神様「対話」
「知っていますか。なんでもある、というのは、なんにもない、というのと同義なのですよ」
「……ただいま」
誰もいない部屋に向かってそう呟きながら、俺は自分の暮らすワンルームのドアを開けた。左手で電灯のスイッチを点けながら、右手で草臥れたネクタイを緩めつつ、サイズの緩い革靴を足だけで脱ぎ捨ててスリッパに履き替える。普段ほぼ使うことのない姿見になんとなく目をやると、よれよれのスーツに身を包んだ、目の下に酷い隈の目立つ男が無感情にこちらを見返してきて、厭な気分がした。使い古したスリッパの裏側が滅多に掃除されないフローリングの表面と擦れ合うときの、何かを削るような不快さを耳と足裏に感じながら、数歩でベッドに辿りつく。そこでベッドに背を向けて、仰向けになるようにベッドに倒れ込んだ。一気に体の力が抜け、今まで気の昂ぶりで誤魔化してきた疲れが堰を切ったように押し寄せてくる。右ポケットに入れていた携帯電話を、充電器に繋ぐ、たったそれだけの動作が、酷く面倒に思えた。俺は、ベランダに干したままの洗濯物を取り込むのも、夕飯の支度をするのも放り投げて、そのまま、目を閉じた。
「おかえりなさい」
聞き覚えのない声に、跳ね起きる。ベッドに腰かけたままの状態で部屋を見渡すと、その声の主は、玄関からは見えない、部屋の廊下に面する壁に軽く背を預けて立っていた。
「お疲れのところ、申し訳ありません。お邪魔しております」
そんな、まるで見知った同僚に話しかけるような気軽さで俺に不法侵入を詫びたそれは、スーツを着た骸骨だった。
「あんた……だれ?」
事態を呑み込めずに、数瞬それを見つめたまま硬直していた俺がようやく捻りだした言葉はそんな、余りにも間抜けな台詞だった。せめて、「何」とでも尋ねればよかったのかもしれない。
「私ですか。私は神様です」
俺とは反対に落ちついた、というよりは慣れ切ったといった様子で、それは自分を神と名乗った。様まで付けて。
更に訳がわからなくなって、一言も返せずにいる俺を見かねてか、その「神様」はさらに付け加えた。
「私は神様です。退屈なので、あなたの願いを叶えに来ました。なんでも好きなだけ、気が済むまで願ってくれて構いません。すべて叶えて差し上げます」
その後、とりあえず、帰ったらいなくなっていることを祈りつつ、近くのコンビニに夕飯を買いに行って戻ったらやっぱり居て落胆したり、意味もなく狭い部屋の中をウロウロしたり、家族か誰かに連絡しようかと携帯を取り出して、やっぱり止めて仕舞ったりを繰り返したりしているうちに三十分ほどが経ち、俺はようやく、ある程度の落ち着きを取り戻すことができた。俺がそんな不審な挙動を繰り返している間も、件の神を自称する骸骨は至って落ち着いた様子で、こちらを観察していた。観察していた、とはいうものの、本来その双眸の在るべき場所は只の空洞でしかなく、その内側には白く乾いた頭蓋骨の内壁しか見えない。もちろん、そんなやつにアニメや漫画のキャラクターとして登場する骸骨たちのような豊かな感情表現なんてものは望むべくもなかったが、その剥き出しになった歯や顎、頬骨の形は、何処となく大きく頬を上げてニヤついているような表情に見えなくもなかった。身だしなみに気を遣ったことのない俺には、奴が身に付けている、葬式にも着て行ける程度には黒いスーツがどの程度の代物かなんてことはサッパリわからならい。だが少なくとも、俺が今着ているヨレヨレで表面に細かい埃も目立つ、セール期間にクーポン込みで一セット三万円弱しかしなかった安物スーツに比べれば、ある程度高級で手入れもされているように見えた。ただ、着ているのは骸骨のはずなのだが、そのスーツが象るシルエットは明らかに、俺より少し背が高い程度の男性のものだ。手足にも湿っぽい光沢を放つ黒の皮手袋と革靴を身に付けているので、体が露出しているのは襟から上の頸椎と頭蓋骨の部分だけしかなく、スーツの内側がどうなっているのかを伺い知ることは出来なかった。いや、知らない方がいいのかもしれないが。
ともかく、そうして俺が辛うじて少しずつ現実、かどうかはともかく、目の前にこんなものが居るということを受け止められるようになってきたところで、
「えっと、とりあえず立ち話もなんだし、それに適当に座ってくれ」
と、俺は部屋にある唯一の椅子を指し、未だに部屋のドア側の壁にもたれ掛かりながら立っていた骸骨を促した。奴はそれに応じて、ベッドの横側から一・五メートルほどの間隔をあけた場所に椅子を運び、その背もたれに軽く体を預けて足を組みながら座った。奴が足を組むことで上に来た左足のスーツの裾が上がり、俺はそこから「中身」が見えることを半分恐怖、半分期待したが、骸骨は丁寧にも清潔な紺色の靴下をピンと伸ばして履いており、そのどちらの感情も、結局解消されることはなかった。
一応お互いの話し合う体制が整ったところで、まずは基本的なことから尋ねることにする。
「もう一回確認したいんだけど、あんたは、何?」
よし、今度は「何」と聞けた、と、自分でもよくわからないポイントで若干嬉しくなってしまう。やはり俺はまだ混乱しているようだ。
「先ほどもお伝えしたように、私は神様です」
やっぱりか。聞き間違いじゃなかったか。くそ。まあいい、次。
「……百歩、いや千……万歩譲って、あんたが神様だとしよう。じゃあ、なんで神様であるあんたが、こんな二十四歳独身男性の、只でさえ狭いワンルームの一角を占拠してるんだ?神様ならもっと他にやることあるだろ?」
「いえ、ご存じでないでしょうが、神様というのは一度世界を作ってしまうと、案外暇なものなのですよ。あなた方が私に対して想像しているように、救済や試練を与えたりすることもありません。私はあくまでこの世界の製作者であって、管理者ではありませんので。それに救済と一言にいいますが、この宇宙にいる、ある程度の知能を備えた生物すべてが幸福になる世界など存在し得ません。幸福感を与えることなら出来なくはありませんが」
俺は、「神がもしいるとしたらこんな感じだろう」とぼんやり抱いていたイメージ像を呆気なく壊されつつも、いやまだこいつが本当に神様だと決まったわけじゃないと気を持ち直し、質問を続ける。
「で、その暇を持て余した神様が、何のために俺のところに来たんだ?」
「それも先ほどお伝えした通りです。あなたの願いを叶えに来ました。暇つぶしに」
「なんで俺なんだ?」
「特に理由はありません。適当に目に入った家に降りたら、あなたが帰ってきました」
「これは割とどうでもいい事かもしれないが、なんで骸骨なんだ?」
「ああ、これですか。そうですね、基本的に姿形はどうにでもなりますし、なんでもいいんですが、こういった格好の方が分かりやすいといいますか、非日常であることを理解してもらいやすいのですよ。下手に人間の格好で降りたりすると、ただの不審者として通報されてしまうこともありましてね。面倒を避けるため、という認識で結構です。」
それならそれでもっとこう、雲の上に乗って後光を背負いながらでてくるとか、いろいろあったろうに。
「それにお約束というか、人間の間では古くから、こういうことをするのは悪魔と相場が決まっているのでしょう?ですのでまあ、雰囲気作りも兼ねて」
じゃああんたは悪魔じゃないのか、とか、そんな淡々とぶっちゃけまくってる時点で雰囲気もクソもあるか、等々思いつつ、少し質問の方向性を変えることにする。
「あんたが神様だっていうなら、どうやってそれを証明するんだ?」
それを聞くと、待ってましたとばかりに、とまではいかないが、多少、今までよりも声の調子を上げて、「カミサマ」は応えた。
「それなら何か願って頂いて、それを私が叶えれば良いでしょう。叶える回数に制限などはありませんので、気軽に何でも願ってくれて構いませんよ」
なぜこいつは、こんな訳の分からないことを、平然と並べ立てられるのだろう。まあいい、適当に無茶振りして、ボロを出させて、さっさとお帰りいただこう。
「そうか。じゃあとりあえず、三億、俺にくれ」
「日本円で三億円ですか、はい、どうぞ」
骸骨は、俺が金をせびってから殆ど間を置かずにそう答えながら、左手で、向かって右側の床の上を指さした。
そこには、ピラミッドの如く積み上げられた、札束の山があった。
一度に二十枚以上の万札を目にしたことのない俺にとってそれは、骸骨が服を着て歩いているなんてことよりも余程、重大で分かりやすい非日常だった。札束は、一つ一センチ程の厚みのもの(恐らく百万円。意外と薄い。)が五束で一纏まりに積んであって、それが一番上の段には一つ、その下の段には二つ、その下は三つと、全部で七段に積み上げられた大きな山が、二列に連なっている。その異様な存在感を放つ、推定で標高約七十五センチの山々の下、ワンルームの汚い床との間には、ご丁寧に上品な光沢を放つ白い布まで敷かれていた。
そんな風に俺が脂汗を滲ませながら右斜め前方に突如現れた山脈を凝視する一方、骸骨はといえば涼しい口調で、
「ふむ、やはり人間は金銭を要求することが本当に多いですね。貨幣を経由しなくても直接欲しいものを要求すればいいのではと思ってしまいますが、あなた方にとっての分かりやすい価値の形としては、これが一番なのでしょうね」
などと、俺からすれば酷く的外れなことを独り言ちていた。
その後、俺はとても、本当にとても悩んだが、
「……わざわざ出してもらっといて申し訳ないんだが、とりあえず話し合いが終わるまで、これは引っ込めといてくれないか?こんなものが視界に在っちゃあ多分まともに頭が働かないから」
と、やつに頼むことにした。すると骸骨は、「よろしいのですか?まあいつでもお渡ししなおすことは出来ますので、その時は言ってください」とか言いながら札束の山を一瞥し、その次の瞬間には、三億円は影も形も無くなっていた。余りに呆気なく消えてしまったことに、自分の言ったことを早くも若干後悔したが、そのおかげで少し冷静になれた気もした。
「それにしても、願いを叶える、か……。なぁ、それってもしかして、よく聞く猿の手って話みたいに、願いを叶えると代償としてどこかに皺寄せが行くってオチじゃないのか?さっきの三億円だって、実はどっかから持ってきた金で、それがなくなったせいで巡り巡って俺とか俺の身内に悪いことが起こる、とか」
「まさか、そんなことはしません。する意味がありませんから。さっきのお金は何処かからくすねてきたものではなく、私が創ったものです。もちろん造幣局で作られたお金じゃないからといって、使ったから怪しまれるということもありません。まあ、作り出したお金を湯水のように使った結果として、日本経済に影響が及ぶ可能性はあるかもしれませんが。それに、願いは何度でも叶えることができますので、仮にあの三億円であなたやあなたの御親族に不利益が及ぶとして、そしたらあなたがその不利益を消し去るように祈ってしまえば問題はないでしょう。」
なんだか、よくわからない。確かに、今俺は、この「神様」を名乗る骸骨の力を、この目で見た。もう二・三、何か願ってみればこいつの言っていることが本当なのかわかるかもしれないが……どうにも胡散臭い。こいつは、何がしたいんだ?嘘をついているようには見えないが、何か大事な部分をうやむやにされたまま話が進んでいるような気がする。俺は、質問を続けることにした。
「……なあ、あんたは、なんでも願いを叶えるって言ってたが、その何でもっていうのは、何処までのことを言ってるんだ?」
骸骨は、背中を預けている背もたれに更に体重を掛け、手袋をつけた左手の人差し指でこめかみの上あたりだったのであろう場所の骨を掻いた。カサカサと、乾いた音が耳に障る。
「なんでも、はなんでもですね。あなたが思いつく願いで、叶えられないものは無いと思って頂いて構いません。」
答えになってない。
「じゃあ、例えば、他人を俺に惚れさせる、とかは?」
「無論です。あなたが気になっている会社の同僚だろうと、世間の羨望を集めるアイドルだろうと、誰だってあなたに夢中です」
「死んだ人を蘇らせることは?」
「もちろん可能です。病気で亡くなられたあなたの父方の祖父や、高校時代に交通事故で亡くなられたあなたの無二の親友だったお方ですとか。加えて、最近亡くなった方でなくても、どの時代にでも遡って、誰でも現代に蘇らせることができますよ。ナポレオンに会ってみるなんていかがでしょう、もちろん通訳もさせていただきます」
この黒ずくめの骸骨は、会話の中で俺が無意識に思い浮かべた人物の名前を、次々と話題に挙げてくる。それが、まるで脳味噌の中を直接覗着こまれているようで、本当に気味が悪い。まあ、本当に覗いてるんだろうが。
「ふーん……ナポレオン、ね。でも、わざわざ現代に蘇らせるくらいなら、その時代に行った方が、当時の雰囲気とかもわかって、いいんじゃないか?まさか、タイムスリップは出来ないなんてこたぁないだろ?」
多分できるんだろうけど、心なしか口調が意地悪くなる。
「ええ、もちろんです。あなたが望みさえすれば、本能寺で織田信長を助けることだって、エリザベス一世とアフタヌーンティーを楽しむことだって、エジプトでピラミッドの建設風景を見物することだって、プテラノドンの背中に乗って白亜紀の地球を飛び回ることだって、自由自在です」
……なんだか、現実離れしすぎてて、逆に面白くなってきた。ここまで来ると、もはや妄想の世界だが、妄想なら俺の得意分野だ。
「はは、そりゃすごいな。だけど、本能寺に行って織田信長を助けるなんてことをしたら、歴史が大きく変わっちゃうんじゃないか?よくいう『タイムパラドックス』みたいなのは、大丈夫なのか?」
「そうですね、確かに織田信長を助けたりしたら歴史は大きく変ってしまうでしょう。ですがまあ、もしその結果があなたの気に食わなければ更に手を加えることも、元に戻すこともできます。……ああ、もし過去を変えることで先祖の出会いが変わったり居なくなったりして、あなた自身が居なかったことになるかもしれないと考えてらっしゃるんなら、心配はご無用です。タイムスリップする時点で、私があなたの存在をもと居た時空の因果と切り離すので、そういった影響を受けることはありえませんので。というより、そうしないとタイムスリップ自体ができないので、そこはご了承ください」
ますますSFじみてきたが、SF自体はそんなに嫌いじゃない。というか、こんな一介の会社員よりも、もっと、科学者とか哲学者とか宗教家とか、そういう人間がこういう話を聞くべきなんじゃなかろうか。……いや、宗教家はまずいか。
「なるほどな……。まあ、過去はそれでいいとして、未来へは行けるのか?」
俺がそう尋ねると、今まで澱みなく俺の質問に答え続けてきた骸骨が、あえて会話を区切るように、組んでいた足を解いて椅子に前かがみ気味に座り直し、軽く開いた足の両膝に両肘を載せて、両手を指先で軽く組んでから、改めて話し始めた。
「未来ですか……未来に行くことについては、過去に行くことに比べると少し説明がややこしくなります。過去はもう選ばれたあとのものなので、『今ここにいるあなた』につながる過去は一本の道筋しかありません。しかし未来は、あなたやあなた以外の要素が何を選ぶかによって変わってくるので、ほぼ無限通りあるんですよ」
「なんだ、じゃあ未来にタイムスリップは出来ないのか?」
「いえ、もしあなたが未来へのタイムスリップを望まれるのであれば、どんな未来に行きたいのかを、あなたに指定してもらう必要がある、ということです。そうしてもらえないと、只でさえ沢山あるのに、どの未来にするか絞り込むのが大変ですから」
確かになんというか、なかなかややこしい。
「えーっと……それはつまり、こういうことか?もし、俺が今から百年後にタイムスリップすることを望んだとすると、その未来は、今よりもっと科学が発展して便利になった世界も、核戦争が勃発して文明が滅んだ世界も在り得て、俺はそのどちらにも行くことができるってことか?」
「ええ、その通りです、理解がお早い。少なくとも、あなたの思考能力で想定しうるすべての未来があると思っていただいて構いません」
「なんか、途方もない話だな……」
流石に、頭が疲れてきた。俺は、大きく背伸びをしながら座っていたベッドに仰向けに倒れ込んだ。数秒、天井をぼんやりと見上げたあと、コンビニで弁当と一緒にカフェオレを買ってきていたことを思い出し、ベッドに横たわったまま左に寝返って、買ってきた後ベッドの上に放り投げたままにしていた、夕飯の焼肉弁当とその他の入ったコンビニ袋に手を伸ばす。袋の中をまさぐってカフェオレとストローを探し当てたところで、寝転がったままじゃ飲めないことに気が付き、俺は渋々起き上がって、カフェオレに差したストローに口をつけた。
そんな一連の、余りに自堕落な動作を目にしても、「カミサマ」は別段あきれたような様子は見せなかった。普段ならよほど気の知れた友達でもない限りは、人前でこんな緩んだ態度は見せないはずだが、なぜだかこいつに限っては、きっと俺がどう振舞おうと気にも留めはしないだろうという変な予感のようなものがあって、それは果たして、的中していたようだった。
欠伸を噛みしめながら、なんとなく質問を続ける。
「そうだな……さっきの、『なんでもできる』って話だけど、だったら不老不死になれたりもするのか?」
不老不死といえば、どの時代どの文化であっても人間なら一度は空想する大きなテーマの一つだろうから、俺はてっきりさっきのタイムスリップみたいに、さぞ饒舌なセールストークが飛んでくると思っていたんだが、骸骨の反応は予想とは微妙に違った。
「不老不死ですか。ええ、可能ですよ」
その声の調子は、さっきまでと殆ど変っていないが、なぜか何処となく、うんざりしているといったような感情が含まれているように、俺には聞こえた。
「そう、不老不死ですね。あなたがそれを望むなら、貴方はこの先何百年、何千年、何億年と生きることができるでしょう。もちろん、そのあいだも私はつきっきりですから、あなたはずっと永遠に、この世のありとあらゆる享楽を愉しむことができます」
骸骨は、眼下に軽く交せた自分の指先に目線を落としながら、そう続ける。
「……なぁ、あんた今までの口ぶりからして、俺以外の人間の所にも現れて、願いを叶えてやってるんだろ?その中に不老不死を望まなかった奴が居ないとは、俺には思えないんだが」
「ええ、居ましたよ。居ないどころか、それはもう大勢の方々が、私に不老不死を願われました」
「……ちょっと待ってくれ。いま、『大勢の人間が不老不死を願った』って言ったのか?それって、変じゃないか?」
「……何がです?」
「ひとつ、確認したいんだが。いくらでも願いを叶えてくれるってことは、願いを叶えた回数とか、現れてからの時間とかで、あんたがついた人間から居なくなることは、ないんだな?」
骸骨はそれに淡々と答える。しかしその語り口からは、いままでにあったどこか飄々とした雰囲気は失われているように、俺は感じた。
「……ええ。その方が亡くなってしまうか、その方の許を私が離れること望まない限りは、私がその方から離れることはありません」
「じゃあ逆に言えば、今まであんたが願いを叶えてきた『大勢の方々』はみんな既に死んだか、あんたを手放すことを望んだんだな?不老不死という願いを叶えたのに」
そこまで言うと、骸骨は観念したように、再び背もたれに体を預け、話し出した。
「ふむ、驚きましたね。あなたは変わったお方だ。今まで、まともに私に何かを願う前にその結論に至ったお方は、あなたを含めても数えるほどしかいませんでした。大抵は、思うままに願いを叶え続けた後に気付いて、その時にはすでに後戻りできないところまで来てしまう方が殆どです。私が訪ねた方の九割五分は、さっきのあなたで言うところの三億円を出したあたりか、もう二・三、私が神様であることの『証拠』を見せたぐらいの所で、考えるのをやめるのですがね」
骸骨がそう捲し立てる様子は、楽しげですらある。
「で、あんたは結局、俺を試してたのか?」
「いえいえ、私は今まで、一つも嘘は言っていません。別に私としては、あなたが私の力に身を委ねてすべてに飽きるまで願いを叶え尽くしたとしても、今の様にそれがどういう結果に繋がるのかに辿りついたとしても、どちらでも構いませんでした。とはいえ、やはりあなたのような方は珍しいですから、私も久しぶりに愉快でしてね」
そう言う目の前の骸骨は実に嬉しそうだが、全部承知の上でこいつが俺に話を持ち掛けてきたと思うと、やはり俺は愉快ではない。
「じゃあ、もうわかってるとは思うが、俺はもう到底あんたの力を使う気にはなれないから、さっさと出てってくれるか?……まあ、百万円くらいなら、置いて行ってくれてもかまわないが」
我ながら、実に浅ましい。
「そうですか。まぁ、仕方がないですね」
そういって神様は、非常に安っぽい、我が家で唯一の椅子から立ち上がって、ワンルームの外に繋がるドアへ歩いていく。俺も立ち上がって、骸骨を見送ろうとしたが、革の手袋がドアノブに触れた辺りで、何かを思い出したように、スーツ姿の骸骨は俺の方を振り返った。
「そうだ、あなたとってはどうでもいいことかもしれませんが、最後に一つ、聞いて頂いてよろしいですか?」
「なんだ?」
「先ほど、私は『暇つぶし』のためにこんなことをしている、といいましたが……まあ、それも嘘ではないのですが、実はほかにも目的がありましてね」
大体予想はつくが、俺は黙って続きを促す。
「先ほど私は、あなたの望むことは何でも叶えられると言いましたし、私自身が望むことであっても、実現できないことはほとんど存在しません。ですが実は、自殺だけはどうしても出来ないのです。ですから私は、代わりに神様になってくれる人を、ずっと探しているんです」
それだけ言うと、神様はそのままドアを開け、出ていった。
ドアが閉まりきったのを確認してすぐに俺は再びドアを開けて、アパートの廊下を左右に見遣ったが、何処にも黒いスーツの影は見当たらなかった。
諦めて部屋に戻ると、さっきまで神様が座っていた椅子の上には、一センチほどの厚みを持った、福沢諭吉の顔が印刷された真新しい日本銀行券の束が一つ、無造作に置かれていた。それをどうするかは後で考えることにして、俺は再びベッドまで重い足を運ぶ。そしてそのまま、ベッドに背を向けて、仰向けになるようにベッドに倒れ込んだ。一気に体の力が抜け、今まで気の昂ぶりで誤魔化してきた疲れが堰を切ったように押し寄せてくる。ベッドの上に放り投げたままの携帯電話を確認したが、目新しい連絡は入っていなかった。俺は、ベランダに干したままの洗濯物を取り込むことも、すっかり冷めた焼肉弁当に手を付けることも放り出して、そのまま、目を閉じた。
神様「対話」