800ss day3


「池田って知ってる?」
 マスタードイエローの塊が何かを話している。ただの塊に聞く口もなかったので聞き流すと、黄色いそれは「先生」と強めの口調で呼んだ。
 無機質が話しているのではない。地毛が明るい(と本人が言い張っているので、そう思うことにしている)生徒が質問している。
 池田なんて生徒が在籍する学年に二人もいるのに、池田を知っているか、は的を射ない質問だ。
 得体の知れないものに返答もしたくない。
「……あ、そっか。池田美乃里」
「ああ。お前の隣のクラスの生徒か」
 一組にそんな名前の生徒がいたという認識程度だ。そんな顔の、そんな名前の生徒がいる。寧ろどの人物においても最低限の認識しか抱かないようにしている。
 関心を持つのが嫌いだからだ。
「先生に惚れてるらしいよ」
「またそれか」
「人気あるね、先生」
「鬱陶しいだけだ」
 ただでさえこいつ(便宜上、青島と呼ぶことにする)は自分にまつわるコイの噂とやらを持ち出した。出すだけ出しておいて後は放置だ。
 青島本人が一番得体が知れない。未知は恐怖だ、だから一番近寄りたくない。
「先生って恋はするの?」
「知らん」
「俺、そういうのわかんない。誰が好きとか誰とヤリたいとかそればっかだし」
「そうか」
「恋ってそういうものなんですか?」
 もし青島に答えるとしたら、それらしいものはひとつ持っている。しかし一回りも下の少年に話す義理もないので、首を捻ってそれを返答とした。
「ちぇー」
 青島は恋についてそれ以上問わず、池田美乃里についても触れることなくキャンバスと睨めっこし始めた。
 絵の具がべたりと塗られる。厚ぼったい色で白を汚し、何もなかったかのように装って。
 恋はそういうものだ。どれだけ理不尽な目に遭っても甘い夢に犯された頭では奴隷になるのが相応しく、恋に性欲はつきものでもある。
 池田もそう、前に自分にせがんだ女生徒も、皆そう。
 あの人も、そうだった。
「青島、恋なんてするな」
 無意識に出てしまった警句が届かなくて良かった。振り向きもしないマスタードイエローに嘆息した。

800ss day3

800ss day3

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-09-02

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