由なし事の記 

              1月


 しゃうがつは年の初め春の始めにて 一年のはかりごとを【鳥の子】などに書き綴り のちのち残し置かんとをぼゆるに 日々の心なぐさみに追われ諸事にかまけ かるがゆえにやがて空しゅうなるも口惜し

 元日にことに重きを置くは【四方拝(しほうはい)】とて 寅の刻(きざみ)を待ちて天地(あまつち)、四方、山陵を拝し奉り 世情安穏 五穀豊穣 帝位安泰 家内安全を祈念致しおくものなり
未だ暗きゆえに 帝の御足元(おんあしもと)紙燭(しそく)にて照らし奉るもしかなり 
 
 7日は【白馬の節会(あおむまのせちえ)】とて宮中にて宴あるは むまは陽なるものにて時の帝のこれをごろうじ 春を寿ぎ世の災厄をはろう一日にて 民草は【人日(じんじつ)】とて粥をすする日なり
白き雪下に菜を求むる【舎人(とねり)】の2,3見ゆるもゆかし

 15日はこしゃうがつにて 延喜式に【三毬杖(さぎちょう)】あるはこれなり
打毬(だきゃう)と申す毬打ちはしゃうがつのめでたき遊戯にて 用ゆる毬杖は祝儀物であるゆえに 古く傷みあるものを炊き上げその労に報ゆ
巷にては竹3本に扇を吊り縄を巻き立て 中に書初め門松注連縄等を入れ込め つけたる火にて粥を煮 餅を焼いて食せるなどはいとつきづきし


               (現代語訳)


 正月は年の初め春の始めであるので、1年の計画を鳥の子(写経等に使われた当時の紙)などに書いて、あとあとまで残しておこうと思うのだけれど、日々の楽しみや雑事にかまけて、それゆえに放りっぱなしになってしまうのは、残念なことである。


 元日で特に重要なのは四方拝(しほうはい)で、午前4時ごろを待って北斗七星を始めとする天と地、東西南北、京都三山の山並みなどを礼拝して世情安穏、五穀豊穣、帝位安泰、家内安全などを祈る。
いまだに暗いので天皇の足元を紙燭(しそく)という灯りで照らして差し上げるのもしかるべきことである。

 1月7日は白馬の節会(あおうまのせちえ)と言って、宮中で宴会を催すのは馬は陰陽道で陽気を表すので、その時々の天皇がご覧になって、春を祝い治世の邪気災厄を払う日であって、庶民は人日(じんじつ)といって七草粥を食べる日である。
白い雪の下の野草を探す、貴族に仕える下働きの小役人が2,3人見えるのは、なんとなく心を惹かれるものがある。

 15日は小正月で、延喜式に書かれる三毬杖(さぎちょう)がこれである。
打毬(だきゅう)といって、木の鞠を棒状の毬杖(ぎちょう)で打つおめでたい正月の遊びで、毬杖(ぎちょう)は贈り物に使われたりもするので、古くて痛んでしまっているものをお炊き上げして供養する。
世間では毬杖(ぎちょう)に見立てた竹3本に扇を吊って縄を巻き、中に書初め・門松・注連縄等を入れて火をつけ、粥を煮たり餅を焼いて食べる
などはとてもふさわしいものだ。

                2月


 きさらぎは取り立てて事もなく わずかに【方違(かたたがえ)】と称す追儺(ついな)の神事(かんわざ)あり
鬼門丑寅方位に米を撒き かかる米の芽吹きを待ちて参られよ と唱うるも煎り米ゆえにもとより発芽せず
鬼神疫病神の如何に思し召すやらん


               (現代語訳)

 
 2月はこれと言った事もないが、方違(かたたがえ)という鬼を追い払う行事がある。
鬼門の丑寅(北東)の方向に米を撒いて「この米の芽吹くのを待ってから来てください」と声に出して言うのだが、炒ってある米のために芽を出さない。
これを鬼神や疫病の神様はどう思っておられるのだろう。


                3月


 弥生三月は【ひひな(雛)】とて【天児(あまがつ)】【這子(ほうこ)】の似姿を形代とし 穢れを祓いて水に流す
古くは【上巳(じょうし)の節会】と言いし禊(みそぎ)の日にてありたるも やがて今に至りて雛調度を飾り整えたるもをかし
ことに女童(めのわらわ)の集いて遊び戯れたる声 きちゃうのあなたに折々聞こゆも賑々し
 
 【曲水の宴(ごくすいのうたげ)】は内裏清涼殿にて杯に酒を満たし 御溝水(みかわみず)を流れ来る間に詩歌(しいか)を詠むなり
詠むにあたはざりせば その酒を拝す
はじめは事なきやうもやがて酔いの巡りて かの李太白に遠く及ばざりしも哀し


               (現代語訳)


 3月はひひな(雛)と言って、天児(あまがつ)=男子、這子(ほうこ)=女子の人形を身代わりとして 穢れをはらうために水に流す
古い時代は上巳(じょうし)の節会と言う禊(みそぎ)の日で、穢れをはらうために水垢離(みずごり)をしたのだけれども、やがて現在になって雛人形をその生活品などといっしょに飾っているのもなかなか風情がある。
とくに少女が集まって遊び楽しんでいる声が、几帳という布の間仕切りの向こうから、時々聞こえるのも賑やかである。

 天皇が住む皇居の清涼殿では曲水の宴(ごくすいのうたげ)という宴会が催され、杯に酒を満たして御溝水(みかわみず)に流し、それが自分のところに流れてくる間に詩や歌を詠む。
詠むのが間に合わなければ、その酒を慎んでいただく。
始めはなんでもないのだけれど、やがて酔いが回ってしまって、かの唐の人である李太白が「酒一斗詩百篇」と称えられたのには遠くかなわないのが哀しい。
 

                5月


 さつきの【端午の節会(たんごのせちえ)】は唐より渡りし風俗にて この月の五日は陽気のきはまりて返って陰気を生ずるゆえに不祥の日なり
蓬(よもぎ)を燻し菖蒲(あやめ)を薬珠(くすだま)として下げ あるいはそれにて沐浴し蓬とともに枕に巻きたる 

 宮中にては典薬寮より【菖蒲机(あやめのつくえ)】を帝に奉り しかるのちに騎射(うまゆみ)競馬(くらべうま)を催し 
勝たる人に菖蒲酒を与たひ給ふもともしけれ 

              
               (現代語訳)
 

 5月の端午の節会(たんごのせちえ)は唐から伝えられた風習で、この5月5日は陰陽道で言う陽気が極限に達して、返って陰気に変わってしまうので不吉な日である。
そのために陰気邪気を寄せ付けないよう蓬を燻して煙と匂いを立て、菖蒲を薬珠(くすだま)に編んで下げ、また、それを入れた水で体を清めたり、蓬も入れた菖蒲枕を作ったりする。

 宮中では医療・調薬を司る典薬寮が菖蒲をのせた菖蒲机(あやめのつくえ)を天皇にささげ、そのあとで騎射(うまゆみ)競馬(くらべ
うま)などの競技を開催し、勝った選手に菖蒲酒を下さるのはうらやましいことだ。


                7月


 文月【七夕】は乞巧奠(きっこうでん)とも伝う古き慣わしにて 魔よけ邪気退散はもとより技芸機織の巧みを願ひ 牽牛・織女の星々を祭るなり
 宮中清涼殿に長筵(ながむしろ)など打ち敷き 四脚の高机を仕立て瓜、梨、大角豆、茄子、鮑、酒(おほみき)を連ね かならず箏の琴(しゃうのこと)を添えるもゆかし 
官位の者召されて帝の御簾前に居並びあるいは侍り 詩歌(しいか)管弦を楽しびたるも映え映えし 

 盆は【盂蘭盆会(うらぼんえ)】とて盛夏の節目に当たり 祖先七世(しちせ)を斎(いわ)ひ比丘比丘尼を供養し子孫繁栄を祈念し 身を慎みて養生す
漢より伝わり当代【王宝絵詞】にある かの目連尊者の母を餓鬼道より救いし説話も 深しく心に留まれり
内裏にては京内七寺(けうないしちじ)に供物を送り 先帝の御願寺に詣づるは延喜式に定めあることにて やがて群臣民草らに広まるは称ふべきことなり

  
                (現代語訳)                


 7月の七夕は乞巧奠(きっこうでん)とも伝わる、とても古い習慣で魔よけ邪気退散はもちろん、芸事や機織り技術の向上を願ったり、牽牛・織女の星をお祭りしたりする。
宮中では清涼殿に長筵(ながむしろ)という敷物を敷いて四脚の高机(しそくのたかづくえ)を置き、その上に瓜、梨、大角豆、茄子、鮑、酒盃を並べ、必ず箏の琴(しょうのこと)という琴柱の位置で音階を変える箏(こと)と、柱がなく指で押さえることによって音色を変える琴(こと)をそばに置くのも奥ゆかしいことだ。
官位のある殿上人は召し出されて天皇の御簾の前に並んだり仕えたりして、詩や歌を詠い雅楽を楽しむのも晴れがましい。

 8月は盂蘭盆会(うらぼんえ)と言って暑い真夏の節目に当たるため、代々の先祖を遡った七代(しちだい)までをお祭りして僧侶や尼に施しをしたり、子孫繁栄を祈り願ったりしながら慎重に生活し、体を大切にする。
漢の国より伝わったもので、今の時代の王宝絵詞にある、あの木蓮尊者が地獄で餓鬼道に堕ちていた母親を救った物語は、深く心に残るものだ。
皇居では京都にある七箇所の寺に供養の品物を送り、亡くなった父である先の天皇の菩提寺に参拝するのは延喜式に取り決めがあるからであって、それがやがて多くの臣下や庶民に広まって行ったのは褒め称えるべきことである。


                 9月


 【菊被綿(きくのきせわた)】は長月九日の重陽(ちょうやう)の節会に伴う若ゆのまじないにて 菊は仙境に生う仙花なりしゆえに こよひに真綿にて覆い又の朝(あした)に露に濡れたるを顔(かほ)に押しつく
また、親しき者に被(かづ)けあるも をもにをんなのたしなみにて興なし

 【菊酒(きくのさけ)】は不老長寿の仙花に肖(あや)かり無病息災を念じせしゆえに 酒に漬け移り香を愛でるものなり
菊花を食し茱萸嚢(しゅゆのう)を身にたづさへ 菊枕をととのえ寝(いぬる)もそれなり


                 (現代語訳)



 9月の九日の菊被綿(きくのきせわた)という行事は、重陽の節会に付随した若さを保つおまじないで、菊は仙人の住む世界に生えるものなので 昨日の晩のうちに絹の真綿で花を覆っておき、次の日の朝に露に濡れたそれを顔に押し付けるものだ。
また、親しい人たちに贈り合ったりもするのだが、主に女性の風俗なので興味はない。

 菊酒は不老長寿の仙境の花である菊に良い感化を受けて、無病息災を祈念したいために、酒に漬け込んで移った香りを珍重し楽しむのである。
菊の花を食べたり、茱萸嚢(しゅゆのう)という匂い袋を身につけたり、菊を入れた菊枕で就寝したりするのもその一環である。


                  11月


 【新嘗祭(にひなめのまつり)】は年の終はり月の終はりにて 霜月の中卯の日になりてもとより宮中の祭祀なり
神嘉殿(しんかでん)にて年の新穀を日暮れ方東雲の二時(ふたとき)天照大御神(あまてらすおおみかみ) 天神地祇(てんじんちぎ)に捧げ奉るを儀とす
このみぎり神座御座の二座をしつらへ 帝も神々とともに御食(みをし)召され 又の朝(あした)に御衣脱ぎ換え給もうも神(かん)さびて妙(たえ)なり
時は冬至に至りて 諸行万物(しょぎゃうばんぶつ)陰気に満つゆえに 陽気神威の大御神に優り奉るなく 天神地祇あまねく従へり
帝の御言葉に宣(のたま)わく
神膳の供進第一の大事なり 秘すべしの事 
とぞ


                 (現代語訳)


 新嘗祭(にひなめのまつり)は1年の終わりであると同時に月の終わりでもあるので、11月の2度目の卯の日に行われ、もともと天皇家の祭礼である。
神嘉殿(しんかでん)という建物内で、その年に収穫した新米を日暮れと明け方の2回、祖先である天照大御神(あまてらすおおみかみ)とその他天地の神々にうやうやしく差し上げるを儀式とする。
この時、神座と御座の二座を用意し、天皇も神々とともに食事を召し上がり、明け方にはお召し物をお着替えになるのも、神々しく神秘である。
時期は冬至であるので、あらゆるものが陰陽の陰気で満ち溢れているので、陽気に勝り神威に優れた天照大御神以上の神はなく、その他の神々のすべてが従うのだ。 
天皇のお言葉に、
「神さまへ膳腕を差し上げ饗応するのは一番大切なことである。秘密のうちに行わなければいけない」
と。              
 

由なし事の記 

由なし事の記 

だれかが清少納言とか書いていたので、「お~、古典もいいな」と思って書きました。 設定は帝に仕える平安期の貴族の書いた【歳時記】で12月はありませんが、旧暦だと新嘗祭が12月にずれ込むので、師走には行事はなかったようです。 現代語訳も入れておいたので、古文が苦手な人はそちらをどうぞ。

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-06-07

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