かわりばんこに覗いた光
あの日覗きこんだ海
昔。
と言ってもまだD'Arc本人が幼少期の頃、この田舎育ちにとって、最も楽しみにしていたのは夏の夜空を見上げる天体観測であった。
その時にいた周りの人間がどんな性格や風貌だったかなどとは覚えているわけもなく、そんな15年前の記憶に残る断片を今日も本人は語り出してしまうのである。
ただ見上げることだけに夢中だったこのガキは、なぜその1本の鉄棒から見える全てがこの世のものとは思えないことかを知りもしなかっただろう。だからこそと言っていいのか、その光を覗くのは自分だけではないことも分かっていなかったのだと思う。もとより楽しむために覗くのは周りの影響だったのだ。
その先に見えていたのは生きた光だった。無数に散りばめられた宝石は今夜も輝いていて、やはり美しかった。世界は残酷だと感じた。こんなにも素晴らしく美しいと誇れるものがあるのに、なぜ世界は悲しみへ囚われているのだろうかと。覗いた先に見えるのは本人にとって、この世で唯一の希望だったのだ。
多くの人間が今も尚、その先を覗いている。誰かのためでも自分の身勝手さのためでもない。ただあるがままの光に魅入られているのは本人の気のせいなのだろうか。本人の後に続いて覗き込んだ1人の少年はその眩い星の海に思わず口を閉じずにはいられなかった。
何度も見たはずの光景は、むしろ生きたいという意志に駆られ、よりその純粋なふちを広げて眼前に広がっていた。ああこれが本当の世界なのだと人は知る。生きていて感じるものが、見て聞いて知って理解できるものがこの世の全てではないのだと、神秘的な理念に想いを馳せられてしまう。
瞳孔を見開いて人々はその瞬間を大切に紡いでいく。見える先は一瞬のうちに変化を遂げていくのだから、その価値を忘れることは神にもできぬ悪戯だろう。
15年前の記憶。確かにそこにあった真実。あの日あの場所で感じ知り得たもの。D'Arc本人がこの物語の真相に辿り着くのは、やがて出会う人々との紡がれる春夏秋冬の、熱く切ない喜び悲しむ青き日々のことである。青春の幻影はかつて多くの世界で感じた一瞬の一頁なのだ。
そして今、人々は数多の月日を歩み、覗き込んだあの光の意味を知っていくのだ。誰かに仕組まれた道ではない。己が生きる時間と共に向き合っていく全貌を、誰に造ることができようか。その瞳に映る世界を創ることができるのは君自身だ。真実は君にある。みんなと覗き込んだ希望が君達自身であるように。
だから、忘れないでほしい。目の前にあるものを手に取ることができる今、未来を、夢を、希望を、その手で掴み続ける意味を。愛するという情熱を。進むという躍動を。その真実を知るために、今があるのだから。
@完
かわりばんこに覗いた光