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遠距離恋愛? 別居夫婦? 二人の気持ちは、距離では測れないつながりを保っている・・・

21:47 新宿

「今?新宿駅。かいじに乗るところ。」
携帯で優子に告げる。
「どうしたの?週末までまだ半分よ。」
驚いて、でも嬉しそうに笑う声が返ってくる。缶ビールを一つ買って、かいじに乗り込む。もう二時間もすれば、優子の顔が見られる。
 遠距離恋愛?いや、単身赴任だった。こうして片道二時間ほどの行き来が、もう半年以上になる。偶然、明日の水曜に仕事の予定がぽっかり空いたので、一人の部屋に帰るよりも、と思い、この列車に乗ることにしたのだ。
夜十時新宿発、甲府行き、かいじ121号。甲府着は、真夜中のちょっと前だ。週末の便には毎週のように乗るが、火曜に乗るのは珍しい。いつもの風景と違って、空席が目立つ。


22:25 立川

窓の外を眺めながら、ビールのプルタブを引き起こす。そういえば、優子とのきっかけもこのビールだった。
 大学に入って最初の飲み会で、慣れないアルコールと受験の緊張からの開放感にほろ酔いになっていた優子は、隣の席に偶然座った僕に、話しかけてきた。
「ねえ、ビールはキリンって言うけれど、どこが違うの?」
「さあね。俺もビールを語るほど、飲んだことが無いんだよ。まだ十九才だしね。」
「そういえば、私もまだ十八だったっけ。」
 同じ大学で、たまたま誘われたサークルに入った新入生同士だった。高校時代からギターを弾いて一年浪人したあと、入れそうな大学を選んでこの街に来た僕。ごく普通の高校から、現役合格できそうな大学を受けて、素直に入った優子。小さな頃から習っていたピアノの腕を見込まれて、音楽系のサークルに引っ張り込まれたという優子とで、共通点は音楽以外何も無い二人の、最初の会話がビールの話だったというのも、おかしなものだと、今になると思う。


22:33 八王子

停車した車内から数人がホームに降りる。帰宅を急ぐ人の流れが、窓の外に見える。この窓からは、まるで金魚鉢を覗いているようだ。
 優子がキリンっていう銘柄を知っていたのは、彼女の親父さんのがこだわりの為だった。親父さんと初めて会ったのは、大学三年の冬だった。その頃には、親密な関係になっていた二人だったが、さすがに彼女の父親に会うというのは、二十歳をちょっと過ぎたばかりの男にとっては、緊張することだった。彼女は静岡の生まれで、親元を離れての一人暮らしだったが、たまには顔を見たいと、父親がやってきたのだ。
「彼氏は居ないのか?」
と二十歳を過ぎた娘に何気なく聞いた返事が、
「居るわよ。」
と言われたのだから、親父さんもうろたえたに違いない。じゃあ顔を見せろ、という話になって、まるで親父さんとのお見合いのように、居酒屋のテーブルで向かい合ったのだ。ぽつりぽつりと、生まれた田舎街の話や、家族構成などの話をして、機嫌を取ろうとしたのだが、やはり娘を持つ父親というのは、世間で言う通り気難しい人種らしい。
「優子をよろしく。」
という一言を残して、その晩は別れたのだったが、後で聞いた話では
「いまどきの若い男は・・・」
という愚痴のネタにされたそうだ。
 まあ、彼女の兄もその部類に入っているそうだから、僕だけが悪い評価をされたのではないようだ。


22:51 上野原

窓の外の明かりも寂しくなってくる辺り。ふと見えた何かのライトが、円い指輪の形に見える。優子の指の指輪を思い浮かべる。
 大学を卒業する頃になると、将来の不安が二人の間に流れるような時期があった。それぞれが、この街に何のこだわりも無く、どこに就職しても良かったのだが、二人とも大学の薦める地元の企業に就職した。相談したわけでもなく、お互いが決めた事を相手に告げた時、この先も一緒に居たいというお互いの思いが、判るようだった。
 学生時代よりも、ちょっとだけましな部屋に移ったけれど、お互いの部屋を行き来する日々は、同じように続いた。仕事にも慣れて、仕事の上でのすれ違いやストレスを、お互いにぶつけることも少なくなって、二人の将来が少しずつ見えてきた頃に、突然の転機はやってきた。
 転勤。
 彼女の会社は純粋に県内向けの業種だったので、異動と言っても同じ建物の、フロアが移る程度だが、僕の会社は全国に支店や営業所などがある。そして入社して二年が過ぎた頃に、僕は上司に呼ばれ、東京の支店への異動通知を手渡された。それは社内では出世コースを意味していたが、とっさに頭に浮かんだのは優子のことだった。このまま山梨に暮らし、年頃になったら結婚し、家庭を作る。そんな将来のビジョンに、この街を離れて、二人が離れ離れになってしまうという事態は、考えてもみない事だった。
 そして、僕は彼女に約束の意味で指輪を贈った。その数日後に彼女が満面の笑みを浮かべて僕に見せたものは、婚姻届だった。
「このまま転勤してしまえば、離ればなれになって、どうにかなってしまっても、それっきりよ。籍を入れれば、単身赴任の扱いでしょう。単身赴任手当ても貰えるわよ。」
愛情と利害計算の両方とで、見事に僕を言いくるめてしまう彼女に、感心したものだった。
 結局、お互いの家族への連絡などをあわただしく済ませ、両親があっけに取られている隙に、婚姻届は二人で出してしまった。
 彼女の両親は、「まだ早い」などとクレームを付けたかったらしいが、娘があまりにもてきぱきと事を進めた為に、それも切り出せなかったようだった。なにせ、辞令交付から一ヶ月で転勤先に出勤だったのだ。その間に引越し先を見つけ、引越しをして、お互いの両親に会いに行って、届けをだしたのだから。
 彼女の両親には、数年のうちにまた山梨に転勤になると思うので、そのときにきちんと式を挙げ、親族や友人たちに披露すると約束した。彼女に贈った指輪は、小さな石の入った指輪だったので、彼女の母親は
「結婚指輪も買わないとね。」
などと言っていたが、彼女が反対した。 
 アクセサリーをほとんど身に付けない彼女は、仕事をするときも、家事をするときも、そして楽器を弾くときも、指輪は邪魔だからと言って、外してしまっていたし、はっきり言って、指輪を買いに行くほどの、時間とお金の余裕も無かったのだ。それで彼女は
「当分はこの指輪で通すわ。」
と言って、それっきりになってしまった。


23:06 大月

乗降客は居ない。トンネルに入ったり出たり、夜行列車の窓の外は、何度見ても寂しい。
こんな風景を、優子も見ているのだろうか?週末を一緒に過ごした後、やはりこんな時間のかいじで、甲府に向かう優子は、いつも寂しそうだった。まだ、一緒に暮らす覚悟もゆとりも無い、紙切れだけの夫婦。そんな風に、自分を責めても、どうなるわけでもないが。
「シンデレラエクスプレスね。」
「そうだね。また今度の週末に会えるよ。」
「列車がかぼちゃになる前に、帰らなきゃ。」
そんないつもの会話の後に、東京の灯りから離れ、山梨の誰も居ない部屋に帰る、優子の気持ちが痛々しい。


23:27 塩山

もうちらほらと甲府盆地の灯りが見えてくる頃だ。東京の灯りとは違った、盆地の夜景。この街に暮らして、もう八年ほどになるのだ。
 ここでの出会いがあって、もしかしたら一生暮らすことになるかも知れない街。生まれ育った故郷とは違う意味でのホームなのだろう。


23:32 山梨市

駅のホームに降り立つ人達。帰りを待つ人への土産を提げた人。足早に改札へと急ぐ人。みんなどこかに帰って行くのだろう。駅のホームと家とは、同じHOMEだっけなどと、ふと思って笑ってしまう。そう、駅はプラットホームだから、FORMだったな。


23:36 石和温泉

気持ちはもう、甲府に着いている。こんなにあちらこちらに停まるのが、もどかしい。
「次は甲府」というアナウンスが入る。もう見慣れた町並みが窓の外に拡がる。


23:42 甲府

改札を出て、タクシーに乗り、彼女の部屋の場所を告げる。ワンメーターちょっとのアパートの一部屋。一応僕と彼女の新婚家庭というやつだ。学生時代の一人暮らしと、ほとんど変わらない部屋だ。通りの角でタクシーを降りて、彼女の部屋に向かう。窓の明かりが見える。呼び鈴を押す。返事が無い。部屋のドアノブを廻す。ドアが開かない。
 その一瞬に頭の中を、不安が駆け巡る。この部屋の中で、一人ぼっちで倒れている彼女。急病で助けも無く、苦しんでいる彼女。などという、ありえない空想が駆け巡る。バッグの中の鍵を、慌てて探す。離れて暮らす事の、不安が大きくなる一瞬。
 その時、通りの方からの小走りの足音が聞こえる。僕の背中に飛びつく彼女。その手には近くのコンビニの袋。キリンの缶ビールが二本、入っているのが見える。
「おかえりなさい!仕度してたら、買い物が遅くなっちゃった。」
 満面の笑顔で息を弾ませて、僕の手を取る優子。指にはあの指輪がある。帰ってきた。この街に、彼女の元に。僕は彼女を抱きしめる。
「ただいま。」
 
             了

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地元新聞の文芸賞で年間賞を頂いた作品です。
この作を元にバンドでオリジナル曲も作りました。
(本人は中島みゆきイメージのゆったりしたバラードを考えてたら、作曲がビートルズのゲットバックになっていました)(笑)

恋愛の芯のピュアな部分を感じて貰えたら嬉しいです

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注1.列車時刻は2008年2月現在のものです。
注2.本文中に未成年の飲酒のシーンがありますが、これは未成年の飲酒を推奨するものでも、容認するものでもありません。

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恋する二人の馴れ初めは? 結婚に踏み切るタイミングは? 偶然と必然の織りなす、ピュアなラヴストーリーです。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-07-19

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