百合の君(109)
化粧も剥げ、衣装も破れて、金笠は大噛山を登っていた。あの大火事から十年以上が経ち、復興した参道ではあるが、ところどころ焼け焦げたままの切り株や、未だに煤けた石段が残っている。金笠は、興行の成功を祈願して登った時のことを思い出した。
「あの頃は・・・」
心の中で言って、別段景色など気にも留めていなかったことを思い出した。そして、当時全く目に入らなかった景色というものが、今これほど自分の心を動かしていることを、不思議に感ぜずにはいられなかった。
あれから何度、雨が降っただろうと金笠は思った。きっと大地を洗うような大雨の日もあったはずだが、煤がこびりつき、あるいは火に焼かれ、もはや地の色が変わってしまったものは、もう元に戻ることはないのだろう。
しかし、その中に一点目にとまるものがあった。火事を生き残ったかたくりの花が、一輪咲いている。杉の木々の間、落ちた木の皮や枝葉に隠れるように咲いている。
金笠は足を止めて、その紫の花に見入っていた。それはまるで、この世界の美を集めて凝り固めて、そこからこぼれ出たかのように可憐で、しかし力強かった。こんな山の中にも、美はあるのだ。金笠は思った。
ただ迎合しただけの芸術は、敗れれば無価値になる。
舞台の上では確かに鴉も白くなろうが、根も葉もない空言では客の心には残らない。花村清道は、それを知ってこの山に入ったのだ。あの眼帯の少女の絵が流行した時に、きっと気づいたのだ。結局彼が正しかった。俗塵を避け、ただ芸を極めんとする。それこそが芸人の生きる道だったのだ。
あのお社の舞台ではなく、山の中の、ひと気のない別の場所で踊ろう。金笠は思った。私は人の神にではなく、この大自然の全ての命の神に、舞を奉納しよう。
まばらに残った煤けた石段も、気にならなくなった。金笠には、目の前の山道が、まこと天への階のように思えた。鳥の声さえまばらで、静かだった。ジャリッ、ジャリッと自分の足音が、場違いのように聞こえる。
ふと疑問が生じた。あの花は、私が見たから美が生じたのではないだろうか。鹿や猪が、花を美しいと思うだろうか?
ジャリッ、ジャリッ。
立ち止って振り返ると、もう花は見えなかった。自分がひどく異質なもののように思える。山は本来、鳥や獣のものだ。人がいるというのはひどく不自然だ。
ジャリッ、ジャリッ。
自分にとっての自然とは、なんだろうか? そう考えること自体が不自然だという気もするが、人は、いや、あらゆる生き物は、気が付くと自分の居場所ではない所にまで行ってしまう。たまに熊などが町に現れ、猟師に殺されたりしているが、それは闖入する側にもされる側にも不幸なことだ。
ジャリッ。
自分は今、不幸な熊になりかかっているのではないか?
金笠は考えた。自分の居場所は、舞台だ。客が見ている舞台だ。たとえ芸術のげの字も知らなかろうと、そのくせ自分の野心のためには利用しようと、客の拍手や歓声が、共に舞台を作るのだ。私の共同制作者は、鹿ではない。人なのだ。人にだって命はある。命の舞は、人とだって作れるはずだ。
金笠は己の姿を恥じた。石段を離れ炭になった木片を砕くと、剝げ落ちた白粉の代わりに顔に塗りたくった。芸人がすっぴんを晒すなど、あってはならぬことだ。
古実鳴に行こう。金笠の心に、今までにない勇気が湧いてきた。喜林の治める煤又原城下は、今や天下で最も栄える町だ。喜林義郎だけでなく天蔵まで批判した自分は、牢にぶち込まれるかもしれない。斬首にされるかもしれない。でもそうなる前にもう一度、人前に立ちたい。この日の本で一番大きな舞台に立ちたい。
金笠は石段を下りると、かたくりの花を摘み取って己の髪に挿した。今の私ほど、美しいものはこの世にあるまい。
百合の君(109)
文中に出てくる花村清道が山に入ったエピソードは(77)にあります。二人のたどり着いた芸術観の相違は、作者個人としては非常に興味深いです。また、(103)の穂乃が山を登ったエピソードと比較すると、金笠との目線の違いに気が付くのではないでしょうか。