
◽️プチストーリー【栄冠を君に。】(作品No_18)
私は一歩一歩足下の感触を確かめながら二階に上がり、指定された席を探した。見つかったコンサートホールの椅子にゆっくりと座った。椅子に体が適度に沈み込み、音楽を迎える準備が整った。
早めに会場に来た。プログラムを確認すると娘の中学校はこのあと三番目だ。いま演奏している最大編成30人の吹奏楽部による圧倒的な音圧が私を包んだ。これが中学生による吹奏楽コンクール。いよいよ、私の娘、中学三年の最後の演奏の番だ。袖の扉が開いてぞくぞくと演奏者19名が一列となり持ち場に向かっていく。娘も楽譜を左脇に抱え、左手フルート、右手ピッコロを持ってステージ中央へと入ってきた。がんばれ。私は娘が演奏席に座るまでじっと目で追っていた。
静寂から演奏がついに始まった。始まったら終わるしかないので複雑な気持ちだった。私は音に集中するために目を閉じたり、娘の演奏姿を焼き付けるために目を開くを繰り返していた。ほとんどの生徒が楽器を入れ替えながら演奏している。この音は任せろと生徒一人一人が誰かの後ろに隠れず主役だった。審査員だけにでなく目の前にいる会場全員に音を響かせ届けようという意志が伝わってきた。
『・・・これは覚悟の音だ』
気付いたら、目を閉じた瞬間、右目から涙がひとすじ私の頬をつたった。この瞬間しか味わえない演奏。音楽って素晴らしいものだと娘たちから教えてもらった。
すべての演奏が終わり、各中学校の部長がひな壇に3列に揃っていた。前に出て賞状と結果が告げられていく。結果を待つ間、気付くと私は自分の大学の入学試験、就職試験のときよりも緊張していのに驚いた。
娘の友達でもある部長が壇上から降りてマイクの前にきた。いよいよだ・・。お願いします。三年間、弱音を吐かずに来る日も来る日も吹奏楽に向き合ってきた娘にどうか。あの音に。
「・・中学校、銀賞」
私は演奏中の涙がひんやりと乾き始めようとしていた。
ぱっと急に体内に空洞ができ、おそらく目から涙の源水が押し寄せてその穴を満たそうと心のダムが放流され始めているような感覚。ざぁあああと放水音が頭にこだましながら、私はただただ浅く座った椅子の上で感じているだけだった。
音を楽しむ者として、教え育てる者として、親として、私の中のそれぞれの立場で抱く気持ちは違っていた。到達・切なさ・誇り・悔しさがいっぺんに感嘆として押し寄せてきてくる。
娘は片付けなどがあるので、私たち夫婦は一足先に会場を後にした。
娘はいまどんな気持ちなんだろう。私自身もまとまらないので娘の思いを察すると胸が締め付けられる。
三年間愚痴をいうことなく来る日も来る日も一心不乱に挑んだ。だからといって全てが結果を伴うわけでもないという事実。でも、あの涙を誘われた娘たちの輝きは間違いなく本物だった。
知らぬ間に私は自宅に着いていた。
もうじき娘が家に戻ってくる。あの覚悟の音に応えるには、
頑張ったねではみ出てしまう抱いたこの気持ちを、できるだけありのまま伝えるようとようやく心が固まった。
ガチャ。家の扉が開く合図(おと)がリビングに聞こえた。帰ってきた。
さあ、今度は私の番だ。・・・そう、私は君に届けたい。
私は演奏に向かう娘のように廊下を踏みしめて玄関へ向かった。
(了)
◽️プチストーリー【栄冠を君に。】(作品No_18)