ひいふうみいよ、いつのこびと

かくら

ひいふうみいよ、いつのこびと
  1. ヒイ
  2. フウ
  3. ミイ
  4. ヨウ
  5. イツ

ヒイ

 緑色の家に住むヒイさんが風邪をひいたのは、空がきんと冷えはじめた秋のこと。そのまま冬の間はこんこんと咳がおさまず、からだもだるく、食べるも眠るもベッドで過ごしました。
 ヒイさんはひとり暮らし。旦那さんはずいぶん前の嵐の夜に、馬車ごと崖から谷へ落ちましたし、三人の娘たちはみんな遠くへお嫁に行きました。ですがヒイさんは三人姉妹、ふたりの妹たちは同じ村で暮らしています。その妹たちの娘や孫が毎日ヒイさんを訪ねて世話をしてくれました。
「ヒイばあ、ヒイばあ」
 特にちいさな三人の子供たちは毎日そろって顔を出しました。ヒイさんもそれぞれの子が大好きです。でも、あんまり出入りする子供が多いので、どの子がどちらの妹のどの娘や息子の子供なのか、名前もわからなくなります。それでも、三人の子供たちはヒイさんが大好きです。
 ヒイさんはしわしわの顔をもっとしわしわにさせて、子供たちの頭をなでます。どんなに具合が悪い時でも、ありがとうと笑います。そして枕元の小箱から飴を取り、まだまだ新品のきれいな子供の手にそれを持たせます。
「ヒイばあの飴は幸運の飴だよ。さあかわいい子、おいで、飴をおなめ」
 子供たちのおなかは日々ヒイさんの幸運がたまって行きます。
 冬は終わりました。春を待っていた鳥の声。庭の木はやわらかな若い葉を太陽へさらしてうんと栄養をいただきます。
「ヒイばあ、空気をいれかえよう」
 開け放たれた窓からはすがすがしい緑の匂い、蝶々の挨拶。
 うたた寝から目覚めた夕方の枕元には、誰が編んだのか、花の冠。
 咳がとまらなくなった夜、ひび割れる喉をうるおす水には、冬を溶かした冷たさはもうありません。
 
 ある夜、お手洗いのあと、閉め忘れた廊下の窓から流れてくる空気は、甘い春に満ちていました。真っ白なお月さんがしんしんとかがやいていました。庭の木はくっきりと濃い影を緑の地面へ落としていました。
「ヒイちゃん、ほら、月がきれいだよ」
 遠い昔、青い家のおにいさんがそういって、夜の庭で、ダンスを教えてくれました。そのひとは、そのあと、王様の兵隊になって、隣の国へ行き、もう帰ってきませんでした。
 ヒイさんは満月のうつくしい夜、あの夜を思い出します。窓を叩くかすかな音。いたずらっ子の笑みで、ヒイさんを外へ連れ出したおにいさん。草も牛もひとも夢の中。静かな庭で、音楽も眠ったダンス。あのひとは、やさしげな眼ざしで、うつくしい腕にリボンを巻いて、草の匂いを連れて、おそろしい場所へ盗られて行ったんだ。ヒイさんは月に誘われて、しばらくぶりに庭へ出ました。
 もう一度、ステップを踏んでみようか。
 細くひきしまっていた足はだいぶくたびれて、最近ちょっとむくんでもきたけれど、少しくらいなら、きっと踊れる。
 ヒイさんは月をあおいで深呼吸。
 そして最初の一歩で、石につまずき、転んでしまいました。

「歳も歳だからね。もしかしたら、歩けなくなるかもしれない。まあ、しばらくして骨がくっついたら、練習だね」
 町のお医者さんはヒイさんの左脚に添え木を当てて包帯を巻きました。
「とはいえ、骨がちゃんとくっつくかも、あやしい」
 と、ヒイさんの妹の娘のひとりへつぶやいて帰りました。
 ヒイさんがベッドから動けなくなったので、ヒイさんの妹たちやその娘たちやそのまた子供たちは、代わる代わるヒイさんの家に寄って世話をしました。
 ヒイさんへ特になついていた三人の子供たちは、夜中にこっそり、庭からヒイさんの部屋の窓を覗きました。真っ暗の夜にヒイさんはどうしているのか、とても心配だったのです。
 長患いの風邪は夜になるとヒイさんにたくさん咳をさせます。咳をすれば胸もお腹も背中も、肉が悲鳴をあげますし、脚の骨にもひびきます。どうしてこんなことになったのだろうか、どんな悪さをした報いなのだろうか。心細くも、情けなくもなって、ヒイさんはほつほつと泣きはじめました。
 特急列車のように三人の子供たちは走り、玄関のドアを叩いて、台所でうたた寝していたお世話当番のヒイさんの妹を起こし、内へいれてもらいました。
 ヒイさんは時計も眠りそうな夜中に子供たちが寝室へ現れたので驚きました。子供たちのあたたかい手が代わる代わるヒイさんの頭や手をなでます。ヒイさんはますます泣きました。目玉が溶けてなくなるのではないかと思うほどに。
 ヒイさんの妹は、ヒイさんが娘たちへも妹たちへも心配をかけたくないと思って弱音も吐かずに振る舞ってきたのを知っています。ちいさな子供の時代をのぞいて、ヒイさんが泣くのを見るのは久しぶりでした。
 ヒイさんの旦那さんが谷で見つかったという知らせを受けて、妹たちがヒイさんの元へ駆けつけた時、ヒイさんは、娘をひとり背負い、ふたり手をつなぎ、一度ぐっと歯をくいしばってから、頭を下げました。
「来てくれてありがとう。これから、この子たちと、がんばる。きっと、頼ると思う。その時は、どうかよろしくお願いします」
 頭をあげたヒイさんは、きっとたくさん泣いたはずの、真っ赤に腫れた目から、もう一滴も涙を落としませんでした。でも、肩も声も熱をおびて、ふるえていました。 ヒイさんの妹は、そのことを思い出しました。たくさんたくさんがんばって生きてきたヒイ姉さんが、こらえきれずに泣いている。妹の目からも涙がこぼれたのでした。
 ヒイさんがつかれて眠りに落ちると、ヒイさんの妹と三人の子供たちは台所へ行き、お茶を淹れました。三人の子供たちは、ヒイさんの咳や痛いのを治してあげたい、どうすればいいだろうとちいさな頭を三角形に寄せて話し合いをはじめました。
 ヒイさんの妹はふと子供の頃に祖母から聞いた話を思い出しました。
「橋を渡って町へ出る途中の森があるだろう? あの森の奥には赤く咲く変な形の花があって、そこには小人が住んでるんだって。小人っていうのは、森の知恵があるからね、よく効く薬を知ってるっていう話があったねえ」
「小人はヒイばあに効く薬も持ってるの?」
「さあ、どうかしら。あたしのちいさい時分に聞いた話だしねえ。今も小人はいるのかしら。それよりお前たち、そろそろ寝なさい。今夜は泊まっていいから」
 三人の子供たちは、台所に敷いたお布団の中で顔をつき合わせ、眠くなるまで、相談をしました。それはもちろん、森の小人を探すのに必要な準備や日程についてでした。

フウ

 赤い花のかげに住む小人のフウは、森で一番物知りな小人です。
 森で一番といっても、最近では森に住む小人は減りました。みんなもっと暮らしやすい場所へ引っ越してしまいました。そこは大きな人の住む都会の町です。屋根裏部屋や下水道、古い物置小屋、気のいい犬の小屋の隅。賢い彼らは、乱暴で愚鈍な大きい人から身を隠し守る術に長けています。曲がりくねった木の窪に住んでいた弟一家も、少し前に都会へ引っ越して行きました。ひとり暮らしのフウを心配して、一緒に行こうと弟は誘いました。けれど、フウは森を選びました。おそらく生きている間に弟と顔を合わせることはもうないでしょう。都会の町は、それだけ彼らには遠いところです。
 フウは森が好きです。暮らすのに必要な水や蜜や草はそろっています。雪の積もる厳しい季節は終わりました。これから春が芽吹き夏が咲き誇ります。フウの大好きな夏。今度の夏が最後かもしれない。賢いフウは予感します。冬を越す体力はないでしょう。
 それでいい。フウは蜜を集める手をとめて、森を見渡しました。雲がよぎって去ったあと、一瞬太陽が虹色に変化しました。雲の舟へ乗った空の人が、太陽を交換していったのです。森も燃える虹のようにかがやきました。このように、小人に見える景色は大きな人とは違います。
 フウはこの森で最後の季節を過ごせることを歓んでいます。これでいい。息絶えたあとは森の土に還ろう。あたたかな土の養分となり森の命のために身をつかおう。うれしいじゃないか、大好きなこの森とひとつになれるのだから。腰のベルトは金色の指輪です。それが新しい太陽を受けてきらりと光ります。
 夜、フウは赤い花の下へ掘った穴の家へもぐって眠ります。この家は蟻の巣に似たかっこうで、上から下へ三つの部屋があります。一番上がおもてなしの部屋です。二番目はフウの寝床。三番目は貯蔵庫です。ちいさな出入り口を木片で閉じて用心し、階段を降りてまっすぐ二番目の部屋へ行き、フウはすぐに寝床へもぐりこみます。やわらかく編んだ干し草と枯葉のベッドです。いつもですとフウはすぐに寝ついてしまいます。ですが、今夜はなんだか胸がどきどきして目が冴えています。
 おかしい。これはなにかある。フウは勘を信じます。すると、のしんのしんと遠くから振動が伝わってきました。それは段々近づいてきます。甲高い話し声も一緒に。
「暗くなっちゃったね」
「お母さんたち、心配してるかな」
「怒ってるかな」
「あそこにほら、花がたくさん咲いてる。何色だろうか」
「照らしてみて」
「赤かな」
「赤かも」
「じゃあ、ここに小人がいるの?」
「花に住んでるって、この花の中?」
「呼んでみる?」
「おおい、小人さん、出てきてください」
 フウは返事をしません。上にいるのは、どうやら大きな人の子供です。彼らは一般に残虐な性質です。見つかったら最後、死ぬまでもてあそばれるかもしれません。すぐ逃げられるように、フウは身の周りのものを鞄へつめました。一番大切な金の指輪も腰へはめました。
「ねえ、もしかして」
「茎の中?」
「小人ってそんなに小さいの?」
「虫なの?」
「裂いてみる?」
 フウは飛びあがりました。冬を地中で過ごし、やっと芽を出し花を咲かせた長年の友人を裂いてしまおうというのです。フウは一瞬で決意しました。どうせ次の冬は越せない身。命を賭しても花を守ろう。階段を駆けあがり木片の出入り口を押し開けました。ランプの灯が夜の森を明るくさせていました。
「あ」
 大きな人の三人の子供は、赤い花の根元から現れたフウに驚きました。赤い花はまだ無事でした。おびえてふるえているのが、フウにはわかりました。フウの胸はさっき寝床へいた時よりももっとずっとどきどきしていました。勇気を呼ぶためにフウは咳払いしました。立派な姿を赤い花と森に見せてやろうじゃないか。
「私は赤い花の友人、フウである。何用か、大きな人の子供らよ」
 森の地面へしっかり立ってフウは大きな人の三人の子供をにらみました。
 三人の子供は大きな六つの目でフウをじっと見つめ、森がびっくりして飛び起きるような声で歓声をあげ、どしんどしんと跳ね回り始めました。三人の子供が跳ねるたびに、フウの足もとはゆれて、立っていられません。赤い花の茎にしがみついて、フウは子供たちに跳ねるのをやめるように叫びました。三人の子供はフウの前に手をついてしゃがみこみました。フウは大きな三つの顔に囲まれました。みんなきらきらした目をしています。朝露みたいです。うつくしい水をたたえています。恐さはどこかへ消えました。よく似た目を以前に見たことがあります。
「お願いがあるんだ、小人さんに」
「ヒイばあの痛いのを治したいんだ」
「咳を治したいんだ」
「脚を治したいんだ」
「お薬をわけてください」
 三人の子供は額を地面へぴったりつけてフウへお願いしました。
 大きな人と声を交わすのは生まれてから二回目でした。フウは若い頃を思い出しました。あの時は雨が降っていました。牛舎の隅で脚を怪我したフウ。あの男はフウと同じ年の頃合でした。雨が強く牛舎の薄い屋根を叩いていました。強く、強く。
 フウは腰へはめた金の指輪を両手でさすり、尋ねました。
「ヒイばあとは?」
「緑の家に住んでるヒイばあだよ」
「森を抜けて、橋を渡って」
「僕らのばあばたちのお姉さんなんだ」
「風邪をひいて、ずっと咳をしていて」
「冬からだよ」
「秋からだよ」
「こないだ庭で転んで脚の骨を折ったんだ」
「咳が出て、痛くて、泣いてるんだ」
「僕ら、治してあげたい」
「小人さんはいろんな薬を持ってるって聞いたよ」
「だから薬をわけてもらいに来たんだ」
「お願いします。ばあばを治してください」
「お願いします」
 三人の子供はそれぞれに次々としゃべりました。誰がなにをいったのかわからないくらいに次々と。森を抜けて、橋を渡って、その先にある、緑の家。
 フウは空を仰ぎました。欠けた月が道しるべのようにかがやいています。草の踏まれる音。白い足首。黒く長い髪は大きなまるい月に照らされて、まるで昔語りに読まれる王女様。星が歌う月夜。とびきり上等な空の音楽が満ちていた夜。フウの記憶の宝箱から小さなかけらが浮かんでゆきます。月へ吸われるように。
「私をその人のところへ連れていきなさい」
 フウは月を仰いだままつぶやきました。その声も空へ吸いあげられるようでした。三人の子供は手を叩き合って歓びました。フウはあわててとりつくろいました。
「まず、看てみないとわからないから」

ミイ

 田園の中に建つ青い家に、ミイは生まれました。
 夏は青く、秋は金色、夕焼けに燃える稲穂の波。
 ヒイさんの家は小高い丘にありますので、そこから見渡すと、ミイの家は金色の海に浮かぶ青い舟のようです。
 ミイはヒイさんの下の妹の息子の息子です。ほかに兄弟はいません。本当はお姉さんがいたのですが、ミイが生まれる前に高熱を出して亡くなったそうです。
 ミイのおばあさんにはほかにふたりの息子がいて、この人たちもそれぞれお嫁をもらい、それぞれ子供に恵まれました。全部で十五人が田園の中の青い家に暮らしています。ミイのほかに子供が七人いますがみんな女の子で年上で、ミイよりも力持ちで、おしゃべりが得意です。ミイはみんなのことをお姉さんと呼び、七人のお姉さんたちはミイのことをちいちゃな僕と呼びます。たったひとりの男の子。ミイが転べばお姉さんたちはみんな駆け寄って、泣かずに立ちあがるのよと応援します。ミイは涙を目の裏へ隠して、誰の手も借りないで立ちあがります。
 ミイのおばあさんはたったひとりの男の子の孫をとても大切にしています。一番のお気に入りです。ヒイさんの家へお茶を飲みに行く時にはいつでも一緒に連れて行きました。
 ヒイさんの家で牛が小屋から逃げたことがありました。ごつごつとした黒い山みたいな牛の前で、ちいさなミイは恐くて動けなくなりました。泣かないようにがまんして顔を真っ赤にさせて、動けないままおもらししてしまいました。七人のお姉さんたちがそこにいたらきっとちいちゃな僕を叱ったでしょう。ヒイさんはふるえるミイを抱きあげて牛も小屋へ戻してにっこりと笑いました。
「ほら、大丈夫ですよ。恐かったねえ、泣いていいのよ」
 ミイのズボンを取り替えて、幸運の飴を渡しました。
 それから、ミイはおばあさんと一緒ではない時でもヒイさんの緑の家へ遊びに行くようになりました。
 そこにはヒイさんの二番目の妹の孫たちも集まりました。ミイはあまり似ていない双子と仲よくなりました。双子のくせにいうことすること逆さまで、けんかばっかりしています。でも、ミイが間にはさまって両手を伸ばすと、ふたりもその右手と左手に手をつないでけんかせずに歩くことができました。輪になって踊ることもできました。
 双子はミイをよくからかいますし、お姉さんたちでも叩いたことのないミイの頭や肩を叩きます。三人のうちの誰かが泣くまで遊びごとをやめません。ミイのお姉さんたちは結局ひとりもミイと本気でけんかしないのに、双子はまっすぐ生まれたまんまの気持ちをぶつけてきます。ミイは双子といる時、少しおしゃべりになれました。
「ほら、三つ子さんたち、お掃除を手伝っておくれ」
 あんまりたくさんの子供が出入りするので、ヒイさんはどの子が誰の子供だか、全然覚えていられません。いつも一緒の三人をひとまとまりの兄弟だと思いこんでいました。ヒイさんにそう呼びかけられるとミイは楽しい気分になって、兄弟のふりをして元気よく返事をしました。
 ヒイさんが寝こんだ冬、三人は丘の上の緑色の家へ毎日通いました。ヒイさんの熱が高い時には、雪を溶かした水で布をしぼり額へあててあげました。ヒイさんの咳がおさまらない時にはその背中をさすりました。お母さんたちがつくったお料理を届けました。薪を運びました。雪がつもれば誰にお願いされなくても緑の家の前の雪をのけました。ちいさな雪だるまをつくってヒイさんへ贈りました。ミイは双子と一緒にいればどんなこともできるような気持ちがしました。
 
 小人のフウを緑の家に連れてきて何日かが過ぎた頃のことです。
 いつもならフウと一緒に三人で森へ行って薬をつくるために必要な葉っぱや花を収集するのですが、その日双子はヒイさんの側で看病していたいといって、森へは行きませんでした。双子の顔は青ざめていて、めずらしくふたりで手をつないでいました。肩へ乗ったフウに指示されて草や葉を篭に集めながらも、ミイはふたりの様子が気になって仕方ありません。ねずみ色の空が低くたれこめて雨がしたたってきそうなのを幸いに、フウをせかして早々に緑の家へ帰りました。ちょうど重い雨が屋根に落ちはじめたところでした。
 台所では双子のお母さんがお昼ご飯の支度をしていました。お膳にあたたかなスープとお粥を並べていました。双子のお母さんはミイにお膳をヒイさんのベッドへ届けてほしいと頼みました。
 双子のお母さんの顔も、朝の双子のような色に染まっていました。
 雨のせいでしょうか。廊下も青く冷え、屋根を打つ音がそのまま肌を刺すようです。窓は水玉模様、庭の木が暗くににじんでいます。
 ミイは遠慮がちにドアをノックして寝室へ入りました。ヒイさんはベッドで半分起きあがっていました。ミイに気づくとひとさし指を口元へ当てました。
 並んで椅子に腰かけた双子がベッドへうつぶせていました。ミイはお膳を床頭台へ静かに置きました。双子はおたがいの額をくっつけて、すうすうと眠っています。ふたりのまぶたは赤く腫れて、頬には涙の伝ったあとがありました。ふたりを覗いたミイの頭をヒイさんはやさしくなでました。
 

 ミイの家の夕食は十五人の家族がせいぞろいするのでとてもにぎやかです。ミイの席はお父さんとお母さんの右隣です。低くひかえめな声でお母さんとお父さんが話しました。
「かわいそうにね。下の子は都の兄夫婦の養子になるんですって」
「かわいそうってことはないだろう。あっちのほうがいい暮らしができるさ」
 ミイは右隣のお姉さんたちにたずねました。
「ねえ、養子ってなに」
「あらミイ、養子っていうのはお父さんとお母さんが別のひとになるってことよ」
「双子でしょ? 都の親戚に子供がどうしてもできないから女の子の方をあげるんだって」
「都って?」
「町から列車で何日も行く、とっても遠いところよ。海があるの。王様が住んでるのよ。きっときれいなところ。ちょっとうらやましいわ」
「あらミイ、スープがこぼれてる。拭いて」
 青ざめて目の赤くはれた双子のしっかりにぎられた手を、ミイは思い出しました。
 そのあとにつづくお姉さんたちのおしゃべりは鶏の鳴き声のように意味のないものにしか聞こえませんでした。

 その夜、ミイは夢を見ました。
 緑の家で泣きながら眠る双子の手をにぎって、ミイはなぐさめるのです。
「ぼくが代わりに都に行くよ。そうしたらきみたちは離れないですむもの。ぼくはひとりでも大丈夫だよ。だからもう泣かないで」
 そうして目覚めたミイは、お腹にたまっていたはずのヒイさんの飴がどこかへなくなってしまった気持ちがしました。幸運の飴がそれ以上出ていかないように枕へ顔を押しつけましたが、もう遅いとミイのお腹がつぶやき悲しむのでした。
 
 雨はその日も降っていました。
 ミイはお腹へ幸運の飴のかわりに大事な決心を詰めて、ヒイさんの緑の家に出かけました。
 双子はすでに来ていました。手をつないではいませんでした。ヒイさんの部屋へ椅子を並べてミルクを飲んでいました。双子はミイにもミルクを渡しました。ミイはお腹へぎゅうぎゅうに決心を詰めていたのでミルクを飲む余裕がありませんでした。決心をお腹から吐き出したら戻ることはできなくなる、そういう予感がしてミイの足はふるえました。すると双子が先にいいました。
「今度あたし、都に行くことになったよ。また会いにくるけど、手紙も書くけど、なかよくしてくれてありがとう」
「でも、それじゃきみら離ればなれになっちゃうよ。僕が」
「平気だよ」
「僕が笑ってるときは、こっちが泣いてるし」
「こっちが笑ってる時は、そっちが泣いてるし」
「僕ら反対者だから、きっとどんなに離れてたって、反対のことをしてるんだよ。僕は僕の気分でもって、こっちのことがわかるんだよ。それってずっときっと変わらないよ」
 双子は笑ったり泣いたり怒ったりの顔を交互にしてみせました。
 ミイの決心はガラクタも同然で、双子には必要のないものでした。
 双子とは兄弟のようにしていても兄弟ではないのでした。それは明らかなことだったのに、ミイはふたりの一大事にこれっぽっちも関われないことをとても悲しく感じました。
 
 ミイはひとりで森に行きました。いえ、ひとりぼっちのつもりだったのですがポケットには小人のフウが隠れていました。
 雨はしとしと降りつづいていました。森には土と緑がからまるような濃い匂いが立ちこめていました。その匂いはミイのお腹へと流れて、重い気持ちを溶かしてゆきます。溶けた気持ちは歩くたびに体の中でゆれ動きます。ミイは溶けた気持ちを体の外へ出してしまいたくてさまよいました。
 フウはミイに親分の木のうろを教えてあげました。フウと仲のいい兎も雨宿りに使う場所です。とっておきの場所です。親分はいつでもうろにはいる森の生き物をやさしく包んでくれるのです。フウはミイをなぐさめてあげたかったのでした。うろはミイが背中をまるめて座ると、ちょうどぴったりでした。親分に肩を抱かれて、ミイは膝に顔を埋めました。
 ミイの気持ちは溶けて目からどんどん出ていきました。
 雨がやむまで、ミイが顔をあげるまで、フウは黙って一緒にいました。フウの記憶はミイの気持ちに共鳴していました。雨の匂いはフウの記憶をぬらして色を濃く浮き立たせます。すべての出来事が同じにあてはまらなくとも、どこか重なるところはあって、それゆえにめぐりあい、いつかつながり、時を超えて意味を持ち、予想もしないほかの誰かのなぐさめになり、何かの約束を果たし、思いを渡してゆけるのかもしれない。ミイの頭の上に座ってフウはそんなことを考えていました。

ヨウ

 田圃の中へ建つ青い家に住むヨウは赤い葉書を受けとりました。
 送り主は王様でした。あなたを王様の勇敢な兵隊の一員として迎えましょう、光栄に思ってください。
 そういう内容の葉書です。
 近頃王様は隣の国の王様と、ふたつの国の間にある鉱山をどちらのものにするか巡って争いを始めました。
 ずっしりと頭上にのしかかる黒い雲。雨が降りそうです。雨が降るのはよくもわるくもない。降らなきゃ困るし、降りすぎても困る。田圃が乾いても、潤いすぎても、困る。
 ヨウは暗い空を見あげてぼんやりと考えます。今年は秋に波打つ金色の稲穂を見られないのだという悲しみが黒い雲と一緒に重く肩へのしかかりました。
 王様同士で取っ組み合いするなり、刃を合わせるなりして、勝手に決めてくれ。そう思います。
「ヨウさん、変な顔をしてるよ」
 いつのまにか目の前にいた女の子が、両腕を組んでいました。お人形みたいなちいさな顔をかたむけて、口をとがらせて、ほっぺたを両手で横に引き伸してみせます。
「こんな顔してるよ」
「うん、変な顔だ。おまえがね」
「ヨウさんがね」
 ヨウは女の子の頭をこづいて笑いました。でも、女の子はまだ許しません。
「うその笑い顔だ、それ」
「うそじゃないよ」
「あ、ほら、これをあげる」
 女の子はポケットから飴を出してヨウの手に握らせました。お菓子屋さんなんてない村です。戦争が始まってからは行商隊が持ってくるものの種類もずいぶん減りました。女の子が少しずつ食べている大切な飴だということを知っていたので、ヨウはすぐに返そうとしました。女の子は両手を背中へ隠しました。
「だめだよ、ヨウさん。それなめて、ちゃんと笑うの」
「わかったよ、ありがとう。これは幸運の飴だね、きっと」
 ヨウが飴を食べると、女の子はやっとにっこり笑いました。

 雨が屋根を打つ音はするどく響いて、眠ろうと目をつむっても、気持ちをどんどん波立たせました。ヨウは眠りに落ちることができません。赤い葉書をもらってから、からだの裏側がいつでも寒くてしかたありません。
 ベッドの中で肩をかかえてふるえていると、ドアが開きました。お母さんが部屋へはいってきたのでした。部屋の反対側のベッドの弟は気づくことなくすやすや眠っているようでした。
 お母さんはヨウのベッドに腰かけました。雨降る陰におおわれて、どんな顔をしているのかわかりませんでした。
「お守りだよ」
 お母さんはヨウの首に革紐をかけました。紐を指でたどると、指輪がぶらさがっていました。それはお母さんが青い家へ嫁ぐ時にお祖母さんからゆずられた指輪でした。娘のいないお母さんでしたので、本当はヨウのお嫁さんへあげたいと思っていた指輪でした。お母さんに頬をなでられて、ヨウは悲しくなりました。小さな弟へよく言ってきかせねばならないと思いました。お母さんをきっと大事にしてほしいと。
 その夜も次の夜もそのまた次の夜も、ヨウはよく眠れませんでした。考えごとがふつふつとして頭の中は沸騰する鍋みたいです。
 たとえば隣の国の住民と道で会ったら、笑って挨拶して通り過ぎるでしょう。乗り合い馬車で一緒になったら、友達になってしまうかもしれません。ヨウはただ田圃を耕していれば満足です。戦争が近くなるにつれて、隣の国の住民を悪くいう偉い人が増えましたけれど、ヨウにはよくわかりません。ひとりの人として出会ったらきっと仲よくできる気持ちがしています。
 兎をつかまえたり鶏の首を折ったり豚をさばいたりする感触を思い出してみます。友達と殴って蹴っての喧嘩を思い出してみます。だれかが死んだ時のことを思い出してみます。
「あの世に逝く時にはお迎えが来て道案内してくれるんだよ」
 そうヨウに教えたお祖父さんが亡くなる時には、若い頃亡くなった友達が迎えにきてくれました。亡くなる何日か前に、お祖父さんはその友達がベッドの隣へ立って見守っていることをヨウへ打ち明けました。
「ヨウが逝く時にはじいじが来てやるからな。悪いことして死んだら、来てやらん。代わりに恐い化け物をよこす」
 眠れない夜、浅い眠り、うっすらした夢の中、お祖父さんは厳しい顔でそういいます。お祖父さんの後ろには血みどろの化け物がいます。毛むくじゃらの手を何本もうごめかせて、百個の目玉でヨウをにらんでいます。ヨウは右手に刃を、左手にだれかの心臓を持っています。
 幾晩めかの夜、ヨウは化け物に叫びました。
「これはおれの心臓だ。おれはだれも殺さない。一番に殺してもらう。だからもう来ないでくれ」

 ヨウは丘の上の緑の家から眺める光景が好きです。豊かな青い絨毯を風が通ると、まるで大きな見えざる手になでられるようです。その手が田圃を通って、ゆるゆると迫り、自分を通り抜け、緑の家の窓枠をゆらし、やがて森をもなでてゆきます。くりかえす波。田圃の仕事の合間に緑の家のある丘へやってきてひといきつくのが、ヨウのささやかな楽しみです。ヨウが腰を落ちつけると、いつも緑の家の女の子がやってきます。つやつやした黒い髪を上手にあみこんだ女の子は、虹色の笑顔を広げます。
 けれどその日やってきた女の子は髪をひとつにたばねたきり。おしゃべりも笑顔もありません。赤い葉書のことをだれかに聞かされのだとヨウは察しました。
「ヨウさん、これあげる」
 やっと口を開いた女の子はヨウの手首にリボンを結びました。それは誕生日に父親から贈られたリボンでした。これまで宝箱へ隠していました。
「あのね、いつも身につけていてね。ヨウさんが無事で帰りますようにって、お祈りする。これがあればきっと届くから」
 女の子は一生懸命にいいました。ヨウは黙って手首のリボンを見つめました。リボンは風に吹かれて頼りなくなびきます。大丈夫だよと、ちゃんと帰ってくるよと女の子は約束してほしいのに、ヨウはちょっともくちを動かそうとしません。
「ヨウさんを傷つけようとする人なんて、あたしが許さないから。そんな人、あたしがやっつけに行く」
 女の子はまるで百の兵をたばねる隊長のように、きっぱりとした態度でいいつのりました。小さなからだなのに、お人形みたいな顔なのに、今しも戦場へ駆け出しそうな勢いがありました。ヨウの胸を透明な矢が、するどい矢が、重くつらぬきました。つらぬかれた胸の穴からは、赤くはない血がゆっくりと流れました。ヨウはまぼろしの血を手でぬぐい、ながめました。それは熱く、生臭く、まるで膿でした。おそらくもうふさがれない穴だと、ヨウは直感しました。血の膿を流しながら行くのだとわかりました。
 ヨウは女の子へひとつの言葉も与えないまま丘を去りました。田園の緑の中へ埋もれてゆくヨウの背中を、女の子はずっと見送り、風の吹く丘へ立っていました。涙は見えざる手が森へ運んでゆきました。

 その夜、屋根の上に座り、ヨウは月と対面しました。
 月はおだやかにやさしくほほ笑んでいます。
 ふたつのお守りがヨウの手にはあります。
 指輪とリボン。
 お母さんと女の子のやさしい気持ちがしみこんでいました。
 あの人たちをきっと守らなければならない。
 ヨウは月にお願いをします。
 どうかあの人たちが幸せでありますように。どうぞお守りください。お月さんは、空からあの人たちをずっとずっと見ていてください。生涯をお守りください。もしも悲しくて泣く時には側へ光をおろしてやってください。光る手で涙をぬぐってやってください。
 満ちきらない月はなんの返事もせずに、ヨウを照らしました。 

 緑の家の牛舎の屋根を勢いよく雨は叩いています。
 雷はまるで空を掘るような音を立てています。
 出立を前にして、ヨウは村の家々に挨拶をして回っていました。最後に緑の家へ寄ろうとしたところの雨でした。窓からほがらかな緑の家の人々が見えました。あの子の背中も。玄関に立つのがためらわれて、ヨウは牛舎へ駆けこみました。
 そこで、ヨウは小人と出会いました。小人は森から度胸試しに村へ来たのですが、脚を怪我して動けなくなっていたのです。話してみると、ふたりは同じ歳の頃合でした。ヨウは小人に会うのは初めてでした。昔は村にもいたらしいのですが、すっかり姿を消していました。
 ヨウは怪我の手当をしてやりながら、村のだれにも話せないこともいつのまにか話しました。小人から村のみんなへ伝わることはないのですから、安心できます。
 小人はヨウに同情しました。小人は生まれ育った森が大好きでした。そこから離れて暮らすなんてとんでもないことです。大人の小人として認めてもらうための度胸試し中ですが、本当は一刻も早く森へ帰って、お気に入りの木のうろでお昼寝したいと願っています。だから故郷を離れなければならないヨウをかわいそうに感じ、そう伝えました。ヨウは小人の気持ちをうれしく思いました。ふたりは気持ちを通わせ、友達になりました。
 度胸試しの証拠を森へ持ち帰らなければならない小人に、ヨウは指輪を与えました。
「でもこれは、あんたの大事なものだろう」
「母さんの指輪を戦場なんかに持っていけやしないよ」
「脚の手当もしてもらって、これももらってじゃ、申し訳ない。なにかできることはないか」
 小人があんまり恐縮するので、ヨウは月に願ったのと同じことを口にしました。それはもちろん、小人には叶えられないことです。
「ただ請け負ったといってほしいんだ」
 ヨウは小人の小さな目を見つめて頼みました。小人は了承し、指輪を腰にはめ、力強くうなずきました。
「わかった、請け負った」
 少なくとも指輪は戦場ではなく豊かな森へ行けることになりました。ヨウは月が小人に会わせてくれたような気がしました。
 雷は遠ざかり、空は静かになりました。窓から外を見つめるヨウの横顔は夏を終える草花に似ていました。小人は明るい言葉を探しました。
「今夜はきっと晴れるだろうよ」
 戦場へ行く男に贈る明るい言葉を、小人はほかに見つけられませんでした。小人の気持ちを汲んで、ヨウは会話を引き継ぎました。
「そうか。月が見えるかな」
「今夜は満月だもの。空にはきっとうつくしい音楽が満ちるさ」
「空に、音楽が?」
「そうだよ、月も星も歌うんだよ」
「聞いたこともないな」
「本当のことだよ。私たちはそういう晩に恋人をダンスに誘うんだ」
「はは、知らなかった」
 ヨウが笑ったので、小人はうれしくなりました。出会ったばかりの青年の運命が、鋭い勘を持った小人には、よくわかっていました。
 そしてその夜は小人のいう通り、とてもうつくしい満月で、確かに世界は空の奏でる音楽に満ちていました。

イツ

 石の街の石の家へ住むイツは困っていまいた。
 お母さんにゆずられた指輪をなくしてしまったのです。
 お母さんがそのお母さんからゆずられて、お母さんのお母さんはそのまたお母さんからゆずられたという、指輪です。
 窓辺の椅子へ座って、イツは石の建物と建物の間にあるきゅうくつな空をながめ、どこでなくしたのかと記憶を探っていました。
 夕べストーブの前でお茶を飲んだ時、イツはお母さんに指輪をもらいました。指輪はイツの右手の薬指へぴったりとおさまりました。今までお母さんの小指を飾っていた指輪でした。そのままおやすみのあいさつを交わして眠り、朝ごはんをみんなで囲み、途中だった荷づくりを始めると、気づきました。右手の薬指がまっさらだということに。
 宝石がついているわけでもない、細い金色の輪。ひとつの模様も彫られていません。けれど、お母さん達がずっと身につけていたお守りの指輪です。今、生まれ育った石の家を離れようとするイツにとって、ただひとつ持ってゆけるこの家の宝物でした。
 ベッドをもう一度見てみよう。イツは杖を引き寄せ、立ちあがりました。うまくあがらない右脚を杖でかばい、イツはベッドをあらため始めました。


 ところで、指輪は屋根裏部屋のびっくり箱の中へあります。
 それにはこんなわけがあります。
 昔森へ住んでいた小人は、便利を求めて、石の街へ出てきました。石の街の真ん中の高い丘の上へお住まいになる王様は、小人のかしこさを気に入って、いろいろの方面へ小人を重く厚く扱っておられます。それは医術であったり、音楽であったり、絵画であったり、細かな工夫の武器であったり。ですから今では森に住む小人よりも石の街へ住む小人のほうがひょっとしたら多いかもしれません。
 そんな小人にも昔々森に住んでいた頃の習わしは残っています。それは勇敢なおとなになるための度胸試し。大きな人の暮らしへ忍びこみ、なにかを秘密に持ち帰ること。大きな人の暮らしへすっかり溶けこんだ小人なのにも関わらずです。ただ、この習わしは大きなひとへは秘密です。秘密でなければ度胸試しになりませんから。
 お母さんにゆずられた指輪は、そういう理由で、夜中の真夜中に、月のあくびした隙間に、星が背を向けた瞬間に、ある小人に抜き盗られたのでした。

 さて、子どもの頃ならとイツは考えました。
 子ども頃なら、きっと親友だった小人を頼って指輪を探してほしいとお願いしたでしょう。
 イツはちょっとさみしい気持ちになりました。同じ枕で眠ったその小人は、いつの頃からか姿を現しません。もう何年も経ちました。けんかをしたわけでもないのに。ずっと一緒にいられると思っていたのに。イツは枕をなでます。なでた左手の薬指へは銀色の指輪がかがやいています。ずっと一緒にいようと約束をした青年に贈られた指輪です。
 青年の故郷は国のはじっこにあります。緑のやわらかくてあざやかなところだよ、神様がなでるように風の吹く。青年が目を細めて教えてくれたその村へ、イツは住もうと決めました。
 小人の親友はもういない。イツはシーツを思い切り引いてベッドをはだかにしました。

 雪の降る夕方、青年はイツの家へ食事に招待されました。
 青年はイツ達家族のおしゃべりに不器用な相づちを打ちます。石の街から汽車をえんえんと乗り継いでゆかねばならない、国の端の端の村へイツをもらってゆくのです。少しでもイツとイツの家族が楽しい時間を過ごせるように、青年はぎこちないながらも精一杯のがんばりで寄り添います。明るく振る舞うイツだけれども生まれ育った石の街を離れることは不安だろうと青年は同情していました。ですから家に伝わる指輪をなくしてしまったとイツが悲しそうに話すのを聞いて、青年はとっさに提案しました。
「いいよ、指輪が見つかるまで、君の出発をのばしても」
「まあ、そんなのだめよ」
「君が来る時には、迎えにくるよ」
「ものすごく遠いじゃない。片道に何日もかかるのよ」
「たいしたことじゃないよ。君は脚がわるいのだし」
 青年は親切のつもりでいいました。けれども、
「脚がわるくたって、ひとりで汽車くらい乗れます。あなたは脚のわるい私があなたの故郷へはそぐわないとやっぱり思うの?」
 イツはいつも以上に背筋をぴしゃんとのばして、青年をにらみました。脚を気遣われると火のつく癖がイツにはあります。青年は火のついたイツが苦手です。言葉は固まって、いびつにごろごろして、喉から出て来られなくなり、とうとうお腹へ落ちてしまいました。背筋ののびたイツとは反対に、青年は猫よりも猫背になりました。お母さんが間を持ち、いったん青年は帰ることになりました。玄関の外で青年はお母さんとお父さんへ頭を下げました。皿を洗うイツはそれを妹から聞きました。お母さんはイツの隣へ立ちました。まだイツの火は燃えていて、めらめらと口から炎がもれそうな様子です。時間が経てば火は弱まります、いつものことです。お母さんは洗い終わった皿の水を拭きました。お母さんが黙っていると、イツの火は勢いが弱まってゆきました。イツは謝りそこねたことにもやっと気づきました。
「大切な指輪をなくしてごめんなさい」
 雪はしんしんと降りつもり、屋根も街灯も石畳も広場も川も丘のお城も白く白く埋もれてゆきます。こういう寒い夜、小人は大きなひとの家のあたたかな場所へ降りてきます。
 お母さんはある考えを胸に、イツを誘ってストーブの前のソファへ腰かけました。そしてイツのなくしたものがどういう指輪だったのかを話し始めました。
「あれはね、ある小人が病気のおばあさんへ贈ったものなの。小人が出会った時にはおばあさんの旅立ちは近づいていたわ。その指輪には魔法がこめられていたの。小人がおばあさんの手へ指輪をはめて耳元で呪文を唱えたら、おばあさんはみるみる若い頃へ戻ったの。そうして昔々離ればなれになった恋人が迎えに来たのですって。そのおばあさんっていうのが、お母さんのお母さんのお母さんの親戚のおばあさんだったの。お母さんのお母さんのお母さんは、元々はあなたの彼と同じ生まれなのよ。だから、あなたへ持たせれば指輪は故郷へ帰れると思ったの。でも、よけいなことだったわね。あなたへはあの指輪はあげません。そして、あなたは向こうへ行くことを考え直しなさい。あなた自身の気持ちを考え直しなさい。さっき、彼にもそう話しました。いいわね?」

 イツはその晩ろくろく眠れず、寝返りを何度も打ち、夕食の出来事を繰り返し思い出しました。そしていろいろのことも。右脚をわるくした雷雨の道路。奥歯を噛みしめて杖で歩き始めた三日月の夜。彼の講義を初めて聞いた色づく葉の吹きこむ階段教室。親友の小人と最後に会った夏の庭。火がついては消せなかった失敗の数々。彼のやさしい話し声。神様の風の吹く丘の話。その風を想像するとイツの胸は静かになってゆくのでした。
 小さなオンボロのアパートメントで、青年も考えていました。窓は吹きつけられた雪でふさがっています。青年は毛布を頭からかぶり、かじかむ手へ息をかけてやりながら、机へ向かいました。手へにぎったペンのことを、イツの背筋のようにまっすぐだと青年は思いました。
 雪は降り積もろうとも、太陽が昇れば少しずつ溶けます。完全に溶けきらなくとも、溶けた水が固い氷となって厚く層をつくろうとも、春さえ来れば石の街の雪は消えます。そうして巡るあたたかな歓びの季節の中、ふたりはどこにいるのでしょう。やがて新しい緑は萌え、花は咲き、鳥は歌うでしょう。故郷の村、豊かな森へ射す光。イツを案内する約束。青年は考えます。窓の外ではもう雪はやんで、雲も切れ、大きな満月が星を従えています。月と星々は歌い、雪へ反射して返ってくる声を楽しんでいます。一面の雪から照り返る音楽で夜空は明るくかがやきます。ある屋根の上では小人が集まり、雪を踏み固めて踊り場をもうけ、ダンスを始めました。
 イツは考えます。とっさに燃えた胸の火はイツを焼いてしまいました。青年のことも火傷させました。お母さんを悲しくさせて、不快にさせました。太陽が昇る仕度を始めた頃、イツは半分夢の中へいました。そこへかつて親友だった小人が会いに来てくれました。小人はずいぶんおとなの小人になったようでした。もう意地悪もいわずに、黙ってイツの鼻に頬ずりをしました。その腰には金色のうつくしいベルトがありました。

 青年は上着のポケットへ手紙をいれてアパートメントを出ました。仰ぐ空のするどい青さへ赤い目を細め、青年はやわらかく息を吐いてちいさな雲をつくりました。月と星の歌声は結晶となり空を漂っています。ある屋根の上にはちいさな足跡がたくさん落ちています。イツが目覚めると、右手の薬指には金色の指輪がありました。妹が郵便受けからイツ宛の手紙を取って来ました。台所で鍋を煮こんでいたイツはそれを読み、お母さんへ金色の指輪をゆずってほしいとお願いし、すぐさま上着へ袖を通し、杖を持ち、青年へあげるための幸運の飴をポケットへ隠し、玄関を出ました。飛び出すことはできませんでしたけれど、走ることもできませんでしたけれど、雪の溶けた石畳を急ぎました。靴と杖が楽器のように鳴っていました。
 イツの小人は屋根からイツの背中がちいさくなってゆくのを見送りました。建物の陰に隠れてイツの姿が見えなくなると立ちあがり、羽根の手入れをしていたカラスと交渉し、その背へ乗せてもらいました。そしてイツの向かう先とは真反対へ、イツの小人は旅立ったのでした。その先へは大きな大きな海が待っていました。
 

ひいふうみいよ、いつのこびと

ひいふうみいよ、いつのこびと

小人とおばあさんと月夜と青年と指輪と子どもたちのおはなしです。

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