片道切符

片道切符

大切な人との別れ。人生の中のホンの一瞬のシーンを、何度も繰り返し、その度に人は、想いを重ねては、それを乗り越えて行く。
お互いに納得しつつも、割り切れない別れの思いを、残される者の視線で描く掌編です。自分の思いを重ね合わせて、読んでみてください。
ちょっとしたトリックの種明かしはあとがきで・・・

春は苦手だ。なんだか慌しくて。別れと出会いの季節。晴れやかさと淋しさが交錯する季節。そして、旅立ちの季節。そんなことをぼんやり思いながら、駅までの道に車を走らせる。
助手席の光は大きな荷物を膝に抱え、じっと前を見ている。何を思って居るのだろう。私は光の思いを推し量るように、横顔を眺める。
きっと今日から始まる新しい暮らしの事で、頭の中は一杯なのだろう。そこにはすでに、私たちの入る部分は無い。
残された者の姿は、離れて振り向いた時になって、初めて見えるものだ。そんな事を今の光に言っても、解らないだろう。二人のそれぞれの思いを乗せたまま、無言の車は駅に近づく。

高速バスの発車時刻までには、充分余裕がある。駐車場に車を停め、ゆっくりと駅前を歩く。
光の手にはバスのチケットが握られている。片道だけのそのチケット、ほんの二千円程の片道切符。その小さな紙片が、どんなに重いものなのか、光は知らないだろう。
大きな鞄を肩から下げ、全身が左に傾いた格好で、信玄公の銅像を見上げる。いつもは何気なく通り過ぎる風景も、しばらくは見ることが無くなる。光なりに、この街への思いが有るのだろう。ほんの少し、時間が止まる。
光はぐるりと周囲を見回して、後ろを歩く私の事など気にもせず、バス停へ向かう。その十八才の後姿は、どこか頼りなさそうな線の細さも感じさせるが、背などは私より高く成長し、もうすっかり一人前の大人にも見える。
こんなに大きくなって一人で遠くに行ってしまうのか。そんな事を思いながら、光の後を追う。

 
 
優を見送ったのは、もう四半世紀も前の事だ。やはり季節は春。日曜の朝だった。
信玄公はここではなく、広場の真ん中に居た。高速バスではなく、普通列車だった。
その頃の私と優は、高校時代の同級生というポジションから始まり、クラス会の時に顔を見る大学生の時代を経て、恋人同士という立場に辿り着いていた。
そろそろ結婚の事も頭の片隅に置きながら、過ごす日々。高校を卒業後そのまま就職し、自宅から離れたことの無い私に比べ、故郷を離れ四年を過ごし、再び故郷に帰って来た優は、言葉や行動も洗練されてはいたが、その分どこか落ち着かない違和感を思わせる時も有った。
しかし、そんな感覚も一緒に過ごす時間が埋めてくれるだろうと、私は楽天的に日々を送っていた。だが、優の気持ちの中には、私には解らない野心が有ったのだ。
有る年の秋頃、優は東京に出たいと言い始めた。服飾関係の会社にいた優は、仕事の取引先の関係で、もっと良い職場に誘われたという話だった。
私は優のそんな選択がとても不安だった。せっかく安定した職を離れ、生まれ育った故郷を離れるリスクは、たとえ収入が倍になろうと、私には選べない道だった。
だが優は、その業界の有名人、テレビや雑誌で見かけるような、私でも知っている何人かの名を挙げ、いずれはそこに肩を並べる自分の夢を描いて、私に話した。もちろん最初から一直線にそういう存在に成る事はあり得ない。しかし、能力次第でチャンスは広がるのだと。
その世界での有名人、テレビや雑誌で取り上げられるような立場まで昇りつめれば、脚光を浴び、自分の思うような仕事も出来るだろう。収入や住居も思うままになるだろう。しかし、そんな夢を実現出来るのは、ほんの一握りの人だけなのだ。大半の者は、下積みのままで挫折するか、糊口をしのぐ生活に落ち着くはずだ。
宝くじの一等賞を夢見るような優には、はずれくじの多さが見えていなかった。いや、見る気持ちは無かったのだろう。宝くじは買わなければ当たらない。仕事だってチャレンジして初めて、スタートラインに立てる。そう言い切る優を留める言葉は見つからなかった。
私にとってみれば、東京は遠い街だ。ましてその街に住み、隣人の顔さえ知らず、仕事の関係だけの人達と付き合い、暮らすなどということは、考えられないことだ。
この街には、家族や友人が居る。職場も有り、同僚も居る。なぜそれらをあっさりと残して行ってしまうのか。何度も何度も、二人でそんな話をした。結局、空を仰ぎ見る優と足元を見つめる私の話し合いは、平行線のままだった。

年が明け、正月気分も抜ける頃になると、優は行動を始めていた。相手先からも、区切りのよい新年度からと言われていたようだ。住居を決め、新しい仕事場にも顔を出しと、何度か東京に通った。今までの職場にも辞意を示し、年度一杯での退職の段取りをして、引き継ぎもしている様子だった。
私にも一緒に東京に行こうと誘い、新しい住処を見てほしいと言い、なんとかして自分の夢を、その一部でも良いから、私に解って欲しいと説得を続けた。
だが、私は頑なにそれを拒んだ。一度でも東京に行き、優の新生活の一部を垣間見れば、ますます優の事が遠く感じられるような気がしたのだ。
山梨と東京は遠い距離では無い。しかし遠いとか近いとかの気持ちは、地図上の数字で決まるものではないだろう。都会暮らしなど考えられない私にしてみれば、そこに住むなどというのは、かけ離れた感覚だった。
私と優の気持ちの距離は、次第に離れていった。

春を待つ季節。暦の上だけでの春の頃に、私は優を誘った。いつも待ち合わせをする店で、灰皿とコーヒーカップをはさんで、閉店まで何時間も話した。
優は、私の事を故郷への唯一の錨だと考えたかったようだ。東京は遠くない。いつでも帰ってくると。
しかし私は、一方的な待つだけの立場には耐えられなかった。樹の梢が鳥を待つのではない。鳥は勝手に空で遊び、枝に休む。そう言って、私は優を拒んだ。まだ遠距離恋愛などという言葉は無い時代だった。
そして、優がこの街を出ていく日が、二人の関係の終わりになるという約束をした。その日までは、今まで通りに恋人同士として付き合うという話にもなった。
その晩、閉店後の灯を落とした店を出るとみぞれ混じりの雨。二人でそれぞれに傘を差し、しかし手はつないで、歩道をゆっくりと歩いた。傘と傘の隙間で、つないだ手は次第に濡れてゆく。そんなことが、私と優の思いを示していた。

そして三月の最後の日曜日。私はここで今日と同じように、バッグを肩に掛け改札口を抜ける優を見送った。窓口でなにげなく買った一枚の切符を見つめて、改めてこの人を失う悲しみが湧いてきた。お互いが納得しての別れだったが、それは悲しみを慰める役には立たなかった。
別れは、どんな理由で有ろうと、別れでしかない。旅立つ者は、行方の未知の生活と希望を見つめて、それを乗り越える。残された者は、喪失感を抱え、今までと同じ日常を過ごしていくしかないのだ。
その後、優との直接の連絡は途絶えた。クラス会などの風の噂では、目標に向かいそれなりに頑張って居るらしい。東京で良い相手を見つけ、家庭を持ったという話もずいぶん後になってから聞いた。


優を見送って数年後、私は家庭を持った。相手は私と同じような考え方をする人で、空に憧れる事より、地面に根を張る事を大事に考えるような人だ。そして光という子供を得て、日々の暮らしを続けている。旅行や出張などで、東京やよその街に行くことはあるが、この街に住み、両親や親戚や近所付き合いの中で生きている。
光たちの世代などは、東京どころか海外にまで気軽に出かけて行く。修学旅行やホームステイで海外に行った同級生も多い。
進学でそういう道を選ぶことも、家を離れる事も当たり前になっている。この時代になれば、親がそれを反対するのは、時代錯誤だろう。
帰省というかたちで帰っては来ても、もう二度とこの街で暮らすことは無いかもしれない。
梢から鳥が羽ばたく時、無事を祈り、それを見送るしか術はないのだ。


そんな私の思いや、過去の出来事を、光が知る筈も無い。
乗車口の前で振り向いた光は、私に向かい、まるで敬礼でもするように軽く手を挙げ、ステップを昇る。席は歩道側らしい。窓の外の私を見て、もう一度手を振り、席に落ち着く。 
やがて定刻通りにバスは発車し、エキゾーストを残し、高速へと向かう。私は、そのバスの後尾を、手を振ることも無く、しばらく見つめ続けていた。

                 了

片道切符

原稿用紙で10枚程の作品です。いかがでした?
まえがきで書いたトリックですが・・・
次の括弧の中を選択してください。
「これは(父・母)が、(進学・就職)で家を離れる(息子・娘)を見送る話です。」

読む人それぞれに情景を描いてもらえるように、あえてその部分を曖昧に表現しました。
女性には母の眼で、男性には父の眼で、息子を、娘を送って欲しいと思います。

山梨の甲府駅前の話です。これは私の故郷なので甲府ですが、100マイル程の遠くも近くも無い距離感が
25年の時代の流れを現わすのにちょうど良い距離感だったからです。
前橋でも宇都宮でも無く、(関東平野内は隔たっている感じが無いですから)峠を越える別離を想像してみてください。

ご感想をお聞かせ頂ければ幸いです。
(個人的にはmixiを多用していますので(イイネ)をつけて貰えれば嬉しいです)

milestoneというバンドの「one way ticket」「night rain」の2曲をイメージに使っています
ご興味のあるからは、私のプロフィールからそちらのブログも覗いてみてください。(曲も聴けますよ)(^o^)

片道切符

子供の旅立ちを見送る親。かつて恋人を見送った同じ場所で、ふたたび大切な人を見送る。時代の流れと、人生の流れが、一点で交差する。 旅立ちの朝、駅の前での、その瞬間の思いを描いた掌編です。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-07-25

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