あらげる

あらげる

 自分に都合の悪い状況になると、言葉を荒げる人、というのがいる。
 わが社の営業Qさんもそのタイプで、ふだんは話好きで明るく元気な、ザ・営業マン、というキャラクターなのに、トラブルが発生すると態度がガラッと変わる。
 特にそのトラブルの原因が、どう考えてもQさんの落ち度じゃないの?という時に「変身」する事が多い。明らかに言葉と態度の威圧感で、まず己の非を悟られないようガードを固め、更に不機嫌の圧で無理やり相手を動かし、トラブルの解決を図る。

 やってくれって頼んでたから。
 そんなの聞いてない。
 伝えてるはず。

 とにかく自分の記憶が全ての基準。いや、本当は本人も憶えていないはずで、ほぼ「だったらいいな」が脳内で「そうだった」に変換されているのだからたちが悪い。
 一方こちらは「んなわけないだろ」と思っているが、こういう圧の強い人と正面対決するだけで無駄に消耗するので、たいがいは適当にいなして「こうだったのかもしれないね」という、Qさんの面子が立つ着地点を用意する。
 しかし、私とて仏ではない。圧をかけてくるQさんの言葉や態度には不快感しかないし、いったんトラブルが去るとケロッとした顔で別件を頼んでくるのも、後に引きずらないという点は良いのかもしえないが、「てめえ、あれだけ大騒ぎしておいて、それかよ」という気分にさせられる。
 だから、Qさん絡みの案件について私は、入念に証拠固めを行う。そして、「だったはず」と言われれば「こうでした」と証拠を差し出すのである。長年にわたってこれを繰り返した結果、Qさんが変身することも滅多になくなった。
 とはいえ今の時代、言葉を荒げ、不機嫌な態度で人を動かそうとする行為すなわちパワハラであり、若い世代に最も忌避される行いである。どうして同じことを、普通のテンションで、「伝えたと思うんだけど」と言えないのか不思議だが、実はうちの職場は社長を筆頭にパワハラ原理で動いていて、たぶんそれ以外の行動パターンが判らないのだ。
 損してるよねえ、と思う。
 少なくとも私は、一度でもこういう態度をとってきた人のことを信用しないし、軽蔑する。たとえ普段、どれほどにこやかに接していても、だ。
 逆に、得してるよねえ、という行動パターンの人がいる。
 誰かに何かしてもらったら、素直に感謝し、盛大に相手を賞賛する人だ。

 ありがとう、嬉しい!やっぱりあなたはすごいわね!

 下手をすれば歯の浮きそうな台詞だが、これを何の嘘くささもなく言える人。
 友人に、まさにこのタイプの女性がいるのだが、彼女に何か頼まれると、全力でやってあげたくなってしまう。もちろん彼女は打算で相手を褒めているのではなく、自分の感情を素直に表現しているだけ。ただ、受け取る側が、もっと彼女を喜ばせ、褒めてほしいと頑張ってしまうのだ。
 いちど、彼女のために演劇のチケットをとった事がある。どうしても見たいの、と言われて、けっこう苦労して彼女と自分の二人分を手に入れた。
 予想通り、彼女はとても喜んでくれたけれど、いざ見終わって幕が下りると「なんだか大したことなかったわね」と言った。
 それはもちろん、演劇に対する評価なのだけれど、彼女の希望に応えて必死にチケットを入手した身としては、自分の努力を無にされたような気がした。
 後で彼女から、あの時は失礼な事を言ってしまった、と謝罪されたけれど、私は私で、自分の承認要求に気がついて、彼女に対してもっとフラットな気持ちで付き合えるようになった。
 人と人とのバランス、本当に不思議なものだと思う。

あらげる

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そんなに言葉を荒げなくても、ねえ。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-23

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