三題噺「ワンタン」「政治家」「同級生」
「ねえ、真也。小学校の頃のワンタン事件って覚える?」
「んー? あぁー、あの事件か」
居酒屋の密集した線路下の裏路地で、俺は小学校の時から同級生だった薫と会っていた。酔いが回ったせいか、電車が通るたびに天井の赤提灯が揺れて見える。対して薫はまだまだ余裕そうだ。
「えーっと、確か給食のワンタンが1つ足りなかったって奴だよな?」
「そうそう。あの時の真也といったら」
そういうと薫は当時の事を思い出したのかクスクスと笑った。
その日の給食はワンタンスープだった。俺はもう一人の給食係と二人で、ワンタンを一人に一つずつ皿によそう仕事をしていた。事件が起きたのは最後のクラスメイトの女の子にワンタンを配る時に起きた。ワンタンが1つ足りなかったのだ。クラスの奴らは給食係が誰かに多く入れたんじゃないかと言い出した。
俺たちはちゃんと一人に一つのワンタンを配っていた。それは間違いない。それじゃあ、ワンタンはどこへ行ったんか。クラスはざわつき始め、ワンタンのない女の子は泣き始め、担任の先生にも収集がつかなくなっていた。
俺は泣いている女の子のことが密かに好きだった。だから女の子に泣き止んでもらいたくてクラスに聞こえる声で言った。
「ねえ、きっとワンタンは元々足りなかったんだよ! 僕たちの思い込みだったんだよ。」
「なんだよ、牧原。お前なに言ってんのかわかってんのかよ!」
カッとなったクラスのガキ大将が胸倉をつかんできた。思わず足がすくんだけれど、好きな子の手前では俺も引けなかった。
「そ、それじゃあ、僕のを海野にあげるよ。それなら誰も文句ないでしょ? ね、海野。それでも良いかな?」
俺の中では精一杯やったつもりだった。でも結局、俺はガキ大将に格好つけるなと殴られた。女の子は泣き止んでくれたけど、それを聞いたのは保健室で顔を冷やして帰ってきてからだったりする。
「あの時は自分なりに上手くやったと思ったんだけどなぁ」
「あんなんじゃ誰も納得しないよ。問題を先送りばかりする政治家より酷かったよ」
「……そこまで言うかあ?」
薫は苦笑しながら俺を見ると、ふと目を細めて、でも、と続けた。
「でも、私には格好良く見えたよ」
そう、海野薫は俺に微笑んだ。
「あれがきっかけで真也のこと好きになっていったんだからね」
「……へぇー、そうなんだ」
なんだか急に顔が火照っててきた。
「ふふ。だから私たちはワンタンに感謝しなきゃ駄目なの!」
薫はそして目の前のワンタンスープを美味しそうにほおばった。
店を出ると夜風が火照った肌に当たって気持ちが良い。
薫は上機嫌で俺の前を歩いている。
「んー、やっぱり今更言えないよなあ」
俺は薫の後姿を眺めながら誰ともなしにつぶやく。
「実はあのワンタン、運ぶ途中で1個食べちゃったなんて……」
俺のささやかな懺悔は薫の耳には届かず、静かな夜の闇に消えていった。
三題噺「ワンタン」「政治家」「同級生」