は、まるで幼児のように輝いていた。

「そういえば飛行機の車輪内側にソリを二つ付けていましたね」と私が口をはさむと、
「そうなのよ、ソリを使い上手に飛行機を滑らすのよね」
「名人クラスのパイロットだったわよ」と話は続く。

 ミセスCIA親娘の搭乗体験の報告も終わって、まだ、バスの発車までには時間が
あるので考えていると、「マウントクック村の国立公園事務所をのぞきましょうよ」
とミセスCIAが誘うので、丁度、そこに居合わせたツアー客が、ぞろぞろとミセス
CIA親娘に連なって公園事務所に向かった。

「サザンアルプスの全容は、三千メートルを越す高峰が二十七もある」と云う。
「氷河はというと、大小合わせて三百六十という規模」と、私が、声を出して読むと、
今度は家内が「この一帯は一億五千年前には海底であった」と声をあげて読み上げる。

 二人して、その地形の変わりように驚くばかりである。その後の激しい造山活動が
加わり、今日の姿になったというが、およその想像もつかないことである。

 国立公園内にはホテルが建っているが、過去に数回も雪崩によって建物が破壊され、
その都度再建を繰り返しているためホテル代は通常よりも割高でありという。公園内
から正面に見えるマウントクックは、サザンアルプスの最高峰であり南島の屋根とい
われている。

 その山岳美については、スイスのマッターホルンと比較されるようである。
マウントクックの景色をすっかり堪能した私と家内はバスに乗り込んだ。そしてバス
は今晩の宿泊地になっているクイーンズタウンに向かった。途中で立ち寄った果物屋
さんの前で、家内が興奮気味に声をあげた。

「あなた見てよ、店先がカラフルだわ」
「ニュージーランドの果物をここに全部集めていますという光景よ」
といって振り返った。

「あなた道路の向こう側を見て」
「ポプラ並木があんなにも続いて光に映えてきれいだわ」と、云うので振り返ると、
皆さんも気付いたらしくて感嘆の声が飛び交っていた。
「こんなにも綺麗なポプラ並木は初めてだね」と感激の声が飛び出し。
「まさに、黄金色の輝きとはこのことだね」という感想を口にすると周りでも皆さん
同じように感動の声をあげていた。

 店先で、皆さん、それぞれに旅の友に果物を買い込んでバスに乗り込むと、バスは
一挙にスピードを上げた。運転席のスピードメーターをのぞき込むと針は時速130
キロ程度の位置にあった。

 やがてバスがホテルに到着すると、ホテルの庭にも紅葉と黄葉が競うように景観を
成していた。夕食までに時間があるので、二人で散策に出かけると、目の前が開けた
景色になった。

「澄んだ空気」
「それに美しい山々が連なっているわ」
「ワカティプ湖は青い水色なのね」
「まるでお伽の世界のようね」
と家内は感動の言葉を連発している。

 この澄み切った風景は、四季を通して美しく変わって行くため、一年中、観光客の
途絶えることがないのだという。ホテルに戻ると、丁度、夕食の時間であった。

 夕食時に、翌日のミルフォードサウンドへの案内がツアーの女性コンダクターから
行われ、それぞれのテーブルで会話が弾んだ。「明日も、楽しみだわね」という言葉
を交わしてそれぞれの部屋に戻った。


ミルフォードサウンドの大滝

 翌日のミルフォードサウンドへのツアーは往復で六百キロ。なんと、信号が一つも
ないというドライブであった。まさにノンストップでかっとびの高速運転なのである。
ニュージーランドでも日本と同じく車は左側通行。日本と違うのは右折車が優先する
こと。市街地に限ってのみ制限速度がある。

 ミルフォードサウンドの港に着くとそれぞれにチケットが渡されて乗船した。
狭い渓谷を案内する船は、その一階が日本人。二階がイギリス人で満杯になった。
船が進んで行くと両側が岸壁になっていて、たくさんの滝が目に入ってくる。

 千メートルを越すといわれる絶壁は、けっして人を寄せ付けないような厳しい表情
を見せている。船内からは岩山がライオンに見えたり象に見えたりと、しばらくの間、
不思議な光景が続いた。

 天候は局地的に変化が激しく晴れたかと思うと雨や曇りに変わった。そしてあっと
いう間に晴れ間になる。湾内は寒帯らしくアザラシが岩の上で昼寝をしていた。

「滝また滝の圧巻だね」と感動しきりである。大きな滝の下で合羽を着て船首に立ち
記念写真に収まると、合羽姿に、弁護士さんのご夫婦が気付いてカメラを向けてくる。

 ミルフォードサウンドからの帰途は、バスの運転手さんの気遣いで時間的な余裕を
稼ぎ出してくれた。そして皆さんが寄りたいといっていたロブスターを養殖している
漁場にバスを廻してくれた。

 その夜は弁護士さんの友人のご夫婦が持ってきた外国でも使えるという電気コンロ
をホテルの部屋のコンセントにつなぎ、漁場で買ってきたロブスターをゆであげて、
皆んなでご馳走になった。この集まりは深夜まで続き満腹のお腹をかかえての談笑と
なった。

 翌日は、底冷えのする寒い朝であったが、朝食が済む頃には気温も上がり、ミセス
CIA親娘のお薦めのジェットボートに乗りに行くことになった。ジェットボートは、
水しぶきをあげて走り、岩や断崖の端が顔をかすめて行くスリル満点の迫力ある運転
で川をさかのぼって行く。それは船に乗っている全員が悲鳴も出ない迫力であった。

 その晩は、ジェットボートの迫力に圧倒されてすっかりお腹を空かせて、私と家内
は新婚組を誘って日本食を食べに行った。店の名前は、ニュージーランドの国旗にも
なっているサザンクロス(南十字星)で、私は寿司と天ぷらを気絶するほど食べた。

 食後は、家内の顔もほんのりと紅潮していた。
「よかったね」、「おいしかったわ」とあらためて合言葉を交わした。店の外に出る
と店先には大漁旗が飾ってあり、ローマ字で、MINAMI JYUJISEI と
刺繍されていた。

「店に入るときには気が付かなかったね」というと、
「だって全員が日本食に向けてまっしぐらでしたから」
と新婚組のお二人も加わって大笑いした。

 その晩は、四人とも用心して、ニュージーランドで買い込んだばかりのセーターを
着込んで出かけたため寒さ対策は万全であった。

 それでも外に出ると、さすがに外気は冷えきっていて、私はコートの襟を立てた。
この寒い夜におけるファッション指導は、家内によるお出かけ前のワンポイントアド
バイスであった。これがきっかけで、この旅では、皆んなが家内の指南をあてにする
ようになっていた。

 翌日は、クライストチャーチの空港に出て、そこから、オークランドに向けて飛ぶ
旅程になっている。

 飛行機の出発までにはまだ時間があるのでトイレに入ると、
「あれが、キウイ・ハズバンドの光景か」と自問した。

 このトイレの隅には、ほどよい広さの場所があり、男性は背負っていた赤ちゃんを
そこに寝かせると手際良くオムツを取り外して竹べらで赤ちゃんのウンチを取り除く
や俊敏にオムツを取り換えた。この良く働くニュージーランドの若旦那たちに敬意を
称して、キウイ・ハズバンドというのだという。

 この呼称は最初にクライストチャーチに着いて、カンタベリー博物館に入り、キウ
イバードの剥製を見て、そのときにキウイフルーツは、形がキウイバードに似ている
ことから、この名前がついたと聞き面白いと思った。

 このことを地元のガイドさんに話して・・・
「キウイフルーツの方が、どちらかというと、先かと思っていました」と感想を述べ
たところ、さらに面白い話を聞かせてくれたのであった。

「ニュージーランドでは、若い奥さま方に対して、優しい若旦那さまが多く、まめに
育児などを手伝う。このことを称してキウイ・ハズバンドというのですよ」と教えて
くれたのであった。実際に、キウイ・ハズバンドを目の当たりにして、現実に、存在
するのだと妙に納得した。


眼下に名門オールブラックスのグランド

 オークランドに着くと暖かな陽気で満開の薔薇に迎えられた。
南半球のニュージーランド北島に位置するオークランドは、南半球換算で考えると、
日本の東京とは対の位置に在り、昼間は半袖でも過ごせる秋の陽射しである。

 南島のクイーンズタウンではセーターを着ていても朝方の寒さがこたえたことが、
信じられないような温度差である。ただオークランドでも朝夕は上着が必要であり、
一日間での温度差は大きく、秋の陽射しの落差の大きさをあらためて感じた。

 太陽の陽射しがいっぱいの海沿いの景色は、特に素晴らしく、ここでは、高級住宅
が海岸線に沿って建てられている。やがて、海沿いからそれて丘の上に登って行くと
大きな公園に出た。

「あれが、ラグビー界の名門オールブラックスのホームグランドですよ」と、案内が
あって丘の上から食い入るように見た。広大なグランドである。あの試合に臨む前の
オールブラックス独特の民族の雄たけびのような踊りが目に浮かんでくる。

 オークランドの薔薇園の近くに建てられた郊外のホテルに泊まった翌朝は、当日の
行動が終日を通して自由行動ということなので、朝食をご一緒したミセスCIA親娘
と新婚組と私と家内の6人組で、オークランド観光に、出掛けようということになり、
具体的な行動計画がまとまった。

「タクシーで貸しきりの市内観光をしていただけるところを探しましょうよ」という
ことになり、ホテルで教えていただいたタクシー会社に電話をすると・・・

「人数が6名なので特別にランドクルーザー型の車でホテルまで迎えに来てくれる」
ということになり、しばらく待機していると、その車はトヨタ製であった。
全員が乗車してから、「今日は終日コースで市内観光をしたい」と、こちらの希望を
伝えると・・・

「私は地元出身なので、オークランドのワイン工場の経営者などとも幼友達です」
「他にも、知り合いが多いので、皆さんにとって、きっと、喜んでいただける楽しい
一日になることでしょう」といって目のくりくりとした運転手さんから、皆を喜ばせ
る言葉が発せられた。運転手さんは、かつてはセスナ機による観光飛行のパイロット
であったという。とても、陽気な方で楽しいドライブが予感された。

やがて、ズー・ロジカルガーデンに到着。名前の頭に、ズーと付くので動物園である。
「ここではキウイバードに対面できます」という説明が運転手さんからあった。鳥舎
の手前に詳しい説明書きがあった。「体長は三十センチくらいです。夜行性のために、
特別な鳥舎に入っております」、「キウイバードは、ニュージーランドの国鳥に指定
されています。キウイフルーツは形が、この鳥に似ていることから、キウイフルーツ
と名付けられました」、「この島には蛇が一匹もおりません」、「したがってキウイ
バードにとっては天敵のいない幸せな生活が続き、空中を飛ぶことを忘れました」、
「天敵がいないため、目もまた活発に動かす必要がなく視力も衰えて行きました」、
「このように、食べては、寝るの生活を繰り返していたために、くちばしのみが長く
伸びて、ずんぐりむっくりな体形になっていったのです」。

 概略の説明を聞いた後で鳥舎のなかの暗がりに目を凝らすと、私はそこに自分の姿
を見ている思いがしてきた。二年前に東京の大手町に新しいプロジェクトが発足して
私もメンバーとして参画。一年間その勤務が続いた。自宅からの通勤は片道で二時間
近くかかり、その間は電車で立ちっぱなしのため、それまで一時間以内の通勤に慣れ
ていた私にはこたえた。

 週末には必ず続けていたテニスもやめてしまった。私は、週末の休日を家で過ごす
ことが多くなり、子供たちから「お父さん、あれ食べる。これ食べる」と差し入れが
あり食いしん坊の私は、これを片っ端から食べていた。

 プロジェクトが一年間で終了してからもこの生活習慣が続いていた。同僚たちから
は、「幸せ太りですね」と冷やかされた。結果、体重が10キロも増えた。スーツ類
のズボンのウェストは寸法直しを二回も行った。この時点では、体重は5キロ増えた
だけであった。

「ズボンの寸法直しは、これで目一杯ですよ」と洋服屋さんに云われた。それがまた
しても10キロまで増えたのである。なんと、ワイシャツのボタンが弾け飛んだ。
ズボンのお尻の縫い目が朝の体操のときに裂けた。とうとう、スーツ類は仕立て直す
羽目に陥った。

「ニュージーランドのキウイバードを見て、我がふり直せだよね」と自問した、私は、
これをきっかけにして、日常の生活習慣を大転換することになるのである。


キウイバードの姿を見てダイエット開始【後日談】

 日本に帰ってからのことであるが、飼犬を買い求めてシェリーと命名。この出会い
が、私の生活習慣を変えて、飼犬との日々の散歩が効き、体重を一挙に、5キロ軽減
させて、肝機能も回復。健康診断において正常復帰が確認された。

 ただ、そのときの速歩きに懲りたせいか、その後は、飼犬が、しばらくの間は私の
顔を見ると散歩に行きたがらなくなった。飼犬にしてみれば子犬のときにはまだ訳も
分からずに、私と嬉しそうに歩いていたが、やがて家内との散歩によって・・・

「自分のペースで歩ける楽しさを知る」ことになり、ノンストップの私との遠乗りは、
御免こうむりたいということになったのであろうと考える。



ニュージーランドの水族館

 その後は、また、大型タクシーに乗り込み水族館へと向かった。
「大きな水槽の下を、人間が通り抜けられるようになっているのね」
「これは、トンネル構造になっていて、通路は自走式になっているよ」
「わっすごい、鮫が頭の上をゆうゆうと泳いでいるわ」と歓声をあげる。

 展示場所には鮫が口を開けた時の状態が標本にして飾ってある。鮫の歯は三角形に
なっていて、これで噛まれたらひとたまりもないことが良く理解できた。

 次の見学コースはオークランド博物館。元セスナのパイロットらしく三階には零戦
が展示してあるという説明を加えて、私の方に顔を向けてきたので・・・

「ニュージーランドに零戦ですか」と私は反応した。
展示会場で零戦は軍事品コーナーに場所を確保して、ほぼ、完全な状態で保存されて
いた。私は、実戦に使われたことのある零戦を見たのは初めてのことである。

 ここに零戦が展示されているということは、われわれ日本人が戦後の経過とともに
戦争の記憶を風化させても、地球の反対側で零戦が展示されている限り・・・
「日本にとっての戦後」は、永久に続いて行くということである。階段を下って一階
に出ると、博物館の一階にはマオリ族の戦闘用カヌーが展示されていた。

 博物館を出ると、皆んなの顔に秋の陽射しが強く差し込んできた。オークランドで
の観光ツアーを終わり、博物館の前で揃っての記念撮影は、セスナの元パイロットが
シャッターを押した。博物館の外観は古典的な印象であった。


身体の中心から善循環エンジン始動

 翌日の日本に向けたフライトは、天候にも恵まれて視界も良好で、機内から窓の下
をのぞくと海上をゆったりと進むタンカーが見えた。

「はるか上空からの眺めなのに、タンカーが大きく見えるわね」といって、家内は、
タンカーの大きさに素直に驚いていた。

 今回のニュージーランドの旅では、多くの年長の方々から大いなるパワーをいただ
くことになり、お互いに、「共通の将来展望」を描くことが出来た。

 そして、ニュージーランド旅行からの帰途、機内で、家内から思いがけない言葉が
飛び出す・・・

「あの元気いっぱいの奥さんたちの好奇心や行動力に触れて感じたのは自分たち向け
の投資がもっと必要ということね」という感想であった。

 そして、帰宅してから間もなくのことである、

「あなた、これで思いっきり、自分のやりたいと思うことをやってみたら」
と家計費から現金で百万円が渡された。私は、一瞬戸惑ったが、これが、すべての
善循環の始まりであったような気がする。


 私は早速・・・

「これからは自宅にも、必ず、電子機器を活用した情報化の波が押し寄せてくる」と
考えてパソコンを購入した。そして、社内で、推進役を担っている業務革新の対象が
企業経営の領域に入ってきたことから、企業経営や企業革新のための教材などを総量
にして、大きなダンボール箱で二箱ほど購入。ビデオとテープ教材を伴ったテキスト
を活用して土曜・日曜などの休日を活用しながら、猛烈な勢いで勉強を始めた。

 ここに、社内コンサルタントの誕生である。

 同時に、これは近い将来に向けた「生涯学習」の始まりであった。今でも、記憶が
鮮明であるが、ニュージーランド旅行に使用した海外旅行用のカバンのキーナンバー
は、「450」である。これは、家内が45歳、私が50歳であることを基に決めた
暗証番号である。時は西暦「1992年」であり、私が「2000年」問題がらみで
技術情報管理のデータセンター構築に取り組むことになる8年前のことである。

 まさに、この時を境にして、私の身体の中心から善循環エンジンが回り始めた自覚
がある。その後の「T&Kのついの棲家Ⅱ」の具現化における資金計画においても、
家内の内助の功に対しては、大いに感謝するものがある。



第二章 秋を迎えて

 秋になると建築工事の舞台にもいよいよ満を持して「主役の登場」となる。昔風な
表現をするならば、「棟梁を兼ねた大工職の矢吹さんの登場」である。

 住居の細部設計を設定する際に訪れたことのあるJグループの住宅展示場のモデル
ハウスを建てた大工さんであり、その建築技術の腕前は、「匠の境地」に達している
大工職人さんである。建築の主役の登場を迎えるにあたって、夏場の建築現場はその
舞台造りを急速に進めてきた。

 その夏場の建築現場の状況を早送りで日めくり的に振り返ってみることにしよう。


【夏場の建築現場の振り返り】


9月3日(金)酷暑  コンクリ養生の続行

 今朝の東町の我が家の建築現場はコンクリ養生中である。特に変化はないが道路を
挟んだ隣家など、近所の建築が確実に進んでいるので、彩の森入間公園に向かう通り
すがりに立ち寄るには変化があって飽きが来ない。


9月5日(日) 酷暑  工事工程表通りの進捗

 建設会社Jグループの工事責任者である中村さんから「工事工程表」を事前にいた
だいている。基礎工事は日程通りに進んでおり、周辺の土砂などもきちんと隅に積み
上げらていて、洗濯水の排水管や洗面所からの排水管などもコンクリートの中に埋め
込まれていた。


9月6日(月) 酷暑  オール電化を決心

 東町の建築現場を通り抜けて、彩の森入間公園に行く早朝の散歩コースは、もはや
我が家の定番になりつつある。
現在はコンクリ養生のために「特に工事進捗はなくても」である。

 調理用の機器は、迷いに迷った末の結論として・・・
「オール電化およびIHクッキング方式」の採用を決めた。
 決め手は、オール電化およびIHクッキング方式を導入している隣家にお邪魔して、
「IHクッキング方式で調理している限り」、老いてから、火に接近しすぎて衣類に
 引火したりする心配は、ないですよ、というお話を聞いて納得するものがあった。


9月7日 (火)酷暑  生活エリアは25%縮減

 今回の東町への引越しの目的は、一つ目は、日当りの良い家造りである。
これについては実現の見通しがついた。

 二つ目は、ついの棲家Ⅱとして適正な大きさへのダウンサイジング(縮減)である。
これについては、「日常的な生活エリアを41.5坪から31.5坪に縮減した」、
結果、縮減率は25%減となる。

 当初は、「50%減」を狙い目としたものの・・・

「一階を居住エリア」、「二階をゲストルーム」としたために大幅な縮減は果たせな
かった。ただし二階を子供たちの家族が訪れたときにだけ使うというのも、もったい
ない話なので、南西の角部屋の開放感のある居室は書斎として活用することにした。
書斎はコンパクトな設計にしたので、現有の蔵書は約70%を廃棄処分にする必要が
ある。ゲストルームと決めている部屋についても、二階のバルコニーと隣接するので、
雨天の時には洗濯物を干せる工夫をした。


9月9日(木) 曇り(後)晴れ  本日は配筋の検査

 今日は配筋の検査が予定されている。デザインセンターで・・・

「お客様の自由設計プランがまとまれば完売です」と聞いているので、我が家が完成
すれば、東町の戸建団地は全戸が揃う段取りのようである。


9月11日(土) 再び酷暑  基礎工事の後半戦の開始

 基礎工事の後半の作業が始まった。建屋が乗ってくる基礎工事の部分に鉄枠が組ま
れて、コンクリートの注入を待つ状態に段取りが組まれている。基礎部分と建屋を連
結する棒状の鋼製金具も大空に向かって「オイラに任せておけば、50年は大丈夫」
と叫んでいるようで頼もしい。

 Jグループでは構造用金物は品質保証をする狙いから、工事現場に直接的に現物で
支給する方式をとっている。住宅建設の設計に始まって、実際の建設施工まで、
「一貫して微に入り細に入り品質管理に注力している」ことが良く分かる。

 このような、地元の優良企業の存在をまったく知らなかったというのも、まさに、
「灯台もとくらし」の諺通りである。


9月12日(日) 酷暑  基礎にコンクリート注入

 基礎工事も、建物を直接的に支える部分にコンクリートが盛んに注入されている。
間取り図のイメージがそのまま見てとれる。細部レイアウトを描きながら、家具類の
配置を決めて行くときには、部屋のサイズがだんだん大きく見えてきた印象とは逆に
なって、それぞれの部屋のサイズが小さく見えるのが不思議である。

「玄関脇のシューズ・イン・クローゼットの部分に目をやると、ここに季節から外れ
 た靴を待機させる靴箱が全部納まるだろうか?」

「冬季にお客さまを出迎えるときコート類を預かるエリアが確保できるだろうか?」

「お風呂のユニット類は大きさ的に上手に納まるのだろうか?」

「対面キッチンは基礎がしっかりと作られているが、この小さなエリア内にIH調理
 器および食器の洗い場が納まるのだろうか?」

「リビング&キッチンに、16畳を当てたものの、このサイズでは狭くないか?」

「和室も8畳を計画したが狭くないか?」

「周囲に植栽を計画している三箇所のエリアも引っ越してくる植木が収まるか?」

「駐車エリアも車が2台分置けるように図面を描いたが大丈夫だろうか?」など、
 これも、青空の下で見るゆえの錯覚と思うが、不思議な現象である。


9月13日(月)小雨・曇り・晴れ・豪雨と変化が激しい 後半のコンクリ養生

 建設ウォッチングは当分の間は不要である。基礎工事後半部分のコンクリート養生
に入り、基礎工事完了は9月18日と聞いている。その間に息子が残していった本棚
や整理棚のなかの物品を整理して、大型ゴミは市役所のトラックで引き取ってもらう
準備に取りかかったが、これがなかなかの重作業であり思ったようには進まない。


9月17日(金) 晴れ  敷地内の整理・整頓が完了

 久しぶりに東町の建設現場に寄ってみると、設計図通りに敷地の外周部がきちん
と整地されていた。後は、今月下旬の棟上げを待つばかりである。


9月18日(土) 晴れ  植栽プランの具体化

 今日は、現在、暮らしている住居に、庭師が来てくれることになっている。
東町の建設工事現場では基礎工事は完了しており、植栽エリアも整地されているので、
造園の相談をするには良いタイミングといえる。

 予め「外構図面」と「建屋外観図」を用意しておくことにする。
定刻の午前9時に庭師が見えて、早速、「移植したい植木類を見せて下さい」という
ことで、背の低い植木を中心にみていただき、引っ越しができそうな植木を確認して
いただくことにする。続けて東町の外構図面も見ていただく。

「現地で実際に植栽の場所を見ましょう」ということになり現地に向かう。
「りっぱなお宅なのに、どうして引越しされるのですか?」と、あまりにも近くへの
 引っ越しのため、庭師の方が車を運転しながら質問してくる。

「定年で家に居るようになって、一日中、陽の当たる家に住みたいと思いまして」と
家内が答える。自転車でも約5分の場所なのですぐに現地に到着する。

「けっこう広い土地ですね」、「はい、約45坪あります」と答えると、
「これだけあれば十分に植栽出来ますよ」と庭師の方が周囲を見回しながら、
「南西北と三面が道路ですから、終日にわたって陽が当たりますよ」と云いながら、
「夏は暑いかもしれませんね」と続ける。

 外構図面の植栽プランを見ながら・・・
「武蔵野の雰囲気で、建屋の周囲を植栽で覆うという考え方はいいですね」と褒めて
 下さる。

 植栽場所に移動して「この西側の一列に寄せ植え風の植栽を考えているのです」と
 具体的な考えを提示。

「出窓の前には、シャラ(夏椿)をシンボルツリーとして、植えること」を計画して
 いますと家内が具体的なプランを説明する。

「シャラは、現代風の建物に合いますね」と、庭師も助け舟を出してくる。次に北の
 玄関脇に移動、「ここは、坪庭風にまとめる計画です」というと・・・
「南天なども合いますよ」と話は弾んで植栽のアウトラインはひとまずまとまった。


9月25日(土) 秋晴れ  棟上げ用の建材が到着

 朝から風が強く、台風12号の影響が及んできた。久々に東町の建築現場に行くと
現地では、建材が南側に積み上げられていて、雨よけシートが建材に被せてある。

隣家の職人さんに・・・

「この建材が来ているということは間もなく棟上げでしょうか?」とおたずねすると、
「そうですね。その建材が届いたということは間もなく棟上げでしょう」という応答。
「たぶん、その建材は、一階のものだと思いますよ」という親切な説明が返ってきた。

 自宅に戻ると、Jグループから電話があり、「棟上げが29日大安に決まりました」
という連絡であった。隣家の職人さんの云う通りであった。


9月27日(月) 雨  基礎パッキングロングの設置

 東町の我が家の上棟式は29日大安に決まり、基礎と土台の間に、基礎パッキング
ロングを挟み込む作業が始まった。この作業はムラのない床下換気を可能にする新し
い工法であり、基礎自体に換気口としての風窓は設けず、厚み20mmのパッキング
を挟み込むだけで工事が済むために「床下へのネズミの侵入も防止できる」優れもの
である。



建築における匠の世界

 建築の世界では棟上げが完了して、大工さんに建築工事が委ねられれば、そこから
は、主として、大工さんの独り舞台になる。我が「T&Kのついの棲家Ⅱ」造りでは、
土地探しに池田店長と云う強力な支援者に助けられ、設計段階では我々と相性が抜群
の一級建築士宮崎さんに出会い、今また、匠の世界の大工職矢吹さんに出会って望外
の幸運に感謝である。

 これから先も、営業スタッフの松本さんから届く、朗報が楽しみである。


9月29日(水) 晴れ 上棟式そしてエース登場

 東町の建築現場を指定された午前9時前に私と家内と二人で訪問・・・

 建築作業は急ピッチで進んでいた。

「おはようございます」
「お世話になります」
「工事部の中村です」と挨拶が交わされて、中村さんから名刺をいただく。

「こちらが担当の矢吹です」とご紹介いただく。
我が家を建築して下さる「匠」の登場である、矢吹さんは、Jグループの入間住宅展
示場の展示棟を手掛けられたと聞いている。

「家内です。よろしく、お願いします」と挨拶を交わし地鎮祭のときに神主さんから、
お預かりした上棟式の「お札」と「お酒」を手渡す。

 今時は上棟式でもお酒は駄目なようなので、別に「お茶缶」と「お茶菓子」を用意
させていただいた。建設現場では俊敏な動作で建材が運ばれており邪魔になるといけ
ないので、「それでは、よろしく、お願いします」と声をかけて現地を後にした。

 この頃は日暮れが早くなり家の外はすぐに暗闇になる。しかし東町の建設現場では
灯りが点っていて、現地の状況が良く見渡せる。間もなく午後7時という時間帯にも
かかわらず、矢吹さんの仕事は一生懸命に続いていた。

「棟上げが出来ましたね」
「はい、出来ました」、
「一日で屋根までかけてしまうのですね」と、その俊敏さには驚く。

 Jグループは職人集団を約500名規模で抱えており、棟上げなどの集中作業には
精鋭を集めてくるので短期決戦で仕上げてしまう。建築の舞台は雨天でも作業できる
ように屋根もかけてしまうのである。

「明日は雨だというので屋根だけでなく全体的に雨除けをしておきます」と矢吹さん。
「遅くまで、ご苦労さまです」と家内からも声をかけて車に戻り、飼犬を前席に移動
させて我が家に帰ることにする。

 家内を駅まで迎えに行き、帰りがけに建設現場に寄ったのだが・・・

「矢吹さんをはじめ、我が家の棟上げを担当したJグループのメンバーは超一流」、
「朝から夕方までの作業で屋根まで完了させるということは、それぞれの手早さだけ
で達成できるものではなく、強力な組織力があるに違いない」と二人で話合った。

 Jグループは、「ISO 9001」を認証取得しており作業手順が確立している
からこそ出来る俊敏さと手堅さであり、それは現地に届けられた材木の端部の加工や
細工をみれば、あまり経験のない、私にも、一目で納得できるものがある。

 柱には作業の通し番号が記されており、ここでも現地だけではなく設計から始まり、
材料の加工、輸送体制、そして現地での組み立てという流れで作業が一貫して標準化
されていることが良く理解できる。


9月30日(木) 雨  屋根の防水対策を実施

 家内は、ひばりヶ丘に出掛けて息子の嫁さんの出産後の応援のため孫の面倒を見に
出掛けているので、私は、スポーツセンターには寄らずに、東町の建設現場に寄って
から家に帰ることにした。着いたときが昼飯の時間帯のため矢吹さんにはお会いでき
なかったが「屋根が緑色に変わっていた」ので、防水屋根を張り付けたようである。

 矢吹さんも雨除けの対策を気にされていたのでファイバーグラスシングルの本屋根
の設置にまでには到たっていないが、防水対策にはなるのでひとまず安心である。


10月1日 (金)曇り(後)晴れ  二階の剛床で作業性は抜群

 東町の建築現場には、家内特製の昼食「ほうとうウドン」を食べてから出掛けた。
既に、防水屋根が掛かっていることもあって、小雨の中でも軸組作業は順調に進んで
いて、通し柱や管柱が林立している姿は、賑やかに見える。Jグループの工法では、
「二階には剛床を早目に施工する」ので、作業性は抜群に良く、安全性も飛躍的に
向上する。管柱には「Jグループ」と明確に記されており、供給元を明示することで
品質保証をしている。

 集成材にも、ピンからキリまであるので、Jグループのマーキングがあれば安心で
ある。建材については、プレカット工場でコンピュータ制御によって加工されるので、
高精度な構造躯体として品質保証されており、現地での手直しはほとんどない。

 矢吹さんの仕事への意気込みも、直に建材に伝わる感じで気持ちが良い。
家内は「梁がりっぱね」と感動していた。さすがに、通し柱や管柱だけでなく、梁に
も目配りをしていて「抑えどころのツボをしっかりと押えている」のには驚いた。

 ここで、「21世紀は、女性の時代である」という言葉を思い出した。

 まだ上棟が完了したばかりであり、軸組構造はこれからの細部が肝と考えるが外観
から、構造や工法を伺い知る限り、我が家は地震には、強い剛性を持ち合わせている
ようである。


10月2日(土) 晴れ  二階の造作が着々と進行
 
 建設現場では昨日から二階の造作に集中しており内部の状況は分からないが建屋内
から聞こえてくる音から矢吹さんの仕事への集中ぶりが容易に想像できる。

 今朝は、玄関の上部に位置する屋根の部分が骨組みされていて外観の形状を現して
きている。東町の我が家は全体的に落ち着きのある景観となっており、設計士の宮崎
さんと一緒に描いた建築イメージに沿って、矢吹さんの造作が進んでいることが的確
に理解できる。


10月3日(日) 晴れ(後)夜は雨  大工仕事と内装の並行作業

 今日は日曜日でもあり大工さんはみんな休みなので、「矢吹さんもお休み」と考え
東町の建設現場には飼犬を連れてゆっくりと散歩を兼ねて現地見学に出掛けてみた。
現地に着くと驚いたことに矢吹さんの車が置いてあり、二階から話声が聞こえる。

「日曜日なのに出勤ですか」と私が声をかけると、「建屋の引渡し日が12月10日
ですから、そこから逆算してスケジュールを建てて、作業に取りかかっています」と
いう返事が返ってきた。引渡し前には建屋の審査もあるので日程的にはかなり厳しい
工程なると云う。

「確かに厳しい日程が組まれていますが、審査の内部点検までに住めるような段取り
になっていれば、外回りの造成については、その後も施工が可能ですので間に合わせ
ますよ」と云う力強い答えが返ってくる。

「それにしても身体には気をつけて取り組んで下さい」とこちらの気持ちを伝えると、
「はい、こちらの建築作業の進め方としては、大工仕事は二階から進めて行き、内装
作業は並行させて進めて行きますから大丈夫です」と具体的な解決策が即答で返って
くる。私もかつて航空エンジンの整備期間を半減させるプロジェクトを推進した時に
同じような「並行作業」の考え方を使って完遂させたことがあるので納得である。


10月4日(月) 曇り(後)晴れ  間取り図を描いた書斎からの風景

 雨上がりの書斎からの眺めは気持が良い。目の前の九州梅は緑が蘇り枝や葉には露
が残り、小さな膨らみとなって光っている。この書斎では建築図面を何枚も書いた。

  「芋の露連山影を正しうす」  飯田蛇笏

 私の大好きな俳句である。
これは、蛇笏が数え年30歳の時の句である。山本健吉先生は・・・

「この句は、蛇笏の初期の代表作であるが、若年にして、確乎たる蛇笏調を打ち立て
ているのを見るのである。里芋の畑は近景であり、連山は遠景である。爽やかな秋天
の下、遠くにある山脈の起伏が影をくずさず、正しく連なっている。澄み切った秋空
には連山が姿を正すかのようにはっきりと、いささかの晦冥(かいめい)さもとどめ
ず浮かび上がっているのである。芋の露は眼前の平地の光景でもあり、かなりの拡が
りをもった眺めである。広葉の露に秋の季節の爽涼を感じ取ったのである。秋の山容
を表現して遺憾がないというべきであろう。」と述べており、「影を正しうす」とは
彼自身の心の姿でもあったのであると定本「現代俳句」山本健吉著に詳しく記述して
いる(今日は、建築工事について、書き記すことはない)。


10月5日(火) 曇り(後)晴れ  行き届いた品質管理の体制

 朝の散歩を強く求める飼犬に催促されて、東町の建設現場に出掛けることにした。
現地の建設工事は急ピッチで進んでおり、上棟が先月の29日で本日は6日。指折り
数えても7日目の朝の時点で・・・

「見上げる二階には、窓枠の部分がくりぬかれた外壁の板が嵌め込まれており、既に
サッシ待ちの状態である」、「屋根については、二階の屋根は既に防水対策が施して
あり、一階の屋根も骨組みが完了。防水対策を待っている状態である」。

「南側のバルコニーは、板材で囲みが出来ており、外壁のサイディングを待つばかり
の状態である」。

 Jグループの工法は、「在来工法」に加えて、「2×4工法」の良さを取り入れて、
柱と外壁の組み合わせにより、耐震強度を向上させている。外壁材は100%リサイ
クル木材を原料としており、エコマークを取得して国のグリーン購入法の指定も受け
ている。しかも、この外壁材は合板に比べて2倍以上のせん断剛性があり木材腐朽菌
の被害も受けにくくて、降雨などの水漏れによる膨張もほとんど起こさない優れもの
である。これを、水平側面としての剛床との関係でみれば、水平側面そのものが剛床
28mm+フローリング12mmと合わせて40mmの厚みとなるために、二階の床
のたわみを大幅に減らせる上に、外壁との相乗効果によって、より構造の安定性を増
すことが出来る。

 同時に、居住者に対しては歩行感を向上させることができるというメリットをこの
「BOX軸組工法」という考え方で実現させている。

 壁と床の立体パネルによって、地震に対抗する性能を向上させているという点では、
2倍筋かい金物も重要な役割を果たしており、柱と横架材および筋かいの接合部を、
「2倍筋かい金物がしっかりと連結させて」、強度アップすることによりBOX軸組
工法を完結させている。

 この頃は、Jグループの建設現場を見ていて、2倍筋かい金物だけではなく、
「ホールダウン金物」「柱脚柱頭金物」「短冊金物」他には「NPTワッシャー」に
いたるまでの金物全てをJグループが一貫して、タイムリーに、現物支給している面
からも、品質管理が行き届いていることが、建設現場をウォッチングすることで良く
伝わってくる。


10月6日(水) 晴れ  冬の暖かさを生かす設計

 東町の我が家の土地は、南側に6m、西側と北側に4.5mの道路が位置しており、
建屋周囲の3面が開放エリアという好条件であるため、他の区画に比べて基準となる
価格が高い。しかしながら、「日当たりの良い家に住みたい」と云う家内の強い願望
があり、この土地であれば、まさに、望み通りであるので、この土地を探してくれた
店長には重ねて感謝である。

 基本的には、冬の暖かさを生かす設計にして、夏場は、植栽などで日除けを考えて
行くことにする。


10月8日(金) 晴れ  屋根工事の開始

 東町の建設現場では、昨日から屋根の工事が始まっている。屋根の上では職人さん
が身軽な動作で動き回っている。このリズミカルな、動作を見ていて、私は、何故か
アンダーソンの曲「シンコペイテッド・クロック」を脳内に思い浮かべていた。

 Jグループの設計士宮崎さんとは次のような会話を交わしたことをよく覚えている。
「屋根材には、ファイバーグラスシングルと平形屋根のスレートがあります」、
宮崎さんから、それぞれの屋根材の特徴を説明していただき私と家内は聞き終わって
考えが合致した。

「ファイバーグラスシングルで行くことにします」ということで二人ともに30年間
保障の高耐久性に魅力を感じた。この屋根材は、三拍子揃った強みを持っている。

 一つ目の強みは、防水性に優れていることである。
 アスファルトを基材に使っているために、水を吸わないという特徴がある。

 二つ目の強みは軽量で耐震性に優れていること。

 三つ目の強みは雨音に対して高い消音性があるということ。
 弾力のある屋根材のために雨音に悩まされることがないと云う。

 しかも、基材となるアスファルトにはガラス繊維が補強材として使われて二層構造
になっており、30年保障の耐久性を生み出す基盤を成している。

 北米において、半世紀以上の実績がその耐久性を保障しているという面からも安心
材料と云える。表面は、セラミックの焼付け塗装が施されているために、再塗装不要
という点も大いに魅力である。屋根は建屋の最上部にあり灼熱の太陽光を受ける部分
であるので、実際、今までにも「15年経過した屋根の再塗装を経験してきており」、
ここにきて、耐久性に優れた屋根材に出会ったことは幸運である。


10月10日(日) 雨(後)晴れ  俊敏な建築はジャスト・イン・タイム

 彩の森入間公園からの帰路に飼犬を連れて東町の建設現場に立ち寄ると、3連休の
中日の日曜日にも関わらず、Jグループの矢吹さんの車が駐車してあり建屋の中から
建築作業の音が聞こえてくる。相変わらずの「完成までは、無休」という勢いの仕事
ぶりには脱帽である。

「我が家の建築を担当されている大工さんはスーパーマンのような人だよ」と家内に
云うと、「凄いわね」と云ってその熱意に敬服していた。

 私も企業人として多くの人と接してきたが、これほどに、自分の業務に対して勤勉
な人には出会ったことがない。

 Jグループの場合はトヨタ生産方式で有名な「ジャスト・イン・タイム」の考え方
に近い方法で建築工事を進捗させている。

「しかも、矢吹さんの場合は、技量と熱意がまさに一つ一つの建材に魂を吹き込んで
いるような、丁寧な仕事ぶりであり」、拝見している私たちには、感動を超えたもの
が伝わってくる思いがある。

 工場などにおける、もの造りの現場ではこれが流れ作業になったり、セル生産方式
の方法をとったりするが、我が家の建築現場では・・・
「ジャスト・イン・タイムに近い方法で建材が供給され」
「建屋のそれぞれのエリアで矢吹さんによって、タイミング良く、かつ効率良く」
 作業が進められている。

 矢吹さんのようなスーパーマン的な大工さんに恵まれた場合には・・・
「連続作業が可能となるので」
「これに合わせて内装作業を並行させて進めるという方法をとったときにだけ」、
 11月中旬には中間完成検査が出来るということである。

 その俊敏さは、現住居の隣家の建設工事と比べてみれば分かりやすい。
隣家の場合は二世帯住宅に建て替えるため従来の住居は既に壊して新しい建屋の建築
を5月初旬から始めているが10月の現時点でおいて建屋の完成までには、なお遠い
ことを考えると我が家における建築ペースが驚異的であることが良く理解できる。

 今、私と家内が心から願うことは・・・
「くれぐれも矢吹さん、お身体に気をつけて、ご自愛ください」と祈るばかりである。


10月12日(火) 晴れ(夜は雨)  外構はセミ・オープンという発想

 彩の森入間公園の朝は、ひんやりとした風が吹いており、久々に6時の起床ラッパ
を聞いた気がする。公園の隣が自衛隊の入間基地であり朝の腕時計は不要である。

 私が「今日はKホームズが来るね」と家内に言葉を投げかけると・・・
「南側フェンスは縦張りタイプと横張りタイプと、どちらが良いかしら?」
と返してくる。

「材質も木目調のアルミ材など多様にあるので選択が難しいね」
ということになり二人で相談して、最終的にどれを選ぶか、ある程度は選択しておか
ないと、業者に見積もりが頼めないことになる。

 当初の計画ではセミ・オープン外構という、自分なりに独自の考え方を創り出して
基本的にはオープン・スタイルの考えを取るも、クローズ・スタイルの要素も部分的
に取り入れて、「防犯にも、安全面にも、そして目隠し効果も良し」として、自分の
アイデアに納得していたが、これを植栽だけで実現させることは難しいかなと感じる
ようになってきた。

 当初は、南側の駐車場をオープン外構にしておくと、スケートボードなどに夢中に
なっている子供たちが道路から駐車場に飛び込んできたときに、事故につながる恐れ
があるので、植木を植えることを考えていたが、駐車場の幅を考えると植木が育って
きたときに息子たちが帰省した時など、大型の自動車だと植木と干渉する恐れがある。

 植木の刈り込みなどで植木の厚みを抑える方法もあるが、梅雨時などの繁茂を考え
ると剪定が追いつかない可能性も出てくる。

 当然、そうなるとフェンスの方が良いということになる。
現在、住んでいる処では、ウッドフェンスにして塗装を2年ごとに塗り直しているが
面倒なところもある。それを考えると・・・
「塗装不要の木目調のアルミ材などを選択した方が良い」と云うことになる。

 午後2時にKホームズの営業担当が到着。早速、打ち合わせに入り、
「木目調のアルミ材」のフェンスで見積もりを取ることにした。


10月13日(水) 晴れ(夜は雨)  操作性は85歳超のときを想定

 朝食を済ませてから建設現場に出向くと、昨日から、取り付けを始めた窓ガラスや
サッシ類がほとんど所定の位置に収まっていた。出窓類はこれからの作業予定のよう
であり、建屋の外側に立てかけてある。玄関ドアは、梱包材に包まれたままの状態で
取り付けられている。

 今回の建築設計では窓デザインにはかなりこだわって決めてきたので、今朝のよう
に窓枠を外から眺めることも楽しみのひとつである。

「北側二階の3連窓は、クローゼットに向けて、背面光線が取れるようにした」
「一階のリビングルームの出窓は、大きく開けてシャッターを取り付けた」
「食卓テーブル脇の出窓は細窓を3連にして洒落たイメージにすると共に防犯を兼ね
て常夜灯の灯りが外部に漏れるようにした」。

 設計標準として・・・
「居室はすべてをペアガラスにする」という考え方も好ましいことである。
それも、この仕様の示すところによれば、「断熱性をさらに進化させたペアガラス」
ということで、一般の複層ガラスに比べて空気層が約2倍相当あるために断熱性能が
格段に向上していると云う。ガラス間の空気層は12mmあり冬季における暖房効果
が期待できる。

 現住居は約28年前に施工したものであり一枚ガラスである。
冬季になると引越し願望が出ていたくらいなので、日当たりの改善と共に「冬季対策」
は万全となる。

 しかしながら、当然、「ペアガラスとなると総重量も増してくる」ので二階のゲス
トルームの横幅一間半に及ぶガラス戸は相当の重量物になってくると考えて、二分割
から四分割に、設計変更して4枚ドアにした。

 これにより一枚当たりのドア重量を軽減できる。

 ゲストルームの二階バルコニーは、洗濯干しの場所に設定してあるので、とうぜん
日常的に利用することになる。かつ洗濯干しは毎日の仕事でありドアの軽量化は必須
と考えた。

この場合の「細部設計は、85歳を超えた女性にも、片手で操作できる」ことである。


10月15日(金) 早朝雨(後)曇り  出窓は一体構造につき安心

 家内は鎌倉のお祭りと孫の運動会に招待されて昨日から出掛けている。小脇に飼犬
を抱えて外を見ると雨は降っていない。それならばと東町の建設現場に出掛けること
にする。「おっ、出窓が取り付けられている」リビングの出窓の実物は迫力がある。

 それは、開口部の大きさからくる印象のようである。今回、出窓が気になっている
のは、かつて、リフォームにおいて失敗しているからである。現住居のリフォームの
際に、一階の北側の部屋に出窓を取り付けることで、開放感を出そうと考えたのであ
るが、これが失敗作となった。

 出窓が、サッシ仕様で外側からの取り付けのため、内側の出窓の部分とは形状的に
一体感はあるものの出窓の外周部に隙間が生じて、ここから冷たい風が吹き込む。
この工事は春に施工したために、冬になってから気付いた。

 急遽、目張りをして寒さを防いだという経験があり、今回は、失敗しないようにと
出窓の細部設計には気を配った。東町で取り付けた出窓は、部屋の内側部分と外部に
張り出す部分が一体構造になっており、隙間風の心配はないようである。
しかし、念のために施工部分を確認しておく必要はある。
その点、「今回は隙間風の心配はないようである」、安心した。


10月17日 (日) 曇り  共同設計者として同感

 この頃の早朝は爽やかな感触があって、「レム睡眠」を楽しむ余裕が出てきた。
しかし飼犬の催促で午前5時には家内が起き出し私は寝床の中で粘りに粘って5時半
に起き出した。いつも通り彩の森におけるラジオ体操が終わって帰路につくと、この
ところ東町の建設現場には行ってない家内が、自分から久々に建築現場を見てみたい
と云うので立ち寄った。

「出窓の細窓3連はいいわね」
「応接の出窓も広くていいわ」
「玄関前もかなり広いわね」
「風呂場のひし型格子も付いたのね」
「和室出窓の外側は無理に通り抜けると危ないわね」
「たしかに、南側のフェンスのデザインは、慎重に考えたほうがいいわね」など、
私自身も感じていた感想が、次々と飛び出してきて、共同設計者としては大いに
共感を覚えた。


10月18日(月) 晴れ  植木類は新規購入で決着

 植木の移植の見積が届いた。予想していた金額よりも高額である。
移植の際の根っ切りの大変さを経験したことがあるので、根っ切りの苦労を考えると
妥当な金額かも知れない。

 しかし、費用対効果の面から考えると、新規に植木を買ってきて植えた方が経済的
かも知れない。そのような思いもあり、近くのガーデニングショップに植木の苗木を
見に行くと、小さな苗木でも縄を巻きつた根っこは大きいことに気付き結論は出た。

「植木類はガーデニングショップで若い植木を買ったほうが良い」
「草花については根が浅いので自分たちでも移植できる」
「楽しいガーデニングは、家内共々に、自分たちで楽しんだ方が良い」
ということになり、迷っていた課題に、上手な答が出た。


10月21日(木) 雨(後)曇り  サイディングの色合いは成功

 小雨の庭に薄日が射しはじめて午前中には雨上がりかと思っていたが、実際に雨が
止んだのは午後3時過ぎであった。今朝は早目に彩の森に出掛けたため雨には降られ
ずにすんだ。

 東町の建設現場では、一昨日から、外壁のサイディング工事が始まっている。
「サイディングの施工が、今の季節で良かったね」などと二人で会話を交わしながら、
同時に湧き上がってくる興味として・・・
「自分たちで選択したイメージ通りに仕上がるといいわね」とカラーコーディネート
担当の家内が云う。願望通りの仕上がりが楽しみな瞬間である。

 外壁材は、シュトレーゼSXという製品をカタログ見本から選択した。
そして、現物見本を狭山台のデザインセンターで確認・・・
「設計士の宮崎さんが外に出て太陽光で確認した方が良い」ということで私と家内は、
玄関の外に出て外壁材の印象を太陽光の下で確認した。

「小片からの想像で全体像をイメージしての判断」になるが、暖かな感じの材質感が
良いということになり決定した。

 現地では、「実際にサイディングがある程度に出来上がり、現物確認が出来そうな
時間に合わせて」、再度、東町の建設現場に出掛けてみた。

「あら良い色合いだわね」
「全体的に暖かい感じがする」と二人で嬉しい会話を交わす。

「落ち着いた色合いである」
「かといって地味な色合いでもない」と云う具合に会話が弾みサイディングの仕上が
りに見通しがついた。


10月22日(金) 曇り  引っ越し業者の決定

 朝の5時半に雨戸を開けて外を見ると暗がりである。半月前に比べても、日増しに
日の出が遅くなっていることが良く分かる。ウォーキング用のウェアも厚手のものに
変えて行く必要がある。

 同時にクローゼット用のチェストも夏物から冬物に切り替えて行く必要がある。

 引越しは12月中旬なので夏物は来年の夏に向けて先に梱包することになる。冬の
衣類はハンガーなどに掛けておき、引越し直前にダンボール箱などに格納。優先的に
開梱できるように箱を識別しておく必要がある。

 当初から引越し用のダンボール箱には、引越し先の部屋と梱包内容が分かる識別票
をパソコンで作成しておくので手抜かりはない。

 これは企業戦士として引越しプロジェクトに参画して・・・
「ジェットエンジンの組立・試運転工場の大移動を手掛けたことがある」ので手慣れ
ている。ここにきて、ようやく、引越し業者をN通運に決めた。最初、地元の引越し
業者に電話したところ、「引越し日が決まりましたら1ヶ月前に電話をして下さい」
と云われて、「あっ、この業者には事務処理能力に限界がある」と即断して、引越し
の依頼を止めた。

 N通運では、近距離の引越し料金サービスを行っていることもあり、
「娘が残していった鎌倉行きのタンスやベッドの引越し」も含めて、総額の見積りを
入手したが、見積額が妥当であり、来週には、引っ越し用のダンボールなどが届くと
いうのも助かる。


10月23日(土) 快晴  万燈祭りと来客

 彩の森入間公園の上池の周辺を鳩の群れが舞うように飛び時に急降下してきて池面
をすれすれに飛んで行く。池の周辺は木々が色付き絵のような風景に変わってきた。

 公園内には入間市「万燈祭り」の演奏会場が準備を完了。市内総出のお祭りに彩の
森入間公園も、一翼を担う段取りが出来たようである。万燈祭りは年毎に内容が充実
してきており、外国人の居住者による出店なども定着してきて、お馴染みのお祭りと
なってきた。

 また姉妹都市という関係から佐渡おけさは、「祭りに興を添えるイベント」として
佐渡のお酒と共に不可欠な存在になりつつある。

 今日は「この祭りに息子の嫁さんのお母さんが鹿児島から、上京してきているので
ご招待した」東町の建築現場のこともご存じの様子であり、せっかく入間市にお邪魔
したので「東町の建築現場も見学したい」ということで、当日は、建築現地に、車で
ご案内した。

「矢吹さ~ん」と声をかけると建設現場に来ていた職人さんが、「矢吹さんなら二階
に居るから、玄関から声を掛けたらいいですよ」と云われて玄関口に廻り込んで行く
と、既に、矢吹さんが待っていてくれて、私と家内が「玄関ドアの前の部分も広々と
していますが、玄関に入ったときの感じもゆったりとしていていい仕上がりですね」
と私と家内が、、まさに初めて見た印象を伝えると・・・

「それぞれの部屋が、標準サイズに比べて広い設計になっていますから造作していて
やりがいがあります」という嬉しい言葉が返ってきた。

 外壁のサイディング工事は最終の仕上げの段階に入ってきており、出窓の造作など
も、巧みで、微に入り細に入り丁寧な出来栄えに納得である。

 全体的に外壁の出来上がりは、想像を超えた感じの良い色具合であり、
「落ち着きのある色合いと華やかさを兼ね備えた仕上がりになったね」と
カラーコーディネーターを担当した家内に「感謝の言葉」を伝えた。


10月25日(月) 曇り  南側フェンスの設計完了

 今日は、午前10時からデザインセンターで、設計士の宮崎さんと外構の打合せが
あるので設計図面などをバッグに詰め込んで午前9時半には狭山台に向けて車を発進
させた。受付の女性に1番ブースに案内されて宮崎さんを待つ。

「定刻の5分前ね」ということで、壁に貼られた建物の風景などを見ながら待ってい
ると「お待たせしました」といつもの穏やかな口調で宮崎さんがみえた。

 テーブルの向こう側に座り対面スタイルで打合せが始まる。

「お忙しい中をありがとうございます」と宮崎さん。
「今日は、南側の目隠しフェンスおよび花壇の確認などで伺いました」と私からの
口上を述べて打合せに入る。

 概略の案はメールで伝えてあるので、宮崎さんも、既に、アイデアがまとめてある
様子であり、順次、アドバイスをいただくことにする。当方も、外構部分については
未確認の事項もあり、逐一、確認をしながら意見交換を繰り返して行く。

今日の打合せにおける結論としては・・・
「南側の目隠しフェンスは道路からの高さが1.8mある。室内からの目線で云うと
既に、床の高さが90cmの位置にあることから、室内からの見え方も、念のために
確認したほうが良い」

「西側の花壇の位置は道路から約20cmの高さになる」
「北側の花壇は道路から約16cmの高さとなる」など要確認事項も明確になった。

 また、南側のフェンスについては、事前にメールで送付した図面を基に見積もりを
お願いして打合せを完了した。

 午後3時過ぎには引越し業者のN通運からダンボール箱などが届いていよいよ大型
書架やタンス類の廃棄に向けて「引越し準備を兼ねた整理と廃棄」、そして、
「梱包作業が本格化することになった」、夜になってメールを確認すると「娘の荷物
の引越し先について、鎌倉の道路状況やトラックの駐車する場所」などについて問い
合わせが入っていた。


10月26日(火) 朝方雨(後)曇り  片付けは重作業

 今朝は天気予報通り朝方に小雨が残っていて、道路も湿っているため、彩の森入間
公園における飼犬とのウォーキングは中止とした。昼頃には、リサイクル業者が来る
ことになっている。子供たちが残していったテレビが4台。使わなくなった小型冷蔵
庫が2台。7LDKのそれぞれの部屋に残したままになっているので、すべて、廃棄
処分にする。そのため、予め、それぞれの部屋から集めて、事務処理などをしやすい
ようにしておこうと考えて、両手で「よっこらしょ」と腰を落として持ち上げる。
けっこうな重作業である。


10月28日(木) 雨  廃棄する重量物は分解

 書斎の庭先が雨に濡れて寒々としているがまだ紅葉は浅く秋を省略して冬に入った
という印象である。家内に頼まれて我が家の二階から、オイルストーブ2台を一階に
降ろした。かなり重いので慎重に運んだ。

 昨年の夏に、子供たち二家族と一緒に奥多摩のキャンプ場にバーベーキューに出掛
けた。そのときに、それぞれの家族が幼児を連れていたために、私が「まだまだ若い
つもりで重量物の運搬を担当」、帰宅してから、肩の部分に強い痛みを感じたため、
接骨院で診断してもらったところ、「これは肩鎖靭帯の損傷ですね」と云われて、
全治までに約10ヶ月間を要した。

 それ以来は、自己診断で「これなら持っても大丈夫な重さ」というものだけを持つ
ようにして気を付けている。今朝のオイルストーブは二階からの階段を考えても大丈
夫と判断して運んだ。今朝も、大型の書架を市役所に頼んで廃棄処分にする関係で、
「庭先まで搬出する必要があり」、一人では動かせないので「可能な限り分解して」
家内の手も借り外に出した。

 早朝は、雨が降っていなかったので、彩の森ウォーキングはいつも通りに出掛けた
こともあって、飼犬は満足して私の書斎の脇の椅子で熟睡している。


10月30日(土) 台風14号  鎌倉向けの荷物の引っ越しは延期

 朝から雨が激しく台風が来るという。東町の建築現場は、サイディングおよび屋根
工事といった外回り部分の工事を完了しているので、台風の影響は心配ない。
それに、矢吹さんが常駐的に作業を続けていることも安心できる重要な要因である。

 鎌倉への引越し日程も11月20日の土曜日に決まった。
大型家具類の廃棄処分を優先させたために、鎌倉向けの娘の荷物の引っ越は、
11月中旬の予定から下旬に延期した。


10月31日(日) 雨(後)曇り  整理ダンスの廃棄処分

 午後には、整理ダンス2個を二階から一階に降ろして、さらに庭に出す作業がある
ので、先ずは引き出し類から降ろして最後に本体部分を階段経由で階下に降ろした。

 昔ならば一人で一気に降ろせるが「肩鎖靭帯を損傷してから」は無理な重量運びは
避けるようにしてきている。庭に出しておけば、後は、日程は自由に決められるので
ひと安心である。

 食卓テーブルも、二階のものを一階に降ろして、一階の6人掛けの大型テーブルを
外に出す考えでいたが、一部のネジが欠落しているために、東町への引越し前に持ち
越した。二階のテーブルは、池袋シティタワーのセカンドハウスから引き上げてきた
ものである。引越し業者が分解用の道具を持参していて分解したままにしていたもの
であるが、今回も、「N通運なら組立・分解ツールを持参して来るだろう」と勝手に
想定して、引っ越しのときに対応と決めたものだが、道具一つで作業の可否が決まる
というのも面白いことである。


11月2日(火) 晴れ  対面キッチンの出現

 昨日は家内を駅まで迎えに行き帰り道に東町の建設現場に立ち寄るとサイディング
は既に完了していて、車の中から、建築現場の室内を覗き込むと、一階の奥には対面
キッチンが姿を現していた。

 駐車してある車には、金物店の名前が書いてあったので、矢吹さんの大工仕事とは
並行的に進められている内装工事も、一階部分に降りてきているようである。
 
 午後には現住居の庭に出しておいた、「粗大ゴミ扱いの整理ダンス2個を市役所が
回収に来て」、いよいよ引越し準備もまっさかりとなってきた。


11月3日(水) 晴れ  ブルーインパルスの曲技飛行

 彩の森入間公園の駐車場は航空ファンの車でごったがえしていた。文化の日は入間
航空祭と決まっており、遠隔地からも大勢の人が押しかけるために、
「彩の森入間公園の駐車場も午前5時半に開門した」という話をラジオ体操愛好家の
仲間が教えてくれた。

 久々に、入間航空祭に行ってみようかということになり、飼犬も連れて、航空祭に
出掛けた。入場チェックで「かごをお持ちですか?」と自衛官がたずねてくるので、
意味が理解できないまま、「持っておりません」と答えて飼犬用の肩に掛けたカバン
を提示した。「他の入場者への配慮から、かごに犬を入れて入場する必要がある」と
いう追加説明があり理解できた。

 結果、飼犬を自宅に残しての再度入場となった。
ブルーインパルスの曲技飛行が、良く見えるという場所に、私と家内は座り込んで、
「午後2時半からの航空ショーの曲技飛行を見て」歓声をあげた。

 そして「花形の飛行機の心臓部に当たるジェットエンジンは、私が長年勤務して
いた企業が設計・製造したものだ」と家内に伝えたところ、既に、承知していた。


11月5日(金) 晴れ  建物保存登記の準備

 彩の森入間公園からの帰途にカーラジオで、「今朝は一番の寒さとなりました」と
報じていた。まだ、私の誕生日の1月下旬の寒さに比べたら、はるかに暖かいという
印象ではあるが、本格的な冬支度が必要になってきているようである。

 そこで、先ずは、引越しを迎えるにあたり、「ポリタンク全数をガソリンスタンド
に持って行き」、空にしてもらった。そして1個だけは、満タンにしてもらって、
使い切ったら再補充という作戦で凌いで行くことにした。

 一方で引越しの手続きも本格的に始まる気配が近づいてきてJグループの松本さん
が必要書類を抱えて説明に来られた。当面、準備する書類は、「建物表示登記と建物
保存登記に関するもの」で案内書きの説明によれば「建物表示登記は土地家屋調査士
が登記をするものであり、建物においては土地とは異なり自然に存在する性質のもの
ではないので、何処にどのような建物が建っているのかを登記するものである」、
「建物保存登記は司法書士が登記するもので、建物表示登記が所有権に関するもので
はないため、だれが所有者であるかを登記するものが建物保存登記である」と云う。

「この手続きに添付する書類としては、住民票と印鑑証明が必要である」など
親切・丁寧に説明されてお帰りになった。


11月6日(土) 晴れ  設計士宮崎さんの人事異動

 今日は、狭山台のデザインセンターで設計士の宮崎さんと「外構プラン」について
打合せがあるので、いつも通り午前9時30分に私と家内は一緒に車で家を出発した。
途中で渋滞もあったが現地には午前10時に到着して、間に合うことが出来た。

「外構プランの一環で南側フェンスを幅7m、高さ1.8mで設置した場合の見積り
が出た」という。予想をはるかに超えた金額であり、最上級の製品を選択した結果で
はあるが、費用対効果の面から考えて・・・

「それほどに入れ込む必要のあるフェンスでもない」ので別の案を考えることにした。
南側フェンスは、「なかなか計画の折り合いがつかない」案件である。

 ことの始まりは、「スケートボードなどに乗った子供が車の前後に滑り込んで事故
を起こしても困るという考えから出発したもの」だが、やがて、リビングに向けての
目隠しフェンスに考え方が発展して、高さも増して行き、本来の狙いからは逸脱した
感はあるが、「これを発想の発展とみるか?」、それとも、「当初の計画からの逸脱
とみるか?」判断の難しいところではある。別次元の発想として、「外から見えない
背の高いフェンスは、泥棒が潜伏しやすい」として防犯のプロが指摘していることも
あり、今日までの経緯を振り返ってみる必要はあるが、最終的には、防犯という視点
からしっかりとチェックして行く必要がある。

 帰宅後、代案として考え出した計画は・・・
「幅7m、高さ1.8mのサイズはそのまま採用して、全体を高価なアルミフェンス
の構造体とする考え方を改めて」、「土台を化粧ブロックで固めることにより強風に
対する剛性をもたせると同時に価格の低減を狙う」、「その上にアルミのフェンスを
載せる」、「これによりコストの大幅削減が可能になる」、「フェンスは横張として
スリットの入ったものを採用する」、これにより塀の向こう側が内側からも外側から
も見えるようになるので、防犯上も目が行き届くことになる。

 同時に、室内から見た場合の高さも点検したが的確な高さと判断した。これにより
最終段階まで決まらなかった南側のフェンスの設計も完結した。
(後に、これはグッドデザイン的な存在となって役立つことになる)。

 それにしても、設計士の宮崎さんとの打合せ終盤で・・・
「今月の11日に古巣に帰任すること」になりましたという話には、
私も家内も少々驚いた。

 しかし、「我が家の契約が成立すれば、東町の戸建団地も完売です」とは、聞いて
いたので、「我が家の設計が完了すれば東町の住宅設計はすべて完了であり、あぁ、
その時が来たのか」という気持ちで自分を納得させた。

 しかし古巣は「大泉学園の設計事務所である」とお聞きして安心した。
これからも住居が完成するまでは引き続きご支援いただけるということであり、電子
メールのアドレスについても従来通りということを確認させていただき、
「心配ご無用」と家内と二人で顔を見合わせた。

「今回、我が家の建築設計では良き設計士さんに恵まれて感謝しております」と二人
で御礼の言葉を申し上げて「今後の宮崎さんのますますのご活躍」を祈念した。

 午後には建築現場に出掛けて「南側のフェンス関連の寸法取りの再確認」を行った。
宮崎さんの古巣への人事異動の話もあり、矢吹さんに声をかけたところ・・・
「既に、ご存知であり」設計部門と建築現場の間での意思疎通は完璧のようである。

「さすが、Jグループ」と云えるコミュニケーションの良さである。
矢吹さんから、「仕事に支障のない範囲で二階の仕上がり状態を見て行きますか」と
いう声が投げかけられて、「喜んで」と二人で満面の笑顔で応えて矢吹さんに付いて
行き、二階に登らせていただいた。

「先ず階段を登る歩幅がゆったりとしていて嬉しい」
「階段の手摺の裏側には指がかかるように細工がしてありきめ細かい配慮を感じた」
「階段を登りきると、ゲストルーム用に設けたクローゼットが使い易そうである」
「ゲストルームは南側のガラスドアが一間半あるため明るくて広々としていた」
「奥の書斎も南西の眺望が開けていて開放感抜群である」
「北側のクローゼットは背面光線が目に優しい」

 そしてなによりも、「仕事が丁寧なことが、仕上がりの良さから伝わってくる」。
矢吹さんに、「丁寧な仕上がりですね」と話しかけると・・・
「厳しい日程でしたが、日々の時間を増やすことで良い仕事が出来ました」と匠の
世界の凄い人ならではの手抜きのない仕事ぶりが、その一言によって二人には十分
に伝わってきた。



第三章  冬が来てやがてまた春を迎える

 俳句の歳時記によれば、「立冬から立春の前日までを冬」と、している。
立冬は11月7、8日以降であるから、匠の世界の矢吹さんが立冬が来る前に我が
「T&Kのついの棲家Ⅱ」に建築の目途を付けたということは驚異的な偉業である。


11月7日(日) 曇り  大型食器棚の発注

 早朝の彩の森ウォーキングの勢いそのままに朝食後、洋服ダンス2個を庭に出した。
近日中に市役所で粗大ゴミの回収に来る段取りである。昨日、東町の建築現場で見せ
ていただいた二階には・・・
「大型クローゼットが設えてあるのでタンスの引越しは不要であり」
現住居で使っているタンス7本は廃棄処分することになる。

 午後には「新規に購入が必要な物品の手配」に出掛けた。
「これはデザインが良いわね」ということで大型食器棚を発注した。
キッチンに、ぴったりと収まるサイズである。
「このパソコン机はデザインが斬新」ということで、書斎用の机も購入した。
現在の机は大型すぎて、東町の二階に予定している書斎には収まらないため
買い替える必要があった。


11月8日(月) 晴れ  ダントツの決断力と直感

 彩の森入間公園におけるラジオ体操の場所を、管理センターの前庭に変えてから、
朝日の昇る様子が良く見えるようになってきた。東町に、引っ越すと彩の森までは、
自転車で約8分の近距離になるので嬉しさも倍増である。

 朝食後、久々にJグループの入間支店を訪問して、営業松本さんから、
「入居までのスケジュールの流れと資金調達のタイミングなどを確認」。
引越し準備もカウントダウンの前段という雰囲気になってきた。

「こういう臨戦態勢になってくると、家内の方が決断力において抜群に優れている」
と思いながら、黒部ダムの旅行に出掛けたときのことを思い出した。

「あの時はトローリーバスに乗り込む際に、家内が右方向を目指すところを、ボクは
左方に、それも強引に家内の手を引っ張って乗り込ませた」
「結果は乗り込んだバスは満杯状態であり」
「右手のバスはガラ空き状態であった」

 それからというものは、いざというときに、意見が分かれた場合には、それがどん
なに些細なことでも家内の直感に頼ることにしている。

 それが、なにごとも成功につながる。
今回の東町への引っ越しも、その直観を当てにしてきた。


11月9日(火) 晴れ  初冬の脳内シミュレーション

 彩の森入間公園も、紅葉が盛りとなり、初冬という風情になってきた。
東町の建築工事の進捗に伴い、関連する用件は、概ね手配を完了したつもりでいるが、
抜けや漏れがないかを点検しておく必要がある。風呂場で髪を洗いながら脳内の点検
シミュレーションのスイッチをオンにした。

 この脳内シミュレーションは、便利なことに「いつでも録画・再生が可能であり」、
反省機能も装備している。

◇ 玄関に向かって、左手にポストが位置しており、表札は手配済みである。

◇ Jグループが提供する郵便受けは、現在のものに比べて小ぶりであるがしばらく
 使ってみることにする。旅行などで留守にするときのことを別途考える必要がある。

◇ 建物外観のサイディングは落着きのある色調で華やかさもあり成功と云える。
 ただし、玄関ドア周辺の石調のサイディングが気になるが、柿渋調の玄関ドアとの
 色合いのバランスは梱包を解いた後でないと判断は難しい。

◇ 玄関脇のシューズ・イン・クローゼットのドアの開け方は、右手で開けてドアを
 外側に押しやった場合に、少し遅れて玄関を入ってきた人がドアエッジにおでこを
 ぶつける心配があるため勝手反対に設計変更したが正解であったようである。

◇ 玄関を入って右手のシューズボックスは使い勝手が良さそうであり、台の上には
 生け花や飾り物を置く場所として最適である。

◇ 玄関に立って奥に向かった開放感は、階段下までに余裕があるので、ゆったり感
 はある。

◇ 玄関からキッチン&リビングへの入り口は引き戸にしたが軽く操作できてガラス
 による採光も良く成功と云える。
 (設計士の宮崎さんがV字レールを採用した効果でもある)

◇ 引き戸を開けて右に行くと洗面台に突き当たる。スペース的には幅90cmある
 ので広々と使える。洗濯機の上の窓も大きくて明るい。

◇ 浴室は西側からの採光のため明るくて気持ちの良い入浴が期待できる。

◇ キッチンの食器棚は、高さ2.4mのものを購入したので収納力は大きい。また
 幅は1.8mであり、隣に冷蔵庫を並べても、入浴時に、通路側にバスタオル類を
 置く場所はとれる。

◇ キッチンはリッチグロスシリーズのホワイトゼブラを採用。品の良い色調であり
 購入した食器棚も同系色にしたのでマッチングも良い。

◇ 対面キッチンは、まだ施工がこれからだが、出来上がりが楽しみである。

◇ ダブル出窓は、開放窓と3連の細窓の組合せにして、趣向を変えてみたが成功と
 云える。

◇ リビングと和室の間の襖は、3連式にして、約2m幅の開放感を維持できるよう
 にしたが、同時に襖の位置を変えるだけで、雰囲気を変えられるのでデザイン的に
 は大成功である。

◇ 和室8畳の天井には天然材を使ってみたが、これも、デザイン的には良かったと
 考えている。

◇ また、和室出窓もデザイン的に優れもの、矢吹さんのセンスが生かされている。

◇ 私がこだわった階段下の奥行きのある押入れも使い勝手が良さそうで安心した。
(これに続く、二階のシミュレーションについては、後述することにする)


11月10日(水) 晴れ  匠の世界の大仕事が完了

 冬初めという季語があるが、早朝の彩の森入間公園内は、短い靴下では足元が寒い
季節になってきた。朝食後の書斎からは気持の良い晴天がどこまでもひろがっている。
この青空の下で、東町の建設現場では足場が外れ周囲を覆うシートも取り除かれた。

 昨日の夕方、用事が出来たついでに建築現場に寄り道をして、気付いたのであるが、
家内共々、あらためてサイディングの出来栄えの良さにうなずきあった。

 ちょうど、矢吹さんが一階和室から出てきたので・・・

「無理な日程のなかをありがとうございました」
「丁寧な仕事の積み重ねは素人の目にも良く伝わってきます」
と二人揃って、感謝の言葉をお伝えすると、

「そういっていただけると嬉しいです」
と矢吹さんも満面の笑顔で応えていただき、こちらもますます嬉しさが増す。

「矢吹さんの仕事は最終段階まで連続操業に近かったことを知りまして驚きました」
「朝の仕事始めの早いことを知ったのは、早朝ウォーキングの帰りでした」
「あの時は腕時計を見ると、まだ午前7時であり家内共々驚いたことがあります」
「夕方も、午後7時くらいまで仕事をされていましたよね」
とこちらが、驚きの連続であったことをお伝えすると、
さらに、驚くべきことが矢吹さんから伝えられた。

「ご近所に気を使いながらでしたが、実は、午後7時よりも遅くまで、仕事をして
いました」と云うことである。

 二人で言葉を失って、「そうだったのですか」と言葉がやっと出てきた。

「一階の和室8畳が最後の仕上げになりましたが、明日までには、大工仕事はすべて
完了しますので、明日からはクロス貼りの作業に着工の予定です」ということで話は
終わった。

 あの時「我々二人の満足感」と「矢吹さんの達成感」は、匠の世界における大仕事
が完了したという合流点において、幸せな気持を共有することができ、二人で心から、
「ほんとうにありがとうございます」と挨拶を重ねて幸せな帰途についたことを鮮明
に覚えている。

 さて、昨日の脳内シミュレーションによる総点検の続きである・・・

◇ 一階から二階へのゆるい階段の傾斜は、家内が熱望したデザインであり希望通り
 の出来上がりには家内共々大満足である。手摺を握ってキメ細かな配慮が伝わって
 きた。指の腹にフィットするひだが刻んである。

◇ 階段の踊り場も一畳相当で広めにとってある。これは、階段を遊び場所にする孫
 たちにも安全設計になっている。群馬に住んでいる妹が階段から滑り落ちて、お尻
 を激しく打ったという話も聞いているので、洗濯物をもって行き来する家内や私に
 は嬉しい配慮である。

◇ 階段を登りきった右手がゲストルーム用の押入れになっており、框組の粋な扉は
 操作が軽やかであり、押入れは幅1間半の収容容積になっているので、現有の客用
 布団は全部格納できる。

◇ 左手の洋室はゲストルームとして、子供たちの家族が遊びに来たときに泊まれる
 ように準備したものであるが、広さがちょうど良い。

◇ このゲストルームの南側の窓を兼ねた出入口は、バルコニーを兼ねた洗濯干し場
 につながる構造なので、軽く開閉が出来るように4分割にした引き戸は成功である。

◇ 東町の住居は設計の基本コンセプトとして、家内が85歳になったときにも快適
 に暮らせるような設計を目指した。この4分割のガラス戸も、コンセプトに沿った
 設計であり、一階のリビングと和室のシャッターを電動にしたのも、同じ考え方に
 沿った設計である。

◇ 二階の東側細窓2連と西側の細窓も採光が良く成功と云える。

◇ このゲストルーム2箇所の細窓ゾーンのカーテンはシェードタイプにした。池袋
 のセカンドハウスから、引き揚げてきた、大型のカーテン生地を使って、シェード
 タイプのカーテンに再利用するアイデアは、カーテンを扱っている販売店の社長が
 考えてくれたもので、良心的なサポート体制から大いなる信頼感が伝わってきた。

◇ 洋室南側のバルコニーは、L型の配置にしたが外側のサイディングの仕上がりが
 良く魅力的な外観となり、生活面からも洗濯物と布団類を場所分けして干せるので
 便利である。

◇ 二階の廊下の奥に書斎を配置した。南西の角部屋で明るくて見晴らしがよい部屋
 である。現在使っているテーブルは、大きすぎて持ち込めないので、新規購入した
 パソコン机を自分でキット組みして交換して行く考えである。

◇ 北側クローゼットは、最も間取りを工夫したエリアで背面光線を活用して、衣類
 を出し入れ出来るように、1間半の幅で横方向に直線的に配列した。

 話題は変わるが、「引越し日程は、幅を持たせて、12月12日の大安に着手して、
18日の大安に完了する予定とした」、N通運による引越しは、12月15日の友引
を予定している。

 その前に娘の鎌倉への荷物は11月20日に運搬する。引越し準備の本格的な開始
をする前に、一階から二階まで書籍を詰めたダンボールを一気に8箱運んでみた。
膝に痛みを感じたので、「一階のものは一階の引っ越し荷物集積エリア」に集めて、
「二階のものは二階の集積エリア」に集めるようにして、階段は出来るだけ使わない
引っ越し準備を考えた。


11月12日(金) 晴れ  超重量物の廃棄処分

 今朝は午前6時半に起床。彩の森ウォーキングは中止とした。飼犬にとっては期待
が外れたが、家内が現役のときに通っていた都内の歯科に行くための対応である。

 私の朝一番の仕事として息子の使っていた大型タンスを廃棄処分にするために庭先
まで出す作業を予定していたので、出掛け前の家内に手伝ってもらって済ませた。
このタンスは超重量物で通りかかった酒屋の配達の方が「朝から、たいへんですね」
と声をかけて行くほどの重作業であった。

 午後にも大事な仕事が二つある。
「1つ目は外構工事に合わせて行う植木の移植(引越し)の手配」
「2つ目は市役所の粗大ゴミ回収への立会いと代金の支払い」

 設計士の宮崎さんから紹介された植木職人は手際が良く、
「それでは引越し対象の植木に印をしておきましょう」と約10本の植木に手早く
テープを貼りつけている。
「この手際の良さなら、植木の移植をお願いしても安心」と思った。


11月14日(日) 曇り  混沌としていた書斎の整理も完了

 今朝の彩の森ウォーキングは普通に歩いていても汗ばむほどの陽気である。
飼犬は枯葉の中での匂い嗅ぎが至福の喜びのようなので飽きずに付き合うことにした。
その間に、家内は彩の森の外周をウォーキングできるので、お互いに都合が良い。

 彩の森入間公園も家の書斎の庭先も、すっかり色付いて曇り空ではあるが昔の映画
「黄昏」を想い出す光景である。外国の紅葉の中での夫婦の暮らしぶりをみて、
日本人の多くが、「晩年は、かくありたいものである」という共感を覚えたのは、
はるかに遠い昭和の時代のことであるが昨日のことのように覚えている。

 また、主人公が不仲であった娘との絆を取り戻すシーンでは、
「時間の経過という薬の効き目」を再認識させてくれた。

 今日は混沌としていた書斎も片付き、腰を据えて、引越し準備に取り掛かれる。


11月19日(金) 晴れ  玄関ドアは和洋折衷のモダンタイプ

 今朝は、午前5時50分の目覚ましを聞きながら、昨日のテニスで張り切りすぎた
せいか、起き上がる気になれなくて、早朝ウォーキングはパスした。たまには陽だま
りのある芝生で遊ばせるのも良いかと考え、午後2時頃に彩の森入間公園に自転車で
出掛けてみた。やはり大勢の犬連れの方が見えていて、この季節は昼間の散策も良い
ものだと考えた。

 夕刻には、家内がひばりヶ丘の孫の育児応援から帰ってくるので、相談することに
しよう。彩の森の帰り道に、自転車の前かごに飼犬を乗せたまま、東町の建設現場に
寄ってみたら・・・

「ハウスクリーニングをしていた」
「リビングのフローリングのシートカバーも、外されて綺麗に雑巾がけされており、
落ち着いた色調に仕上がっていた」
「天井にはシャンデリアが取り付けられていて、日常生活を過ごす上でも違和感の
ない照明器具という印象を受けた」。

 玄関に廻ると玄関ドアが開梱されていて、和洋折衷のモダンタイプという造りと
色調で、気になっていた壁材とのバランスも良く成功といえる。

 外灯も素敵な存在感があった。


11月20日(土) 晴れ  鎌倉に向けて荷物の搬出

 我が家の庭先で、柚子が実をつけ、どうだんつつじが紅葉の盛りになってくると、
駐車場の脇にある散水栓に防寒着を被せて冬支度をする必要がある。散水栓は北側
にあるため厳寒のときに水道が破裂したことがある。

 今日は、散水栓の上に毛布を敷いて引っ越し荷物を搬出する必要がある。鎌倉に
嫁いだ娘が残していった荷物で・・・
「ベッドや洋服タンス・整理ダンス、そして布団・CD・衣類」などを入れたダン
ボールを一箇所にまとめて引越し業者が仕事をしやすいように家内と一緒に朝から
準備を進めた。引越し業者は、午前9時過ぎに到着。門扉を外して、通路を確保。
荷物量の見立てと積み込み順序を決めるため、早速、二階に上がって段取りを決め
作業に取り掛かった。

 洋服ダンスは布地で覆い、これならば、傷付く心配もなく輸送中に傷が付いたので
はないかなどといったクレームが来る心配もない。これこそ長年の経験を積み重ねて
クレームを貴重な顧客の声として捉えて進化してきた証のように思われた。

 引越し業者の方から「高速道路の朝比奈の出口は今の季節は混んでいませんか?」
と聞かれて、家内が鎌倉の娘に電話を入れると、若旦那が電話口に出て、
「今の時間なら混雑はありませんよ」と回答、鎌倉に向けて出発した。


11月21日(日) 晴れ  南側の電動シャッター設置

 朝から気持ちの良い晴れ間で、引越し荷物のダンボール詰めも、手際良く進められ
そうだ。昨日は娘の荷物が片付き二階の東南の角部屋が空いた。まだリフォームした
ばかりであり綺麗な部屋である。この部屋にダンボール詰めした荷物を集積させて、
順次、各部屋を片付けて行く段取りである。

 東町の建設現場は、昨日、日程通りに外構工事が始まり先ずは北側のエコキュート
のプラットフォーム造りから、着手して行って、エコキュートの貯蔵タンクやヒート
ポンプの台座造成を優先するようである。

 南側の2箇所の窓は、内装作業が進んでいる段階では、開放されていたが・・・
電動シャッター設置に伴い締め切った状態に変わった。内装は大方が完了した様子で
ある。Kホームズで調達した「表札」は12月6日の内覧日に現地で現場監督に手渡
すことになった。ここまで来ると入居までのカウントダウンも間もなく開始である。

 彩の森ウォーキングも早朝から昼型に変えたので、朝方はゆったりの生活スタイル
になった。スポーツ記事によれば「冬季は昼型の運動のほうが良い」と云う。


11月22日(月) 曇り時々雨  都内で家具類の調達

 雨がまだ降ってこないうちに、家内を駅まで送って、そのまま、Jグループの入間
支店まで車を走らせた。登記上の住所の確認と現住居を購入して下さるお客様への引
渡しのための必要書類および当日の時間割の確認。引渡しに際しての午前中の飯能地
域の銀行における手続きから、午後の入間における手続きなど、全体を効率良く進め
る必要があるため詳細な打合せを行った。

 その後は、家内を駅まで迎えに行き、「どうだった」とたずねると・・・
「都内の家具店には午前10時頃に到着して、テレビ台の寸法のちょうど良いものが
見つかり、お気に入りのベージュ色のソファも見つかりました」
と嬉しそうな、お土産話が返ってきた。


11月25日(木) 晴れ  南側アルミフェンスの発注

 このところ、設計図の確定までに、長い期間がかかっていた南側フェンスの仕様が
確定したので発注した。これによりJグループの外構工事の一環として施工が出来る
ことになり、引越し前に完成させる見通しがついた。


11月26日(金) 晴れ  外構工事の開始

 家内が午前中に健康診断の結果を聞きに病院に行くということで家内を送った帰り
に、東町の建設現場に寄り道すると、外構工事の職人さんが手押し車で建材を運んで
いた。昨日は、つる薔薇のアーチの取り付け位置の確認のために、現地に出掛けたが、
エコキュート機器を据えるための台座のコンクリート養生中で、現場には、誰もいな
かった。現場では、エコキュート機器が玄関の脇に待機していた。

 機器は真新しいスノコを下に敷いて、新品の商品が汚れないように工夫していた。
北側から西側にかけての建屋の外周の化粧ブロックは、二段積みで綺麗に仕上げられ
ていた。この高さは道路から台所の勝手口に上がる場合にも丁度良い高さと感じた。

 勝手口正面に、つる薔薇のアーチをかければ飾りと目かくしを兼ねたものになるの
で下に敷石でも置けば、全体の構図としてもまとまりが良いものになる。


11月27日(土) 晴れ  蔵書の廃棄まだ60%

 東町への引越しのカウントダウンは12月1日に開始する。
12月10日が新居の引渡予定日なのでちょうど数えやすい。そのように考えると、
11月も残り日数3日間となってきて、引越し準備も気合を入れて取り組む時期に
なってきた。そんな訳で、今日は書庫の整理と荷造りから始めた。

 現在は、書斎と書庫を別の部屋にしているが、東町では書斎と書庫が合体する。
既に、書籍の60%近くは廃棄したが、実際に書斎に持ち込む書籍の量はさらに
減らす必要がある。


11月28日(日)晴れ  郵便受けのポール設置

 久々に彩の森入間公園に飼犬を連れて行き、大好きな落葉踏みが出来る場所を選ん
で歩かせた。この頃は匂い嗅ぎ専門でなかなか歩こうとしない。特に気に入った匂い
には身体を仰向けにして、自分の背中をずりずりと擦り付けているが・・・

「なにを意味しての行動?」と、そんなことを考えながら、
「今日は東町の引っ越し先までの徒歩の時間を測ってみようか」と、思いつき、

 彩の森からの歩行時間を測ることにする。「行動開始」とばかりに、歩くこと7分
で中間位置と思われる富士見公園に到着。さらに7分で東町の建設現場に到着した。

 彩の森入間公園から東町の「T&Kついの棲家Ⅱ」までは、約15分とみておけば
十分なようである。

 東町の建設現場では、玄関アプローチに、郵便受けのポールが建てられて、階段の
ステップに色取りの良い飾り石とレンガが貼り付けられていた。


11月29日 (月) 晴れ  エコキュート機器の設置完了

 書庫の天袋の中に預かっていた、子供たちのカバン類やガラクタものを紐で括って
まとめて、月曜日扱いのゴミとして出した。粗大ゴミの処分は早め済ませたが小さな
不用品などは、収納エリアを整理する度に次々と出てくる。いよいよ、引越し準備も
ローリング作戦の段階に入り端からチェックして行く。

「これは持って行く」
「これは置いて行けるもの」
「これは捨てて行くもの」

 この3択で決めて行くのだが、中には、迷うものもある。

 一方で東町の建設現場は最終の仕上げ段階に入っており、外構工事の北側の進捗に
伴ってエコキュート関連の機器が台座の上に据え付けられて稼動待である。玄関には
装飾用の石材が届けられ、現在、進行中の南側フェンスの基盤となる化粧ブロックが、
芯に縦筋を通して施工完了すれば、玄関および南側の駐車エリアに、コンクリートが
一気に流し込まれ、それぞれに、化粧用石材の貼り付けが終われば、後は、コンクリ
養生の段取りになると思われる。


11月30日(火) 晴れ  南側フェンスの工事進行

 冬晴れの気持ちの良い朝である。明日からは早や師走となり、だんだんと気忙しく
なって来る。東町の建築現場は、南側のフェンス工事が化粧ブロックの積み上げから
始まっており、設計したイメージ通りに進んでいる。

 目かくしを兼ねた事故防止用のフェンスとしては、良い仕上がりが期待できそうで
ある。建設現場で工事監督の中村さんに久々にお会いした。ここに到るまでの感謝の
気持ちを伝えることが出来て良かった。

 同時に、植木の移植を手配して下さった簗瀬さんにもお会いすることができ親交を
深めることが出来た。


12月1日(水) 晴れ  駐車スペースの工事着工

 鎌倉ファミリーの処に、二泊三日で出掛ける家内を駅まで送り、その後は気分転換
を兼ねて散髪に出掛けた。気分もスッキリしたところで飼犬を連れて彩の森入間公園
を散策した。帰路に東町の建設現場に寄って職人さんに挨拶。玄関アプローチの飾り
石の敷き詰め作業が始まっていた。

 働き者の職人さんの手順を拝見していて、センスの良さが伝わってくる。
最初に大きな飾り石を配置して、その後で隙間に飾り石を砕いてパズルのように貼り
込んで行く。南側のフェンスは化粧ブロックが、既に、5段積みされており上部には
横張りフェンス用の支柱が建てられて、後は、コンクリートでがっちりと固める段階
まで来ている。

 駐車スペースは下層に相当する部分に砂利まきが施されており、次の工程を待って
いる段階である。明日からは工事監督の中村さんが研修に出掛けるため一階と二階の
窓部を開放して部屋の空気の入れ替えを実施すると云う。

 内覧会は12月6日大安に設定されて、お互い、日程的に都合の良い日であった。


12月2日(木) 晴れ(後)夜は雨  南側フェンスは塗装が不要

 今週から、テニススクールの練習は休みにして、引越し準備を最優先とすることに
した。早速、下駄箱の裏のめったに空けない押入れを調べておかないと、引越し前に
粗大ゴミなどが出てきてもいやだなと考えて、「開けてビックリ」である。

「古いテレビ・古いミシン・旧型のテニスラケットなどがぞろぞろと出てきた」

 テレビは、Y電機に持っていって廃棄処分をしてもらった。もちろん有料である。
テニスラケットについてはテニスショップに廃棄処分をお願いした。ミシンは粗大
ゴミ扱いで市役所に廃棄処分してもらうことにした。

 やはり、早目に、下駄箱の裏の押入れを開けて正解であった。

 一方、東町の建設現場では、南側のフェンスの横板が姿を現しアルミ材なのに木材
の味わいそのものなので驚いた。

 メンテナンスのためのペンキ塗りが省けることがなによりも嬉しい。


12月3日(金) 雨(後)晴れ  事前にインターネットで転居届

 市役所の総合クリーンセンターから粗大ゴミを取りに来てくれる方々が仕事がしや
すいようにと、駐車場の車を他所に移動するだけのことで、着ている衣類が濡れてし
まうほどの強い雨脚であったが、ゴミ収集車が到着したときには、すっかり雨が止ん
でいて助かった。

 引越し準備に伴う粗大ゴミの発見も、「これにて終わりかと思っていると」、また
出て来るので、現住居の引渡し日の12月20日までは、粗大ゴミの処分が続くもの
と覚悟を決めた。

 庭で、粗大ゴミを出した後の片付けをしていると、顔馴染みの郵便屋さんが見えた
ので近日中に引越しする旨を伝えると・・・

「転居届けは本社で受け付けてから、事務手続きが始まるので出来れば早目に出して
おいたほうが良いですよ」と助言をいただいたのでインターネットで登録を済ませた。

 午後3時頃には家内が鎌倉から戻り、駅に迎えに行って、そのまま東町の建設現場
に立ち寄り、南側のフェンスの出来栄えに満足気な様子であった。


12月4日(土) 晴れ  粗大ゴミをセンターに持ち込み処分

 今朝は暖かな陽気で庭の片付けも苦にならない。家内と二人で庭の粗大ゴミを車に
積み込んで、市役所の総合クリーンセンターに出掛けてみた。今までは自分の車には
積み込めない長尺物の類を粗大ゴミとして出してきたため、市役所には運搬も含めて
廃棄処分を依頼してきたが、今後は、粗大ゴミとはいえども自分の車で運べる大きさ
のものばかりになってきたので、総合クリーンセンターに直行して、廃棄処分を体験
してみた。

 先ずは、第1ゲートで担当スタッフから・・・

「家庭ゴミですか?」
「産業廃棄物ですか?」と聞かれて
「家庭ゴミです」と答えると

「2番ゲートに向かってください」と云われて自分の車を進めて行くと、順番が来て、
「廃棄物を手渡しする」と、その場で端末入力が行われて即座に料金票が発行される。

「さすがに素早い」

 第3ゲートが料金支払いの窓口になっていて現金の支払いが済めば、すべての工程
が完了するという手順になっており。実に俊敏な対応であると云える。

 これからの「粗大ゴミの廃棄処分の手順が大まかに呑み込めたので」、
今後の粗大ゴミの処分には容易に対応できると感じた。


12月5日(日) 晴れ  駐車場のコンクリ養生

 今日からは、引越しの準備が途中の段階の部屋を端から、片付けて行こうと考えて、
朝から、作業を始めた。先ずは、書庫に狙いを付けて、書籍類のダンボール詰めから
注力した。

 家内は、作業ペースが手早いので、台所や衣類の整理そして庭の片付けなど早々と
片付けてフィットネスクラブに出掛けた。

 私は、なにごとも急いでものごとを進めるのは自分の性格から云って好まないので、
しばらくは、テニスを止めて引越し準備に集中することにしている。
 
 どちらかというと緊張するタイプなので、期末試験や旅行の前などにはいつも好き
なことも止めて取り組む癖がある。これも性分なので、気持ちが急いているなかでは、
楽しめないという気の小さなところが、大いに影響しているのだと自覚している。

 コブクロが背の高い人と標準の背の人でコラボして、グッドハーモニーを奏でてい
るように、「我が家でも、気持ちの大きな家内と気の小さいボクとで、味わいのある
ハーモニーが東町でも継続して楽しく奏でられれば」と考えている。

 その東町の建設現場では駐車エリアなどのコンクリートの養生が進んでおり、家の
周囲が広々としてきた印象である。

 明日は東町の建屋の内覧が午前10時から予定されている。


12月6日(月) 晴れ(大安)  新築住居の内覧

 東町の新築住居の内覧は午前10時から開始された。かつて、デザインセンターで
間取図などを設定する打合せが、毎週、月曜日の午前10時からであったので・・・

 時間的に、設計士の宮崎さんとのデザインミーティング(設計会議)を思い出しな
がらの内覧となった。内覧では、工事担当(主任)の中村さんが説明役で、
「引渡しの事前案内書類」に沿って手際良く説明が行われた。

「玄関の鍵はお客様が使用開始することで、工事関係者の鍵は、無効になる仕組みに
なっています」

「電気の使用開始に当たっては東京電力の志木支社に電話して下さい」

「同じく、水道の使用開始は入間市水道部に連絡して下さい」

 住居の引き渡し後の「アフターサービスは、Jグループ品質保証課が担当」します
などの説明から始まって、機器類の操作を手際よくご説明いただいた。

 機器操作などの説明を伺っていて・・・

「時代に応じた住宅用機器の進化の状況が伝わってきた」
同時に、「住み心地の良い環境で暮らせること」に大いに感謝である。

 エコキュート機器の関連はK社の担当の方から説明があり・・・
「彼らこそが、エコキュート開発のパイオニアである」ことを初めて知った。

 説明にも工夫があり聞いていて分かりやすかった。


12月7日(火) 晴れ(後)曇り  フロアスタンドの配達

 朝日が、眩しいほどの好天気に恵まれたが、夕刻には雨が降り出す天気予報である。
今日は、午後2時過ぎに、東町で使用する予定のフロアスタンドが配達されるという
ので、彩の森入間公園の散策は、その後に飼犬を連れて出掛けようと考えている。

 なにしろ彩の森入間公園に行かなかった日は、夜の寛ぎタイムでテレビを観ている
ときに、飼犬が、彩の森に行かなかったことを思い出して「怒って吠えてくる」ので、
天気さえ良ければ行かない訳に行かないほど・・・

「彩の森での散策が飼犬の脳内に定着している」ようである。


12月8日(水) 朝方雨(後)晴れ  薔薇のアーチの購入

 朝方は、雨が残ったが連続ドラマが始まる頃には晴れ間が出てきた。
今日も気合を入れて「引越しの準備をするぞ」と自分自身に暗示をかけて作業を開始
した。約7割は片付いたかという感じなので、今日からは、「ローラー作戦を兼ねて
荷物ごとの行く先の部屋の表示」である。

 このときに更に考え直して、捨てるものはないかと現物を前にしてふるいにかける。
「必要と判断したもの」は部屋ごとの配置図をイメージして並べ方を絵にしておく。

 この過程を入れておくと引越し業者の方と、「上手く協調作業が出来る」ため配置
のやり直しなどが減らせる。年齢的にも、夫婦二人による再配置は無理なので、この
過程は不可欠である。

 引っ越し準備の途中で、Kホームズに出掛けて「クーラーの室外機の木製カバー」
および「つる薔薇のアーチを購入しよう」ということになり、これも引越しの段取り
の一環なのでフットワーク良く出掛けた。


12月9日(木) 晴れ  アジアンルームの整理

 今朝は食事を終わらせた段階で、我々が、「アジアンルーム」と呼んでいる部屋に
陣取って、引越し荷物の集積を開始した。このアジアンルームという呼称は、二人で
決めたもので、西側に「陽だまりの部屋を造ろう」ということで、押入れを壊して、
リフォームをした部屋である。

 天井や壁のクロス材を選ぶ際にアジアン調を意識してデザインしたことから名付け
たもので、二人にとっては元気の出るお気に入りのパワースポットである。

 次いで、南西に位置する部屋に移って、家内がダンボール詰めした荷物に、行先を
マジックで明記して積み上げておく。

 次には、天袋の高いところにある荷物を整理して、ダンボール箱に詰め込み行先を
表示して作業を一段落させた。その間に家内は二階のトイレを磨き上げて次の居住者
にも気持ち良く使っていただけるように、トイレの神様にも、感謝の気持ちを込めて
拭き掃除を完了した。

 家内は休む間もなく、次いで洗面台の掃除に取り掛かった。
相変わらずやることが速い。


12月10日(金) 晴れ  飯能と入間で住居売買の事務処理

 朝は寒さが厳しく防寒支度で外出したが、飯能地域の銀行で現住居の売却手続きを
完了した頃には、外に出ると暖かな陽気で助かった。同じ市内で、両親と同居されて
いるSさんに、我が家を購入していただき、今年の5月に契約して以来、長らくお待
ちいただき感謝・多謝である。

 Sさんは、コンピュータが趣味でサーバーなども保有しており入居までには、床材
の補強が必要であると聞いているが、入居は来年の予定であり詳細は決まっていない
という。当面は、「荷物を置くための倉庫代わりが主な使用予定」とお聞きしており、
住居として使用する必要性が明確になるまではリフォームなども急がない様子である。

 銀行において売却手続きが完了したのは午前10時であったが、Sさんは引き続き
火災保険の35年契約があるというので、保険業者と部屋に残って契約手続きの詰め
に入っていた。

 私と家内はJグループ営業担当の松本さんと3人で、次の段取りとして、入間市の
銀行において、東町に完成した住居の引渡しの手続きがあるので、陽だまりの暖かな
陽気のなかを、入間に向かって車を走らせた。

 飯能の該当の銀行は、駐車場が狭いと聞いていたので、Jグループ営業の松本さん
のクラウンに、3人で同乗して出掛けたのだが、入間市の銀行の支店は駐車場が広い
ので、二人で自分たちの車に乗り換えて銀行に向かった。

 銀行では登記準備等の手続きもスムーズに完了した。


12月11日(土) 晴れ  カーテンの取り付け工事

 朝一番の大事な仕事と決め込み、市役所の総合リサイクルセンターに出掛けて粗大
ゴミの処分を行った。引越し準備の過程で追加の粗大ゴミ処分は、引き続き突発的に
発生してくるものと覚悟はしている。

 その後に続く作業は、東町のカーテンの取り付け工事の立会い。それと並行させて、
「プラスチックで出来た三段重ねの植木台の組み立て」および「クーラーの室外機に
取り付ける木製カバーの組み立て」、「つる薔薇のアーチの組み立て」と続く。

 ここで、「つる薔薇のアーチの組み立てにおいて問題が発生」、アーチがてっぺん
の中央部で組み付かない。パイプの内径に対して、そこに挿入する外径の寸法が大き
過ぎるために差し込むことが出来ない。

「どうしようもない」のでKホームズに行って交換してもらうことにした。同行した
家内はちょうどKホームズに用事があったので救われたが引越し準備で過密な時間割
を組んでおり、時間のロスはもったいない。


12月12日(日) 晴れ  大型食器戸棚の設置完了

 引越し準備期間も、残り3日間となり、作業の優先順序付けが必要になってきた。
そのような状況のなかで、先ずは午前中に・・・

「東町への鉢植えの搬送」
「つる薔薇アーチ組立の再チャレンジ」

 午後には、「キッチンに設置する食器戸棚の配達の受入れと設置立ち合い」を予定
していた。ところが、この食器戸棚の配達が「午後から午前中の配達に繰り上がり」、
急遽、すべて並行作業にして対応することになった。

 家内は、新居まで、自転車で応援に駆けつけた。

 食器戸棚の配置は、当初の計画通り進めた。そして、配置の結果を点検してみた。

「隣に置く冷蔵庫のコンセントの口が、丁度良い場所にあるので安心した」
「食器戸棚の中央部には炊飯器や電子レンジ・トスターなどが配置しやすく設計され
ておりグッドデザインである」と感じた。

 午後は、引越し準備のダンボール詰めと行く先表示に集中した。日曜日の夜の連続
ドラマも観ずに作業を進め、午後9時になって、ようやく本日の業務は終了とした。


12月13日(月) 雨  植木の引っ越し作業

 朝の小雨の中で植木の引越作業が始まった。大きな南天の根っきりおよびクレーン
によるトラックへの積み込みから作業が始まった。計画段階では難航することを予想
していたが、思いのほか順調に進んだ。

 次に取り組んだ満天星(どうだん)つつじの根っきりが予想を超えて大変な作業と
なり、プロの植木職人が2人掛かりで、時間をかけてようやくにして地べたから根を
切り離した。私も経験があるが真下に伸びた根はなかなか切れないものである。

 次いで、ヒイラギ・月桂樹・紫陽花・つる薔薇と続き、家内が一番のお気に入りの
つる薔薇はレンガ敷きの下に根が入り込んでいて諦めざるを得なかった。

 なにせ雨の中の作業のため、後日、私が科学的な方法を考え出して、私自身で挑戦
することに腹を決めた。東町の植え込みのときには雨脚はさらに強くなり、私と家内
が恐縮するなかで植木の作業は終わった。
(後日、私の粘り作業でレンガの下に根っこが入り込んだつる薔薇は無事に移植した)


12月15日(水) 晴れ(友引)  フル操業の15日間

 引っ越しの準備はすべて完了しており、後は、「N通運の到着を待つばかりとなり」
引っ越し先の東町には「家内に待機してもらう考え」で、家内を東町まで、車で送り、
その帰路であった「まるで軍団のようなトラック部隊に遭遇した」のである。

 このトラック軍団が、我が家の引っ越し部隊であることが・・・
「今まで住んでいた家に着いてから分かった」ここからが引っ越しの戦闘開始となり、
東町における「二人の新居造りのための奮闘開始」となった。

N通運が帰った後は完全に二人作業となり全て完了するまでに約15日間を要した。
(師走の29日に全室の片付け完了)。


12月30日(木) 晴れ  お正月の準備

 朝のうちに玄関の正月飾りをして、その後テレビの前に餅の二段重ねを据えて各部
屋にはカレンダーを配置した。これで、正月を迎える準備は整った。

 今度の正月は、三日に鎌倉とひばりヶ丘のファミリーが、同時に揃って帰省すると
いうことで、大晦日から二日にかけては、東町に完成した「T&Kのついの棲家Ⅱ」
では、二人だけで正月を迎えることになった。

 東町への引越しも、その準備を約1ヶ月前から始めたので、準備作業については、
概ね、悠々としたペースで仕度にかかれたが・・・

「引越し本番を迎えた12月12日から18日の間」については、クーラーの引越し
に始まり、一番たいへんだったN通運による家財などの運搬、植木の引っ越し、
インターネットの移設手続き、電話の引越し手続き、集合アンテナからフレッツ光に
よるテレビ受信への移行など、連日、過密スケジュールが続いた。

 しかし、これらの一連の工事や作業については手間のかかることや難しいことなど
については、それぞれのプロが専門知識を駆使してこなしてくれる訳であり、我々は
立ち会うだけで良いのだが、問題と課題は・・・

「その後の整理・整頓」や
「自分たちにとって使い易くアレンジするなどの調整作業や手直し」は

 当然のこととして二人だけで担当することになる。それに加えて年内にはなんとか
片付けたいという思いが働いて、結果、たいへんな集中作業となった。

 それでも夏の朝に体験した5時起きの習慣を思い出し、日々早起きして作業に取り
かかることで、12月29日までにはすべての片付け作業が完了した。

その成果により、30日には正月飾りも出来て、ようやく気持ちに余裕が生まれた。


12月31日(金) 晴れ 危機一髪だった命拾いの休養日

 いよいよ大晦日となった。まったく手抜きが出来ない思いで進めてきた引越しも、
一昨日には大方が片付き、昨日は正月飾りをする余裕が生まれた訳だが、家財道具
などを減らしに減らした上での、「4トン車4台分という引越し荷物の量」には、
N通運の引っ越しスタッフから・・・

「この引越し荷物の量だと片付けるのに、約1ヶ月はかかりますね」と云われていた
ので、それらを約2週間で片付けて整理・整頓したということは、いかに最短期間で
完遂させたかということになる。

 当初は正月の1月3日に鎌倉とひばりヶ丘の家族が帰省するというので年内にある
程度の片付けが出来れば良いと考えていたが、ひばりヶ丘の家族から、電話がきて、
「12月28日に東町の新居に遊びに来たい」という話になって・・・

「大急ぎで引越しの片付けをやろう」ということになり、日曜日などは大河ドラマを
見るのもとりやめて、引っ越し荷物の開梱、そして片付けと、朝早くから夜遅くまで
フル操業で稼働した。

 しかし、さすがに疲れ果てて、ひばりヶ丘から来客するという前日には体力の限界
を感じて稼働停止とした。そこで緊急停止的に「久々に休養のために半日休暇を取る」
ことにした、早速、近郊の温泉に出掛けた。

 本物の温泉かけ流しで、当日は混み合うこともなくゆっくりと湯治できた。

 たまたま、冬至の頃とあって、柚子風呂仕立てになっており命拾いの入浴ができた。
体力的に相当のエネルギーダウンを感じていたので、入浴後はトンカツの特別コース
を注文して滋養に努め、食後は仮眠室で身体を横たえて休養に徹した。

「命の洗濯とは、こういうことか」と、実感するほどの体力の回復を感じ取り、午後
にはひばりが丘の家族を迎えた。

「年末にダウンすることもなく、引き続き整理や整頓に打ち込めた」のは危機一髪的
な状況における半日休養の過ごし方が良かったのだと今でも思っている。


2011年1月11日(火) 晴れ  日常的な生活に復帰

 お正月からの帰省客も自宅に戻り通常通りの生活スタイルとなった。
先週のテニスで風邪をもらってきて起き抜けの喉の痛みには閉口したが、朝のうがい
の励行および風邪薬の効用でなんとか体力が回復してきた実感がある。


1月15日(土) 曇り  日常生活の些細な変化

 今回の引越し完了後は、日常の些細なことに変化が起きているが、いずれも嬉しい
生活の変化の訪れである。

 一つ目は、「ホームベーカリーが鎌倉の家族から贈られてきて、香ばしい自家製の
パンを食することが出来るようになった」

 二つ目は、「家内の料理が、ガス機器による調理からIH調理器による料理に変わ
ったが、早くも、美味な食卓として定着してきた」

 三つ目は、「思い切ってオール電化にしたことによりエコキュートによる深夜電力
の活用ができるようになった。結果、いつでも、入浴が出来るようになった。お湯も
柔らかな感じがするので、入浴剤の活用と合わせて快適なお風呂が楽しめる」

 四つ目は、「明るく陽当りの良いリビングが実現したため、常時、石油ストーブを
焚く必要もなく、部屋の空気を汚すことがなくなった」

 五つ目は、「エコポイントにつられて購入したテレビであるが、LED仕様であり
画面が美しく録画も番組表から簡単に録画予約できるため便利になった」等である。


1月16日(日) 晴れ(時々)曇り  NHK受信の住所変更

 午前中にNHKの集金人さんが来た。
「住所変更が必要でしたので、丁度良かったです」と云うと、住所変更届けの用紙を
取り出してくれた。同時に、料金の納付状況も調べてくれて早速に住所変更の手続き
も済ませてくれた。「ついでにBS画面の案内ガイドの消去方法を教えて下さい」と
申し出ると、「消去方法の案内を差し上げます」と云って、案内書をカバンから取り
出してくれた。

 案内に沿ってNHKに電話をすると消去電波を飛ばしてくれて、結果、
「BS画面いっぱいの案内版がきれいさっぱりと消去された」。


1月17日(月) 晴れ  富士山の銀嶺の眺望

 このところ大寒を前にして寒さが続いていたが、今日は、久々に風もなく飼犬との
散歩の時間を少し早めて外に出てみたが思わぬ発見があった。室内で掃除をしていた
家内を外に呼び出して・・・

「その発見を共有することにした」
「あらほんとに、富士山が雪をかぶって、綺麗に見えるわね」ということで、我が家
から歩いて10メートルの圏内で銀嶺に輝く「富士山」が見えるスポットを発見した
のであった。

 正確な表現をすれば、我が家の南側の6m道路を東の方向に10メートル歩くだけ
で、振り返れば、大通りの奥に富士山の姿が頂上部ではあるが、くっきりと見ること
が出来る。

 次いで発見したことは、「家の周囲が地形の関係もあり、暖かなゾーン(区画)に
なっていること」である。さらに南側の庭にあるクーラーの室外機のウッディカバー
の上が飼犬の日向ぼっこに最適の場所となっている。

 私も、ガーデニングチェアを持参して飼犬の側に座り、家内が入れてくれたお茶を
呑み干して、気分良好の中で陽光を浴びた。

「住めば都とはこのことか」と快適な住まい環境に感謝した。
黒部ダムの旅行以来は、家内の直感を信じて行動を共にしてきたが、どうやら今回も
「大当たり」のようである。


1月18日(火) 晴れ  新しい蒲団でレム睡眠

 明け方にめずらしく夢をみた。
「複雑な仕組みの公社債かなにかに取り組んで、頭を働かせている内容であったが、
夢だけに論理が飛躍していて、一生懸命に分わかろうとしてもがいている光景の繰り
返し」であった。夢をみることなどは久々のことである。腰のあたりが明け方になり
少し重い感じがして、敷布団を変えた影響かなと考えながら起床した。

「おはよう」といって、リビングに顔を出すと、
「新しい敷布団の寝心地はどうでしたか?」と家内が聞いてくるので、
「まだ良いとも悪いとも分らないけれど、悪くはないね」と答えながら、
「夢をみたのは新しい蒲団のせいかも知れない」と思い付いた。

 N布団店のキャッチフレーズは、
「快適な蒲団で寝ることで、人生の1/3を快適に暮す」である。
この言葉は額面通りに受け止めても良さそうである。

 新しい蒲団で夢を見るということは、
「レム睡眠が規則正しく訪れている証であり望ましい眠りのパターンである」
とプラス思考で受け止めておこう。
「その答えは1週間もすれば分かることであろう」ということで、朝食をとる
ことにした(私は、これまでも、ポジティブ思考で人生を乗り切ってきた)。


1月19日(水) 晴れ  飼犬も引っ越しストレスから解放

 ようやく、彩の森入間公園におけるウォーキングを再開した。
園内には、早くも白梅と紅梅が咲き始めており、春の「桜の開花」を想像しながらの
ウォーキングとなった。

 夏季のように、早朝の5時半起きだと寒すぎて「飼犬が寒さでふるえだす」ため、
午前10時頃を目安にして彩の森入間公園に向かうように時間帯を工夫した。

 既に、旧住所となった隣人ご夫妻の場合は、相も変わらず早朝ウォーキングを敢行
されていると想像するが、私と家内は、還暦を過ぎた脳の血管年齢のことを考えて、
無理な早朝のウォーキングは避けることにしている。

 冬のウォーキングで気になっていたのは、「霜による影響」で外周のフェンス沿い
の道は歩けないものと考えていたが、木屑などが撒いてあり外周の小道は霜の影響が
回避されているようである。

 彩の森ウォーキングをしながら二人で、「このフェンスの外側で暮らしていた野生
の猫はどうしたかしら?」とフェンスの向こう側を覗くと、3匹の猫が日向ぼっこを
していた。

 彩の森ウォーキングから帰って、飼犬に、家屋の南側の庭先で日向ぼっこをさせて
みたが、気持ち良さそうに、身体を思い切り伸ばし目を細めていた。引っ越しの後は
しばらくの期間、食欲がなかったようだが、この頃は食欲も元に戻ってきて太り気味
の気配であり、飼犬もどうやら引越しによるストレスから開放されたようである。


1月20日(木) 晴れ  オーバーワークは風邪を誘因

 今日は、歳時記の上では「大寒」であるが、思いのほか暖かな陽気でありテニスを
していても、軽快に走り廻れるため、つい自分の歳を忘れてしまう。

「新年になってから、木曜スクールは、全員が揃ったことがない」とテニスコーチが
いっていたが、自分の歳を忘れてのオーバーワークは、怪我や風邪の原因につながる
かもしれない。

「このテニスクラブでもインフルエンザにかかったコーチがおり皆さんも体調の維持
に気をつけて下さい」というコメントがあった。

 私も、師走は引越し作業優先で、テニスを休んでいたために、正月は1回目の木曜
テニスから積極的に参加したが、「スクール生2名が風邪を引いていた」、「風邪を
もらって帰るのもいやだな」と思いながら、その晩は少し心配しながら床についたが、
翌朝に、喉の痛みを感じて、手持ちのうがい薬でうがいを励行したが軽い症状の風邪
につかまってしまった。

「かかりつけの内科医院に行こうかとも考えたが、かえって、インフルエンザなどを
もらってくるのも問題と考えて、鎌倉の娘が置いていった風邪薬を服用した」、
その後は1週間がかりで軽い風邪に抵抗しながら、なんとか2週目もテニススクール
に参加できた。


1月22日(土) 晴れ  転居先の自治会に加入

 午前中は家内が公民館で「ヨガ」に挑戦するということになり、飼犬と一緒に車に
乗り込み、家内を公民館まで送って帰ってきたところに、「自治会ブロック長と班長
さんが我が家を訪問してきたので」、「加入者名簿に、住所・氏名を記載して」、
「年内2ヶ月分の自治会費を納め」、「転居先の自治会に入会した」。

 新しい一戸建団地の誕生に伴い、現在は自治会の班長さんの担当軒数が急激に増え
てきているため、来年度からは・・・

「Jグループ関連の新築住宅の集合体で自治会の新しい班編成をするように計画して
いる」とのことであった、私も、急速に建設が進んだ地域であり、「妥当な考え方で
すね」と同意した。

 地域としては、近郊であっても、旧住所の地区とはまったく関連のない自治会地区
らしくて、個々の行事などの運営方法にも大きな違いが見られるようである。

 そのことについては、「実際に、入会してみなければ分からない」ことである。
生涯学習において学んだことであるが、「郷に入っては郷に従え」には元々の言葉が
あると教えていただいたことがある・・・

「郷に入って、後に、郷に従え」というのが元々の言葉であるという。
その意味するところは、「人は実際に住んでみて、先ずは、その土地の風俗や習慣に
馴染んでみることが大切であると云う。

 結果として、例えば、「その土地の習慣を五つ把握した」とする。
その中の四つのことについては、「共感するものがある」とすれば、その四つのこと
には自ずと従えるので、残りの一つのことだけが問題や課題になってくる。

 そこで、この一つのことについて「良く咀嚼してみてどうしても馴染めなければ」、
無理をして、合わせないで、「自分流の習慣」に置き換えて行く努力をしてみる。
「郷に入って、後に、郷に従え」という三段構えの生き方は、云い換えれば・・・

「柔軟性と積極性」を発揮して、ときには自ら率先して、「習慣を変えて行くことも
必要であるというアドバイス」として受け取ることも出来る。
(これもポジティブ思考と云える)。


1月24日(月) 晴れ  固定資産税の算定

 今日は午前9時半に市役所の税務担当者が我が家を訪問して、固定資産税の算定の
ための実地調査を実施した。目安算として、土地と建物とを合わせた年間の課税額が
示された。担当者として2人が来宅した。1人は、身長が190cmを超えていると
かで、昔の建築法の時代には建屋調査のときに頭をぶつけることが多かったという。

 この頃の建築物は開口部の高さが標準寸法として2mのものが多くなってきており、
頭をぶつけることも減ってきたという。

 税務調査後は、年初にこまごまとした課題や宿題をたくさん抱えているので、一気
に片付けようと考えて、食卓に座り込み大方の事務処理を済ませた。

 先ずは郵便局に出掛けて大学関連の事務処理を済ませた。
「俳句をきっかけとして、好奇心から専攻した『心理学』は、今年の3月末に大学の
学部を卒業見込みにつき新年度から『人間学』を専攻して継続入学することにした」
ので、その事務手続きが必要になったのであった。

 次に控えている、「水道の蛇口の浄化装置については、定期的に4ヶ月毎の交換を
可能にするための振込み手続き」が必要であり、同じ郵便局で、一緒に手続きを済ま
せた。

 次に自宅で記入の終わった「東町の新居についてのJグループへのアンケート回答」
も同じ郵便局から郵送を済ませた。


1月25日(火) 晴れ  家電購入でエコポイント取得

 午後になって二階の書斎に上がり電子メールを開くと「家電購入のエコポイント」
の手続き完了の連絡が入っていた。「Y電機は、顧客の期待を裏切らない」と、いう
印象を受けた。

 メールでの案内によれば、住所変更があった場合は、変更手続きをするように記述
されていたので電話をすると、俊敏に受理されて、ギフトカードを発送する会社にも、
住所変更の連絡をするように案内があった。

 早速電話をすると手際よく対応いただいた。今回、Y電機の営業担当の薦めで購入
した42型の液晶テレビは、次の3点において優れものであった・・・

「画面が鮮明という案内は期待を裏切らなかった」
「番組表からの録画は操作が簡単であり、2番組同時録画と云う機能も期待を裏切ら
 なかった」
「家電エコポイントも約束通りの日時で適用となった」。

 これに比べると、住宅エコポイントや固定資産税優遇制度における優良住宅の指定
などは手続きが煩雑で適用には到らなかった。


1月27日(木) 晴れ  モーツアルトと同じ誕生日

 今日は、私の誕生日である。奇遇にも、モーツアルトと同じ誕生日だという。
たまには昼食を外食にしようということで、待ち合わせの時間を決めてテニスに出掛
けた。室内テニスコートは気温15℃で快適であった。

 最近は、加齢の影響なのか外の光の明るさに負けて涙が頻繁に出るので、
「色の薄いサングラスをかけて練習することにしている」
 テニス練習も、3か月毎に期末があり、「期末を締めくくる実践ゲーム」において、
 最後にスマッシュが決まり気持ちの良い汗をかいた。

 レストランでの私と家内との昼食会は誕生祝いを兼ねたもので出された料理も美味
しく、かつ楽しく、あらためて「満69歳」の自覚を持つに至った。


1月28日(金) 晴れ  卒業予定者の住所の確認

 大学から、今年度卒業予定者の住所および氏名などを確認するための文書が届いた。
「昨年に引っ越したことを継続入学の手続票には記載」したが在学中の学部には住所
変更についての書類を出していなかったので、今回の確認には救われた思いがする。

「年金」や「証券」などに関しては、先方に電話をして現在は住所変更手続きに必要
な書類を待っている状態である。他にも、住所変更の必要なものがあり、その対象は
広範囲に及ぶため、夏季までには大方を済ませたいと考えている。


1月31日(月) 晴れ  飼犬もご機嫌な終日

 彩の森入間公園での散歩を楽しみにしている飼犬は、近所の散歩コースではすぐに
帰りたがる。それが彩の森に出掛けると、「良く走り」、「良く遊ぶ」のである。

 本日の午前中は、先ず彩の森ウォーキングに出掛けて、その後、小手指の鮮魚セン
ターにそのまま同行。なにしろ、ドライブ好きでもある飼犬には、「本日は、ご機嫌
マンデー」となったようである。

 この頃の飼犬は、あまりにも、「私と家内にべったり状態」で旅行などに行き難く
なってきている。かつて、イタリアの旅で親しくなった友人夫妻から・・・
「フランス・スイス方面への旅を誘われた」が躊躇せざるを得ない状況にある。
ペットホテルに預けると寂しがって体調を崩すために、イタリアの旅に出掛けるとき
には「ひばりが丘の息子家族の処に8日間お願いをして預けた」、ただし、その時は
子供がまだ一人であったために預けることも出来たが、今は子供が二人になり、年下
の子はまだ赤ちゃんであるため育児に追われており、8日間も飼犬を預けるという訳
にいかない。

 ただし、日帰り旅行であればペットホテルに預ける必要もなく飼い犬も日常と変わ
らずに自宅で過ごせるので、許容範囲のようである。

 その点において、私の処からは近郊に住んでいる友人夫妻の場合は、我が家と同じ
ダックス犬を飼っているが、それぞれに交替で飼犬の面倒をみて、それぞれが別行動
で旅行に出掛けるようにしているが、それも上手に旅する方法なのかもしれない。


2月1日(火) 晴れ  IH調理器の実習体験

 川越のスイッチステーションに着いたのが、午前10時。開館時間でありスタッフ
3名に歓迎の挨拶をいただいての入場となった。

 電力会社が「IH調理器などのオール電化製品」普及のために設けたショールーム
であり、同時に、プレゼンテーションルームでもある。

 実際に、IH調理器などを使用して調理をやってみせ、受講生には実習の場を提供
している。我が家でもオール電化が実現して、その便利さは、「エコキュート機器の
使いやすさ」などで、日々、実感している。同時に夜間電力を活用した自動パン焼き
機の便利さと焼き上がりの香ばしさや美味しさも体験しつつある。

 料理があまり得意ではない私もIH調理器の便利さが分かって、多少なりとも技を
習得すれば、これからの「台所のデジタル化の波」に乗れるかなと考えた。また知的
な好奇心からも、IH調理器について電磁調理器の構造や働きについて知りたくなり、
電力会社のブースに出掛けてみたのである。

 ブースではIH調理器の内部構造をスケルトン調の現物で見ることが出来た。
調理実習では、実際に・・・

「鳥のから揚げを作る」
「シャケの切れ目を焼く」
「チャーハンを炒める」
「デザートを作る」などの実習があり、

 その過程で、電磁調理器のシステムについても、分かりやすい説明があった。
「IHでは調理器プレートは加熱されず、鍋が過熱されるが、鍋からの熱伝導で
 プレートも熱くなる」と教わり、かつて、隣家で安全性について、説明をして
 もらったことを思い出した。


2月7日(月) 晴れ  新築祝いに蘭の花

 暖かな陽気のため厚手のセーターを着込んで車に乗ると汗ばむほどである。
スーパーで買物を済ませて午前11時頃に自宅に戻ると、群馬県から妹夫婦が近くの
眼科医院に着いた旨の電話がかかってきた。東町に引っ越してきてから間もないため、
我が家は、まだ、ナビで案内していない住所なので近所の眼科医院を目印にして来て
いただき、私が出迎えに行くことにしていたのである。

 新築のお祝いに「蘭の花」をもってきてくれた。東の方向に置くと良いというので、
日当りの良い場所を選んでいると「本物の花ではないので日当たりは不要だという」、
今風に、光合成の仕掛けがしてあるらしくて、本物とまったく変わりがない。

「部屋の中に早くも春が来た」という印象で、大ぶりの黄色い蘭だけに見事である。
黄色の花は東方に置くと蓄財の効用があるという。他にも大葱や大根、群馬の銘菓
「旅がらす」や珍しい最中などたくさんのお土産をいただいて恐縮である。

 飼犬も最初は吠え付いていたが、すぐになついて妹夫婦の顔をなめまわしているの
で驚いた。家内も海老や野菜などの天ぷらを揚げ、昨夜から準備したイカ飯やお寿司
などを振る舞って「久々に積もる話も満載で」、「楽しく」、「大いにお互いの親睦
を深める」ことが出来た。


2月8日(火) 晴れ  大型物置の設置

 朝の天気予報では、夜になって雪または雨の警告が出されていたため我が家に大型
物置の設置に来ていた職人さんも、午前9時には作業を始めて、午前10時半頃には
設置完了というスピードぶりで作業を仕上げた。

 本日の作業は、入間・青梅・八王子と終日で、3軒分を請け負っており雪が降った
場合、自宅の坂戸までは車では帰れないことになると心配しながら出したお茶も大急
ぎで呑んで、早々に引き揚げる様子であったので・・・
「よかったら、お茶菓子は持って行って下さい」と、家内が、声をかけると、
「大好物なのでいただいて行きます」といって、早々に車を飛ばしていった。

 古い中型物置を置いておく場所がないので、市役所のクリーンセンターに携帯から
電話をすると・・・

「明日の午後でしたら引き取れます」
「物置の中身は、明日午後1時までには空にしておいて下さい」
「寸法的には分解しなくて大丈夫です」

 というので助かったと思いながら私と家内とで中身を大型物置の中に移し変えた。

 そして外に出しっ放しにしてあり、不用心と思っていた長尺ものの梯子も大型物置
に収納してチェーンタイプの鍵でロックした。

 家の周りもすっかり片付き、「これですっきりしたわ」と家内も喜んでいた。
「後は大型物置の設置を事前に隣家に話した際に南天の植え替えを約束していたので、
 明日の午後にでも作業しよう」と決めて、その日の作業を終了とした。


2月9日(水) 小雪(後)晴れ  坪庭の整理が完了

 驚きの新発見である。妹がもってきてくれた「光合成」のコーティングを施した花
の効果で、涙目のアレルギー症状が治ってしまったのである。

 もちろん妹には、お礼の電話を入れた。

 そんなこともあり本日の作業予定としていた植木への鶏糞やりを気持良く済ませた
後で保水用のレンガの粉砕片を植木などの根元に撒いて、たっぷりと水撒きをした。

 やがて、市役所からクリーンセンターの車が到着。運転席から、笑顔で降りて来た
お二人は旧住所において大型粗大ゴミの廃棄処分などで、随分お世話になった方々で
あった。相変わらずの笑顔で、搬出しにくい場所に置いてある中型物置を中庭から外
へ運び出してくれた。

 これにより、玄関脇の坪庭兼物置の場所を整理するための条件が整い、早速、敷石
の配列に取り掛かかった。この敷石により大型物置の使い勝手が俄然良くなった。
また自転車3台の配列も整理・整頓されて物置と坪庭とのエリア区分も整然とした。
後は、春先に草花や、植木の下草などを植えて水遣り道具などを整えながら、夏の
暑さ対策をして行けば、東町での暮ら方については大方の目鼻がつくことになる。


2月10日(木) 晴れ  ジェットエンジンを想い出す場所

 狭山市祇園のテニスクラブに行く途中で、入間航空基地の脇を通り抜けて行く。
東町に越してからは必ずといって良いほどに、このコースを通るようになった。

 道路沿いにはリタイアした航空機が展示してあり、ジェットエンジンの設計や製造
に、長年携わってきた人間としては、「引き寄せられる魅力のある風景」でもあり、
自ずと、テニス行くときにはこの道を通ることになる。

 先日は企業人としては大先輩の方が、航空関係の仕事に50年間たずさわった記念
にと書籍を出版された。ご自分で、手掛けた50年間のエンジンの歴史に、ご自分の
半生を重ね合わせて記事にされたものであるが、月刊の連載記事を連ねて再編集され
たものだけに濃密な内容になっている。

 同じ時代を過ごしてきた私たちには、大いに共感・共鳴するものがある。
かつて、私が30歳代の時に、同行させていただき、米国や欧州の航空機やジェット
エンジンの製造会社を「管理工学(IE)」という面から調査したことがある。

 約一か月間の駆け足による実情調査ではあったが得るものは多かった。
その影響もあり、書籍に示された記事の内容を身近に感じたのかもしれない。私が
航空機用のジェットエンジン関係の仕事一筋に、定年満期まで、現役を過ごすこと
が出来たのも大先輩のお蔭であり、「感謝・多謝」である。


2月11日(金) 雪    懐かしい風景

 今月の3連休の出足は雪の舞う天候でスタートした
 (連休中は雪や雨の予報である)。

 それならばと理髪店まで歩いて出掛けた。旧住所のときには歩いて約5分で行けた
場所であったが、東町の我が家からは歩いて約20分かかる。雪で滑っては危ないと
考えて、長靴を履いて出掛けたところ、足元がしっかりと固まって具合が良かった。

 帰り道は回り道をして、「昔、住んでいたところに変化はありや?」という思いで
寄り道してみたが、特に変化はなく、まだ旧住居に住んでいる気配はなかった。

「お隣のご夫妻は相変わらず、3連休には、伊豆の別荘にお出掛けの状況らしく車庫
には車がなかった」、懐かしい風景である。


2月12日(土) 雪(後)曇り  サイボクハムから贈り物

 新築祝いにいただいたものの中で、特に嬉しかった優れものとしては・・・

「鎌倉の家族からの自動パン製造機」および「群馬県の妹夫婦からいただいた光合成
のコーティング処理を施した黄色の蘭の花」を挙げることができる。

「朝起きたときにパンが出来ている」しかもパンの香ばしさが部屋の中に漂う生活感
は嬉しい。この喜びは、私だけのものではなくて、家内共々、朝食の大いなる楽しみ
として共に味わえるところがとても気に入った。

 群馬の妹夫婦からいただいた黄色い蘭の花は光合成の効果で私の目のアレルギーが
治った。二つの喜びを感謝に変えるために私と家内は一緒にサイボクハムに出掛けた。
久々のサイボクハムでの買物であったが、特に変わった様子はなく、雪模様の天候の
中でも相変わらず店内大繁盛であった。

 店内では美味しいハムやソーセージの試食が好評で、集客の秘密はこんなところに
もあるようである。家内の選択眼で、両家にサイボクハムの詰め合わせキットを贈る
ことにした。ひばりヶ丘の息子家族は新築祝いに現金をもってきたので、それを元に
して現金を加え孫のお雛さま代として、後日、お雛様の鑑賞会を兼ねて家内が届けに
行くことにした。


2月13日(日) 晴れ  大型物置の周囲の整備

 久々の晴れ間となり、散歩の催促が盛んな飼犬のためにと午前10時頃から彩の森
入間公園に出掛けた。いつも通り、私と家内と二人だけで外周をウォーキングする。
次に、飼犬を連れて芝生めぐりをする。午後は飯能のKホームズに出掛けて大好きな
河川敷を歩かせたが、珍しく早々に帰りたがって車に乗り込んだ。

 Kホームズでは、大型物置の設置完了に伴い残金の支払を済ませるために、1週間
の期限内に店を訪れたもので、今日はその帰り道に河川敷に寄ってみたという経緯で
ある。大型物置の設置については、的確な場所がなかなか絞り切れずに苦労したもの
の結果的には最適の場所を選択できたと考えている。

 先日の雪の日に、物置周辺の様子を見てみたが、あの雪降りのなかでも雪が積もる
こともなく母屋のひさしが大型物置の前側を上手く覆っているようである。また大型
物置の前側に敷石や玉砂利を敷き詰めて整備したため出入りもだいぶ楽になった。


2月15日(火) 晴れ  純国産ジェットとの再会

 夜半からの雪が降り積もって外は銀世界である。
所沢の税務署に届ける書類があったので今日は早目に出掛けた。所沢の登記所に寄り
土地と建物の登記簿謄本を入手する必要もあったので、先に登記簿謄本の用件を済ま
せてから税務署に寄った。

 税務署に必要な書類を届けて外に出ると目の前に、「所沢航空発祥記念館」の案内
看板が目に入った。かねてから興味はあったものの場所が分からずにいたという事情
もあり、即「入場する」ことにした。

 入り口に立つと、「入場料65歳以上無料」とある。受付カウンターで年齢証明の
免許書を提示すると「展示会場と映画がありますが、どちらをご覧になりますか?」
と聞いてきたので、「両方とも見たいです」と云うと「映画については、後、20分
で入場できます」という案内であったので先に「展示会場」を見て廻ることにした。

 場内には・・・

「私が設計部門に居た時に馴染みのある純国産ジェットエンジンの20007号機が
展示されていた」、これには驚いた。まるで我が子に久々に出会ったような気持ちに
なって、半ば興奮しながら、エンジンの周りを撫でるようにして、見て回ったことは
云うまでもない。

 一方、映画は、縦15m、横20mの大きなスクリーンで上映。さながら、自分が
ヘリコプターに乗り込んで操縦しているような光景が目の前で展開されて行く。

 タイトルは、「ギリシャ」と紹介されていた。噴火によって埋没した島を考古学的
に探検して行くという物語である。美しい映像と共に興味深いストーリー展開の中で、
「質問と回答を繰り返し交わすことによって、発想を発展させていったと云う、ソク
ラテスの方法論の説明」が面白かった。

 本日「2月15日」は私にとって忘れることの出来ない、「航空記念日」となった
印象がある。人生には思いがけない・・・

「ご褒美が天から舞い降りてくることがある」ことを実体験した。


2月16日(水) 晴れ  建築現地のアフター対応

 今日は、Jグループの中村さんが定刻に来てくれたので、犬が苦手という中村さん
のために飼犬を小脇に抱え込んで、「細かいお願い事項」を説明した。

「一階和室の吊り型の押入れの襖の糊付けが不足していて、雨の日などは襖が膨れて
くるので直してもらいたい」、「同じく和室の押入の襖の敷居に相当する部分の白木
が、ささくれてきているので、強化スプレーや強化材などがないかを調べて欲しい」
など出来るだけ丁寧に説明して、地域の工事担当(主任)兼現場監督としての対処を
お願いした。


2月17日(木) 曇り  テニスで腰の荒療治

 朝の布団の片付けで腰を少し痛めた。布団を押入れにしまう際に、縦長に持ち押入
に入れようとした試みがまずかった。腰を支点にして重いものを長尺サイズで持った
ことになり、当然の結果として腰への負担は大きくなる。

 最近の敷布団は厚みがある上に、重量もある。敷布団の上には、さらにまた厚手の
敷物が乗っていて重さが加わったため、非常に持ち上げ難い状態であった。

 本日の木曜テニスは予定通りに決行して、テニスで腰を動かすことにより、結果と
して腰を直してしまおうと、荒療治を考えて取り組んでみた。この荒療治は大成功で
あったが今晩からは「上に重ねた敷物は別扱いにする」という是正策を考えてみた。


2月18日(金) 雨(後)晴れ  久々の日帰り旅行を決行

 我が家では私と家内は旅行などに出掛ける時に「晴れ男」と「晴れ女」であること
が多い。しかしながら、今朝は、起きたときに激しい雨音で二人とも驚かされた。

 今日は日帰りバスの旅で「河津桜の見物に行く」ため目覚しアラームを午前5時に
セットしていた。既に、天気予報で朝の雨予報は聞いていたので、昨日のうちに地元
のタクシー会社に時間指定で予約はしておいたがこれほどの豪雨は考えていなかった。

 それでも、午前6時30分にタクシーが玄関前に着いたときには、小降りになって
いたので助かったと思った。しかしながら、観光バスが指定の銀行前に到着したとき
にも、まだ雨が止む気配はなかった。

「天気予報では、午前9時には雨は止んで、河津桜の午後は晴れ」と云う情報であり、
「半信半疑のままの状態」で車中の人となった。観光バスが、首都高速を走っていて
午前9時前に雨が止んで遠くに富士山が見えてきたときには、車内で、歓喜の声があ
がった。しかし、今度は東名高速道路の大渋滞でバスはまったく動きがとれない状況
が続いた。

 最初のイベント会場である苺狩り農園には、約1時間遅れて、12時少し前によう
やく到着。渋滞のバスの中では、少し遅めの朝食として、「カレーパン」が配られて
食べたばかりであり、お腹は空いていないものの苺狩りともなれば・・・

「皆それぞれに別腹を持っている」ので、指定された苺ハウスに向かってぞろぞろ
と歩く。ハウス入り口では、コンデンスミルクと蔕を捨てるための入れ物がみんな
に配られて、「いざハウス内に出陣」指定された苺ハウスの品種は「べにほっぺ」
であった。偶然にも一昨日、我が家の夕食時に味わったのもべにほっぺであった。

 これは、今時の流行りものなのかも知れない。
はじめは「コンデンスミルクなしで味わおう」と考えていたものの、思わず衝動的に
コンデンスミルクを付けて食べてしまった。こうなると、途中で、切り替えることは
難しいものである。テントの出口前まで、もぐもぐと苺を頬張り続けた。

 次に、菜の花摘みの会場に移動。私には菜の花の若芽を見つける能力がないと判断
して、後は家内に任せ、早々に退散することにした。家内は、せっせと菜の花摘みを
続けていた。後で聞いたことだが、「食用には若芽」を、「観賞用には満開の花」を、
「我が家で植えるためには根のついたもの」を選別して摘んだという。

 その着眼点と発想には脱帽である。

 その後のランチバイキングは午後2時頃からとなり我々が昼食を済ませた後からも、
次々と観光バスが到着していたので、本日のバスツアーは、軒並み1時間から2時間
遅れの行程となったようである。

 バイキング会場からは天城越えをして、河津桜の会場につながるループ橋に入って
いった。このループ橋には、昔、自分たちの車を運転して来たことがある。

 ずいぶんと昔のことなので来た時期は特定できないが、当時は私と家内で二人して
伊豆をドライブしようということになり、沼津で高速を降りて、伊豆半島の西側から
回り込んで、南側の石廊崎に出てペンションで一泊。明け方には林間の鶯の声を聞き、
二日目にループ橋を渡って河津桜や七滝を見学して、その晩は伊豆の東側の温泉宿で
海鮮料理を堪能した記憶がある。

 当時の河津桜周辺の賑わいはぼんやりと覚えているが、桜の咲いている光景は脳内
の長期記憶から引き出せないので、随分、大昔であることは間違いない。

 今回は、Kツーリストの添乗員が同乗しており、観光バスの車内からは・・・

「これが河津桜の原木です」という案内で八分咲きの桜を鑑賞した。
また「これが原木の孫にあたる桜です」などというツーリストの添乗員ならではの
丁寧な説明があったので「これならば長く記憶に残せるかな」などと、感じ入りな
がら、心行くまで河津桜を鑑賞した。

 河津桜の賑わい処である川沿いの桜は、「咲き始めのもの」から、「三分咲き」、
「五分咲き」くらいまでが、それぞれに愛くるしいピンク色の花を咲かせて、まる
で競いあって咲いているようであった。

 河津桜の咲き具合は、その場所の日当り条件などによって、微妙に違いが出てくる
ようであるが、河津桜の川沿いの景観は主役の桜だけではなく、菜の花と川の流れが
趣を添えており、ソメイヨシノなどの開花時期よりも、1ヶ月から2ヶ月は、開花が
早いこともあって、「春の訪れをいちはやく感じ取れる」河津には、大勢の人々が、
「我先に」と駆けつけるようである。

 その魅力は、春先の千葉の房総と同じく、観光バスや自家用車が周辺の道路を埋め
尽くすことで良く知られている。ただし、河津桜の観光客泣かせは、早いときには、
1月には満開となり、遅いときには3月になって咲き出すこともあるという。

 これは、観光客だけではなく、「観光客を当てにした地元の商店泣かせでもあり」、
その年になってみないと「いつ桜が咲きだすのか分からない」という予測の難しさが、
一方で面白さにつながっている様である。

「それじゃあ、その年になって開花を確認してから、電車で河津に来るのが一番」と
いう声がツアー仲間から寄せられて、添乗員さんも納得したものの・・・
「それでは、旅行会社や観光バスの会社が商売にならないわね」という添乗員さんの
発言に車内は爆笑であった。

 帰路は、運転手さんの好判断で、「山中湖に近いルートが選択」されて、最短時間
で帰着することが出来た。結果的には、1時間半の遅れを一気に挽回して入間市帰着
予定の時間である午後9時を少し過ぎる程度の遅れで帰着することが出来て、一同、
運転手さんに感謝した次第である。

 そして、全員が運転手さんと添乗員さんに拍手を送ったのは・・・
「夜目にも鮮やかな真白き富士山のシルエットを見ることが出来た」瞬間であった。

 そして、帰宅後に、リビングの引き戸のガラス越しに飼犬の姿を発見。引き戸を
開けると「嬉しそうに飛びついてきて、仰向けになり」身体全体で喜びを表現して
いる。これなら「日帰り旅行は大丈夫」日帰りならば「飼い犬も平常心で居られる」
ことが良く分かり「これからは日帰り旅行が主体だね」と二人で納得し合った。



3月11日(金) 晴れ  東日本大震災の日

 家内の創作による昼食を楽しみ満足感の後で朝刊に目を通していた。家内は午後に
予約していた美容院に出掛けていた。突然、室内が大きく揺れ始めた。飼犬に声をか
けると駆け寄ってきたので小脇に抱え咄嗟の判断で「二階の上屋部分が乗っていない
場所」で一階だけの造りになっている処として・・・

「玄関と洗面所それから風呂場が脳裏に浮かび」、安全対策として、出口部分に近い
玄関口に避難した。次に、玄関の扉は開けておいたほうが良いと考えて、玄関の扉を
外側に押し出した。

 玄関口とアプローチの場所であれば、上部からの落下物はない。

 外部からの飛散物があっても、屋根があるので、安全と考え避難場所とした。

 家内が外に出ていることから、外部の状況も確認しておく必要があると考え、外の
比較的広い場所に移動して、電柱の様子を見ると電柱が倒れる心配はなさそうである。

 しかしながら電線類は激しく揺れ動いていた。同じ場所にご近所の方々も集まって
きて「凄い地震ですね」と声を掛け合っていると若い奥さんが小窓から顔を出しきて、
「このようなときは、どうしたら良いのでしょうか」と声をかけてきた。

「どうやら奥の部屋で子供さんが熟睡していて動きがとれない」様子である。
私も、その声で、思わず我に返って、「地震も治まってきたようですので、このよう
なときには、お互いに、テレビで状況を確認しましょう」という返事をして、各自、
めいめいに、家の中に入ることにした。

 家の中のテレビはつけたままにしておいたので、早速、テレビ情報にかじりつく。
「テレビニュースによれば、津波の予報として、東北地方の太平洋側に太く長く赤い
線が引かれていた」、その後も余震は続き、揺れが大きいときには、外の避難場所に
飼犬を抱えての移動を繰り返した。

 避難場所で隣近所の方々とも次々に情報を交わす・・・

「近くのスーパーマーケットでは、地震の影響で、スプリンクラーが作動して店内で
悲鳴が聞こえた」という、これはスーパーマーケットから帰ってきたばかりの方から
の情報である。

「お家のシャンプーのビンが割れちゃったの」という小さな子供たちからの情報、
「食器棚が倒れそうで支えていた」という若い奥さんからの情報、

 いずれも貴重な情報であり、

 家に戻って飼犬を小脇に抱えたままで室内の点検を始める・・・

「台所の食器棚の引き出しが半分近く前に迫り出している」
「棚の食器類も手前のものが落ちそうだが、扉で止まっており、扉を開ければ落下す
 るという状態」
「大型の整理ダンスのレール付の最下部の引き出しが前に迫り出している」
「液晶の薄型テレビ42型はサイズが大きいだけに、大揺れしたものの固定パッドの
 効果によって、なんとか倒れずに耐えた」

 などのことを確認した。

 今回のご近所との情報交換や連携を体験する過程において感じたことは・・・

「いざ地震というときに全国の状況はテレビで分かるが、身近な状況把握は、ご近所
からの情報が不可欠であることを肝に銘じた」

 それ故に日頃からのご近所付き合いは大切であると感じた。

 家内は、間もなくして、買物袋を自転車の後ろのカゴに載せて帰って来た。

 美容院の隣接地にスーパーマーケットがあるので、ついでに寄って買物をしてきた
ようである。美容院では、座席について髪の手入れをしているときに、大きな揺れが
来たので美容師さんと一緒に外に出たのだという。

 地震の揺れもおさまって、店内に戻りテレビを見ながら、髪の手入れを終わったと
いうが、美容師さんの中に、東北地方出身の方がいて、それも実家の母親がテレビで
報じている津波注意報の海岸線で暮らしていて、自宅の前が海だということでもあり、
ひどく心配されていたという(後日の情報として、この母親は、スーパーマーケット
に買い物に出掛けていて無事であったという)。



東日本大震災の出来事から学んだ絆の大切さ

 震災後に、大学から「日本文学の読み方」島内裕子著が届いた。生涯学習の一環と
して受講を申し込んだ教科のテキストである。講義内容は、インターネットでも視聴
できるので、新年度の4月からの授業を待たずに聴いてみることにした。

 日本文学の始発期の文学作品である「古事記」から解説を始めており・・・

「分かりやすく」、「聞きやすい」授業内容である。その解説は、

「万葉集」
「古今集」
「新古今集」
「源氏物語」
「平家物語」
「奥の細道」

と続き、転換期の文学として、

「鴎外の世界」
「漱石の世界」

へと連なって行く。

 それにしても、このテキストが届く直前の・・・
「2011年3月11日の地震は衝撃的であった」

 まさに、突然の大揺れに私は飼犬を小脇に抱えて、玄関口の扉を開けて、ひとまず、
外に出たときに、家内は美容院に出掛けていた。このような場合に室内に居ることが
安全なのか、外に出たほうが安全なのかは、とっさには判断がつかないものである。

 私が、外に出たときに、最も危険だなと感じたのは・・・

「玄関脇に設置してある背の高い給湯器が大揺れをしていたこと」である。
これは、エコキュート(給湯)用の機器で、深夜に沸かした熱湯を溜めておくための
機器である。この機器は重量物であるため、土台はコンクリートで固めて、その上に
設置してあるものだが、今にも横倒しになりそうな揺れ方であった。

 これは、約3年を経て分かったことであるが、2014年2月13日の新聞記事に、
「3・11 フィヨルドの水面揺れた」という見出しで掲載された記述に・・・

「我が家のエコキュートが大揺れした原因にもつながる」と思われる内容が理論付け
 されて掲載されていたのである。

 この説明に入るには、先ずは東日本大地震(マグニチュード=M9・0)の地震波
が、遠く離れた北欧のノルウェーまで伝わったという話から始める必要がある。

 この内容は、ノルウェーのソグン・オグ・フィヨラネ大学の研究チームがまとめた
もので「東日本大震災の日に美しい風景で知られるフィヨルドの水が大きく揺れた」
のだと云う。フィヨルドは、氷河による浸食で作られた細長い入り江で狭くて深い。

 ふだんは静かな水面に突然、波が立ったのは、3年前の3月11日の朝だった。
一報を受けたスタイン・ボンデビック同大教授は最初・・・
「水底の地滑りが起きたのだろう」と考えた。しかし、不思議な水面の変動は、
フィヨルドのあちこちで、目撃され、教授に次々と情報が寄せられた。

 局所的な地滑りではありえない。日本を襲った巨大津波について報道機関への説明
に追われていた教授の頭に「セイシュ」という現象が浮かんだ。

 非常に長い周期の地震動で、湖などの水が大きく揺れる珍しい現象である。
その語源はスイスのレマン湖の水の揺れを指す地元の言葉だといわれている。
教授らは、ノルウェー国内で観測された地震波などを解析してみた。波が届き始めた
のは、地震発生から12分後の午前6時38分(日本時間午後3時58分)。

 その後、同7時8~27分に届いた地震波の中に、フィヨルドの水を揺らしやすい
周期50秒以上の揺れが多く含まれていた。地震動自体は同27分以降の方が強かっ
たが、周期が短く、セイシュへの影響は少なかった。

 各地で、撮影された映像などを分析したところ、水面の変動は、同27分に始まり、
長い場所では、同10時頃まで続いたと推定された。ライカンゲルという場所では、
1・2~1・5メートルも、上下していた。

 観光地フロム付近での水面の変動は、地震波を基にコンピューターで再現した結果
とよく合っている。この研究成果については、昨年、米地球物理学連合の専門誌
「ジオフィジカル・リサーチ・レターズ」に報告された。

 ボンデビック教授は「地球の裏側で起きた地震がフィヨルドの水面を動かすなんて」
と驚いている。物は、その大きさによって揺れやすい波の周期が変わる。

 周期1~2秒の小刻みな揺れは、低い住宅に、5秒を超えるゆったりとした揺れは
高層ビルに、それぞれが、大きな影響を与える。

 鈴木猛康・山梨大教授(防災工学)は、「セイシュを起こすような、非常に長い周期
の地震波はM8・5を超える巨大地震で発生する」と指摘する。

 断面の形がフィヨルドと同じように幅が狭くて深い湖や池でも、セイシュが起こる
可能性がある。鈴木猛康教授は「東日本大震災では、富士五湖の一つ、西湖(山梨県)
でもセイシュが起き、船や魚が岸に打ち上げられた。

 西湖のような比較的狭くて、深い湖では、巨大地震の際、岸から離れた方が安全だ」
と話している。大地震で、大量の液体が揺れ動く現象は、セイシュよりも小さい規模
では比較的よく起きている。総務省消防庁の報告書によると東日本大震災ではタンク内
の石油が大きく揺れる「スロッシング」による石油の流失が計16件起きた。

 同庁消防研究センターの西春樹・原因調査室長によると・・・
スロッシングは、周期6~12秒の地震波で起こりやすい。「全国の大型タンクは、
17年を期限として揺れ対策が進められている」と云う。
(この記述は読売新聞の記事から抜粋している)。

 このことから総合的に判断して、我が家の「エコキュート機器の大揺れ」は東日本
大震災の影響によるスロッシングという現象に似たもののようである。

 この機器の中には、熱湯が蓄えられており、特に目に見える被害はなかったので、
その後も問題なく使っているが、機会をみてメーカーの方に情報提供しておく必要性
を感じた。それにしても「問題意識」を持ち続けていれば、今回のように約3年近く
も経過してから、その「答え」が、提供されることもあるのだと、改めて新聞などに
よる情報提供の確かさと重要性を再認識した次第である。

 また、この記事の経緯からも・・・
「ネットワークの重要性」があらためて浮きぼりになってくる。
東日本大震災が発生した当時も、身近なところで、ネットワークの重要さが問われて、
そこにつながる「絆の大切さ」が注目され、見直された。

 ここで、当時のことを振り返ってみよう。



【帰宅困難者と情報ネットワーク】

 関東地方でも、「2011年3月11日の地震の影響は広範囲に及び」時間の経過
とともに交通網が寸断されて行き、都内では夕刻から大混乱が始まった。

 帰宅ラッシュの時間帯に駅の構内を閉鎖するところも出てきて、事態は、ますます
大混乱に陥った。そして、東北地方の「地震」と「津波」、そして、「原発事故」の
影響は、日を追うごとに緊迫した状況となって行き、その影響は、日本列島の全域に
及んでいった。

 この状況をいちはやく把握した海外の政府機関は、素早い対応によって、自国への
緊急避難の措置を取り、一部の人々は帰国を決行した。

 他の人々も着々と帰国準備を始めていた。これらの報道を見ていて、私は日本政府
が発表する報道の遅れに一抹の不安を感じていた。そのような状況の中で、アメリカ
など諸外国の政府や日本の民間企業の迅速な判断や、俊敏な行動力には、敬意の目で
その動向を注視した。

 一方で、テレビ報道などの大局的に物事を観て行く報道も、もちろん重要であるが、
このようなときには、「今日と明日をどうするか」というところの、日常的なレベル
での生活情報などがより重要であるが、それがまったくといってよいほどに、当時は
欠落していた。

 私は地震の翌日に身内に連絡をとって安否確認をした。そのときに最も大きな影響
を受けていたのは、群馬県に住んでいる妹家族のところと迅速対応が必要なのは鎌倉
の娘家族のところであることが分かった。

 たまたま、妹家族のところでは、近所に住んでいる長女の家で長女自身が東京都内
に新人向け出張研修に出掛けており、その娘も、大学の同級生と都内で会うことにな
って出掛けていたという。長女は、最近になって大手のドラッグストアーに就職する
ことになり、新人研修が東京都内で行われることになっていたため、群馬県からはる
ばると出掛けていた。そして、帰宅困難者になってしまったのである。ご主人の大活
躍により娘とは連絡が取れて、自家用車で都内まで迎えに行く段取りが取れた。

 研修中の長女(ご主人の奥さんということになる)も、その車で連れて帰れればと
携帯電話で連絡を取り続けたが、ついに連絡がとれず、研修の仲間も一緒と考え自分
で自分を安心させて、娘だけをその日のうちに連れて帰ることにしたと云う。

 長女は、研修仲間たちと避難所に逃げ込むことが出来て、翌日には、無事に帰宅の
運びとなった。


【鎌倉ファミリーの救出】

 一方で鎌倉の娘家族は、若旦那が東日本大震災発生の前日に中国への出張で出掛け
ており、帰国予定は3月下旬であるため、娘が、鎌倉での家事や雑用が片付き次第、
入間市に孫を連れて帰省することになっていたが、入間市に来る日時までは、未定で
あった。

 東日本大震災発生当日から、交通機関は寸断されていたので、鎌倉からタクシーを
使っての帰省が一番確実ということになり、震災の翌日には入間市に帰省した。

 それから3週間にわたって、鎌倉の娘と孫は入間市の我が家で一緒に過ごすことに
なった。結果的には、「良かった」と今でも思っている。震災後、間もなくして地域
全域で計画停電が始まり、前日のインターネット上の記事をみて「停電する時間帯」
を把握。それを基に翌日の生活の時間割を決めて行く。

 朝・昼・夕刻の食事の時間帯とお風呂の時間帯の割り振りに一番気を使った。その
内に、LED照明の懐中電灯による強力なライトの存在を知るに到り、それを手に入
れてからは時間割作りに余裕が出てきた。

「T&Kのついの棲家Ⅱ」の詳細設計で、グッドデザイン的に、評判が良かったのは、
二階の北側のクローゼットの存在であった。設計段階では背面光線が狙いであったが、
計画停電時は、「月明かりでも手元が見える」ということで、クローゼットから服を
取り出す時や、洗濯物を格納するときに便利であった。

 私と家内と娘と孫と、まさに三世代暮らしで「計画停電から来る戦時体験」のよう
な生活環境であったが、お互いに助け合って生きて行く、「絆の強さ」の重要性は、
お互いに感じ取った。

 当時は、スーパーマーケットの店頭から、「ミネラルウォーターが姿を消し」、
「ヨーグルトのような日常品の入荷が途絶えて」、その都度、家族で手分けして、
日常的な必需品の調達に走り廻った。

 鎌倉から若旦那が迎えに来て娘家族が帰るという時には、「安堵感」とともに、
「もう少し泊まっていったら」という家族同士の情愛の余韻のようなものが胸中
 に残った。


【緊急ネットワークによる情報支援】

 これらの身内との安否確認のコミュニケーションの中で、群馬県の妹から日常生活
にとって重要な情報が寄せられた。近所のスーパーマーケットの情報によれば・・・

「食料品やガソリンなどのあらゆる物資が、東北地方に向けて緊急輸送されていると
云うことであり、これから、一週間もしないうちに、ガソリンなどが、不足してくる
可能性があり自動車の燃料だけは早目に補充しておいたほうが良いという話であった。

 私は、「すぐにガソリンスタンドに出掛けて燃料補給した」それから間もなくして
近所のガソリンスタンドは閉鎖となった。


【米軍によるトモダチ作戦の展開】

 未曾有の大災害としか云いようのない「東日本大震災発生」から間髪を入れずに、
迅速な経営判断をして俊敏に行動を起こしたのは、全国規模のスーパーマーケット
や大手の民間企業であった。

 大手スーパーマーケットは日本全国に店舗を配置しており、それらの店舗を支える
流通と情報の機能を世界的なネットワークを張り巡らすことで、キメ細かく統括して
いる。その上で物流部隊をダイナミックに動かしているので俊敏さは身上でもある。

 勿論、災害発生現地において、指揮をとる警察や消防・自衛隊など国の治安維持や
防衛などの使命(ミッション)を担う関係機関の俊敏な行動は、このような、大災害
発生時には、国民の命綱を握って、離さない信頼のおける組織であることは、新聞や
テレビ報道などを通じて誰の目にも鮮明に焼きついた。

 また、アメリカ政府によって派遣された米軍による「トモダチ作戦」には、日米の
絆の強さが、想像以上のものであることを改めて認識した。

 しかし、そのような命がけの献身的な活動の一方で、日本全体の空気というか国民
全体の気持ちの在り様、云い換えれば国の全体的な雰囲気として、あの東日本大震災
発生から四十九日の間は、日本的な仏教観として国民全体が喪に服したといえる。

 そして、震災地における四十九日の法要の報道あたりから、あらゆる面で、大きな
うねりが起こり始めて「このままではいけない、なんとかしなくては」という国民的
な感情が高揚してきたことも確かである。

 ここで思い出されるのが、「月は東に」森本哲郎著で紹介されている「オランダの
歴史家ヨハン・ホイジンガが説く人間の三つの生き方」である。

 彼は、名著「中世の秋」のなかで、「いつの時代にも、遠い目標を目指して人間は
三つの道をみいだしてきた」「第一の道は宗教的な道」「第二の道は政治的な道」、
そして「第三の道は芸能や文化につながる道」、それでは、震災後の遠い目標に、
向かってのうねりは「どこから始まり」「どのようにして、大きなうねりに発展して
いったのだろうか」、米軍によるトモダチ作戦の献身的な活躍が引き金になったこと
は間違いない。

 ホイジンガの唱える「三つの道」を思考の軸にしてこのうねりを振り返ってみると、
「第三の道といえる芸能・文化に係わる人々がボランティア活動という方法で現地に
出向いて支援や応援を始めた。また、遠隔地から、テレビなどを通じてライブ中継で、
被災地に向けて支援活動をする動きも盛んになっていった」。

「第一の道といえる宗教界では、被災地における死者を弔う仏教的な供養が絶え間な
く行われて被災地の方々の心を慰めた。被災の規模が未曾有のものであっただけに、
行方不明の方々に対しては、供養の施しようもない場面も出てきた」。

「第二の道といえる、現世を改良・改革して、良い方向に持ってゆこうという面から、
政治に目を向けたときに、被災地における県のレベル・市町村のレベルでは役所の方々
が、自分自身、被災している中で、懸命な支援活動をされていた」。


【文学者の行動力と計り知れない影響力】

 東日本大震災発生後に多くの外国人が日本を去り、多くの外国人が日本を訪問する
ことに躊躇していたなかで、コロンビア大学退職後のドナルド・キーン氏が日本への
永住を決意された。

 その表明には、日本国内はもちろん世界中の人々が注目し、かつ驚いた。

 そして、2011年9月初めに、米国での家具などの処分を済ませて遥か遠い日本
の地にやってきたドナルド・キーン氏の永住に、向けた行動は、計り知れないほどの
影響力を発揮したと考える。

 当時は、世界に向けた日本からの原発事故に関する情報発信が少ないために、極端
なケースの場合には、日本列島全体が、原発事故による放射能の影響を受けていると
いう印象すら与えていた。

 確かに地球儀感覚で観たら、日本列島の地形は目に小さく写るので、福島県で起き
ている原子力発電所の事故というよりも、日本列島全体を覆う規模で被害が発生して
いる原発事故という捉え方も出てくるので、「日本全体が危険である」という認識に
なってくることもあり得る。

 このような世界的認識の中において・・・

 世界的に高名な日本文学研究者であるドナルド・キーン氏が「ご自分の人生を掛け
て日本への永住宣言をされれば」、「日本が安全な国であること」を知っていただく
ために、これ以上の説得力はない。

 ドナルド・キーン氏は、1940年にアーサー・ウェイリー訳「源氏物語」を購入。
最初は、本の分厚さに比べて安価であることに魅力を感じて、この著書を購入された
と聞いているが、やがて、この物語に感動を覚え、漢字そのものにも、興味が湧き、
日本研究の道に入った。

 日米開戦に伴い、米海軍日本語学校に入学。日本語の訓練を積んだ後に、情報士官
として海軍に務め、太平洋戦争では、日本語の通訳官を務めた。復員後、コロンビア
大学に戻り角田柳作の下で修士号を取得している。

 一方で、戦後の日本人の節度ある行動に、感銘を受けたドナルド・キーン氏は、
その背景にあるものを知るため、日本文学にも興味を持ち研究を深めていった。

 研究成果として、日本文学の多くが彼によって英語訳されて、欧米に広く紹介され
ている。彼の「日本文学撰集」(一九五五年)では徒然草についても言及しており、
「おくのほそ道」の英語訳もある。

 ドナルド・キーン氏は、昭和の文豪・三島由紀夫の親友でもあった。
三島由紀夫は、「日本文学小史」の中で、光源氏の20歳の青春の絶頂期である花宴
巻と、36歳の壮年の絶頂期である胡蝶巻を賞賛。人間が感じる快楽が、この二つの
巻において盛りの花のように咲き誇っていると感嘆し、優雅なるフランスの宮廷画家
ワットーの世界を思わせると述べている。

 しかし、ドナルド・キーン氏は、三島由紀夫よりも早く、自著の「日本の文学」で
源氏物語の美しさと儚さをワットーに喩えている。

 そのドナルド・キーン氏が、日本国籍を取得。東京都北区の区役所での記者会見の
写真が新聞記事として報じられている。


【東日本に向けて黙祷】

 あれから三年間が経過した。「2014年3月11日」には国立劇場で、「東日本
大震災三周年追悼式」が行われた。この模様はNHKのテレビで中継が行われた。

 私も、三年前の震災発生時刻「午後2時46分」に黙とうを行った。黙とうは死者
1万5884人の方々の鎮魂をお祈りするものである。また、行方不明2633人の
方々についても一刻も早く身柄が親族の元に戻ることを願うばかりである。

 避難者26万7419人と云う大規模な人数には驚くばかりである。
同日の「特別番組」では、「父親と息子の二人家族が避難所から新居に移り」かつて、
一緒に暮らしていた家族4人の遺影の前で、息子さんの誕生日を祝うシーンがテレビ
上映されていた。この新居に移った親子を見ていて「今、避難者にとって現実的な夢」
は、「震災被害で失った『終の棲家』を再び取り戻すこと」ではないかと感じた。

 ここ3年間でもっとも問題となっていた「がれき」の95%が処理され、現地では
地盤のかさ上げが進みつつある。復興への弾み車を回すために、政府機関の若手有力
議員も熱心に被災地に通って地元の意見を一生懸命に吸い上げている。

 オランダの歴史家ホイジンガの言葉を借りれば、政治の世界から若手のエース登板
ということになれば・・・

 復興と云う遠い目標に向けて、若手議員が「復興への弾み車を回すことなり」
かつ、声援を送ることで、避難者の方々が一度は失った「終の棲家」を公営住宅
なども視野に入れて再び手に入れるための大いなる助けになると考える。



エピローグ

 ソチ五輪で盛り上がっていた、「2014年(平成26年)2月」に、45年ぶり
という大雪が、2月8日(土曜日)と14日(金曜日)の両日に2週連続で降った。

 我が家は、南側、西側、北側の三方が道路のため、周囲が大雪で包囲された状況に
なった。また向こう三軒の一戸建住宅は周囲が巡回できる道路で囲まれているために、
雪かきをしないと市役所からのゴミ収集車が巡回出来なくなるため大急ぎで雪かきを
する必要がある。もちろん各家庭では自家用車の出入りのために、朝からの雪かきは
必須の作業になってくる。

 たまたま、大雪の翌日が休日であったことも幸いして、近所で申し合わせた訳でも
ないが、それぞれの家庭からの総出による雪かきによって、おおよそ、2時間余りで
生活道路が確保された。

 その雪かき活動のなかで、さまざまな情報が交わされ、実際に大雪をかき出す作業
の過程では、中学生から高校生といった孫世代のパワフルな活躍が目立った。

 この地域では、既に、孫世代による活躍が萌芽しつつあり、彼らによって牽引され
る時代が幕開けの準備を始めているようである。

 この孫世代による絆は未来に向けて心強く感じる。

 私にも五人の孫がいる。一番の年長は男子で、今年の春には大学を卒業する予定で
あり、4月からの就職も決まっている。二番目は、女子で中学生、三番目は、小学生
の男子、四番目は、男子で来年から小学生、五番目は女子で3歳である。

 この5人の孫たちには「シルバーエイジの物語」を読んでもらいたいと思っている。

 そして「T&Kのついの棲家Ⅱ」を建てる過程で、企業人として、活躍した時代の、
「どの部分が」「どのような経験が」、家造りに役立ったのかも、記述しておくので、
 読んでみて気付いたことがあれば、メモとして書き込んでおいて、自らの賢者の道
 を模索しながら「第三の設計仕様」を考え出すことを期待している。

 ここで、先ずは企業人としての活躍の一端を伝える前に、企業人として私が行動力
の基底に据えてきた「青春の詩」の紹介から始めることにしよう。

青春の詩はサミュエル・ウルマンが七十歳代の時に書いたものであると云われている。


  【青春の詩】

 青春とは、人生の或る期間ではなく、心の様相を言うのだ。

 逞しき意志、優れた想像力、燃ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
 安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
 年を重ねるだけで人は老いない、理想を失う時に初めて老いがくる。

 歳月は皮膚のしわを増やすが、情熱を失うときに精神はしぼむ。
 苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老い
 させ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

 年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か、
 曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する
 欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて、止まぬ探求心、人生への歓喜と
 興味、人は信念と共に老ゆる。

 人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる
 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、

 そして偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥まで蔽いつくし、
 皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、

 この時にこそ、人は全くに老いて、神の憐れみを乞う他はなくなる。



【企業人としての活躍が家造りに生かされた事例】

◇ 企業人として最初に配属となった設計部門では、「純国産ジェットエンジン」の
量産設計の末席に製図机を並べて量産のための図面を描き製造部門に宛てて出図した。
ここでの留意点は、天才たちが考案した設計物をいかに「作りやすく・分かりやすく」
図面化するかがポイントで、この5年間の経験を経て簡単な図面なら定規を使わずに、
フリーハンド(手書き)で図面が描けるようになった。

◇◆◇したがって「T&Kのついの棲家Ⅱ」の図面は、すべて定規を使わずに描いた。

◇ 量産設計で造られた部品は、全て、実機での長時間耐久試験が実施されて、丈夫で
壊れないことが確認される。かつ軽量化が同時に求められるので、設計者には自己完結
させる力量が求められ、自ずと設計図は脳内に克明に記憶される。

 また、ジェットエンジンの剛性実験には、徹夜で、エンジンフレームの破壊試験など
に実験要員として駆り出されるので、「円形の筒は極めて剛性に優れており、破壊する
ことは難しい」などということを実体験において、肌感覚で修得することになる。

◇◆◇この知見は、今回「住居の構造設計」において、二階の上屋を載せることになる、
一階の基礎建屋の設計において、円形に近い正方形の構造体を基本構想に置いて、この
四隅に深基礎を設けることで地震に対して極めて安定した建屋を構築することが出来た。

◇ 前述のジェットエンジンの耐久試験(150時間の連続運転)の基本計画や試運転
の計測要員として駆り出されることでは、長期的な長時間対応の視点で、物事を考える
習慣が身に付いた。

◇◆◇この知見は、建屋および外構部分の全体設計において、長期的かつ長時間対応の
視点で建築設計を考えることに役立った。具体的には、春夏秋冬を通じて・・・

「春には花粉対策を織り込んで洗濯の干場を工夫する」
「夏には台風対策として南側から吹き付ける防風対策を練りに練った」
「特に、南側のフェンスの設計では外構の重要プランとして、台風対策について風を
 逃がすなどの対策を練った」
「秋には、落ち葉対策および植栽プランとして、剪定などの手間を省くために低木化
 を図った」
「冬は北風対策として、北側の玄関口からの北風の侵入を遮断する設計にした」
「耐久性という面では、建屋よりも、夏季の暑さに対する人間の耐久力の方が問題と
 なってくるので、夏の西日がまともに当たる西側は植栽で覆うように設計。特に、
 日差しを避けたいダイニングの外側は、ゴーヤによる緑のカーテンで部屋を覆う
工夫を施した」
「また、クーラーの配置についても、もっとも暑い昼間の時間帯には、午後は日陰と
 なる東側の和室に、大型のクーラーを配置して、東側から西側のリビングに向けて
 冷たい空気を循環させるように工夫した」

 その他にも建屋の設計においてはJグループが標準仕様として提供してくれている、
「基礎工事の際に床下に通風窓を設けない」などは、床下から来る冬の寒さに耐える
 必要がなく、これなどは、冬季におけるありがたい設計仕様上のプレゼントである
 と考えている。

◇ やがて、純国産ジェットエンジンの量産開始に伴い、私は設計部門から生産部門
に移籍して、その後は、生産管理と生産技術の両面から製造部門を支援するスタッフ
業務に従事することになり、この時の最初の仕事は、製造部門に新規採用(中途採用
も含めて)された技能職の方々に、「図面の見方」をトレーニングする役割が回って
来た。説明書を自分で作成して、急遽、準備したプレハブ教室において約百名の受講
者を対象に、マイクで話しかける説明会が連日続いた。

 このときに会得したことは・・・

「分かりやすい説明書を作り」
「分かりやすい説明をして」
「実践的な作業に確実につなげて行く」

 これが出来ないと実戦力にはつながって行かないということである。この過程では
リーダーシップの在り方について体得するものがあった。

◇◆◇この「分かりやすい話のやり取り」と、それを「分かりやすく図面に反映させ
て行く」という技術については・・・
 Jグループのデザインセンターでデザインミーティング(設計会議)を行う際に、
「家内から優れたアイデアなどが提示された」ときに、それを具体化して、図面に
反映させて、設計士の宮崎さんに電子メールなどで伝えて行き、設計会議の場で、
分かりやすい内容に咀嚼して、家内にフィードバックして行く。これが結果として
私と家内と設計士の宮崎さんとの間で、「その事柄を共有して行く」という段階に
おいて、図面の見方をトレーニングした時の体験が大いに役立ったことは云うまで
もない。

◇ 生産部門でスタッフ活動をしているときに組立工場の移転計画の話が持ち上がり、
私は引っ越しプロジェクトのメンバーに任命されて・・・
「ジェットエンジン組立・試運転工場の大移動」に携わることになった。

 このプロジェクトでは数々の命題が与えられて、例えば・・・

「エンジンを構成する組立用部品はいっさい梱包しないで運ぶ」
「組立ショップは稼働を中断させることなく丸ごと移転する」などの課題に対して、
具体的なアイデアを出し、それを実験することで、搬送手順を確立して行くなど、
ときには、大規模な実験を繰り返しながら展開して行った。

 もっとも画期的だったのは・・・
「エンジンの製造ラインおよびエンジンの整備ラインをいっさい止めることなく引っ
越し」を成功させたことであった。

◇◆◇この引っ越しの経験は、池袋のシティータワーマンションのセカンドハウスの
売却と荷物の引き上げから始まり、鎌倉ファミリーへの家具類の搬送、そして東町の
T&Kのついの棲家Ⅱへの引っ越しと続く移転計画のなかで、生活規模の縮小(ダウ
ンサイジング)という大命題を果たしつつ、「手間のかかる挑戦」であっただけに、
企業内での体験が大いに役立った。

◇ ジェットエンジンの組立および試運転工場が、武蔵野の新しい工場に移転してか
らは、生産管理および管理工学(インダストリアルエンジニアリング)の分野におけ
る仕事に従事するようになり、IEという略称で、「生産性の向上」を目指した活躍
が求められるようになった。

 具体的には、組立や検査関係の技能職の方々の作業動作を分析して、無理な姿勢や
無理な作業などを改善することで、生産性を向上させようという考え方を基に置いた
ものであり、当時は「動作分析を筆記による記録などで分析していた」これに対して、
私は、「当時は、まだ高価であったビデオコーダーの活用によって、作業動作を記録
分析する方法を考案して、まったく新しい考え方で、作業動作を分析する方法を組立
工場に導入した」

 この、まったく新しいビデオ分析による生産性向上運動は、当時の重役にも好評で、
その成果は日本生産性本部や日本IE協会で発表する機会を得た。この発表会に参加
することで、私は生産性向上に関する異業種交流会の場に参加する機会が与えられた。

この交流会で指導を受けることになった先生が当時の芝浦工業大学の津村教授であり、
この異業種交流会には、約15年間という長期間にわたって参加。多くの異業種の方
からさまざまな知見を得ることが出来た。

 また、企業内でも、管理工学(IE)の専門職としての評価が高まり、私は欧米に
視察に出掛ける予定をしていた幹部職に同行させていただき・・・

 欧米の管理工学(IE)の専門家との交流の場を得る機会に恵まれた。
約1か月間の駆け足視察であったが得るものは多く、帰国後に、企業内でのIE活動
を再開してからは、工場内に幹部主導の「生産性向上検討会」を立ち上げさせていた
だき、私は幹部の支援に携わりながら、工場内の管理職と連携して・・・

「工場のレイアウト改善」
「ビデオによる標準時間の設定」
「ビデオ分析による動作改善」
「ワークファクターの導入による技能職の合宿研修」

 などを次々と手掛けていった。

◇◆◇ビデオ分析による、動作分析は、身体に沁みつくほど体得したので・・・

 「T&Kの終ついの住処Ⅱ」の詳細設計の際には家の中のあらゆる場所において、
私と家内そしてゲストとして訪れる若夫婦や孫たちの動線をシミュレーションして、
「暮らしやすさ」や「安全面」から総点検を繰り返した。

 また、工場レイアウト設定を数多くこなす中での経験則として・・・

「正方形のエリアが使い易い」ことから、T&Kのついの棲家Ⅱの細部レイアウトに
おいても、正方形の場所取りを工夫した。

 例えば「一階の和室は8畳の正方形」である。
 リビングとダイニングは、エリア的に隣接しているが、これも面積的には8畳の
 正方形を二つ合わせた形状にしている。

 一番考えたのは、トイレと洗面所の配置で近くに配置しながら、それぞれを隔離
 する位置関係にした。

 玄関周りの扉は、開けた時のエッジの位置に、安全面から注意を払った。

◇ 企業内における活躍として、次に取り組んだのは・・・

「民間航空機のジェットエンジンの整備期間(オーバーホールも含めて)の大幅短縮
であった。これは国内のエアラインからの強い要望でもあり、欧米のIE(管理工学)
の実情調査の際に、海外のエアラインの航空機に乗り、整備工場の作業の実情をみて
多くの知見を修得していたこともあり、民間エンジンの整備期間の短縮プロジェクト
に迎え入れられて、IE技術スタッフの立場から自分で考え出したアイデアも加えて
整備工期の半減を達成。顧客であるエアラインから大いに感謝された。

◇◆◇この工事期間短縮の経験は匠の世界の矢吹さんの考え方を理解するのに大いに
役立った。

 昔風の表現をすれば「棟梁兼大工職の矢吹さんの驚くべき工期短縮の秘訣」は、
「一日当たりの作業時間の増大」および「大工職と内装職の並行作業による成果」
であり、そこに、矢吹さんの卓越した技術力が加わったうえでの成果によるものと
即座に理解することが出来た。

◇ このエンジン整備期間の短縮を推進するプロジェクトにおいて、私は物流(部品
の流れ)やマテリアルハンドリング(工場内の搬送機器)などについても、現状分析
から、改善策を練り上げて具現化して行った。

  また、トヨタの生産方式などについても、芝浦工業大学の津村教授に咀嚼してい
ただき工場内の改善を促進した。他にも、オペレーションズ・リサーチの考え方や
習熟性工学からのヒントは、工場内で改善を実践する際に役立った。

 そして、これらの一連の成果から、当時は、まったくの部外者であった、私が、
「物流倉庫の革新」においてプロジェクトリーダーとして駆り出され、自動倉庫の
基本計画を任された。

 この自動倉庫内の収容部品は大半が航空機用のジェットエンジン整備のために用意
された交換部品であり、消費頻度にバラつきがあることから、人海戦術による管理に
は限界があるため人手を省きながら効率化を図る自動化の必要が長年叫ばれていた。

 しかし、実現までには遠い道のりであった。今にして思えば、資材管理の専任者で
はなく部外者だからこそ、実現できたプロジェクトであったのかもしれない。

 自動倉庫については過去にも資材部門で3回設備予算の申請をしてきたがいずれも
却下されていた。私は、過去の申請書を精査してみた。結果として分かったことは、
計画そのものが図面化にまで至っていないため具体性に欠ける印象を受けた。

 そこで私は、自分で書き上げた基本計画の図面を同じ社内の物流機器を販売してい
る事業部門に持ち込み、詳細設計までの図面に書き上げていただいて、設備審議会に
臨んだ。結果、重役の前でのプレゼンで、その必要性と具体性が認められて自動倉庫
の建設が実現した。

◇◆◇これらの企業内での物流の知見は「T&Kのついの棲家Ⅱ」の建設においては、
クローゼットや収納設計に役立ち、クローゼットの外側に扉を付けて外から出し入れ
するという、設計士の宮崎さんを驚かすアイデアに結実した。

 これもグッドデザイン的に役立っている。

◇ 企業内の活躍で、次に特筆できるプロジェクトとしては、品質管理における最高
の賞であるデミング賞の受賞成功に向けて、工場を挙げての全社的な品質管理活動に
参加、工場内の品質管理活動の推進事務局として動き回り受賞の一助につながったこ
とである。

◇◆◇企業内で培うことの出来た品質管理的な視点は東町の建築現場のウォッチング
の際にも、Jグループの優れた品質管理体制を見極める際に役立てることができた。

◇ 企業内では、さらなる活動として、私はこの全社的品質管理活動における経験を
活かして、工場内の小集団グループの支援者として活躍の場を得ることが出来た。
これは、やがて事業本部全体の小集団グループへの支援活動に発展、日本IE協会の
推薦で日本生産性本部主催の「生産性の船」に講師として乗り込み異業種交流に参加
する機会につながって行った。

◇◆◇この小集団活動における体験は狭山台のデザインセンターで私と家内と設計士
の宮崎さんといういわば異業種の混成チームの交流を円滑にすることに役立った。

◇ 当時、私は、将来に向けて「兀型の専門職」を目指して、従来から専門職として
活躍してきた管理工学(IE)の深堀分野に加えて、大学での心理学の専攻に学び、
もうひとつの深堀分野を加える準備を進めていた。同時に経営戦略を練るための幅広
の基礎知識も必要と考えてプレジデント社が発刊していた「経営大学院(商品名)」
25巻を段ボールで2箱分を購入して、自宅で猛勉強を重ねていた。

 これは、「必然であったのか?」「偶然であったのか?」いまだに分からないが、
「全社的な業務革新」の旗振り役の任務が割り振られてきたのである。

 全社(全本部)的な当時の実情としては企業としての生き残りのために・・・

「国内の需要に加えて、海外から国際協力の事業を加える必要があった」
「しかし、当時の急激な円高の状況にあっては、コスト半減が必須であった」

 また、全社的な業務革新を推進する旗振り役の我々に「どれほどの期待があって」
「どれほどの満足感が得られたのか?」いまだに定かではないが・・・

「兎にも角にも、賽は投げられた」

 国際競争力の上から「コスト半減」を実現させるためには・・・

 品質を維持して行くことを大前提として、
「先ずは、製造コストの半減」
「次いで、設計・技術部門の抜本的な業務革新」
「さらに、間接業務的なオフィス部門の付加価値革新」

の全範囲の業務革新が必要になってくる(そこに聖域はない)。

◇ 旗振り役として、最初に手掛けたことは、製造部門へのトヨタ生産方式の導入で
あった。従来からも社内的には、トヨタ生産方式を学んで、自力で努力していたが、
これでは「コスト半減」には届かないので、私が管理工学(IE)の専門分野におい
て、お世話になっている芝浦工業大学の津村教授とIE実践研究会の仲間であるE氏
のコネで、当時、多忙を極めていたコンサルタントチームを生産部門に投入した。

 経営トップ層も、このコンサルタントチームが米国の航空エンジン部門において、
活躍されていることは事前にご存じであったので、実際に、生産部門に導入後は、
いっさいを生産技術部門に任せた。

 その後、生産部門は、一大飛躍して行くことになる。

◇ 旗振り役として、次に手掛けたことは、聖域とも云われている設計・技術部門で
あり、航空エンジン技術と云う特殊な専門職の天才たちが競っている聖地の業務革新
に取り組むことであった。

 私も社内コンサルタントとしての経験を積み上げて、社外コンサルタントとの合同
コンサルタントを推進できる技術力を身に着けた、今、全本部的な技術部門に対する
業務革新策として「技術KI計画」なるノウハウを見つけるに至った。

 そして、その「ノウハウは本物か?」
 「当事業本部に適合するものか?」

 これを確かめるために、N協会のセミナーに飛び込んで、実地体験をした。

 結果は「本物」であった。
そこで当時の業務革新推進プロジェクトの担当部長を介して、技術開発部門のトップ
に導入を勧めた。

 技術開発部門のトップも、抜本的な業務革新策を模索していた段階であり、該当の
トップの方とは、生産部門の時代にビデオ解析による「工場革新」を共に進めて来た
経験もあり、阿吽の呼吸で導入が決まった。

 実際の導入に当たっては、全本部的な講演会から合宿研修による「技術KI計画」
の考え方の習得へと進め、社内外合同コンサルによる部門ごと導入実践に繋げた。

これによって、設計・技術部門の業務革新は飛躍的に進展した。

◇ 一方で、事務部門(オフィス部門)に対しては、「DIPS」と云う手法を取り
入れて、業務革新を推進したが、業務革新の焦点が絞り切れず不発に終わった印象が
あり残念な思いが残った。

 しかし、自分自身の日々の暮らしや日常業務に適用したところ、日常生活の暮らし
ぶりが三倍豊かになった印象を受けたので、アプローチの方法を変えて再チャレンジ
して行くことにした。
 
◇ かつて、全社(全本部)的な業務革新を進めるに当たって・・・
 
「最初は従来からの伝統的なアプローチであるところの全体会議から入っていった」
しかし、この方法だと「総論賛成」「各論反対」で、ことが進まないため業務革新を
推進する旗振り役がチームを組み、全国の部門をテーマを持って巡回することにした。

 結果、業務革新は、コンサルタント的な支援内容の具現化もあり、点から線、
線から面へと拡充して行き、業務革新の推進部門として存在感を増していった。
(しかし、事務部門については、同じ方法は効果が期待出来ないようである)

◇ 一方で、私が経営トップから命題として与えられていた、「権限の委譲」推進に
ついては、暗中模索の末に、単身、飛び込みでボストンコンサルティングを訪問して、
ご指南いただくにいたった。アポもない状況での訪問であったが・・・

 ヴァイス・プレジデントの親切な対応に感動した。

「経験上、日本企業における権限委譲の問題は、最も難しい課題と考えます」
「欧米においては、ビジネス・ルールが、かなりの範囲に渡って文書化されておりま
 すので、この面からも、権限委譲の影響が判断しやすいのだと推測されます」

 私としては、このアドバイスによって、感じ取れるものがあり、お礼の挨拶をして
会社に戻ることにした。そして、帰り際に、「タイムベース競争」堀紘一監修の著書
が、お土産として手渡されたのである。

 当時、私たちは、経営トップが掲げるところの「シンプル&スピード(S&S)」の
キャンペーンに沿って、「業務の簡素化を図り」「業務をスピードアップする」運動
を推進していたのであるが、この著書は、この意を汲んだものであった。

 私たちは「タイムベース競争」の著書に紹介されたノウハウに学び、さらにビデオ
による解説シリーズを購入して、社内を巡回、事務部門の意識改革も視野に入れて、
全部門の意識改革を進めていった。

 私にとっての命題である「権限委譲の問題」については、ビジネス・ルールの整備
から着手して行くことにした。当時の管理規定の状況については、品質管理規定につ
いては完璧に近い状態で整備されていたが、一般の管理規定については、バラツキが
見て取れたので、全面的に見直しを行い整備した。そして、細部のビジネス・ルール
については、各部門に整備を任せた。

◇◆◇技術KI計画にしてもDIPSにしても共通するコンセプト(考え方)は最初の段階
において「完成イメージ」を明確に描くことであり、その完成イメージから逆説的に、
「今から実行することを決めて行く考え方」であり「T&Kのついの棲家Ⅱ」の細部
設計においては設計士の宮崎さんから、建屋の3Dによる立体図をシミュレーション
図法で出図していただき、内部レイアウトと外観図を比較検証して行く、逆に、内部
レイアウトから外観図を比較検証して行く、この繰り返しにおいて、ある時に、内部
の設計変更を余儀なくされて、外観イメージが満足できない形状に陥ったときにこの
両者のさらなる「シミュレーションの繰り返し」によって外観形状と内部レイアウト
ともに満足行く状態に落ち着かせたことがある。

◇ 定年の3年前(1999年)にはコンピュータ関連の「2000年問題」を目の
前にして、技術情報を司る情報機器の基盤整備が必要になり業務革新推進部門を兼務
する形で技術情報管理部門に出向くことになった。

 この時には、設計部門と生産部門の間を行き来する図面や技術情報を集約的に扱う
データーセンターを構築。目前の2000年問題を解決すると同時に、技術情報管理
の体制を一元的に電子化することに成功して定年を迎えた。

◇◆◇技術情報を電子システムにより一元的にやり取りする考え方は・・・

 T&Kのついの棲家Ⅱにおける図面のやり取りにおいても規模的には小さいものの
私と家内と設計士の宮崎さんとの間では図面を電子メールに添付して、やりとりする
という形態で、スピーディーに情報交換を行い、設計期限よりも、かなり早い時点で
すべての設計作業を完了することが出来た。


【生涯学習の実践と地域における絆作り】

 実際に東町に引っ越して、住み始めてから感じたことは・・・

 「T&Kのついの棲家Ⅱ」として、建屋が出来上がっても、「それだけで完成」とは
云えず、隣近所や地域に溶け込み地域の中で「絆を作り」「その絆をさらに強めてこそ」
「T&Kのついの棲家Ⅱとしての完成に近づくのではないか」と、考えるようになって
きた。生涯学習の地域における実践活動としての取材活動などが終わり、さらに地域で
活動を続けて行くために、私は二つの試みを始めた。

 一つ目は、狭山市のテニススクールで、毎週木曜日に「並行陣を主体にした実践練習」
において、ゆっくりと打ち合う練習を繰り返しているので、この効果的な練習法につい
て、せっかく教えていただいたことを、「おさらい(復習)練習できる場」を作れない
ものかと考えた。

 そこで、その場を入間市の市営のテニスコートに求めて、毎週、月曜日に仲間を集
めて「ボランティア的に生涯学習のスポーツ面での実践の場」として位置付け活動を
始めた。

 ここでも、趣味を通じての地域の人々との絆作りは重要である。

 二つ目は、大学で日本文学を学び、「徒然草や方丈記を読み通す授業」で手応えを
掴んでいるので、これも、「ボランティアで、生涯学習の座学の面」から、日本文学
を読み通す同好会を作れないかと考えて、これは月に1回のペースで活動を始めた。

 家内も公民館活動として、「フラダンス」、「陶芸」、「生け花」の同好会に参加
して、趣味としての楽しさを広げながら、地域の人々との絆作りに注力している。


【T&Kの終の棲家Ⅱに洋ランが咲いた】

 2014年の春になって、我が家にシンビジウムの花が咲いた。花持ちが良さそう
なランの花である。色合いは、桃色を基調にしていて花弁の付け根が黄色い。二色の
コンビネーションも自然な感じで愛らしく咲いている。

 この洋ランは、都内の実家で父親が株分けしてくれたものである。父親の花好きは
家内にも伝わっている。東町に、引っ越して来てから、家内が、さらに株分けをして、
南側の和室と西側のリビングの窓際に配置した。かつての棲家ではランの花が咲いた
ことはなく、どちらかというと、今までは緑の葉を楽しんできた。

 それが東町の「T&Kのついの棲家Ⅱ」で暮らすこと3年を超えて、南側の和室と
西側のリビングで、共にシンビジウムの花が咲き出したので驚きである。

 家内が、「日当りのせいかしら」というので、私は、「長年、我が家で庭造りの友
としてきている『家庭の園芸百科』を書架から取り出して読み返してみた」・・・

「洋ランは冬から春にかけては室内に置いてガラス越しの日を十分に当てると良い」
と書いてある。室内における家内の洋ランの扱い方は、「その通り」になっている。
そこで家内にその旨を伝えて「やはり決め手は日当たりの良さだろうね」というと、
嬉しそうに・・・

「日当りの良い家に、引っ越してきてホントに良かった」と笑顔で応えるので、私も
同感の思いで「洋ランの花」をデジカメに収めた。


【引用文献】

「美音里ホール建築日記」(演奏会場で頒布されたもののコピー)

「日本文学概論」島内裕子放送大学教授著  財団法人放送大学教育振興会発行

「徒然草」兼好・島内裕子 校訂・訳  筑摩書房発行

「すらすら読める 方丈記」中野孝次著  講談社文庫発行

「生涯学習論(現代社会と生涯学習)」岩永雅也放送大学教授著(放送大学大学院)

「生涯学習と自己実現」堀薫夫大阪教育大学教授・三輪健二お茶の水女子大学教授著

「月は東に(蕪村の夢、漱石の幻)」森本哲郎著  新潮社版

「タイムベース競争」堀紘一監修・ボストンコンサルティンググループ著

「臨床心理面接特論」大場登放送大学教授・小野けい子放送大学教授著
(放送大学大学院)

「コミュニケーション論序説」大橋理枝放送大学准教授・根橋玲子明治大学准教授著

「技術者の知的生産性向上」日本能率協会コンサルティング著

「マネジャーが変わればチームが変わる」インパクト・コンサルティング著

「IEのはなし」津村豊治著  日刊工業新聞社発刊

「俳句月別歳時記」高橋悦男編  博友社発行

「詳細演習 オペレーションズ・リサーチ」守谷栄一著  日本理工出版会発行

「作業研究」津村豊治・佐久間章行著  丸善株式会社発行

「習熟性工学(動的評価と計画の技術)」工学博士 師岡孝次著

「生産性科学入門」黒澤一清放送大学教授著  財団法人放送大学教育振興会発行

「情報工学と社会」赤木昭大放送大学教授  財団法人放送大学教育振興会発行

「品質展開活用の実際」赤尾洋二編 日本規格協会発行

「運動と健康」臼井永男放送大学教授著 財団法人放送大学教育振興会発行

「上手な困り方(仕事が進化する改善ルール)」津村豊治芝浦工業大学教授著

「硝子戸の中」夏目漱石著  新潮文庫(新潮社発行)



【哀悼の意】

 今回、執筆を完了できましたことは、多くの方々のご尽力と、ご支援によるもので
ありまして、そのご厚情とご恩は、私の生涯の宝物として私の心の中に深く刻み込ん
でおく考えです。

 また、執筆中に故人になられた方々には、ここに謹んで感謝と哀悼の意を表します。

  故人 津村豊治芝浦工業大学名誉教授のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 津村先生には、芝浦工業大学における教授職の現役の時代から、たいへんお世話に
なりました。特に、私にとって印象深い出来事は、私が生産の場でIE活動の普及と
IEという言葉の普及に困っていた時に、日本の企業内でIEの考え方を普及させる
ためには・・・

「その活動の本質は問題を見極めて、そこに具体的な手をあてて問題解決すれば良い
のであって」、IEという英文字にとらわれることなく「上手な困り方」と云う独特
ののキャッチフレーズで行きなさいと救いの手をさしのべていただき・・・

「上手な困り方」の著書をいただきました。

 それから、15年間の長期にわたって、日本IE協会主催の「IE実践研究会」に
参加させていただき、私にとっては「生涯の師」と仰いで、ご教示を指針として活動
を重ねてまいりました。

 昨年(平成25年)6月2日に、88歳で亡くなられたことを奥様および息子さん
からお知らせいただいた時には、生前とてもお元気にお過ごしでしたので、その驚き
を隠すことができませんでした。ここに謹んで哀悼の意を表します。


  故人 小穴けい様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 鎌倉に娘が嫁ぐ際に、小穴けい様から、鎌倉の嫁ぎ先の土地に・・・

「昔、夏目漱石の三女にあたる榮子お嬢様がお住いになっておられた処であること」
をお聞きしてから、鎌倉の文学館を訪ねてみたり「硝子戸の中」夏目漱石著を読ん
でみたり、その過程で、私は文章を書くことに興味をもち書くことに熱心になって
行きました。

 当時、小穴けい様は、現役の90歳で、不動産の管理をオーナーの立場から運営さ
れており、小穴けい様が描く仏画の精緻な表現力には驚かされました。

 昨年(平成25年)7月16日に101歳で他界されたときには、微笑んだ遺影の
前で合掌させていただきました。

 あの90歳を超えて、なお現役で活躍されていた時代の「早起きに基本」を置いた
生き様は、これからも見習って行きたいと考えております。

(合 掌)

『【長編】シルバーエイジの物語』

『【長編】シルバーエイジの物語』 万田 竜人(まんだ りゅうじん) 作

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2015-10-31
Copyrighted

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