百合の君(127)

百合の君(127)

 城下が占領され、あざみは(しゅん)を脇に立たせたまま汁を温めていた。負け戦とはこんなにも酷いものなのか、とあざみは思った。どこの門が焼けただの(やぐら)が落ちただの、悲観的な情報ばかりが台所にまで飛んできて、その度に人々は慌てふためく。そのくせ今やっている作業を止めることはせず、誰に食べさせるのかも分からない料理を作っている。
 旬が生きているだけでも幸運だと分かってはいるが、どうしてもやりきれない気持ちがある。
「一生会うこともない領主など、どのような方でもいいのです。他国に睨みが利いて、侵略されることさえなければ」
 そう言って百合の君のところを出て来たというのに、私たちには安住の地はないというのだろうか。そして、それでも領主を見捨てて逃げることもできないのは、罰を恐れてのことなのか、(あきら)を待っているのか、慣れた作業に逃避しているだけなのか、自分の心が分からない。
 そう思いながらも、手は平時と同じように野菜を切り、汁をかきまぜている。
 と、また背後に気配を感じて、あざみは振り返った。
 立っていたのは、傷ついた兵だった。敵が侵入してきたのかと一瞬ぞっとしたが、木怒山(きぬやま)旗指物(はたさしもの)を持っていたのでほっとした。そして、前線からもたらされる知らせを期待した。何でもいいから新たな情報を手に入れ、みんなで新たな混乱に陥ることは、完全な絶望から目を背けるために是非とも必要なことだった。たった今敗走してきた兵士であれば、きっと悲劇的な敗報をもたらしてくれるだろう。
 しかし、包帯に囲まれたその男の目を見たとき、あざみはハッとした。輝だ。左腕がない。
「久しぶりだな」
 あざみに歩み寄りながら、輝は笑みを浮かべた。あざみも微笑で返し、頭を下げた。こんな時のために、何度も練習していたのだ。
「おかえりなさいまし」
「最初、気付かなかっただろう」
「うん、ごめん」
「いや、いいさ」
 輝はきまり悪そうに少し黙った。そして、失った腕を右手で指した。
喜林義郎(きばやしよしろう)に、やられちまった。鬼という噂は本当だな、手も足も出ねえ。出ねえうちからなくなっちまった」
 あざみの目から、涙があふれ出た。諦めないで良かった。
「腕なんか、なくてもいい」
 思わず抱き着いていた。その体はあたかかった。旬は驚いた顔で見上げている。
「おっ、こいつが旬か」
 輝は残った右腕で幼子の頭をぎこちなく()でた。あざみは、この瞬間をずっと忘れないようにしようと思った。たとえこれが最期でも、あの世まで持っていこう。しかし、次に輝が言ったことは、期待をはるかに超えていた。
「その喜林義郎が、死んだらしい」
「うそ!」
 思わず叫んだ言葉は、あまりに状況と合っていた。流言飛語と事実は、もはや境を失っていた。
「本当だ、出海珊瑚(いずみさんご)に看取られるその姿を、俺はこの目でしっかりと見た」
 輝に注目しているのは、もはやあざみだけではなかった。釜から吹き出す湯気のように、歓喜が台所を満たしていた。
「もうすぐ終わる!」
 誰かが叫んだ。その声は波のように広がり、繰り返された。
「もうすぐ終わる! もうすぐ終わる!」
 本当に輝と家族になれる。あざみの絶望しかかっていた心は、その考えに恐るおそる近づいた。こんなに嬉しいことが続いて良いのだろうか。なんだか罰が当たるのではないか。いや、私はもう死んでいるのでないか。輝が肩を強く抱く。
「終わったら、夫婦になろう」
 あざみは、もう返事ができなかった。死んでいてもいい、何でもいい。この瞬間が、現実ならば。
「嫌か?」
「嫌なわけない」
 視界の端に何かが光った。あざみはどうということもなく、外を覗いた。炎が近づいてくる、と思った時にはもう遅かった。未来の家族は炭になり、壁にその跡を少し残し、その壁もやがて燃え崩れた。

     *

百合の君(127)

この物語も、もうすぐ終わります。

百合の君(127)

生駒屋によって出海の軍にもたらされた新兵器、龍口。それが生んだ一つの家族の話です。今回スポットライトが当たるあざみは登場回数が少ない上にここ最近出てきていないので、過去の登場回を載せておきます。96、102、103、106、110、113、116に出てきていますので、あわせて読んでみると面白いかもしれません。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-09-19

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