磯波 / 昔物語り幻想


【 打つ波に 巌を離れし一片の 藻は寄すれどもただ沈みゆく 】


わたくしは、旅から旅へと行脚(あんぎゃ)を重ね、この国の津づ浦うらまで巡り参った琵琶語りを生業(なりわい)とする、年老いた旅の者にこざいまする。このたび当地に辿り着きました処、このお屋敷の慈悲深い主じ殿に招かれ、身に余る暖かいお持て成しを頂き、その御礼にと、去る離れ島に渡った折、その島の古老から伝え聞いた今は昔の物語りを、この場をお借りいたしまして一族の御ん方々にお聞かせ申そうと存ずる。なれど、ご覧の通りの歳老いた者故、うろ覚えのこともあり、語り口もおぼつかぬ場合もあれば、その時は平にお許しを希い願い、しばしの間、このわたくしの琵琶の響きに乗せて語る言の葉に、お耳をお貸しいただきとう存じまする。されば・・・。


~ 今を(さかのぼ)ること数百年もの昔、さる国の、さる里の、とある神社の猿楽を生業とする者の家に、一人の玉のような男の子が生まれ申したそうな。幼き折から、ことのほか身目麗しく利発な子でたちまち周囲のものから神童と呼ばれるほどの評判を呼び、ある年の初春に演じていた神社の大祭の折の舞台姿が、たまたま鷹狩りに来ていた将軍家の眼にとまり、そのたっての所望によりわずか七歳にして京に上り、将軍家お抱えの猿楽演者の一人とあいなったのでございまする。その時すでに都には大和より上掛けの鳳凰、鳴滝の二座がございましたが、時の将軍家は(こと)の外その子を寵愛なされ、猿楽の一演目に(なぞら)えて菊一太夫の御名をお与えになり、さらに恐れ多くも、その里より一族を呼び寄せて、新たに菊一太夫を座頭とする、(おん)自ら名づけられた寶仙と申す一座をも構えさせ給うたのでございまする。前代未聞の事なれば、他の座ものはこれに大いに驚き、従来の慣習(しきたり)を揺るがすと今回のなさり様に異論を唱えるものもおりましたが、将軍家は(ことごとく)くそれを退けられ、あらゆる儀式や神社仏閣はおろか、禁裏のやんごとなき方々の御前でも、菊一太夫の舞いを所望されたのでございまする。
かくの如き将軍家の厚き庇護のもと、菊一太夫はその天性の美貌と演技にますます磨きがかかり、天下第一の舞い手との名声はさらに高まり、京の都に寶仙座の菊一太夫ありと国中に、その名を轟かすこととあいなったのでございまする。その時菊一太夫は、おん歳十七才、身も心も人としての春を迎えておりました。

悪戯(たわむれ)に 月下の華を見し後は 瞼瞑(まぶたつむれ)ど消えぬその色 】

京の都は周りを山に囲まれた盆地ゆえ、夏の暑さもひとしおで、その歳の夏は特に暑さが厳しく、一滴の雨も降らぬ日がもう一月余りも続いていたある日の事でございました。 菊一様は、昼の舞台を終えられ昼餉(ひるげ)をお召し上がりになった後将軍家の館の縁側に腰を賭け、お庭の風景をご覧になっていらっしゃったときの事、離れの屋敷の生垣の向こうから若い娘たちの明るい笑い声が聞こえてきたのでございます。おん歳十七といえば多感なお年頃、その美しい声に誘われるように菊一様は縁側に舞台で履いておられた白足袋をお脱ぎになると、素足のまま庭を渡られ、離れに近づくと生垣の枝に折りたたんだ舞扇を差し込んで、その隙間からそっと中をご覧になられたのでございます。折も折、その離れのお庭の木陰には数人の侍女たちに囲まれ、将軍家の側室のお八重の方様が、何と一糸も(まとわ)わぬ素肌のままで(たらい)に入り、行水(ぎょうずい)をなされていたのでございます。お八重様といえば数ある御側室の中でも、彼の玄宗
皇帝の愛妾で絶世の美女と言われた楊貴妃ではと見紛(みまがう)ほどに、それはそれはお美しい方でございました。それを目の前で、しかも一糸も纏わぬお姿をご覧になった菊一様の驚きは、(たとえ)ようもないほど大きかったに違いありません。この時以来、菊一様はその心の中に何と・・・御自分の後ろ盾である将軍家が最も寵愛なされている御側室お八重の方様を、事もあろうに、(ひそか)恋慕(こいした) うお気持ちが日毎に強くなっていくのを、どうしても抑えることが出来なくなってしまっていたのでございます。人を恋慕えば、そのことを相手に打ち明けたくなるのが人情と言うもの、菊一様も熱き胸の思いを、人の眼を忍んで文にしては破り捨てることを繰り返しておられましたが、よそ眼には猿楽の工夫をしているようにしかみえなかったのか気にするものもおりませんでした。ところがお八重様にお使いする侍女の中に、菊一様と同じ大和の出で美代と言う十七になる娘がいたのでございます。同じ年で同郷の者どうしということもあり、二人はたちまち意気投合してまるで兄妹のようにうち溶け合う仲になったのでございます。菊一様は美代から、お八重様が平安の世から伝わる源氏の君の物語がお好きで、度々自分たちに読み聞かせて下さり、その物語の中で、平安の大宮人達ちは男女の間で歌を読み返して恋慕の思いを伝え会ったのだと言う話をきいて、一計を案じ、源氏の君を真似、胸の想い歌に詠んで美代に託し、お八重様の元へ届けてもらおうと、お思いになったのでございます。そしてその歌とは

【 恋しきは 香りもゆかし 八重垣の 隙間よりみゆ白百合の花 】

というものでございました。恋い慕うお八重様を美しい白百合の花に例え、その心の想いを伝えようとなさったのでございます。なれど、何日待っても、お八重様からのお返しのお歌はございませんでした。お美代に確かめたところ、おひとりでお部屋に居られた折に、間違いなく手渡し、お読みになったところを見たと申します。そこで、その折のお八重様の様子はと聞くと「お八重様は、顔色一つ変えることなくその手紙を火桶にくべられ、燃やしてしまわれた。とのこと、それを聞くと菊一様は大層気落ちなさいましたが、その一方でなぜお方様が手紙を燃やされたのかと考え悩み、かえって、お八重様への想いを、さら募らせてしまわれたのでございます。そこで、菊一様はお方様のお心内を確かめようと、再びお美代に次の歌を託し、お方様へ届けさせたのでございます。

【 もしやもし 香りに酔いて迷い込む 蝶に開くや白き花弁は 】

ところが、お方様はこの手紙にもお読みになるとすぐに燃やしておしまいになりました。それでも(あきら) めきれず、菊一様は三度目の正直とばかりに、このようなお歌をお送りになったのでございます。

【 身は蛍 一夜の恋に身を焼きて やがては果てん百合の朝露 】

これをお読みになったお八重の方様は、それをお燃やしになった後、何を思われたのか紙と(すずり)をお取りになると、遂に菊一様に宛てて、次のようなお歌を御返しになったのでございます。

 【 灯(ともしび)に 迷い込みたる夏虫を 哀れと想いそっと(はな)たん 】

これをお読みになった菊一様は、あまりの嬉しさに三日三晩の間その手紙を片時も離さずに、眠れぬ夜をお過ごしになられたのでございます。しばらくたったある日のこと、将軍家が御正室様を伴って、御生母様の御病気をお見舞いがてら、そのお住いである御室(みむろ)の門跡寺院に出かけれ、一晩お泊りになられた夜のことでございました。何時もなら、毎夜のようにお八重様のお部屋にお渡りになられる将軍家が、今宵は御室で御正室様と夜を過ごされることとあいなり、お八重様は御愛読の『源氏物語』を紐解きながらも、一人お寂しい夜を過ごされていたのでございます。そして夜も更け、床にお入りになったお八重様は、一人寝の悲しさに涙で袖をお濡らしになりながら、物思いに耽っておいでになりました。その時、蚊帳の外で侍女のささやき声が、枕元に届いたのでございます。「お方様、蛍が一匹お部屋に迷い込んできましたが、如何いたしましょう・・・。」 お八重様は、しばらくしてその侍女に、こうお答えになりました。「一人寝の退屈しのぎに、蚊帳(かや)の中に入れてたも・・・。」
唯一夜(ただひとよ) 夢の逢瀬にと忍ぶれど 逢いみて後は想い積もりて 】

その後も、将軍家が館を空けられる度に、二人の逢瀬は密かに、侍女お美代の取り持つ縁によって続いおりました。そしてそんなある日、ついにお八重様はご懐妊なされたので御座います。それまで子宝に恵まれなかった将軍家のお喜び様は(たと)えようもなく、人目も(はばか)らず、お八重様のお腹を嬉しそうに撫でられたり、耳をお付けになったりするほど、それはそれは大変なものでした。これを快く思われなかったのは御正室の咲子様で御座いました。それに御正室様は、自分が子宝に授からないのは他の側室も同様で、将軍家自身の
お身体の故に違いないと信じておられたので、お八重様のご懐妊に強い不信の念をお抱きになり、身の回りの世話をする者に命じて調べさせたところ、将軍家が先月、湯治(とうじ)のために御正室とともに館を離れた五日目 の未明に、密かにお八重様の部屋を後にする人影をみた者がいることを突き止められたので御座います。これを怪しんだ咲子様は、お八重様の侍女を呼びつけきつく問い(ただ)したところ、何と、将軍家が館を空けるたびにお八重様の寝所に忍び入る者がおり、そのものは頭から女物の衣装を被り、顔に能の表を着けた者であると告げたのでございます。そしてその能面を外した顔を見たものは誰もいないのでそのものが何処の誰であるかは、分からぬと申したのでございます。これを聴いた咲子様はお八重様本人に問い糺す他はないと心に決められ、お部屋にお八重様をお呼びになり、問い詰めたところ、お八重様は「そのようなことはあろうはずはなく、その侍女が見たというのは(もの)()(たぐい)であり、そういえば将軍家が館を離れるたびに夜更けに胸が苦しく(うな)されることが度たびあった。さてはその物の怪のせいであったか。今後は高野の(ひじり)を呼んで加持祈祷(かじきとう)をさせ、二度と物の怪が近寄らぬように致しますからご安心くださいませ。」そう言って頭を下げ、さっさと御自分の部屋に戻られたので御座います。(おさ)まらぬのは咲子様、この機を逃さずに、お八重様を将軍家の御側近(おそばちか)くから追い払おうとしたのに当てが外れ、増々お八重様に対する憎しみの念をつのらせられたのは、言うまでも御座いませんでした。

(いず)れとも 分からぬ若芽も花咲けば (おの)ずと知れるその花の親 】

それから十月余(とつきあま)りが過ぎて、お八重様は玉のような男の子を無事御出産なされました。御嫡男(ごちゃくなん)を得られた将軍家は大層御喜びになり、その子に龍王丸という御名前をお付けになって、乳母(めのと)の授乳の時以外は常に御膝にい抱かれ手放さぬなさぬほどのあまりの可愛いがり様に、政務に差し障りが出るのではと心配する向きも御座いましたが、将軍家は全くそのような噂には気も留めず、お八重様ともども楽しい日々を御過ごしになっていらっしゃいました。そして正室の咲子様といえば、将軍家の御側近くから離れた御部屋に遠ざけられ、心安からぬ日々をじっと耐え忍んでおいでになったのでございました。将軍家は御嫡男龍王丸様に、立派な次期将軍に相応しい武芸、学問、教養を身着けさせようとなされその一環として、菊一太夫様に猿楽の稽古を御命じになったので御座います。その時龍王丸様はまだ四歳でございましたが、たちまちその才を発揮され、その上達の速さは初舞台をご覧になった将軍家をして、我が龍王丸はやがて師の菊一太夫を凌ぐであろう、と言わしめた程だったのでございます。しかし、将軍家を挟んで、お八重様と反対の御席で龍王丸様の演技をご覧になっておられた御正室、咲子様の見方は全く違っておりました。咲子様がご覧になっていて驚かれたのは、龍王丸様の演技よりも、同じ舞台で演じる菊一太夫様と龍王丸様が、あまりにも似ておられる事に、お気づきになったからでございました。似ているというよりも、本当の親子であるかのような二人をご覧になった咲子様の心の中に、戦慄の如き恐ろしいある疑惑が渦を巻いておりました。ー まさか!将軍家の留守中、お八重の方の寝所に夜な夜な現れたという、能面で顔を隠した者というのはひょっとして・・・ー その間も、将軍家は御満悦のお顔で、舞台で舞う龍王丸様の御姿をご覧あそばされていたのでございました。

【 ひとり寝の 寂しさ故の一夜づま 覚めて 恋しき夢の面影 】

あくる日の朝、咲子様は朝餉を食べておられる将軍家の部屋を訪れ、何用かといぶかしがる将軍家に、心の内をお明しになられたところ 一笑に付せられ、そのようなことがあるはずはない、そなたの嫉妬心故の妄想であろう、と仰られ、なおも詰め寄る咲子様の態度に嫌気がさしたのか将軍家は朝餉の途中で席を立たれ、(うまや)に出向かれて従者を連れ、遠乗りに出かけてしまわれたのでございました。この話は、将軍家のお傍近くに使える、お八重様の息のかかった者によってすぐにお八重様の耳に届いておりました。その日の夜咲子様は将軍家のお気持ちを自分の方に向けようと告げ口をしたところが、逆にさらに遠ざけてしまった口惜しさと寂しさに打ちひしがれ、侍女も遠ざけて一人寂しく寝所で涙にくれておられたのでございます。その真夜中のこと、咲子様は傍に人の気配を感じ起き上がろうとすると、「しっ!お静かに、咲子様のお気持ちをお慰めせよとの、ある方の御依頼により参上いたしました。そのまま眼を閉じてお身体を横にして動かないでおられませ・・。」その甘く優しい若い男の声は、まるで柔らかな美しい絹の衣のように、咲子様の身と心を包み込み、夢うつつのうちにその一夜は過ぎていったのでございました。そして次の夜も、その次の夜も・・・。

何と!咲きにも子ができたと!それはでかした。これで我が一族はさらに地盤を固めることができよう。いやあ目出度いことよのう。祝いの縁を開かねばならぬ。今宵がよかろう、早く用意をいたせ。」将軍家の喜びようは大変なもので、その日のうちに咲子様も、もとのお傍近くのお部屋に呼び戻されることになったのでございます。このことをお聞きになったお八重様は、まるでそのことを早くからご存じであったかのように顔色一つ変えずに、「それは、目出度い。将軍家もさぞお喜びであったであろう。」とただ笑っていらっしゃったのでございました。そして十月十日の後、咲子様も無事男の子をご出産遊ばされました。「いやあ、男子(おのこ)を授け給えと氏寺に願を掛けたことが成就した。寺にそれ相応の寄進をせねばなるまい。」と仰せになり、寺領を増やすと同時に、名のある仏師に命じて地蔵菩薩を彫らせ、立派な御堂を建立させて、感謝の意をお表しになったのでございました。 将軍家は、御正室咲子様がお産みになった男の子に虎王丸いう御名をお与えになり、高僧として名高い去る禅寺の墨仙という人に学問を、武門の誉れ高い側近の剣術の御指南役でもある一式平八郎と
言うものに兵法を、そして何よりもお好きな猿楽の師に、これも、菊一太夫様と腕を競われるほどの名人と言われる鳴滝座の宗家の次男、橘太夫秀正様を起用されたのでございました。今まで菊一様の寶仙座の徴用に、眉を(ひそ)めていた名門の鳴滝座の者達は、この時ぞとばかりに勢いずき、座の命運を掛けて虎王丸様に惜しげもなく秘伝の芸を教え伝え、又虎王丸様のご才能の優れていることも幸いしたのか、忽ちのうちに芸を習得され、僅か4歳で初舞台を踏んで、将軍家を喜ばせたのでございまする。ただ、龍王丸様と違う処は、虎王丸様は将軍家の御正室が御産みになった御子、つまり次期将軍になられるお方であったということでございました。

【 沈みゆく陽を追う術もなかりせば登りくる陽も暗き冬の日 】

 やがて月日が矢のように過ぎてゆき、中天に輝く太陽の如き将軍家の御威光もその重ねられる御年とともに次第に色褪せて行き、すでに五拾九歳に成られた将軍家は、次第に病の床におつきになることが度重なり、遂にその年の暮れ近くに来世へと旅立たれたのでございました。そして次期将軍の座につかれた虎王丸様は元服の後名を宗高様と改められ、絶大な権力を手中に収められました。義兄弟の龍王丸改め範宗様であっても将軍家を上座に頂き、そのご命令に従わざるを得なくなったのでございます。我が意を得たりと、日ごろからお八重の方様への憎しみを募らせていた将軍の生母となられた咲子様は、あからさまに、我が子将軍家の御威光を笠に、お八重様とその子である範宗様への容赦ない仕打ちを始められたのでございます。まず最初に将軍家をして、お八重様に先の将軍家の菩提を弔うようにと有無を言わさず髪を下ろさせ菩提寺の尼僧として暮らすようご命令を下させ、さらに今まで慣例となっていた寶仙座の都での上演のすべてを鳴滝座に切り替えさせ、寶仙座の都からの追放を謀られたのでございます。そして、全国の名だたる領主に対して今後如何なる場合も、将軍家の許可なしに猿楽の上演をしてはならぬとの御触れをお出しになり、都を追われた菊一太夫様及びその一座の生きる道をも絶とうとされるなど、その徹底ぶりには将軍家の臣下の方々の中にも眉を細める者がいたほどでございました。また範宗さま、近習の者も遠ざけられ、まるで謀反人であるかのような厳しい警備の中、洛外のわび住まいの暮らしを余儀なくされていたのでございます。

【 世の春の 花も見ぬ間に我一人 浮世を離れて洛北の寺 】

咲子様の範宗様に対する迫害の手はそれに留まりませんでした。ある日、咲子様は崇高さまの師となった墨仙、平八郎をお呼びになり「源平の昔より、親族内の争い事は国を滅ぼす元にもなりかねぬ故、その芽を摘み取らねばなるまい。将軍家、ひいてはこの国の為その方らの力を借りたい。両名とも主人の為とあらば異存はあるまいの。」と仰られたのでございます。そして間もなくして、咲子様の命を受けた将軍家側近の二人の(はかりごと)が現実のものとなりました。腹違いの弟君、範宗様の近習のひとり相模守輔直という侍が捕らえられ、その者が崇高さまを亡き者にせよと、範宗様が元御家来数名に命じた文を携えていたことが判明したのでございます。そして凄まじい拷問に耐えかねたのか輔直は、自ら範宗様からその文を受け取ったことを認め、書かれている数名の者達もそのご命令に従い、将軍家の狩場に潜み弓矢にて崇高さまを射殺す計画だったことを白状したのでございます。忽ちのうちに範宗様の館を甲冑を身に着けた兵たちが囲み、白い寝間姿のまま縄打たれた範宗様は何が起こったのかわけが分からず、将軍家前に引き出され厳しい詮議を受けることと相成ったのでございます。側近二人の謀とは気付かず将軍家は烈火の如くお怒りになり、知らぬ存ぜぬと言い訳をする範宗様の言葉など耳に入らず、謀反人は直ちに打ち首にせよと仰せになりましたが、さすが傍に控えていた墨仙、平八郎の両名ともそれを押しとどめ、「この事が露見すれば将軍家の御威光にかかわりましょう。ことは穏便にすませたほうが。」と進言され、『範宗様はこの度、御自ら将軍家の安泰のためと称して髪を下ろし出家される事とあいなった。』との御触れを出すことで、この事件に幕を下ろそうとなさったのでございます。範宗様は泣く泣くまだ十七歳と言う若さで、洛北にある紫雲山縁照寺に入り出家の道に入られたのでございました。 そして、その猿楽の師であった菊一太夫様にも、その後に過酷な運命が待ち構えていたのでございます。

【 荒磯の 波の響きに慣れぬれど 想い果てなき追憶の日々 】

都を追われて早や三月、慣れぬ島暮らしに寄る年も加わって、菊一太夫様は病の床に伏して居られました。茅葺屋根の詫び住まいに従者さえ奪われて、島人の情けに唯々縋るより他に、生きる手立てを失われておられたので御座います。夏が過ぎてはや初秋の気配漂う庭先に、一株の菊の花が沈む夕日に輝いて居りました。噂を聞いて寄り集まった島民の中には、猿楽や謡い、鼓や笛などを習いたいと申し出る者もおりまして、菊一様は打ちひしがれた心を、それらの人々に自らの芸の一端を教えることによって、慰める日々を送られていたので御座います。そして、その七年後に、二度と再び都の地を踏むことなく天下にその人ありと名を知らしめた、稀代の猿楽の名手、菊一太夫様は御年六十二歳でこの世を去られたので御座いました。亡くなられたその日の夜に、茅葺屋根の上に白い一羽の都鳥らしきものが現れ、海の彼方へ飛び去って行くのを見たという者が居り、それを聞いた人々は菊一様のみ霊が、都恋しやと鳥に姿を変えてお戻りになったのだと、話し合ったそうで御座います。

いやあそれにしても、人の運命とは誠に奇異なるもの、如何ともし難いものに御座りまするなあ。もう夜も更けました。これにて私めのお耳汚しの物語も、終わりにさせて頂きとう御座います。また何れの世かでお会いすることも御座いましょうが、その時は、皆様方のお顔を拝見できるよう、眼を開けていたいものでございます。それでは皆々様、お休みなさいませ。

                                                ( 完 )

* この物語は、完全なるフィクションであり、登場する人名、地名、その他一切の事物は、実際に存在するものと全く関係がありません。

( 筆者敬白 )

磯波 / 昔物語り幻想

磯波 / 昔物語り幻想

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-01-19

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