百合の君(108)

百合の君(108)

 断末魔の叫びが響き渡った。
「友の首と引き換えに、喜林(きばやし)の子になろうなどとは不届き千万。どうしてこの出海珊瑚(いずみさんご)を欺くことができようか!」
 再び振り上げた刀は、春の陽光を反射して輝いていた。金笠(かねがさ)扮する天蔵(てんぞう)が斬りつけられているのは、舞台というより山車(だし)だった。そして、山車は町なかや寺社の境内で引かれているのではなかった。草原だ。
 しかしその眺めは悪くなかった。というより最高だった。金笠が苦しみもだえる声を出せば、出海兵に大喝采が起こる。兵たちは興奮し、叫んだり喚いたりした。金笠は血糊を吐き、倒れ目を閉じながら、その心臓は激しく鼓動していた。死にながら、これ程生きていたことはなかった。そして、この生と死の顛倒した興奮は、観客である兵隊が、これから感じる事なのかもしれないと思った。
「者共よく聞け!」
 金笠がすっかり動かなくなったと同時に、山車に上がった珊瑚が叫んだ。
「これが天蔵の真の姿だ! 父の築いた国を取り戻すぞ!」
 兵は大音声(だいおんじょう)で応え、芝居の興奮のままに突撃した。見渡す限りの平原に、喜林の旗印が近づいてくる。逃げる小鳥が珊瑚の視界に入って、嗜虐的な喜びを与えた。
 真っ黒な布切れを腰で結び付けただけのような出で立ちで、馬に乗った天蔵が迫って来る。舞台の上の金笠と全く同じ姿だ。ふん、卑しい傭兵の出で立ちなど、見ずとも分かるものよ。そこに珊瑚の侮りがあったのかもしれない。真っ直ぐに刀を振り下したが、わずかな動きでかわされた。珊瑚は思わず叫びながら、もう一度横に刀を振るった。
「父上を返せーっ」
「ちちって誰だー?」
 珊瑚の動きが止まった。どの父だ? 迫って来る天蔵の剣を、ようやく珊瑚は受け止めた。
「この、簒奪(さんだつ)者が!」
「なんだそれー」
 珊瑚の剣撃は、天蔵にかすりもしない。すぐに振り回していた腕が疲れて上がらなくなった。まだ肩にぶら下がっているのが不思議なくらいだ。
「武士の子でもない、傭兵風情が!」
 珊瑚の最後の一撃を、まるで無邪気に踊っているかのように天蔵は難なくかわした。珊瑚は、なぜ自分が見捨てられたのか悟った。目の前の男とは、生まれ持ったものが違う。おそらく喜林義郎も。喜林の血を継いでいるのは、本当にこの男の方かもしれない。
 天蔵の一太刀に、ほとんど反応できなかった。腕を切られ、珊瑚は落馬した。地面から背中を伝って死が迫って来る。
 しかし天蔵は刀を収めた。
「情けなどいらん、殺せ!」
「お前を殺したら、(その)を見つける前に戦が終わってしまうだろー、馬鹿な奴だなー」
 天蔵の言う事は分からないが、守隆(まもる)が駆け寄って来た。
「将軍、ここは引きましょう」
 守隆の差し出す手を振りほどく。
「こいつにだけは、負ける訳には!」
「あいつは鬼です、喜林と同じ」
 思わず守隆の目を見た。そこに否定的な色がないことに、珊瑚は安堵した。厳しさと必死さの入り混じった目だ。しかし、逃げることは誇りが許さない。そう言う間もなく、腕をつかまれ、走り出した。
 振り返ることのできない珊瑚は、代わりに先ほどの小鳥を思い出したが、見当たるはずもなかった。

百合の君(108)

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あらすじ:金笠の協力を得て、出海珊瑚は喜林の養子となった天蔵に戦いを挑みます。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-05-02

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