ラブソング
彼とならなんでもうまくいくと思っていた時代は終わって、なんだかむなしい、身体に悪そうな、ひしゃげた煙草の吸殻みたいな塵と、換気扇では流しきれなかった最悪の空気だけが、六畳一間を満たしていた。喧嘩ばかりをくりかえすあたしたちを飲み込んだ六畳は、なんだか具合が悪そうだった。病的なまでにへし折れまくった煙草の吸殻と吹き出すけむり、シンクに転がった酒と鮭のほね、そりゃ身体に悪いよな、畳ははがれてきたしベランダの窓はうまく開かない、そろそろ六畳はあたしたちを吐き出すだろうか。
桜と、春、が、あたしたちには一切関係ないものになったのはいつからだろう。わからないけれど、彼がうれしそうに桜の枝を拾ってきて、それを見たあたしもうれしくなって牛乳瓶に満たしたうすにごった水にそれを挿したのは、思い返そうとするとモノクロになるくらいの、遠い昔の思い出だ。当時撮った写真を見返してみたら、三年前の四月十一日の日付があって、こんなのあまりにも、と思って、泣いた。彼はそれを、どうでもよさそうに見つめていた。スマホゲームのBGMがうるさかった。春は出会いと別れの季節というけれど、一生一緒に居たいよね、という名目でそれを放棄してきたあたしたちは、とっくに腐ってしまっていたみたいだ。彼が拾ってきた桜の枝が寿命を終えて捨てるしかなくなったとき、わたしは、どういう気持ちだったんだろう、と思う。たぶんかなしかったし、いとおしかった。桜に愛を注げない代わりに、彼を抱きしめてたはずだ。同じように彼を捨てる時が来るなら、それくらいかわいげのある気持ちを以って、ばかみたいに感傷的な別れにしたい。ラブソングみたいなさよならのほうが、案外忘れやすいかもしれないし、きみもそれがいいよね、応えてくれない。
部屋の整理をはじめた。引っ越してきた当初から置いてあった段ボールはもうぼろぼろで、スーパーに置いてある気丈そうなものをもらってきた。引っ越し屋のそれよりは、愛媛のみかんは心もとなかったけれど、カップ麺の汁のしみとか、鉛筆のあととか、思い出が染みついていないぶんしっかりしているだろうと思った。あたしが荷物を詰め始めても彼は何も言わなくて、終わりでいいよ、と言っているみたいだった。こんな感じでだるっと終わらせてたまるか、もっとありきたりな個性もないエモいお別れをしようよ、あたしのお気に入りのバンドの曲聴いて、そしたらわかるから。聴いてよ聴いてよ、気に入ったら手をつないでライブに行こうよっていってた大好きな売れてない個人的な名盤であるアルバムを荷物の隙間に差し込んだら、荷物の整理は終わった。六畳一間はほとんど彼の私物で構成されていて、彼の親の名義で契約されていて、ここからあたしが抜け出したとて、という感じだった。あたしのアクセサリーが除かれたことで見えるようになった、彼が好きなアイドルと撮ったチェキは一部だけ焼けていてアイドルの髪形ははちゃめちゃにダサい、それに加えてばかダサいサインも。そんな微々たる変化には彼は気が付かないだろうし、写真のふたりの笑顔があんまりまぶしくて敵わんな破り捨てちゃおっかな、と思ったけど、やっぱりやめた。
あたしが部屋を出ていく日が来た。とはいっても、彼にはそんなこと伝えていないし、勝手にそう思っていただけだけれど、腹は決まっていた。だから、午後になって彼がおきだして、前髪切ってほしいんだけど、といったときには、はあ、こっちは今から出てくつもりだったんですけど、とか言いたくなった。そもそもなんで前髪よ、と思いながらピンク色のはさみを取り出してから気づいた、あ、これ、あたしのなのに、しまってない。まいっか、たぶん百円だし、はさみくらいはね。彼の前髪を切るのはどこか甘美なふうだった。はさみを入れるたびに、ついに閉まらなくなった窓から風が吹き込んで、栗色の髪が散らばる。ちょっといつかの桜の散り際に似ている、と思ってみていたら、桜に似ているねと彼が言ったから、驚いた。いつの間にそんなこと言えるようになったの、と訊いたら、もっとびっくりした。あたしが好きなあのバンドのアルバム、聴いたんだよって。加奈のにおいがしたし、こういうふうなのが好きなんだって、はやく知ってたらもっとうまくできてたかな、あの桜の曲、おれも気に入ったよ。今さらそんなこと言われてもって戸惑ってたら、前髪がざっくりへんなふうに切れてしまった。前髪もあたしたちも、いまさら戻らないってことよ、なんて言ってごまかしたら彼が笑って、昔みたいで苦しかった。
ばいばいって手を振って部屋を出ることになるなんて、思わなかった。いってきますってずっと言っていたかったよ、ほんとはね。彼に背を向けて歩きだしたとき、すぐ近くで聞きなれたゲームのBGMがして、思わず音の方を見た。近所の中学生だった。彼には、向う一か月くらい、このBGMを聞かないですごしてほしい。洗濯物を取り入れるのを手伝わなかった罪悪感とか、そのせいであたしが怒って窓枠をゆがめたこととかを思い出して、どうかしぬほど苦しんでね。あたしたち、ほんとうにラブソングみたいな、大衆が泣いちゃうようなお別れをしちゃったね、忘れてもいいなんてほんとうは思わないし、かといってラブソングのミュージックビデオの出演者がいまだに想い合っているなんて思わないけど、どうしたらよかったんだろう。
駅に近づいたら桜が見えてきて、久しぶりにあたしは春を感じることができた。きみもいま外に出てみたら、おんなじふうに思うと思う。やっぱり人は、出会いと別れのなかでしか生きてゆけないんだねって、あのバンドの曲の引用だからね。結局は忘れてしまうのかもしれないけれど、あたしとのばかダサいチェキをあたしが置いてったはさみで彼が切り刻んでいる想像をすると泣きたくなるから、きみのことは確かに、好きだったんだな。
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