百合の君(86)
翌明殉三年秋、百鳥望は燃える畑を眺めていた。望は、故郷を思い出した。金色に輝きやわらかな日差しを浴びる稲穂を燃えるようだと思ったことがあったが、本当に燃えているのを見るのは初めてだった。まるで作物がふくれ上がるかのように、炎はその勢いを増していた。
当然、百姓が家から飛び出して来た。初めは慌てた様子を見せたが、それは一瞬だった。望の軍を見ると力なく肩を落とし、やっと状況を理解した様子で逃げようとした。それを望の兵が捕らえた。
連れてこられた百姓は、反抗的な目つきだった。
「鬼!」
確かに自分のしているのは鬼畜の所業だと望は思った。つい何年か前まで、自分も百姓だったのだ。田畑を耕す苦労は分かっている。もしこれが戦でなく、勝手に他人の作物に火をつけたとしたら、役人に引き渡される前に石打にあって殺されるだろう。そして、そんなことを冷静に考えられるという時点で、自分の立場が変わっているのだと気付いた。
望がそう考えている間、といっても時間にすると叫んだ途端に、百姓は打擲された。
「まあ待て」
望は兵を抑えたが、それも百姓に対する暴力を心から非難したというわけではなかった。望は自分の心の中に、兵と同様「この者は自分の立場を分かっていないのか」と思う気持ちがあるのを知った。
「なぜお前は兵でもないのに我らに逆らうのか?」
より反抗的な言葉が聞きたくなったからか、本心から不思議に感じたからか、自分でも分からなかった。
「俺達は、別所だって追い返したんだ! 喜林なんかに負けるか!」
「それが天下静謐の妨げになっていると気付かぬのか? 出海様が我らが将軍に降れば、出海様がお望みになっているような戦のない世が来る。お前とて我が子が兵に取られるのはつらかろう」
望は園を思い出した。天蔵が言うには、息子の園は出海の兵になっているはずだ。
「ふん、お前達なんか、出海様が蹴散らしてくれる!」
それは確かにそうだった。木怒山が同時に都に進軍しているので出海の初動が遅れているが、本格的な反攻に出られたら、望がいま率いている軍では戦えない。そもそも今回の目的は、上嚙島城の攻略ではなく、八津代の国力減退だった。
戦の長期化を見据えての作戦だが、なるべく園がいるかもしれない出海の兵と戦わずに終わらせたい望にとっては好都合な事で、だからこそしっかり成果を上げて、この作戦の有効性を示す必要がある。
望は刀を抜いて振りかぶった。百姓と目が合った。そして、望は百姓と会話したことを後悔した。自分には、少しでもその人間性を知った者は斬れない。誰彼構わず斬り殺せる喜林義郎は、やはり特別な人間なのだ。
「いや、よそう」
望はなるべく平静を装った。
「これだけ威勢のいい奴だ。古実鳴に連れて帰れば、使い道はいくらもあろう」
望は汗を拭いた(その時初めて、自分が汗をかいていることに気が付いた)。そして辺りを見回した。かえって実りが増えたように見えた畑は、気付かぬ間に焼け野原になっていた。
百合の君(86)