冬至の茸

冬至の茸

不思議な茸の物語

 十二月二十二日、冬至の日である。どのようなものにも、その日は昼間が一番短い日であると書いてある。
 俺はこの日が一番好きだ。なぜかって。そりゃあ夜が一番長い日だからだよ。暗闇が好きなんだ。夜稼いでいるからさ。昨日は銀座の宝飾店からダイヤを一つ盗んだ。警報装置なんてすぐわかるし、だまくらかすのはお手の物だ。たった一つしか取れなかったと笑ったな。その店で一番気に入った奴を一つだけ盗むのが俺のやり方だ。余計なものは盗まない。短時間に仕事をしてずらかる。盗んだものは売らない。自分のコレクションだ。
 普段なにやっているかって。勉強の嫌いな俺がまともな職業に就いているわけはない、と思っているんだろ。そう、それがね、違うんだ。
 松田優作って俳優知ってるだろ、映画、蘇る金狼ではさ、表の顔はさえないサラリーマンで裏の顔はアクロバテイックな殺し屋だったりしてね。映画じゃ格好よかったね。あんな風にはいかないが、俺は八百屋だ。なんだそれはって、馬鹿にして笑ったろ。ただの八百屋じゃない。有機栽培だとか、完全水耕栽培だとかを売る特徴のある八百屋がでてきているがそれとも違う。
 天然物のみだよ。ということは誰かが山にいって採ってきたものだけを売っている。たった六畳ほどの店でインターネットが中心かな。野菜は春ならぜんまい、わらび、つくし、よもぎ、タンポポ、夏はすかんぽ、ノビル、秋は茸、あけび、むべ、くり、どんぐり、さまざまだ。
 みんな自分で採ってくるんだ。山から盗むんだから、裏の趣味と違はないじゃないかと言われれば確かにそうだ。
 それだけじゃやっていけないだろうと人に言われるが、委託されたものを採ってくるということもしている。たとえば、ドングリを一万個いついつまでになんていう狂った注文もあるよ。そういうのネットでくるね。なににするかと言えば、映像や画像を作るのに必要なこともあるんだそうだ。なにせ山にはなれているから、どこに行けば椚がたくさん拾えるとか、しいの実がどこに多いとか知ってるんだ。ドングリだっていろいろな種類があるからね。
 時にはこんな植物を探してほしいなんてこともあるよ。浦島草や蝮草の色の変わったのを探している業者はずいぶんあるよ。採ってきたやつを改良して、面白い色の花を作り出して一根数十万円で売ってるところがある。面白い草を見つけたりすると、そういう園芸会社に持ち込むんだ、結構な稼ぎになるよ。ということで俺の表の顔はそれなりに知られてもいるんだ。
 ところが、齢七十七になって、裏の趣味で捕まってしまった。体が丈夫だったために表も裏もうまくいっていたのだが、とある自分の楽しみのために足がついてしまったのだ。そう言うことで、今獄中でこの物語を書いている。いつまで牢屋にいなければいけないってのか聞いているのかい。ずーっといたいよ、何せ設備がいいからね、規則正しい生活は肌に合っているしね。だけど、盗んだ宝石はすべて持ち主に戻ったので、刑はそんなに長くない。出所後の方が心配だよ。もう表の仕事もあまり出来ないしね。どのように戸締まりをしたらいいかなんてことを話すことができるから、警察に雇ってもらえないかと考えているんだ。
 部屋にきれいに並べておいた宝石を見て、刑事が驚いていたよ。
 まるで、宝石のミュウジアムだってね。一流の一粒だけの宝石を集めたからね、あのたくさん石をくっつけたじゃらじゃらしたのは嫌いだよ。だけど、ダリの宝石は好きだよ、盗もうとも思ったけど、さすがに厳重だったね、ちょっとやばそうだからやめたよ。その点、宝石屋さんは入りやすかったよ。

 俺は信州の山の中の、またぎの家に生まれたんだ。またぎなんて今じゃほとんどいないよな。おやじは熊を撃ちにいっていていつも家にいなかった。お袋は畑をやったり山に山菜を採りに行ったり、俺はいつも一人で遊んでたな。お袋が飼っていた虎猫を相手にするぐらいだったな。だけど生き物はいろいろいたからね、ちょっと大きくなってからは目白を捕ったり、玉虫を捕まえて並べたり、カブトムシやクワガタなんかうようよいたので面白くも何ともなかったな。だがきれいな虫には目がなかった。ハンミョウなんてきれいだよ。
 植物は奇妙なものは好きだったな。蝮草や蘭の仲間は見つけると花を切って家に持っていったものだ。だけどお袋は変な花が好きだねととりあってくれなかったな。お袋は小さなかわいい花が好きだったよ。
 一人で山に入れるようになった頃は、お袋のやっていた山菜採りや木の実集めを俺がやるようになったよ。お袋は喜んでいたな。
 こんな生活が俺の表の職業になったんだな。
 七つになって小学校に通いはじめたんだが、町まで遠いこともあって、冬なんかはほとんどいかなかったな、だから俺は小学校中退なんだ。ただ小学校にあがると、お袋が絵本を買ってくれてそれを一生懸命見ていたな。お袋は月に数回町に買い出しに行っていたが、必ず絵本を買ってきてくれた。お袋も字などまともに書けなかったんで、絵本が好きだったんだ。一緒によく見たものだよ。
 おやじが熊を捕って、金を持って帰ってくると、それと一緒に俺にもみやげを持ってきてくれたが、たいがい自分で捕った鹿の角だとか、熊の皮の帽子だったな。それがいつだったか覚えていないが、ビー玉を買ってきてくれたことがある。あの緑色のガラスの奴だが、いくつか透明なガラスの中に赤や青がはいっているのがまじっていて、それは嬉しかったな。町の子供たちは当たり前に駄菓子屋で買って遊んでいたようだが、山奥に住んでいた俺には宝物に見えた。それが宝石だったんだよ。裏の顔になったんだ。そのころビー玉をきれいに並べてよろこんでいたよ。あるとき山の中で透明の石を拾ってね、お袋に聞いたら、水晶って名前をおしてくれたよ。あれは子供のころの宝物だった。

 十になったときだったかな、いつものように山に茸採りに行ったんだ。八月も中程になると山は少しばかりひんやりしてきて、茸が生え始めるんだ。小さいときから母ちゃんに茸の見方を教わっていたから、選ぶことはたやすかった。ただ、食べることのできない色とりどりの変わった形の茸が大好きだったな。滑子や猪口などでかごが一杯になると、真っ赤な茸や青い茸を探したものだ。見つけてなににするわけではないが、ともかく探すのが楽しかった。最初にすっぽん茸を見つけたときには、ちんぽが生えてると驚いた。
 そう言った食えない茸の中でもっとも好きだったのが紅天狗茸だ。
 赤くてシャンと格好良く立っている。
 母ちゃんはあのつんとした真っ赤な毒茸は気をつけなよとよく言ったものだ。
 「あたしゃああいう毒々しいのは大嫌いさ」
 と見つけると足でけっ飛ばしていた。
 俺は子供心に、きれいなのにかわいそうと思っていた。一人で山にいくようになって紅天狗茸をみつけると、しゃがんで見つめたもんだ。そいつがズラーっと林の中に一面に生えているところに出くわした時には、食うための茸を採るのを忘れて、空の籠をしょって帰って、何してたんだいと怒られたことがあるよ。
 茸やアケビを沢山とって、山栗や胡桃も山ほど拾って家に帰ると、母ちゃんは喜んだ。それはご飯の助けになったからだよ。
 ある日、尖り山に行ってみた。この山の上のほうは切立った岩壁になっていて、険しいものだった。岩が多いので山菜や茸類は少ない。だからみんな登ろうとはしなかったな。だけど下の方には林もあって茸も生える。そこに行くにはいつも茸採りに行く山を越して、もう一つの山をこす必要があったんだ。子供の足だと一時間半くらいはかかったな。だけどいけないところじゃない。
 その日は天気が良く、いつも吹いている冷たい風が止んでいて、尖り山に行ってみたくなった。ちょっと面白い茸に出会いたいとも思っていたからだ。母ちゃんに言うとだめと言われるので、母ちゃんが畑にいった時に、家の裏の山からいつもの茸採りの山にいったんだ。そこから歩いて一時間、尖り山の中腹に着く。そのあたりは岩だけでできているわけではなく、石ごつではあるが、場所により木が生い茂っており、その中で、木の実も採れるし茸もある。ただ火山の名残で岩場にでると温かい水がちょろちょろと流れていたりするところもある。
 俺は茸を見たいので林の中に入った。他の山と違って急な斜面だ。湿気が多く橙色で茶碗のような茸やへんてこな茸がたくさん生えている。採って帰れないのが残念だが面白い茸に出会えることはとても楽しいことだった。
 食べられる茸を籠に入れて進んでいくと、天狗茸の仲間があたり一面生えているところに出た。大きな紅天狗茸、茶色の天狗茸、白い鬼天狗茸がいたるところに生えている。みんな背が高くて立派なんだ。その中でも紅天狗茸は実に綺麗だったね。しゃがんでじっと見てたよ。
 茸を見ているとちゃぷちゃぷという音が聞こえた。どこかに水があるようだ。立ち上がってみたが、見える範囲には池や泉のようなものはない。音のする方に歩いていくと、斜面の一部に岩が露出しているところがあった。石がごろごろしていた。行って見ると大きな石に囲まれて水がたまっているところがあった。大人が一人入れるほどの大きさだった。きれいな透明な水だ。顔を近づけるとふっと暖かい。手を入れてみたんだ。湯だった。斜面のところからしみ出しているみたいだ。家の近くにももっと大きな野天湯があって、一人ではいることもあるが、母ちゃんともよく行った。
 そこのは小さな野天湯である。周りの石の脇には羊歯や茸が生えている。天狗茸の仲間が生えている。特に紅天狗茸の小さいのがいくつも立っていたんだ。
 俺は茸たちに囲まれて湯に入りたいなと思った。それで着ているものをとって湯に入ったんだ。気持ちがよかったな。斜面の一角にあったので林の中がよく見渡せた。眼の高さに茸の笠があった。茸たちが話しかけてくるようだった。気持ちがよくてどのくらい浸かっていたかわからない。あがって手ぬぐいでからだを拭くと、着物を着て家に帰った。またこようと思ったな。
 それから天気のいい日は必ずといっていいほど尖り山の中腹の野天湯にいったよ。茸に囲まれて湯に浸かる。一人天狗だよ。俺様の湯だっていうわけさ。
 そんな俺を周りの茸が見ているじゃないか。あの真っ赤な紅天狗のやつも見ていたよ。
 目をつぶって浸かっていたら、なにやら声が聞こえるような気がした。人がきたのかとあわてて出る用意をした。しかし森の中には誰もいない。
 それでもう一度湯にからだを沈めたよ。すると「おれたちも入りたいなあーって」聞こえたんだ。それで目を開けると。近くに生えている茸が俺に話しかけているようなんだ。それで茸も暖まりたいんだなって思って、「入っておいで」って声をかけたんだ。そうしたら、茶色の天狗茸が三つ、歩いてきたんだ。茸が歩くわきゃないって。確かにそうだよな。だがよ、足もないのに近寄ってきて「よばれます」とか言って、ぽちゃんと飛び込んできたよ。
 「ほ、あったけ」なんて言って、俺の顔の前でゆらゆらゆれてやがんのさ。そのとき子供心に思ったね、茸ってのは田舎のじいちゃんみたいだってね。茶色の傘が湯の中で潜ったり、浮いて出たりしてね。母ちゃんの父ちゃんが隣の町の山の麓に住んでいてね、そこにも野天湯があったんだ。その爺ちゃんと湯に入ったことがあったが、坊主頭の爺ちゃんが湯の中に沈んで頭だけ出して、「ばあ」、なんて顔を起こして遊んでくれたんだけど、それを思い出したのさ。
 「まだ小さな坊主だと思ったらあそこは結構でかいね」
 頭を出した茶色の天狗茸がいったんだが、俺はなんだかわからなかったね。
 それからその野天湯にはいるたびに茸が浸かりにきたよ。
 猿の腰掛けもきたよ「あったまりにきたよ」とぞろぞろとはいってきて俺の首の回りにプカプカ浮いて、「坊や若いね」なんて言いながら、目の前で湯の中に沈むと、又の間をくぐって尻のところに浮かんでこするからこそばゆいったらありゃしない。
 猪口は「はいるぞー」っと、これもぞろぞろ入ってきて、
 「気持ちいいもんだね、どこにすんでんだ」と聞くから、
 「山向こうの家だよ」と答えたんだよ、するとね、
 「ああ、柚子なし村のぼうずか」と猪口が言うんで、
 「違うよ、日川村だよ」と言ったんだ。
 すると茸は「ああ、そうだな、本当の名前は日川村だね、だけど柚子なし村って言われているんだよ」と教えてくれた。
 初めて聞く名前だった。それで何でと聞いたんだ。
 「そうなったのには訳があるんだよ」と猪口が話し始めたんだ。
 「冬至というのは知ってるかいぼおや」
 俺は知らなかった。まあ十一歳なら当たり前か。
 「春夏秋冬と変っていくと、日の照っている時間が変るのは知っているじゃろう」
 夏は遊ぶ時間が長いからそれはわかる。
 「正月の前、十二月の二十二日ごろに、日の昇っている時間が一番短くなるんじゃよ」
 寒くなってくると早くお日様が山に隠れて暗くなるのが早い。それもわかる。
 「その昼間が一番短い日を冬至というんだ」
 茸が言った冬至という言葉をさいしょ「湯治」だと思ったんだ。「湯治」は知っていた。たまに父ちゃんや母ちゃんが言っていたからだ。
 「どして昼間が一番短いと、湯につかって疲れをとるの」と茸に聞いたら、茸の爺ちゃんは笑ったよ。
 「そのとうじじゃないんじゃよ、違うとうじじゃ、その日は湯に柚子を浮かべて入ると、次の年も病気にならないんじゃ」
 「疲れを取るだけじゃないんだね、そのとうじは」
 茸は傘をこっくりさせて「そんなもんじゃ、それにかぼちゃを煮て食べるといいんじゃ」と言った。かぼちゃは母ちゃんが畑で作っているので食べることがある。
 「ところが、日川村では冬至の時にゆずの代わりに、茸を入れるんじゃ」
 そう言われたが、小学生の俺にはよくわからなかった。というのも、下の町にでることはほとんどなかったからだ。なにせ小学校にも行かなくなっちまっていたからな。町の名前だってちゃんと知らない。
 「町で冬至したことがない」
 「いやいや、日川町ではなく、柚子なし村って言われていたのは、日川村と呼ばれていた昔のことだよ、日川村の人たちは茸にとってもやさしかったんだよ」
 猪口のおじいさんはしゃべってくれたよ。
 「俺たち猪口の仲間は、大昔から人間に美味い茸だと重宝がられていたよ。どこの町でも村でも、このあたりは茸の仲間の多いところだから、人間と共存していたもんだ。日川村でもそうだったよ、ちょっと林の中に入れば、様々な茸が生えていた。今じゃ奥山に行かなければなかなか見つからない舞茸だってたくさん生えていてね、村人は住んでいる近くで舞茸狩りをしていたさ、豊作の年なんて、採れすぎて肥料にしたくらいだ、茸にとって悲劇だね、食べられるのは本望だけど、捨てられるのはやだね、坊やも茸を美味しく食べておくれ」
 俺はうなずいたね。
 「日川村は特に茸を大切にしてくれている村でね」
 それは知っていた。茸ばかりではなくて、山や畑でとれるものは大切に食べなきゃいかんとお袋もおやじも言ってたな。お袋も小さな畑を耕し、そこで作ったものは根っこまでも大事に食べているし、おやじはまたぎだから、捕った獲物はすべて使うのが命を大事にすることになるんだと言っていた。熊なんか捕ると、皮はもちろん歯まで細工をして、土産物屋においていたりしたんだ。今でもおやじが熊の歯で作ってくれた数珠をもってるよ。
 「日川村の人たちは山をとても大切にしていて、下草をきちんと刈るし、木の手入れもよくしている。だから林の中は日の光の具合がいいんだ、茸にとってはありがたいことだよな」
 今でも町の人たちは山の手入れをおこたっていない。
 「ある年に、茸に病気がはやってな、茸がみんな腐れ茸になっちまったんだ、それは茸にとりつく悪い茸でな、茸の形がみんな変になるんだ、ほら、人間の世界でもあるだろう、伝染病って奴が、それと似ているんだよ、だけど茸にはどうしようもない、ところが、日川村のある若い高校生が林の中の茸が健康じゃなけりゃ、俺たちも健康になれないって言って、大学に入り茸の研究者になったんだ。それで、茸の伝染病を治してくれて、今、この町の山の茸は元気で立派なんだよ、だからこのあたりの茸は日川村の人たちに感謝してるんだ、ぼうやもそう言う人になりなさい」
 俺はそのときうなずいたね、だけど偉い人にはなれなかったな、いまじゃこうやって牢屋暮らしだ。だが、美学はもってるよ。それも茸に教わったんじゃないかな、茸のきれいさ、見事さ、特に紅天狗茸に惚れたんだ。
 猪口の話は続いたよ。
 「日川村は湯がよくでて、湯治場がたくさんあった。山菜料理はうまいし、川の魚もうまかった、だから春から秋にかけては全国から湯治客がきたものだ」
 今でも名のしれた旅館がたくさんある。
 「ただ雪がすごいところで、冬には客足がほとんどなくなっちまう、昔は乗り物もなく、旅は歩くものだから仕方ないのだけどね。特に日川村は大きな町からはかなり離れていて、来るのが容易ではなかったからね、旅館の若い主人たちは道の雪かきもして、何とか冬にも旅人が寄ってくれないかと努力をしていたんだ、だけどやっぱり冬は客足が途絶えちまったんだ」
 ある年の秋、一つの湯治場の湯の中で客が地元の若い男に話したんだ、晦日の二十二日、冬至だが、旅人の住んでいるところでは湯に柚子を入れてはいる、そしてかぼちゃを食べると、次の年病気にならないといことだった」
 村の男は柚子というものを見たことがなかった。
 「柚子はみかんの仲間で、蜜柑みたいに甘くはないが、格別にいい香りがするんだ、茸で言えば松茸みたいなものだ」
 そう旅人は言ったんだ。蜜柑もこのあたりじゃなかなか食えん。暖かいところの果物だからだ。蜜柑だってよい匂いなのに、それよりよい匂いとはどのような香りだろうと、村の男は想像できなかったんだ。
 ともかく日川村の男はそれをきいて、柚子を湯に入れただけで一年間の御利益があるとはすごい、この村の湯治場でも柚子湯にしたらいいんじゃないかと思って柚子の種を売ってくれと言ったんじゃ、その男は律儀にも柚子の種をただで送ってくれたそうだ。
 村の男はそれを撒いてみたが、芽は出てちょっと大きくなったが、冬がくるとだめになっちまってな、二年ほど試みたが柚子の木は育たないことがわかった。柚子湯で村をもり立てたかったんだがだめだったわけだ。
 だがその男はあきらめなかった。柚子じゃなくても何か湯に入れて、健康にならないかと考え続けていたんだ。それを知った茸の頭が紅天狗茸にその男の宿の野天湯の周りに生えるように言ったんだよ。茸に親切な日川村を何とか手助けしようと考えたわけだな。
 秋になると野天湯を取り囲んで紅天狗茸が生えた。それは湯治客の目を楽しませたんだ。それだけでも日川村は茸村だと評判が立つほどだった。それを見た男は冬至に柚子の代わりに茸を入れたらどうだろうと考えたんだな、それで雪が降り始めた寒い日に干しておいた紅天狗茸を湯に入れて茸風呂にしてみたんだ。自分ではいってみて、気持ちがよかったんだな、湯の中に揺れている膨らんだ紅天狗茸は赤っぽくきれいだし、毒だといわれているが、それを湯に入れると健康にも良そうだと思ったんだな。なんとなくよく温まったんだ。
 それで冬至のときもそうだが、雪の時期には色々な茸の湯を作って客人たちをもてなしたんだ。かぼちゃの代わりに茸の料理をだした。それがうけて冬でもわざわざ茸湯に入る客が来るようになったということなんだ。湯治の茸とも、冬至の茸ともいわれて、結構有名だったんだよ、今でも茸湯に浸かる人がまれにいると聞くが、その習慣はほとんどなくなっちまったな」
 茸湯という名前の旅館は今でも町にあるが、茸を湯に入れることはしていない。俺の家では茸を湯に入れるようなことをしていなかった。
 母ちゃんや父ちゃんにそんな小さな茸野天湯が尖り山にあるのは言っていなかった。なつかしいものだよ。
 尖り山の野天湯に入ると必ず茸が入ってきて、色々な話をしてくれた。その辺りのことや、人間と茸の違いをね、いつも茸と一緒に湯に入っていたから、茸のエキスが自分にしみこんでいくような気持ちだった。
 さらにこんなことがあったんだ。
 俺を男にしてくれた茸があるんだ。その紅天狗茸だ、毒だから触るなと言われていた茸だが見ほれていたからね、俺は一人っ子で兄弟がいなかった、こんな綺麗なお姉さんがいるといいな、なんて思っていたんだよ、何せ山奥の家で周りに猫と虫しか友達がいなかったからな。
 その日も野天湯に浸かって、前に生えている紅天狗竹を綺麗だなっと思いながら見ていたら、紅天狗茸が話しかけてきたんだ。
 「ぼおや、だいぶ大きくなったわね、私も湯に浸かっていいかしら」
 優しい声だったね、もちろん俺はうなずいた。それまで憧れの紅天狗茸はまだ俺の湯にはいってきていなかった。
 そうしたら、紅天狗茸がむくむく大きくなると、きれいなお姉さんになったんだ。今まで茸はそのままの形で湯に入ってきた、ところが紅天狗茸はなにも着ていない裸のお姉さんだ。それが歩いて湯に入りにきたんだ。お姉さんは湯に入ってくると、色の白い顔で大きな目で俺を見ると、湯の中で手を伸ばしてきて自分のあそこに触れたんだ。
 俺はびくっとしたよ。そうしたらあそこが急に大きくなって堅くなって、きゅいーんとなっちゃって、気持ちよくなって、なんだかわからなくなって目を瞑っちゃったんだ。
 下の方が落ち着いて目を開けると、紅天狗茸の傘が目の前でぷかぷかしていた。それに、自分のおちんちんからなにかが出ていったんだ。これが俺の初めての性の経験なんだ。茸に育てられてきたんだ。
 尖り山の自分一人の野天湯で、茸とともに浸かったのは二年間ぐらいだったろう。たまに紅天狗茸が湯に入って来た。そのときは必ずきゅいーんとなっちまった。
 あれは十二歳の秋だった。やっぱり尖り山の野天湯に浸かっていたんだ。その日は茸が入りにこなかった。それどころか湯に浸かって林の中を見ていたら、一斉に茸が土の中にもぐりこんじまった。これはおかしいと思って湯から上がると着物を着けたよ。そのとたんだった。ぐらぐらぐらと大きな地震が来た。立っていられないほど強い地震だった。危ないと林から出ようとしたときに大きな岩が落ちてきて、俺の大事な野天湯の上に落ちた。それで野天湯は大きな岩で埋もれてしまったんだ。
 そういうことで、それから尖り山に行っても湯にはいることができなくなった。茸湯がなつかしくて、家の近くの野天湯に浸かる時、周りの茸を採ってきて浮かべたんだけど、茸は話しをしてくれなかった。
 それから、日川町の金属加工の工場の見習い工になり十五年寮生活をした。その時、金属加工は何でもできるようになり、合鍵だって簡単に作れるようになった。楽しみは週に一日休みがあって、その時は実家に帰り、近くの野天湯に一人で入ったんだ。もちろん茸の時期には茸を浮かべた。乾燥させておいたのを入れたりもした。
 両親が死んでから、都会に出る決心がついた。三十半ばだった。東京にはいろいろなマーケットがあった。ある下町のマーケットの野菜売り場の担当になった。野菜のことはよく知っていたし、休みの時に山に行って山菜や茸を採ってきて、そのマーケットで売らせてもらったんだ。マーケット勤めの時は、風呂場のあるアパートに住んでいた。いつも湯船に乾燥した茸を入れていたんだ。冬至の時には特に紅天狗茸の乾燥したのを入れた。それだけで湯の中に射精しちまうんだ。
 金属加工の工場に勤めた時も、都会のマーケットに勤めた時も親爺からもらったビーダマを箱に入れてもっていたものよ。そのころは、ビー玉はどこでも売っていて珍しいものではないことを知っていたんだがな。子供のころの宝物さ。
 映画というものを町の工場に勤めるようになって見るようになった。面白いと思ったね、テレビが工場の休憩室においてあってみんなで見たよ。東京に出てからは給料を貯めた金でテレビを買って、映画を特に見たよ。昔は日曜映画劇場というのをやっていて、淀川長治という名解説者が出て説明してくれた。外国映画で宝石泥棒の面白い映画があった。格好良かったね、宝石も綺麗だった。
 マーケットのある商店街の中に小さな宝石屋があった。爺さんが一人でやっている店で、その爺さんと知り合いになって、宝石のことを教わったんだ。安物が並んでいたが、爺さんはとても目の越えた人で、宝石のよさを教えてくれた。
 「こんなもの一生のうちで気に入ったものを一つ大事に持ってりゃいいんだ、首や手や指にジャラジャラつけて見せびらかすもんじゃない」
 そう言っていた。俺もそう思った。
 それで、一つだけいい宝石をもとうと思ったんだ。貯金して買おうではない、もとうだ。どのように手に入れるか、お金を出さないのなら拾うか盗むかしかない。俺は茸を山から盗んだ。だから大都会の大きな宝石屋から一つだけ宝石を盗もうと思った。長い間計画をたてて銀座の大きな宝石商に盗みに入ったんだ。一番高そうなのではなくて、自分が見て気に入ったものを盗んだ。それを自分のアパートのビーダマの入った箱に隠した。
 夜それを開いてみたよ、輝きが違ったね。宝石を売るわけじゃないので足はつかなかった。それで年に一度盗むことにしたのだ。
 そのマーケットで働いて退職した。まだ五十だ。調度バブルのころで、その下町も様変わりして、マーケットはあちこちできたコンビニに太刀打ちできなくて、止めることになったので調度潮時で退職したんだ。毎年一つ盗んだ宝石が十いくつになっていたな。
 その場所にマンションが建つ事になり一階には店舗が入ることになった。やっぱりコンビニが入ったが、倉庫に使う予定の小さなところが必要ないということになり、借り手を探していたので、俺が借りた。それで天然ものを売る八百屋を始めたってわけだ。インターネットだって勉強してうまく利用で来た。意外と収入があったんだ。ただ店賃が高かったので、古くて安い店が無いかと思っていたところに、近くに今の住居付きの建物を探し当てたということだ。天然物の八百屋は儲かったよ、それで小さな古い借りていた建物を買いとって、二階に住んで天然物の八百屋を続けたよ。それに宝石の盗みもな。二階の住まいの風呂場だけは改築して総桧の風呂桶にしたんだ。茸風呂を楽しんだのさ。
 宝石は最初に言ったように、寝室の棚に綺麗に並べて飾ったよ。普段はカーテンがかかっていて分からない。カーテンを開けても中には本が並んでいるだけだ。ところがその本棚は両開きになるようになっていて、開くと奥に宝石が飾ってあった。ライトまでつくようになっている。そこを開けておくと寝室が神秘の部屋に変るんだ。
 宝石は全国の大きな町の名の知れた宝石商から盗んだ。一度も捕まらなかった。

 ところが、とうとう捕まっちまった。一人の刑事がたった一つしか宝石を盗まない宝石泥棒を捕まえることに執念を燃やしていたのだ。
 考えられないほど勘のいい、鼻のいい刑事さんにつかまったんだ。暮れに、きれいなルビーを銀座の宝石店で盗んだよ。いつものように抜かりなくやったので盗みはうまくいった。きれいなカットのルビーを手に入れた。明け方に店に帰ってきて二階の自分の部屋にもどり寝室の本棚の奥の棚に入れた時には大満足だった。
 茸風呂に浸かって、また寝室の宝石をながめていたんだ。
 俺の八百屋の開店は普通の店と違ってとても遅い午後一時だ。普通八百屋は早起きということになっている。俺も早起きなことは早起きなんだ。暖かいときなら、早く起きて山に、たとえば群馬辺りまで電車で茸や山菜を採りに行くのだ。俺は車を使わない。山から昼前に戻ってきて、店先に並べ、インターネットにものせてから開店というわけだ。冬は採取には行かないが、暖かい地方で、天然ものを採っている人間とネットで連絡をし合っていた。とったものが届くのは午前中である。
 そういうことで開店は遅くなる。閉めるのも早い、七時までである。採ってきたものはその時間になるとほぼ完売だからだ。ということは盗みの趣味にもとても良い時間配分だった。
 盗みは次の日が休みのときに行なう。ルビーを盗んだ夜も次の日は店の休みの日だった。
 それなのに、その日は、店のシャッターをたたく音が聞こえた。まだ朝の六時だ。
 二階の窓から見ると見たことが無い黒っぽいコートを着た男が一人で立っていた。久しぶりにドキッとしたな。盗んできたばかりだからだ。だけど足がつくはずはないと思っていたんだ。それで下に降りて、シャッターを半分上げ首をだして、「なんですか」と聞いたんだ。その男は、
 「急に天然物の茸が必要になって、休みのことは知っていたのですがお願いに来ました」と言った。たまにそういう人も来るんだ。どうしても天然物で形のよいものが必要になり、休みの時でもネットで注文がきたりする。映画関係の人などが特にそうだ。急に映像場面に必要になったりするんだ。冬なのに茸はおかしいと思うだろうが、暖かいところには茸が生える。鹿児島の暖かい島では天然の茸が採れる。そう言った人のために、採ってもらって冷蔵庫にしまってある。「どんな茸ででもいいならありますよ」と言うとその男は頷いたので、シャッターを上まで開けたんだ。それが運の尽きさ。
 ニコニコとはいってきたその男は私を見て、
 「やっぱりあなただ、茸の匂いがする」
 そう言って刑事手帖を私の目の前にだしたよ。あ、やられた、と思ったよ。観念して刑事さんを二階に案内したってわけだ。あきらめもいい方だからね。
 もう二十何年も私を探していたとその刑事さんは言った。
 「この数日お宅の近くで張り込んでいたのですよ、当たりましたな、やっとこれで特別任務がおわりますよ」
 彼は盗まれた現場に来ると、必ず茸の匂いがすることを感じ取ったそうだ。どうしてだかそのときはわからなかったという。
 長い間調べていくうちに、茸に関わる商売の人じゃないかということに気が付ついて犯人を絞り、年に一度の犯行、しかも十二月で冬至に近い時に行われることを頭において捜査したそうだ。犯行は東京が一番多い。どうしても大きな宝石商というと東京にならざるをえない。確かに棚の中にある宝石は銀座から盗んだものが一番多い。
 それで刑事さんはこの都市で茸を売る店をくまなくあたり、私が信州の日川村の出てあることを知って、私の店を張っていたのだそうである。開店時間が遅く天然物しかおかない珍しい八百屋であることも目に止まったらしい。
 張り込んでいて私が明け方に店に戻ってきたのを見ていて、本部に連絡を入れたところ銀座で宝石が盗まれたことがわかり、店の戸をたたいたそうだ。
 松茸や杏茸などその茸特有の匂というものもあるが、「茸」という共通した普遍的な匂いが茸にはあるもんだ。菌糸の匂いといっていいのだろうか。俺にはその茸の匂いが染みついていたんだな。
 刑事さんも柚子無し村の出身であることを後で知ったよ。

冬至の茸

冬至の茸

天然ものの茸を売る男。この男には夜の趣味があった。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-05-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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