産土神(うぶすながみ)の四季

 淡い春は蝋梅(ろうばい)の薄黄色から始まる。
霜どけ水が土の道を流れ、やがて小川となって下る岸にはフキノトウが顔を出し、小さなネモフィラに似たオオイヌノフグリが真っ青な絨毯を広げるころ、園芸種の紅梅、少し遅れて実を取る白梅が真っ盛りを迎える。
ハコベやナズナ、タネツケバナが白い地味な小花をつけ、レンギョウやナノハナが華やかな黄であたりを染め上げ、ホトケノザやカラスノエンドウがピンクの色味をそえるのだ。
藪ウグイスが初鳴きを始め、霞んだ大気を陽炎が揺らし、初々しい水色の空に溶け込む。
田起こしが始まり、水を張られた鏡の面が柔らかに行く雲を映していく。
せわしない上げヒバリのさえずりに、長閑なトビの笛、ドバトやヨシキリの声も混じって、吹き過ぎる南風とともに移り変わる季節を告げる。

 わたしはとろとろした眠りに目覚め、古いケヤキの階(きざはし)に寄って遠くそれらをながめる。
かたわらをささやかな小川の流れるここは小高くなっていて、テニスコートぼどの芝原が広がり、その向こうに東西に走るバイパス、ひらけた田園、野末を単行運転の列車が横切り、ウルトラマリンに澄んだ海が遥かに望めるのだ。
敷地に植えられた川津桜がいち早く濃い桃色の花をつけ、ソメイヨシや山桜が影を落とし、八重桜がふっさりと重い花房をゆらす昼近く、東側のささやかな畑を管理する老婆がやって来る。

 「まったくねぇ、あんな口跡(こうせき=口のきき方)の悪い嫁はいないって思ってたら、その嫁の産んだ孫の可愛いこと。こないだなんか、『ママっ、そんな言いかたしたら、バアバがかわいそうでしょっ。あやまんなさい』って言ってくれて・・・・・・。幼心(おさなごころ)に、ちゃんと解ってくれてるんだなぁって思うと、なんだか目頭が熱くなってね。それ以来、嫁もあんまりな言い方はしなくなってねぇ』
お笑いタレントのリーゼント並みに、ツバの突き出した日よけ帽子を畳みながらにっこりする。
下げてきた頭陀袋(ずだぶくろ)の中身は、今日は2つのお焼きだった。
切り干し大根に鶏肉を刻み込んだ甘辛の餡(あん)が良い香りだ。
小さなポットの茶をフタに移してすすりながら、いつものおしゃべりがはじまる。

「この間の農協の旅行はね、伊香保温泉だったの。1泊2日。仲のいい美智子ちゃんと行ったんだけど、伊香保は石段がスゴイでしょ。あたしがヨタヨタしてんのに、あの人ったらそりゃぁ、達者。だって、あたしより2つも3つも上なのよ。びっくりして聞いたら、毎日、ジョギングしてるんだって。あの元気さ見たら、やっぱり、いくつになっても足腰は鍛えなきゃなぁって、目からウロコ。ま、当たり前のことなんだけどね」
美味そうに茶を飲み干す。
「でね、結局あたしもシューズ買って、いっしょにやることになっちゃった。嫁に話したら『ご勝手にどうぞぉ~、ボケたら困りますから』だって。まったく、他に言い方ないのかしら」
言いながら笑い出すところを見ると、それほどひどいニュアンスではなかったらしい。
「さぁ、もうひと仕事やっちゃおう。農協の『道の駅』に出すアサツキがもう、2、3ちで収穫なの。小遣いかせぎになるから楽しいわぁ。はい、お神酒(みき)」
ワンカップを置いて、おもむろに立ち上がる。
わたしは強くなってきた日差しを薄雲に弱めて彼女を寿(ことほ)ぎながら、その後ろ姿を見送った

 浅い薄黄から始まった春は、アヤメやフジ、アジサイの紫で終わりを告げる。
濃くなった木下闇の(こしたやみ)の陰に、古来より世界中でに神だった猫さんがやってきて、うらうらとまどろむ。
わたしは涼やかな風を送って彼を表敬するのだ。


               ◇


 セミの声に沸き返る夏は、七夕の笹の葉ずれの音に始まる。
朝早く、サトイモの葉にたまった露を集めて墨を摺り、それで短冊に願い事を書き、笹に飾る。
このあたりでもまだ数軒、趣味で古式を継承する家があって、小学3年生の遊美(ゆうみ)ちゃんが率先して筆を取る。
「わり算ができますように」「鉄ぼうがうまくなりますように」そんな願いとともに「拓也(たくや)くんとりょう思いになれますように」という祈りが混じる。
はて、去年は芳樹(よしき)くんだったが・・・・・・?
女心は変わりやすいのだろう。

 七夕の宵が過ぎると用済みになった笹は、わたしの敷地に立てかけられる。
昔は虫送りで川に流したものだが、今は環境問題でそんなことはしない。
友達の琴恵(ことえ)ちゃんとやってきて、両側の狛犬に1つづつ、倒れないようくくり付けた。
古びた石の獅子が一挙に華やぐ。
でも、もう、「拓也(たくや)くんとりょう思いになれますように」の短冊は外されていて無い。
彼女のささやかな秘め事は、人目についてはいけないのだ。
一方の琴恵(ことえ)ちゃんの短冊は「天の川」「おりひめ」「ひこ星」などの単語ばかりで、祈りの言葉は見あたらない。
ああ、あった、あった。
「じゅく(塾)さぼってもおこられませんように」
葉の陰に隠すように、そんな願い事が小さく書き付けられている。
彼女は勉強が苦手なようだった。

「ねぇ」
階(きざはし)の陰に陽をよけながら、頭を寄せ合う。
「ゆうちゃんは夏休みの予定ある?」
「う~ん、シー(デズニー・シー)行くくらいかな。去年はコロナでダメだったから。コっちゃんは?」
「あのねぇ、お盆にね、お母さんの実家行くの。長野」
「ふ~ん」
「で、ねぇ、いとこのお兄ちゃんがいて、カッコいいんだ」
「へ~。拓也(たくや)くんとどっちがカッコイ?」
「う~ん、子供が好きなら、拓也(たくや)くん。ちょっと大人がいいならいとこのお兄ちゃんかな。高3で背高いし、なんとユーチューバー」
「ええ~。いい、いいっ。いっぱいファンいるの?」
「えっとぉ。ちょっとはいるんじゃないかな。でも、来年、受験だから今年の夏は行くの遠慮しようってお母さんが。だから、あたしちょっと悲しい。お兄ちゃん、あたしのこと忘れちゃうんじゃないかな」
「う~ん・・・・・・」
遊美(ゆうみ)ちゃんが分別くさく首をかしげ、2人とも膝を抱え込む。

 埃っぽい午後の砂利道に日差しが焼きつき、細くなった小川の流れがかすかなせせらぎを伝えてくる。
稲くさい草いきれの中を茹だるように列車が行き、沖を過ぎる白い客船がいつまでも油絵のような海に張り付くのだ。
「そうだっ。コっちゃん、いいことあるっ」
跳ね上がって言う言葉に琴恵(ことえ)ちゃんの返事も弾む。
「なに? なにっ?」
「ねぇ、神様にお願いしようよ。神様ってそのためにいるんだよ」
「え~? 神様ぁ?」
ちょっと白けた返事が返る。
「神様はガメツくてお賽銭とかあげないとお願いを聞いてくれないんだよ。あたしお金もってないもん」
「それは神様のお世話をする神主とかがお金をほしいからなの。お祖父ちゃんが言ってた。お釈迦様は子供のとき、泥のお団子をおそなえして仏様になったんだよ。だから、お願いする気持ちが大事なんだって」
「ふ~ん、でも、泥んこじゃ、神様がかわいそだよねぇ。そだっ、あたし、飴持ってる。いいかな? これで」
「うんっ」
「じゃあねえ、5個あるから、神様は3つであたしたちは1コづつ。神様、あたしたちも食べたいので全部はあげられません」
今の子はなかなかハッキリしている。
階(きざはし)のまんまん中に置きながら、もう舐めたのだろう。
甘いいちごみるくの香りが漂った。

「お母さんがお兄ちゃんのところに絶対行くって言いますように」
「コっちゃんが両思いになりますように」
目を閉じ、小さな手を合わせて祈りの言葉を口にする。
わたしは居住まいを正して厳粛に対峙した。
そっと発した、かすかな葉ずれに似た返事を彼らは耳にしただろうか?


               ◇


 キチキチ・キョーンとモズの高鳴きが梢に響き、柿の実が色づくころ、二百二十日がやって来る。
台風は気圧のふちを回ってくるので、わたしは高気圧をちょっと張り出させて、禍を海上に押しやる。
霊験は人々の信仰心によって変わってしまうから、今できることはそんな程度だ。
その昔は秋祭りも行われて賑わったが、境内を真っ二つに割って新道が通ったころから、彼らはわたしを必要としくなったようだった。
老朽化して小さく建て直された社を、わずかに残った数件の氏子が維持管理する。
そんなひとりが犬を連れてバイパスの歩道を通っていく。
彼はいつものとおり、そこに立ち止まってわたしを遥拝した。

 昔の風習のとおり、犬の散歩の折は敷地内には決して近づかない。
犬は古来より墓を暴いて死体を食い散らしたり、現在でも糞を好んで食ったりする習性を持つため、下賎で不浄な動物である。
それを神域に入れるのは神を冒涜することであり、許されないのだ。
現にわたしは犬畜生が嫌いだ。
昔はどこの神社にも「犬の立ち入り禁止」の札があったが、今は物の道理をわきまえない犬飼いの独擅場(どくせんじょう)だろうか?

 まだ、陽が高い午後、彼が再びやって来る。
シャグシャグと豊かに実った稲穂を数本、奉書に包んで捧げた。
古式ゆかしく三拍の拍手(かしわで)を打ち、うやうやしく礼拝(らいはい)する。
「産土、(うぶすな)様。今年も好天に恵まれ、このような見事な収穫を得ることが出来ましたことに心より感謝致します。来年も再来年も末永く豊年満作が続きますよう」
しかめつらしく祈って、酒を1升奉納した。
そして、
「お相伴を」
と断って、自分もワンカップのふたを開ける。
地べたに座ってくつろぎながら、ニコニコと話を始めた。
「うちの長男は今年、農大卒業だったんですが、ライフ・サイエンスとかいう企業に就職しちゃって。親としてはすぐに家業を継いでもらいたかったのに、今の子は農業は生産性と経済性だ、なんて言い出して・・・・・・。ま、所詮は天候と植物相手なので。教科書で習ったことがどこまで通用するかって
ね、思うわけです」
澄んで乾いた空気のせいで、道路の車の往来が意外に高く響いてくる。
夏のなごりのような強い日差しが遠くの海を銀色に輝かせた。
「でも、考えてみれば自動車や列車も導入当時はいろんな反発や無理解もあったわけだから。古くて頑固な親だけにはなりたくないって女房とも話したんです。やっぱり、自分たちが若いころ反発した親のまんまじゃ情けないかなって。まぁ、世間一般のごく当たり前の結論ですけど・・・・・・じゃ、僕はこれで。お邪魔しました」
ちょっと苦笑してから、立ち上がった。
わたしはにわかの天気雨を降らせて彼を慈しむ。
暗色の淡雲がゆるく流れて光と影が交錯し、軽い雨にあたりが瑞々しくよみがえる。
秋の風がさわやかさを増し、海原の上空には光のヴェールのような『天使のはしご』がかかって、天上と現世を霊感的につなぐ。
「うわぁ~、キレイだ。稲も風景も喜んでる。なんて神々しい」
彼の感嘆の声に、わたしはニンマリと満悦の笑みをもらすのだ。


               ◇


 木枯らしが林の木々を尖らせ、夜半の寒さが身にしみてくる。
寂しい苅田と荒れ野から見える集落も色を失い、青かった海も鈍色(にびいろ)に陰って、冷気に震えるように見えるのだ。
冬は無言ですべてを覆い、霜の降りる朝も珍しくはない。
当然、東の畑の老婆も、仲のいい子供たちも、昼寝の猫さんもやって来ない。
わたしは今年いち年を振り返りながら、神威の低下を思う。
人々の信仰心によってのみ神の威光は顕現するのだ。

 暮れも押し詰まってきたころ、氏子の5人がやって来る。
毎年の恒例で、全員が手分けして境内を清掃し、社や鳥居の注連縄を新しくして、切ってきた松や竹で神域を荘厳する。
すっかり枝だけになった遊美(ゆうみ)ちゃんと琴恵(ことえ)ちゃんの笹は、新年を迎えるために取り片付けられた。
小ざっぱりした光景に満足しながら、小さいながらも菰(こも)包みの樽酒を奉納する。
別に用意した一升ビンから、楽しげに茶碗酒を酌み交わした。
つまみの干し昆布を食い切りながら立ったままで話が弾む。
わたしはそっと北風を弱めて、陽の光を増幅する。

「このところ天候が温順でホントにいいよね。人間なんて勝手なもんでさ、農業やってて良かったってつくづく思えるんだ。こうやって掃除したりして、我ながら心がけもいいし、そのおかげかなとかさ」
「うん、ま、おれんとこもそんなもんだ。去年、コロナがあんだけ蔓延しても、うちは子供も爺さん婆さんも全員、無病息災。まぁ、こうして神信心してるからかなって思ったりね」
「なんでも拠り所があるのはいいことだよ。良きにつけ悪しきにつけ人間は弱い者だから。この年の瀬に氏子のみんなが集まってこんな話が出来るのも、ここに産土(うぶすな)さんがあるからだよ」
「そう、そう。そういうことだ」
わたしは多少の霊験を取り戻せた気がして風花(かざはな)を舞わせる。
「ああ、風情だなぁ」
「陽に当たってキラキラ宝石みたいだ。いい年の暮れだね」
「来年もいいことがありそうだよ」
彼らはお互いに顔を見合わせて笑い合い、三拍の拍手(かしわで)を打って去っていった。
とりあえず、なにもすることのなくなったわたしは初夏の猫さんのように伸びをして、うとうとと居眠りを始めた。


               ◇


 ほとほとと扉を叩く音とともに年神(としがみ)がやって来る。
彼の単衣(ひとえ)の白い衣は、このいち年ですっかり古びて薄汚れ、黒かった髪は総白髪(そうしらが)に変わって、麻のようにザンバラに乱れていた。
「ご苦労さん。万事平安な世の中だって、みんな喜んでるよ」
褒めると、
「うん。ま、今年は可もなく不可もなくだったが、来年のヤツはもっと上手くやるだろうよ」
と、ところどころ歯の抜けた口でニッと笑った。

「それより、おれは大晦日に家々の戸を叩いて回って、今年の終りを告げて去るだろ。が、それを聞きつけた兄弟がいてね。昔ならいざ知らず、最近では非常に珍しい。おれもちったぁ嬉しくなったんだが、やっぱりダメだね。もちろん、姿は人間には見えないから音だけ。それでも幼稚園の弟のほうは『お化け』って泣き出すし、小学生の兄貴は弟の手を引いて一目散に親のところに逃げてった。まぁ、時代だな。ラップ現象とでも思ったんだろ」
神としては少し気の滅入る報告だ。

「昔なら、『ほとほと、ことこと』なんて言い慣わして、聞ければ喜んだものだがね。人々の信仰心の減退とともに我らの威光も衰えるばかりだ。2丁目の金比羅さんと稲荷さんも、ついに信仰が途絶えて消えちまったよ。産土(うぶすな)のわたしもいつどうなるかわからないけどね」
「いや、おれだって昔に比べたら供応する家が激減だ。人間どもはお節は自分たちが食べるもんだって思ってる。きちんと伝承を伝えないからこうなる。ま、どういう世の中になろうともおれたちは自分の成すべきことを成すだけだがな」
飄々と言って立ち上がる。
「邪魔したな。来年の報告はまた来年の年神から聞いてくれ」
新年を迎える時の流れに追われるように彼は社を後にした。
わたしは衣のすそを翻して闇に消えた後姿を、しばらく呆けたように見送ってから、再びとろとろとまどろみ始める。
 

産土神(うぶすながみ)の四季

産土神(うぶすながみ)の四季

浅い春の自然描写から始まるこの短いお話は、産土神の目を通した人間模様です。 1)春は軽い嫁姑の葛藤 2)夏は小学3年生の女の子たちの心情 3)秋は氏子の壮年とその息子 4)冬は新年を迎えるために社の清掃をする氏子たち 5)終章は産土神と年神の会話 で、終わりを告げます。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-03-06

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