真夜中のしじま

 しにがみ、みたいだと思ったのは、真夜中にだけあらわれる、夜の住人、と呼ばれている者なのだけれど、あれは、うきたさんの配偶者なのだと、きみは云った。西の、高速道路の向こうからやってくる、夜の住人たちは、この町で、真夜中に、お酒を飲んだり、ゲームセンターで遊んだり、カラオケで歌ったり、している。東の方には、みずうみがあって、みずうみの底には、千年前に沈んだ教会がある。教会のかたちのままで、水のなかで、ゆらめいている。うきたさんが、夜の住人の配偶者となったのは、いわゆるところの、いけにえ、というやつであることを、二十四時のファミレスで、チーズインハンバーグをたべるきみが、おしえてくれた。うきたさんは、ぼくらの一級上のせんぱいで、写真部のひとで、美丈夫、であることで有名だった。美丈夫、なんて、なんだか昔みたいな例えが、けれど、違和感なくて、うきたさんは性別問わず、とても人気があった。一度も話したことのないぼくでも、うきたさんの生年月日や、家族構成や、趣味嗜好なんかをそれとなく知っていたのは、教室のなかで一日でも、うきたさんのうわさをきかない日は、なかったからで、無意識に、親しくはないけれどあいさつていどはする知人、のような気になっていたからだ。実際はあいさつも、したことはなかった。
 平和的和解のための、いけにえ。
 うきたさんは、町の安寧のため、夜の住人のなかでもえらいひとのこどもと、結婚したのだという。
 チーズインハンバーグの、つけあわせのポテトをフォークで刺しながら、きみが、ちらっと窓の外を見た。夜の住人たちが、悠々と歩き回っている時間である。ファミレスにも何人か、夜の住人がいて、近くのテーブルの夜の住人たちは、白ワインでかんぱいし、ソーセージをつついている。ぼくは、うきたさんの撮った、しじま、というタイトルの写真のことを、思い出していた。文化祭の、写真部の展示のなかで、ひときわ目立つ、というほどの華やかさはなかったけれど、ふしぎと、心が、しん、とするような、写真だった。東にある、例の、みずうみの底の教会を、水面から映していた。うきたさんがシャッターをおす瞬間、すべての時が止まって、フィルムに焼かれるために、教会がそこに佇んでいるかのようだった。こわいくらいの透明度と、わずかのひとつもない波紋。
「夜の住人として生きる気分って、こうやって、ぼくらがやっている夜遊びと、どう違うんだろうね」
 フォークに刺した半月型のポテトを、きみはじっと見つめている。夜の住人たちは、たのしそうに笑っている。みんな、黒い服を着ている。青白い顔をしていて、細い。声は小さく、動作もひかえめで、ゆったりとしている。男か、女か、見た目だけでは性別が判断できないけれど、ワイングラスを持つ指が、やたらと骨っぽくて、あの、たよりなさそうな指で、うきたさんを抱くのか、と想うと、なんだか、妙な気分になった。うきたさんのからだを、あの、骨骨しい指が、這うのだろうか。うきたさんの、よわいところも。しかたない。夜中だし。
 ぼくは、わからん、と短く答えて、オレンジジュースをストローでずずずっと啜った。

真夜中のしじま

真夜中のしじま

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-06-07

CC BY-NC-ND
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