Dearシロクマ

夢の中のシロクマに宛てたお手紙です。

 先日箪笥の底を漁っていると、古くに私が書いた七通の手紙が見つかりました。
 あまりにも下らない手紙で、恥ずかしいにもほどがあるので、夫や子に見せるつもりは決してありません。ですが、ただ、こんな下らぬことに大真面目に、一生懸命だったかつての自分のことは、なんだか憎みきれず、少しばかり愛おしささえ、感じてしまうのです。何せあの頃は若かったのですから。
 そこで、見つけたこの七通の手紙を、こうして誰か知らないあなたに読んでもらおうと思った次第なのです。
 いえ、勿論無理に読む必要なんてありませんし、まるでそんな価値もない、そういう手紙です。ただ、私の中に急に湧き上がった懐かしさを、私の中に留めておくことはできませんでした。他人には馬鹿馬鹿しく思えても、私にとっては大切な思い出の一部なのです。


《一通目》
Dear シロクマ
 こんにちは。突然のお手紙すみません。ええと、何から書けばよいのか、わかりませんが……。とにかく、先日はありがとうございました。いえ、私もあなたにお手紙を書くのがとても変だということは、充分に、はっきりと分かっています。あなただって、御礼を言われるなんて、これっぽちも思っていなかったでしょう。シロクマに、それも夢の中で出会ったシロクマに手紙を書くなんてどうかしてるって、私だって思っています。
 あの日は、丁度田畑に霜の降りるような冬の寒い日で、羽毛布団の中でぬくぬくと丸まっていたから、そんな夢を見たのだとは思っています。そうは言っても、私にとっては、あの夢は特別だったんです。
 あなたは夢の中で、私を思いっきり抱きしめてくれましたね。
 外は吹雪の雪山の小さな洞穴の中で、私はあなたと出会いました。私がふと気づくと、あなたは私をふかふかの草の上に寝かせ、私が寒くないよう上から覆いかぶさるようにして、けれども、あなたの体重が決して私にかからないようにして温めてくれました。とにかく温かったのです。一歩穴の外に出たら、直ぐに凍え死んでしまうような、そんな世界の中で、あなたは私を懸命に温めてくれたのです。
 それで私は気がついたんです。ずっと、こうされたかったんだと。本当はとっても寂しかったんだ、と。
 これまで私は、寂しいだとか、孤独だとか、そんなことを特別強く感じたことはありませんでした。孤独感は人並みだと思います。いや、普通の人よりは小さいくらいでしょう。人生に置いて、それほどの大きな壁というのがあったわけではないし、転職した今の仕事にも満足しているし、私は自分が不幸だとは一度も思ったことがありません。
 だから、あなたに抱きしめられて、安堵した自分にびっくりしたのです。目が覚めたら私はちょっぴり泣いていました。それほどまでに、夢の中が、幸せだったのです。温かいあなたの腕の中で、安心とは何であるかを知った気がします。
 つまり、私にはあなたが必要なんです。
 無茶なお願いとは知っています。ただ、もし私の願いが届くのであれば、また私の夢の中に、出てきてはくれないでしょうか。それが今の私の一番の望みです。では、お元気で。


《二通目》
Dear シロクマ
 お久しぶりです。やはり、あなたは私に会いにきてはくれませんね。所詮夢なのだから、それは仕方のないことなのかもしれませんね。
 もちろん、私はあなたなしでも充分上手くやっています。いえ、時々失敗して落ち込んだり、不必要な敵意に苛立ったり、それなりに辛いと思うことはあるのだけど、それでも総合的に見ると、まあ、それなりに上手くは、やっていると思うのです。
 けれども、そんな小さな不幸せがある度に、もし夢であなたに会えたらなと思うのです。あなたの優しさは真っ直ぐで、ただ温かくて、それだけなのですが、私はそれだけのものが欲しいのです。別にお出かけできなくても、楽しくお話しできなくても、そんなことは関係ないのです。そういうことは、目覚めている時に、味わえればいいのです。
 ただ抱きしめてくれるシロクマが欲しいのです。欲しいのは、温もりです。だから、あなたに会いたいのです。
 私だって、何の努力もなしにあなたに会えるだなんて思っていません。夢は願望だなんていいますから、あなたが夢に出てきてくれるよう、目覚めている暇な時は、いつでもあなたをイメージするようにしています。通勤電車の中、黙々と食べる食事、トイレの中……。
 そうしている間に、少しずつ、あなたが側にいなくてもあなたのことをしっかりと思い描けるようになっていきました。柔らかい腹の毛、ごわごわした腕の毛、その先にある、強くて、でも繊細な爪。
 時々、これだけ私の心の中に再現できるのであれば、あなたは要らないのではないかと思うのです。けれども、やはりそれは嘘です。本物のあなたには敵いません。強がりで、痩せ我慢です。
 あなたが私に会いに来てくれないのなら、仕方がないので、平気なふりして生きていきます。でも、もし、会いに来てくれるのなら……。また、いつか夢の中で会いましょう。お元気で。


《三通目》
Dear シロクマ
 先日は、ありがとうございました。まさか、本当にまた会えるなんて、思ってもいませんでした。あなたに会うために、努力をしているだなんて、大層なことを言いましたが、夢は本当は無意識の願望だという話を聞いたことがあります。だから、努力なんて無駄なことだと知っていました。けれども、私は再びあなたに会えました。つまり、私の人生には、やはりあなたが必要なのだということだと思います。
 再びあなたに抱きしめられて、そう、温かさは正義なのだと感じました。ただ生きているだけで、この世界は寒すぎます。
 あなたは、ビル風に吹きさらされたことがありますか。いや、きっとないでしょう。洞穴に住んでいるということは、あなたはホッキョクグマではありませんね。でも、だからと言って、あなたが都会を知っているとは、思いません。ビル風は本当に冷たいのです。身体を芯から冷やします。けれども、温かい家に帰るためには、ここを行かねばならないのです。この世界の住人の多くは、みんな、私と同じように、凍える毎日を、必死に生きています。
 あなたの住むその世界の、洞穴の外はどうなのでしょうか。先日、夢の中で私が外の様子を覗きに行こうとすると、あなたは私を引き留めましたね。あの時、私は、あなたが私を心配くれたのだと思いましたが、今思うと、あなたも外の世界が嫌いだったのでは、ないでしょうか。雪はしんしん降り注ぐといいますが、私は夢の中で低い唸りを聞いた気がします。それがあなたの声でないとしたら、きっとそれは吹雪を起こす、北風が鳴らした轟音だったのでしょう。
 もし、あなたも温かさを求めていたとするならば、少しは私も役に立てたのかもしれません。つまり、小さな湯たんぽとして、あなたに暖を与えられたなら、私は嬉しく思います。
 古くは、相手が想ってくれていると、夢でも会いに来てくれると考えられていたそうです。私があなたを求めて、あなたが会いに来てくれたのは、あなたの意思でもあるということを心から祈っています。
 どうか、また会いましょう。その時を楽しみにしています。


《四通目》
Dear シロクマ
 近頃、あなたと会うことが珍しくなくなってきました。会いたいと思えば、その夜に会えることが重なり、ですから、わざわざ手紙を書く意味はないのかもしれません。それでも手紙を書いたのは、急に、あなたに伝えたいことができたからなのです。
 今日、思いもよらない折に、ある方からお食事のお誘いを受け、二人でディナーをいただきました。ただそれだけのことなのですが、それがとても素晴らしかったのです。だから今夜は会いには来ないで欲しいのです。
 別に、夢の中でただシロクマと会うだけなのですから、何か問題があるわけではないのですが、ですが、こんな素敵な出来事があった夜にあなたに会うのは、どうも不義理な気がしてならないのです。あの方に対して? もちろん、あなたに対しても。
 都合の良い奴だと言われたら、それまでですが、あなたはたかが夢。夢の中での幸せと、地に足ついた幸せと、今私が欲しいものはどちらなのかと聞かれたら、それは答えるまでもなく、後者のはずです。応援してくれとはいいません。ですが、今日、私はあなたに会いに行くつもりはありません。
 また、気が向いたときに。では。


《五通目》
Dear シロクマ
 私の人生には、やはり、あなたが必要なようです。まさか、昨日もあなたが夢に出てくるとは思いませんでした。
 私は昨夜眠る前に、あなたを拒絶する手紙を書きました。そして、そのまま寝てしまいました。何もないまま朝を迎えるつもりだったのです。
 でも、あなたは現れて、いつものように何も言わずに、私を抱きしめてくれました。
 それで、私は気がついたのです。私が求めているものの一つにあなたの存在があるのだと。夢から醒めた世界であの方と時間を過ごすことと、あなたの懐で眠ることは、全くの別なのだと。
 だから、それは不道徳ではなかったのです。
 生きるためには、水が必要ですが、でも水だけでは生きていけないでしょう。私にとってあなたは水で、けれども、それだけでは生きていけないから、こうして目覚めた時に、色々な活動をしてみているのであって、食事に行ったのもその一つなのです。
ただ、生きていくために、水は絶対に必要なのです。いいえ、お茶やら、ジュースやら、色々あるじゃないか、とそんなことを言っているわけじゃないですよ。私の身体の六割が水分でできているというという話なのです。
 あなたに抱きしめてられることで、私の中にエネルギーが蓄えられていきます。私はそれで、生きる活力を得ます。人に優しくできます。世界を愛すことができます。あなたの愛に満たされることは、私にとってとても大切なことなのです。
 あなたはただ温かく包んでくれるだけで、それ以外の何もないけれども、それが私が芯から欲して止まないものなのです。
 人は誰しも絶対の孤独を抱えて生きています。生きている限り、すべてを分かり合うことはできません。いえ、自分という存在ですら理解することなどできません。だから、そんな絶対的な孤独を、丸ごと抱えて包んでくれるあなたという存在は、私にとってなくてはならないのです。
 だからどうぞ、これからも私と会ってください。包んでください。温めてください。
 それでは、また。


《六通目》
Dear シロクマ
 きっと今夜もあなたに会うでしょう。だからこそ、先にお伝えしたいことがあるのです。
 今、私はとても落ち込んでいるのです。いいえ、虫の居所が悪いと言った方がいいかもしれません。すなわち、食事に行ったあの方と、どうも上手くいかなかったのです。何がかと聞かれると、どうもはっきり分からないのですが、やはり私とあの方には、人間同士である限り当たり前の溝があって、それが埋められないのだと思います。
 愛が欲しいかと聞かれましたら、誰だって欲しいと答えるでしょう。けれども、どんな形で受け取りたいかと聞かれたら、答え方は様々なはずです。そもそも、その日の気分でだって変わるんだもの。正面から思いっきり抱きしめられたい時、後ろから包まれたい時、そっと背中を叩いて送り出して欲しい時、すっと手を取って大丈夫と握って欲しい時、温かい手を頭置いて頑張ったねと言って欲しい時。ほら、全然違うでしょう。
 その時その時で、欲しい愛をもらえる保証なんてないし、与える自信はもっとありません。でもね、例えそれができたとして、できた瞬間、そんなものは愛じゃなくなるんです。ただの打算になるのです。
 だから人間同士である以上、埋められない寂しさを抱えて生きていかなければならないのだと思うのです。私はそれを絶対の孤独と呼びます。
 きっとあなたには、この絶対の孤独を包み込む優しさがあるのだと思います。だからどうか、今夜も、温めてください。この雪山のように寒く辛い世界を生きていくために、あなたと会いたいのです。
 取り急ぎ、お手紙を。
 では、またあとで。


《七通目》
Dear シロクマ
 私の大切なシロクマへ。
 今日はお別れを言うために、お手紙を書きました。もう会うことはないでしょう。
 私は昨夜、絶対の孤独を癒して欲しいとあなたに宛てたお手紙を書きました。そして、あなたと会いました。
 そうして、ついに、あなたにも癒せないものがあると気づいてしまったのです。
 悔しいけれども、本当のことを言うと、私にはかけて欲しい言葉があったのです。夢から醒めた先で出会ったあの方と上手くいかなかったのは、仕方がなかったのだと、慰めて欲しかったのです。
 ですが、あなたはいつものように私をただ黙って抱きしめ、温めてくれるだけでした。私の欲した言葉は一つたりともかけてはくれませんでした。
 それは、当たり前のことなのです。あなたは、ただのシロクマなのだから。そして、抱きしめてくれるのが、あなたの常なのだから。これまで、私はその温かさに助けられてきたのだから。それなのに、私は、包まれるだけでは満たされない自分自身に、気がついてしまったのです。
 そうして、よくよく考えてみると、あなたが与えてくれるものは、お布団が与えてくれるものと、等しいのです。
 思い返すと、あなたと会っていたのは決まってとても寒い夜でした。お布団に包まれ、ついこんな夢を見たのではないかと思うのです。
 あなたが頼りないということでは、ありません。それだけお布団が偉大だという話です。もし、全ての人類が、ふかふかの温かい布団の中で、安心して眠れるようになれば、世界から争いがなくなり、もっと平和な時代が訪れるだろうとさえ思うのです。
ただ、もし、あなたがお布団の化身だとすると、もうあなたは必要ないのです。この真実を知った私は、寂しい夜、苦しい夜、泣きたい夜は、布団に包まりさえすれば良いのです。わざわざ夢を見る必要なんてありません。
 本当のところを言うと、夢にまで頼らなければならない自分が情けなかったのです。だから、あなたでなくても良い、布団があれば良いのであれば、この現実だけでも私は充分やっていけるはずなのです。
 これからは、一人枕を濡らします。それで、構いません。いえ、そうしたいのです。そういう強さを手に入れたいのです。
 だから、さよならを言わせてください。
 もう、私はあなたなしでもやっていけます。
 ありがとう、私の大切なシロクマ。お元気で。



 この最後の手紙から、もう、幾年も経ちました。最後の手紙と言ったものの、実際にはそのあとも暫くは、幾度となくシロクマの夢を見ました。それでも、少しずつその間隔は開いていき、気がつくと、いよいよ夢を見ることはなくなっていました。
 当時と変わって、今は仕事に慣れ、結婚もして、あの頃と比べたら、随分落ち着いた暮らしをしていると思います。だからなのかもしれません。
 ですが、急に寂しくなったのでしょうか、先日、久しぶりにシロクマの夢を見ました。それでなんだか懐かしくなって、箪笥の底に手紙を隠していたことを思い出し、探し出して見返した次第なのです。
次はいつ会うのでしょう。
 もう、今更、会いたいも会いたくないもないのですが、それでも、ふと夢を見てしまうことはあるように思うのです。

Dearシロクマ

Dearシロクマ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-12-23

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted