百合の君(102)

百合の君(102)

 あざみが入隊した途端に食料の消費が激しくなった。そして穂乃(ほの)がそれに気づいた時期も悪かった。ただでさえ穂乃は、自分に嘘をついて真津太(まづだ)に侵攻した義郎(よしろう)に対し、怒り心頭に達していた。一歩間違えれば二人の間の子である珊瑚(さんご)が死ぬところだったのだ。怒りどころではない。穂乃はすぐに古実鳴(こみなり)に行って義郎を罵倒してやろうと思ったが、(いくさ)の後は百合隊の仕事が増える。
 憤怒の炎を飲み込んで倉に入って、空っぽの籠を見つけたのだ。穂乃は籠を床に叩きつけると、すぐにあざみのところに行こうとした。徹底的に問い詰め泣きながら謝らせてやる、と考えて思い直した。それではまるで、あの時の浪親(なみちか)様だ。穂乃が思い出していたのは、義郎と穂乃の仲を疑い、嫉妬に狂った夫の姿だった。怒りの奴隷になった先に、幸せなどあるはずがない。夫の運命が破滅へと向かい出したのは、現にあの時だったと穂乃は考えている。
 穂乃は籠を拾って大きく息を吸うと、
「嘘つきーーーーーー!!」
 と叫んだ。狭い倉の中で反響することを期待したが、それは意外にも木の壁に吸収され、穂乃は静かに休んでいる籠と一緒に立ち尽くす己の姿を見ただけだった。そして、最初に浪親に怒鳴り散らしたのは自分の方だったことを思い出し、笑った。自分も大人になったものだ。あざみもきっと、(しゅん)を育てるのに金がかかるのだろう、今回だけは大目に見よう、と思ってまた考え直した。子供を育てているのは、みんな同じだ。みんな未亡人なのだ。あざみだけを特別扱いにはできない。かと言って事を公にしたら、あざみも旬も路頭に迷うこととなる。
 (ふみ)を書こう、と思いまた躊躇(ためら)う。このような大事なこと、文で済ませてよいのだろうか。穂乃は倉のなかで考え続けた。いつの間にか小さな馬鈴薯(ばれいしょ)をくるくる手の中で回していることに気付き、籠に戻した。寒かった。なんで自分はこんなことをしているのだろう、なんだかバカバカしいような気がした。
 ふと思い出したのは、ばあさんのことだった。時期もちょうど今時分、祭りに奉納するしめ縄を一緒につくって、あの村になじむきっかけをもらったのだ。
 穂乃はあざみを一日だけ炊き出し班から外し、二人だけでしめ縄づくりをすることにした。
 相変わらず縄はよじれず、穂乃の指先からは空しく(わら)の匂いだけが立った。見るとあざみはいとも簡単に縄を編んでいる。
「あら、上手いじゃない」
 あざみは目を伏せて、浅く笑って頭を下げた。その反応から、自分がどうして二人きりで呼ばれたのか、あざみが自覚していることを穂乃は知った。
「米や野菜の事は知っています」
 しかしいきなり単刀直入に言われて、あざみは驚いたようだった。波が引くように、笑いはその顔から失われた。やがてその口元は締まり、目は穂乃を睨んだ。
出海(いずみ)様や百合の君がなさった事よりは良いと存じます」
 予想以上の衝撃を受けたのは、穂乃の方だった。そこから卒業するためにこの百合隊をつくったというのに、将軍の妻として母として生活しているうちに、いつの間にか人が頭を下げて来ることに慣れ過ぎていたのかもしれない。
「あなたが十分な生活を送れていないのは、隊長として申し訳なく思っています」
「そんなことではありません」
「ではどんなことです?」
「出海様と喜林(きばやし)様の戦の原因は、百合の君の不貞だと聞いています」
 驚きを通り越して、穂乃は呆れた。こんな根も葉もない話が、よくもまあ広まるものだ。しかし、と穂乃は思った。色恋は人の最も好む話だ。しかも御台所の不義ともなれば、なおの事だろう。火のない所に煙は立たぬと言うが、例え湯気に過ぎなくともそれを煙だと囃し立てる者がいれば、それは煙になるのだ。穂乃はあざみの瞳の奥に目を向けた。
「あなたは、この十日ほど私と一緒に仕事をしていて、私がそのような女だと思いましたか?」
「それは分かりません。でも、出海様と喜林様が不毛な戦を繰り広げたことは事実です。私たちの夫がそのせいで死んだことも」
「それは私も妻として、申し訳なく思っています」
「こうして私達に仕事を与えるのは、罪滅ぼしのつもりですか?」
「違うと言えば嘘になるかもしれませんが、それだけではありません」
「では、なぜですか?」
「女の自立のためです。夫に、子に偉くなってほしいと思う女の心が、戦を生むのです。例えば私が、珊瑚殿に天下でたった一人の将軍になってほしいと思えば、喜林との戦は避けられません。私は出海珊瑚の母の穂乃ではなく、百合隊の穂乃になりたいのです」
「なら百合の君は、浪親様が将軍になることを願われなかったのですか?」
 血だまりの中で初めて天の国の話をした事を、穂乃は思い出した。その後求婚された時にも。猫が鼠を食べる前の世にするために、浪親は将軍になったのだった。
「いえ、私は確かにそれを願った。私が夫をけしかけて、修羅にしてしまったのかも」
「では、百合の君がそう願わなかったら、あの後の戦はなかったとお考えですか? 結局、別所(べっしょ)様が同じことをしただけなのでは?」
「それは違います」穂乃は力を込めて言い切った。「この百合隊のようなものがあの時の八津代(やつしろ)にも、刈奈羅(かるなら)にも古実鳴にもあれば、違っていたはずです」
 言ってから穂乃は、ずいぶん薄っぺらな舟に目の前の母親を乗せてしまったものだと思った。そしてそれにあざみが気付かないはずがなかった。
「一生懸命仕事をしていても、やはり私達とは暮らしの土台が違うのですね」
 あざみはそう言ったきり黙って縄をよじり出した。穂乃は盗みを不問にする事を切り出してあざみの尊敬を得ようと思った。窺うとその真っ黒に汚れた指はあかぎれだらけだ。穂乃は自分の傷一つない手元を隠すように向きを変えて、作業に没頭するふりをした。

百合の君(102)

百合の君(102)

あらすじ:出海は君主である珊瑚の活躍によって、喜林の軍を退けることに成功しました。戦が終わったら、穂乃たち百合隊の出番です。今回は穂乃の回想がよく出てきますが、(3)(21)(24)(55)(57)(74)あたりをお読みになれば事情が分かるかもしれません。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-03-28

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