彼女と呼んで

佐倉愛斗

彼女と呼んで

「あの女、知ってる?」
 大講義室の真ん中あたり。私の横に座る美香が秘め事を耳打ちするように言った。美香の前に座る志乃は振り返って「なになに」と噂の臭いに食いついた。私はというと、こんな二人にも一応合わせるように作り笑いで相槌をしてみせる。
「布端樹生(ぬのばたたつき)って言うんだけど、ほら、そこの」
 美香が顎で指す視線の先には、跳ねた短髪に襟の詰まったTシャツ姿の青年がいた。周囲には数人の男子学生がいて、その輪に加わって談笑している。でも美香はあの青年のことを「女」と言った。
「あんな見た目してるけど女なんだってさ。キモくない?」
 女子中学生かよ、と私は心の中で美香のことを嘲笑った。
「なんていうか、クラスに一人はいるじゃん? 私は男ですアピールをして男の輪に入ってチヤホヤされたがる女」
「痛いねー」と志乃が言う。
「女を捨ててます、ってアピっておいてサークルの姫かよ」
 私はそうは思わない、と私はこのとき言うことができなかった。
「やっぱりサークルの姫は茜みたいなこう、小さくてお姫様みたいな人がいいよ」
 唐突に私の名前を呼ばれて身体を固くする。
「そうそう、茜は本当に可愛いもんね。顔も体も手も小さくて、守ってあげたくなっちゃう」
そんなことないよ、と否定しても二人ともやめない。
「大学入ってから何人に告白されたの?」
「えっと……覚えてないな」
「またー、モテモテだね、あかねちん」
 この人たちは私のことを知らない。恐らく、誰も私のことを知らない。
 きっと樹生と呼ばれた男の子みたいな女の子のことも、誰も知らないんだ。
「話変わるけど、私、彼氏ができたんだー」
 美香の声のトーンが急に明るくなった。
「えーっ、だれだれ―?」とつられて志乃の声も少し高くなる。
「ふふーん、二年の市原先輩っていうの」
「イケメン?」
「そこそこ」
「いいなー」
 二人の会話に、私は震えていた。

 大講義室での哲学の講義はとても興味深かった。『神の存在論証』なんてオカルトじみてるね、なんて笑いながら履修登録したのに、実際は科学に基づく数々の論証であった。
しかしそれも私だけのようで、美香も志乃もスマホをいじってばかりだった。テスト前に私に泣き付いてくることは目に見えている。こんな関係をやめられない私もつくづく馬鹿なのだろう。
 ちらり、とあの学生の方を見る。あの人もまた、背筋を伸ばして教授の言葉をルーズリーフに書き留めていた。

 私は美香と志乃と別れると、キャンパスを後にした。向かう先は二つ先の駅。昨晩、約束をした彼と合うために。
「君がアカネさん? 写真よりずっと可愛いね」
 私は確かめたかった。私は男と恋愛できるのか。
 やはり私は馬鹿なんだ。こんな方法でしか自分を見つけられないなんて。
「ありがとうございます、じゃあ、入りましょうか」
 私よりずっと年上の臭う男と腕を組んで、一つのホテルに入っていった。

 結論から言うと、私はやはり今日も男というものが好きではないらしい。
 犬みたいに全身を舐められるのが気持ち悪くて、私は拒絶した。
 しかし今日の男は何を勘違いしたのか、それをよがっているのだと思ったらしく、一向にやめてはくれなかった。どうしてそんなに自己中心的な考え方しか誰もできないのだろう。
 私を出入りするペニスの感覚はただの物質の運動にしか思えなかった。
 そして今日の私に付けられた価値は、三万円だった。

 夜の八時、私はキャンパスから歩いて五分の女子寮に戻ってきた。食堂を通り過ぎて部屋の備え付けのシャワーに真っ先に入る。
 気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い。
 肌に残る男の体液と臭いが、存在が、感触が、気持ち悪くて仕方なかった。何度も肌をはぎ取るように擦っていると、私は涙が出てしょうがなかった。
 どうして私は男を好きになれないのだろう。
「っや……もういや、嫌よ、こんなの」
 排水溝に私の心まで流されてしまえばいいのに。
 シャワールームに置いていたカミソリに手を伸ばしたそのとき、シャワールームのドアが何度も叩かれた。
「大丈夫ですか?」
 知らないアルト声に私は驚き、カミソリを落とした。ドアからほんの少し顔を出すと、Tシャツに短髪姿の布端樹生だった。
「はい、大丈夫……」
 しかし私の涙は何故かあふれてしまった。私の泣き顔に驚いたのか樹生は持っていたタオルを渡して、それからハッとして、後ろを向いた。

「さっきはありがとう。えっと、なんで私の部屋に?」
 服を着た私は、濡れた髪をタオルで押さえながら、誰もいない食堂で布端と二人で話していた。
「さっき茜さんがここを通ったとき、その、危なそうな雰囲気だったから、心配で……部屋の鍵が開いてたからって勝手に入ったのはごめんなさい」
「別にいいよ。布端さんのおかげでちょっと楽になったから」
 よかった、と笑う布端はやはり女の子の柔和さを感じさせた。
「そういえば、なんで私の名前、知ってるの?」
「その、こんなこと言っても引かない……?」
 布端は目を伏せて顔を固くする。
「僕、前から西野茜さんのことが、気になってて、その、可愛いなって」
 しどろもどろになる布端の言葉に、私は驚きより嫌悪の方が表に出た。震える瞼の先の睫毛が、私をイライラさせる。
「何、布端さんってレズなの? それとも見た目通り男?」
 私の中で黒いものが渦巻く。なんで、なんであなたは簡単に言えてしまうの?
 布端は目を泳がせて、それからひとつひとつ言葉を選ぶように話し始めた。
「ちが、くはない。というか、分からない。でも茜さんは誤解してる。僕は、茜さんに憧れているんだ」
「憧れ?」
「僕は、茜さんみたいに、可愛い女の子になりたい。そういう憧れ。僕、おしゃれもおしゃべりも、占いや流行りのスイーツも全然知らなくて。背も高くてガタイもいいから、いつも男の子に囲まれて生きてきた。『男の子』としての生き方しか僕は知らない。こいつ、男みたいだろ? って友達から友達へ広まって、僕は『男の子』になってしまった。どうしたら『女の子』になれるのか分からないんだ。本当に僕は女の子なの? どうしたら僕は自分を女の子だと証明できる? 茜さんたちのこと、どこか別次元の人に感じてしまうんだ。やつらには僕のことを『彼』って呼ぶ。でも僕は、『彼女』って呼ばれたい」
 自分の体を抱きしめながら語る布端のことを、あんなに憎くおもえてしまったのに、どうしてか私は、愛しく思ってしまったのだった。
「話してくれてありがとう。布端さんは女の子だよ。自分が女の子だと思えば、女の子だよ。私も無神経なこと言ってごめんなさいね。私はね、あまり考えたことないけれど、多分女の子なのだと思う。でもね、私もみんなとは違うんだなって感じるよ」
 そして私は嫌になるほど女を振りかざして言った。
「ねぇ布端さん。私とデートしよ?」

「聞いてよ、あかねー。あの女、私の彼氏とも繋がってたの」
 講義室で開口一番、美香が口にしたのは「あの女」布端樹生のことだった。
「布端さんがどうかしたの?」
「アイツの取り巻きに市原先輩もいたの。ほんとサイテー。何人に手を出したら気が済むの? マジ死ねってば」
 何も知らないくせに。
「美香かわいそー。ホント害悪。ちやほやされて何が楽しいの?」
 何も知らないくせに。
「茜もあんなやつキモイと思うよね?」
「何も知らないくせにっ!」
 私の大声に、講義室が騒然とする。
「えっ、なに茜どうしたの?」
 私は二人のことを置いて講義室から飛び出していた。

 キャンパスの外れにある木々の生い茂った公園のベンチで、私は泣いた。何が悔しいとか、悲しいとか、もう頭が追い付いていなかった。ただ私は純粋な「女の子」の二人と一緒にはいられないと漠然と感じていた。
 布端樹生さん。私はあなたに恋をしてしまったわ。迷えるあなたに、彼女と呼ばれたい。
「茜さん」
 背後から、あの人の声がする。
「僕のために泣いてくれてありがとう」
 どうしてあなたは迷っていると言えるの。
「デート、するんでしょ?」
 振り返った私は、彼女の胸の中に飛び込んでいた。

 デートは原宿の竹下通りに二人で向かった。講義は自主休講。だって大学生だもの。
 平日にも関わらず人通りは多くて、それを利用して私は彼女と手を繋いだ。布端さんは私より背が十五センチも高いけれど、ヒールの高い靴を履いた私とスニーカーの彼女は並ぶと丁度いい。
 可愛いお洋服を二人で見た。こんな服着たことない、なんて照れる布端さんはやっぱり可愛くて、勇気を出した布端さんは一着のフレアワンピースを買った。他にもアクセに靴、下着なんかも見た。最近流行りの虹色の綿菓子を半分こして、歩き疲れたらチーズケーキの美味しいカフェに入った。
「茜さんといると楽しい。女の子って感じがするよ」
「そう? ベタすぎないかな」
「同性の友達ってこんな感じなんだなーって思うよ」
「男の子たちとは違う?」
「あいつらは僕のことを男だって言うけど、どこか下心はあるよ。どこかよそよそしいというか、簡単に言うと下ネタに混ぜてもらえない」
 揶揄するように笑う布端はやっぱり可愛い。ショートカットの髪が笑う度にさらさら揺れて、きっと伸ばしても可愛いのだろう。しかし同時に、彼女への下心を持っている私は果たして同性なのか、胸を張っては言えない。一抹の罪悪感に私はアイスティーの氷をストローでカラリと回した。
「下ネタかぁ、布端さんは経験ないの?」
「男の人に一度だけ。でも、しっくりこなかった。ずっと友達だと思っていたから」
 友達、か。
「そう言う茜さんは?」
「私は……いっぱいあるって言ったら嫌いになる?」
「ならないよ、だって友達だもん」
 布端さんは私の手を握った。きらきらした乙女の目で、私のことを根拠もなく信頼して。
本当は私、あなたにめちゃくちゃにされたいって言ったら、嫌いになるでしょう?
「どうかした?」
 布端さんに言われてハッとする。
「また暗い顔してた。茜さん、何か悩んでいるの?」
「私は布端さんとは違うんだな、っておもっちゃって……布端さんはちゃんと人に頼れる。でも私は、怖くて、できないの」
「そっか……僕じゃダメかな?」
 私は唇を噛んだ。そして、言う。
「私、布端さんのことが好きなの」

 月が綺麗ですね、なんて言ったのは誰だったか。私の月は潤んで歪んでいた。
 男の子が好きなのか、女の子が好きなのか、まだ分からないと布端は言った。そして私のことは友達としてしか見られないと言う。
 私は彼女のことを傷付けてしまっただろうか。下心のない関係を望んでいたのに。
 私は何で女の子にしか恋ができないのだろう。
「彼女って呼んでよ。私を彼女にしてよ。可愛い彼女って自慢してよ……」
 女子寮の部屋から見上げる夜空はこんなにも美しく、私は醜い。
 コンコン、とドアをノックされる。多分布端だ。出会ったあの日に戻れたら、この気持ちを言わなければ、赤の他人でいられただろうか。
「茜さん、開けてよ」
 いやよ。私は私を見せたくないの。
「僕は、今日とても楽しかったよ。茜さんと話せて嬉しかったよ」
 でもあなたは私のことを好きにならないんでしょ?
「僕は、茜さんのこと、好きだよ」
 私の「好き」とあなたの「好き」は一緒?
「だから、彼女って呼んでよ」
 私は駆けだしていた。ドアを開けると彼女の胸に飛び込む。
 嗚咽をあげて、みっともないほどに私は泣いた。布端はそのまま私の部屋に入ると、その大きな体で私を抱きしめた。
「私、女の子のことが好きなの。ずっとそれが嫌で、認めたくなくて、でも、やっぱりダメで。誰にも言えなかったの」
 布端の身体は暖かくて、柔らかくて、いい匂いがした。
「僕もまだ分からないことばかりだけれど、あの時は驚いてしまったけれど、それでも、逃げないで向き合おうと思う」
「布端さん、彼女になってくれますか?」
「もちろん。茜さんも彼女になってくれる?」
「ええ、大好きよ」
 私たちの戦いは、まだ始まったばかり。

彼女と呼んで

彼女と呼んで

彼女って呼ばれたい 三人称じゃなくて、大切な人という意味で

  • 小説
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更新日
登録日 2020-05-31

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