
百合の君(48)
八津代からの使者を前にして、喜林義郎は考え込んでいた。外では出遅れた蝉がその命を燃やし叫んでいる。叫ぶのはいい。しかし、時期を誤っては何にもならない。つがいは見つからず、じきに鳥に食われるだけだ。
使者は辛抱強く座っていた。さすが一度は刈奈羅の大軍を追い払っただけのことはある。出海と組めば、別所にも勝てるかもしれない。しかし義郎は首を縦に振らなかった。
頷くと、木怒山由友は深々と頭を下げた。
「五明剣の百鳥だと?」
出海家の執事、川照見盛継は忙しかった。別所はもう国境を侵している。前線から送られてくる情報は、前後し錯綜していた。
盛継は腕を組んで考え込んだ。塀の向こうに見える柿は、十分熟れているようだった。櫓に乗った見張りの兵士が、槍を使い引き寄せようとしている。幼い頃、猿に渋柿をぶつけられて殺された親の仇を討とうとする蟹の話を聞いたことがある。考えることは、蟹も人も同じだ。
一族の仇を討ち、出海の下で再び家を興そうとしているのだろう。しかし、出海と家格が同等で兵も持たない者など、ただの邪魔者だということに自分で気が付かないのだろうか。これでは脳みそまで蟹と同じではないか。盛継は、蟹みそはあまり好きではなかった。
「将軍の盾となった百鳥公を騙るなど畏れ多い奴だな。浪親様に知らせるまでもない、前線に送り出し武士の名の重みを知らしめよ」
「はっ、しかし相手はまだほんの子供にございます」
「いくつだ?」
「十二、三かと」
盛継は一瞬答えに窮した。「戦に大人も子供もない」
出ていく家来の後ろ姿を見ながら、盛継は幼き日の浪親を思い出していた。
十二歳の浪親は、父、真砂秀の前で膝を折り、まるでその下の尖った岩石でも透かし見るように、あるいは何も見えぬかのように、キッと床を睨んでいた。
「父上、私にも出陣をお命じ下さい」
真砂秀は脇息にもたれてゆるりとくつろぎ、幼な子が戯れるのを見ているかのようだった。
「だめだ」
その口元には、微笑みさえ浮かんでいた。
「なぜです」
「弱いからだ」
その言葉には、浪親も腹が立った。声を荒げて
「弱くなどありません!」
と言い返す。真砂秀はその怒気をあしらうかのようにふっと息をすると、
「ならば、私に勝ったら認めてやろう」
庭に降りて木剣を持ってこさせる。
あっという間に浪親はボロボロにされ、嫡子を置いて出陣した真砂秀は、その戦で討ち死にした・・・。
我に返った盛継は、自らに言い聞かせた。私の役目は真砂秀様の御子をお守りすることだ。そのためには同じような子も犠牲にしなくてはならぬ。
「こら! 何をしておる! いつ敵が来るか分からぬぞ!」
盛継は珍しく大声を出して櫓の兵を叱った。兵は驚いて落ちそうになり、そのまま木に飛び移った。それが本当に猿みたいだったので、盛継は思わず笑った。
百合の君(48)