シン・社会人
気がつけば三月ももう終わり。最近よく引っ越しのトラックを見かけるのは、近所に学生マンションが多いせいだろう。卒業式帰りらしい学生グループを見かけたりもして、彼らは三月いっぱいは「さよなら、元気でね」を何度も繰り返して過ごし、四月になれば「初めまして、よろしく」を口にしながら、新しい生活になじんでゆくのだと思う。
私が大学を卒業して社会に出たのはもうずいぶんと昔のことなのに、入社前の二泊三日の研修のことだとか、けっこう細かく憶えていたりする。当時は今と違って、新人は叱って鍛える、みたいな考えがはばをきかせていたので、友達から聞いた話にはかなりハードなものもあった。
どこかの山小屋で合宿して、寝る時は一本の丸太を枕にして、数人が並んで横になるのだが、朝になると指導役がこの丸太の端をガンガン叩いて起こすそうだ。
幸いにも私の入った会社の研修は大して厳しくはなかったので、電話の受け答えとか、そんな事を練習したり、グループディスカッションみたいな事をしたり、夜は旅行気分でけっこう楽しんでいた。
それでもまあ、自由気ままな学生生活からいきなり毎日通勤の社会人、気分的にはああ、これで自分もつまらん大人の仲間入りか、だった。今の言い方だと「社畜生活開始」だろうか。だからといって逃げられるわけでもない、という消極的な覚悟で、いよいよ四月一日、初出勤の日を迎えた。
大企業だと入社式も華々しいのだろうが、中小企業だったので新入社員は総勢二十人ほど。社長の話など聞くうちに昼になり、仕出し弁当を食べてから午後は社内をあいさつ回りなどして、配属された部署で自席についたのはもう退社時間の近づく頃だった。
とりあえず初日は無事終わった。業務の終わりを知らせる音楽を聞きながら、ほっと一息ついて帰ろうとしたところを、同じ部署の先輩女性に呼び止められた。
「よかったらちょっとお茶飲んで帰らない?」
初日から先輩のお誘い。断る理由がないというか、むしろ向こうから打ち解けようとしてくれて、親切な人だなあ、と思った。二人で会社のそばにある喫茶店に入った。
先輩は私より十歳ほど年上らしく、ショートカットでほぼノーメイク。私服も洗いざらしのシャツにデニムのスカート、というシンプルな印象だった。コーヒーが来る前に煙草に火をつけて、おいしそうに深く吸った。
何を話しただろう。どこの大学を出たとか、家はどの辺だとか、そんな話だったと思う。ただ印象に残っているのは先輩の「私は竹を割ったような性格だからさあ」という言葉だった。
そういう事なら、この人とはいらぬ気遣いに心を砕くこともなくやっていけるのかな、と思ったのだ。
ところが世間一般に、性格の自己申告はあてにならない。その事を若い私はまだ判っていなかった。
次の日から、先輩と机を並べて働き始めたのだが、何かおかしい。判らない事を質問しても、その答えが合っていないのだ。そのため、先輩の言う通りにすると、他の人から「違います」と言われることが何度もあった。
さすがに変だと思い、先輩にもう一度確かめると、血相変えて「何度聞くのよ!知らないって言ってるでしょ!」と怒鳴られた事もある。
何だこの人。先輩のくせに。
そう思い始めた頃、実はその先輩は中途採用で、入社したのはわずか三か月ほど前だと知った。要するに、ほぼ横並びの新入社員である。だったら「私も知らない事色々あるのよね」とでも言えばいいではないか。先輩ぶろうとするのは、新卒と一緒にされたくないからだろうか。
ともあれ、一度生まれた不信感は簡単には消えない。仕事をおぼえるにあたって、私は先輩に見切りをつけ、同期のネットワークに頼った。きっと先輩の目には、可愛げのない奴だと映っただろう。
さらに決定的だったのは、彼女がある日、朝の七時すぎに私に電話してきて「今日、有給とるからさあ、部長にそう言っといて」と言い放ったことだ。
もうこの人を先輩だと思うのはやめよう。年は上かもしれないが、この人にはまともな常識が備わっていない。入社してまだひと月たたないうちに、そう決心した。
それから三年と半年ほど働いて、私は退職したのだけれど、先輩との間はずっとぎくしゃくしたままだった。旅行のお土産に渡したお菓子をゴミ箱に捨てられたこともある。まあとにかく、可愛げがなく、生意気な奴だったと思う。私と話すときにいつも、左の口元だけが歪んでいるのを見ると、この人も我慢してるんだろうな、と少し可哀想にもなったけれど。
しかしこの先輩のことを除けば、新社会人としての生活は予想外に楽しかった。
収入があること、学生とは違うかたちの自由があること。仕事を通じて世の中とつながること。袋小路かと思っていた勤め人生活は、予想外に広い場所へと続く道なのだと、社会に出てからようやく気がついた。
シン・社会人