かみなりかみさま
まずお断り申し上げるが、今からつたない文章を書き連ねることを、どうかお許しいただきたい。
というのも、私は筆をとること自体随分懐かしいことであるし、それほどに我が〈神様連盟 極東支部〉は仕事がないと言って差し支えない。もともと八百万の神と信仰されていたために、この国単体で支部を作ったのが間違いではないかという愚痴っぽい疑問は、今は飲み込んでおくべきであろう。天界では、この国の人間の神様離れが叫ばれて久しい。
しかし、珍しいことに先日ちょっとした事件があったので、ここに記すこととする。事件といってもそんな大したものではなく、ただ電話がかかってきて対応しただけの何でもない一幕なのだけれど。
それよりも、珍しいのはこのお話の主人公である。
地上では学問の神様であり、我が極東支部の書記係の内でも、エロおやじやセクハラ係長などの様々な異名を持つ、菅原道真が、なんと今回ばかりは少しばかりの活躍を見せてくれた。
さて何が起きたのか。それを、今から記すことにする。若干日頃の恨みが滲み出てしまうのは、まあ、ご容赦いただきたい。
三月も末、決算期で忙しい極東支部に、一本の電話がかかってきた。
◇◇◇
その無機質な音が所内に響いた時、誰もが己の耳を疑った。誰もが、というよりはその時私と菅原道真係長しか所にはおらず、なので主に私が驚いた。電話が鳴ることなど、何週間ぶりだろうか。だから、なんてことなしに菅原道真係長が電話をとった時には、私はもっと驚いた。
「はい、菅原道真です」
『―――はは、あんた、面白いな』
係長は訝しげな表情で、電話に耳を当てていた。電話口の男は続ける。
『神様につながるって書いてあったからかけてみたら、まさか学問の神様が出るとは』
どうやら、下界の人間がこの電話の主であるらしい。後々調べてわかったことだが、こういうことはごくまれに起こるらしく、すなわち何らかの事情を抱えて不安定になっている人間などが、このように天界にアクセスすることがあるようだ。ちなみに余談だが、恒常的に天界と通信を行える人間が時代の主導者になることはよくあるらしい。大昔の、卑弥呼なんかはその類の人間だったそうだ。
いけない、話題を元に戻そう。
『なあ、神様。あんたでいいや。教えてくれよ』
「―――なんだ」
あんたでいい、と言われたのがいささか不満らしく、道真係長は唇を尖らせている。
『俺のしたことは、正しいのかい』
電話口で男は、震える声でそう言った。
その後の男の説明が長ったらしかったので、要点だけかいつまんで書く。
男の妹が数年前に、交通事故で亡くなった。加害者は未成年で、無免許、飲酒運転、の三冠王。法廷でその少年は罪に問われたが、年齢の事も有り大した罪には問われなかった。下界には少年法という法律があり、未成年の犯罪者は法で守られているという。
月日が経ち、男の心の傷は塞がらないまでも小さくなっていた頃、男は全く偶然にその少年に再会した。車に乗っていた時、見かけてしまったという。少年には既に家庭があり、小さな子供もいたそうだ。
その時男は思ってしまった。
妹も生きていれば、このくらいの子供がいたのではないかと。
男は、アクセルを強く踏んでしまった。我々はこういうのを、魔が差した、という。地上においてはただの言い回しであるが、天界にいる身としては実際に悪魔がそのような偶然を作り上げるケースもよく見られ、あながち間違ってはいないと思う。
結果、男は復讐を果たし、そのまま車を捨てて逃げたという。だがいずれ警察にも追い込まれ、自死する覚悟で廃ビルの屋上に駆け込んだそうだ。そこで、ここの電話番号が書かれた落書きを見たらしい。
『なあ、俺のしたことは間違ってないよな。それとも、復讐なんて馬鹿げているのか。妹は死んで、殺したはずのあいつは幸せにどっぷり浸かってやがる。なあ、俺は―――』
「どっちだ」
その時の係長の声は、私も聞いたことのないような、小さく冷たい声だった。いつも下ネタが飛び出すのと同じ口だとは、全く思えないほどに。
「間違っている、間違っていない。お前はどっちだと言って欲しい」
『―――違う。俺はただ正しかったのかどうかを』
「おい」
この時分かった。係長は怒っている、と。このあと下界では雷が轟くことになるだろうと。
「ふざけるなよ。正しいかどうかだって? そんなものはお前が自分で考えろ。「神様の言う通り」か? いい加減にしろよ。絶対に正しいことなんてないんだよ。それと同じように絶対に間違っていることだってない。だからお前が決めるんだ。だからお前たちは考えなきゃいけないんだ。考え続けろ。決断をやめるな。迷うことをやめるな。お前が正しいと思ったら、やり通せばいい。正しいかどうかを決めるのは、お前であって他の人間じゃないからな」
男は黙っている。係長は続ける。
「お前が正しいと思ったことをしろ。それを選ぶだけの力を、お前は持っている。復讐に満足してそこで死ぬのか、捕まってお前の殺した人間に詫びるのか。正しいと思った方を選べよ。きっとそれが正しいんだ」
電話口からは、男の嗚咽のような声が漏れ出していた。菅原道真係長は小さくため息をつき、そっと受話器をおいた。
「係長」
菅原係長は私の呼びかけに、曖昧に笑みを浮かべる。そこにいるのはやはりいつもの係長だった。にやけ顔で女子所員の尻を追い掛け回す、ただのエロおやじだった。
なので、かっこよかったですよ、という言葉は胸にしまっておく。
「お疲れ様です」
「おう」
神様も楽じゃないね、係長はそう言って笑いながら、窓の外の三月の陽気に目をやった。
◇◇◇
さて、なにぶん筆不精であり、なかなか文字を書く事に慣れないから、このあたりで手を止めよう。正直疲れてしまったし、何よりこれから古い友人とお茶をする約束があるのだ。まあ、これだけ書いておけば、あとは地上の人間が勝手に書き換えて神話としてまとめてくれるだろうから、その努力に頼ることとしよう。その際に、日頃の不満ゆえのいらぬ一言に関しては削除していただくよう、ここに書き留めておく。
ひとつだけ書き足させてもらうと、その男がその後どうなったのかは、私たちも知らない。いくら足元を覗き込んだって、地上の様子なんか見えやしない。男は飛んだのかもしれないし、飛ばなかったのかもしれない。詮索しようがないので、私もそれ以上は考えない。
なお、セクハラ係長の思いもよらない勇姿に関しては、この記録の他には私の心の内にそっととどめておくことにしよう。もしかすれば、わが古き友、アンジェとのお茶会でボロっと漏らしてしまうかもしれないが。
短いお話であったが、お付き合い頂きありがとう、諸君。君たちも万が一困ってしまったら、神頼み、というのも悪くはないかもしれないよ。君たちの望んだ神様が答えてくれるともわからないし、もしかしたら救いの手を伸ばしてくれないかもしれない。けれど、気まぐれに怒鳴りつけてくれる神様だって、この世にはいるのだから。
雷が鳴っていたら、誰かがうちの係長に怒られているのだと思ってくれてもいい。
神様連盟 極東支部 記録係
カンナ
かみなりかみさま
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以前書かせていただいた、『春、昼下がりに』(http://slib.net/15661)のスピンオフみたいなものです。
ちなみに今回も短時間で(発案から完成まで二時間)書かせていただきました。
文章が甘いのは、ごめんなさい。