のっぺらぼうのあなた
<テーマ:通学路>
それはむかし
私が通っていた小学校では登校班というのが組まれていた
近所の小学生が適当に束ねられて、グループ分けされたものだ
6年生や5年生が、ちびっこを引率して行く仕組みになっていた
私が育った場所は、「市」という名がついた、結構な田舎
車でちょっと走ると、田や畑
夜になると風に乗って豚が鳴いてるのが聞こえてくる
まあ、昭和でしたから
でもいちおう、私が育ったのは住宅地
建て売りの一戸建てが製氷皿の氷みたいに並んだ、団地
私は小さくて
小学校に入ったとき、我が家の大人たちは、ランドセルを背負った私を見て
ランドセルに抱っこされてるみたいと言って笑った
笑い事じゃない
昭和の皮のランドセルは、でっかくて本当に重かった
学校に行く道のりは、恐怖だ
登校班では、最年長の班長さんが先頭、副班長さんがしんがり
あとは小さい順に並べられて、1列で進む
6年生と1年生の脚の長さって、どれだけ違うと思う
私は頑張って、頑張って歩くのだけれど
どうしたってすぐに前が開いてしまう
その上、途中には大難関が
山を切り崩して作ったはずなのに、うちの団地は凹んでいる
そこから外に出るには、心臓破りみたいな坂を登り切らなければいけないのだ
大人は大して気にしない
みんな車で登るんだから
でも私は毎日、坂の上に着いたところで疲れ切ってしまって
立ち止まりそうになった
私は、三輪車を漕ぐと後ろに進む子だった
自転車については、小学校に入った後も補助輪がなかなか外せなかった
2年生になっても外せなかった
でも前に進めば良いので、補助輪付きでガラガラ乗り回していた
2年生のある日
すぐ先に見えている我が家に戻ろうと、私は快調に自転車を漕ぎ
曲がり角の、不均等に斜めにおちる坂で、滑ってしまった
団地の中の道は、しっかり地ならしする気が無かったみたいで
あちこちが妙な坂になっているのだ
補助輪付きが仇となる
とっさの体重移動が効かないままに、いやトロかったせいだとは思うけど
とにかく私は、ずずずと横に転んで
自転車の前輪と私の身体の左半分が、剥き出しの、U字の排水溝にはまりこんだ
あの頃の排水溝は
U字のコンクリートを並べただけで、蓋なんてしてなかった
私の頭はそのまま稼働停止
でも私がコケた角の家では大きな犬を飼っていて
犬が、吠えて、吠えて、吠えて
その犬を可愛がっている近所の男の子が、家から飛び出して来た
その子は、私の登校班の班長さん
そうしたら排水溝にはまった私が固まっていた訳で
彼も固まって、ちょっとの間考えてた
それから、何にも言わないまま私の自転車を起こして
それから、私に手を差し出して
そっと引っ張って立ち上がらせてくれた
私は擦りむいたところが痛くて泣いた
そして頭が大混乱
お礼のひとつも言うべきだと気付いた
次の日、すごく感謝の気持ちで登校班の集合場所に向かったけれど
班長さんが私を遠目に見つけて、別の子に「足ひきずってる」と言って笑ったのが見えた
そうしたら、顔を見れなくなった
そうしたら、次の日も、次の日も、もう何も言えなかった
毎日どんどん、顔を上げられなくなった
今日こそありがとうって言いたい、でも、言えない
それで私は
代わりに、遅れないで歩こうと決意した
出来るだけ大股で、足を踏みしめて、歩くのだ
心臓破りの坂も、ちゃんと歩くのだ
頑張って
毎日頑張って歩く中で、息をしに顎を上げると
先頭を歩く班長さんの後頭部と、肩が見える
私は、元々人の顔を見るのが苦手だった
だから、班長さんの顔はうろ覚え
ちゃんと見たい、でも、見れない
雨の朝
集合場所で班長さんが皆を待っている
いつも遅い私が、その日は何だか2番目
困ってそっぽを向いていると、班長さんが私に声をかける
「これ取って」と言いながら、ちょっと屈んで
自分の傘を私の方に傾ける
班長さんの顔が近づいて来て、でもすぐに傘に遮られた
私は頭で理解するより先に手を伸ばして、傘に貼り付いた葉っぱをつまみ上げた
上手くつまめなくて、手が震える
で、また思った
今日も頑張って歩くぞ
多分、あの日班長さんは両手が塞がっていたのだろう
でも覚えてない
結局、顔は分からず終い
それが癖になってしまったのか
私の夢に出て来る私の好きな人は、皆、顔が無い
大体いつも後ろ姿
振り返ったとしても、顔が何かに隠れてる
ぼんやり暗くて、のっぺらぼう
笑っている気がしても、のっぺらぼう
そしてみんな、どこか班長さんと被ってる
大人になった、想像の班長さん
夢の中はいつも曇り空
夢の中で、私はいつも不安
いつも、右に左に視界が揺らぐ
でも
不安で、不安で、ざわざわしてる私に
あなたはきっと、手を差し出してくれる
のっぺらぼうの
のっぺらぼうの、優しいあなた
のっぺらぼうのあなた