初夏の別れにレアチーズケーキ

 レアチーズケーキに、すみれの花を添えて、半獣のあのひとが、ぼくに微笑んだ、初夏の夜は、一生、尊いものとして、ぼくのむねのなかに、たいせつにしまっておきたい一瞬だった。南の方から、砂漠化が進んでいる星で、ちいさな村が、おおきな街が、砂にのみこまれるという現象が、そろそろ、ぼくらの住んでいる町にも、影響をおよぼしはじめている頃だった。
 月が、最も接近しているあいだに、半獣のあのひとは、森に帰らなくてはいけないと言った。鋭い先端の、太い爪で、グローブみたいな、おおきな手で、ぼくを傷つけないよう、そっと頭を撫でて、さいごにぼくがいちばん得意な料理を食べてもらうことができてよかったと、やさしいため息を吐いた。半獣のあのひとが作ったレアチーズケーキは、ケーキやさんに売っているものよりも、おいしいと思った。すみれの花も、甘かった。砂糖漬けにしてあるんだと言って、半獣のあのひとは、すみれの花が詰まった、ちいさなびんをくれた。冷蔵庫に保管して、早めに食べるように。おかあさんみたいな感じの、半獣のあのひとに、ぼくは抱きついた。からだも、ぼくより何倍もおおきいので、ぼくの右手と、左手が、半獣のあのひとの背中で触れあうことは、なかった。ほとんど、なにもない部屋だった。半獣のあのひとの部屋は、最低限の家具と、日用品と、知らない写真家が撮影したという、ふるさとの森の写真集が一冊だけある、部屋だった。
 キッチンがいちばん、生活感あったね。
 抱きついたまま、そう呟くと、半獣のあのひとは微かに笑って、ぼくのからだを、ふわりと包みこんだ。獣のにおいが、すこしだけ、する。汗のにおいも。甘い、おかしのにおいも。砂にのみこまれて、砂漠となった土地には、永遠に花が咲かないのだと聞いた。ぼくは、花にはあまり興味がないけれど、半獣のあのひとは、かなしんだ。ぼくのふるさとが砂漠になってしまったらと想うと、夜も眠れないんだ。巨体をふるわせて、不安に瞳を濡らすときもあった。くりっとした目が宝石を埋めこんだみたいで、うつくしかった。
 風で、窓ガラスが、音を立てて揺れる。
 さいきんは、砂がまとわりつくようになって、拭いても、拭いても、風が吹けばすぐ、よごれてしまう。建物の壁、屋根、車に電車、公園の遊具など、町全体が、なんだか、砂っぽい。
 ぼくも一緒に、連れて行ってよ。
 半獣のあのひとが、先程よりも強く、ぼくを抱きしめる。
 ごめんね。
 半獣のあのひとは、いつも、あやまるばかりで、ぼくは、それがなによりも、つらかった。あやまらせている自分を、ぼくはぶん殴りたかったし、こまらせている自分を、心のなかで罵った。半獣のあのひとのふるさとは、この町よりも、もっと南にあった。

初夏の別れにレアチーズケーキ

初夏の別れにレアチーズケーキ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-05-24

CC BY-NC-ND
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