聖者の行進(4-1)

四ー一 指先の魔術師

「なんだ、これは」
 A吉は七十歳。ある朝、目覚めたら(?)、死んでいることに気が付いた。いや、死んでいるのは自分の体であって、自分の心というのか、自分の魂というのか、自分の意識は生きていた。いや、これを生きているというのかどうかはわからない。深く、長い眠りだったような気がする。一年中敷きっぱなしのふとんの横で、目覚まし時計が鳴っていたような気がする。が、今は、時計の針が止まっていた。針は十時十分だ。
 A吉が、自分が死んでいることに気が付いたのは、時計が止まっているのを確認し、よっこらしょ(そう、二十年前、つまり、五十歳のときから、かけ声を上げないと次の動作に移れなかった)と声を出し、起きあがったときのことだった。
 昨日までは、足の膝が痛いため、両手をつかないと立ち上がれなかったのに、今朝に関しては、いやに、簡単に起き上がれたのだった。変だなと思いながらも、通信販売のサンプルで取り寄せた、ひざ痛に聞く、グルコミ酸だか、グリコのキャラメルだかわからない健康食品を昨晩、寝る前に飲んだのが効いたのかと思ったが、そんなに急に効果があるわけない。
会社だって、早急に効果があるような商品は、未来永劫売れ続けないので、ぼちぼちとしか効果がないような商品を作るはずだ。まあ、気のせいだと思い、立ち上がった。そう、たかだか、朝、目覚めて、立ち上がるまでに、一度に、これらのことを全て考えるなんて、不思議だと思った。
 昨日までは、一日中、ぼおっとしていて、考えることなんかしなかったからだ。よぽど、寝過ぎて、頭の中がすっきりしすぎた、つまり、ひょっとしたら、脳みそまでが流れ出してしまったんじゃないかと、思われるくらいだった。
が、まあ、そういうこともあるのか、いや、あったら困ると思いながら、起きあがったわけだ。体がいやに軽かった。ここ、二~三日、パンの耳とか、インスタントラーメンを齧るとか、みかんの皮を風呂にいれるとか(全く、関係ないか)していないせいなのか。
 A吉は、そのまま、ふわりふわふわと台所に向かった。一LDKの部屋。布団に相対して、キッチン(そんなうまげな、どこの言葉や)があった。喉が渇いたことと、顔を洗うために、水道の蛇口をひねろうとした。だが、上手くつかめない。なんか、素通りしてしまう。歳をとったので握力が弱ったのか。
 A吉は、何かの本か新聞で、歳は足や手からとると書いていた記事を読んだ。それ以来、健康に留意し、道路を散歩しながら、また、風呂の中でスクワットしながら、両手グーパーを百回続けている。(どうだ、一挙両得だ。)
 特に、散歩は自分の正業である、他人の所有物を、一時的または永久に借りうける仕事(つまり、泥棒、だが、大したものではない。俗に言う、こそ泥である。)を、暇があれば、(いや、食っていくためだ。暇じゃなくてもやる。)続けているため、確実にクリアしている。健康でも何でも、何か、目的があれば確実に毎日実践できるのだ。
 ただ単に、健康のためという抽象的な概念では、疲れて、腹が減るだけで、何のメリットもない。風呂場でのグーパーも同じだ。握力をつければ、いざというとき、重たい荷物を運べるのだ。例えば、テレビや冷蔵庫(これは無理か)、タンス、パソコン、椅子、枕、ふとんなのだ。ちょっと待て。一体、俺は何を考えているんだ。そんな物、明るい時間に運んでいたら怪しまれて、警察に通報されて、しまう。
 テレビで思い出した。話は変わる。昔、はたちの頃、A吉が、まだ、他人の物を拝借することの初心者マークをつけていた時だ。その頃は、まだ、彼もうぶで、他人の物を永久に借りうけ、それを別の他人にお金と交換して流通させることができなかったとき、手初めに行ったのが、自分の家族の物を活用することであった。
 昔の頃だから、兄弟がたくさんいた。兄が三人に、姉が四人だ。恥かきっ子の末っ子で、一番上の姉とは十五歳、すぐ上の兄とは五歳離れていた。A吉が中学を卒業する頃、姉や兄たちはもう社会人で、自分たちで生計をたてていた。A吉は、高校へ行かず、仕事もせず。毎日ぷらぷらしていたが、遊ぶ金欲しさに、近所に住む姉や兄たちの家に無断で入っては、小銭を拝借していた。だが、そのうちに、兄や姉たちも、家の中のお金がなくなること、つまり、A吉俺がお金を拝借していることに気が付いたのか、家にお金を保管しなくなった。当然、A吉の遊ぶ金の補給先がなくなった。

 ここで、A吉の経歴を簡単に紹介しておこう。
 生まれはB県C町で、実家の周りは田んぼで、ちょっと行けば、山だ。兄弟は七人。長女、長男、二男、二女、三女、三男、最後が、A吉だ。長女とは十五歳の年齢差で、実質上の育ての母は、長女であった。
A吉は、末っ子であったせいか、家族の誰からも可愛がられたが、たくさんの中の一人であることから、いてもいなくても、誰にも気にとめられなかった。
 大きい姉ちゃんや大きい兄ちゃんに栄養をとられてか、体は小さかった。だが、人生は不運が運(?)に変わる。放任されすぎの人生と小柄さを活用し、A吉は、自分自身の生き方を見つけだした。自分の物は自分の物、他人の物は自分の物、この哲学をモットーに、A吉の人生が始まった。
ま ずは、身内から始めよ、も諺どおりに、親の金をくすんだり、兄弟の金を拝借したりした。A吉の行動は、狭い庭の中では収まらなかった。その小銭を軍資金にして、宛てどのない旅へと旅立った。もちろん、宛てのない旅である。懐に北風が吹きだすと、よれよれのジャンパーを帆にして、南風、東風、西風を利用して、家に舞い戻って来た。
「A吉、いつ、戻って来たんだ。心配していたぞ」
 おとんやおかんからは、愛情のある言葉を掛けられたが、兄弟からは総スカンであった。
 それもそうだ。以前、旅立つ際は、兄の家のテレビやタンスを車に積み込もうとしていたところを、兄の子、つまり甥に見つかったからだ。おとんやおかんが、A吉の代わりに賠償したため、警察沙汰にはならなかった。それなのに、また、性懲りもなく、家に帰って来たからだ。
 A吉は、しばらくの間、家に滞在していたが、すぐにお尻がむずかゆくなってきた。座布団から立ち上がると、「ちょっと、行ってくる」の言葉とともに、「ちょっと、戻ってくる」の言葉がないまま、二年から三年が過ぎた。
 時には、国家公務員の宿舎に、国家公務員の監視の下、過ごすこともあった。それが、何年間も続いた。おとんも死に、おかんも死んだ。親子の契りが切れると同時に、兄弟姉妹の契りが、一方的に切られた。A吉は、再び、糸の切れた凧となった。

聖者の行進(4-1)

聖者の行進(4-1)

死んだ者たちがかつて生きていた街を行進し、どこかへ向かう物語。四ー一 指先の魔術師

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-11-08

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted