天使たちの歌

 今から十年前の冬、それは私がまだ十七歳の時のこと。その年は暖冬で、クリスマスまで雪が降らないという、仙台では珍しい年だった。当時、高校ニ年生の私は、二つ年上の大学生の彼と遠距離恋愛をしていた。

 彼と付き合って一年目のクリスマスの日。その日は、始発の新幹線で、彼が東京から仙台に帰ってくる日だった。私は白いダッフルコートに身を包み、赤いマフラーを首に巻き、白い息を吐きながら一人ポツンと新幹線ホームにたたずんでいた。氷点下に近い、凍えるような冷たい空気に満たされた早朝のホーム。でも、新幹線から降りてくる彼の笑顔を想像するたびに、私の心は自然とぽっと温かくなった。
「よう、ただいま」
 新幹線から降りた彼が私の頭の上に掌を置き、せっかく綺麗にセットしてきた髪の毛をいたずらっぽく、くしゃくしゃっとする。その彼らしい愛情表現と掌のぬくもりが、私の中で何とも言えない嬉しさをこみ上げさせる。
 彼は高校時代、野球部のキャプテンだった。いつもユニフォームやトレーニングウェアに身を包み、汗の匂いを漂わせていた彼。そんな彼も今は、すっかり東京の大学生らしくなって、おしゃれな黒いロングコートに身を包み、爽やかな香水の香りを漂わせている。一方、彼と同じ野球部のマネージャーを務めていた私も、買ったばかりの白いダッフルコートと赤いマフラーで、目一杯おしゃれをしてきたつもりだった。
 朝食を一緒に駅ビル内にあるファーストフード店で済ませた後、私達はまっすぐ駅裏にあるラブホテルへと向かった。
 恋人同士になって一周年目のクリスマス。その記念日を意識し始めた頃から、「もう、そろそろ……」という雰囲気にはなっていて、彼からXデーを切り出されたとき、私はためらいながらもOKの返事をした。
 私達は、初めて同士だった。
 ラブホテルの部屋に二人で入ると、私はクローゼットの中のハンガーに、脱いだダッフルコートとマフラーをかけ、ベットの上にちょこんと座った。彼もロングコートを椅子にかけ、私の隣に座った。
「実家には寄らないで、夕方また東京に帰っちゃうの?」
 私がそうたずねると彼は静かに頷いた。
「うん、夕方の新幹線で帰るよ。バイト、休めなかったし。それに、あの家に俺の居場所は無いから」
 彼が寂しそうに笑った。
 言葉も無く、ベットの上に座る私と彼。
 私は備え付けのカラオケで、女性シンガーの可愛らしい遠距離恋愛ソングを歌った。私が歌っている最中、彼はとても嬉しそうに私の横顔を見て微笑んでいた。
 歌い終わった後、私と彼はベットに寝転がった。そして、軽くキスをし、ぎゅっと抱き合ったりしながら、お互いの近況や「今日をどんな想いで迎えたのか?」ということを、はにかみながら話した。
 ホテルの部屋に入ってから、どれくらい経ったかはわからない。いつしか私と彼はそれぞれシャワーを浴び、ベットの中に入っていた。かなり緊張気味の私をリラックスさせるためか、彼が私の髪を何度も撫で、額に優しくキスをしてくれた。髪に感じる彼の掌のぬくもりと、額に感じる柔らかな唇の感触に、私の緊張はゆっくりと溶けてゆく。
 甘く薄暗い光に照らし出されたホテルの部屋。壁に埋め込まれたガラスケースの中には、男の子と女の子の人形が、手をつないで可愛らしく微笑んでいる。天井に目をやると、そこには大きな鏡があり、私の華奢な身体と彼のたくましい背中が重なって映し出されている。 私の全身に感じる彼の肌の感触とぬくもりが、想像のものから実感のものへと一つ一つ塗りかえられてゆく。寄せては返す波のような、なんとも言えない熱を帯びた悦びの感覚が、私の全身に広がってゆく。
 人が人を好きになると、まずはその人のことを知りたくなる。知りたくなって、知った後は、その人に会いたくなる。知りたくなって、会いたくなって、触れたくなって、触れて欲しくなって、ずっとそばにいて欲しくなって、やがては、ずっとつながっていたくなる……。
 本で知ってはいたけど、強い痛みが私の下腹部を襲う。
「い、痛い……」
「大丈夫か。今日はやめるか?」
 彼が心配そうに言った。
 私は彼の背中に両腕を回し、ぎゅっと引き寄せ、かすれた声で言った。
「ううん、このまま続けて……」
 瞳を閉じたまぶたの向こうに、彼との思い出が走馬灯のように駆け巡る。
 彼は高校時代、他校の女生徒からラブレターをもらうほど、すごく人気があった。私も彼のことは好きだった。けど、同じ野球部のキャプテンとマネージャーという立場もあり、私は彼に告白しないと決めていた。一年前のクリスマスの日、そんな彼から部室で突然告白をされた時、私は嬉しさのあまり、涙が溢れて止まらなかった。その彼が、今は私の耳元で、誰にも聞かせないような荒い吐息を響かせている。
 私は溢れてくる涙を止められなかった。
 それは身体の痛みからくる涙というよりも、今この地球上で彼とつながっているのは私だけ、という独占欲を満たしたような、そんな幸福感からくる涙だったかもしれない。
 夕方、ホテルを出ると、いつ間にか外の世界は一面、雪化粧されていて、すっかりホワイトクリスマスになっていた。冷たい風に吹かれて粉雪が宙に舞い、ケーキ屋の前では、赤いサンタの衣装に身を包んだ女性店員が、笑顔でクリスマスケーキを売っている。
 クリスマスソングに包まれた駅まで続く賑やかな道を、私は彼と白い息を吐きながら一緒に歩いた。
 どこまでも続くように思えるこの道も、やがては終わりがある。あと数十分もしたら、彼とはまた東京と仙台で離れ離れになるんだな、嫌だな、と思うと、駅に近づくごとに、切なさと寂しさが込み上げてくる。
「どうした、痛むのか?」
 うつむき加減に歩く私を、彼が気遣ってくれている。そんな彼の優しさが、私の切ない思いを、よりいっそう大きくさせる。
「ううん、そんなんじゃない。ただ、もうすぐ帰っちゃうんだなぁ、と思うと、なんだかね……」
 すると彼が何も言わず、私の手をぎゅっと握り締めた。私も何も言わず、彼の手をきゅっと握り返した。
 言葉もなく、駅までの賑やかな道を、手をつなぎながら人ごみを掻き分けて歩く私と彼。
 いつか観た映画のワンシーンのように、風に舞う小さな粉雪が、私達のために祝福の角笛を鳴らす、白い天使たちのように思えてくる。
 大勢のカップルが行き交う人ごみを掻き分け、また離れ離れになるために駅へと向かう私と彼。強く強く握り締められた彼の手の感触が、私はとても嬉しかった。
 この時間が永遠でないことはわかっている。
 けど、今この瞬間が永遠であって欲しいと願う気持ち、その気持ちに嘘はない……。   

 十年前のホワイトクリスマスの日、私は初めての体験をし、ちょっとだけ大人になった。
 今年のクリスマスも雪が降っている。
 缶ビールを片手に窓の外に舞う粉雪を見ていると、過ぎ去った恋をつい思い出し、ノスタルジックな気持ちになってくる。
 あのクリスマスの日から十年。
 私も今は結婚をし、子供も生まれ、家族を持った。
 もちろん、彼とは違う人と結婚をして……。
「お父さん、ご飯だよ」と四歳になる息子が私に言う。私がいたずらっぽく息子の頭に掌を乗せ、髪の毛をくしゃくしゃっとすると、とても嬉しそうに、にぱっと笑う。
 男と男。
 きっと十年前の私も、こんな無邪気な笑顔を彼に向けていたんだろうな、と思うと、なんとも言えない切なさとやるせなさがこみ上げてくる。
  あのホワイトクリスマスの思い出も、今は青春時代の過去のもの。彼と別れた後、私は女性である妻と出会い、恋をし、結婚をした。一児の父となった。もう、あの頃の私には戻れないし、彼に会うこともきっとない。
 高校を卒業し、社会に出て自分の将来を意識し始めた頃から、私の心は大きく変化していった。彼と一緒に歩もうとしていた同じ未来も、社会に出て時が経つにつれて、終わりの見えない茨の道にしか感じられなくなった。いつも人目を気にする恋。親に紹介できない同性の恋人。結婚もできず、自分の子供を一生抱くこともできない人生。そんな重い宿命を背負いながらの彼との人生を、私は結局選べなかった。
 彼と穏やかな話し合いの末に別れた私は、やがて妻と出会い、結婚をした。そして、今は親や友達から、当たり前のように祝福される存在となっていた。
 これで、良かったんだ……。
 私は心の中でそうつぶやいた。
 ふと見ると、リビングのテーブルに妻の手料理とクリスマスケーキが並べられている。私の傍らで四歳の息子が窓ガラス越しに雪を眺めている。
 窓の外の雪は十年前のホワイトクリスマスに彼と見た雪と何も変わらず、どこまでも純白で、静かに空から舞い降りてくる。まるで私たち家族の幸せを祝福する、白い天使たちのように……。


     了

天使たちの歌

描写の練習です。
物語のオチについては、お許しくださいまし。

天使たちの歌

今から十年前の冬、それは私がまだ十七歳の時のこと。当時、高校ニ年生の私は、二つ年上の大学生の彼と遠距離恋愛をしていた。 彼と付き合って一年目のクリスマスの日。 その日は、始発の新幹線で、彼が東京から仙台に帰ってくる日だった。私は白いダッフルコートに身を包み、赤いマフラーを首に巻き、白い息を吐きながら一人ポツンと新幹線ホームにたたずんでいた。氷点下に近い、凍えるような冷たい空気に満たされた早朝のホーム。でも、新幹線から降りてくる彼の笑顔を想像するたびに、私の心は自然とぽっと温かくなった。 その日、私は彼と初めてラブホテルへ行った……。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2010-07-28

Copyrighted
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