百合の君(114)

百合の君(114)

 真津太(まづだ)の平野を雪が白く覆っていた。収穫の途中で放棄され、半分稲が伸びたまま枯れた田んぼは、古代の巨大な墳墓のようにも見えたが、たとえ本当に白い古墳だったとしても、稲穂の上に雪がかぶっているのだから凸凹していて、やはり途中で放棄されたような寂しさがあった。
 降る雪に合わせてつけたように鈴の音が聞こえ、城から眺めていた珊瑚(さんご)は音源を探し、すぐに見つけた。まるでそこだけ白く塗るのを忘れたように、 あらゆる色彩を詰め込んだ豪華絢爛な輿(こし)が近づいてくる。
 誰何(すいか)した衛兵はまるで敵の襲撃にでも遭ったかのように慌てていたが、相手の名を聞き、珊瑚は懐かしさに顔をほころばせた。

 貴重になった酒で、珊瑚は客をもてなした。桃色に染まった頬は、かぐや姫のままだった。尽きぬ話にあっという間に暗くなり、礼儀として珊瑚は用件を尋ねた。
「して、(ちょう)様、本日は何用で?」
 蝶姫は杯を置いて、少しためらっていた。
「また人形遊びでもしてくれるのですか?」
 冗談を言うと、蝶姫がそっと近づき、手を握ってきた。その手は、珊瑚の記憶よりもずっと小さかった。憧れという気持ちが実体をもったら、確かにこれ程華奢であるべきだ。
「でも兵隊人形で遊びに来たと言ったら、どうします?」
 慌てて目を見ると、挑むような視線を返してくる。握った手に動きを感じ、その赤い唇が、触れんばかりに耳に近づいてきた。
「父の仇を討ってほしいのです」
 その物騒な内容とは裏腹に、蝶姫の吐息が優しく珊瑚の耳を潤した。一瞬、珊瑚の思考は途切れた。
「仇? それなら喜林(きばやし)殿に討っていただけばよいではありませんか」
「それができれば、こんなことなどいたしません」
 蝶姫の胸が、肩にのしかかっている。
「なぜです?」
「仇が喜林義郎(よしろう)だからです。あの男は権力欲しさに私の父、臥人(ねすと)を殺してその座を奪ったのです。私と夫婦になったのも、最初からそれが目的でした。あの男は、私を権力の道具としか見ていないのです。父が死んだ後の私の扱いといったら・・・人質に出された私の悲しさ、 珊瑚様が誰よりもご存じのはず」
 途中から、蝶姫は早口になった。その瞳から落ちた涙が、珊瑚の肩を濡らす。あの頃母とも思った女性の匂いが、今や脳髄を麻痺させている。いや、むしろ「あの頃母とも思った」という感覚は、実母にやっつけられ、酒に酔った珊瑚の脳に、かえって倒錯した興奮を与えさえした。
「どうか喜林を討って父の無念を晴らしてくださいまし! あなたのお父上の仇でもありませんか」
「し、しかし・・・」
 珊瑚は広い部屋に散らばってしまった言葉を探したが、蝶姫の太ももが触れる手の指を、それは無情にもすり抜けていった。
「珊瑚様はご存知でしょう、喜林の右腕である木怒山(きぬやま)は私の叔父です。そして先代、私の父の、喜林臥人の弟です。喜林義郎に国を奪われて恨んでいます。そして喜林義郎は、まさか木怒山が寝返るとは思っていない。木怒山と組めば勝てます。姪である私が使者となり、木怒山に珊瑚様のご決意を伝えましょう。今この時が、珊瑚様の最大の好機なのですよ」
「では・・・」
「そうです、答えは初めから出ていたのです。珊瑚様は賢いお子だったじゃありませんか」
 蝶姫の瞳に吸い込まれるように、珊瑚は頷いた。蝶姫の太ももに置いた手に、彼女の手が重なる。そして、さらにその根元に導かれる感触を、珊瑚は掌に感じていた。

百合の君(114)

百合の君(114)

あらすじ:息子である珊瑚を守るため、喜林に木怒山を攻めさせようと穂乃が手紙を書いていた頃、喜林の夫である蝶姫も、一つの戦を起こそうとしていました・・・。 本文中に出てくる珊瑚と蝶姫の過去の話は(59)にあります。また、(94)と(95)の間にある相関図を参照すると分かりやすいかもしれません。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-06-13

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