lonely strawberry
ショートケーキがたべたい。誕生日でもなんでもない日に、一切れのショートケーキがたべたい。だれもいないリビングで、知らない洋楽でも流しながら。ショートケーキのてっぺんにたたずんでいる一粒のいちご。いつも彼女に釘付けになってしまう。そして、「わたしと一緒ね」、ときまって切なくなる。なにが一緒なんだろう。なにが一緒じゃないんだろう。彼女はどこから来たんだろう。彼女の生まれも育ちもわたしは知らないし、わたしの生まれも育ちも彼女はもちろん知らない。知っているのは、おたがいが孤独だということだけだ。わたしがあなたとひとつになって、あなたの孤独は終わる。わたしがあなたの一部になれたかはわからないけれど、あなたはわたしの一部になって、わたしのなかで記憶として生きつづける。寂しさを共有した時間だけがわたしの胸に残る。これからまた、切なくなるときがあるかもしれないけれど。記憶というものは、いつも正確におもいだしてあげないと、じぶんの知らないところで勝手に綺麗になっていってしまう。それは快いものではなくて、歯がゆさとか、やるせなさを孕んでいる。それが起こるのはきまって、ふとおもいだすときだ。じぶんから記憶を手繰り寄せにいかないと、記憶はどんどんみずからの生活から遠ざかっていき、ぼやけていってしまう。それがたとえどんな記憶だとしても、わたしは記憶を孤独にしたくはない。そのすべてがわたしの一部だから。「わたしと一緒ね」、って、次はだれかに言われてみたい。
lonely strawberry