正当な親孝行

正当な親孝行

 「初めての出社日の朝」。遂にこの時が来てしまった。

 会社に行くことが憂鬱なのではない。俺はそれよりも深刻な問題を眼前に叩き付けられることになる。

「座ってください」

 予想通り、両親が円卓の向こうで鼻息荒く俺を待っている。多少期待したが、矢張り朝食はもう出さない積もりらしい。俺は重い足取りで両親の前に行って腰を下ろした。

「まあダラダラと話しても何ですから」

 親父はそう口火を切ると、手元から忌まわしき書類を取りだし、円卓の上に置いた。

「ご一読ください」
「何かご不明な点があればご質問ください」

 お袋がそう続く。書類の一枚目には大きく、「子育て御見積書」と記載されている。その下には、俺の名前と、両親が俺を育てた期間が書かれていた。

 恐る恐るページを捲ると、まず両親がこれまで俺にかけたお金が一覧で全て記載されていた。


 食費・・・671万4400円
 水道高熱費・・・203万3000円
 ガス代・・・76万5600円
 衣服・服飾雑貨費・・・141万2200円
 生活用品費・・・91万550円
 保険・医療・・・193万1000円
 学校教育費・・・2600万円
 学校外教育費・・・220万円
 携帯料金・・・134万7000円
 お小遣い・・・451万4000円
 玩具・お菓子代・・・110万7789円
 慰謝料・・・400万円
                       
 合計・・・5293万5539万円


 更にページを捲ってゆくと、項目毎の内訳が何ページにも渡ってびっしりと書いてあった。俺は莫大な債務を目の当たりにし、余りにも憂鬱な気分を味わった。しかし親子間でさえ金銭のやり取りはきっちりとすることが常識となっているこの時世、徴収額の高さに慄いていては話を先に進めることはできない。それよりも少しでも減額しなければと、俺は僅かな望みを捨てずに事前に決めていた確認事項を両親にぶつけた。

「なあ親父」
「これからは斎藤とお呼びください」
「斎藤さん、俺はあなた方に『育ててくれ』と頼んだ覚えはないんだけど」
「こちらを」

 間を置かずに、円卓に別の書類が置かれる。それは両親が俺の出生届と共に役所に提出した「養育届」のコピーだった。養育するのに必要な費用は扶養者本人の了承を得ずに支払うことができるようになるその書類に目を通しつつ、矢張りこんな初歩的なミスはしないか、と肩を落としながらも、俺は質問を重ねた。

「取り敢えず、この見積もりになった証拠とかある?」

 親父は「待っていました」と言わんばかりに、即座にお袋に合図を出した。

「百合子。あれを」
「はい」

 お袋は、何個もの紙袋に入れたレシートの束や通帳のコピー、またその他の書類を目の前に重々しく置いた。俺はその量を目にして、先輩から聞いた通り、「ゾッ」とした。しかしその中でも確認しなくてはならない事項が幾つかあったので、資料を漁りながら尋ねた。

「この玩具・お菓子代とか、全部俺が自分で『欲しい』って言って買った証拠あるの?」
「はい、こちらに」

 見ると、親父がレコーダーを持って再生した。幼少の自分と思しき声が「VR欲しい!買って!」と言うと、「もう、仕方ないわねえ」と若い時分のお袋の声がそれに返した。我儘が後々の人生に皺を寄せることに気が付く前に重ねた浪費を、俺は今になって後悔した。そして証拠がある以上、使った分は返さなくてはならないと、俺には諦めるしか手なかった。しかし納得できない項目もあった。

「この慰謝料ってそっちの言い値じゃない?」
「いいえ。今まであなたにかけられた精神的、肉体的苦痛から法律の規定に沿って算出した正当な請求額です。またその証拠はこちらに」

 親父の手には、今度は古いビデオカメラがあった。再生した動画の中では、俺がショッピングングモールの床でダダをこねていた。

「よく記録してるね」と皮肉たっぷりに言ったが、証拠を掴まれているのなら、文句は言えない。

「他に気になった項目などは?」
「見ておきます」

 そう言ったが、やる気は失せていた。税理士に頼んでもいいのだが、その金額も馬鹿にならない。俺はその代りに、また別の方法で減額に挑んだ。俺は両手で顔を覆い、その指の隙間から溜息を漏らして言った。

「払えるかな・・・。無理だろうな・・・。私立通ったのにあんまり良い企業は入れなかったし」

 もう一度深い溜息を吐き出した後、「泣き落とし作戦」が効いているかを確認する為に、俺は指の隙間から両親の様子を伺った。

 両親は、冷やかな目で俺を見ていた。「そういうのいいから」という心の声が聞こえて来るようだった。俺は諦めかけたが、これからの生活のことを考えて続行を決意した。相手の目を見て、今度ははっきりと発言した。

「なあ、『元』とはいえ、愛しい我が子からお金を取るのって心苦しくない?二人には良心が残されていないの?なあ、親父、お袋」

 すると、二人は大きく笑い出した。恥ずかしさと怒りで赤面していると、親父は急に俺がしたように両手で顔を覆った。

「手塩に掛けた子供からこんな酷いことを言われるなんて・・・」
「そちらこそ心苦しくないのかしら・・・」

 お袋もそれに続いた後、二人はケロッとした顔でこちらを向いた。

「どうです?キリがないでしょう」

 親父が言った。「キリがない?」意味が分からずオウム返しをすると、親父は続けた。

「感情による主張のし合いにはキリがありません。具体的な数字に表わせられないから、お互いが言いたいことだけを言って、いつまで経っても折り合いがつきません。それに認められない愛情は憎しみへと変わります。だからこのような無益なやり取りは、もう止めましょう」

 俺は親父のその台詞で抵抗をするのを止めた。仮にこのやり取りの始まりが、何も主張のできない幼い自分を両親が無理やり土俵に上げたことだったとしても、上げてもらわなかったら俺は育たなかったし、そもそも皆が通る道なので、俺だけが文句を垂れる訳にはいかない。そう俺は渋々諦めた。

「分かりました」
「それではこちらの書類にサインを」

 俺は親父だった人の出した書類にサインをした。

「有り難う御座いました。百合子。確認を」
「はい」

 お袋だった人が確認している間、親父は俺に支払いの方法を説明した。

「養育費返済に関する法律に則り、完済まで20年を見て計算し、毎月請求書をお送り致します。3ヵ月滞納した場合は、督促状をお送りし、それでもお支払いが確認できなかった場合、家庭裁判に移行します。またお早めにお支払いいただける場合はまたご相談ください」
「いえ、今のところ大丈夫です」

 お袋だった人の確認が終わった後、出社までにはまだ時間があった。俺はその間の沈黙が堪え切れられなくなったのもあって、リビングから廊下に立って、長年付き合っている同い年の彼女に電話をかけた。

 彼女も両親と話しているのか、中々電話に出なかった。その保留音に混じって、両親だった二人の会話が聞こえて来た。

「私はあなたと別れる気でいますので、これからは気安く下の名前で呼ばないでください」
「俺もその積もりでした。その件に関しては後でお話しましょう、岡本さん」

 俺から金が徴収できると決まった途端、二人は離婚を決めたようだった。金の切れ目が縁の切れ目とは良く言ったものだ。

「もしもし?」

 彼女が電話に出たので、俺は相手に要件を短く告げた。

「あのさ、俺と結婚してくれない?」
「分かった」

 直ぐにプロポーズは成功した。向こうも意志は同じらしい。

 いち早く沢山の子供を作り、甘やかし育てて、今の内に慰謝料の源泉を作らなければならない。俺の将来の為に。


 このような世知辛い価値観が広まるのと共に、日本の少子化は解消されつつあった。

正当な親孝行

正当な親孝行

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-05-25

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