
耳鳴の奥の町
かくら
マッチの火を頼りに耳鳴の奥の町へ行く。
月の消えた夜がいい。
霧の濃い夜がいい。
吐息のふくらむ夜がいい。
そんな夜を耳鳴は支配する。
ぶぶ、むむむ。
耳鳴へ耳を澄ませばうなる音の隙間が道になる。
入り組んだ、細い、消えそうな、音と音の間をマッチで照らす。
足もとは絶え間なくゆれている。
空気はどんどんたわんでくる。
右も左も音はすべてがゆがんでくる。
ゆがんだ音の空白を狙えばやがて辿りつく。
頭のてっぺんもつっかえる、両手を伸ばすこともできない、小さな門。地下へのびているらしい塀。黒い空から落ちる厚いカーテンで、景色の端は隠されている。
門の内からは鈍くゆるく活気のないふざけて猥雑でしごく真面目な生活の熱帯が耳鳴として聞こえてくる。
門番の耳へ合い言葉を告げ、それが的外れならば受け入れられる。
町は異端人を待っている。
門番の耳は四角い。マッチの火に透けて網の目の血管が浮く。
門番の耳の奥からもかすかな振動が伝わる。門番の耳も鳴っている。いったい誰が正しく音を聞けるというのだろう。こんなにも耳が鳴っているのに。私の言葉は振動を経て、門番の耳の道で形を変えて届くだろうに。
暗い耳の奥を見つめ、口を近づける。何を告げても変容する。合い言葉に意味はあるのか。門番の存在に意味はあるのか。耳鳴の奥に隠れた言葉を探る。鈍く重なる振動の間にスカートの風になびく一部を切り取ったようなものを見たつもりがした瞬間。
強力なリズムが響き出し、耳鳴をかき消した。
たわんだ耳のゆがみを強制的に。
矯正するそれは絶対的な音楽の類。
耳鳴のはびこっていた静寂をリズムで整え、太鼓は弦は鍵盤は限りなく密接し、職人の手によってみがきぬかれた音は満ちた月のように光り、時として葉からゆうるりとすべり落ちる朝露にも似て、ぶつかればビイ玉を撒けたように、混じり合わず、せめぎあって、消えることなく充満してゆく。
耳の中に。
耳鳴をかき消して。
空は光、南国の白、太陽の息吹。
音楽に囲まれた私と門番は、勝手にステップを踏み始めた足を止められず、充満する音の逃がし場所を探す。音の余白を求める。
門を開放しよう。
私が合い言葉を叫ぶ前に、門番が手を叩いて跳ねる。
耳鳴の奥にある町、そこは振動している。いつでもふるえている。糸がたわんでいる。静寂がない。いつでもぶぶぶむむむと鳴っている。その振動を音で矯正しよう。門番が歌う。
よいね、よいよい、それはよいこと。
私も手を打ち跳ねる。
どこから聞こえてくるのかわからない音楽。いつやむのか、やんでしまうのか、わからない音楽。
ずっとくりかえし、えんえんとくりかえし、どこまでもくりかえし、鳴りつづけてほしいと手を打つ。音楽に矯正されて耳鳴は消える。町も消える。空白が埋まる。余白が埋まる。余白にはびこる雑音がしずめられる。
小さな門を、右は門番、左は私で、リズムに合わせて、このうえなく愉快に、開いて、耳鳴の町を壊してしまおう。
さあ。
耳鳴の奥の町