僕を見ていて

僕を見ていて

「でさ、夏休みどこ行くよ」
 梅雨の終わり。湿った空気が夏の暑さを含み、カフェのテラス席に座っている僕たちは肌を舐めるような湿度に汗をじんわりとかいていた。
「どこって……いっぱいあるね」
 黒い縁の広い眼鏡をかけた僕の恋人は机に広げたガイドブックに落ちないようグラスの水滴をおしぼりで軽く拭いてから、僕には到底飲めないほどガムシロップを大量に追加したアイスカフェオレを口に含んだ。よくよく見るとカフェオレの淡いベージュ色の底に透明な淀みのような層がある。溶けきっていないじゃないか。そのくせよく太らないものだ。
「僕は水族館とか、あとは博物館に行きたい」
 とりあえずの案として提案するも、どちらもピンとこない。しっくりこないのは歴然のようで、彼はこめかみのあたりをくしゃりと掻いた。
「じゃあ君はどうなのさ」
 さっきから考えてばかりで何も言わない彼に少しばかり拗ねて見せる。
「うーん……というか、今がデートっぽくね? 恋人と、カフェで、ガイドブックを見ながら、お茶してる。いやあ、リア充だね」
 言われてみればそうだと、僕は耳を熱くした。よくもまあそんなにあっけらかんと言えるものだとうそぶくと明るく彼は笑った。これだから彼には敵わない。生意気だ。
「いやね、これもデートだけどさ、やっぱり僕としては夏休みはどこか旅行へ行きたいのですよ」
 何、畏まって、と彼に揶揄されるが、煩い、と続ける。
「一緒に思い出、作りたいじゃん?」
「そうだねー。オレはお前とならどこでも楽しいよ」
「またそう言ってー。決まんないじゃん」
 まぁまぁ、まだ色々見てから決めようよ、と彼にガイドブックを差し出される。
 ガイドブックに向けられる彼の眼鏡越しの真剣な眼差しが、僕は好きだと思った。

「結局決まらなかったね」
 日が長くなって気付きもしなかったけれど、もう夜の七時になっていた。雲が途切れ途切れに流れて、星空を覆い隠している。
 会計を済ませた僕たちは手を繋いで地下鉄の駅に向かった。身長差は殆どない。それが僕たちのスタイルだった。
「あれ、そこ歩きにくくない?」
 彼が点字ブロックの上を歩いていたので僕が少し手を引く。
「んや? 別に慣れてるから平気だよ」
「そう? 僕は足の裏が痛くなるから苦手なんだよね」
 よし、覚えておこうなんて彼が呟いて、続けた。
「オレさ、いつ目が見えなくなってもいいように訓練受けてるんだよ」
「はへ?」
 突然の情報に僕は間抜けな返事をする。
「点字だって少しは読めるし、音の跳ね返りで物の位置を特定する訓練も受けてる。見えているうちにね」
「そ、そうだったんだ……目が悪いのは知ってたけどさ、うん」
 僕の心は暗く冷たい波のようなものに呑まれた。多分、これは「悲しみ」だ。
 黙りこくった僕に気付いたのか、彼はいつもの笑みで僕の頭を撫でた。大丈夫だ、と。

 帰宅する電車の中で、僕は彼にメッセージを送った。
「夏休み、天体観測に行かない?」
「君の目が見えるうちに一緒に色んなものを見たい」
「ずっと僕の姿を忘れないでね」

 数分後、彼から返信があった。
「いいね、コテージにでも泊まろうか」
「いつまでもお前のことも、皆のことも覚えているよ」
「ありがとう」

僕を見ていて

僕を見ていて

夏休み、天体観測に行かない? 君の目が見えるうちに一緒に色んなものを見たい

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-05-31

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