ヒトリシズカの花香る

秋邑 茨

   (1)運命(うんめい)なんて変えられる


 運命って残こくだと思う。どんな家に生まれて、どんな環境で育ったかで人生と言うか、将来というか、自分の生き方や性格まで操作されてしまうのだから。残こくとしか言いようがない。
 朝の忙しい時間くらいしか顔をあわせない母親と一週間顔を見ないのが珍しくもない父親のことを考えると、最近のシュウヤは 「運命」 という言葉の意味を考えずにはいられなかった。

【運命】
 人の意思とは関係なく、人に幸不幸をあたえる力。
 めぐり合わせ。運。
 すべては運命の支配下にあり、努力ではどうにもならないとする考え。
 
 今つめ終えただばかりの、学習塾の教材が入ったショルダーバッグを見つめながら、さっき国語辞典でひいた言葉の意味をふたたび考えたシュウヤは、小学六年生の体には大きすぎる薄茶色のデイパックに、貯金のすべてが入ったスチール缶の貯金箱とパーカーを丸めてつめ込めこんだ。
 と、先月母親が買ってきたダウンコートを着てくか迷った。フードは邪魔だし、濃紺色もどうかと思うし、誕生日プレゼントにコレ。あり得ないし。
(どうして 「何がいい?」 って訊いてくれないんだ。そもそも自分だったら、ダウンなんか選びはしないよ!)
 心のなかで何度も口にした抗議の言葉に冷静さを失いかけたシュウヤだったが、福島は神奈川とは寒さが違う。小さくなったハーフコートは機(のう)的とは言えない。 「実用性」 と、大袈裟に 「信念」 という言葉をおでこの上に思い描いてみる。頭の左に浮かんだのは実用性だった。
 シュウヤはダウンを着、誰もいない階下へ降り玄関を出た。
 戸じまりをして振りかえると、
「あら、シュウちゃん。お正月なのに塾? えらいわねえ」
 暮れなのに塾? 一週間前に聞いたのと似た言葉を口にする隣りのおばさんは、黒いベンチコート姿で、中綿入りのショートブーツをはき、右手に竹ぼうきを持っている。立ち姿まで同じだとシュウヤ思う。ひたいに汗していないところだけが違って見えた。シュウヤは、
「遅刻しそうなんです、ごめんなさい」
 目を合わせないように言い、アプローチの飛び石を一つとばしで駆けぬけて道路に出、駅の方向へ走った。
 人どおりの少ない用水路沿いでバッグをおろし、カラカラと音がなっていた貯金箱をパーカーでつつみ直して、バッグをかつぎ直すと、ドキドキが引いていくのがわかった。足取りも軽くなった気がする。
 小型の巡回バスがのんびり走る通りに出ると、あの日の、
 ――この町から日本を変えます! あなたの一票でわたくしたちの暮らしは変わるんです、変えられるんです、変えるんです! 変えましょう。
 選挙カーと鉢合わせになった光景が思い出された。確か、市議会議員をえらぶ選挙で…… (小六のぼくに訴えても仕方ないじゃん。) (しゃがれた声なんか出してさ。) そう思ったのにちょっと遅れて、対照的に口数の少ない両親の顔が浮かんだんだ。
 母さんと父さんがぼくに求めるのは人より勝れた人になること。人の先を行くこと、前を歩くこと、人の上に立つこと。一流とか特別とか別格が好きだから、あの二人は。とにかく平凡がイヤなんだ。だから中学受験に合格したら都会の高層マンションに引っ越すなんて、どうでもいいことを言い出すんだ。行っても行かなくても変わらない有名進学塾に通わせて、英会話を習わせて、もうやめちゃったけどピアノ教室まで行かせたりして。
 あの日と同じように卒園した幼稚園の裏手をまわり、いっそう寒気を感じさせる沼沢(しょうたく)地に出たシュウヤは、 「そもそも義務教育で中学受験って何だよ」 声に出して言っていた。
 砂利で整備された遊歩道をしばらく行くと、(やぶ)の茂みの隅から尾っぽが水色の体くらい長い、黒い目出し帽をかぶったようなオナガが四羽、 『グェーイ、グェーイ』 けたたましく鳴きながら林にむかって飛びたった。
「なあんだ。ここにいたの」
 親子のように見えるツグミとジョウビタキが、茂みと歩道の際で地面をつついている。
(見送りにきてくれたのかい? ぼくのことを。)
 落ち葉をひっくり返していたツグミの 「クワッ」 というひと鳴きが、 「そうだよ。」 と答えてくれたように聞こえて、シュウヤはうれしくなる。春から夏の終わる頃まですごすというシベリアでも、ロシアの人に愛されているんだろうな……。
 湿地の端の冬鳥たちのねぐらであろう藪にむかって、
「また会おうね」 きっと。どこかで。
 声をかけてシュウヤは歩き出す。
 旅立ちのスタート地点の駅まで、あと十分。ぼくは変わる。変えてやる。大丈夫、じっちゃんがいるんだから。 


 新宿に出てJRを乗り継いで、常磐線に乗ったのは……午後二時近かった。駅近の自転車屋の隣りにある 「アカ本屋」 と呼ばれる古本屋に、立ち寄ったせいだ。
 入口の床に積み上げられた本は表紙まで黄ばんでいて、せまい店内を体を横にそろそろ進むと、灯油とたばことカビっぽい臭いが入りまじった異臭が、空間を汚していて、天井はまっ黄色で壁紙も同じだと思う、本棚にかくれて見えなかったけど。アカ本屋と呼ばれる理由がわかった気がした、手垢の ”アカ” を茶化(ちゃか)して言っているのだと。
 下を向いて眠っているように見えた店主のおじさんは、どの本を選ぶか迷っているぼくに、 「何をさがしているのか」 「どんな本を読みたいのか」、 いちいちいろいろ訊いてきた。訊いてくれた。早く出て行ってほしかったわけでなく、世話を焼きたかったんだと思う。
 なるべくキレイな本という言葉を飲み込み、 「昔の本で、おじさんがぼくに読ませたいと思う本」 と伝えると、年齢と趣味と性格を訊かれ、夏目漱石や武者小路、太宰などの本の内容を一冊一冊説明して、けっきょくこれ。山本有三という作家の 「表紙の男の子が君に似ている」 と言われた 「路傍(ろぼう)の石」 と、 「これも入れておくよ」 と紙袋に入れてくれた 「真実一路(しんじついちろ)」 の文庫本。二冊で150円。一冊サービスしてくれたのに気づいたのは常磐線の電車の中だった。夢中で読んだ。厚みのある、路傍の石から。
 でも、1/3くらいまで読んだところで。

あづき煮て やぶ入り待つや 母ひとり

 吾一を待つ母親の 「おれんさん」 の気もちを考えていたら、もっとていねいに読まないと悪いような気がして、219ページ目で本を閉じて、じっちゃんのことを考えはじめた。
 何を話せばいいんだろう。死んじゃったおばあちゃんってどんな人だったの? さほど興味はないけど子どもの頃の母さんってどんな子だった? いやあ、やさしいじっちゃんのことだ、じっちゃんの方から話し掛けてくれるに決まってる、何もせん索したり、とがめたりしないで。
 そうだ、竹とんぼや竹の筒で作った水テッポウに、コップ、コウリとか言ったっけ、竹をあんで作った小型の衣装ケースみたいな入れ物の作り方を教えてもらおう。それに釣りだ、ねずみ花火と線香花火も……真冬は無理か。
 くもっていた窓ガラスがいつの間にかに晴れ、田舎らしい風景がながれ始めると、心地のよい陽気がシュウヤを眠りにさそった。
 ――お前のお母さんはそれはそれはやさしい……じっちゃんやばっちゃんの肩をもんでくれたり……よく手つだいをする……親思いのすなおな子……。
 


   (2)岐路(きろ)


 三が日が明けて二日、まだ松の内だというのに。あんなに大勢の参列者が来てくださるとは、思ってもみなかった。
 母妙子(たえこ)の火葬を終え莞恩寺にもどった信恵(のぶえ)は、二日間の葬儀の忙しさと、十日間におよぶ妙子の看病で疲れ果てていた。
 皆さん、本日は暮れの御多忙の折にもかかわらず、母妙子のために――私は町民のみなさまが笑顔で暮らせえるように、皆さまを代表して、皆さんの声を国政に届ける所存――。
 マイクロバスで火葬場から戻ってきた信恵の兄善行(よしゆき)が、身振り手振りをまじえて “聴衆” に訴えている。花輪花(かご)(たぐい)はすでに片づけられて、人の数はまばらである。
 まだ噂でしかない国政選挙は春、兄の予想では四月中旬から下旬の間。本人は確実というけど、まだ三か月以上ある。だから頭にくる。
 お通夜には来ない、入院中病院にきたのはたったの二日、三十分もいなかったくせに。わたしはお母さんが倒れてから本葬の今日までクリスマスも年末もなく睡眠もまともに取れず、麻衣ちゃんに点滴を勧められるくらい忙しかったのに喪主(もしゅ)はわたしに押しつけて、 「俺は選挙の準備がある」 って何よ。悲しむ(いとま)もなかったのはお互いそうかもしれないけれど、兄貴にとっては実母の葬儀も選挙活動、票集めの絶好機、わたしは絶対にあなたには投票しません!
 ――では、私はこれにておいとまを……。
「いろいろとご苦労さんだったね。つかれただろ」
 高校を卒業するまでは話し掛けようともしなかった父であり、莞恩寺住職(しゃく)庸道(ようどう)が、信恵の労をねぎらう。
「お父さんこそ……」 住持として最も多忙な年末年始。お寺と病院の往復で寝る間もなく、お別れにも立ち会えないで辛かったと思う。
「足は大丈夫かい。痛みのほうは?」
「大丈夫。何ともないわ」
 三年前。大学一年の夏。バレーボールの強化合宿中にアキレス(ケン)を断裂し、二か月間ギプスをつけた不自由な生活がつづいた時期から、釈庸道から父坂部義道に変わることが多くなったと信恵は思う。
「信望が厚かったからな、母さんは。集落の誰よりも」
 懐かしそうに境内を見わたす顔が、十一年前まで行われていた “お花まつり” が終わった後と同じように見えた。母にとってもっとも幸せで、父にとってもっとも待ちわびた日が、映像となってよみがえる。
「正しくて、やさしくて、尊敬できる人だった……」
 怒った顔など見たことがなかった。朗らかで心のきれいな女性だった。ただ一度だけ、父に訴えたことがあるという。
 母の法名(ほうみょう)は釈妙清(みょうせい)。妙の字は妙子からとり、もう一字はその人となりを表す字をあてるのが、法名を決める上で慣例らしいが、その 「清」 という漢字のことでもめたらしい。結婚してまだ間もない頃――。
 清いはいい言葉だと思うし、そう思ってくれるのは嬉しいわ。でも同じ意味なら聖いのほう、 「せい」 の字にして。妙聖に。
 聖はキリスト教を連想させるからね……。なら 「しょう」 ならいいでしょう? 問題ある?――。親鸞聖人(しんらんしょうにん)と同じ読みになる……。それだけ親鸞さんを慕っているという事になると思いますけど――。清には汚れのないという意味があり、聖は尊いという意味を含む。僕の君に対する印象は 「清」 なんだよ。汚れのないほうの清……。
 それで納得というか、お母さんが折れたらしい。 
「準備はできているのかい、就職のほう。いろいろあるだろう」
 会話をしたいのか、妙子の話題は避けたいのか、庸道は話題をかえた。
「それどころじゃなかったし、いまは考えたくない」
「大学を卒業したから就職せねばならない、という法はないんだからね。要は人生とどう向き合い、どのように生きるかだ。迷い悩む者ほど、御仏(みほとけ)は心に留め、愛してくださる」
 不動産取引業への就職が信恵の本意でないことは庸道にもわかっていた。進むべき道がわからないでいる、信恵の胸中も。
 票になりそうな参列者と話していた善行が、
「信恵お前、ほんとうにアノ会社で働くつもりか。苦労して教員免許とったんだ学校に勤めればいいだろ、学校に。なんならウチの事務所で雇ってやってもいいぞ。毎日顔を付き合わせるってわけじゃないんだしよ。じゃ父さん、俺行くから」 一方的に喋って踵を返す。
 アノ会社があんな(ろく)でもない会社に聞こえた。そうかもしれないし、そうだとしても、兄貴の事務所で働くなんて教員になるのと同じくらい嫌だ。保護者いや、有力者にはペコペコヘコヘコ。スタッフには上から目線かつ横柄。村議会議員時代から、町議会議員になった今でさえふんずりかえっているのに、衆議院議員になんてなったらどうなるんだろう。
「すすんで悩むことはないぞ。いまのお前のままご縁を待てばいい。阿弥陀仏(あみだぶつ)は必ず救ってくださるのだから」
 浄土真宗(じょうどしんしゅう)の神髄というか本質というか、父の口癖というか決めゼリフ、今のあなたのまま――。
 そんなに甘くない。興味も関心もない会社しか内定を貰えなかったのは自業自得とはいえ、大学で行われた面接対策セミナーの講師の 「ありのままのあなたを企業は見たいのです」 という言葉を真に受けたのが敗北のいちばんの原因だ。
「これほど盛況な葬儀を執り行えたのは久しぶりだが、町の過疎(かそ)化は加速するいっぽう、檀家も門徒宗(もんとしゅう)も減るばかりだ。母さんがいなくなってしまった今後は、尚更かもしれないな」
 父が住持のお勤めにまい進できたのは、陰の実務や来訪者の相手などを一手に(にな)ったお母さんのおかげ。あ、もしかしたらお父さん。わたしにお母さんの代りをしてほしいと思っているんじゃ……。
「志望する会社でなくても良いところはある。悪いところも。だからこそ、自分らしさを失わんように」
 お父さんが強調したいのは後ろにくる言葉だ。檀家さんのもとに歩みよる背中が小さく見えた。
 庸道の願いを信恵は理解した。



   (3)ともしびは消え灯るもの


 目指すはじっちゃんのいる天馬(てんま)村。福島県の南の端のほう。植田駅で下車して、稲見川沿いをしばらく歩く。何とか富士とかいう山が見えさせすれば、たどり着ける自信はあった。
 何の不安もない。道を覚えるのは得意なほうだし、何とか富士を右手に見て 「あとは北上あるのみだ」。 父さんの言うとおりに行けば、明るいうちにはじっちゃんに会える。
 二人はまだぼくの家出に気づいていないだろう。母さんは年明けのせいか最近遅いし、父さんは毎日遅いから。気がつくのは明朝だ。
 県道から稲見川が徐々に離れて行くと、片田舎らしい風景に気持が落ち着いていくのがわかった。同時に、この辺りに地蔵(じぞう)が多いことに気づいた。しかもどの地蔵にも、真新しい供え物が置いてあり、地蔵の赤い前かけはアイロンをかけたばかりのようにパリッとしている。湯のみ茶碗は、洗ったばかりみたいできれいだ。
「またあるぞ」
 山に向かう登り坂のカーブ付近にある地蔵を見、シュウヤは学校のそばにある六地蔵を思い出した――。

 いいかよく聞けよ。お地蔵さんとかお地蔵様とか親しみをこめてそう呼ぶが、ほんとうは地蔵菩薩(ぼさつ)といって観世音菩薩、つまり観音様(かんのんさま)と同じ地位にある菩薩様なんだぞ。では、なぜ六体あるか。それは六道といい 「地獄」「餓鬼(がき)」「畜生(ちくしょう)」「修羅(しゅら)」「人間」「天上」 の六つの世界にそれぞれ配されていてな、仏様にかわって我々生ある者を良い方向へ教え導いて下さるから……。
 
 課外授業で聞いた先生の話しを聞いた翌日。人間がこの世で行った報い(むく)として行かねばならない 「六つの世界」 を六道という―ーそんなことが図書館の仏教の本に書かれていたことを思い出す。
 シュウヤは地蔵菩薩の前で立ち止まって目をつぶり、手を合わせると、弓のように曲がったゆるやかな上り坂をふたたび歩きだした。点在する地蔵菩薩といい坂道の勾配や長さといい、どちらも記憶になかった。道を間違えたのだろうか、そもそも降車駅を間違えたのかもしれない。 
 いやあ、何とか富士は右に見えるし、大丈夫。心配ない。父さんの車で来るのと違って見えて当然だ、歩きなんだから。
 黒い枝木が雪のかぶった斜面から伸び出る何とか富士の向こう、太陽がずいぶん傾いて見えた。左右を覆うようにして枝を伸ばす喬木(きょうぼく)が暗く見せているのかもしれない。がすぐに日は落ち、かなりの間隔を置いて立つ、細くて頼りのない外灯がともるはずだ。
 何気なくやりすごしていた似たような形の平屋の民家もなくなった。石垣の上の庭から聞こえたおばさんたちの笑い声が、なつかしくあたたかく思えた。
 引き返すか。通年そこにあるような霜柱を見てシュウヤは不安になった。空気も変わった。明らかに硬くなった。車が通れば無理してでも止め事情を話して、じっちゃんの家に連れて行ってくれるように頼もう。山を下ってくる車とすれ違ったのがずいぶん前のことだったように思えた。そんなことを考えたせいか、野宿という言葉が頭をよぎった。寒さは何とかなると思うけど、山の中で一人一夜を明かすのは正直不安だ。
 やっぱり引き返そう。いや。道は合っているのだから、今さら後もどりなんてしたくない、早く点けよ。シュウヤは点在する外灯をにらみにらみ歩きつづけた。
 人に会いたい、人間の姿を見たい。私鉄で、常磐線のホームで見た、振り袖姿の女の人が懐かしい。それはともかく民家が見たい。正直つかれた。屋根とベンチがある明かりの灯った公園みたいなところで休みたい。家のそばのきづき公園みたいなとこで。それが贅沢なら……夜通し歩くしかない。いや夜通し歩けばいいだけのことだ。
 やっぱりこの道じゃない、道を間違えたんだ。背の高い木々の数が減り視野が開けたぶん、明るくなった気がする。木々の根元にあった霜柱が消えた。何となくだけど民家がありそうな、人が居そうな気配を感じる。
 道が二手に分かれる。父さんのクラウンが一台通れるくらいの道幅のほうは、アスファルトとは異なるがいちおう舗装路(ほそうろ)。クラウンが余裕ですれ違える太めの道は黄色っぽい粘土質の路で、遠近法の写真みたいに伸びいがいに明るい。
 どうしよう。確率の問題だ。未舗装の道は利用者が少なく舗装する必要性がないからと考えられる。運転席の父さんの独り言を思い出す。 「道が悪いのは相変わらずだな――」 車に酔わないようにギュッと目を閉じていたシュウヤは、フワッとした感覚のあとのゴツンという衝撃をくり返す、やっかいな道を恨んだ事を思い出す。
 確かあの時、父さんが言ったんだ。 「ここからはハネるからジュース飲み干しておけよ。シートにこぼしたら落すのに厄介……」 とか。山道に入ってからは景色を見る余裕などなかったから確信はもてないけれど、道のデコボコが車の往来があることを示しているし、仮に舗装路の先に集落なりがあったとしてもそこにじっちゃんの家があるとは限らない。
 シュウヤは父光太郎の言葉を信じることにした。気もちと足取りがいくらか軽くなった。
 運命。すべては運命の支配下にあり、努力ではどうにもならないとする考え――。じゃあ、努力して変えられるものは運命とは言わないことになるぞ。じゃあ、世の中の大半の出来事は運命とは言わないのかもしれない。雨つぶが顔に落ちた。
 雨降りは運命だろうか。運が良いと思う時と悪いと思う時がある。雨で遠足が中止になったら運が良いと思う。塾の帰りに傘がないのに雨に降られたら、運が悪いと思う。みぞれに変われば不運と言い、雪になったら幸運、大雪は不幸。天変地異は努力ではどうにもならない、受け入れるしかない自然現象だ。努力するもしないもないから……幸運、不運、悪運、強運、開運、運気運勢、くじ運、運まかせ。ばかばかしい、 「どうでもいいや」
 北西の山にからだを向けると、いつの間にかに何とか富士の顔のあたりを灰色の雲が走っていた。中腹の枝木が風で騒いでいる。
「あっ」
 家だ、明かりだ。誰かいる! シュウヤはうす暗くなった視界をかき分けるように腕をふってかけ出した。バラックとかあばら家とか言うんだっけ、そんなことはどうでもいい、暖かそうな黄色い明かりがともる廃屋(はいおく)みたいな建物の中に向かって、
「こんにちは、こんにちはっ」
「誰かいませんか!」
「こんばんは開けてください!」
 くり返し叫んでも引き戸をたたいても応答がない、戸に手をかけても開かない 「窓だ!」、 窓もだ。
 すりガラスの窓から中をのぞき込んだ。外観とは違って意想外にきれいだ。作業台と思しき大きなテーブルの端に、天然木で作られた牛が横向きで整列している。これから色付けするのだろう。ここは工芸品を制作する工房みたいだ。
 建物の横にまわってみる。と、骨組みにトタンを載せたサビついた屋根に、壁のかわりにベニヤ板で三つの面を囲っただけの頼りない物置きがあり、中には直径20センチほどの丸木が、シュウヤの胸元くらいの高さに積み上げられている。その横には一輪車とリヤカーが。
「なんだよ、もお」
 トタン屋根を打つ雨音が急に激しくなった。したたり落ちる雨は神奈川で見るのより清んで見える。雪にはならないだろう。シュウヤはこの場所で一夜を過ごすことに決めた。
 パーカーをデイパックの中から取り出してダウンの中に着、フードを二重にかぶる。丸木の上部を覆ったトラックのホロみたいな厚手のシートを借りて、思いのほかきれいなリヤカーの荷台に乗りこんだ。シートをかぶって横になると、学校や家とは違う孤独と、安らぎを感じられた。
 ぼくは信じないぞ。運なんか。
 ぼくは逃げない。運なんて言葉をつかって。
 単調な雨音が眠気を誘い、(まぶた)が重い。 「靴、履いたままだ」 った。
 どうでもいいや。



   (4)やさしさにすくわれて


 日の出までまだ時間がある。意外に寒くはない。思ったほどでは。雨は雪にかわっていた。
 雨が清ければこの銀世界は、神聖(しんせい)という形容が合っていると思う。気温によって雪に変化することを考えると、雨もまた神聖なのかもしれない。シュウヤは父親がじっちゃんにむかって、 「福島の夜空はきれいですね。プラネタリウムみたいだ―ー」 と縁側で話していたことを思い出した。どちらにしても、福島の空や空気がきれいだからだと納得する。
 それにしても、雪がこんなに目にまぶしいとは思わなかった。勉強せずに寝たのも五時間以上眠ったのもたしか、小学二年生以来だ。だからというわけではないかもしれないけど、かえってからだがだるい。もう少し寝ていたい気もちが、早くじっちゃんに会いたい気もちの邪魔をして、なかなか起き出せないでいる。と、
「何をしとる」
「……」
「そこで何をしとる、少年」
 しわがれた声が足先から聞こえた。
「起きろ。死んでしまうぞ」
 声の迫力とは違って心配してくれていることに安堵(あんど)したシュウヤは、腰を浮かせて声のする方向に目をやり、
「ごめんなさい。じっちゃんの家を捜していたら暗くなっちゃってそれで、ここで……」 作務衣(さむえ)姿の老人に言った。
 彫刻刀で削ったような深いシワに、仙人(せんにん)みたいな長髪のグレーヘア、鋭い眼光は声から受ける印象と同じで怖かった。
「話はあとだ。中に入れ」
 白い息を追うようにがたぴし開いた引き戸をまたぐと、ストーブに火はついておらず、がらんとした室内は表と変わらず寒かった。
「まずは温ったまらんとな」
 仙人さんは言うと、牛の工芸品の置かれた作業台をう回して、奥の部屋の扉を開けた。
「わあ」
 天上にはめ込まれた飲食店にあるようなエアコンと、その暖気に驚いたのではない。スチールラックに並べられた朱色(しゅいろ)っぽい赤で塗られた牛たちの数にだ。
「ちと臭うが大丈夫か」
 塗料(とりょう)のにおいだ。帆船(ほせん)づくりが趣味の父親の書斎に入る時に嗅ぐ臭い。だから気にならない。
「大丈夫です。牛、ひとりで作ってるんですか」
「まあな。首の動かん赤べこじゃ」
 赤べこはもちろん知っている。家のサイドボードの上に置いてあり、ごはんを食べる時いやでも目に入る。仙人さんの赤べこは、太り気味のもいれば、細身のもいて、飼い葉を口にふくんだようなのもいる。目を見開いてビックリしたようなのも。一体一体が表情豊かで、福島県名産の赤べこのようにどこかかわいらしい。
 仙人さんの話によれば、別の場所にある仙人さんの家の一室に物置場にある丸木を運び、電動のこぎりを使って大方の形をきめて、ふたたび隣りの作業台のある部屋に移動し手彫りとヤスリで形を決めていく。重厚感を出すために色づけを二度くり返した後、仕上げに模様をあしらったら、この部屋で乾燥させ完成にいたるのだそうだ。ちなみに夜中に明かりを点けておくのは、字集落(あざしゅうらく)の決め事だから。外灯の替わりにも、イノシシから身と農作物を守るのにも有効だという。そう言えば、じっちゃんの家も明かりは点けていた気がする。
 仙人さんは背なかを向けたまま、
「わしは渡部伊作(いさく)。お前さんは」 手さげバッグの中をごそごそやりながら言った。
「ぼく芳野(よしの)崇哉、十二歳です」
 ダウンを脱ぎながらシュウヤは答えた。
「シュウヤか。尾花とシラカシが無ければ、おだ仏じゃったぞ」
「おばな?」
「ススキじゃよ。やつが風よけとなり、シラカシの木が雪から守った」
 物置きの裏手はススキやヤブ草でうっそうとしていて、小屋の上を木の枝がおおっていた。でも、枯れたススキと大木とまでは言えない木の枝葉に、命を守られたとはとても思えない。だけど、あの場所にシラカシが無く、大雪に見舞われたとしたら……名ばかりの物置きなどひとたまりも無いだろう。考えただけでゾッとする。
「まあいい、メシまだだろ。美味くもないが食え」
 昨日は古本屋さんを出て、ドラッグストアで買ったカレーパンを電車の中で食べて以来、何も口にしていなかった。
 三つある丸いおにぎりのうち、草色のとろろ昆布を巻いた一つを伊作は手に取り、ぜんたいを海苔で巻いた残りの二つを、弁当入れごとシュウヤに差し出す。
「なしてこんな田舎に一人できた。東京からじゃろ」
「神奈川から。じっちゃんの家に行こうと思って道に迷って、それで……」 まだ温かいおにぎりの中身は、味のしみた大好きなおかかだ!
「この町はじいさんとばあさんばかりじゃが、誰を訪ねてきた」
「町ぃ? 天馬村じゃないの!?」
「去年町になった。窪谷町(くぼたにまち)という天馬とは正反対のヘンテコな名にの。巡回バスが通るようになったことの外は何一つ変わらんが、それより誰を訪ねてきた」
「名まえ、何だっけ……」
「じっちゃんだけでは捜しようもないぞ」
 送ってくれようとしているのか、連絡を取ろうとしてくれているみたいだ。
「道の右側に何とか富士があって、左の山の下に川が流れていて、あとは……」 山ばかりで手掛かりらしい手掛かりがない。というか思い出せない。
「何とか富士? 聞かん名じゃのお。大志山のことかの。富士の山に似とると言われれば似ておるが」
 何とか富士と言っていたのは、父さんだけかもしれない。じっちゃんからも母さんからも聞いたことはなかった。何かに(たとえ)えたり形容したり、語呂合わせで覚えると記憶に残ると教えてくれた父さんのことだ、きっと勝手に××富士と呼んでいただけ、母さんと言えば……、
「そう佐藤です、佐藤さんです」
 母さんの旧姓は佐藤だ。
「このあたりは佐藤姓ばかりじゃ。下は。下の名は」
 父さんはおじいさん、母さんはおじいちゃん、ぼくはじっちゃんと呼んできたので名まえはわからない。 「農家さんで、お米とメロンとそれにスイカも作っていて、」
「この辺りの農家はみな似たようなもんじゃ。どんな男だ。家のとくちょうは。覚えておらんか」
 畑の入口のような道からは竹林が見え、隠れるように建つ平屋の母屋は、二階建ての建物と棟つづきになっていて、二階部分は畳の部屋が(ふすま)で仕切られていて二間あり、一階部分は車庫。そうそう、
「ぼくが生まれた年に一人息子さんを脳いっ血で亡くしたって」
「玄さんのところじゃの。佐藤玄造(げんぞう)。農業は廃業して、いまは老人ホームにおるわ」
 驚いた。去年は父さんの海外出張で来られなかったけど、その前の年までのじっちゃんは健康そのものだった。ラオスからきたという技能実習生二人と、三人で農作業に汗をながす合間に竹とんぼを作ってくれたり、ひょうたん池に釣りに連れていってくれたり、お風呂につかう(まき)割りをしたりと。疲れを知らない頑強な人という印象しか、シュウヤにはなかった。
 両親からは農業をやめてしまったことも、老人ホームにいることも聞かされていない。あらためてシュウヤは思った。どうして何も話してくれないの……こんなことばかりだと。家族なのにどうして。
「連れて行ってやりたいところじゃが、回礼(かいれい)もかねて道の駅をまわらんといかんからのお。正月じゃから」
 両親への思いを抑えて、
「元気なんですか? じっちゃん」 シュウヤは訊いた。
 ああ元気元気。お前さんが行ったらきっと喜ぶ――。
 けっきょくぼくを一人にさせるわけにはいかないという事で、首の動かない赤べこを透明のプチプチシートでくるんで、段ボールに入れ、四角い軽自動車に積み込む作業を手伝って、伊作おじいさんの知り合いの家につれて行ってもらうことになった。
 父さんとは違い、道のデコボコを巧みに避けながら、たどり着いたのがここ。
【莞恩寺】
 屋根が伊勢原にある大山みたいな立派なお寺だ。
「かんおんじと読む。わしは先代と同級で檀家じゃ。息子によっく話しておくからゆっくりすとれ」
 
 
 
   (5)信恵さんと少女とホト


 軽自動車のエンジン音を聞きつけ、苔むした茅葺(かやぶ)き屋根の山門をくぐって出てきた釈庸道と二、三分立ち話をした伊作は、 「帰りに寄る」 と言い残して、道の駅まわりに出かけて行った。
 本堂の重厚な板張りの廻り廊下から、教室の半分くらいはある畳の間にシュウヤを案内した庸道は、
「事情は聞いたよ。ま、どかーんと ”大の字” になって、何も考えずにひと眠りするといい」
 と短く言って。数分後には 「私は檀家さんと約束があるから」 と、黒染めの僧衣(そうい)の上にベンチコートをはおって、原付バイクで行ってしまった。
 仏寺どくとくの空気感のせいか、(かぐわ)しい畳の香りのせいか、思いもよらない出来事が落ち着いた安心感もあるだろう、疲れをおぼえたシュウヤは庸道の言葉のとおり、横になり大の字になる。が、老人ホームにいるという祖父玄造や、おろおろしているであろう両親の顔が浮かんで落ち着けなかった。
 顔を横に向けると、庭園みたいな庭にメジロがつぎつぎ飛んできて、ツバキの赤い花弁をつつき始めた。甘党のメジロにとって、冬の貴重な食事なんだろう。うっすらと雪をまとった木に草色の小さなからだが映えて、おもむきという言葉が浮かんだ。
 小さな池の燈籠の奥、木の下の雪のないところにいるのは間違いない、ツグミだ。
「やあ」 こんなに早く会えるなんて思ってもみなかったよ。
 シュウヤはたかぶったままの神経を収めたくて、
「シベリアに帰るまでに体力つけてさ、友だちたくさん作るんだよ」 片肘をついた姿勢で声をかけた。
 木月か築きか城を意味するのかもしれない近所の 「きづき公園」 で見かけるツグミよりも線が細く見える。持久力のある子がより遠くを目指すのだろうか。どちらにしても、大人の手の平大の体でシベリアから海を越えて渡来することを考えると、神奈川から福島の旅など何でもないことのように思えた。家を出て古本屋に立ち寄り、電車を乗り継いで、読書に夢中になり、福島の地で野宿した昨日のことを順を追って考えていると、
「ごはんできたわよ」
 女の人の声でシュウヤは飛び起きた。
「母がいたら、ちゃんとしたお斎(とき)を食べさせてあげられたんだけど」
 ごはんのことをおトキと言うらしい。ぼくよりはるか、178センチある父さんより明らかに背の高い細身の女性は、声まで細くてどことなく淋し気だ。
「玄造さんを訪ねてきたんですって?」
「あ……はい」
「一人で? よく出してくれたわね。お父さんとお母さん」
 何のために存在しているのか分からなくなって、それで、じっちゃんを頼りに家出して来た……。初めて会う人、しかも淋しそうなようすの女の人に話すことじゃない。 
「どうする? 午後からでよかったら連れて行ってあげるけど」
 返事をしなくても何も訊こうとしない信恵を、シュウヤはいい人だと思った。 
 ニスを塗ったような焦茶の廊下を信恵のあとにつづいて、寺の端にある別棟の家に入る目前だった、
「たすけてください」
 小型の乗用車のかげから女の子が、
「え?」
「たすけて……」
 声が潤み消え入りそうだ。
「ワンちゃんどうかしたの?」
 紺色のピーコートでくるむように抱かれた仔犬に何かあったのか。シュウヤも同じことを思ったが、少女ははげしく首をふって否定する。と、声を上げて泣きだしてしまった。くつ脱ぎのサンダルをつっかけて信恵はかけ寄り、
「とにかく中にお入りなさい」 少女の肩に手を置いて家へとみちびく。
 雪とマルチーズのからだは少女と同じくらい白いのに、笑ったような顔を向ける犬とむせび泣く少女の赤く染まったほっぺが対照的で、靴の汚れやズボンと背中の泥ハネが異常事態、 「助けて下さい」 を物語っていた。
 テーブルについたシュウヤに信恵は食事をとるよう促すと、少女の隣りにしゃがみこんで――どこからきたの? 一人で来たの? お母さんはいっしょじゃないの? おなかは空いていない? 間を置きながらやさしく訊くのだけれど、少女はしゃべれる状態ではない。混乱と安心が入り混じっているのだ。
「シュウヤくん食べて」
 言われたとおり箸を手にするシュウヤだが、泣き声が気になって食べるどころではない。
「わたしは坂部信恵。あなたは?」
 女の子はしぼり出すように 「きたはら、よしこ」 と口にし、シュウヤは二人の名まえを知った。
 母がいたらちゃんとしたお斎を食べさせてあげられた――何が理由か分からないけど、何かを抱える中で作ってくれたおトキだ、シュウヤは遠慮がちにブリの煮つけに口をつける。と、
(おいしい!) ちゃんとしているも何も、甘じょっぱい味が沁み込んでいて、声が出そうになるほどの美味だ。
「わたしもさっき会ったばかりなんだけど、紹介するね」
 少女は泣きながらコクリとうなずき、シュウヤは箸を休め慌ててごはんを飲みこんだ。
「シュウヤくんよ。苗字は?」
「よしの、芳野崇哉。小六」
「お寺の小僧さんなの」
「こぞうさんって?」 シュウヤが聞きたかったことを少女が口にする。
「お寺で生活しながら修行をする、お坊さんのタマゴかな」
「ええ!? 何それえ」
「だって出家(しゅっけ)してきたんでしょ?」
「出家って……」
 話がどう伝われば小僧になり出家になるのか、とシュウヤは思う。
「それより迎えに行かないと。佳子ちゃんと出て来るからシュウヤくん、ワンちゃんお願いね」
 仔犬がシュウヤを見上げて二本足で立ち、からだを足に押しつける。
「抱っこしてほしいって」
 信恵の言うように抱きかかえると、
「ホトっていうの。ドッグフード食べてきたから、お腹はすいてません」
 二人は信恵の運転する車で行ってしまった。
 ホトをひざの上にのせながら食事をすませたシュウヤは、

 〽 犬はよろこび庭かけかけまわり

 の歌を思い出し、畳の部屋から見た庭園みたいな庭にホトを連れ出した。
 室内犬は寒いのが苦手なのか、ホトは足を上げておしっこで雪に穴をあけると、かけ回るどころか 「抱っこしてよ」 と言わんばかりにキャンキャン吠え出した。誰かに抱かれているのが好きなのか、慣れているのか。とにかく甘えん坊だ。よくよく見ると、耳の横で結んだ “髪型” が佳子ちゃんにそっくりだ。お母さんも同じような髪をしているのだろうか、それとも子どもの頃にそうしていたのか。そんな事を考えながらシュウヤは畳の部屋に戻り、腕の中のホトを座布団の上におろすと、やっと寝れると言わんばかりにホトはからだを丸め、目をしょぼしょぼさせて、やがて寝息を立て始めた。
 シュウヤは傍らに座ってホトの背中に手をおき、路傍の石のつづきを読み始めた。
 三十分くらい、主人公の吾一が小学校時代の恩師で夜間学校をクビになった次野先生と、亀戸天神でフジの花を見ながら語り合っているところだった。車のエンジン音が大きくなり、立ち上がって廊下に出てみると、雪下の砂利を噛む音が止み、
「シュウヤくん乗って。出掛けるよお」
 窓を開けて信恵は言った。
「ホトは? どうするの。眠っているけど」
「じきにお父さんが帰ってくるから」
「寝ているならそのまんまで大丈夫」
 助手席の佳子が身をのり出して言った。



   (6)佳子ちゃんのお母さん美夏子さんのこと


 佳子の母北原美夏子は、町はずれにあるクリニックで精密(せいみつ)検査を受けているという。衰弱(すいじゃく)していることもあり、二、三日の入院加療が必要だという話だが、シュウヤは――なぜ道ばたなんかに倒れていたのか。旅行に使うスーツケースとショルダーバッグを持ってホトを連れてどこへ行こうとしていたのか。救急車を呼ばずに幼い子どもに人を呼んでくるよう言いつけたのはなぜか。何も聞かされず分からず仕舞いだ。
 入院に必要なものを買いに行くことを考えると、北原親子には頼れる人が誰もおらず、着がえや洗面道具などを取りに帰る家が遠いか無いか、どちらかしか考えられない。外山(とやま)と遠山を背景に、田んぼ、半円形のビニールハウス、また田んぼ、休耕地(きゅうこうち)、田畑が庭のように見える民家……シュウヤは風景を見るでもなく見ながら、まだ見ぬ美夏子のことを考えていた。
 佳子ちゃんはワンピースが似合いそうね。あたしズボンのほうが好きい。じゃあ両方買っちゃおっか、上着も何着か。でも……。遠慮を覚えるのは大人になってからよ。
 運転席と助手席では、女の人同士らしい会話で意外に盛り上がっている。ということは、検査は病気かどうかを調べるためで、深刻な状態ではないということになる。
「あそこよ」
 信恵は会話をカットアウトしバックミラー越しに言った。 駐車場の広さと同じようにスケールの大きなショッピングセンターだ。
 レストランに、神奈川にもある大型書店、スーパーマーケット、クリーニング店に、1000円でカットできる床屋まである。ここでなら生活に必要な物がひと通りそろうだろうし、一日いても飽きないと思えるくらいの充実ぶりだ。横に長い二階建ての建物が、後ろに連なる白一色の山々のように堂々としている。
 休止中の屋上駐車場に入れない車で混雑しているエリアを避けて、建物の正面の離れた場所に車を止めた信恵は、佳子のシートベルトを外してやると、機敏な動きで車外に出、 「あなたは自分の必要なものを選びなさい」 と財布から一万円札をぬき取ってシュウヤにぎらせた。
 お金ならあるからいいよと言う間もなく、信恵は佳子の手を引いて行ってしまった。駐車場のタテの一列に寄せられたうずたかい残雪が、かまくらが作れそうなくらいの量できれいだ。
 さてどうしよう。信恵さんとようどうさんは、いつまで居てもいいって感じだけど、とにかくじっちゃんに会いじっちゃんがどんな状態で、ぼくが知っているじっちゃんのままなのか。そうであれば、今後どうすればいいかを訊けばきっと良いアドバイスをしてくれるだろうから――二人が洋服店に入ってく―ー取りあえず隣りのホームセンターだ。
 残雪の右側の緑に塗られた歩道を慎重に歩くシュウヤを、地元の人たちが追い抜いていく。シャーベット状の地面を踏む音がリズミカルで、頬っぺの赤い子ども達はかわいらしい方言をつかって雪玉を投げ合う。学校でしか経験したことのない遊びだ。
 何も買わないのも悪い気がして、お寺で過ごすとき用に無名メーカーのジャージの上下とサンダル、一応マグカップを買い、ホームセンターに入って行った二人が出てくるのを、UFOキャッチャーの景品を見ながら待つのにあきたシュウヤは、車のキーを借りて買い物の運搬を手伝うことにした。
 どのくらいだっただろう。行ったり来たりするよりも、長靴の色は 「ピンクが似合いそうね」 「あたし青がいい」 とか、 「髪型がホトみたいだから美容室よってく? 今日はダメね、また今度――」 とかおしゃべりばかりで、待ち時間のほうが長かったし、佳子ちゃんのお母さんの検査が終わるまで時間があったこともあり、信恵さんは 「それだけしか買わなかったの?」 とわざわざ洋服店に引き返して、室内用に半てんと、厚手の靴下とボア付きスリッパに下着の上下、それと四足組の靴下などをぎんみしながら買ってくれたから相当、一時間半はいたと思う。
 ショッピングモールに来る道もクリニックへ向かうこの道でも、昨日あれほど見かけたお地蔵さまを一体も見かけない、何でだろう。そのことを訊くと、
「このへんは仏教の宗派が混在する土地でね……」 信恵さんは色々と説明してくれた。
 お釈迦(しゃか)様の救いにもれた人を救うと言われる弥勒(みろく)菩薩がこの世にくるまで、人々を救うのが 「お地蔵さま」 で、その事を信じてきた人たちがお地蔵を建て、先祖代々信仰を守りつづけているのだそうだ。 「葛谷(くずたに)地区はとくに縁つづきのお宅が多くて、特有の信仰心のある集落なのよ」
 疎林(そりん)の外れのゆるやかな坂を上っていくと、せり上がった丘を開墾(かいこん)したのがわかる場所にクリニックはあった。話に聞いていたとおり、クリニックとは言え有床(ゆうしょう)診療所。古いながらも設備が充実しているであろうことは、外観で判断できた。
 ぼくが佳子ちゃんのお母さんに会うのはおかしくないだろうか。つる草が壁を()う建物に入る前から思っていたことを言い出せないまま、受付で案内された103号室に着いてしまった。
「ぼく待ってます」 ドアの前で言うと、
「いいから来なさい」 信恵はにっこりして言った。
 検査結果やむずかしい話になったら出て行けばいいかとシュウヤは思い直して、あとにつづいた。
 初対面の美夏子さんは、顔色が青白くほほはこけ、白い腕の(みどり)がかった血管が目立ち、入院するくらいだから当然といえば当然かもしれないけど、病人に見えた。
 でも、笑みを浮かべるたびに出きるエクボと、左の肩に束ねた黒い髪が印象的で、やさしい人だというのはすぐに分かった。佳子ちゃんを見る目は愛情であふれていたし、

 シュウヤくんは何年生になりますか?
 お坊さんになりたいんですって?
 佳子と仲よくしてやってくださいね。
 ホトというのは、ホワイトからとった名まえなの、
 シロよりも合っているかなと思って。

 緊張気味のぼくのことを気づかって、何かと話しかけてくれたから。
 してほしいことや用事はないかを尋ねる信恵さんに、美夏子さんは申しわけなさそうに、 「当分のあいだ佳子のことをよろしくお願いします。」 とか 「退院の許可がおりたら直ぐに迎えに行きます。」 「ご迷惑をおかけして申しわけありません。」 とかおわびとお礼をくり返すばかりで、信恵さんも 「困ったときはお互いさまです。」 「あせらずに治療しましょう。」 「遠りょなさらないで何でも言いつけてください。」
 お互いにお互いを思いやる会話がつづき、不安げな様子で会話を聞く佳子ちゃんに信恵さんは、 「お母さんの冬休みよ。元気なお母さんのほうがいいもんね。」 そんなふうに言い、佳子ちゃんを安心させた。
 信恵さんの提案で、白衣の襟に紺色の二本の線が入った看護師さんにホトを連れてくる許可をもらいクリニックを後にしたぼくらは、トラックが行儀よく並ぶドライヴインで遅いお昼をとり、莞恩寺にもどってきたところだ。
 東屋みたいな鐘つき堂の階段を上って、高い位置から天馬の空を見上げてみる
と、プラネタリウムのような夜空もきれいだけど、思っていたとおり。海のような空が高くて広く、気もちをきれいにしてくれそうな青一色だ。
 季節外れのあたたかさで露わになった庭の草木は、痩せてはいるけど元気そうで、ちょっと冷たい風が気もちいい。西側の背山が水墨画みたいで、北よりにある父さんが何とか富士と呼んでいたひときわ目立つ山の端がこんもりしていて、なるほど宝永(ほうえい)山に似ている。
 景色を眺めるゆとりができた事に気づいたシュウヤはぐるりを歩き、遠く近く四方を見渡していると、
「シュウヤくんどうするぅー」
 本堂の廊下で信恵が呼びかける。
「玄造さんのところに行く? 今日はやめておく?」
 今日でも明日でも良いんだけど、四日間ろくすっぽ休めていないであろう佳子ちゃんを一人残して出かけるのも悪いから、
「場所を教えてくれれば、」 一人で行ける……
「明日にしましょうか。君も佳子ちゃんも今日はゆっくり休んで。ね」
 行ってしまった。
 淋しそうにしていた数時間前とはまるで別人というか、ぼくに加えて佳子ちゃんが来た上に、美夏子さんの代りの臨時の 「お母さん」 なのだ。ほんらいの信恵さんにもどったのかもしれない。
(信恵さんがお姉さんで、佳子ちゃんは三つ違いの妹か。)
 お姉さんか妹がいたらいいのにと思っていたことが現実になったようで、幸せだった。このままここでみんなでずっとすごしたいとシュウヤは思った。
(美夏子さんはぼくのことを、佳子ちゃんみたいに思ってくれるだろうか。自分の子どものように。)



   (7)じっちゃんとの再会とそれぞれの事情


 一月七日金曜日。本来であれば冬休み最終日。運命をかえたくて家を出てから三日目の朝に気づいた。 「何だかニオウぞ」。 お線香の匂いがいくらかおさまる朝のせいか、よけいに口の中が、吐く息や体臭まで、とにかくクサいのだ。
 歯みがきが趣味なのかと思うほど、信恵さんはひんぱんに歯を磨き、ぼくらにもすすめる。佳子ちゃんにはとくに。その答えというか、理由がわかった。ニンニクだ。
 食事には必ずニンニクがまじっていて、昨夜の夕食は丸ごとニンニクを焼いたものと、大根おろしかと思いきや、ニンニクのみじん切りがのった煮魚がメインディッシュ。タッパーに入ったシソと味噌のニンニク漬けは毎食テーブルのまん中に配置されていて、カツオの風味がたまらなくてつい箸を伸ばしちゃうほど美味しいんだけど。どうしてニンニクばかりなの? と訊ねると信恵さんは、 「莞恩寺では “忍辱(にんにく)のこころ” を大事にしているの。忍辱の精神を持ちつづけるために、ウチではニンニクをかかさず食べるのよ。栄養価が高くてスタミナもつくし……」 なんだそうだ。

【忍辱】とは。
 試練(しれん)に耐え忍びこころを動かさないこと。動じないこと。

 だからニンニク(料理) という理屈はどうかと思うんだけど、ここにいるとシュウサイくんと呼ばれていたぼくが知らないことを知れるから、けっこう楽しい。
 例えば。ごはんはお斎。庫裡(くり)はダイニングキッチン。布団は、何んだったけ……「しとね」 だ。習字に使う(すずり)の数え方は一面二面。明治時代には 「はい仏きしゃく」 という仏教の排斥(はいせき)運動があり、仏像や仏堂までが破壊されて、昭和時代には戦争の武器をつくる材料不足を補うために梵鐘(ぼんしょう) (朝晩ゴーンとやる釣り鐘のこと) を国に供出 (国の要求に従って差し出す) ことまで。ほんとうの勉強ってこういう事を知ったり覚えたりして、真剣に考えることをいうんじゃないかな、とつくづく思う。
 信恵さんのお父さんのようどうさんの朝は早く、4時06分が 「朝のお勤め」 の始まりだ。四時からの五分間はラジオニュースを聴くので、スタートは4時06分らしい。
 読経(どっきょう)の大きな声で、庫裡の奥の間で寝ているぼくは目を覚ますのだけれど、二階の二人は気に留める様子もなく、昨日と同じ六時半に降りてきて、透明の手袋をしてキッチンに立った。昨日は気づかなかったけど、ニンニクの匂いが手にしみつかないように。
 冷蔵庫からニンニクの詰まった特大タッパーを取り出して (冷凍庫にはストックが幾つもある) いざ調理が始まる。げんなりすると同時にシュウヤは、昨日の味が恋しくなる――。
 ドライブインあすかの 「とんかつ定食」 はかむとサクサク音がして驚くほどやわらかで、信恵さんが頼んだ 「とろとろのカツ煮丼」 も、佳子ちゃんが食べた 「お出汁の香る天ぷらうどん」 もどれもボリューミー。あつあつのうどんをふぅふぅしながらおいしそうに食べる佳子ちゃんを、ガッチリした体格の男の人たちが我が子と重ね合わせるようにちらちら見る目があたたかだった。食べきれなかった分をプラスチックのトレイに詰めかえてくれたおばさんの孫を見るような目も。
 父さんより背が高く肩幅の広い信恵さんと、三年生の佳子ちゃんがならぶと、凸凹がはっきりして面白いんだけど、見上げて話をしたり聞いたりする佳子ちゃんがちょっと気の毒だ。
 そんな二人の様子を、あすかの人たちと同じ目をして眺めていると、
「日没勤行(ごんぎょう)に付き合わんかね」
 黒染めの僧衣から濃紺の作務衣に着替えた庸道は、テーブルにつくなりシュウヤに言った。
「日ぼつごんぎょう?」
「夕べのお勤めのことよ」
 そういう事ではなくて、 「どうしてぼくが?」 という気もちが言葉に表れただけなんだけど……。
「習慣を身につけて実行する、大事なことだと思うよ」
 まだ大学生の信恵さんは主婦みたいによく働くし、佳子ちゃんは言うことをよく聞いて信恵さんの手伝いをする。ぼくは敷地内を竹ぼうきで掃くことくらいしか (けっこう大変なんだけど) お寺というか、家のことをしないから構わないけど、お坊さんになるつもりなどまったくない。だからごんぎょうと言われても……。
「それと明日からいっしょに勉強しない? 佳子ちゃんに教える約束をしたの。玄造さんのところに行った帰りに小学校で教科書を借りることになってるから、シュウヤくんの分も貸してもらって、ね」 ニンニクをアルミホイルでくるみながら信恵は言った。
 来週には新学期が始まるから心配なのだ。
「寺子屋といってね。土地の子どもらを寺に集めて、読み書き算盤、歴史に習字などを教わるのがあたり前の教育だった時代があってね。教える方も教わる子どもたちも、充実した楽しい時間を過ごしたそうだよ」
 ようどうさんも賛成みたいだ。
「これでもわたし教員免許もってるの。でも、わたしが習っていた頃とは随分内容が違うだろうし、シュウヤくんがいてくれると心強いのよ、現役の先輩のほうが順を追って教えてあげられるから。佳子ちゃんもお兄さんといっしょの方がいいよね」
「うん」
 そう言えば塾の先生が話していたっけ……。 「勉強とは人にわかりやすく教えられるようになってこそ価値(かち)がある」 みたいなことを。
 福島に来てまで勉強なんてこりごりだけど、こんなに良くしてもらっているし、じっちゃんのところに連れて行ってもらうことだし、何より佳子ちゃんのためになるなら……。
 というわけで、明日から佳子ちゃんと寺子生活が始まることになった。


 クリニックで佳子とホトを降ろした車は、玄造のいる特別養護(ようご)老人ホームの駐車場に着いたところだ。冷たい山おろしが信恵の髪をしなやかに踊らせ、崖下を通る道路に沿った川の流れが、挑むかのように立ちはだかる岩を激しく打ち水飛沫(しぶき)を上げる。山間を貫流する水を浄化するように。
 早く会いたい気持と、すっかり変わった玄造に会う怖さの両方を感じながら、シュウヤは自動扉の前に立った。扉はじれったいほどのんびり開いた。
 信恵が面会簿に記入する間、シュウヤは、廊下を挟んだ声のする方向にからだを向けた。
 ホテルのラウンジさながらの瀟洒(しょうしゃ)なホールでは、老婦人のグループが男性職員を囲んで談笑し、車椅子にのった白髪の男性は穏やかな笑みを浮かべて、テレビに見入っている。初めて訪れた老人ホームの印象は、テレビで見たものより明るく爽やかだ。 
 斜め向かいのエレベーターに乗り、二階で降りると、離れた場所から深いエコーのきいたカラオケが聞こえてきた。信恵は 「青い山脈よ」 とささやいて、ラーラ、ラーラ、ラララララー♪ 小さくハミングしながら、二人は歌声が聞こえるのとは逆方向の、玄造がいる204号室のドアをノックした。
 間を置いて三回ノック……。返事はない。
「出かけているのかしら」
「寝てるのかもしれないよ」
 ドアをすべらせ居室(きょしつ)をのぞき込むと、ベッドの掛け布団はきちんと畳まれ、枕は日当たりの良い窓際に立て掛けられていて、細長の室内は掃除をすませた後みたいにスッキリしていた。
「談話スペースがあるみたいだよ」
「行ってみよっか」
 両側が居室の日の差さない廊下をさらに奥へ行き、自然光がななめに射すところにくると……

 おっしゃあ、ロンだ! 
 またかよ。ずるしてねえか? 玄さん。
 ぼけ老人がずるなんかできっこねえだろ。腕だよウデ、ウデの違いよ。
 認知症でもマージャンだけは忘れねえんだから、世話ねえやな。
 お互いさまだろ。

 異なる笑いが廊下を走り、信恵とシュウヤは顔を見合わせる。
(いま、認知症って言ったよね。)
(ぼくたち、わたしたちのこと、分かるかな……)
 互いに同じ気持だ。

 麻雀卓を囲む入所者の楽しみを妨害 (邪魔) するようで憚れたが、窓際の 「卓」 に二人が歩み寄ると、
「何だ、信恵。めずらしいな」
 玄造が目ざとく気づく。
「玄さんの愛人と隠し子か?」
 口の悪い老爺が二人を揶揄(やゆ)する。
「バカ言うな、同じ部落の寺の娘よ。仏様のバチがあたるぞ」
 信恵のことははっきり記憶しているようだが……
「その子だれだい」
 シュウヤは少なからずショックを受けた。だが二年ぶりで、しかも家で会うのとは違うんだから、仕方がないか……と思い直す。
「ぼく……」
静花(しずか)さんのお子さん、シュウヤくん。玄造さんのお孫さんよ」
「ほう……?」
「選手交代、尼僧(にそう)さんと孫とゆっくりすれ」
「そうそう、面会なんかお互いめっ多にねえんだからさ」
 坊主頭の老爺は立ち上がると、自販機にお札を入れて、
「玄さんはバナナオレでいいな」
「おう。いつも悪い、今日は気分を変えてと」 玄造は立ち上がってパックのココアを選ぶ。
 自販機の右の窓から中庭を見ると、建物がコの字型になっているのが分かった。庭には二階のバルコニーにとどきそうな木が二本あり、雪よりも芝生の部分が広く、温かな日和(ひより)なら読書をするにも、ベンチに座って会話を楽しむのも、うとうとするにも、絶好の場所だ。
「姉ちゃんとあんちゃんも好きなの押しな」
 親切に甘えてシュウヤは信恵と同じイチゴ味を選び、玄造のあとにつづいた。
 部屋に近づくと、
「『瀬戸の花嫁』 ね」
 女の人の伸びやかな歌声がきれいだ。
「ばあさんが、お嫁に行くの~♪ はねえやな」
「いいじゃない。きっと思い入れがある歌なのよ。抑揚のある心のこもった――」
 自室に誘導するじっちゃんの足どりはしっかりしている。二歳年下で七十六歳の伊作おじいさんと変わらない。というより二人とも年齢を感じさせないほど若々しい。
「ま、掛けれや」
 玄造は壁際の長机におさまった椅子をベッドの方に向け、自分はベッドの上に腰をおろす。
「特養なんて聞くと、足腰も立たねえボケ老人ばかりで暗~いところだと思われがちで、オレも見学に来るまではそう思っていたがどうだ、なかなかだろ」
「みなさん生き生きしていらして、楽しそう」
「入所者も職員ものびのびやってる。福祉(ふくし)ってのはだな、シュウイチ」
「崇哉です」
「そうそうシュウヤだ。シュウヤな、福祉って字はどっちも幸い、しあわせって意味で、ようは介護する方も受ける方も、互いに幸福を実感することが大事なわけだ。ここにゃ、自分でメシが食えないのもいれば、味がわかってるのか分かってねえのかあやしいのもいる。誰が誰だか自分が誰だか分からないのも。けどな、しあわせだけは感じるんだよ、どんな人間でもな」
 どんな人でも幸せだけは感じ取る。実感する。どんな人でも……。じっちゃんは幸せを分け与えてくれる人、だからぼくはじっちゃんが好きで、ずっと頼りにしてきた。じっちゃんは変わっていなかった。ぼくの知っているじっちゃんのままだ!
「そのてん義道はよおく分かっとる。死んだ人間と遺族のしあわせをつねに思って、葬儀や法事にのぞむ。ま、やつの場合は仏法の恩恵(おんけい)というより、妙ちゃんの影響が大きいのかもしれんがの」
 ヨシミチってようどうさんのこと? と訊こうとすると……信恵さんの口がわなわなふるえ、目が涙でいっぱいでこぼれそうだ。
「実はね。お母さん……母は、亡くなったの」
「何んだとおっ!」
 じっちゃんも口をわなわなさせて、信恵さんの手の甲に大粒の涙がつぎつぎと落ちる。
「どうして、言ってくれんかったあ!」
 叫ぶようなヒヨドリの地鳴きと入所者の笑い声が遠くからとどくだけの静けさの中……二、三分はたったと思う。
「十日間がんばってくれたんだけど、クモ膜下出血で……」
 年明け2日、五日前にお母さんを亡くしたばかりということは、ようどうさんから聞いて知った。信恵さんと初めて会った時、淋しそうに見えたのはそのせいなのだ。
 君や佳子ちゃんと関わることで元気でいられるのだから、気にしないことだよ―ー。ようどうさんのいう事も分かる気がするけれど、無理をしているのだとしたら、無理はしてほしくないと思う。
「最期はほんとうにしあわせそうで、ありがとうって言ってくれているようだったの」
「そうか。そうだろうな。いつも喜んでいるような人だったから。妙ちゃんは」
 遺影のなかの妙子おばさんは、ほんとうに嬉しそうにニッコリしていた。
 いつも喜んでいるような妙子おばさんを裏切りたくなかったのか、じっちゃんは母さんの近況を尋ねては思い出を語り、一人暮らしで火事でも出したら大変だからとか、孤独死でもして迷惑をかけるわけにはいかないとか、認知症が進行しないようになど、老人ホームに入所した理由を説明口調でくり返し話した。ぼくは、竹をつかって水テッポウや小物入れを作ってくれたことや、釣りのコツを教わったことや、花火をしたことを話すと、じっちゃんは 「ああ」 とか 「そうだった」 とかぼんやり答え、訊きもしないのに、信恵さんの子どもの頃の話しだして……一生けん命空気を変えようとしてくれたんだ。
 
 長居は無用だよ――。そう言って送り出した庸道の言葉にしたがい、二人はたびたび訪ねることを玄造に伝え三十分ほどでホームを後にした。 
 小学校に向かう車中、ずっと何かを考えている風な信恵に、
「にんにくだね」
 シュウヤは言った。
「ニンニクならたくさんあるわよ。毎月二回青森の農家さんから取り寄せているから」 
 信恵さんは忍辱のこころで悲しい気もちを乗り切っているんだね。そんなつもりで声を掛けても信恵のこころはここにあらず。お母さんを思う気もちは分からないではないけれど。黙りっきりの信恵が、シュウヤには別の人に思えてならなかった。
 でも、小学校に着いて恩師の坂田春子先生に会ってからは、じっちゃんに会うまでの信恵さんに戻っていて、相変わらずぼくのことを 「お寺の小僧さん」 と冗談を交えて紹介できるほどになっていたから、ようどうさんの言うとおり。気にしないようにすることにした。
 二人分の教科書を借りた二人は、正門からほど近い文房具屋で、佳子のために女の子らしいピンク色のノートを五冊と、犬のキャラクターが胴の部分に描かれたシャープペンシル、それに24色の色鉛筆のセットとスケッチブックを買い、遠慮していたシュウヤも結局、似たようなものを買ってもらいクリニックへと向かった。まではよかったのだけれど……。信恵さんはまたぼんやりして首をひねったり、くちびるをむすんだり。何かを考えているようだ。
 クリニックに着くと院長先生の話を聞くことになり、ぼくらは診察室に向かった。字集落で唯一入院できるクリニックでは、病院長も診療に加わらないと立ち行かないのだそうだ。
 扉の前で。 「ぼく待ってる」
 と、昨日と同じことを言うと、信恵さんは背中ごしに頷くだけで今度は 「入りなさい」 とは言わなかった。
 診療時間が終わったクリニックは昨日と違い、時間も建物も休憩しているかのように静かで、時々聞こえる 「カラッ、カラ」という、たぶん医療用具が触れ合う音や、薬のにおいさえ心地よく感じられるから不思議だ。
 カラカラ音がやむと、院長先生の野太い声が大きくなった気がした。でも内容までは聞き取れない。信恵さんの声は聞こえない。聞き手にまわっていると言うより 「ご家族の方」 になった信恵さんでも、踏み込んだ話が出来ないことくらいの事はぼくにだって分かる。美夏子さんは進んで話をする人だとは思えないから。
 思いのほか時間がかかるな、と思い始めた頃になってようやく扉が開き、シュウヤと信恵の二人は階段を下りて病室へ向かった。
 佳子はベッドに顔の半分をうめ、口を小さく開けて甘えるように眠っていた。美夏子に抱かれたホトが不思議そうにシュウヤと信恵を交互に見ている。美夏子は思いやる目を信恵に向け、
「看護師さんが院長先生が話があるって、」
「いま聴いてきました。安静がいちばんの治療で、点滴で営養をとって体力がつけば退院できるそうです」 美夏子の言葉をさえぎるように信恵は言った。 
「そう、のんびりもしていられませんわ」
 入院や治療費の問題に加えて、佳子の今後のことがある。本人は生活を立て直すことで頭がいっぱいのはず。
「明日あらためてお話しません?」
 ホトに言っているようで、なおさらシュウヤは気になった。



   (8)のんびりの1/3日


 一月十五日土曜日。莞恩寺にきて今日で九日目。朝の勤行が終わってからの作務(掃除)で 「それはいいから」 と触らせるのを渋っていた、木魚 (バチでポンポンたたく法具(ほうぐ)) を拭き浄め(きよ)ていると、ふと思った。
 まだじっちゃんは聞いていないようだけど、父さんと電話で話したというようどうさんは 「しばらく預かってくださいって話しておられたよ」 って言うけど、やっぱり心配しているのかな。母さんと父さん。ぼくのこと。
 クラスのみんなは、ぼくが不登校になったと噂しているだろう。いや始業式から一週間たつのだ、ぼくがいないのがフツウだと思っているに決まってる。
 考えても仕方ないことをつい考えてしまうのは、気もちに余裕が出来てきたからかもしれない。莞恩寺には信恵さんという先生がいて、校長先生というか師みたいな存在のようどうさんがいる。素直で妹みたいな佳子ちゃんも。これ以上の環境はないと思う。美夏子さんが東と西くらい考え方が違う母さんの代わりになってくれたら、尚いいんだけど。
 美夏子さんと言えば、なかなか下がらなかった熱も引いて、火曜日の最終的な検査結果次第では退院できるそうだ。気の早い信恵さんは 「まず大丈夫」 と確信していて、土曜日の今日美夏子さんのお見舞いと、お寺での新生活に必要なものを買いに佳子ちゃんと出ている。佳子ちゃんはよほど嬉しいようでよく笑うようになり、寺子屋授業も楽しくて仕方ないといった様子だ。
 その寺子屋授業は、僧坊 (みんなが生活する家のこと) のぼくが寝起きする部屋のふすまをへだてた隣室で行われている。ぼくの部屋より少しせまい畳の部屋だ。
 授業は朝のあいさつから始まって、次に二、三分かけてめい想をする。目を閉じて心を静かにすることで、自分と向き合い、また見つめ直す。他にも 「同じ時間を共有することも大事な目的のひとつよ。」 って信恵さんは話していたけど、これは授業でも遊びでも生活する上でも言えることなんじゃないかな。
 めい想で雑念を取り払ったら庭に出てラジオ体操だ。ただ体を動かしていただけのラジオ体操も真剣にやると汗ばむほどで、庭と通路を区別するために植わった玉竜の葉が 「家のより濃くてぶ厚いな」 とか、 「スギ林から漂う新鮮な草木の香りは成長の証だ」 とか今まで気づかなかったことに気づいたり、日ごとに違う鳥の声に耳を傾けると 「ぼくもやるぞ」 という気もちになって、勉強を始める前のいいウォーミングアップになるんだ。
 めい想とラジオ体操が終わるといいよ授業。授業と言ってもキッチリとした時間割があるわけではなく、午前中は小学高学年向けの児童書をつかった朗読がメイン。ポイントとなる言葉の意味をおのおの考えて、三人で話し合う時間で占められている。 「お習字に替わることもあるから。」 という言葉のとおり、昨日一昨日は二日続けて習字だった。ここでも信恵さんは 「言葉の意味を考えること。」 だけは欠かさない。教員免許だけでなく書道五段で、さらに師範(しはん)をしのぐ教授という免許をもつ大先生だけあり、信恵さんの言葉に対するこだわりは相当のようだ。
 だから書道は、字くばり (字の配置や並べ方をいうらしい) や筆の使い方などよりも、漢字の意味や語源を重視する。
 たとえば、信じるの 『信』 という字は、「人をあらわすニンベンに、右側のつくりの部分に言葉の意味の 「言」 から成る漢字だけどね……信という字は、人の行動と言葉が一致することを意味するの。 『信用』 がいい例で、言葉と行動が一致していなければ信用されないわね。一致した言動を用いて初めて信用を得る。信という字は、まことという意味もあるとても大事な言葉なのよ――」 みたいに。
 寺子の授業を行う部屋には妙子おばさんが書いた 「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」 の楷書(かいしょ)が掲げられているんだけど、書を見るたびにぼくは思う。 「どんなに重い罪をおかした人でも決して見捨てない」 という阿弥陀さまの慈悲を書き表したこの言葉って、ぼくに向けられたものではないかと。妙子おばさんの遺墨(いぼく)になった書だと聞いてからは、気になってしかたがない……ん? 
 感心感心――。
 見られていることに気づかなかった。 「もっと気を入れてやらないといけないよ。」 と言われたようで、銅鉢(どうばち)(チーンとやるお仏壇のお鈴を大きくした、ボーンと低い音がする法具) を拭くか、曲ろく (ようどうさんが座る椅子) にするか考えながら雑巾をしぼり始めると。
「一人では、やることもなく退屈だろう?」
 ようどうさんはやさしい顔で言い、退屈しのぎにと。 「とっておきの」 ビデオを見ることになった。
灌仏会(かんぶつえ)と言ってね、お釈迦様の誕生を祝う祭事のことで 『お花祭り』 ともいう、地域にとっても一大イベントなんだ」
 驚いた。山車(だし)って言うんだっけ。車輪が幾つもある平たい木の台車にゾウ(さん) が、白い象が載っていて、背中には鐘つき堂のミニチュアみたいな色あざやかな花で飾ったお堂が乗っていて、がらんとした莞恩寺しか知らないお寺の境内が人人人人、人であふれている。
 ゾウを引く子供たちが楽しそうで誇らしげで、檀家さんや集落の人だけでなく、近隣の字集落の大人子どもが声援を送り、カメラを構えビデオをまわす。あの泣いている子は、迷子にでもなったのだろうか。とにかくみな表情豊かでにぎやかで、まさに一大イベントだ。
「毎年やるの?」 画面の下の日付は、2010年4月8日。十二年近く前。ずいぶん古いビデオだ。
「やるにはやるが規模を縮小してね、白象は蔵から出すだけにして。もう何年も引いていないのだよ」
 場面が変わり、ゾウの背中に乗った小さなお堂が、色とりどりの花の輪の中央に下ろされて、ひしゃくを手にしたおじいさんやおばあさんが談笑しながら、お堂の真ん中にあるお釈迦さまの誕生仏に、
「甘茶と言ってね。アジサイによく似た、アマチャという花の葉を(せん)じたお茶をかけるんだ」
 おけからすくった薄い麦茶のような色の甘茶を頭にかけて合掌すると、隣りの列にならび直して容器を差し出す。
「花を摘んできてくださるお礼を兼ねて、甘茶をおすそわけするんだよ」
「みんな生き生きしてるなあ」
「お花まつりの雰囲気と会話と、外出を楽しみに訪れる方がほとんどでね」
 見てわかったし、ビデオに表れている。きっと小学校の運動会みたいな、家族総出の行事……。ウチの場合二人そろって見に来たのは、二年生まで。手を叩いて応援していた母さんも、腕をぐるぐる回してさけんでいた父さんの姿もそのうち、何年もしないで忘れるだろうけど。
「分かるかい?」
 白いワンピースを着たおかっぱ頭の女の子が、ビデオに気づいて駆け出すシーンが。
「もしかして、信恵さん?」
「君と同じ六年生のときの信恵だが、カメラの類が嫌いな子で手を焼いたよ」
 でも、余所行きを着て真新しいピンクの靴を履くくらいだから、お花まつり自体は楽しみだったのだろう。
 ビデオの途中でようどうさんは出て行ったようだ。
 ホトを庭で歩かせてから部屋に戻って、ホトの背中を撫ぜながら今朝信恵さんに借りた 「おとうと」 という小説を読んですごすことにした。

 ぼくは一人っ子だけれど、 「おとうと」 の碧郎も、碧郎に心をくばってやまない姉のげんさんも。どちらも自分と重なるところがあり、どちらの人生に転じてもおかしくないと思う悲しい話だ。
 でも昔の人の小説って、どうしてさわやかなんだろう。
 シュウ兄ちゃん……。
 出掛けているはずの佳子ちゃんの声だ。
「のぶえお姉さんから言われたの。そう呼んだらって」
 そうなんだ、じゃあ佳子ちゃんはぼくの妹になるね。ずっと妹がほしいと思っていたからぼくうれしよ、うれしくてうれしくてたまらないよ。
「シュウ兄ちゃん、お花まつりにいかない?」
 ぼくははずかしくて、お兄さんっぽく佳子とは呼べないけど、げんさんのように思いやることはできる。
「行こっか」
「うれしい! 行こう行こう」
「よおし、みんなにまじってゾウさんの山車を引こう!」
「うん!」
 ぼくらは庭におりて、子ども達の輪に加わった。 「どこのお子さん?」 と訊かれて少し困ったけど、 「莞恩寺で勉強しているんです」 って答えたら誰もそれ以上は訊いてこなかった。かえって 「えらいわねえ」、 「仲のよい兄妹だこと」 ってニッコリ笑って言ってくれて、佳子ちゃんも信恵さんもうれしそうで、ぼくはたぶん二人よりもずっとずっとうれしくて、うれしくて……
 ――ただいまあ。
 んん? 
「ただいま。なんだ寝てたの?」
「寝てたのお」
 二人が帰ってきた。
「眠っちゃったみたい」
 夢だった。ぼくが見た中でいちばん楽しい夢だから、忘れないようにしないと。 



   (9)信恵の決心、シュウヤの心配


 お寺の娘だから仏教に精通していると思われてきた。仏教の智識などキリスト教と同じくらいしかないのに。
 浄土真宗の宗祖は親鸞さんくらいの事は知っていたけど、かの歎異抄(たんにしょう)を書いたのは親鸞さんだと思い込んでいたし、著者の蓮如上人(れんにょしょうにん)という人さえ名まえは知っていた程度。真宗の方だとは思ってもいなかった。
 どうしていなくなっちゃったの。どうしてわたしを残して行っちゃったの。就職したらお母さんが好きなワンピース、プレゼントしようと思っていたのに……。いつか結婚して子どもができたらお母さんに名前をつけてほしいと思っていたのに……。
 台所にいるのと同じくらい本堂の荘厳な空間で合掌する妙子の姿が好きだった信恵は、ここにくれば妙子がいる、話を聞いてくれる、今までと同じように寄り添ってくれる気がして、これまであまり足をふみ入れなかった本堂にかよう様になっていた。妙子に誘われるように。
 不動産取引などまったく興味はなかった。
 ワンピースを買う理由もなくなった。
 お母さんが守ってきたお寺をお母さんと同じように守いたい、守っていきたい。お母さんが信じた信心をわたしももちたい。何より、お母さんの代りができるのはわたしだけ、わたししかいない。
 まずは……。檀家さんの数を増やさないと。お母さんがそうしていたように。過疎化のあおりで改葬する方が増えているという話だし……
  
 (変わったことはしないことですよ。)
  伊作さんに頼んで、お寺で赤べこモドキを売ったらどうかな?
 (伊作さんが喜べばいいかもしれないわね。でも名前は変えないと。)
  ほら、御朱印がはやってるって言うでしょ、わたし書こうかしら。
 (………)
  アキおばあちゃんの手すき和紙を御朱印帳にして。どうかしら。
 
 筆勢(ひっせい)はお母さんには遠く及ばない。でもくずし書体は得意。何とかなるはず。いや何とかします。
「引っ越しのことなんだけど」
「んもう、驚かせないでよお。心臓が飛び出しちゃうところだったじゃない。ああ、佳子ちゃんのお部屋の移動のこと」
「ついでだから、信恵さんの部屋の模様替えもしたらどうかなと思ってさ」
「そうねえ。気分転換にもなるし、いいかもね。でも “ついで” はご挨拶じゃない?」
「ごあいさつって?」 何? どういうこと?
 シュウヤくん。一人玄造さんを訪ねてきたあなたのように、わたしも勇気出すね。


「ついで」 がごあいさつ――。
 挨拶なんてした覚えは無いんだけど、ごあいさつって何? 
 ある意味古きよき、日本文化を表すことばよ。
 
 らしいので調べてみた。
【御挨拶】
 こちらが聞いて呆れるような相手のことば。
 こういう事って塾はもちろん学校でも習わないし、これからも教わらないと思う、使う機会もないだろう。古きよき日本文化と言われても何が良きなのか、さっぱり分からない。
 ――いいお湯だったね。
 ――気もちよかったあ。
 睦まじい声が近づいてくる。
「お待たせシュウヤくん」
「シュウ兄ちゃんお待たせー」
シュウ兄ちゃん? 夢が現実になったのではなく現実が夢に出てきたのだ。
 つややかな黒髪の信恵さんと、頭のてっぺんで髪をお団子のようにまとめた佳子ちゃん。きっと美夏子さんのことを話していたのだろう。二人ともいつもより頬っぺが赤く見える。比丘(びく)が二、三人生活できるように建てたお寺だから――。ようどうさんの言うとおりお風呂だって広いんだから、美夏子さんと三人で入るといいんだ。
「今日はよく頑張ってくれたから、ゆっくり入ってきて」
「とっても気もちぃお湯だよ」
「佳子ちゃんもうんとがんばったから、早く寝ましょうね」
 水曜日から寺での暮らしが始まる美夏子に、住みやすい環境で新たなスタートを切ってほしいと思う気持はシュウヤも同じだった。だから、新居となる二階の部屋へのテレビやキャビネットなど、新たに揃えた生活用品の運搬や開梱、佳子が出て行ったあとの信恵の部屋の模様替えも。 「腰を痛めないでよ」 と言われるくらい頑張った。
 今日の信恵は昨日の夜とは別人だった。泣いているように見えた信恵とは……。
 いつもの明るい信恵がシュウヤは好きだから、写真のなかの妙子のように笑顔でいてほしかった。だから運搬がすみヘトヘトでも 「地味な部屋だなあ。がっかりだよ」 とはしゃいで見せた。
 初めて入った信恵の部屋はがらんとしていて、女の人っぽさも生活感もほとんど感じられなかった。佳子の荷物の大方を運び出した後とは言え、母静花の部屋みたいに鏡台も姿見もなく、色あせた白い壁紙を隠すような背の高い本棚と、シュウヤの腰くらいのちんまりしたチェスト、それにまっ平な古めかしい机の上に、小さな鏡とラジオとペン立てとが同化した化粧品があるくらいで、ベッドもテレビもなし。フローリングと言えば聞こえの良い床に敷かれた灰色のカーペットがよけいに地味に見せ、ぬいぐるみや写真があったほうが似合いそうな出窓には、バレーボールがぽつんとあるだけ。他に形容のしようがないほど地味だった。

 あまり見ないでよ。恥ずかしいから。
 あきれてるんだよ。よくこの部屋で生活できるなって。
 生意気言っちゃって――。

 気にすること無いか。信恵さんもけっこうはしゃでいたし。
「遅くなるから早く入りなさい。お風呂のおそうじ、手抜いちゃ駄目よ」
「ダメよお」
「わかってるよ」



   (10)それぞれの白い道


 夜のお斎の片づいた庫裡で、美夏子は切り出したのだった。 「佳子を学校に行かせたい」 と。
 清んだ冷えびえとした月明かりがきれいな中夜である。シュウヤは眠られずにいた。考えることが増えたせいだと思う。美夏子の切実な願いであり、佳子自身が望んでいることはシュウヤにもわかっていた。退院の予定が十日延びても佳子が落ち込むことなく明るくいられたのは、親子で暮らす喜びだけではない。学校に通うことを希望としていたからだ。
 美夏子の背中にかくれて、嬉しそうで泣き出しそうな顔をしていた佳子の姿が思い出される……。
 このまま学校に行かずに莞恩寺にいたら友だちはできないし、頑張りすぎる所のある信恵さんの負担も減る、面倒を見る子が一人減るのだから。いいタイミンだと思う。誰にとっても。
「虫のいい話ですけど、先行きの目途が付くまでここから通わせてくださいませんか。お手伝いは何でもしますから……」
 シュウヤは莞恩寺に美夏子がきてからこの三日間、自分自身これからどうすればいいかを真剣に考えた。
 福島の学校に通っても神奈川の学校にもどったとしても、同じだと思う。学ぶことも得るものもたくさんある莞恩寺で生活する方がずっと貴重だ。そのことだけはハッキリしている。でも、そこで考えが行き止まってしまう。でもこのままでいいとは思わない。
 昨日老人ホームのそばを信恵さんと三人で散歩しているとき、じっちゃんは言った。
「お前さんの母さんの名前は、あの花の名からとったんじゃよ」
「静花さんとイメージが重なったのね。何ていう名まえ?」
 ぼくが聞きたかったことを信恵さんは口にした。
「ヒトリシズカという。春に花をつける」
 ヒトリシズカは 「一人静」 と書き、能の舞台に登場する 「静御前(しずかごぜん)という人の舞い姿」 に見えることからその名がついたという。
 堅い土を割いて伸びる細長い茎の頭に、子どもたちが太陽に向かって両手を差し伸べるような恰好の葉が四枚あり、開くのを途中で止めた形をしていた。
「お花を守ろうとしているみたいね、四枚の葉が。どんなお花が咲くの?」
「そうじゃなあ。言葉では説明しにくいが」
 じっちゃんは一生懸命考え考え、ぼくらはしんぼう強く話しを聞いた。
 白く糸みたいな……密集してはいないが……糸というよりヘアーブラシ……パラパラと……など。
「ブローブラシみたいなお花ね。玄造さんの話から想像すると」
 髪を巻き髪にする時に使うブラシ、信恵さんの机の上に置いてあったブラシの部分が円柱状で白っぽいの。あんな感じの花らしい。そのヒトリシズカは、ハーブのような香りが楽しめるのだという。 
「株は独立しているが、見てのとおり群生して育つ。支え合い、つながり合って存在しているように、わしには見えてのお」
「大家族ってところね。あっちの葉が大きいのは?」
 スギ林の道をはさんだ反対側の開けたところを、信恵さんは指さした。
 
 認知症と言っても、玄造さんは軽度なの。物忘れが多いというより忘れたこと自体を忘れて、初めから無かったことなのよ。だからそのつもりで接するといいと思う――。
 
 信恵さんは話していたとおり。じっちゃんの言葉から話題を引き出そうとしていたっけ。
「フタリシズカじゃよ。両方とも好きな花に違いないが、わしの印象はヒトリシズカじゃった」
 フタリシズカも葉が茎の先端にあるのは同じだが、手の平だいの光沢のない三枚の葉が地表を隠すように広がっていて、葉の中央からまっすぐ伸びるという花は。
 緑の茎に……スズランに似た……スズランというより白い雨つぶ……雨のしずく……連なって咲く……
「スレイベルみたいなんだね」
 ぼくは言った。今度はすぐにそうぞう出来たから。
「スレイベルって?」
「棒に鈴がたくさんついた楽器があるでしょ? クリスマスの曲で使うシャンシャン音がするやつ」
「ああ。やさしい音のするあれね」
(どちらも白い花をつけるらしいけど。ヒトリシズカは母さんというより美夏子さんを思わせて、フタリシズカが信恵さんだな。)
 そんな事を考えながら、ぼくは二人のあとにつづいた。
「静花が生まれたときは、村中の者が祝ってくれての」
 じっちゃんは懐かしむように言い、信恵さんはまた話を引き出そうと 「わたしの時は? どうだった?」 と、おどけて訊くと、
「聞いておるじゃろ。母子ともに危険な状態でみな心配で、中には莞恩寺にお百度(ひゃくど)を踏みに通う者もいたくらいじゃ。そのぶん無事生まれたと聞いた時は、みな安堵しての。赤んぼうを見てみなぶったまげただよ、こーんなデッカイ子ならそりゃあ難産だわと、みなぶったまげてなあ。じゃがみな安堵しての……」 と感情のおもむくままに話していた。
 元気とは言え、じっちゃんといっしょに居られる時間は限られている。神奈川にもどってお寺にかよえば、以前と違った生活はできると思う。でも、ようどうさんや信恵さんのような人と出会える保証はない。いや出会えるはずがない。無いに決まっている。
 昨日のようどうさんの法話はとくに心にひびいた。ガタガタと木戸を鳴らす風の音も気にならないほど、二つの話に引き込まれた。その一つが 『二河(にが)白道(びゃくどう)』 の話だった。

 目の前に、火と水の二つの大河が行く手を阻んでいた。二つの河の間には、一本の 「白い道」がある。その道はすこぶる狭く、さらに両側からは火と水の波が絶えず打ち寄せる。行くのも引き返すのも立ち止まっても死という 「絶体絶命」の状況で、こちら側の東岸からは 「行け!」 という釈尊(しゃくそん)の背中を押すような声が聞こえ、向こう岸の西岸からは阿弥陀様の 「来い!」 という励ましにも叱責にも聞こえる声がとどく。主人公は声にしたがい “白道への歩み” を進むことを選んだ。
 ようどうさんは……。
「主人公がいるのは、迷いあるいは苦悩の世界。進むべき白道が四、五寸の狭い道にしか見えないのは、煩悩(ぼんのう)がそうさせているからだ。迷うことなくお浄土、御仏のいる世界を目指せば、道は広がり救われる。という(たと)え話でね」
 と懇切(こんせつ)丁寧に話してくれた。
無礙(むげ)の一道』 の話も同じように心揺さぶられた。
「無礙とは 『何ものにも妨げられないこと』 を言い、一道は 『唯一無二の進むべき道のこと』 をあらわす。つまり無礙の一道とは、何ものにも妨げたられない絶対的な生き方を言う。
 そこで大事になるのが煩悩を打ち断つ他力、すなわち、すべての者を等しく救う阿弥陀仏の “本願力” となる。疑心を捨てて、阿弥陀仏にいっさいを託す 『他力本願』 が無礙の一道をゆく希望となり、阿弥陀仏の慈悲のご恩にむくいる熱心こそが、真に生きる根拠となる――と。
 二つの話を聞いたシュウヤは、庸道の信心に触れた気がした。


「自力は自由という心の隙や、傲慢とも言えよう自我を生み出しかねず、煩悩を生む起源となり得る頼りのないものだ。わかるかい崇哉君」
「何となくは分かるんだけど……」
 自信なく答えるシュウヤに、庸道はいっそう表情をゆるめて、
「要は自由とどのようにつき合っていくかだ。自由とは、思いのままに為すことではないぞ。己のよしとする道を尋ねる機会、好機と言えよう。ゆえに仏教信徒は、つねに己を問うて生きる――」
 欲望に支配された自由は不自由と、私は思っていてね……とも話していた。
 だから自由とどうつき合うかを自分に問いかけなさいと、ようどうさんは言いたかったのだ。
 あ。ようどうさんの話って……
「勉強で大切なのは、どうしてだろうな? と自分にくり返し問いかけることですよ」 美夏子さんと同じかもしれない。
 ほんとうの学びが何かシュウヤはわかった気がした。
 小学校に行きたいとはっきり言えて、寺でも学べる佳子が、シュウヤはうらやましくなった。



   (11)何でだろうが増すばかり


 夜たびたび本堂に来ては、須弥壇(しゅみだん)の前で(うつむ)いている信恵のことがシュウヤは気になった。
(今日はいるかな。)
 9時30分すぎ。莞恩寺に来た当初は睡魔に誘われた時間だ。
 思ったとおり。回廊に明かりが漏れている。死角になりそうなところでシュウヤは耳を澄ましそばだてる。
「ずっと気にしてたのよ、お母さん。法名のこと。わたしはぜったいに妥協しませんから」
 めずらしくようどうさんもいるようだ。何の話をしているのだろう。気になるが、よく聞き取れない。
「釈尊と同じ 『出会う』 を意味する尊い名だと思うが。何が不満なんだね」
「ふつうがいいの。子供が読み書きできるような字がいいのよ」
 よくわからないけど、漢字へのこだわりが口論の原因らしい。
「それが花かい? 花よりも 『迦』 のほうが合っていると思うよ、信恵は。尼僧になる決意を感じるしね」
「またイメージぃ? 尼僧ってね、わたしはハリウッドの女性俳優やメルケルさんや世界で活躍する女性と同じようにひとりの人間として、仏門に入る決意をしたの。尼僧とか言わないでくれるう?」
「決意は認めるが、口の利き方はあらためないといけないな。仏門に帰依(きえ)する者の言葉づかいではないよ。檀家さんや門徒宗に示しがつかん」
 仏門に入るって。信恵さんがお僧さんに!?
「では信の字のあとに円、まるいを書いて信円。歎異抄の著者と言われる、唯円からいただこう」
「ゆいえん?! 蓮如さんじゃなかったんだ、歎異抄を書いた人って」
「あくまでも言い伝えだがね。蓮如上人はずっとあとのお方だ、蓮如さんでないことは確かだよ。それはそれとして、子供でも読み書きでき、ふつうであり且つ尊い。よし信円で、」
「イヤよお。カトリックの洗礼名? あれだって希望をきくって話よ、ですよ。仏教も変わらないと。考え方を改めるべきです」
「希望をきく教会もあるそうだが、大概が神父様がお決めになるのではなかったかな。ともあれ、極楽浄土に往生しても用いる名前だからね。逸らずに慎重に考えようではないか」 
「なら、どうしてお母さんの言う事は聞いてあげなかったのよ」
 ようどうさんは釈庸道さん。妙子さんは釈妙清さん。信恵さんは、釈××さんに。法名のことで揉めているのだ。
 日没勤行に加えて(じん)朝勤行に出るようになったシュウヤは、自と庸道と会話する機会が増えていった。
 仏教のこと。浄土真宗のこと。宗教に関する歴史はとくに興味深く、迫害されて禁教(きんきょう)になった宗教が世界中にあったことや、日本仏教の中にはキリスト教の教えの一部を踏襲(とうしゅう)する宗派があること。仏教やキリスト教でも宗派によってずいぶん考え方が異なることなど、庸道に出会わなければ一生わからず仕舞いだったことばかりだとシュウヤは思う。
 部屋に戻ったシュウヤは、ノートを開き机に向かった。お斎を済ませ入浴までの空き時間に書き留める、法話の要点が書かれたノートである。

 ・生きていくこと自体が修行。
 ・御仏に対して悪事を行わないことを、心に留めて過ごすことが大切。
 ・罪から身を守る生き方をつねに考えること。
 ・己を問うて生きる。
 ・ありのままを受け入れてくださる、阿弥陀様のご慈愛を信じて感謝する。

「赤ん坊は疑いもなく、お母さんやお父さんに身も心もゆだねるだろう? 成長とは自分を低くし、赤ん坊のように煩悩を持たない大人になろうとする心が大切……」 とも、ようどうさんは話していた。
 シュウヤはこれまで気に留めなかったなげしに掲げた 「報恩謝徳(ほうおんしゃとく)」 の額を見上げた。
 ようどうさんは、勤行が終わったあと……。
「いま唱和したお経は 『正(しょう)、信(しん)、念(ねん)、仏(ぶつ)、偈(げ)』 と言ってね。真宗の教えをやさしく説いた経典だが、蓮如上人というお方がことのほか大切にされたお経で、念仏とは 『我々に往生の機会を与えてくださった阿弥陀仏の恩に報い、その功徳に感謝すること』 と親鸞聖人がお話しされたとおり。正信念仏偈は、正に 『報恩謝徳』 を表したお経……」
 思いをこめて話し終えると、低い所をまっすぐ走る声でふたたび、

帰命無量寿如来 南無不可思議光……
普放無量無辺光 無碍無対光炎王 清浄歓喜智慧光……
摂取心光常照護 已能雖破無明闇 常覆真実信心天……


 お経をあげてくれたんだ、ぼくに聞かせるように。
 経を唱える庸道を思い起こしたシュウヤは、庸道に借りた 「浄土真宗の理解」 の本を手に取りページを繰った。
【報恩謝徳】 とは。
 罪を罪のまま抱き取ってくださる阿弥陀如来の恩に報い、その恵みに感謝することを言います。

 妙子おばさんの心の清さと実直さが楷書で書かれた、報、恩、謝、徳、四つの文字と額ぜんたいから伝わってくる。
 罪をそのまま受け取ってくださる、その恵みに感謝するんだな。
 お坊さんになる信恵さんは、ようどうさんの言葉を借りれば、
「念仏者はだね。念仏を唱えることでご恩のわかる人に育てられて、あたり前と思ってきた些細(ささい)な出来事さえも、 『ありがたい』 『もったいない』 という謙虚な歩みに変えられると信じているんだ」
 信恵さんはようどうさんと同じ道を歩もうとしている。自分の意思で真の念仏者になる決意をしたのだ。
 念仏者になるならないは別として、そう思えるような大人にぼくも、
「あ。佳子ちゃんだな」
 二階からとどく笑い声が、いつにも増して明るい。
 小学校の転入が決まってよっぽど嬉しいんだろう。髪をカットしたのも。
 転入の手続きといい、ランドセルなど必要なものを書き出してささっと買い揃える行動力といい、美夏子さんにはほんとうに驚かされる。料理はばつぐんに美味しくてメニュー豊富で手早いし、勉強ではもの静かなのに熱心。そして、美夏子さんはいつも何かに感謝している人。シュウヤにはそんなふうに映った。
 でも、一緒に暮らすようになって一
間。初めて会ってからは明日で、一か月経つというのにわからないことばかりだと思う。
 元々口数は多くはなさそうだけど、入院している時はすすんで話をしてくれたのに、今は目が合っても笑みを浮かべるくらい。佳子ちゃんが学校に通うようになったら、ますます無口にならないか心配だ。
 そういうぼくも 「最近大人しくなったんじゃない?」 って信恵さんに言われるけれど、信恵さんは最近ではなく 「美夏子さんがきてから」 って言いたかったのかもしれないな。
 信恵さんもお坊さんになれば変わるだろうし、佳子ちゃんは友だちができて活発になるに違いない。変わらないのは、ようどうさんとホトだけか。
 ぼくはこれからどうなるんだろう。どうすればいいのだろう。いくら自分に問うても答えが出ない。
 そう言えば……「美夏子さん、カレンダー嫌いなんですって。」
 信恵さんの言葉も気になる。
 嫌いだからって外すことないんだ。
 何でだろうばっかりだ。


 
   (12)思い出が


 うれしかった。
「自転車の乗りかたを教えてくださらない?」
 寺子の授業以外で美夏子さんから声を掛けられたのは、久しぶりだった。
 佳子ちゃんはようどうさんに自転車を買ってもらった。四日後の月曜日から行く信恵さんも通った、東天馬小学校に通学するために。教科書を貸してもらった小学校だ。
 以前住んでいたという、福島県東部の浜通りにある町では、子供用の補助輪つきのに乗っていたらしいが、補助輪のないギヤ―つきの自転車に乗るのは初めてだという。
 佳子ちゃんには少し大きめの自転車は、少し大人っぽく見える福島の空みたいな青いママチャリ系。小学三年生にしてはませた佳子ちゃんに合っていると思うし、中学生になっても乗ることを考えて、自分で選んだというから佳子ちゃんらしい。
 佳子ちゃんは勉強と同じように運動神経も抜群で、ぼくがというより、大型バイクの免許を持っているどうさんの教え方が良かった。正味一時間で何なく乗りこなしてしまった。
「じゃあ午後の授業はサイクリングにしよっか。お寺のとわたしのと兄のがあるから。シュウヤくん好きなのを選んで」
「じゃあ一台あまるでしょう? お母さんもいっしょがいい」
「……美夏子さんも?」
 いっしょがいいに決まっている。
「いいよね、シュウ兄ちゃん」
「うん」 崇兄ちゃん、いい響きだ。少しくすぐったいけど。
「でも寒いわよ。風邪でも引いたら大変だから」
「あったかだし、あたたかくすれば大丈夫だから」
「行くか行かないか訊いてみればいいよ」
「……そうねえ」
 結局美夏子さんは 「寒さにはなれっこ」 と快諾して、午前の残りの時間は、佳子ちゃんの大事な家族になる自転車の手入れの仕方を、おぼえる時間にあてることになった。
 サドルの高さの調整に、空気の入れ方と空気圧の目安。それに佳子ちゃんのは内装ギヤ―だから必要ないけど、ギヤ―にオイルを注すのをぼくが載る自転車 (善行さんの) で覚えてもらい、構造の話まで。充実した時間を過ごせたと満足してくつろいでいた時、ふと思った。母さんが口すっぱく 「ものは大切にしなさい」 と言っていたのは、天馬で生まれ育ったせいかもしれないと。
 スーパ―で買い物かごを手荒く扱ったぼくは、おおぜい人がいる前でひどく叱られた。 「人のものも自分のものも同じように大事にできない人は人の心も大切にできなくなるのっ、人を思いやることができなくなるのよ!」 って別人みたいに。顔をまっ赤にして。だから、きっとそうだ。
 お昼のお斎をすませたいま。ようどうさんにその事を話すと。
「その昔、禅宗の師が 『天地同根』 というお言葉を残されてね。天も地にあるものも同じ根から生じるという意味だが、さらに 『万物一体』、 つまり自分を含めたすべてのものが一体であるという考えだが、お母さんは区別することの恐ろしさやはかなさをよくご理解されているようだね」
 考えてみると、父さんも自動車と同じように自転車の手入れを怠らなかった。母さんも父さんも価値の有る無しでなく価値観を、ようどうさんの言うように万物一体を大切にしているのかもしれない。――お父さんもサイ、クリン行く、行きますう~?
 信恵さんだ。ようどうさんと顔を見合わせ、つい笑ってしまう。歯ブラシをくわえながらしゃべっているのだ。
「私は挨拶回りがあるから、三人で楽しんでおいで。雪が残っているところもあるから、気をつけて行くんだよ」
 ほどほどの忙しさが、お母さんを亡くした悲しみをいやす治療になるのだろう。落ち込んでいた信恵さんはもういない。ようどうさんのつつみこむようなような笑顔が 「もう心配いらないな。」 そんな思いを物語っていた。

 山道に抜ける滅多に来ない墓地の外れだ。
「凄いでしょう」
「すごーい。お空に向かってまっすぐ伸びてるう」
「立派な杉です」
 見上げているのが億劫になるほど丈高いスギの木は、樹齢200年とも300年ともと言われていて、周囲の杉を植林するきっかけを作ったスギなのだという。
「ご神木とも、閑雅(かんが)杉とも呼ばれているのよ」
「カンガって? どういう意味なの」 シュウヤは訊いた。
「趣があるとか風流とか、そういうこと」
 誰がつけたのかは分からないが、誰もがそう感じるであろう(たたず)まいだ。
「ここから舛山地区よ。権現坂と言って、ちょっとした天馬の名所なの」 
 そう権現坂だ。車よりも馬がゆったり歩くほうが似合いそうな、時代劇に出て来そうななだらかな山坂道だ。あと五か月もするとミンミン、ジージー、ツクツクツク……冷たい土の胎内にいるセミたちの大合唱が疎林をつつむ。
「動物たちに見られているよう」
 美夏子の前、信恵の後ろを走る佳子が言った。木々にはね返る声が明るい。
「佳子ちゃーん、リスさんがいるかもしれないわよお」
「えっ、リスさんいるのお!? 見たことあるう?」
「わたしはないけど、見たっていう人が何人もいるのお。きっと木の上のお母さんリスがね、子どものリスに 『同い年くらいのかわいらしい女の子がきたわよ。』 って教えてあげているわよ」
 少しだけ勾配がきつくなった気がする。気がする程度の坂の周囲に雪はない。凍結の心配もなさそうだ。
「無理しないで歩こっか。瓢池につくまでにヘトヘトじゃつまらないから」
「ひさご池? ひょうたん池に行くんじゃないの」
「ああ。ひょうたん池って呼ぶ人もいるわね。ほんとうは瓢池っていうのよ」
 止まるのも忘れて先頭を行く信恵さんの話では、ひさごは朝顔やヒョウタンや冬瓜(とうがん)などの総称をいい、ヒョウタンそのものを呼ぶこともあるらしい。だからじっちゃんが教えてくれたとおり、ぼくはひょうたん池でとおそうと思う。
「このへんはね、桃源郷って呼ばれているのお。すばらしい別天地という意味」
 わざわざざ遠回りするような道をつくらなくてもいいのに、と思った桃源郷はその昔、 「天駆ける馬を見た場所」 という伝説が残る天馬村の名前の由来になった場所だという。
「止まってくださらない」
「どうしたの!? 何かあったの美夏子さん!」
 信恵さんが自転車を止め後ろを振り返る。なぜか慌てた様子だ。
「そうではなくて。耳を澄ましてみて」
 ………
「きれいな声え」
「ほんとうね。きっとお母さん鳥よ。そっくりだもん、佳子ちゃんのお母さんの声に」
 フルートみたいなやさしい声が近くで聞こえる。イノシシや猿も耳を澄まして聞きほれているだろうとシュウヤは思う。
 ふと思った。同じアブラゼミでもミンミンゼミでも、個体によってその声は違うのではないかと。スズメやハトやシジュウカラが異なるように。
 葉を落としたブナと、クヌギの林のトンネルに入ると。
「この辺はね、季節の野菜の宝庫よお」
「キノコもあるう?」
「きのこは秋ね。マイタケやハツタケいろんなのが取れるわ。春先はゼンマイにワラビ、それにタラの芽がいっぱい」
 残雪をかき分けて芽を出すそれらの植物は苦もなく摘めるだろう。だが、生命力はとても敵わないとシュウヤは思う。
「ゼンマイは煮物にしましょう。タラの芽はどうしますか?」
 美夏子が言うのと同時に、林に陽光が差し込んだ。
「天ぷら! ここのタラの芽はね、舌がとろけそうなくらい美味しいんだから」
「春になったら摘みに来て、美味しくいただきましょう」
「わあーい」
 春の話題に心があたたまる。
「信恵さん、フキもあるでしょう?」
「もちろんあるわ」
「マカヨは味噌和え!」
「マカヨって、フキのこと?」
「そーお」
「北海道ではマカヨといいます。馴染んだ言葉はなかなか抜けないもので、一緒くたに覚えてしまったんです」
「お母さんのマカヨの和え物、とってもおいしいよお。摘むときも食べるときもね、よし子、ちゃんとありがとうを言うの」
「えらいのねえ、佳子ちゃん。春が待ち遠しいわね」
 会話が弾む。だからぼくも、
「ニンニクは入れないでよお」
「入れるから美味しくなるの!」
 裸の林を抜けると、
(しず)守の森よ」
 静ひつが保たれているような鎮守の森は、人間の力を超えた何かに守られ、収められているようだ。
 ここからは、真夏でもひんやりする道がつづくんだ。鎮守の森をぬければ、お正月だけはにぎわうという割と大きな神社があって、境内の隅の方には、じっちゃんと手をつなぎ合おうとしてもとどかなかった太い幹のケヤキがあり、その脇を抜け幾らもしないで 「ぼくらの展望台」。 じっちゃんと見た思い出の場所に着く。
 山側から川向うに架かるたよりのない吊り橋が懐かしい。対岸の斜面には、川を跨ぐような恰好で木がせり出していて、中央のやや右側からはるか遠くまで盆地が広がり、左側の低めの山には段々畑と小屋がある。北西の峰の奥に目をやれば、景色を守るような、ぼくとじっちゃんの名峰大志山がそびえる。心に刻まれたじっちゃんと見た風景が……。
 
 シュウヤ。冨嶽三十六景を知っとるか。富士の山が見える風景を描いた葛飾北斎の版画での。実際は四十六景じゃが、ここからの眺めは見てのとおり。北斎も唸るほどの絶景じゃ。山頂には磐座として崇められている、それはそれは大きな岩が、
「ちょっと待って!」
 信恵が叫ぶ。
「うそ、どういうことよ!?」
 シュウヤは信恵の隣にならんだ。
「えっ!」
 言葉が出ない。森が不自然に開け、四十七番目の景色が見える展望台に通じるはずの、道がない。いや見えない。家のカーポートの伸縮門扉とは目的も材質も高さもまるで違う、銀色のアコーディオン型のゲートが行く手を阻む。部外者を立ち入らさせない目的の鋼鉄製のバリケードだ。いや。まるで鋼鉄を組み合わせた矢来だ。ゲートの向こうの鎌首を下ろしたパワーショベルが、汚名を着せられ処刑を待つ罪人に見える。
「ほかにないの信恵さん! 池に、ひょうたん池に行く道ないの!」
「……」
「ねえってば!」
「無い! 榎木神社も瓢池に行く道も無い!」
「ひどい……」
 展望台もじっちゃんと見た風景もじっちゃん家の裏の竹林も、ひょうたん池に注ぎ込む清流もスイカを冷やした沢も無くなった!? 土の中のアリがミミズが、地上にこがれるセミたちが……。
 多くの命と運命をうばっていったい、
「何をしたいんだよお!」
 シュウヤは絶叫した。
 天馬村には似合わなぬ景色を隠すように、雪が舞いはじめた。
 



   (13)変化
 

 朝夕の勤行に信恵さんが出るようになった。だから寺子屋ではぼくにとっては先生であり、勤行の時間は同じ生徒ということになる。
 結局法名のことは、 「女性という立場を捨てて一人間として仏門に入るというのなら、 “花” の字はかえって女性を連想させるのでは?」 という庸道さんと、 「迦はお釈迦様と同じだからぜったいに嫌だ」 と言い張る信恵さんの双方が折れて、左のしんにょうを取った加、 「釈恵加さん」 で収まったらしい。ちなみに “か” にこだわる理由は響きがいいからだそうで、花のつぎに信恵さんがつけたかったのが佳子ちゃんの 「佳」 の字だったんだそう。
「恵加さん」 は目つきからして変わった。お寺を訪れるのは真宗や仏教や無宗教の人だけとは限らず、葬儀などの参列者にはキリスト教を信仰する方もいるからと。毎夜遅くまで宗教のことのみならず、はば広く勉強をしているという話だ。家事の一切を任せてほしいという美夏子さんの申し出がうれしくて、いっそうがんばっているんだとぼくは思う。
 だからぼくも。お風呂の時間を遅らせて机に向かうことにした。恵加さんを見習って。
 シュウヤは恵加とともに初めて聞いた、庸道の法話を想起する。
「十方衆生と言い、仏教徒は人間が特別とは考えない。因って両親、身内、仲間という狭い世界で物事を推しはかることはしない。生きとし生けるものすべてを等しく尊重しつつ、敬う心を成長させるのが教えの根本と言えよう」
 話し方も顔つきも変わった庸道の法話を思いつつノートを開く。

「十方」とは。
 東西南北の四方に、東南、西南、西北、東北の四方を加えた 「八方 」に、上下を加えた方角のこと。
「衆生」とは。
 生きとし生けるもの。すべての生き物のこと。
「十方衆生」 とは、すべての生き物はみな等しい存在とする考え。
 
「南無阿弥陀仏。この六文字の念仏を唱え、阿弥陀仏の本願にすべてをゆだねれば、阿弥陀さまは救いのためにはたらいてくださる。わかるかい? 崇哉君。恵加も」
「はい」
「わかるような気はするんだけど……南無阿弥陀仏の、南無って何なの?」

「南無」 とは。
 どうぞよろしくお願いしますの意味。
 南無阿弥陀仏は 「阿弥陀さま、どうぞよろしくお願いいたします。」 を意味するお念仏。
 信恵さんは阿弥陀さまに身も心もゆだねる決意をして、釈恵加さんになったのだ。
 恵加さんと居る時間が増えた一方、佳子ちゃんと過ごす時間は当然減った。佳子ちゃんはもう学校に慣れたようで、昨日は友だち二人を連れてきて、なわとびをしたり、かくれんぼをしたり、お寺を案内したり、ホトといっしょに散歩をしてみたり……
 
 ♪ 大空かけてゆく~ 
   若こーまーとー

  よっちゃん。はじめのね、 「おおぞら」 のところだけど。
  イチ、ニ、サン、 “うん!” で、 「おーぞら」 って始まるんだよ。
そうなんだあ。でもね、まりちゃん。 “ハイ” じゃだめ? ウンのところ。
  さん、 「ハイ!」 って言うから、ハイのほうがいいかもしれないね。
うふふふ、よっちゃんって、おもしろいね。
まりちゃんも、のり子ちゃんも、
  楽しいね!

 〽 大空かけてゆく 若駒と
   東にのぼる日に 心はずませ 
   にこやかに友と 肩をならべて
   かけがえのない日を 生きて行こうよ
   どんな時にでも 手を取りあって ♪

 小学校の校歌を歌ったりと、にぎやかに遊んでいた。
 明るくて人懐っこい佳子ちゃんの性格はもちろんだけど、人も環境もやさしい天馬でなければ、たった五日間でこうは行かなかったと思う。
 佳子ちゃんは新生活を楽しんでいるだけでなく、今まで以上によくがんばっている。寒風のなか自転車で20分かけて学校に通い、帰ってきてからは今までどおり。お斎づくりの手伝いはかかさないし、夕食の片づいた庫裡で美夏子さんに勉強を教わったりと、頑張りすぎじゃないかと心配になるくらいよくがんばっている。
 ぼくの生活もだいぶ変わった。自習の時間が長くなり退屈していたところに、美夏子さんが先生になってくれて、充実した時間を過ごしている。
 ――学習と学問の違いはわかりますか。勉強で大切なのは 「どうしてかな」、 「何でだろうな」 と、自分にくり返し問いかけることですよ。それに簡単に思える問題こそ、より理解を深めようとする気持です。

 ・学習とは。学び習うこと。
 ・学問とは。学び習ったことを、知識として習得すること。
 ※大切なのは自問。勉強に向き合う姿勢。心がまえ。

 RとLの発音の違いですか? 比較をすればいいんです。
(それくらいは分かってる、って顔をしていたんだろうな……)
 リアリィという英単語は習いましたか。驚きや感嘆を表現する言葉として海外ではよく使われますから、しっかりおぼえましょうね。発音してみて。
「リアリィ」……崇哉さんの発音は、RもLも同じように聞こえますね。私の場合は――。違いますでしょう? ハイもう一度。 「really」……その発音であれば、外国の方も違和感なく聞き取れるでしょう。他にも、Excuse meと、excuse me。このように、語尾の上げ下げで意味が変わる語句などもありますから、英会話ラジオを聴く習慣を身につけるとより早く覚えられると思いますよ――。
 こんなふうに丁寧に教えてくれる。
 美夏子さんが言うように 「自分だったら英語でどう答えるか」 を考えながら聞くようにしてからは、ラジオをつけっぱなしで寝ちゃうことがあるくらい英語が身近に感じられるようになり、寺子の勉強いがいでも、
「どうして一ドル110円から113円に上がっているのに、円安(えんやす)なんだろう」
 テレビを見ていてそうつぶやくと。
数値(すうち)を大きくして考えてみましょうか」
 美夏子さんはメモ用紙を長方形に折りたたんで、中央に 「一ドル」 と鉛筆で書いて説明してくれた。
「この一ドルの紙を100円はらって買うのと、10,000円はらって買うのとでは、どちらが一ドルの価値が高いと思いますか」
「一万円。百円なら小銭入れのお金で買えるけど、一万円はそうはいかないもん」
「そうですね。円の数値が大きくなればなるほど、ドルの価値は上がっていき、逆に円の価値は下がっていく。この変化を “円安がすすむ” と言うんですよ」
「数字が大きくなると円の価値が下がって、円安になるのかあ。じゃあ、円の数字が小さくなるほどドルの価値は下がっていって、円の価値が上がっていくから円高(えんだか)になるんだ。価値で考えればいいんだね」
「そういうことです。少し難しいお話になりますけど、円安がすすむと、同じ数の商品を同じように輸入しようとしてもより多くのお金が必要になり、円高がすすめば少ないお金で輸入できるいっぽう、相手の国は輸入しづらくなるので、」
「ひかえるんだ、輸入するのを。よけいにお金が掛かるから。買い控えだ」
「そのとおりです。では、円高の状態を相手の側のドルで言うと?」
「ドル安だあ!」
「そうドル安、円高の状態です。ドル安があまりにすすんで相手の国が輸入を減らしてしまうと、輸出で得られる利益が下がることがあやぶまれる――」
 少し難しい言葉もあるけど、ぼくがわかるように話してくれる。
 そう。美夏子さんはあの北大に一発合格した超秀才で、しかも塾に通ったことがないというから驚きだ。教え方も、 「人にわかりやすく教えられるようになってこそ、勉強する価値はある。」 と塾の先生がくり返し話していたとおり。美夏子さんなら塾でも学校でも人気ナンバーワンの先生になること間違いナシだ。
「…………」
 伊作おじいさんがいるようだから、そろそろ行かないと――。
「赤べこ太郎をダルマみてえにだあ?」 
「丸っこければいいんです。当選したら ”目を入れる” ので、目ん玉は白で大きめ。伊作さんなら朝メシ前でしょう?」
「お前のために作ってるわけじゃねえんだよ、こっちは。それにかたちを変えたらべこ太郎じゃなくなっちまうじゃねえか」
 お寺で販売し始めた “赤べこ太郎” は、道の駅にせまる売れ行きで、善行さんが選挙のイメージキャラクターに採用したことで人気は急上昇、作業場をお寺の倉庫に移設しないと立ち行かないほど忙しいのだ。
 なので、夜遅くまで伊作おじいさんがいるのは珍しくはないんだけれど。
「べこもーもだよ。福べこもーも」
「おうシュウヤか。そうそう福べこもーもだったな。始めるか」
「うん」
「名前のことはいいですから。僕の当選は伊作さんに懸かっているんです、お願いしますよお」
「よかねえよ。シュウヤがよっく考えて改名した名前だぞ。本家からクレームが来ねえようにとか、オスメスの区別がないほうがいいとか、寺で売るのに相応しい福島をアピールできるような名前えはないかとか、いろいろ考えてよ。シュウヤを見習って政策でも練ってろ。お前の道楽なんかにつき合ってられっか」
 製作から販売までを一人でこなすだけでも大変なのに、善行さんが当選したら伊作おじいさんはてんやわんや。と考えたぼくは、 「粗削りを教わりたい」 と願い出て 「OK」 をもらったばかりの修行中の身。恵加さんと同じ。だから集中してやらないと。
「じゃあ形は今のままで体と目だけデカく。一個だけでいいんですから」
「しつこいやつだな。もともとダルマってのは禅宗の始祖の達磨大師のことをいうんだ。目を入れたり入れなかったり言ってっと、バチがあたるぞ。オレゃごめんだね。おっ、さすがは玄さんの孫だけある。筋がいいや」
 シュウヤは電気ケトルのような形になるまで削った丸木をグラインダーに押し当てて、伊作が成形しやすい形になるよう工夫する。成形の次の工程、絵づけの前の 「下塗り」 を任せてもらえるくらいになりたかった。と、
「ねえ、どういうこと!?」
 血相を変えた恵加が駆け込んできて、
「山を切り崩して何をするつもりなの!」
 善行に詰め寄った。
「ウチにくる気になったか。何なら日程決めて面接してやっても、」
「質問に答えて! 鎮守の森をめちゃくちゃにしてどうしようって言うのよ!」
 さらに声を荒げる恵加を避けるように善行は視線をはずし、
「あれのことな」
 ボソッとつぶやく。何からどのように話していいかを考えているのが、シュウヤにもわかった。
「地層の調査だ」
「地層って、森を掘り返すのと地層と何の関係があるっていうのよ!」
「どういうことだ善行、詳しく話してみろ。恵加、お前は少しだまってれ」
 伊作のことばに応じるようにシュウヤがグラインダーのスイッチを落とすと、善行は口を開いた。 「お鎮守の東側の延原(のべばら)盆地。あそこの地下深くに坑道を掘って、放射性廃棄物の最終処分場に適した地層かを、」
「放射性廃棄物?! 処分場ってまさか、坑道って何言ってるの!」
「恵加っ」
 善行はため息を吐きあらためて、
「延原の地層が、原発ゴミを処分するのに適当かを調査研究する話がある。その拠点となる施設をお鎮守の一画に建てる計画がある」
 簡略的に計画を打ち明けた。 
「原発ゴミって、核のゴミが天馬に?!」
 みんな固まってしまった。何の話をしているのかシュウヤは理解できなかったが、風光明媚な景勝を掘り返すショベルカー、鋼鉄製の工事用のアコーディオン門扉、用地の隅に建てられたプレハブ小屋、シュウヤらが来るのに合わせたように舞い始めた雪……。凸凹の赤い大地があっという間に白く薄化粧していく光景は目に焼きついている。
「計画と言ったな。計画なんだな善行」
 わなわなと口を震わせていた伊作が、落ち着いた口調で訊く。恵加を興奮させないように。
「木が切り倒されて土地が削りとられて榎木神社も瓢池につづく道も無くなって、もう実行されているじゃない!」
「落ち着かないか恵加。まだ計画段階で決定したわけでは、」
「あんなにめちゃくちゃにしておいて何が計画よ!}
「何を騒いでいるんだい? 本堂まで聞こえるよ」
 庸道がきて引き戸を跨ぐ。
「鎮守の森を更地にして、原発ゴミの研究所を建てるそうだ」
 伊作は 「原発ゴミ」 を強調して言った。
「無くなっちゃうの、もう無いの! 森も神社も大ケヤキも何もかもお!」
「榎木神社は残る、立ち入り制限しているだけだ。用地はケヤキを迂回した向こう、安心しろ」
「安心なんて出来るわけないじゃない!」
「落ち着かないか信恵。善行、私は何も聞いていないぞ。原発ゴミとは何だ、研究とはどういうことだっ」
 慌てる庸道をシュウヤは初めて見た。



   (14)天馬とぼくらの未来のことを


 みんな庸道さんの慌てる姿を見たことがなかったんだと思う。恵加さんも。善行さんも。伊作おじいさんも。誰も。
 満月に近い月が磨かれたようにきれいで、ほうぼうに散りばめられた月の恒星みたいな星たちは、存在を主張するかのようにチカチカまたたく。オリオン座の西、遠い空にぽつんとあるのが天馬の星だ。きっと距離が縮まれば縮まるほど、宝石みたいに輝いて見えるに違いない。

 原発の使用済み核燃料から出たいわゆる核のゴミ、高レベル放射性廃棄物を埋設処分できるか、地質調査や研究をしようとしているんだ。延原盆地の地下4、500mの地層を掘りかえして。あの辺りは国有地や休耕地が多いだろう? 用地の接収でごたつくことはないだろうし、比較的硬い岩盤だから。その拠点となる深地層(しんちそう)研究施設の “本丸”を鎮守の森の一画に建てる計画……。

 いつまでだんまりがつづくのだろう。グラインダーのスイッチを入れるか、切ったままのほうがいいのか、迷ったシュウヤはほうきを手にとり、木くずを掃き集め始めた。堆肥やビニールハウスの吸湿保温に利用する農家に、分けるためのものである。
「問題は調査研究で終わらない可能性があることだ」
「そんな計画があることじたいが問題、まさか……核のゴミ処理場をそのまま造ろうっていうの!?」
「町の議員連中は適、不適に関わらず、最終処分場として使用しない盟約すらしようとしない……」 着工に突き進もうとしているとしか善行には思えなかった。
「何を考えているのかさっぱり分からん」
 福島第一原発事故後、警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域の何れにも該当しなかった天馬村、窪谷町だが、放射性廃棄物の危険性は皆十分理解している。
「窪谷との町村合併はよ。天馬の土地を利用して、ひと儲けするために実現させたようなもんでねえか。天馬モンはどうなってもかまわんのかいよ」 誰へとなく伊作が言う。
 ふたたび作業場がかん黙で守られる。輝きがくすもうとしている天馬の未来のことを、ひとりひとりが真剣に考えている。息づかいが届きそうな静寂だ。
「原発を廃炉(はいろ)にしたかわりに核のゴミを与かれって言うの? どうして福島ばっかりいじめるの。なんで止めてくれなかったのよ……」
 過疎化対策、雇用創出、地場産業の活性のほか、青森県に押しつけてばかりはいられない正義漢もあるかもしれない。将来世代に対する責任感も……。 
「何かと都合がええんじゃろ。原発冷やす海はあるし、ゴミ処理場を作る土地は有り余るほどある。文句を言う住民は少ないしのお」
「何でもかんでも地方にばかり押しつけて、あんまりだよ」
 悔しそうに恵加がつぶやく。
 神奈川にだって海はある。東京にも。海を埋め立てた広大な土地もある。
「住民投票で白紙にできないか? できるだろう」
 天馬を守る思いは皆同じだと、信じて疑わない庸道に、
「町組の議員に妨害されて、住民投票自体とん挫するのが関の山さ。仮に投票に持ち込めたとしても、町組議員の口利きで票なんかどうにでもひっくり返る。それが片田舎の政治の実態だよ、親父」
 善行は現実を突き付けた。
「天馬モンが団結したところで勝ち目なしか。愚の骨頂の極みじゃの」
「彼らにしてみればフツウなんです。要するに罪悪感がないんですよ、伊作さん」
「もしかしたら善行お前え、計画を中止させるために衆議院選に出る気になったんでねえか」
 伊作の言葉に恵加はハッとする。
「そうなのか」
 庸道も聞かされていないのだ。
「計画の話が持ち上がって、いろんな連中と話をしたり聴いたりして、原発のことを調べて行くうちにね。これは天馬や窪谷や福島だけの問題ではないし、解決したらそれでいいという話でもない、国や人類というレベルを超越した地球に存在する生態系の根幹に関わる問題、いや地球の寿命を左右する大問題だと思うようになった。火山断層活動の影響、複雑な地層構造、豊富な地下水とその移動、放射線が自然界のウラン鉱石と同レベルまで下がる 『千世紀』 という途方もない歳月を考えたとき調査どころか、絶対的な過ちを国は、人類は、犯してきたことに気づいたんだ。
 そうは言っても、地方議員がやれることは高が知れている。限界がある。国は核のゴミが溜まりつづけることなどお構いなしに、福島第一の原発事故など無かったことのように、再稼働(さいかどう)(かじ)を切った。しかも建設中の原発を中止するどころか申請申請申請申請申請、ぐずぐずしてたら許可が下りて日本中の原発が稼働しちまう。だから国政に打って出るしかない、このタイミングしかないと思った。僕が国会議員になったところで、原子力政策を180度転換させるのが容易でないくらいのことは分かってるつもりさ。でもね、考えを一とする世界中の仲間が団結すれば、世界は動き日本は変わる、日本人は変わろうとするかもしれない。と信じたくて……それでね」
「お前え、そこまで考えとったんか」
 目を膨らませて伊作は言い、並々ならぬ善行の決意に、庸道が少しだけ口角を上げた。
「でも重機が何台もあって、山が削られていたわ」
 子どものような顔で言う恵加に。
「あれは整地だ。整地と言っても施設を建てるためじゃない。止められなかったのは力不足だと思うし、反省してるし悔しいが、 “地ならし” しているようなもん。計画がデカくなればなるほどご利益に与かろうと 『取りあえず』 に食いつくヤツが登場するもんなんだよ、何ができようが何を建てようが金さえ入ればいいって奴らが」
 善行は怒りをにじませる。
「ならば善行。計画が頓挫した場合だ、商業施設なりレジャー施設なりの計画が持ち上がることも考えられるだろう」
 眉間に縦じわをよせる庸道に、
「斜に逃れる、あり得るな。町民が賛成するような計画にすり替えるに決まっとる」 伊作が同調する。
「対案を用意します。直にまとまります。計画中止の狼煙をあげると同時に説明会を開きます。桃源郷や鎮守の森一帯を町民はもちろん、県民に受け入れられるような景勝地にするんです。自然を生かした季節ごとに訪ねたくなるような、東北を代表する憩いの場所にね」
「壮大な計画でねえか」
「でも、説明会より意見交換会のほうがいいと思う。住民の意見も取り入れないと」
「んだな。町民に愛される景勝地でねえと。切り拓かれた森にも申しわけねえ。ええこと言うな、恵加」
「景勝地はいいが箱モノはいかんぞ、箱モノは」
「もちろんだよ親父。お袋が喜ぶような景勝地にするつもりだよ」
「お兄ちゃん……」
 恵加が声を震わす。母妙子と約束するような言い方であり、焦がれるような顔つきだった。
「妙ちゃんが喜ぶようなモンなら間違いねえ。福島への移住者も増えっかもしれんぞ、帰ってくる者ものお」
 ――わあ。お星さまがたくさんふってるう。
 佳子の声だ。ホトを寝かせる前の散歩にきたのだ。
「ほんとうね。きれいなノチゥねえ」
 石づくりのぬれ縁の前で立ち止まった二人に、
「からだ、大事にのお」
 伊作はやさしく声を掛ける。
 星は流れのとちゅうで消えていく。庸道さんはたしか、
 ――三界と言ってね。慾界・色界・無色界のことを言うが、人間はもとより生きとし生けるものは、この三つの迷いの世界を生き変わり、死に変わりして、輪廻している。
 って話していたけど……星は、生まれ変わらないのだろうか。
 消えてなくなったら、なくなったままなのかな。
 どうなんだろう……。
 ホトに迷いはあるのかな。
 美夏子さんは、どうなんだろう。
 美夏子さんはどうしていつもマフラーをしているんだろう。
 寺子でも。掃除や料理や、お斎のときも。
 何でだろうと思うことばかりだ。
 シュウヤは形になってきた、福べこもーもを手に取った。
「やるか、シュウヤ」
 伊作がグラインダーのスイッチを入れた。



   (15)ラララあふれる天馬だから


 鐘楼と呼ばれる鐘つき堂で夕陽を見るのが習慣になったシュウヤは、茜を帯びた西の空を見ながらつくづく思った。 (天馬の人って、みんないい人だな。)
 シュウヤは恵加の話を想起する。昨夕の勤行直後の会話だ。
 天馬の人って、どうしていい人ばかりなの? 
 そう? そうね。そうねえ……。きっと天馬の自然と共生しているからよ。
 自然と共生かあ。
 わかる?
 ような気がする。
 気がすれば十分。
 だからみんな施設のことで、あんなに怒ったんだ。
 就寝前に開いた辞書には……。

 ・共生とは。
  互いに害を及ぼさずに、いっしょに生活すること。
 
 そんなふうに書かれていたっけ。
 自然を大事にすることがあたり前と思えなければ共生なんて出来はしない。というよりも、天馬の人は自然を大事にするのと同じように、人にやさしくするのが自然なことなのだ。
 美夏子さんはどうだろう。美夏子さんって分からないことばかりだけど、天馬の人たちと同じようにやさしい。ずっと天馬にいる、天馬の人みたいだ。それだけは分かるんだけど……。
「撞いてみるかい」
 庸道が柔和な顔で声を掛ける。五時にはまだ時間はあるから三、四十分ここにいることになる。
「いいのかな、ぼくなんかが突いても」
「いいとも。いい音を出そうとすれば、いい音が出るとは限らないからね。遠慮しないで。さあ」
 よく分からないアドバイス。要するに力まかせじゃダメだってことだろう。
 シュウヤは手渡された引き綱をしっかりにぎって、息を吸い込みながら撞木(しゅもく)をからだの後ろにもっていき、
(けっこうな重みだな。)
 息を吐きつつ梵鐘めがけて、
 ,,ゴーゥ~ムムム、、、オ~ン、、、、、、

「今度は私の番」
 綱のにぎり方や構えからして違うな。
「いいかい。いくよお」
 目つきも。心がまえが違うのだ。
「ほっ、ふむっ」
 〽 ゴオーン…ウォーン……ゥォーン…ンォーン……

「深みが違うだろう? 崇哉君と」
「 ”ラ”の音だ。ちょっと低いかな。ぼくのは音になってないや」
「そんなことはないさ、いい音だったと思うよ。それにしても、音階を言いあてたのは君が初めてだ。大したものだ」
「ピアノ習ってたから。ちょっとだけだけど」
 庸道はいざなうように手すりの隅まで行くと、
「二河白道の話を覚えているかな」
 遠くを見て言った。
「行く手をはばむ火と水の河の間にある、一本の白い道を……」
「うむ」
「お釈迦さまと阿弥陀さまの声にしたがって歩むっていう……」
 庸道は満足そうに頷いて。
「二河白道の譬えを説いた善導(ぜんどう)大師は、心を一点に集中し、西に沈む夕日を思い描く観法(かんほう)をお勧めになられてね。要は、沈みゆく夕日をイメージせよということだが、私は実際に眺めもする。空が暮色にそまった日などはことのほか集中し、イメージできるんだ」
 西の空の夕日はずいぶん傾いていた。
 夕日といえば、塾に間に合うか焦ってバタバタしたシーンくらいしか思い浮かばなかったシュウヤだがいまは違う。
「勧めるには理由がある。一つ、心を一点に集中することができるため。二つ、自分の罪を認識し省みることができるため。三つ、西方にある極楽浄土を思い浮かべることができるため。少し難しかったか」
 言い終えた庸道が照笑する。
「極楽浄土のことは分からないから浮かばないけど、他はだいたい、何となくは」
「お浄土のことは追って話すとして」
 庸道は目を閉じて、
「私はね。日の終わりを迎えるにあたって、我を省み、希望を見い出すためと思っていてね」
 心の中でそうしてみせる。
「反省が希望につながるのかあ」
「そういう事だね」
 庸道にならいシュウヤも目を閉じる。
 しばらく二人でそうしていると、
「時報や赤ん坊の産声も、ラ。知っているかい」
 庸道は言った。知らなかっただろう? そんな言い方だ。
「うぶ声も!?」
 赤ちゃんのことはよく分からないけど、莞恩寺にきてから聞き始めたラジオの時報は……言われてみればラだ。それと恵加さんのハミングもラ。いつもラララ♪
「今日お母さんから電話があったよ。近く見えるそうだ」
「えっ」
 らららに合わせて奏でるピアノが谷底ふかく転げ落ちる――
「そう……」
 シュウヤに天馬を離れる気持はなかった。玄造のことが気にかかる。僧侶になる決意をした恵加や、勤行や説法に全霊をこめる庸道、べこもーもづくりを丁寧に教えるやさしい伊作、美夏子、佳子、善行、寺をたずねる集落のおじいさんやおばあさん。みんなのいない暮らしなど考えられない。
 ――自利利他と言ってね。真に自分のためになることと、他人のためになることが、バランスよく行われることを理想とする考えを言うが、天馬には自利利他が根づいていると私は感じるんだ。人にかぎらず、天馬の衆生すべてにね。
 庸道さんのいうとおりだと思う。
 最近のシュウヤは、後悔しないように生きるにはどうすればいいのか。その事ばかりを考える。自利利他こそ、最近よく聞く共生あるいは共存を言うんだと思う。そんな天馬だからずっといたい、離れることなど考えられないのだ。
「崇哉君のことはもちろんだが、玄造さんのこともひどく気にしておられる」
「じっちゃんは行くたびに母さんの話をします。子どもの頃の話をうれしそうに。母さんが来ればじっちゃん喜びます」
「お母さんも同じさ。生まれたときの崇哉君、幼稚園に入園したときの崇哉君。天馬村で遊びまわる幼い頃の崇哉君。崇哉君のことを考えない日はなかったと思うよ」
「心配かけたのは悪かったと思うけど、面倒ごとを片づけて落ち着きたいだけです、すっきりしたいだけなんです。自分や仕事のためにペースを乱されたくないだけなんです」
「そんなことはないよ」
「そういう人です」
 仕事仕事で話しなんか朝ちょこっとすれば良いほうで、話というより連絡事項の報告と伝達、そんな家はウチくらいのもの。ぼくのことを考える時間なんて母さんにはないんだ。
「親は子どものことがかわいくて心配もするし、考えない日はないんだ。崇哉君のお母さんも、」
「どうしてわかるんです、言い切れるんですか!」
「私がそうだからだよ」


 ちょっと目立ってきたので。
 でも、上着で隠れているから……。
 家でマフラーはおかしいですし、直に暖かくもなりますから、お願いできます?
 それは構いませんけど……。
 長すぎず透けない生地であればいいです。色は恵加さんにおまかせしますわ。
 佳子ちゃんも学校に慣れたようですし、そろそろ真剣に考えないと。
 よくわかっています。
 だったら、
 私考えています。誰よりも真剣に。
 わかりました。ホトを抱っこした時に合う色のを選びますね。
 

 昨日墓地に行き、遠まわりして帰る途中。菜の花が咲きほこるという原っぱで庸道さんは立ち止まり、
「雲雀は、希望昇天の鳥と呼ばれていてね。天を目指して一直線に飛んで行く姿が謂れだそうだが、雪がとけ草木が芽吹き、春の訪れを喜ぶように羽ばたく雲雀を見ると私は思うんだ。天馬の鳥が来てくれたとね」
 中空でさえずるヒバリの姿を思い描くように話してくれた。
 もしぼくが天馬で生まれ育っていたら、まったく違う人生を送っていただろうし、考え方も性格もかわっていたはず。母さんと父さんもそうだと思う。家出なんか考えもしなかったかもしれない、あ。
 そう言えばヒバリの声もラだ。母さんもヒバリの声を聞いて育ったのだ。
 ラララがあふれる天馬は衆生みんなにとっての、
「別天地だもんね。天馬は」
 極楽浄土って、天馬みたいなところなのかもしれない。
「うん? ああ、そのとおりだよ」
 天馬であれば、わだかまり無く会えるだろうか。違う気もちで。違う自分で。
 シュウヤは天駆ける馬を見て見たいとつよく思った。自由に空を飛ぶ天の馬を。



   (16)いつもと違うお斎の団らん


 目ばゆい金と光沢のある黒檀(こくたん)の色が調和のとれた、本堂の内陣 (極楽浄土をあらわすという本尊が納められているところ) を背にして、新鮮な空を南国の海と重ね合わせている時だった。二人が現れたのは。
 とくに咎めもせずに、じっちゃんが老人ホームに居るのを話さなかったことを謝ったり、 「仕事が忙しくて来るのが遅くなった」 と言いわけじみたことを言ったり、知らない仲ではないらしい庸道さんの学生時代の評判を話したりと、話のほとんどが自己中心的で無駄な時間が過ぎるばかりだから、
「ぼくは天馬でほんとうにやりたかったことを見つけたんだ、これからもやっていくんだ、塾やクラスのみんなと先の先を争うような勉強はしたくない、ほんとうの勉強はここでしかできないんだよ!」
 思いをぶちまけていた。
 それでも二人はうなずくだけだから、逃げるように白象のある蔵のほうに走って、墓地に向かう石段に腰をかけ……。
 変わってない。これからも二人は変わらない。もう無理、無理だよ。と、がっくり肩を落としているとき、最後の最後に二人は言った。

 気がすむまでいていいから。
 自分の気持を大切にしなさい。何も心配しないで。

 そんなこと……。どうして今頃になって言うんだ! 一度も言ってくれたことなんかなかったじゃないか! 
 悔しいさと、話してくれたらどうにかなったと思う気もちが入り混じったまま、二人が帰るが時がきた。
 庸道さんと恵加さんに深々と頭を下げる父さんと、うしろ髪を引かれるようにぼくをじっと見ていた母さんの姿を、ぼくは一生忘れないと思う。
 今日じっちゃんのところに行ったら、昨日の帰りがけに二人が来たことをひどく喜んだあと。 「子どもに迷惑をかけるようなヤツは、親とは言えねえな」
 シュンとしてじっちゃんは言い、ぼくも釣られるように、母さんも似た気持でいたのかもしれない。 「子どもに理解されない親は親として認められない」 と思い悩んだのかもしれないと下を向いていたら、じっちゃんは思いがけないことを口にした。
「わしはな。二人のおかげでここに居られるんじゃよ。 『生きていられる』 と言った方が、いいかもしれん」
 笑った顔と真剣な顔と、怒った顔しか知らないぼくは何も言えず訊けなかったけど、 「二人のおかげで生きていられるって、どういうことだろう。」 って。もしかしたら口に出していたのかもしれない、じっちゃんが言ったんだ。
「情けねえよ。ホームに入る費用も。月の家賃も。食い扶持も。娘と婿に出してもらってよ」
 じっちゃんが、おじいさんに見えた。
 そうだったのだ。二年前、母さんが突然働くと言い出しのは、知り合いに誘われたから何かじゃない。じっちゃんのためだ。いや、じっちゃんのためだけでは……
「どうしたの? 考えこんじゃって」
 のぞき込むように恵加は言い、
「川魚は好きじゃありませんか」
 美夏子が不安気な顔を向ける。
「シュウ兄ちゃんつっついてばっかり。好きキライはダメよお」
 みんなの気づかいが嬉しかった。
「ぼくは好き嫌いはないんだ」
「あら。ニンニク好きじゃなかったんじゃない?」
 飽き飽きしているだけだよ。頭の中で言い返して、ウグイの煮つけに箸をのばす。
 と。 (デリシャス!) 上品な甘さとちょっとした香ばしさが口いっぱいに広がりとろける。においも骨もぜんぜん気にならない。
 頭からかぶりつこうとシュウヤが箸を上げると、
「わたし宗教って好きじゃなかったの。子どもの頃から」
 のんびりした語調で恵加は言った。
「お寺の娘さんなのに?」
 美夏子が訊き返す。
「ええ。男の子にお香くさいってからかわれた事もあるんですけど、安らぎや幸福やご利益に与かるために神仏を拝む手段というか、やり方みたいのがおかしいと思って」
 最近の恵加は美夏子に話し掛けることが多くなったと思いつつ、シュウヤは耳を傾けた。
「幸せだと、神仏にすがることもありませんものね。信者ででもなければ」
「あら。父と同じことを言うのね。ねえ、お父さん」
「釈尊もキリストも、宗祖親鸞にしても、みな患難をご縁とされた方でね。宗教は患難に耐える力を与え、希望を見い出し、喜びへとみちびく果実の木のようなもので、信仰により頼まんとする者はその枝と言えよう。枝は根の養分と天道の恵みによって成長し、葉をつけ実を結ぶが、神仏の養分を求めなくとも良しとする方は、満たされているのかもしれないね」
 庸道は柔和な笑みを美夏子に向け。 「いかがですか。勤めにお出になりませんか。朝夕どちらかだけでも」
 勤行に出るよう勧める。と、
「無理に出ることないですからねっ」
「なんだね恵加。その言い方は」
 明らかに尖った言い方だ。出るなと言っているようなものだ。
「庸道さんの話しを聴くようになって、ぼく変わった気がするんだ。勤行に出るのがあたり前になって、もしなくなっちゃったら毎日がつまんないだろうし落ち着かないと思うし、出て損はないって言うか、安らいだ時間を過ごせると思うんだ」
 美夏子をまっすぐ見たままシュウヤは言った。説得するのに夢中ななかで、恵加が選んだ若竹色の生地で作ったスカーフが――ヨイマチグサっていうの。うすい黄色の小さな花がほどよくあしらわれていて可愛いでしょ。美夏子さんの縫い方しだいでもっとお花が生きるわ――少し動くと風に揺られているようで、よく似合っている。
「さっき恵加がご利益ということばを使ったが。仏教におけるご利益とは、神仏から受ける恵みを言い、商いなどで使うリエキとはまったく異なる。むしろ無縁、対極と言っていいかもしれない。崇哉君。勤行や法話で安らぎを覚えることがご利益であり、勤行でもっとも大切なのは、ご利益を与えてくださる神仏に感謝することだよ」
「はい」
 恵みとは。この言葉も辞書で調べた。情けをかけること。情けって? 思いやることをいう。
 どんなに辛くとも苦しくとも、恵みを与えてくださる神仏の思いやりと信じることだよ、崇哉君――。だから感謝なんだ。とシュウヤは思った。
「前々から考えてはいたんです。佳子のことや私自身のことを考えると、信仰をもったほうがいいのではないかと」
 佳子はキョトンとした顔で、
「あたしイエスさまの幼稚園にかよってたの」
 庸道を見上げた。
「ほう。じゃあたくさんお歌を歌って、クリスマスやイースターを祝ったんだね。楽しかったかい?」
 頓着せずに庸道は言う。
「うん。とっても楽しかったあ。イースターではね、たまごに好きな色をぬって、絵を描くの」
 ほう、それは楽しかったね。もうひと月もすればイースターでは…… 
「ところで崇哉さん、」
「さ、ホトが眠いっていうから歯みがきして寝ましょ、ごちそうさま」
 美夏子にみなまで言わせず恵加は食器を手にして席を立つ。シュウヤの心はふたたび玄造に向く――。
「さんざん世話を焼かせておいてよ。いっしょに暮らすだなんて出来っこねえだよ、窪谷に家まで用意したからなんて余計なことまで……」
 ホームの費用や生活費を払っていただけでなく、じっちゃんを引き取って一緒に暮らす!? しかもここ福島で! 
 じっちゃんをそこまで大事に思っているなら庸道さんの言うとおり。二人はぼくが思っているよりぼくのことを考えてくれているのかもしれない。
 じっちゃんといっしょに暮らせば……。
 毎日が楽しくなる。じっちゃんをもっと大事にできる。色んなことを教われる、行李や竹とんぼ作りや、野菜や果物の作り方も。
 母さんは、家にいるように、なるかもしれない。
 ぼくは、学校に行くかも……。もし学校に行くようになったら、学校が楽しい場所になるかもしれない。じっちゃんと母さんがいるウチに帰るのも。
 
 気がすむまでいるといい。
 自分の気持を大切にしなさい。

 もう少し居させて。そんな事しか言えないぼくはバカだ。 「どうして話してくれなかったんだ!」 そんな事にこだわり続けて二人を拒絶してきたぼくは、救いようのない大バカだ。
「はいはい、食べ終わったら持って来てくれないといつまでも片づかないわよ」
 佳子が、
「まだ九時、」 だよお。
 言い終えぬ間に、恵加は背中を向けてた。何かに苛立っているようにしか見えない。
「どうしたんだろう。のぶえお姉ちゃん」
 荒々しく食器を洗う恵加とは対照的に、うつむく美夏子のことがシュウヤは気になった。


 長い夜だ。眠れそうにない。
 目覚ましは……12時前、深夜0時。
 瞼は重くなるのだけど、現実なのか眠りの中にいるのかはっきりしない。
「こんな時は」
 一語も理解できない韓国語放送を流しておけば早く眠れる。シュウヤはラジオに手を伸ばしスイッチを入れ、ダイアルをひねり始めると。
 お母さん!
 救急車早くう!
 車の方が早い、信恵車だ!
(何だろう。夢にしてはハッキリ聞こえる気が……)
 病院に電話して! 
 わかった!
「お母さーん!」
 佳子の絶叫で目が覚めた。
 美夏子さんに何かあったのだ!



   (17)天馬のやさしい花たち


「お母さーんっ!」
 階段を転がり落ちる勢いの恵加に気おされて、シュウヤは見ている事しか出来なかった。
「崇哉君手を貸してくれ!」
 慌てふためく庸道の声が異常事態という事実を突き付ける。が、目も頭も覚めているのに体が動いてくれない。
「シュウ兄ちゃん早くぅ!」
「うん!」
 庸道に抱かれた美夏子の腕が力なく揺れるのを見一瞬ひるむが、階段に足をかけるのと同時に引き戸が開き、
「どいてえ!」
 恵加がシュウヤを押しのけ 「だから言ったのよっ」、 階段を(きし)ませながら口にする。美夏子にではなく、予期していながら招いた結果に対して言っているのだ。
「院長が当直でいるから大丈夫だ!」
 階上で庸道が叫ぶ。
「わかった、佳子ちゃんわたしのバッグと携帯! シュウヤくん! 助手席の背中を倒してドア、」
「開けておくっ」 シュウヤが駆け出す。
 背中で聞こえる悲鳴と怒号と床板を踏む乱暴な音が、歴史で学んだ戦時中の燈火管制下の空襲を想わせた。
「崇哉君!」
 二人の両脇に挟まれた恰好の美夏子の顔が、うす暗くてもわかるほど色を失っている。車の前で茫然(ぼうぜん)自失でいるシュウヤに、
「崇哉君! 家を頼む!」
 庸道は活を入れた。
「お母さん! おかあ、」
「泣いている場合じゃない!」
 目の前の出来事すべてが天馬に合わないとシュウヤは思う。庸道と恵加二人がかりで助手席に美夏子を乗せようと身をかがめる。と、
「あ!」
「わかるう!? 美夏子さんわかるの!」
「死ねないの、卓夫が帰るまで、私死ねない……」
「大丈夫、大丈夫だから」
 言いながら恵加は運転席に回り込んだ。
「早く乗るのっ!」
 叱りつけられた佳子をシュウヤは車内に押し込み、ドアを閉めると同時に車が動き玉砂利が飛び散る。シュウヤに向かって 「後は任せろ!」 と言質を与えるように車は唸りを上げて段差を越え、舗装路に出て行った。
 遠ざかるテールランプをシュウヤはひとり見送った。
 笑ったような月とまたたく星たち。著名な画家が描いたようなパノラマはふだんと変わらないのに。
「どうしてこんな事が起きなきゃいけないんだよ」
 (たかぶ)ぶる気持を落ち着かせたくて、シュウヤは夜空を見つづけた。
 タクオって、誰だろう。
 

 朝のお勤めの時間はとっくに過ぎているのに、誰も帰ってこない。地上と地中で生きる動植物が目覚めたことを告げ知らせるような朝日は気持いいのに、いるはずの人がいないと別の場所にいるようで、シュウヤは一月五日、家出した日の朝とは違った孤独を感じていた。
 朝の排泄をねだるホトを庭に連れ出し、屋内に戻って餌をやり、固定電話機の下にある電話帳の ”タ行” を開く。タクシーを呼ぶために。
 僧坊の戸締りをすませ、ホトとともに本堂を見てまわって二、三分くらいでクシーはやってきた。運転手に事情は伝えられていて――緊急入院した 「家族を」 見舞うこと。急いでいること。ホトを抱いて乗りたいこと――シュウヤはホトを抱いたままタクシーに乗り込んだ。
 大好きなホトを見ればぜったい元気になる。美夏子さんは我が子を見る目でこう言うんだ、 「お外に行く? 森の道を歩きましょうか」。 莞恩寺にきて一か月、毎朝そうしているように。
 美夏子さんはいつも何かしらに気をつかう人。気のせいかもしれないけど、ぼくのことは思いのほか。両親がくる前の日もそうだった。
「崇哉さん。明日ご両親がお見えになるんですって?」
 陰で見守ってくれているような美夏子さんだけど、あの日は違った。今思うと母さんたちが来るのが決まった日から変わった気がする。
「うん」
 としか言わないぼくに向って 「崇哉さんのことを思って、ご飯が喉をとおらないかもしれませんよ」
 ぼくを見る目は佳子ちゃんを見るのと同じだった。
「緊張していますか」
 思いやる目がやさしかったな。
「いまは緊張しても仕方がありませんけど、話す言葉はその時に示されますから、何もしんぱいしないことです。親子なんですもの」

 桃源郷に行ったときの美夏子さんは、
「止まってくださらない? 耳を澄ませてみて」
 フルートみたいな鳥の声に耳を澄ます横顔が幸せそうで、清らかで、少しの間目を閉じた姿は、何かに感謝しているようだった。

「今夜は冷えこみますから、電気毛布を敷いて寝ましょうね」
 掛け布団をはぎシーツのしわを整えて、電気毛布を敷いてくれた美夏子さん。

 高熱を出した時はおでこにおでこを押しつけて、水枕を用意して、お(かゆ)を口に運んでくれて、顔や手をタオルで拭いてくれたりと、自分の子供のように心配してくれた。元気になればなったで 「もう大丈夫」 と言っているのに 「ぶり返してこじらせでもしたら大変ですよ」 と、少し厳しく注意もしてくれた。
 でも最近、澄んだきれいな声がかすれていたような気がする。座って休んでいる事も多かったような……。
 美夏子さんはこんな日がくるかもしれないと分かっていて、何かと気にかけてくれたのかもしれない。 「佳子とホトは、崇哉さんをお兄さんと思っているんですよ。見ていればわかりますもの――」 あんなこと、すすんで言う人ではなかった。病気はまだ治っていなかったのかも、
「着きましたよ」
「もう」
「庭みたいなもんだからねえ、この辺りは」
 モノ作りでも何をやるにしてもだな、大切なのはプロ意識だぞ。伊作おじいさんと同じだと思う。
「あ。財布……」
「いけねえ、やっちまったか」
 運転手は言い、
「ぼく見てごらん」
 正面を向き顎をしゃくる。料金メーターは暗いまま。0円。わざとセットしなかったのだ。
 運転手の近本さんに 「もういいから」 と言われるまでお礼を言って車を下りると、まだ早い時間なのにひさしの下に置かれたパイプ椅子には、厚手の服を着、ひざ掛けで暖をとる高齢者が。診察の順番待ちをしているのだ。
 ホトを抱いていそぐシュウヤを四人は不思議そうに見て 「横から入るんだよ」 とおばあさんが教えてくれる。自動扉は停止中。言われたとおり左手のドアを押し開けると、エントランスのこちらを向く振り子時計は六時四十分、ひと気も無ければ物音一つしない。カーテンの引かれた受付の前まで行くと。
「電話しようと思ったの」
 携帯を手にした恵加が駆け寄ってくる。疲れは隠せないが、笑顔は安心を物語っていた。それでもシュウヤは、
「おばさんは」
 確信を得たかった。
「とにかく来て。みんなに話しておきたい事があるから」
 美夏子と同じくらい心配だった佳子は、来客者の一時的な待機所の黒革のソファで、庸道のひざを枕に眠っていた。
「黙っていてって頼まれたから言わなかったけど、いっしょに暮らしていく以上、隠し事はよくないと思うの」
 スウェットにお尻がかくれるくらいのコートをはおった恵加は庸道を見、頷くのを見て、
「美夏子さんね。じつは、甲状腺腫瘍という病気なの」
 病名を告げた。 
「腫瘍というと、ガンか。本人は。知っているのかい」
「ええ。ずい分前から分かっていたみたい。甲状腺ガンでも色々あるようだけど、美夏子さんは甲状腺乳頭がん」
「うむ……」
「院長先生は手術で完治するから心配ないって言うんだけど、ゆっくり進行していく事もあって美夏子さんね、佳子ちゃんの学校のことや生活が落ち着いてからって考えていたの。でも神経の圧迫がみられるし、転移したら厄介だからこれ以上先延ばしにしない方がいいって」
 院長が美夏子の経歴を。ことに以前の仕事や居住地を気にしていたことが気になったが、本人が語りたがらない以上、そのことは持ち出さずに。
「中通りの総合病院に、紹介状を書くって言っているくらいだから」
 恵加は要の部分を口にした。 
「早い方がいいか」
「ええ」
 ガン。完治するとは言え、よく耳にする初期よりも重いレベル。美夏子自身が自覚し悩みひとり戦ってきたのだ。
 そのことは理解できる。だが、美夏子を家族のように思えるようになったシュウヤは……。
(何で話してくれなかったの。話さないと、伝えないと、始まらないでしょ。)
 両親に対するのとは異なる思いで、美夏子を想った。    
「佳子ちゃんのことはもちろんだけど、美夏子さんってあういう人でしょ。治療費のことや、 『ウチでお世話になっているから』 とか、余計なことまでいろいろ気にしているんだと思うの」
 シュウヤに抱かれたホトも、口を小さく開けて寝ている。佳子と同じように。点滴で眠っているという美夏子も同じような顔だったらいいのに、とシュウヤは思い強く願った。
「それと車に乗る前に 『たくおさん』 って言ったでしょ」
「言ったよ、ぼく聞いたよ」
 タクオが帰るまで私は死ねない。はっきり覚えている。話し始める前に恵加さんが 「隠しごとはよくない」 と言ったことも。
「わたしも分からないの。時期を見て、それとなく訊いてみるわ」
「待つことが思いやりに繋がることもあると、私は思うよ。それはそうと、一度子どもたちを連れて帰ったらどうかね。あとは私が対応するから」
「そうね。シュウヤくんも寝ていないようだし」
「ぼく大丈夫だよ」
 目を大きく開けて応えるシュウヤに庸道は、
「崇哉君。心を一点に集中して夕日を思い描く観法を、覚えているね。僧侶は何時いかなる時も、西の空に帰る夕日を含め、十六の観法をイメージできる 『特技』 をもっているんだ。安心して帰って休みなさい」
 おだやかに言って聞かせる。
「じゃあ……」
 どんなに疲れていてもつらくても動じない。凄いと思う。と、
「目を覚まされましたよ」
 看護師の声に反応するかのように顔をあげ、立ち上がる佳子に、シュウヤはホトを抱かせた。
「大丈夫よ。環境がかわって疲れが出ただけだから」
 看護師は言い、ホトのからだをやさしく撫ぜる。何時いかなる時も希望を与えるのが、看護師の仕事なのかもしれない。

 美夏子さんは前回の入院と同じ、103の個室にいた。顔が青ざめやつれたように見えるけど、くちびるにはツヤがあるし、ほほ笑む顔はいつもと同じ。エクボもあるし変わらない。手術をしないと治らない病気とは、ガンだとは思えなかった。
「ホトも心ぱいしたよ」
 声を震わせながら佳子がホトをあずけると病室の空気が変わった。
 大好きな美夏子さんに抱かれたホトは、美夏子さんのお腹のあたりに顔を押しつけたり顔をなめようとしたりと、いつも以上に甘えている。ホトはホトなりに真夜中の惨事を理解し心配していたに違いない。
 甘えるホトに 「ありがとうね」 を言い、頬ずりをして落ち着かせた美夏子さんは 「ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました。ごめんなさいね」 と一人ひとりに謝って、最後になって佳子ちゃんに、
「驚かせちゃってごめんね」
 と頭の上に手を置くと、佳子ちゃんはこらえ切れずに泣き出してしまった。
 佳子ちゃんがいる手前 「おできを取ってしまえば治るそうです」 と言葉をにごしたせいだろう。美夏子さんは、ホトの狂犬病の予防注射と併せて行う健康診断のことや、ぼくの勉強のこと、僧職で忙しくなる恵加さんのこと。お寺のしごとができなくなること。それに眠れていないみんなのことを気にするばかりで自分のことは何にも触れず、ガンを患う不安などおくびにも出さなかった。……んだけど。
 ホトを佳子に手渡そうとする時だった。
 佳子と入浴しない理由に、肌身はなさずマフラーをする理由に、シュウヤは目をみはった。
 美夏子の白い肌の首もとが、暗色の紫に腫れ上がっていた。



   (18)人間らしくある人間として


「午後からお花を摘みに森に行こっか? お母さんさびしいから。」
「ノンノだめ、ノンノいらない!」
 顔をまっ赤にして佳子は言った。
 総合病院での手術を終えて窪谷のクリニックに戻ってきた美夏子に、春の訪れを感じさせてやりたい恵加だったが――。
「お花は元気をくれたり、気持を落ち着かせてくれるのよ。」 「病室が明るくなって、お母さんも明るい気持になるわ。」 「お姉さんはバレーボールでひざを怪我して長い間入院していたからよくわかるの。お母さんもきっと喜ぶから。」 と。くり返し説得しても佳子ちゃんは 「だめえ!」 の一点張りで、 「いらないったらいらない!」 と突っぱね庫裡を出て行ってしまった。
 終業式前日の今日。そのことがあって一日挟んだ佳子の登校日である。
「私が教えたんです。お花は蝶や蜂や土の中の虫や、空の鳥、それにお花自身のためにそこに咲くのと。摘んでしまったら生まれるはずのノンノの子どもが生まれなくてみんなが困るでしょ? やさしく見守ってあげましょうね。って」
 そのとおりだと思う気持が大きかったいっぽう、美夏子の使う耳慣れない言葉がかわいくて、
「浜通りでは花のことを、ノンノって言うの?」
 シュウヤは訊いた。
「いいえ。北海道の一部で使う、言葉ですよ」
「じゃあ住む場所によって、言い方が違ったりするんだ。同じ北海道でも」
「そうね。とっても広いから。北海道は」
 東北六県が丸々入るどころかもう一つ福島県を加えて、 (きっと) 神奈川を足した分くらい。北海道は広大らしい。
「フキノトウはたしか、マカヨでしたね。東北北部ではバッケと呼ぶところもあるけど」
「バッケは」
 美夏子さんは窓の外に顔を向けて。
「アイヌの言葉が語源と、言われているようですよ」
 向き直って言った。
 なぜか恵加さんまで黙り込むから、
「空はノチウだ」
 ぼくは言った。あいぬが何なのかは分からないけど、黙んまりがつづいたら、美夏子さんの病気が悪くなる気がして。
「ノチゥは星のことを言うんですよ」
「そうなの」
「地方の文化は宝ですものね。だから反対なの、原発ゴミの地層調査。天馬の自然が壊されるのが赦せないの。美夏子さんなら分かりますよね、わたしの気持ち。わたしたちの気持ち」
「ええ。よく分かりますわ」
「ぼくもわかるよ。でも、おばさんならわかるってどういう事? ぼくわかんないよ」
 シュウヤは思ったままを口にした。
「じつは、おばさんね……。アイヌの子孫、アイヌなの。アイヌだから……」
 また、あいぬ。美夏子さんがあいぬ。あいぬだと、どうしてよくわかるんだろう。
 何を言っているのか見当もつかないシュウヤだったが、なぜか今度は訊いていいのか迷う。と、
「ええ」
 うなずく恵加に、
(分かっていらしたの?)
 美夏子はそんな顔を向ける。
「初めは、何かしらの信仰に篤い方だと思っていました。でも結婚する前まで北海道で育ったという割には、箱館や札幌や旭川、それに釧路の大学時代の友人と違う言葉を使うので、友人と電話で話した時に聞いてみたんです。そうしたら、アイヌの方の言葉だというので、わたしなりに調べてみて、それで……ごめんなさい、決して興味本位で訊いたのでも調べたわけでもなくて、わたしにとって美夏子さんは家族といっしょだから、家族だから……」
 恵加さんは言葉を選んで喋っていたけど、終りのほうは精いっぱいといった感じ、理解してもらおうと必死だった。
「でも、見た目ではわからないでしょう? 自分で言うのはおかしいですけど、きっと母の血が濃かったんです」
「羨ましいくらいきれいよ。美夏子さんって」
 和人(日本人)と結婚した親に生まれた親戚、友人、知人の中でも、アイヌの特徴が色濃い人がい、そのことを苦にして悩んでいる人がいるのだと言う。
「どうしてそんな……。同じ人間なのに」
「ほんとだよ。おかしいよ、そんなの」
 シュウヤは思い切って、訊いてみる気になった。 「でも、どうしてアイヌの人だから、天馬の自然が壊されるのがゆるせないの?」
 美夏子はわずかに背すじを伸ばすと、二人のことを交互に見て。
「アイヌは、人間を特別とは考えません。数多(あまた)の生命の一つとしか考えられないんです。人間らしくある人間として生涯を全うしようとする姿勢や、生を受けた者どうし支え合って生きているという思いを大切にします。衣服や食器、食材一つとっても例外ではありません、私たちの必要のために分け頂いた恵みとして、感謝してもちいます。長く受け継がれてきたアイヌの精神は変えられないようですね、どこで暮らしても。だから……。鎮守の森で目の前にフェンスが立ちはだかるのを見たとき。無抵抗な自然に挑むかのようにならんだ重機を見たとき。他人事とは思えませんでした。憤りと失望のような気持に苛まれて、虚しくて悲しくて、悔しくて……」
 こんなに長く自分の気持を言葉にあらわす美夏子を見るのは初めてだった。と思うのと同時に、シュウヤは根の底にある価値観の違いを感じずにはいられなかった。
「思いやる心を大事にしてきたんですね。アイヌの方って」
 そう、思いやる心を引き継いだから美夏子さんは思いやりにあふれていて、自然が壊されるのが悲しくて悔しくてむなしい気もちに、
「よお」
 ノックとほとんど同時にドアが開く。
「あら」
「じっちゃん!」
「信恵がきてるっていうから、お邪魔させてもらうよ。ああ安心安心、元気そうで何より。退院間近ってところですな」
 玄造は美夏子に笑いかけ、恵加がゆずった椅子に腰を下ろす。
「麻衣ちゃんが喋ったんでしょ。都会だったら大変よ、プライバシーの侵害だって一大事」
「麻衣は看護婦のカガミ、素直に育って何よりだ」
「大丈夫です、大歓迎ですよ」
 美夏子も笑顔で迎えた。来た時よりも顔色が良く晴れやかになり、シュウヤは嬉しくなる。
「この気軽さが田舎のいいところだな。それはそうと、善行のやつ当落ぎりぎりらしいぞ。老人ホームにまで選挙運動に来やがった」
 やれやれといった眼が厳しい目になり、
「お鎮守一帯がえれえことになっているそうでねえか」
 声を低く玄造は言った。
「わたしたちも驚いたの、変わり果てた森を見て。原発ゴミの施設を建てるだなんて勝手よ」
「やつはやつで気ばってはいるようだが、おれに言わせりゃ行儀が良すぎる。正攻法で計画をひっくり返そうってんだから、人が好いにもほどがある。分かっちゃいねえんだよ、あいつは。俗世間の渡りかたを」
 細おもての善行は母妙子に似ているとシュウヤは思う。
 でも、性格はよくわからない。おばさんみたいな笑った顔は見たことないし、じっちゃんの話とみんなでゴミ処理場の話をしていた時の印象では 「ぐちょく」 でまっすぐ。庸道さん似なんだろう。
「当選したら超党派の国会議員みんなで反対するとか話していたけど、玄造さん。何かいい考えでもあるの?」
「まあな。こっちは部落・地境(じざかい)、里者・ワタリの垣根を越えて、土地所有者が一致団結して計画をひっくり返す。白紙に戻す」
「土地所有者って玄造さんの土地はもう、」
「建てモンと土地の大半は売った。だが、公道を跨いだ休耕地はまだオレのもんだし、ホームの中には用地に引っかかる土地持ちもいる。思いどおりに事が運ぶと思ったら大間違いだ。ちと声がデカかったか、失敬失敬」
 美夏子は笑みを浮かべて 「大丈夫です。」 という顔で応じた。
「休耕地は町が買い上げて活用できるように、条例が変わったんじゃなかったかしら」
「そうなる前に土地持ちみんなで地蔵を建てる、手はずは整えた。葛谷の地区長の賛同も得た、地蔵の里として町興しする名目でな」
「町興し? お地蔵様で」
「おうよ」
 葛谷の坂道で見た地蔵菩薩をシュウヤは思い、
「お花畑もあるといいんじゃないかな」
 花の添えられてある菩薩はどれも笑って見えた。
「地蔵と花の里か。いいこと言うなシュウヤ。ますます注目の的になること間違いなしだ」
「でも、そううまくいくかしら。お地蔵を建てたくらいで中止になるとは思えないけど」
「葛谷が候補地から外れたのはだな、その地蔵さまのおかげだぞ」
「ほんとうに?」
「ウソ言ってどうする。たわいの無い日常の記憶はあやしいもんだが、揉めごとの記憶ってのはそうそう忘れるもんでねえぞ、すったもんだの記憶は。お前えにだって覚えがあるだろ? 気になって気になってしようがねくて、なかなか忘れられない出来事の十や二十は。シュウヤにはまだないだろうがな」
「ぼくにだってあるよ。5、6コ、7コくらい」
「それだけ真剣に生きているんだって胸を張ればいい。要は――」
 年を取ると足や腰が弱るように記憶の部分も弱っていく。当然の経過をたどる中で 「すったもんだ」 が肝心になるとじっちゃんは胸を張る。
「すったもんだがかなめなんだね」
「そういうことだな」 
「でも、弁護士を立てたり裁判を起こしてでも、着工しようとするんじゃないかしら。住民のことなんかひとつも考えない人たちよ、予防線や対抗策も抜かりなく準備して強行しようと、」
「地蔵をぶち壊してでも施工しようもんなら天馬モンだけでねえ、窪谷はもとより全国各地で建設反対の声が上がって、世間が放っちゃおかねえ。要するに国策(こくさく)に対抗するには国民を巻き込む、この鉄則にのっとってやりゃ動かねえと思ったヤマも人も勝手に動くもんなんだよ、始める勇気と変える心づもりさえありゃ」
 天馬にくる決断をするまで何週間も迷ったシュウヤは、勇気が足りなかったからだと納得する。
「施設の建設が中止になれば、延原を掘り返す計画もご破算ね。でもなるべくなら、角が立たないで落ち着いてほしいわ」
「そうなってくれりゃ御の字だが、裁判になればなったで年寄り連じゅう最期の悪あがきってことでもねえが、法をたてにするような “張り子の虎” にゃ、同じ土俵で道理で突っぱるまでよ。ま、オレはお地蔵は残ると見るがな。おっ、おじゃましましたな。お大事になさいよ」
 じっちゃんは美夏子さんの顔の前で言い、 人間ドッグの時間だからと病室を後にした。
「気力がみなぎってるって感じね、玄造さん。 “オレ” だものね」
「はりこのトラって?」
「ああ。見かけ倒し……見かけだけ強そうな人や集団のことよ」
「崇哉さんは見たことがありませんか。赤べこのように首の動く、虎の置き物を言うんですよ」
「見たことないけど」
 想像はできた。今にも襲いかからんばかりの恰好をした、可愛らしい顔のおもちゃみたいなトラ。そんな感じだろう。それにしても、
「すごいなあ、じっちゃんって。アイデアといい正義感といい。堂々としていてさ」
「我が道を行くって感じね。天馬の人みんなに言えるけど、玄造さんはとくに」
「娘さんの帰郷が励みになっているのではないかしら?」
「それもあるかもしれませんね」
 大人の母さんしか知らないぼくとは違い、じっちゃんは赤ちゃんの母さんを、生まれた時から母さんを知っているのだ。子どものためにふるい立とういう気もちになって、当然なのかもしれない。
「ところで、美夏子さんって法学部でしたよね」
「ええ。そうですけど」
「北大法学部だ」
「それが何か?」
「退院してからのことなんですけど、良かったら兄の事務所で働いてみません? もちろん、体力に自信がついてからの話ですけど。お寺から通える距離で何かと融通も利くようですし、兄も大歓迎だと思うの」
 シュウヤも考えていた。美夏子が倒れた原因は、莞恩寺の作務全般に及ぶ激務が影響したのではないかと。しかも、出会ったきっかけの路端で倒れていたことを思えば、始めから体力を要する仕事は無理だった、いや。それだけではない。
 ぼくの勉強も。寺子の授業も負担になっていたのだ。
「入院中にする話じゃありませんでしたね。ごめんなさい」
「いいえ。ありがたくて言葉が出ないんです」
「じゃあ、兄貴に話していい?」
 恵加の変わりように、
「おかしいよ、入院中にする話じゃないって言っておいてさ」
 シュウヤは慌てて抗議する。
「いいのよ。崇哉さん」
「だって」
「恵加さんはますます忙しくなるのに。私がいなかったらお寺のほうが……」
「本来の僧侶の勤めをするまでです。何も気にしなくていいんです」
 先々週。宗派を超えて執り行われた慰霊(いれい)祭で真新しい黒いご法衣(ほうえ)を着、本格的に仏道を歩み出した恵加をわずらわせたくないのだ。
「それに手術は成功したと言っても、ガン患者の私が議員さんの事務所で働くなんて」
 根治(こんち)すると太鼓判を押されたとは言え、再発の心配はつきまとう。その不安がなくなるまでは考えられない、当然だと思う。
「ごめんなさい、余計な話を持ち出したりして。でも美夏子さん。これだけは覚えておいてくださいね。イラン、カラプテ……わたしも人間らしくある人間として生きたいの。だから何でも言って、話してくださいね」
「アイヌ、ネノ、アン、アイヌ……。嬉しいわ、恵加さん。とても。とっても」



   (終章)あなたの心にそっと触れさせて……


 アイヌ民族とは。北海道を中心に東北北部や、サハリン (樺太)、クリル (千島) 列島で古くから生活してきた、日本の先住民族です。いっぽう縄文文化をきづいた人々と、のちに大陸から渡ってきたいわゆる弥生人の影響を受け、現在に至ったのが――。
 ぼくら和人か。でも美夏子さんは 「人間が特別とは考えない」、 「あまたの命の一つとしか考えられない」 と話していたから、和人もアイヌも外国人も何もないのだ、人間には。
 シュウヤは思い直して、開いた本に目を落とす。
 美夏子さんが涙声で口にした 「アイヌ・ネノ・アン・アイヌ」 は。人間らしくある人間という意味。ぼくみたいな子どもにでも、庸道さんや恵加さんと同じように接してくれる美夏子さんは――アイヌ、ネノ、アン、アイヌ――言葉どおりの人だと思う。
 イラン・カラプテは…… 「あなたの心にそっと触れさせてください」。
 美夏子さんはいつもみんなのことをそっと見まもっているような人だから、この言葉もあてはまる。
 私たちアイヌは、人間の力の及ばないもの、恵みを与えてくれるもの、生活に不可欠なものを神として、 「カムイ」 として敬います。人間がカムイを敬うことで、カムイは人間の思いや希み(のぞみ)にこたえてくれると信じているのです。人間はカムイに対して、人間にすぎないのですから――。
 人間は人間にすぎないか。ぼくはこういう事を知りたかったんだ。
 満たされた思いで町立図書館を出たシュウヤは、どこに寄るでもなく、日を追うごとに春めいてきた景色を見ることもなくバスに揺られて、借りてきた本を読みふける。
 人間を意味する 「アイヌ」 であることを誇りとする私たちは、すべての生き物は役割を担い合って存在していると考えます。そして、人間としての役割を果たそうとする意識、互いに育み合いながら生かされている自覚、何より感謝とありがとうの心を大切にします。自然の摂理のもと、成長を助け合い、アイヌらしく謙虚であろうと――。
 感謝とありがとうの気もちが、謙虚につながるんだ。シュウヤは美夏子の所作を思い浮かべて、納得して頁を繰る。
 アイヌは、すべてのものが 「平等な関係にある」 という考えに基づいた生活を送っています。私たちの住む地球上のものに限らず、宇宙間に存在するすべてのものです。
 例えば、平等であるはずの生き物を捕らえたり、殺したりして、命をいただくことで人間は生きられて、火や火をおこしたり使うための什器(じゅうき)や、水や水を使うための井戸や水道、住まいや着る物などが無ければ、暮らしが成り立ないわけですから、生き物だけにとどまらず、あらゆるものを大切にして感謝するのは当然と――。
 この本の著者は、いのちに優れつはない。人間が中心の生き方をアイヌは選ばない、とぼくらに訴えたいのかもしれない。
 あらゆるものを大切にして感謝するのが当然というのなら、あんなにつらい思いをした美夏子さんは……
「美夏子さんね。アイヌのことを話さなかったばかりに、家を出されてしまったの。だからシュウヤくん、わたしたちで支えてあげましょうね」
 美夏子さんはどんな人や物事にでも、感謝できるのだろうか。
(あ。)
 ――変えるんです。皆さんひとりひとりの思いをわたくし、さ・か・べに、
(善行さんだ。)
 わたくしたち年長者は未来を担う子供たちに、この国を引き継ぐ責任がありまーす! その責任をわたくしさ・か・べ・よしゆきに、どうか皆さんを代表して負わせてください! 原発はNO! 核のゴミNO! 電力は自然エネルギーに転嫁し原子力関連施設の建設は絶対に許しません! ニッポンを自然エネルギー大国にするんです、どうですかみなさん! そして地方や将来世代に責任を押しつけるやり方を私は変える! 全身全霊でわたくし坂部善行は――
 投票日まで一週間。善行さんの後ろに止まる選挙カーの左右のドアには、イメージキャラクターの “福べこもーも” が描かれている。そして恵加さんが書いた 「坂部よしゆき」 の毛筆は、 「書道は墨を磨ることから始まって、筆に心を伝えるの。誤魔化しがきかないのよ。」 言葉どおり。堂々として、当選への思いが込められている。
 当選ラインぎりぎりだという善行さんもがんばっている。変えようとし守ろうとしている。母さんと父さんは、少なくともじっちゃんに対しては同じように、変えようとして守ろうとしている。
 その二人は、日曜日の今日佳子ちゃんを誘って、母さんのお母さんにあたる(みお)子おばあちゃんのお墓参りに出かけている。地名は忘れたけど、宮城県にほど近い漁港として名の知られた町に。じっちゃんと四人で。
 ツグミはシベリアに帰って行った。昨日じっちゃんの居る老人ホームに退所の手続きに行ったという母さんは、ふる里に帰ってくる。じっちゃんも、善行さんも。とにかくみんな変わろうとしているのだ。
「あらお帰り。早かったじゃない」
「うん」
 恵加さんも。頼りがいのあるお姉さんから、信頼できる大人のお姉さんに変わったと思う。自分の意思に素直に、一歩踏み出したから。
 昨日の朝は。 「いい機会だから、お引っ越しのお手伝いに行ったらどう? 自転車でも行ける距離だし」 と言って、両親とやり直すきっかけを作ろうとしてくれた。それからは、何も触れないでいてくれる。恵加さんのイラン、カラプテの気もちがうれしい。
 昨日の夜は黄色味を帯びた半月を見上げながら (今頃は学生服を着て、中学校の門をくぐっていたんだな。) くらいにしか思わなかったけど、もしかしたら母さんと父さん。ぼくの詰めえり姿を見たいと思っている、どころか。学生服用意したんじゃ……。
 たしか、あれは二か月近く前、二人が来た翌々日だった思う。庸道さんが 「ずいぶん背が伸びたようだね。どれ、測って見ようか」 と言い出して、恵加さんも 「ほんとうね、肩幅なんか見違えるほどがっちりして。でもウエストは細くなったみたい、わたしと同じくらいかしら。お父さん、胴まわりもね」 って。
 二か月ぶりの希望もしない再会にぎすぎすしていたぼくに、制服の話など言い出せなくて頼んだんだ。庸道さんと恵加さんに。 
 運命を変えたくて家を出てから、もうすぐ三か月と半月になる。ぼくの暮らしは一変した。変わろうとし変えようとして変わったのは確かだけど、強引で不自然だったのも確かだ。 【自然とは。無理がなく当然であるさま。】 要するに交り気のないあるべき姿。自然体をいうんだと思う。

(裏山におばちゃんのお花が咲いたよお。) (見に行きましょうか。佳子ちゃん連れて行ってくれる?) (うん。) (崇哉、お前もどうだ?)

 今朝みんなで見に行ったヒトリシズカの花も、周りの誰も彼もが自然に生きているのに、ぼくはどうだ。
 円錐曲線の図形の計算や小数の分数換算、因数分解一次方程式に不等式の応用、言語社会、英会話形式のリスニングに長文読解、それはそれでその時がきたら学校で学べばいい。森に入って鳥の声に耳を澄まして、山菜やキノコを採ったり植物の息吹きを全身で感じて、集会所に来るおじいさんやおばあさんとカステラやお煎餅を食べながら話しをしたり聞いたりして、庸道さんに勤行や法話で色んなことを教えてもらい、恵加さんに書道の手ほどきを受けバレーボールでトス回しやスパイクをして相談にものって貰う。困ったことがあれば、じっちゃんと伊作おじいさんがいる。善行さんも。勉強で分からないことがあれば美夏子さんに訊けばいい。アイヌのことも。知らないことだらけの美夏子さん本人の話も聞く、教えてもらうばかりじゃなくて。
 学校で教わらないことを見て触れて感じて知って、両親とじっちゃんといっしょに暮らす、それこそが自然なあるべき形で、ぼくがいますべきほんとうの学びなのだ。
 シュウヤは図書館で借りた本を置きに部屋に戻った。
(ここに居るのもゴールデンウイークまでだ。)
 窓外の景色が、一月六日に見たそれと明らかに違っている。部屋の中も。人が住んでいる気配と温もりがある。
 窓を開けてみる。と、風のにおいも変わっていた。春の訪れを告げようとするような、やさしい風。光もやわらかだ。
(そうだ。)
 シュウヤは恵加に借りた国語辞典を手に取った。思いやる心を大事にしてきたんですね、アイヌの方は――。恵加の言った思いやる心、 「思いやり」 という言葉が気になった。

 【思いやり】 とは。――同情。
 【思いやる】 は。――同情する。


 何だか素っ気ない気がする。それなら 【同情】 だ。
 他人の苦しみや悲しみなどを、その身になって感じて思いやること。思いやり。

 美夏子の心に触れた気がして満足したシュウヤは、辞書を返そうと部屋を出かけたところで。
(大丈夫かな。)
 庸道の父の代から庸道、善行に受け継がれて、シュウヤのものとなった片袖机の脚が、畳表を傷めていないかが気になり回れ右する。
 机の下にもぐり込み、四本の脚下をそれぞれチェックする。
(大丈夫そうだ。大した荷物も入ってないし。)
 納得して立ち上がろうと、 「!?」 立ちくらみだと思った。が、
(違う!)
「何ぃ!」
「地震だあ! デカいぞおっ」
 砲声が廊下を走る。庸道の自室のラジオが緊急地震速報、緊急地震速報、強い揺れに注意強い揺れに――
「もう来てるよっ!」
 頑丈な机やテーブルの下に――身を守る行動――自分の命を守ることを最優先――家具から離れ、
「恵加さーん!」
「シュウヤくん建物から離れて! 美夏子さん早くう!」
「杉の木だ、カンガスギの下に走れ!」
 天に向かってまっすぐ伸びるご神木とも呼ばれる巨木でもこの200、300年間にこれほどの激震にあったことがあるだろうか。
 僧坊の壁に寄せた自転車が横倒しになり、所有者善行の険しい顔が浮かぶ。――日本は寄木細工のような地層構造だからな。
 縦横もなく押し合い引き合う力に抗いながら坂を上る、閑雅杉は目の前だ、
「きゃー」
「おおいっ!」
 墓石が身悶えるように揺れ、中央にある一基が力を失い前方に崩れ落ちた。地層の深部から聞こえる轟音が震怒に、いや悪魔の叫びだ!
「いつまで続くのよお!」 スギの裾を抱いた恵加が叫ぶ。上方と周囲に注意を注ぐ庸道が 「またか! また同じことをくり返すのかあ!」 誰へとなく訴える。
 東日本大震災だ。十一年前、一歳の時に起きたという史上最大級の大災害のことを言っているのだ。福島宮城岩手が東北地方が、日本がふたたび……。
 庸道の口が 「南無阿弥陀仏」 を唱え、 「どうか佳子を救い給え愛する者を救い給え、愛するいのちを守り給えどうか――」 地にひれ伏して祈る美夏子の姿が、朝の光景を呼びもどす。
(佳子ちゃんも一緒に行く?) (お邪魔になりますよ。) (よし子いい子にしてるもん。お母さんにおいしいお魚を食べさせてあげたいから、私も行くう。)
 静花に腕を絡ませてはしゃいでいた佳子。四年生になったお祝いにと恵加に買ってもらった空色のワンピースを着、畳の上で嬉しそうにぐるりと回って見せた佳子の笑顔が怯えた顔に、
「やめろお!」
 幹をつたい天に引き上げられた祈りが、地中にいる震源のあるじに届く気がして、シュウヤは美夏子にならった。 「愛するいのちを守りたまえ、愛するいのちを守りたまえ愛するいのちを、ぼくには話さなきゃいけないことが、」
(じっちゃん。父さん、仕事どうするんだろう。) (いわきの支店に転勤を申し出て、連休明けから働くそうじゃ。部長などやりたい者がやればいい、係長が性分に合ってると笑って話して……)
「ぼくには話さなきゃいけないことが山ほどあるんだあ!」
「帰るのよ佳子! 卓夫お! 帰ってきてえ!」
「大丈夫よ、ぜったい帰ってくるから!」
 じっちゃんがいるから大丈夫、母さんと父さんがいるんだ、
(おばちゃんのお名前って、ヒトリシズカのお花からとったんでしょう?) (そうよ。おじいちゃんがつけてくれたのよ。) 佳子ちゃんを見る母さんの目は、美夏子さんと同じだった。
(ヒトリシズカの花言葉を知っているかい?) 父さんも嬉しそうだった。 (愛にこたえて、だ。) (ふうん。) 愛に答えてほしいのか応えたのか、どっちだ! 
「やめろ! 止まれ! 止まってくれよお!」
 アイヌにとって自然は畏怖(いふ)すべき存在です。ですからアイヌは祈りを欠かしません――「愛するいのちを守り給え愛するいのちを守り給え、愛するいのちを、すべてのいのちを救い給え、」
 ぼくの故郷になる天馬を、
「福島を壊されてたまるかあ!」
「卓夫お! 子どもたちを返してえ!」
「美夏子さん大丈夫、もう大丈夫だっ」
 美夏子の胸に抱かれたおびえ切ったホトと、シュウヤの眼が合う。揺れは治まったが、まだ揺れている。
「愛するいのちを救い給え子どもたちのいのちをすべてのいのちを守り給え救い給え、天の父なる神さまどうか、」
「大丈夫だからしっかり、しっかりするんだっ」
「しっかりして、美夏子さん!」
 白い蝶が美夏子の頭上を横ぎり、高台へと飛んで行く。チラチラと飛ぶ蝶をホトの目が追う。
「おさまったよ、おばさん。もう大丈夫だから」
「卓夫お……」
 美夏子はシュウヤの胸に顔を埋めた。
 この春いちばんヒトリシズカが香る日だから、
「顔をあげてみて」
 シュウヤは言った。
 美夏子はじれったいほど、ゆっくりとシュウヤを見上げた。
 と。野原のほうの空高くから、ヒバリの鳴き声がはっきりと聞こえた。
 恵加は美夏子の隣りにしゃがんで、
「なぐさめに来てくれたのね。大丈夫だよ、元気を出してって」
 やさしく言った。
 シュウヤには、美夏子を励ます子どもの声に聞こえた。希望をとどける明るいけな気な歌声だ。
「みんなが帰ってきたら、いっしょに見に行こうよ」
「黄色い菜の花一色っていうし、行ってみよっか」
 うれしそうに恵加は言い、庸道はおおきく、美夏子は涙をぬぐって笑みを浮かべてうなずいた。
 シュウヤは思った。今日だったら天馬に会える。大空をじゆうに駆ける天の馬に。ホトみたいなつぶらな瞳の。


 2011年3月11日金曜日14時26分。宮城県牡鹿(おじか)半島沖東南東130㎞、深さ57㎞を震源とする巨大地震は東北地方太平洋沖地震、東日本大震災と名づけられた。多くの命をうばった未曾有の巨大地震は、数多のいのちの運命をたがわせ、日本人の性質を変えた。
 そして――2021年3月現在――いまだ 「二千二百二十五人」 もの行方が明らかになっていない。
 だから、美夏子は祈りつづける。

  愛するいのちを守り給え。
  愛するいのちを守り給え。
  守り給え、あなたの愛するすべてのいのちを。

 美夏子の信じる、神に向かって。
 卓夫の帰る日を信じて。

ヒトリシズカの花香る

【あとがき】
 小学高学年向けの物語を書きたいと思い、ペンを取った。舞台は、仕事やプライベートでお世話になった福島県と決めていた。2021年2月11日、震災から十年が経とうとしていた。
 書きすすめ、また構想を練るなかで、東日本大震災と福島第一原発事故の惨事は、軽々に取り上げてはいけないと思いながらも、避けることはできなかった。
 東北地方太平洋沖地震当日、当時神奈川県にいた私は、経験したことのない激震に恐怖を覚えると同時に、 「どこか遠く離れた場所でとんでもない事が起きている……」 と脅えながら、揺れが収まるのを一心に祈った。
 震災と福島第一原発事故のことをどこまで書くか、どのような形で入れるか、入れられるか、触れるか触れまいか、触れていいのか。迷い悩んだ末に、深地層研究施設の誘致というかたちに収めた。これは 「シュウヤの心の変化と成長が主題だぞ」 と、自分に言い聞かせながら。
 登場人物、寺院、地名等は架空で実在しない。震災や原発や宗教、アイヌに関することは広範に渡り徹底的に調べた。疑問が拭えぬ部分は、自分で勝手に取り決めた禁を破りネットを使い補った。
 一度目の掲載時は小学高学年向けを意識する余り、 「あっさり」 の度を越して中途半端になった感が拭えなかったため。2022年3月11日掲載を目標に、本年1月22日から書き改めるに至った。
 愚作であることに変わりなく、また作品という言葉を使うのは才のない私には甚だ痴がましいが、被災にあわれた方を一心に思って書きあげた作品である。
 最後に、2022年のカレンダーを使って書き進めたことを加えて置く。震災発生の2011年と同じ曜日である。

【参考資料】
・「観無量寿経」をひらく/釈撤宗(NHK出版)
・今こそ読みたい歎異抄/満井秀城(法藏館)
・よくわかる浄土真宗/瓜生中(角川ソフィア文庫)
・今こそ知りたいアイヌ/時空旅人編集部編(サンエイ新書)
・アイヌの世界観/山田孝子(講談社学術文庫)
・アイヌ童話集/金田一京助・荒木田家寿(角川ソフィア文庫)
・アイヌ民族抵抗史/新谷行(河出書房新社)
・近代北方史―アイヌ民族と女性と(三一書房)
・核のゴミ__「地層処分」は10万年の安全を保証できるか?!/古儀君男(合同出版)
・原発ゼロ、やればできる/小泉純一郎(太田出版)
・決定版 原発の教科書/津田大介、小嶋裕一編(新曜社)
・下北半島六ケ所村 核燃料サイクル施設批判/高木仁三郎(七つ森書館)
・福島県の歴史/著者多数(山川出版社)
・高校生、災害と向き合う_舞子高等学校環境防災科の10年/諏訪清二著
                            /(岩波ジュニア新書)
・キリスト信徒のなぐさめ/内村鑑三(岩波文庫)
・キリスト者の自由・聖書への序言/マルティン・ルター/石原謙訳(岩波文庫)
・キリスト教の歴史2/高柳俊一、松本宣郎(山川出版社)
 他、過去の作品で使用した参考資料と図書館での立ち読み、及びネット検索(99MB/月以内)。

【注解】__15章の終わり近くに書いた「三界」について。
 三界とは。
 仏教で、一切の衆生が生死流転する迷いの世界を以下の三段界に分けたものをいう。
・慾界:淫欲、食欲の二つの欲を持った者が住む所をいう。
・色界:欲界を離れた者が住む、物質の世界をいう。
・無色界:色界を超えた、精神の世界をいう。

ヒトリシズカの花香る

旧 「ヒトリシズカの花香る里」 を対象年齢を引き上げ、(あとがき・参考資料を含めて)書き改めた、福島県を舞台にした少年シュウヤの成長を描いた祈りの物語です。すでにお読みくださいました皆さま、誠に申し訳ございません。__2022年3月10日

  • 小説
  • 中編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-11-08

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著作権法内での利用のみを許可します。

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