lonely planet

「こうあるべき」を押しつけられたくないし、振りかざしたくもない。ひとの数だけ世界がある。あなたがあなたの世界をもっているように、わたしにもわたしの世界がある。わたしにはわたしの生き方があるし、死に方がある。誰もが知らず知らずのうちに、誰かの世界に土足で上がりこんでいる。無自覚に誰かを傷つけているひとには罪の意識がない。同じ傷を負ったことのないひとにはそのひとの苦しみはわからないというけれど、苦しさの耐性はひとそれぞれだから、相手が自分と同じ経験をしたところで相手はなんとも思っていないかもしれない。逆に、自分以上に思い詰めてしまっているひともいるかもしれない。同じ負の経験をしても、同じ人間ではないのだから、傷の深さや受け入れ方はひとによってちがう。知ろうとすることはできるけれど、完全に知ることはできない。理解しようとすることはできるけれど、完全に理解することはできない。同じ道を、同じ歩幅で、同じ歩調で進んできたわけではないから、重なりあうところなんてきっとほんの僅かだ。だから、「わかるよね」とはなるべくいいたくないし、いわれるとどう応えればいいのか窮してしまう。嫌われたくないだとか、絶交になりたくない、相手を悲しませたくない、失望させたくない、そんな理由で相槌をうつことしかできないと思うし、わたしはいつもそうしてきてしまった。その口実すべてが結局は自分本位だということが頭ではわかっているのに。ずるい人間だなんて自覚はとうの昔からある。だけれど、それならどうしたらいいんだろう。なにをいえばよかったんだろう。誰も困らせたくないから、わたしはできるだけ誰にも相談しないようにして、自分ひとりで抱えられるだけ抱えこんできた。抱えきれずにこぼれてしまったものを、時には掬ってもらったこともあったけれど。弱くなりきれなかったし、強くもなりきれなかった。わたしは気づけばまわりのひとたちから、悩みなんてない、強い人だと思われていた。そして、相談にのってほしいというひとがあらわれる一方で、「悩みなさそうでいいよね」、だなんて疎まれることもあった。逆だ。すべて逆だ。みんなわたしのことなんてなにもわかっていないんだ。いまにもそう叫んで、その場から逃げだしてしまいたかった。心の澱を洗いざらい吐きだせるひとが、吐きだせる相手がいるひとのことが心底妬ましいと思った。自分の不安を誰かにうつしたくない、話したところで相手を困らせるだけだ。困らせる、ということがわたしには許せないことだし、許したくないことだ。吐きだしているひとより、吐きだせる相手がいても吐きださずに自分のなかに溜めこんでいるひとのほうがずっと強くて、ずっと弱い。無敵に見られていたわたしは、無力だと素直にいいたかった。そう告白できる相手がほしかった。生きることは困ることだし、困らせることだ。「こうあるべき」なんて概念のない、わたしをひとりの人間として受け入れてくれる星にいきたい。わたしの世界は、わたしが住むには脆すぎた。生半可な覚悟で誰かを受け入れようとするのは、相手とともに、自分のことも無自覚に傷つけているのと同じだ。「わかるよね」に対して、「わかるよ」なんて無責任なことはいえないし、いわれたくもない。それでもわたしは寄り添う姿勢をわすれたくはない。相手に寄り添うことは自分にも寄り添うことだ。みんな、「ひとはひとりでは生きていけない」ということばの意味を履き違えている。ふたりだと生きていけるわけでも、三人以上だと生きていけるわけでもない。自分の孤独と真摯に向きあえないひとは、ひとの孤独に寄り添うことなんてできない。肯定だけをあたえてくれるひとより、完全にわからなくたって、認めあえる関係に憧れていたんだ。弱くなりたいとも強くなりたいとも思わない。そう思うことは、自分に自分の在り方を押しつけている、わたしが一番嫌悪していることじゃないか。関係のなかでわたしの在り方を探していきたい。ひとと関わらない人間は自分にも寄り添えない。わたしは知らないうちに、わたしの世界の入口を塞いでいたのかもしれない。困らせたあとに説明を放棄することがいけないのであって、困らせることがいけないわけではない。生きることは傷つくことだ、傷つけることだ、困ることだ、困らせることだ。いろんな星のひとに会ってみたい。わたしの星に誇りをもちたい。ちょっと寂しいくらいがわたしにはちょうどいい。孤独からおそわったものを否定したくない。見えない翅が背中に宿る。綺麗なところも汚いところも、すべてわたしで、わたしの世界だ。

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  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-06-01

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