俺がいないと駄目なんだ

俺がいないと駄目なんだ

「お兄、ご飯できたよ」
 俺の兄、美園浩一(みそのこういち)は「ん」とだけ返事をしてベッドから這い出る。ゴムが伸びきったスエット地の黒ズボンにグレーだった型崩れして色あせたTシャツ。顔はうっすら伸びた髭と眠たげにとろけた瞼、そんな正気の無い顔を縁どる髪はぼさぼさで寝癖だらけだった。
「はい、ご飯とみそ汁。あと鮭が安かったから焼いたよ。小松菜の和え物はお弁当のと一緒だけどごめんね。ご飯に玉子かける?」
 兄はもう一度「ん」と返事をしてダイニングテーブルにつく。ぽりぽりと腹を掻くものだから余計シャツが伸びてしまいそうだった。
 食事中、俺たちは何も話さない。卵を割り醤油を垂らして渡すと兄はご飯にかけて食べ始める。元来寡黙な兄は淡々と俺が作った朝食を食べる。お礼も文句も言わない。それでも、そんな兄を見ていられるだけで幸せなのだ。兄は俺がいないと駄目なんだから。
 両親共に介護職のため家族全員が朝に揃うことは少ない。家のことはもっぱら弟の俺、晴樹(はるき)がやっている。兄はずぼらで、料理をしようという意思もなく、黙ってそこにいる。
「俺、洗濯機回してから行くから、お兄は先学校行ってて」
 またしても「ん」とだけ返事をして兄は玄関から出た。
兄は地元の高校に通っている。高校受験のときも兄はそんなに頑張らなくても入れる中の下くらいの高校を選んだ。兄は学業も真面目とは言えず、何を考えているのか周りに示さず、ただ行けるからという理由だけで選んだ。そして俺は一年遅れで当然とばかりに兄と同じ高校を選んだ。担任にはもっと上の高校をと勧められたが、兄弟で入ると入学金が安いからと適当な理由をつけて押し通した。だって兄は俺がいないと駄目なんだ。
 兄の部屋に入ると脱いだままの形のズボンとTシャツが床に落ちていた。それを拾い上げると俺は兄の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

 高校生活なんてあっという間で、兄は卒業後、近所の食品加工会社に就職した。親の意向もあってか兄は俺を置いて一人暮らしを始めた。
俺は兄とは違い進学コースだったため受験勉強に追われていた。兄の暮らす家の近くの大学に受かろうと必死だった。あんな兄が一人暮らししていたらきっと三日でゴミ屋敷になるだろう。白骨化した遺体が三ヶ月後に見つかるかもしれない。そう思うと気が気ではなく、兄の暮らすアパートまで電車で一時間かけて週末は通った。電車の中で単語帳を開きながら、兄のことを想った。
毎週末、家のことを一通りやって、常備菜を作り置きしておいた。持ち物が少ない兄の部屋は想像より整然と片付いていた。兄の匂いがする。落ち着くようで何かが刺激されるような匂い。この部屋にずっといられたら。来年からは一緒に。
「お兄、これは今週中に食べてね。あと、燃えるゴミの日は火曜だからちゃんと出しておいてね」
 そう説明すると兄はいつも通り「ん」と返事をした。兄の低い声が俺の心臓を震わせた。
「じゃあまた、来週ね」
 見送る兄が少し寂しそうな「ん」を発するのが、俺は堪らなく嬉しかった。やはり兄は俺がいないと駄目なんだ。

 その日は梅雨の真ん中あたりの週末だった。きっと兄の髪はいつもの寝癖に湿気が加わってぼあぼあだろう。想像するだけでおかしくてクスリと笑った。車窓に打ち付ける雨粒の音を聞きながら、俺は単語帳のカードをめくった。
 兄の住むアパートの玄関前に赤い傘があった。きっと隣人のものだろう。兄は派手なものが嫌いだったはずだから。
 合鍵で開けようとしたとき、玄関のドアが開いた。そこには茶髪のロングへアーにくっきりと化粧された顔の女性がいた。
「こういちー、この子がいつも面倒見てくれる弟くん? えーっと、名前は確かはるきくん、だっけ」
 俺は絶句した。兄の部屋に女がいた。兄と同じシャンプーの匂いがする。なんで。なんで。
「じゃあね、晴樹くん。私これから仕事だからまたゆっくり話しましょ」
 女性はそう言うと、赤い傘を開いて振り返りざまに小さく手を振った。
 俺は玄関で兄に抱き付いていた。
「お兄、今の彼女? なんで俺以外の人と一緒にいるの? なんで? 何してたの?」
 まくし立てる俺の背中に兄は腕を回した。瞳が湿度を持つ。なんで、お兄は俺がいなきゃ駄目なんじゃなかったの?
「晴樹はホント、俺がいなきゃ駄目なんだな」
 兄はニヤリと笑い、俺の唇を塞いだ。恋い焦がれた兄の味がした。

「ヤダ、お兄、もう無理だよ」
 兄は俺を組み敷いて、俺の中心を穿った。
「俺は知ってるんだ。晴樹が俺のこと好きだったって。俺のオナったティッシュを持ち帰ってオカズにしてたのも、一人でアナル開発してたのも、全部知ってた。俺が一緒じゃなきゃ何も選べないダメな弟だって知ってた。俺の面倒を見て自分のものにしたつもりでいたのも知ってた。可愛い俺の弟だ」
 俺の知らない兄がいた。饒舌で、雄の顔をした兄。低い声が頭の中でハウリングする。何度吐精させられても兄は止めなかった。快楽で震える腕で必死に兄にしがみつく。
「お兄、好き、好きだよ」
「晴樹、やっぱり俺がいないと駄目なんだな」

 性の気だるい余韻にベッドで横になっていると、兄は口移しでスポーツドリンクをくれた。汗とローションをタオルで拭きとって、俺の頭を撫で続けてくれる。こんな甲斐甲斐しい兄を俺は知らない。
「お兄、さっきの女の人、誰」
「セフレ」
 意外な単語に俺はまたもや絶句する。
「ちなみにアレ、男だから」
「はあ? えっと、お兄、どういう」
「晴樹を抱く練習になってもらってた、職場のMtF。ずっとお前のこと抱きたかったから」
 全身がぴりりと熱くなる。兄の胸板に頬を寄せた。兄が、そんなこと。
「アイツとは、もうセックスしない。晴樹を抱いたらもう関係は持たないって決めてたから」
「お兄……」
 抱き合っているとどろどろに身体が溶けあうような気がした。兄のことを知らなかったのは俺だった。俺の思い上がりだった。だけど、
「俺がお兄の性欲処理していい?」
 兄は俺の額に唇を寄せて「ん」とだけ返事をした。
「やっぱり、俺にがいないと駄目なんだ」

俺がいないと駄目なんだ

俺がいないと駄目なんだ

お兄は何にもできない 俺がいないと駄目なんだ

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い性的表現
  • 強い反社会的表現
更新日
登録日
2020-05-31

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