木の上の葡萄

木の上の葡萄

「この部屋に来るのは何度目かな」
 はめ殺しのガラス窓から見る街並みは何度見ても違うように感じた。再開発が進む大都会。狭くなってゆく空は今日も俺たちを暴く。
「ノリくんが高校二年のときからだから、きっと両手両足の指じゃ足りないくらいね」
 流行りの艶があるシャツに葡萄色のスカート姿の彼女がガラスに映る。その影はゆっくりと俺に近づき、やがて熱が俺の背中に触れた。
「正直、遊ばれているだけだと思っていました。こんなガキな俺なんて」
「あら、私もそう思っていたわ。こんなおばさんなんて」
 腰に回された手は、暖かく、華奢で、俺に縋るようで。
 俺はその手を掴むと、彼女の薄い唇を啄む。彼女の瞳は都会の曇天の鈍い光を写していた。
「卒業まで待って、なんて漫画みたいに言える大人じゃなくてごめんね、ノリくん」
「でももう卒業したよ、佐藤先生」
 もう先生じゃなくていいの、と言いかける彼女を膝から持ち上げ、純白のシーツの中に投げ入れる。ダウンライトが彼女の上に影を置いた。
「どうされたい? 咲枝さん」
「もう、女性にそんなこと言わせるなんて意地悪ね」
 彼女の細い髪を撫で、額に口付けを落とす。化粧品特有の人工的な甘さの奥に、女性が持つ本来の生臭い甘さが鼻を刺激した。歯を見せて照れ笑いする彼女はいつまでも少女のように見えた。
 シャツとスカートを脱いだ彼女はスカートと同じ葡萄色のブラジャーをしていた。手を添えないと形を保てないほどのやわらかな乳房は何度触れても危ういと思ってしまう。この人が壊れないように。
「咲枝さん、可愛いよ」
 彼女はいつも言う。「私なんて」と。だけどね、先生。俺はそんなあなたのことが心の底から好きなんだよ。若僧の、浅い心だとしても。
 彼女から発せられる大人の香りは、俺が彼女に届かない証明式のような形をしていた。

「咲枝さんって、高いところが好きですよね。このマンションとか、学校の屋上とか」
 額を流れる汗を指で拭って、ミネラルウォーターのペットボトルを開けた。
「屋上に私がいるところをノリくんが見つけたんだっけ。生徒は立ち入り禁止よ?」
 でもあなたはいた。一人で世界を見渡して。
「高いところにいると、世界がちっぽけに見えるの。遠くまで見えて、そしてその小さな世界の中のもっとちっぽけな私の存在に気付くの。冷静でいられるように」
――――でもノリくんの前じゃ、冷静でいられなかったわ。
 可笑しいかしら、と笑う彼女に、俺はもう一度覆いかぶさった。
「やっぱりノリくんは若いのね」
「咲枝さんが可愛いからです」
 反論される前に、俺は彼女の唇を塞いだ。

木の上の葡萄

木の上の葡萄

卒業まで待って、なんて漫画みたいに言える大人じゃなくてごめんね

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2020-05-31

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