di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~ 第三部 第五章 金科玉条の紅を
こちらは、
『di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~』
第三部 海誓山盟 第五章 金科玉条の紅を
――――です。
『di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~』
第三部 海誓山盟 第四章 金枝玉葉の漣と https://slib.net/124863
――――の続きとなっております。
長い作品であるため、分割して投稿しています。
こちらに、作品全体の目次があります。
https://slib.net/106174
〈第四章あらすじ&登場人物紹介〉
===第四章 あらすじ===
暑い夏の盛り。ミンウェイをシュアンのもとに送り出し、ルイフォンとメイシアは草薙家に行ったまま。物寂しくなった鷹刀一族の屋敷で、リュイセンは次期総帥として業務に追われていた。
ある日、怪しげな黒づくめの女が訪ねてきた。その正体は、女王アイリー。素性を隠すのと、先天性白皮症の肌を守るための変装だった。
アイリーは、義姉となったセレイエの死を確かめに来たという。どうやら彼女は、摂政である兄カイウォルからも、婚約者で異母兄であるヤンイェンからも、情報を制限されていたらしい。鷹刀一族はアイリーとは懇意にすべきだと判断し、リュイセンが『デヴァイン・シンフォニア計画』について語ることになった。
セレイエから家族の話を聞いていたというアイリーは、初対面にも関わらずリュイセンに対して親しげで、先天性白皮症の弱視もあって妙に距離が近い。無邪気なだけでなく、王族の責任を果たそうとする彼女に、リュイセンは困惑と敬意を抱いた。
ふたりは『デヴァイン・シンフォニア計画』や、『ライシェン』の未来に関する意見を交わす。アイリーは「次代の王は自分のクローンとするから、『ライシェン』は父親のヤンイェンと暮らしてほしい」と告げ、リュイセンは戸惑う。ふたりの間で結論を出せるものではないので、ここで出た話はルイフォンに伝えるということで、お開きとなった。
脱走してきた神殿への秘密の通路まで、リュイセンが車でアイリーを送ることになった。「ドライブは初めて」と喜ぶアイリー。彼女の言う『ドライブ』は、『助手席に乗って、恋人と仲睦まじく出掛けること』であるらしい。女王である彼女には一生、縁のないものだ。
不憫に思ったリュイセンは、彼女の憧れである『恋人とふたりきりになれるような、穴場の絶景スポット』に連れて行ってやると、人造湖へのデートの真似事を提案した。大喜びのアイリーだったが、謎の襲撃者に遭ってしまう。
襲撃者の正体は、兄である摂政の命を受けた近衛隊員たちであった。アイリーの携帯端末の位置情報をもとに追ってきたのだ。女王と一緒にいる凶賊を捕まえて、拉致犯に仕立てる魂胆だったらしい。
アイリーは素直に近衛隊員たちと帰ることでリュイセンを逃がそうとしたが、リュイセンは「陛下には息抜きが必要です」と叫び、神業の刀技と高潔な姿勢で近衛隊員たちを黙らせた。
無事、デートの真似事を続行できるようになったふたりは、とりとめもない話で距離を縮めながらドライブを続ける。道案内に使ったリュイセンの携帯端末は、今後、摂政に気づかれずに連絡を取る手段として、そのままアイリーのものになった。
人造湖には他の観光客がいたため、目的地を獣道を抜けた先の小さな滝に変更し、真にふたりきりの場所に着いた。
ふたりが滝に触れている最中に風が吹き、アイリーを庇ったリュイセンが、水をかぶってしまう。濡れたシャツを絞るために脱ぐと、彼の傷だらけの肉体を目撃したアイリーが悲鳴を上げた。
アイリーは衝撃を受けつつも、傷を負った経緯をリュイセンに尋ねる。これをきっかけに、リュイセンは『過去の自分』のすべて彼女にさらけ出し、『未来の自分』は「鷹刀の最後の総帥になる」と宣言した。「諸悪の根源は『デヴァイン・シンフォニア計画』ではなくて、古くからの因習のようなものであり、自分はそれを断ち切るのだ」と。
そして、王族として、因習の犠牲になろうとしているアイリーに、「お前も『最後の王』になればいいんだ」と呟く。口にしてから、ことの重大さに慌てるリュイセンであったが、アイリーは、それこそが自分の採るべき道だと、「私も『最後の王』になる」と決意した。
アイリーを秘密の通路に送るべく、神殿に近づいた際、リュイセンは筆舌に尽くしがたい『恐怖』を味わった。原因は、鷹刀一族を〈贄〉として喰らい続けた、〈冥王〉。それを見たアイリーは、〈冥王〉の破壊を心に決める。
そして、いよいよ別れのとき。リュイセンは、自分を見つめるアイリーの目が、恋する乙女のそれだと気づく。異性に免疫のない彼女がデートの真似事をすれば、錯覚するのは当然だった。
アイリーへの気持ちを既に自覚していただけに、リュイセンとしては、たちが悪い。「お前は俺に、夢と理想を見ているだけ」と突き放してしまう。しかし、「見くびらないで!」とアイリーはリュイセンに抱きついた。彼の刀傷を優しく撫で、ちゃんと彼を見ているのだと、強引に口づける。
今日一日を振り返り、「どうして、これが恋ではないと言えるのか」と詰め寄るアイリーに、リュイセンは、はっとする。立場を背負った自分たちは、逃げることはできないし、逃げる気もない。自由な恋人たちにはなれないけれど、だからこそ、特別な絆を築けるはずだ、と。
そして、ふたりは『共犯者』になろうと決める。『自分の運命を、自分で決める共犯者』に。
===『di;vine+sin;fonia デヴァイン・シンフォニア計画』===
主人公ルイフォンの姉セレイエによる、殺された息子ライシェンを蘇らせる計画。
王の私設研究機関〈七つの大罪〉の技術で再生された『肉体』に、ルイフォンの中に封じたライシェンの『記憶』を入れることで『蘇生』が叶う。
また、生き返った『ライシェン』が幸せな人生を送れるように、セレイエはふたつの未来を用意した。
ひとつは、本来、ライシェンが歩むはずだった、父ヤンイェンのもとで王となる道。
もうひとつは、愛情あふれる家庭で、優しい養父母のもとで平凡な子供として生きる道。
セレイエは、弟であるルイフォンと、ヤンイェンの再従妹であるメイシアを『ライシェン』の幸せを託す相手として選び、ふたりを出逢わせた。
『di;vine+sin;fonia』という名称は、セレイエによって名付けられた。
『di』は、『ふたつ』を意味する接頭辞。『vine』は、『蔓』。
つまり、『ふたつの蔓』――転じて、『二重螺旋』『DNAの立体構造』――『命』の暗喩。
『sin』は『罪』。『fonia』は、ただの語呂合わせ。
これらを繋ぎ合わせて『命に対する冒涜』を意味する。
この計画が禁忌の行為と分かっていながら、セレイエは自分を止められなかった、ということである。
===登場人物===
鷹刀ルイフォン
『デヴァイン・シンフォニア計画』を託された少年。十六歳。
亡き母キリファから〈猫〉というクラッカーの通称を受け継いでいる。
父親は、表向きは凶賊鷹刀一族総帥イーレオということになっているが、実はイーレオの長子エルファンの息子である。
そのことは、薄々、本人も感づいてはいるが、既に親元から独立し、凶賊の一員ではなく、何にも属さない『対等な協力者〈猫〉』であることを認められているため、どうでもいいと思っている。
端正な顔立ちであるのだが、表情のせいでそうは見えない。
長髪を後ろで一本に編み、毛先を母の形見である金の鈴と、青い飾り紐で留めている。
亡くなる前のセレイエに、ライシェンの『記憶』を一方的に預けられていた。
※『ハッカー』という用語は、本来『コンピュータ技術に精通した人』の意味であり、悪い意味を持たない。むしろ、尊称として使われている。
対して、『クラッカー』は、悪意を持って他人のコンピュータを攻撃する者を指す。
よって、本作品では、〈猫〉を『クラッカー』と表記する。
メイシア
『デヴァイン・シンフォニア計画』を託された少女。十八歳。
セレイエによって、ルイフォンとの出逢いを仕組まれ、彼と恋仲――事実上の伴侶となる。
もと貴族の藤咲家の娘だが、ルイフォンと共に居るために、表向き死亡したことになっている。
箱入り娘らしい無知さと明晰な頭脳を持つ。すなわち、育ちの良さから人を疑うことはできないが、状況の矛盾から嘘を見抜く。
白磁の肌、黒絹の髪の美少女。
王族の血を色濃く引くため、『最強の〈天使〉』として『ライシェン』を守ってほしいというセレイエの願いから、『デヴァイン・シンフォニア計画』に巻き込まれた。
セレイエの〈影〉であったホンシュアを通して、セレイエの『記憶』を受け取っている。
[鷹刀一族]
凶賊と呼ばれる、大華王国マフィアの一族。
約三十年前、イーレオが、王家および王家の私設研究機関である〈七つの大罪〉と縁を切るまで、血族を有機コンピュータ〈冥王〉の〈贄〉として捧げる代わりに、王家の保護を受けてきた。近親婚を強いられてきたため、血族は皆そっくりであり、また強く美しい。
鷹刀イーレオ
凶賊鷹刀一族の総帥。六十五歳。
若作りで洒落者。
かつては〈七つの大罪〉の研究者、〈悪魔〉の〈獅子〉であった。
鷹刀エルファン
イーレオの長子。次期総帥であったが、次男リュイセンに位を譲った。
ルイフォンとは親子ほど歳の離れた異母兄ということになっているが、実は父親。
感情を表に出すことが少ない。冷静、冷酷。
鷹刀リュイセン
エルファンの次男。十九歳。本人は知らないが、ルイフォンの異母兄にあたる。
父から位を譲られ、次期総帥となった。また、最後の総帥になる決意をしている。
黄金比の美貌の持ち主。
文句も多いが、やるときはやる男。『神速の双刀使い』と呼ばれている。
ミンウェイを愛していたが、彼女の幸せを思い、彼女を一族から追放し、緋扇シュアンのもとに行かせた。
その後、女王アイリーと出逢い、恋のような愛のような、曖昧な感情を抱くようになる。なお、アイリーとの関係は、『恋人』ではなく、『共犯者』であると、ふたりで決めた。
鷹刀ユイラン
エルファンの十歳以上は年上の妻。レイウェン、リュイセンの母。銀髪の上品な女性。
レイウェンの会社の専属デザイナーとして鷹刀一族の屋敷を出ていたが、ミンウェイがシュアンのもとへ行ったため、総帥の補佐役として再び屋敷に戻ってきた。
ただし、服飾の仕事が忙しいときには、草薙家にある仕事場に詰めっぱなしになるため、行ったり来たりの生活をしている。
ルイフォンが、エルファンの子であることを隠したいキリファに協力して、愛人をいじめる正妻のふりをしてくれた。
メイシアの異母弟ハオリュウに、メイシアの花嫁衣装を依頼された。
草薙チャオラウ
鷹刀一族の中枢をなす人物のひとり。イーレオの護衛にして、ルイフォンの武術師範。
無精髭を弄ぶ癖がある。
主筋であるユイランを、幼少のころから半世紀ほど、一途に想っている、らしい。
料理長
鷹刀一族の屋敷の料理長。
恰幅の良い初老の男。人柄が体格に出ている。
キリファ
もとエルファンの愛人で、セレイエ、ルイフォンの母。ただし、イーレオ、ユイランと結託して、ルイフォンがエルファンの息子であることを隠していた。故人。
天才クラッカー〈猫〉。
〈七つの大罪〉の〈悪魔〉、〈蠍〉に人体実験体である〈天使〉にされた。
四年前に当時の国王シルフェンに『首を落とさせて』死亡。
どうやら、自分の体を有機コンピュータ〈スー〉に作り変えるためだったらしい。
ルイフォンに『手紙』と称し、人工知能〈スー〉のプログラムを託した。
〈ケル〉〈ベロ〉〈スー〉
キリファが、〈冥王〉を破壊するために作った三台の兄弟コンピュータ。
表向きは普通のスーパーコンピュータだが、それは張りぼてである。
本体は、人間の脳から作られた有機コンピュータで、光の珠の姿をしている。
〈ベロ〉の人格は、シャオリエのオリジナル『パイシュエ』である。
〈ケル〉は、キリファの親友といってもよい間柄である。
〈スー〉は、ルイフォンがキリファの『手紙』を正確に打ち込まないと出てこないのだが、所在は、〈蠍〉の研究所跡に建てられた家にあることが分かっている。
鷹刀セレイエ
エルファンとキリファの娘。表向きはルイフォンの異父姉となっているが、同父母姉である。
リュイセンにとっては、異母姉になる。
生まれながらの〈天使〉であり、自分の力を知るために自ら〈悪魔〉となった。
王族のヤンイェンと恋仲になり、ライシェンという〈神の御子〉を産んだ。
先王シルフェンにライシェンを殺されたため、『デヴァイン・シンフォニア計画』を企てた。
ただし、セレイエ本人は、ライシェンの記憶を手に入れるために〈天使〉の力を使い尽くし、あとのことは〈影〉のホンシュアに託して死亡した。
女王アイリーのことは、義妹として、とても可愛がっていた。
パイシュエ
イーレオ曰く、『俺を育ててくれた女』。故人。
鷹刀一族を〈七つの大罪〉の支配から解放するために〈悪魔〉となり、三十年前、その身を犠牲にして未来永劫、一族を〈贄〉にせずに済む細工を施して死亡した。
自分の死後、一族を率いていくことになるイーレオを助けるために、シャオリエという〈影〉を遺した。
また、どこかに残されていた彼女の何かを使い、キリファは〈ベロ〉を作った。
すなわち、パイシュエというひとりの人間から、『シャオリエ』と〈ベロ〉が作られている。
鷹刀ヘイシャオ
〈七つの大罪〉の〈悪魔〉、〈蝿〉。ミンウェイの『父親』。医者で暗殺者。故人。
妻のミンウェイの遺言により、妻の蘇生のために作ったクローン体を『娘』として育てていくうちに心を病んでいった。
十数年前に、娘のミンウェイを連れて現れ、自殺のようなかたちでエルファンに殺された。
[王家]
白金の髪、青灰色の瞳の先天性白皮症の者が多く生まれる里を起源とした一族。
王家に生まれた先天性白皮症の男子は必ず盲目であり、代わりに他人の脳から『情報を読み取る』能力を持つ。
この特殊な力を持つ者を王としてきたため、先天性白皮症の外見を持つ者だけが〈神の御子〉と呼ばれ、王位継承権を有する。かつては男子のみが王となれたが、現在では〈神の御子〉が生まれにくくなったために女王も認めている。ただし、あくまでも仮初めの王である。
アイリー
大華王国の現女王。十五歳。四年前、先王の父が急死したため、若年ながら王位に就いた。
彼女の婚約を開始条件に、すべてが――『デヴァイン・シンフォニア計画』が始まった。
素直で純粋な性格。とても良い子であるが、王としての威厳がまったくないために、兄であり摂政でもあるカイウォルに、公式の場では大人しく黙っているように言われているらしい。
リュイセンと出逢い、アイリーとしては、恋に落ちた――が、互いに『最後の総帥』『最後の王』となるために、『恋人』ではなく、『共犯者』としての絆を結んだ。
シルフェン
先王。四年前、腹心だった甥のヤンイェンに殺害された。
〈神の御子〉の男子に恵まれなかった先々王が〈七つの大罪〉に作らせた『過去の王のクローン』である。
ヤンイェン
先王の甥。女王の婚約者。
実は先王が〈神の御子〉を求めて姉に産ませた隠し子で、女王アイリーや摂政カイウォルの異母兄弟に当たる。
セレイエとの間に生まれたライシェンを殺され、蘇生を反対されたため、先王を殺害した。
メイシアの再従兄にあたる。
ルフォンが女装までして会いに行き、『デヴァイン・シンフォニア計画』の現状を伝え、父親として『ライシェン』にどんな未来を与えたいか、意見を求めようとしたのだが、「考えるべきことが多すぎて、何も決められない」としか答えてくれなかった。
ライシェン
ヤンイェンとセレイエの息子で、〈神の御子〉。
〈神の御子〉の男子が持つ『情報を読み取る』能力に加え、〈天使〉のセレイエから受け継いだ『情報を書き込む』能力を持っていた。
彼の力は、〈天使〉の羽のように自分と相手を繋ぐことなく、〈神の御子〉のように手も触れずに扱えたため、先王シルフェンは彼を『神』と呼ぶしかないと言い、『来神』と名付けた。
周りの『殺意』を感じ取り、相手を殺してしまったために、先王に殺された。
『ライシェン』
〈蝿〉が、セレイエに頼まれて作った、ライシェンのクローン体。
オリジナルのライシェンは盲目だったが、周りの『殺意』を感じ取らずにすむようにと、目が見えるように作られた。
凍結処理が施され、ルイフォンとメイシアに託された。
カイウォル
摂政。女王の兄に当たる人物。
摂政を含む、女王以外の兄弟は〈神の御子〉の外見を持たないために、王位継承権はない。
ハオリュウに、「異母兄にあたるヤンイェンとの結婚を嫌がる妹、女王アイリーの結婚を延期するために、君が女王の婚約者になってほしい」と陰謀を持ちかけた。
[〈七つの大罪〉]
現代の『七つの大罪』=『新・七つの大罪』を犯す『闇の研究組織』。
実は、王の私設研究機関。
王家に、王になる資格を持つ〈神の御子〉が生まれないとき、『過去の王のクローンを作り、王家の断絶を防ぐ』という役割を担っている。
〈冥王〉
他人の脳から情報を読み取ることによって生じる、王族の脳への負荷を分散させるために誕生した連携構成。
太古の昔に死んだ王の脳細胞から生まれた巨大な有機コンピュータで、鷹刀一族の血肉を動力源とする。
『光の珠』の姿をしており、神殿に収められている。
〈悪魔〉
知的好奇心に魂を売り渡した研究者を〈悪魔〉と呼ぶ。
〈悪魔〉は〈神〉から名前を貰い、潤沢な資金と絶対の加護、蓄積された門外不出の技術を元に、更なる高みを目指す。
代償は体に刻み込まれた『契約』。――王族の『秘密』を口にすると死ぬという、〈天使〉による脳内介入を受けている。
〈天使〉
『記憶の書き込み』ができる人体実験体。
脳内介入を行う際に、背中から光の羽を出し、まるで天使のような姿になる。
〈天使〉とは、脳という記憶装置に、記憶や命令を書き込むオペレーター。いわば、人間に侵入して相手を乗っ取るクラッカー。
羽は有機コンピュータ〈冥王〉の一部でできており、〈天使〉と侵入対象の人間との接続装置となる。限度を超えて酷使すれば熱暴走を起こして死亡する。
〈影〉
〈天使〉によって、脳を他人の記憶に書き換えられた人間。
体は元の人物だが、精神が別人となる。
『呪い』・便宜上、そう呼ばれているもの
〈天使〉の脳内介入によって受ける影響、被害といったもの。悪魔の『契約』も『呪い』の一種である。
服従が快楽と錯覚するような他人を支配する命令や、「パパがチョコを食べていいと言った」という他愛のない嘘の記憶まで、いろいろである。
『デヴァイン・シンフォニア計画』のために作られた〈蝿〉
セレイエが『ライシェン』を作らせるために、蘇らせたヘイシャオ。
セレイエに吹き込まれた嘘のせいでイーレオの命を狙い、鷹刀一族と敵対していたが、リュイセンによって心を入れ替えた。
メイシアを〈悪魔〉の『契約』から解放するため、自ら王族の『秘密』を口にして死亡した。
ホンシュア
セレイエの〈影〉。肉体はライシェンの侍女で、〈天使〉化してあった。
主人の死に責任を感じ、『デヴァイン・シンフォニア計画』に協力した。
〈影〉にされたメイシアの父親に、死ぬ前だけでも本人に戻れるような細工をしたため、体が限界を超え、熱暴走を起こして死亡。
メイシアにセレイエの記憶を潜ませ、鷹刀に行くように仕向けた、いわば発端を作った人物である。
〈蛇〉
セレイエの〈悪魔〉としての名前。
セレイエの〈影〉であるホンシュアをを指すこともある。
[藤咲家・他]
藤咲ハオリュウ
メイシアの異母弟。十二歳。
父親を亡くしたため、若年ながら貴族の藤咲家の当主を継いだ。その際、異母姉メイシアを自由にするために、表向き死亡したことにしたのは彼である。
母親が平民であることや、親しみやすい十人並みの容姿であることから、平民に人気がある。ただし、温厚そうな見た目とは裏腹に、気性は激しい。
女王陛下の婚礼衣装制作に関して、草薙レイウェンと提携を決めた。
摂政カイウォルに「女王の婚約者にならないか」と陰謀を持ちかけられていたが、友人シュアンを人質に取られたことから猛反発。シュアンのため、そして、相思相愛でありながら、身分差のために想いを告げることのできなかったクーティエのため、『この国から身分をなくす』と決意する。
藤咲コウレン
メイシア、ハオリュウの父親。厳月家・斑目一族・〈蝿〉の陰謀により死亡。
藤咲コウレンの妻
メイシアの継母。ハオリュウの実母。平民。
心労で正気を失ってしまい、別荘で暮らしていたが、メイシアがお見舞いに行ったあとから徐々に快方に向かっている。
緋扇シュアン
ハオリュウの歳の離れた友人であり、現在は秘書。三十路手前程度。悪人面の凶相の持ち主。
もとは銃の名手のイカレ警察隊員であったが、摂政の陰謀により投獄。獄死を装って救出されたため、自由民となった。
幼いころ、凶賊同士の抗争に巻き込まれ、家族を失った。そのため、「世を正す」と正義感に燃えて警察隊に入るも、腐った現実に絶望していた。しかし、ハオリュウと出会い、彼を『理想の権力者』に育てることに希望を見出した。
また、以前より、秘めた愛情を抱いていたミンウェイと家族になった。
鷹刀ミンウェイ
鷹刀一族の総帥の補佐を務めていたが、リュイセンに追放という形で背中を押され、シュアンのもとに来た。現在は、ハオリュウの侍医として、シュアンと共に藤咲家に住み込みで働いている。
緩やかに波打つ長い髪と、豊満な肉体を持つ、二十代半ばに見える絶世の美女。ただし、本来は直毛。薬草と毒草のエキスパート。医師免状も持っている。
かつて〈ベラドンナ〉という名の毒使いの暗殺者として暗躍していた。
母親だと思っていた人物のクローンであり、そのために『父親』ヘイシャオに溺愛という名の虐待を受けていたのだと知った。苦悩はあったが、今は乗り越えている。
[草薙家・他]
草薙レイウェン
エルファンの長男。リュイセンの兄。
妻のシャンリーと共に一族を抜けて、服飾会社、警備会社など、複数の会社を興す。
草薙シャンリー
レイウェンの妻。チャオラウの姪だが、赤子のころに両親を亡くしたためチャオラウの養女になっている。王宮に召されるほどの剣舞の名手。
遠目には男性にしかみえない。本人は男装をしているつもりはないが、男装の麗人と呼ばれる。
草薙クーティエ
レイウェンとシャンリーの娘。リュイセンの姪に当たる。十歳。可愛らしく、活発。
ハオリュウが、彼女の父レイウェンに『お嬢さんをください』という意味合いを含めて決闘を申し込んだらしいのだが、惨敗したので、ふたりの間柄は保留である。
斑目タオロン
よく陽に焼けた浅黒い肌に、意思の強そうな目をした、もと凶賊斑目一族の若い衆。
堂々たる体躯に猪突猛進の性格。二十四歳だが、童顔ゆえに、二十歳そこそこに見られる。
斑目一族や〈蝿〉にいいように使われていたが、今はレイウェンの警備会社で働いている。将来的には、ハオリュウの専属護衛になる予定。
斑目ファンルゥ
タオロンの娘。四、五歳くらい。
くりっとした丸い目に、ぴょんぴょんとはねた癖っ毛が愛らしい。
[繁華街]
シャオリエ
高級娼館の女主人。年齢不詳。
外見は嫋やかな美女だが、中身は『姐さん』。
実は〈影〉であり、イーレオを育てた、パイシュエという人物の記憶を持つ。
スーリン
シャオリエの店の娼婦。
くるくる巻き毛のポニーテールが似合う、小柄で可愛らしい少女。ということになっているが妖艶な美女という説もある。
本人曰く、もと女優の卵である。実年齢は不明。
ルイリン
ルイフォンの女装姿につけられた名前。
タオロンと好い仲の少女娼婦。癖の強い、長い黒髪の美少女。
少女にしては長身で、そのことを気するかのように猫背である。
――という設定になっている。
また、『仕立て屋の助手』として、ユイランと王宮に訪れたのも『彼女』である。
トンツァイ
繁華街の情報屋。
痩せぎすの男。
キンタン
トンツァイの息子。ルイフォンと同い年。
カードゲームが好き。
===大華王国について===
黒髪黒目の国民の中で、白金の髪、青灰色の瞳を持つ王が治める王国である。
身分制度は、王族、貴族、平民、自由民に分かれている。
また、暴力的な手段によって団結している集団のことを凶賊と呼ぶ。彼らは平民や自由民であるが、貴族並みの勢力を誇っている。
1.月夜の朗報-1
軒に吊るした風鈴が、ちりん、と月夜に揺れる。
まだまだ日中は暑いものの、暦の上では、もうすぐ秋だ。夜ともなれば、かなり過ごしやすい。そのせいだろうか。涼やかな音色は、どことなく物寂しげにも聞こえた。
ルイフォンは、そんなことを思い、それから、柄でもねぇやと苦笑する。
いつもの通りに、メイシアは夕食後の片付けを手伝っていて、ひと足先に客間に戻ってきた彼は、あちらこちらの情報を集めつつ、〈スー〉のプログラムの解析をしている。草薙家に厄介になり始めたのは、夏の盛りのころであったから、こんな生活をかれこれ二ヶ月近く続けていることになる。
変わらない毎日。……けれど、季節が移り変わっていくように、自分も周りも、確実に変化している――と、思う。
実際、ミンウェイとシュアンは、この夏に、運命を拓く選択をした。
そして、ルイフォンだって……。
回転椅子の背もたれに寄り掛かり、彼は猫背をいっぱいに伸ばす。
昼間は、いつもの彼からは想像もできないような、堅苦しい格好で出歩いたのだ。肩こりが激しいのは、仕方のないことだろう。鏡の中の我が身は、惚れ惚れするほど決まっていたし、これは心地の良い疲れだ。
――そう。
ルイフォンは今日、メイシアに贈る婚約指輪を注文してきたのだ。
秘密の贈り物にするため、メイシアには内緒だ。最近は『草薙家に持ち込んだ機材では、処理能力が足りない』と言って、〈ケル〉の家に出掛けることも多かったから、昼の彼の不在を、彼女は疑問に思っていない。
だから、このことを知っているのは、高級宝飾店に入るための服装に協力してくれた、ユイランのみ。
自慢の株の自動売買プログラムで儲けているので、予算はいくらでもあった。しかし、普段から身に着けられるようにと、高価な一粒石の指輪は、あえて選ばなかった。
その代わり、彼女への想いを込め、彼自身が考案した、世界でただひとつの品を注文した。
メイシアは、きっと喜んでくれるだろう。今から、渡すのが楽しみだ。
鋭いはずの猫の目が垂れ下がり、ルイフォンの顔は、自然とにやけてくる。
専門の職人に加工を頼んだので、仕上がるまでには少し時間が掛かるらしい。完成の連絡が、待ち遠しくてたまらない。
彼は上機嫌で、あれこれと妄想を繰り広げ、窓硝子に映った自分の姿に、はっとする。
こんなに、だらしなく緩みきった顔では、メイシアに不審に思われてしまう。彼女が部屋に来るまでに、いつもの自分に戻らなくては――!
焦る心の一方で、浮かれた気持ちは簡単には収まらず、無理に閉じようとした口元からは、抑えきれない笑みが零れてくる。
これは困った――と、まったく困っているように見えない顔で、窓硝子の鏡像と無言の愚痴を交わしたとき、携帯端末がメッセージの着信を知らせてきた。
「!?」
送信者は、リュイセン。
重要な話をしたいから、今すぐ、盗聴の心配のない通信環境を用意してほしい――とのことだった。
それまで、どうやっても引き締めることのできなかったルイフォンの顔つきが、一瞬にして無機質な〈猫〉のものへと変わった。
彼は、安全な会議システムを構築すべく、熟練のピアニストもかくや、とばかりの鮮やかさでキーボードに指を走らせる。
いったい、何ごとが起きたのか。
しばらく鳴りを潜めていた摂政が、ついに動き出したのか。
いいだろう、受けて立ってやる――。
逸る気持ちが、涼しくなってきたはずの室温を上昇させた。全身が、ほんのりと汗ばむ。
あっという間に、鷹刀一族次期総帥との極秘回線を確立すると、ルイフォンは挑むような猫の目をモニタ画面に向けた。
そして、兄貴分の顔が映し出されたとき……。
「――へ?」
思わず、間抜けな声が飛び出た。
何かが、おかしかった。
よく見慣れているはずの黄金比の美貌に、物凄い違和感を覚える。
「ルイフォン。……その、いきなり、すまん」
歯切れの悪い魅惑の低音が、かすかな雑音をまといながら、スピーカーを震わせた。
リュイセンが、安全な通信環境を求めてきた。そもそも、重要な話がある、と明言していた。ならば、さぞや深刻な顔をしているだろうと――否、深刻な顔をしている『べき』であると、ルイフォンは考えていた。
しかし、画面の中の兄貴分は、あろうことか、先ほど窓硝子に映った鏡像と、瓜二つ。
勿論、姿形の美しさは、生粋の鷹刀一族であるリュイセンに、ルイフォンは遠く及ばない。もっとも、最近、止むを得ず女装したときにユイランに言われたのだが、実はルイフォンの顔立ちは、鷹刀のものであるらしい。だから、少しくらいは、自分と美麗な兄貴分が似ていたとしても不思議ではなく……。
――そういう問題じゃねぇ!
ルイフォンは、己の思考に喝を入れた。
深刻で、緊急な、非常事態に直面しているはずのリュイセンが、何故か、鼻の下を伸ばしている。懸命に取り繕い、大真面目な顔をしているつもりのようであるが、隠しきれない喜びが、そこかしこから溢れ出ている。
これは、いったい、どういう非常事態だ?
堅物で鳴らしたリュイセンに、まさかの女の影? あり得ないだろう。……いや、さすがに、そこまで言い切っては、如何な兄貴分でも失礼か。今まで、ミンウェイひと筋だったために浮いた話がなかっただけで、近づいてくる女は、あとを絶たなかったのだから。
――ならば、本当に?
ルイフォンの脳裏を、疑惑まみれの憶測がよぎる。
ミンウェイをシュアンのもとへ送り出して以降、兄貴分の消沈ぶりは、見るに堪えないものがあった。それを思えば、真実なら非常にめでたい事態だ。
だが、現在、鷹刀一族は、摂政との緊迫状態にある。浮かれている場合ではない。
メイシアに婚約指輪を贈ろうとしている自分を棚上げにしているようであるが、ルイフォンとは違って、リュイセンは融通の利かない質なのだ。だから、生真面目な兄貴分に限って、まさか、そんなことは……。
思考回路が、堂々巡りを繰り返す。
普段のルイフォンなら、あれこれ無駄に考えるより、単刀直入に本人から正しい情報を仕入れるべきだと、とっくに気づいているはずだった。しかし、頭脳派を自称する彼から、正常な判断力を奪うほどに、リュイセンの美貌には前代未聞の事態が起きていたのである。
猫の目を見開いたまま、明らかに動転した顔で凍りついたルイフォンに対し、リュイセンは無反応であった。何故なら、そもそも、彼はモニタ画面を見ていなかったからである。
リュイセンの目線は、彼の手元に落とされていた。カメラには映っていない机の上には、これから話そうとしている『今日の出来ごと』をまとめた原稿が載っている。
本当は、もっと早くに――屋敷に戻り、鷹刀一族総帥たちへの報告を終えてすぐにも、弟分に連絡を入れたかった。しかし、あまりにも複雑、かつ多岐にわたる内容であったため、ある程度、事情を把握しているイーレオたちへの報告でさえ、難航したのだ。ならば、寝耳に水の弟分へは、きちんと原稿を用意してから話すべきだろう。――生真面目なリュイセンは、そう考えた。
故に、夜も更けて……とまではいわないが、だいぶ遅くなってから、やっと準備が整ったのである。
「ルイフォン……、あの、な……。実は、今日、屋敷に珍客が現れて……な」
緊張の面持ちの黄金比の美貌が、しどろもどろの魅惑の低音を紡いでいく。
やがて。
風鈴の音色に彩られた静かな夜に、ルイフォンの驚愕の雄叫びが響き渡った。
片付けの手伝いを終え、客間へと戻ってきたメイシアを出迎えたのは、最愛のルイフォンの問答無用の抱擁だった。
「メイシア、聞いてくれ!」
「きゃっ!?」
彼女は危うく、手にしていた保冷ポットを取り落としそうになった。だいぶ涼しくなったとはいえ、暑がりのルイフォンのために、冷たいジャスミンティーを運んできたのだ。グラスは部屋にあるからと、ポットのみだったのは幸いといえよう。
「ルイフォン? どうし……」
「さっき、連絡があったんだが、リュイセンが凄ぇんだ!」
投げかけた疑問も、昂揚したテノールに呑み込まれる。
ルイフォンは興奮に全身を震わせながら、メイシアを強く抱きしめた。
「絶対に、恐ろしく面倒臭くて、呆れるほどに大変に決まっている。けど! これは、最高の朗報だ! ああ、もう、こんなのあり得ねぇだろ!? 頭が爆発しそうだ!」
猫の目を好戦的に輝かせ、ルイフォンは覇気に満ちた声を響かせる。しかし、口を衝く台詞は、彼らしくもなく要領を得ず。ともすれば矛盾したようにも聞こえる言葉の数々に、メイシアは「えっと……?」と、戸惑いの上目遣いで小首をかしげる。
「あ……。すまん」
最愛のメイシアの可愛らしい仕草に、自己中心的なルイフォンも、ようやく我に返った。照れ隠しのように、「こほん」と咳払いをする。
それから彼は、ほんの少し、思案した。兄貴分からのたくさんの報告事項のうち、何から伝えるのがよいのかと、悩んだのだ。
結論として、彼が一番、衝撃を受けた情報から告げることにした。
「リュイセンに、特別な女ができた」
「えっ……」
その瞬間、メイシアの頬が薔薇色に染まった。深窓の令嬢として、慎み深く育った彼女ではあるが、やはり年ごろの少女。色恋沙汰には心が踊るようだ。
これだけでも、充分に驚嘆に値する話題だろう。しかし、まだ先がある。
ルイフォンは絶妙な間を計り、言を継ぐ。
「相手は、なんと! 女王だ!」
「!?」
聡明なはずのメイシアの頭脳が、動きを止めた。何を言われたのか、理解できなかったのだ。黒曜石の瞳もまた、ぱっと見開かれたまま、瞬きひとつしない。
凍りついてしまった彼女の髪を、ルイフォンが、くしゃりと撫でる。
「な? 凄ぇだろ?」
「うん……」
メイシアは呆然としたまま、こくりと頷く。
驚愕が、徐々に祝福へと変わっていく中、彼女は、皿洗いの最中に聞こえたような気がしたルイフォンの雄叫びは、どうやら空耳ではなかった、と悟ったのだった。
1.月夜の朗報-2
「リュイセンが『最後の総帥』になるから、女王は『最後の王』になれ――ってさ。無茶苦茶だよな」
兄貴分との通信内容をメイシアに語り終え、ルイフォンは、そんな感想で締めくくった。口調は苦笑混じりでありながら、彼の顔は上機嫌に緩んでいる。
イーレオが鷹刀一族の解散を考えていることは、最近、聞いた話だ。一族を抜けたルイフォンには、本来、秘密にされるべき事柄なのだが、『対等な協力者』として、特別に明かされたのだ。
リュイセンの心の内では、もうずっと前から『最後の総帥』になる覚悟を決めていたらしい。だからといって、それを女王にも勧めるなんて、いくらなんでも話が飛躍しすぎだろう。
……ついでにいえば、鷹刀一族の重要機密である『最後の総帥』の話を、あっさり女王に明かした点は、いただけない。携帯端末という情報の宝庫を、何も考えずに彼女にあげてしまった件も併せて、兄貴分は情報管理意識が甘すぎる――!
それはさておき。
『最後の王』なんて、いったい、どれほどの困難が待ち受けているのか、見当もつかない。リュイセンは直感的に口走ったらしいのだが、一足飛びの閃きも、ここに極まれり、だ。
「でも、リュイセンの言うことは正論だ、って――ルイフォンは思っているんでしょう?」
ジャスミンティーのグラスを挟んだ向かい側で、メイシアが微笑む。
「ああ、勿論」
ルイフォンは、我がことのように、得意げに答えた。
「現在の〈神の御子〉は、『犠牲』としか言いようがねぇ。それをなんとかしようと考えるのは、正常な精神だ」
それから、ほんの少し、眉を寄せる。
「まぁ、『最後の王』というのが現実的かといえば、かなり難しいと思うけどさ」
常識的に考えれば、無茶苦茶だ。さすがに無茶は、女王も分かっているらしく、本来なら一番に相談すべき摂政には、当分の間、秘密にするらしい。確かに、なんの準備もなく、『最後の王』などと言ったところで、一笑に付されるだけだろう。
「でも、女王は、すっかりその気で、リュイセンも全力で手を貸すと誓ったみたいだ」
理屈を組み上げ、計算づくで攻め込むルイフォンには絶対に辿り着けない境地に、兄貴分は天性の勘だけを頼りに踏み込んでいく。その直感は、いつだって正しくて、けれど、茨の道だ。
それでも、『やるべきことをやるだけだ』と、静かに笑う兄貴分だからこそ、あの〈蝿〉を『血族として裁く』などという芸当をやってのけたのだろう。
あのときと同じ興奮を、今も感じている。無謀だと思う理性の裏側で、胸が騒ぐ。悔しさに似た憧憬を抱きながら、心が躍る。
「別にさ、女王を玉座に縛りたくないだけなら、『最後の王』じゃなくてもいいんだよな。黒髪黒目の王族にも王位継承権を認めるよう法を改正して、あの摂政にでも押し付ければいい。〈神の御子〉の姿は信仰の対象になっているから、すんなりとはいかないだろうけど、王制廃止よりは簡単だ」
ルイフォンの言葉に、メイシアが瞳を瞬かせた。言いたいことは違うんでしょう? と、表情が問うている。
まったく、彼女は察しがいい。以心伝心の上目遣いに首肯しつつ、ルイフォンは口元をほころばせる。
「でも、法改正じゃ駄目なんだ。リュイセンの心にあった思いは『鷹刀が解散するのと同じように、女王も解放されるべきだ』なんだからさ。『王家』という古い因習から、女王の身も心も、自由にしてやりたい。――そしたら、『王家』そのものをなくすしかない」
無論、これはルイフォンの理詰めの解釈であり、野生の勘で動く兄貴分には、無意識の衝動があっただけだろう。
……けど。本当に、なんで、よりによって『女王』なんだよ?
今までミンウェイひと筋だったリュイセンが、誰かに心を動かしただけでも驚きなのに、こんな厄介な相手を選ぶとは。そもそも、生粋の凶賊である兄貴分は、上流階級の人間を毛嫌いしていたのではなかったか?
そんな揶揄のような気持ちを抱きつつも、生真面目な兄貴分と、純粋無垢な女王なら、惹かれ合ったとしても不思議ではないと思っている。何しろルイフォンは、女王本人に直接、会っているのだから。
あの純真な少女が、リュイセンを愛するというのなら、兄貴分は幸せになれるだろう。――障害は、とてつもなく大きいだろうが。
『恋人』ではなく、『共犯者』なのだと主張していたが、そんなのは言葉の上での問題でしかない。出逢ったばかりで、先のことは分からないのは確かであるが、あのふたりの性格なら、ずっと変わらぬ想いを抱き続けるだろう。
兄貴分へと思いを馳せ、頬を緩めていたルイフォンであるが、不意に、メイシアの顔に翳りが落ちていることに気づいた。
「どうした?」
「リュイセンと陛下は、偉いと思うの」
「?」
彼女の言葉には同意する。しかし、思い詰めたような表情に、ルイフォンは首をかしげる。
彼が目線で促すと、彼女は、うつむき加減に続けた。
「貴族だった私は、ハオリュウに死んだことにしてもらったから、こうして今、ルイフォンと一緒にいられる。でも、リュイセンと陛下は、自分の立場から逃げないの。それどころか、正面から立ち向かうことにした。――なんだか、申し訳なくて……」
「……」
それは、ルイフォンも思った。自分たちは恵まれている。皆の優しさに、甘やかされている。
……だからといって、メイシアが暗い顔をしても仕方がないのだ。
「俺たちは、俺たちだ」
ジャスミンティーのグラスを避けながらテーブルに身を乗り出し、黒絹の髪を、くしゃりと撫でる。猫の目を細め、ルイフォンは、愛しげな眼差しをメイシアに向けた。
「俺たちは『ふたりきり』じゃなくて、『皆に囲まれたふたり』なんだからさ。立場に縛られた奴らの代わりに、『自由に動ける俺たちだからこそ、できること』を見つけていくべきだろ? 引け目を感じている場合じゃないぜ?」
にやりと不敵に笑うルイフォンに、黒曜石の瞳が、ぱっと見開かれた。花の顔が、徐々にほころんでいく。
「そうよね。――ありがとう、ルイフォン」
零れんばかりの笑顔に、彼女がそばにいる幸せを実感する。……そう思うと、やはり、ルイフォンだって、少々、後ろめたい。
だが、メイシアに言った通り、自分たちは自分たちなのだ。だから、自分たちは、自分たちにできることをすべきだ。
ルイフォンは、強引に頭を切り替えた。
「『ライシェン』のことだけどさ。思いがけず、女王の意見を聞けたことで、状況が一変したと思う」
今回のリュイセンからの報告の中で、ルイフォンの個人的な大衝撃は、当然のことながら、兄貴分の激変ぶりだ。あの魅惑の低音で、『アイリー』と、甘やかに女王の名が紡がれるのを聞いたときには、正直なところ度肝を抜かれた。冗談抜きで、心臓が止まるかと思った。
だが、女王もまた、リュイセンに恋情を抱いているというのなら、これはもう、解決済みの案件なのだ。細かいことを気にすれば、多少の問題はあるのかもしれないが、あいにく、ルイフォンは細かいことを気にしない。
だから、真に重要なのは、『ライシェン』のこと。――『ライシェン』の未来だ。
「女王が、『ライシェン』を次の王として必要としていない以上、彼女に託す、という案は却下だよな」
名案だと思っていたのだが、そうは問屋が卸さないようだ。ルイフォンは少し悔しげに、癖の強い前髪を掻き上げる。
「私……、女王陛下がおっしゃった道が一番、『ライシェン』にとって幸せだと思うの。ヤンイェン殿下の息子として、海外で暮らすのが……」
「けど、ヤンイェンは『ライシェン』に記憶を入れたがるはずだ、って、異母妹の女王が断言したんだよな」
「うん……」
ヤンイェンが記憶にこだわるのであれば、彼に『ライシェン』を渡すわけにはいかない。
これは、譲れない決定事項だ。
何故なら、『死者は、決して生き返らない』。これまで『デヴァイン・シンフォニア計画』の作り出した不幸を見続けてきた身として、認められない境界線だ。
ルイフォンは、深い溜め息を落とした。
『ライシェン』の未来について、ヤンイェンからは、いまだ明確な『返事』のようなものはない。
携帯端末の連絡先は交換していたので、多少のメッセージのやり取りはしている。だが、相変わらずの態度で、文面はこんな調子だ。
『私が『ライシェン』に、どんな未来を望むのか。君はきっと、早く答えてほしいと焦れていることだろう。
その気持ちは分かるんだ。私が君の立場だったら、きっと、そう思っているはずだから。
けど、私は、『私が、どうしたいか』よりも、まず先に、『私には、どんな手段が残されているのか』を考えたい。考えなければならないんだ。
すまない。――私の義弟ルイフォン』
こう下手に出られては、こちらからは強く言えなくなってしまう。どことなく、『何もかも、お見通し』という感じがして、非常にやりにくい。
「ヤンイェンの『私には、どんな手段が残されているのか』というのが、女王の言っていた『四年前から既に〈天使〉だった者を探す』ってことなんだろうな」
ルイフォンの呟きに、メイシアが沈んだ声で同意する。ふたりは視線を交わし合い、互いの困り顔を瞳に映す。
四年前からの〈天使〉を連れてきたところで、ルイフォンとメイシアは、『ライシェン』にオリジナルの記憶を入れることを認めない。ヤンイェンの努力は、無駄になるのだ。
「ヤンイェン殿下には、本当に申し訳ないと思うの……」
心優しいメイシアが、痛ましげに俯く。だから、ルイフォンは努めて明るい声を出した。
「でもさ。女王が凄ぇ、いいこと言ったじゃん?」
「え?」
「オリジナルのライシェンは、人を殺している。その記憶を――罪を『ライシェン』が背負う必要はない、って」
「あ……。それを伝えれば、ヤンイェン殿下だって……」
「ああ」
明るさを取り戻したメイシアに、ほっとしつつ、ルイフォンは返す返すも惜しいと思う。
――そんなふうに考えられる女王になら、安心して『ライシェン』を託せたのにな……。
なかなか、うまくいかないものだ。
やはり、ヤンイェンを根気強く説得して、オリジナルとは別人として、『ライシェン』を受け入れてもらうのが一番なのだろう。
「まぁ、ヤンイェンは、かなり手強そうだけどな……」
メッセージの文面を思い返し、苦笑まみれの愚痴が口を衝いて出る。
すると、「ルイフォン」と、鈴を転がすような声が凛と響いた。
「でも、『私たちなら、できる』――でしょう?」
メイシアが、ぐっと身を乗り出し、癖の強いルイフォンの前髪を、くしゃりと撫でる。白い指先に誘われ、知れず下がっていた目線を上げると、そこには覇気に満ちた笑顔があった。
「ああ。そうだよな。面倒臭え、なんて思っていないで、しっかりやらねぇとな!」
彼女に応えるように、好戦的に彼も笑った。
傍らに寄り添い、励まし、励まされているのを実感する。
互いに支え合い、良いことも、悪いことも、共に分かちて生きていくのだ。
夏の終わりに、メイシアと、そんな会話を交わした。
そして、秋が訪れ、軒の風鈴がしまわれ、ちりん、という澄んだ音色を耳にしなくなって少し経ったころ――。
『ルイフォン!』
ハオリュウの秘書となり、藤咲家に住み込みで働いている緋扇シュアンの濁声が、携帯端末を通して、ルイフォンの耳朶を打ちつけた。
どうした? と尋ねる間もなく、いつもの皮肉げな調子の欠片もない、険しい声が続けられる。
『ハオリュウが、逮捕された――! 貴族だから、監獄にぶち込まれちゃあいねぇが、王宮に連行された』
「なっ? どういことだ?」
『罪状は、こうだ』
鋭く吐き出された言葉が、弾丸となって、ルイフォンの鼓膜を撃ち抜く。
『自分が当主になるために、父と異母姉を殺した、殺人の罪』
2.渦紋の謀略-1
ハオリュウは、メイシアを『死者』にした。
それは、貴族であった異母姉を、平民のルイフォンのもとへ送り出すため。
そしてまた、父――〈蝿〉によって、厳月家前当主の〈影〉にされてしまい、ルイフォンが毒刃で命を奪うしかなかった、藤咲家前当主――の死因を偽るために。
ハオリュウは、架空の事故を作り上げた。
曰く。
メイシアには平民の恋人がいた。だが、厳月家の三男との縁談が持ち上がり、無理やり別れさせられてしまう。
ふさぎ込む彼女を元気づけようと、藤咲家は家族旅行を計画した。
しかし、その旅先でメイシアは渓谷に身を投げ、行方不明に。助けようとした父親は滑落死、異母弟ハオリュウは足に一生残る大怪我を負い、あまりにも悲惨な現実に、母親は心を失ってしまった。
「――というのが、ハオリュウのでっちあげた嘘八百だったわよね?」
波打つ黒髪が空を薙ぎ、干した草の香が宙を舞う。シュアンから連絡を受けて間もなく、『藤咲家からの説明員』と言って草薙家に現れたミンウェイは、肩を怒らせ、テーブルに身を乗り出した。
「それを、摂政は『事故』じゃなくて、ハオリュウが仕組んだ『事件』だったと言うのよ!」
どんっ、と。
拳が叩きつけられる。
テーブルの上の茶器が跳ねた。衝撃は床から壁へと伝わり、応接室を彩る賞状と感謝状が、今にも落ちんばかりに傾く。
綺麗に紅の引かれた唇をわななかせ、柳眉を逆立てたミンウェイは、美麗な破壊神と化していた。
「なっ……! 何よそれ!」
すかさず放たれた甲高い叫びは、クーティエのものだ。父親のレイウェンが、ハオリュウの求婚を制したため、今のところ、ハオリュウの『お友達』である。――が、暗黙の『それ以上』ともなれば、おとなしく聞いてなどいられない。
クーティエは、ミンウェイに負けじ劣らずの剣幕で立ち上がる。
だんっ、と。
強く踏み鳴らされた両足からの振動で、飾り棚の硝子戸が揺れた。中に収められた、草薙家の功績を称えるトロフィーや盾が、ぐらりと倒れる。
ふたりに増えた破壊神を前に、ルイフォンは、激昂するミンウェイよりも、静かに憤るシュアンに来てほしかったと、渋面を作る。だが、主人不在の藤咲家を守るため、秘書はあちこちに飛び回っているとのことだった。
ふと視線を感じれば、思案顔のレイウェンが、こちらを見ていた。この破壊神は、私が鎮めたほうがよいか? と尋ねている。
年長者であり、家主でもあるレイウェンは、この場を収めるにふさわしい人物といえよう。しかし、君が仕切るほうが適任ではないかと、ルイフォンの顔を立てようとしてくれたのだ。隣で硬い表情をしているメイシアさんを安心させるのは、君の役目だろう? と。
ルイフォンが目線で謝意を述べ、口を開こうとしたときだった。
「落ち着け、お前たち。騒いでも、事態は変わらないだろう?」
性別不詳の声が響いた。直刀のような瞳が、ふたりの破壊神をまっすぐに貫く。
「シャンリー……」
「母上……」
相手の名を呟いたまま、破壊神たちは絶句した。
それは、シャンリーの迫力に押されたからではない。彼女が、両の目を涙で潤ませていたためである。
唇を噛み締め、シャンリーは握りしめた拳で目元を拭う。
「糞っ……、摂政殿下は、どうしてハオリュウばかりを酷い目に遭わせるんだ。この前は、シュアンの逮捕で脅迫しやがったし……」
男装の麗人と謳われ、勇ましい印象のあるシャンリーだが、身内の危機には打たれ弱く、涙もろかった。
声を震わせるシャンリーに、唖然とする破壊神たち。しかし、次の瞬間には、はっと我に返り、口々に叫ぶ。
「そうよ! ハオリュウばっかり、あんまりだわ!」
「許せない!」
ぎゃあぎゃあと耳障りな喚き声に、ルイフォンは頭を抱えたくなった。
ハオリュウが摂政に狙われるのは、摂政が直接的に圧を掛けられる相手が、ハオリュウしかいないためだ。だが、ここで正論を言っても、事態の収集には繋がるまい。
ともかく、強引にでも、話の主導権を握るしかないだろう。
彼が口元を引き締めると、傍らのメイシアが、そっと彼の背中に手を回してきた。細い指先が、編んだ彼の髪をくしゃりと撫でる。彼女の指の動きに合わせて、毛先を彩る金の鈴が、くるりと踊る。
『大丈夫だから』
柔らかに微笑むメイシアに、ルイフォンは口の端を上げた。
そう――。
レイウェンは心配してくれたようだが、メイシアは極めて冷静だ。
その証拠に、シュアンからの第一報を受けたとき、ルイフォンよりも早く、現状を打破する方法を口にした。正確には、ルイフォンが一瞬ためらった隙に、メイシアに先に言われてしまったのだ。
――俺のメイシアは、本当に芯が強い。
ルイフォンが誇らしく思いながら、『皆、ちょっといいか』と、切り出そうとしたときだった。
「ちょっと! ハオリュウさんの一大事ですって!?」
険しい声と共に、応接室の扉が大きく開かれた。勢いに乗った扉は、本来の開閉角度を超えて壁に打ち付けられ、部屋全体が揺れる。
「いったい、どういうことよ!?」
銀髪を振り乱し、ユイランが飛び込んできた。ミンウェイが来たとき、彼女は仕立て屋の作業に集中しているようであったため、『区切りがついたら、応接室に来てほしい』と、部屋の前に置き手紙を残してきたのだ。
普段の『品の良い初老の婦人』とは別人のような鬼の形相と、壁から落ちてきた感謝状を見比べ、ルイフォンは溜め息をつく。どうやら、鷹刀の血を引く女性たちには、破壊神が宿っているようであった。
数分後――。
どうにかして皆を落ち着かせたルイフォンは、「つまり、摂政の言い分は、こういうことだな?」と、状況をまとめた。
「メイシアの縁談は、『メイシアが嫁に行くのではなくて、厳月家の三男が婿養子となって藤咲家を継ぐ』というものだった。つまり、『長男ではあっても、平民の血を引くハオリュウは、跡継ぎとして認めない』という意味だ。そのことに不満を覚えたハオリュウが、自分を認めなかった父と、自分の立場を脅かす存在である異母姉を殺した、と」
「そうよ! 『藤咲家の前当主が亡くなった事故には、不審な点が多すぎる』とか言って、ハオリュウを連れて行ったのよ!」
いまだ気持ちの昂ぶったままのミンウェイは、「決闘のときの怪我だって、まだ松葉杖が取れたばかりで治りきってないのに!」と、興奮気味に捲し立てる。
すると、重なるように、クーティエが声を張り上げた。
「『不審』って……、だって、しょうがないじゃない! そんな事故、本当は、なかったんだから!」
その通りだ。
この事故は、ハオリュウの虚言。詳細に調べられれば、必ず不審点が出る。
クーティエは、感情のままに発した自分の台詞が、まるでハオリュウの罪を認めているかのようだと思ったのだろう。慌てて、言葉を付け足した。
「渓谷の事故は嘘だけど、ハオリュウは、お父さんやメイシアを殺してなんかいないわ! 摂政殿下は、本当は事故のことなんかどうでもよくて、単にハオリュウを捕まえたかっただけでしょ! ハオリュウが、女王陛下の婚約者になるのを断ったから! 『ライシェン』の情報を渡さなかったから! ――自分の言いなりに、ならなかったから……」
きんきんと高い、金切り声は、途中から力を失っていった。そして、涙声になりながら、ぽつりと続く。
「摂政殿下は、ハオリュウを捕まえてどうするつもりなの……?」
クーティエは、ごくりと唾を飲んだ。本当に訊きたいことは、そこではなく、そのひとつ先だ。
彼女は唇を震わせ、恐る恐る皆に尋ねる。
「摂政殿下は、ハオリュウに、王家がクローンに頼っていることを教えたわ。硝子ケースで眠る〈神の御子〉――『ライシェン』も見せた。だから……。知りすぎたハオリュウを、亡き者にしようとしているの……?」
皆の吐息が揺れた。
軋むような沈黙が辺りを漂い始め、しかし、すぐに、ミンウェイの乾いた笑いによって打ち払われる。
「ちょ、ちょっと、嫌だわ、クーティエ。不吉なことを言わないでよ……」
「だって、ミンウェイねぇ。この前は緋扇シュアンで、今度はハオリュウが逮捕されたのよ。摂政殿下は、権力を使って、やりたい放題だわ!」
クーティエは、わっと泣き崩れた。今までの傍若無人な破壊神ぶりは、不安な気持ちの裏返し。精いっぱいの虚勢だったのだろう。それはミンウェイも同じようで、切れ長の瞳には涙が浮かんでいた。
「落ち着け、クーティエ」
ルイフォンは諭すように声を上げた。
「確かに、摂政がハオリュウの抹殺を視野に入れていることは否定しない。でも、それは、最後の手段だ」
「どういう意味!? 摂政殿下は、何を企んでいるっていうの!?」
真っ赤に腫らした目で、クーティエが噛みつく。
「さすがに俺だって、摂政が何を考えているかなんて、正確に読み解くことはできねぇよ。けど、ハオリュウを葬ることが一番の目的ではないことだけは、はっきりしている」
「なんで、そう言い切れるのよ! 根拠は何よ!?」
悲鳴のような、クーティエの叫び。その声に被さるように、「クーティエ」と、シャンリーが静かに娘の名を呼んだ。
母親に抱き寄せられ、優しく背中をさすられると、クーティエの口からは、抑えたような嗚咽が漏れ始める。ルイフォンはシャンリーに頭を下げ、それから、食い入るような眼差しのミンウェイを視界に収めた。
「まず、シュアンのときとは、まったく状況が異なるんだ」
「どういうこと?」
ルイフォンのテノールに、柳眉を跳ね上げたミンウェイが問う。
「シュアンの『厳月家の先代当主の暗殺』という罪状は事実だったが、今回のハオリュウの『父親と異母姉の殺害』の容疑は無実だ」
「それが何よ? 摂政が事実だと言えば、無実でも事実になるわけでしょう?」
「ああ。ミンウェイの言うことは正しい。だが、今回は、ハオリュウの無実を証明できる人間がいる」
ルイフォンがそこまで言ったとき、隣でメイシアが、そっと彼の服の端を引いた。この先は自分に言わせてほしい、ということだろう。
彼が頷くと、彼女は目元だけで微笑み、そして、毅然と前を向く。
「私が『生き返って』、渓谷の事故は事実だと、証言すればいいんです。家族旅行は真実で、私は自ら身を投げた。私は流されて、下流で助かったけれど、周りが死んだものと思い込んだのをよいことに、密かに恋人のもとに身を寄せていた、と」
幾つかの、息を呑む気配がした。それが、この場の人数分ではないところをみると、とっくに気づいていた者がいるということだろう。――例えば、レイウェンなどが。
ルイフォンは、シュアンからの連絡を受けた直後の様子を思い返す。
『ルイフォン。――私、王宮に赴く』
凛と澄んだ声で、メイシアが告げた。
気高い戦乙女の顔で、ルイフォンを見上げる。黒曜石の瞳が揺れているのは、その言葉の重さのためだ。
すなわち……。
『貴族の藤咲メイシア』に戻る――と。
ルイフォンだって同じ答えに辿り着いていたというのに、声が出なかった。
彼女が貴族に戻ることは、永遠の別れを意味するわけではない。けれど、彼女が藤咲家の一員となれば、平民の彼とは違う世界で生きる人間となる。
彼女が自分の傍から失われるという空虚に、全身が恐怖した。
嫌だという我儘を呑み込み、華奢な体を強く抱きしめる。黒絹の髪に顔を埋め、くしゃりと撫でる。
こんなに儚げであるのに、誰よりも強い、最愛の彼女を――。
『ああ。ハオリュウを助けるぞ』
潤んだテノールで、彼女に誓う。
自分たちは、優しさに甘やかされていた。今までが特別で、今から本来の姿に戻るだけだ……。
「私が表に出れば、ハオリュウの無実は証明できます。ただ、おそらく、摂政殿下は、私が現れることを予期している――いいえ、期待しているものと思われます」
メイシアは力強く断言し、薄紅の唇をきゅっと結ぶ。
「ちょっと待って! 『メイシアが現れることを、摂政が期待している』って――どういうこと?」
困惑顔のミンウェイが答えを求め、きょろきょろと草の香を撒き散らした。予想通りの反応に、ルイフォンは、すかさず口を開く。
「だって、摂政は、『メイシアは生きている』って、知っているだろ? 平民の恋人と一緒にいるために、表向き死んだことにした、ってだけでさ。しかも、そう計らったのが、ハオリュウだってことも察している」
「それが、どういう……?」
「この状況で、ハオリュウを『異母姉の殺害』容疑で逮捕すれば、ハオリュウと仲の良い異母姉が、無実を訴えに出てくるのは『必然』だ。こんな単純な図式に、あの摂政が気づかないわけがない。つまり、『意図的に仕組まれたこと』なんだ」
「え?」
「要するに、摂政の狙いは、『ハオリュウに罪を着せて、葬ること』じゃなくて……」
「…………っ」
ミンウェイが、ごくりと唾を飲んだのを確認すると、ルイフォンは傍らに視線を送った。こくんと頷く白い首筋に、黒絹の髪がさらりと流れ、メイシアが言を継ぐ。
「摂政殿下は、『私が表に出てくるのを待ってらっしゃる』ということです」
di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~ 第三部 第五章 金科玉条の紅を
この章は、2026年3月27日 ~ 2026年8月14日 毎週金曜日 定期更新です。