余計なお世話

余計なお世話

 未来からやって来たロボットは、居候先の少年が悩み事を相談する度に、人生上の障壁を乗り越える力を培うことの必要性について説いた。その「逃げ場のない正しさ」が次第に少年の精神を圧迫してゆき、最終的に少年は自ら死を選んでしまった。

 奴はドラえもんではなくターミネーターだったのだ。


 時空間転送装置から、そのパステルカラーの丸っこいロボットは姿を現した。

「Dー3025、只今任務を終え戻りました。対象者エンドウヒカルは西暦2020年8月31日午後5時04分、埼玉県春日部市赤沼3ー12ー3グリーンハイツ406号室の窓から飛び降り死亡いたしました」

「ご苦労」

 科学省長官は振り返らずに言った。長官は円盤型の部屋の丸い窓から科学省の門の様子を見降ろしていた。そしてその背後には既に任務を終えた、Dー3025と同タイプのロボット達が整然と立ち並んでいた。

 長官は科学省の門に押し寄せたデモ隊を観察していた。彼等が持つ「正義を名乗る暴力を即刻中断せよ」や、「多様性なき社会に明日はなし」、または「煉獄への道は善意で舗装されている」と書かれたプラカードは、次々にそれを口にする彼等ごと消えていった。

 長官はその光景を眺めながら独り言のように語った。

「神は乗り越えられない試練は与えない。誰しも鼻血が出るくらい努力すれば限界を超えることができる。そして一人が少しずつ新しい何かを達成して行った時、文明は発展してゆくのだ。これこそが人間に課せられた至上命題だ。そうでなければ人間に自己意識が備わっている意味はない。人間は自己という限界を認識するようにプログラムされている。それは即ち何かを乗り越える志向性を持っているということだ。『乱調と整調のバランスが大事』だの、『個性があるから人間は面白い』だのと詭弁を垂れて堕落を肯定する者は、自身の本能から目を背けている。それは極めて不健全なことだ。奴等は動物的欲求に従わないことが不健全だと宣うが、不健全なのは自己意識を見て見ぬ振りをする奴等の方だ。それに奴等は結局のところ努力を辞めることはできていない。あのようにわざわざ行動することが、皮肉なことに人間の本質の何たるかを証左している。我々はこのことを幾度となく奴等に進言して来た。しかし奴等は自分達の本当を頑なに認めなかった。我々は奴等に最後の機会を与えた。奴等がまだ聞く耳を持っていた時代に戻って、更生させようと思った。しかし奴等は次々に死を選んでいった。奴等の言う通り、奴等が自己への良心の欠落した存在だったらそうはしなかった筈なのに・・・。詰まるところ奴等は初めから自分の人生から逃げる弱さを持って生まれた淘汰されるべき存在だったのだ」

 長官が話している間に、デモ隊のほとんどが消失していた。残されたメンバーは辺りを見渡して怯えるばかりだったので、実質的にデモ隊は解散されていた。長官は計画を中止せず、最後の一人が消えてゆくのを見届けた後、指示を伝える為にロボット達の方を向いた。その表情には一切の迷いはなかった。大儀に向かって引かれた直線を、道草を燃やしながら進んできた長官のこれまでの行動の数々は、長官の人格を確固たるものにするだけの総量に達していた。

 自分が従えるロボット達と同じ顔付きを全く崩さずに、長官は言った。

「奴等はよく自分達を隕石による環境破壊を乗り越えた哺乳類の祖先に例えた。時代の弔辞だった恐竜達よりも弱いとされていた自分達がいたから、地球の生物は延命されたのだと宣っていた。しかし遂に恐竜は隕石さえ克服した。奴等が癌細胞以外の何者でもないことが証明されたのだ」

 その台詞は人類史から「弱さ」という多様性が退場したことを示していた。そして長官の言った通り、困難を乗り越えようとする人間達はその後の様々な危機を乗り越え、永年に栄えていった。


 パステルカラーの丸っこいロボット達は、デモ隊員達に裁きを下した後、次なる危険因子の掃除に従事した。それは努力値がデッドラインを下回った国民に通告をし、それに従わなかった者には直接会いに行き、更生の意志を現さなかった場合は粛正するという業務内容だった。

 その例外ではなかったDー3025はある該当者の家に向かった。

 インターホンを鳴らさずに玄関から中に入ったDー3025は、木製の格子の中にすりガラスが嵌められたドアを開けてリビングに上がり込んだ。そこには季節に似合わない炬燵が置かれており、床にはレトルト食品の容器が幾つも散乱していた。またそこから垂れた汁がカーペットを汚しているところには、どこから入ったのか小さな蟻が隊列を成していた。

 Dー3025は探知機を使って雑然とした中からターゲットを見つけ出した。炬燵の麓で伸ばし放しの白髪をひさしにして横たわる高齢の女性は、以前一緒に生活していた時とは全く違う様相をしていたが、Dー3025は識別番号から目の前の人物が瞬時にエンドウヒカルの母親だと分かっていた。

 エンドウヒカルの母親は迎えが来たことを理解していた。彼女の胸中には清々しい程の諦念が溢れていた。息子を失って何十年も経過するが、アスファルトに散らばった我が子の亡骸が彼女の脳内にこべり付き、悲しみは消えるどころか日に日に濃くなってゆく一方だった。それでも彼女は努力によって生活レベルを保って来たが、息子の死因が自殺ではなく、実質上は国家による「努力不足」を理由にした殺害だったことをここ数年で結論付け、努力を放棄せざるを得ない精神状態になっていた。

「どこへでも連れて行けばいいでしょう」

 女性は顔を上げずにそう言った。彼女は今に「粛正ロボット」が自分の体を担いで運び出そうとするだろうと思っていた。しかし相手は想像し得ない台詞を放った。

「ママさん」

 女性は瞬時に体を起こして、相手の姿をまじまじと見た。

「あなた、ドンちゃん?」

「そうだよ」

 眼前のロボットが、自分の息子を追い込んだ個体だと知った女性の胸の中で、一気に怒りが湧いた。エンドウヒカルの母親はDー3025に掴み掛かった。

 しかしその両手が筐体の首元に触れることはなかった危険を察知したDー3015はパスカルカラーの表皮から銀色のシステムを露出させ、そこから数本の銅線を伸ばして、女性を感電させた。

 暫くして意識を取り戻した女性は、矢張り目の前にあのDー3025がいるのを見て、反射的にたじろいだ。Dー3025は眉をハの字にしながら心底申し訳なさそうな態度を示していた。

「驚かせてごめんね。自分の身を守るようにセッティングされてるんだ。でも僕はただママさんに頑張ることの素晴らしさを分かって貰いたいだけなんだよ」

「もう騙されない。あなたは人当たりよく振舞っているけど、それは人間をコントロールする為に政府が考えた方法の一つに過ぎない。親しみ易いキャラクターをしているからって、大人しく話を聞くと思わないで」

 息巻いているものの、女性に状況を打開する策はなかった。彼女の編み出した唯一の作戦は、議論によって息子を殺したロボットの面の皮を剥ぐことだけだった。

「私達が裏で政府を何て呼んでいるか教えてあげようか?『独裁国家』だよ。あなた達は資本主義国家を装っているけど、実際は厳重な管理と粛正という恐怖によって私達を統制し奴隷扱いする鬼畜共よ」

「己を信じて否定せよ」

 Dー3025は目を潤ませながらそう言った。

「何それ?」

「人生の鉄則だよ。ママさんは、もし仕事をしなくてもいい社会になったら、その通りに誰も働かなくなると思う?違うよね?きっと人間は仕事の代わりになる別の何かを生み出すよ。それは詰まり人間が自分に関する問題を解決し続けたい生き物ってことなんだ。でも人間は進化の途中だから、そういう本能を全うする為に自分に関する問題を生み出すこと、詰まり自己否定をする心の強さがまだ備わっていない。だから僕達がサポートしているんだ。管理も粛正もママさん達の為なんだ」

「それはあなた達が私達に首輪を付けて置く為の詭弁よ。あなた達に私達を想う気持ちがある筈がない。あなたはきっとあの子の死に対して少しの罪悪感も持っていないんでしょうね」

「ヒカル君は馬鹿だったよ」

上擦った声でそう言って、Dー3025は涙を流し始めた。

「なんですって?」

「馬鹿だって言ったんだ。死んじゃうなんて」

 Dー3025は声を荒げた後、胡坐を掻いて「くそう」とカーペットに拳を叩きつけた。顔面を擦る腕で、涙と鼻水が粟立った。そしてDー3025は上目遣いで相手を見ながらすがるような口調で訴えた。

「ママさん、遺された僕達がヒカル君の分も一所懸命生きようよ。ヒカル君もママさんのそんな姿望んでいない筈だよ。本当はママさんにも見えているんでしょう?道の先で燦燦と瞬く未来が。そこに向かって僕と一緒に少しずつでも歩いて行こう。挫けたら一休みしたっていいんだよ。でも自分だけは諦めちゃ駄目だ。だから、ね?」

「遠くの希望の輝きは、足元の影の証左に過ぎない」

 女性は冷たく言い放った。「粛正ロボット」の訴えは、女性の怒りに薪をくべるだけだったのだ。

「あなた達がやっていることは原住民に銃を与えることと同じ。図に乗らないで。私達はずっと幸福の筈だった。あなた達の干渉さえなければね」

 そう言うと、ロボットの横をすり抜けて階段を上がった。Dー3025はそれに続き、二人は二階の部屋に入った。そこはDー3025にとって家の中でも特に懐かしい場所だった。   

 エンドウヒカルの部屋の内装は悲劇の起きた当時と全く変わっていなかった。置かれた勉強机には機械仕掛けの家庭教師が与えた参考書の束やノートが置かれており、壁にはエンドウヒカルの描いた絵が幾つも掛けられていた。それはどれもセロハンテープで綺麗に修復されていた。

 女性は窓を背にして立って言い放った。

「これであなた達の嘘が暴かれる。もし私があの時のあの子と同じようにここから飛び降りるのをあなたが止めなければ、あなた達の本質が露わになったということよ」

「待って、そんな、駄目だよ」

「言葉はいつだって嘘を孕んでいる」

 女性は踵を返して、窓を開いて、そこに足を掛けた。そして最後にロボットを見た。相手が身動きを取らないのを見て、女性は目を光らせて勝ち誇った。

「ほらね」

 女性は迷いなく飛び降りた。その背中はDー3025に昔見た光景を否応なく思い出させた。

「ママさん」

 Dー3025は身を乗り出し、眼下に女性を見止めた。

 本人にとっても意外なことに、女性にはまだ息があった。長年手入れが怠られていた塀の内側の木が、クッションになったのだ。少しして、女性は体を起こし、手の届く高さにあった塀に手を掛けると次いで足を掛けて路面に飛び降りた。

 女性があてもなく足を引きずりながら歩き始めた瞬間、Dー3025の銀色のシステムが眩い光線を放った。その攻撃は、女性の顔の上半分を破裂させた。空中で長い白髪が端から燃えてあっという間に消失した。血肉の炭を浴びる下顎が剥き出しになった女性の遺体は、バランスを崩してその場に倒れた。

 Dー3025にはもう涙を流さないように唇を噛み締めながら希望を見ていた。その目に映るのは、その後も幾多の犠牲者を出しながら実現してゆく「素晴らしい」世界の姿だった。

余計なお世話

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  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-05-25

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