キリノ

西木眼鏡

「あの、紅茶を探しているのだが」
 私は路地裏の露店商人に声を掛けた。七番街辺りなら私の探している紅茶の葉を手に入れることができると思った。
 ガリガリに痩せた商人は地べたに広げた布の上に胡坐で座り、その周りに幾つかの籠や瓶を並べている。
「何て名前だい。アールグレイ、アッサム、ダージリン、大体のモノはあるよ」
「キリノ」
 記憶の中にうっすらと残る言葉をなぞるように言った。
「キリノ、ねえ。本当に紅茶の名前か。長いことこの商売をやってきたがそんな茶葉聞いたことねえや」
「私は紅茶、だったと記憶しているが」
 商人は私の顔を覗き込んで、他の通行人に聞こえないような小さな声で言った。
「なあ、姉ちゃん。ここはそういうモノは売ってねえんだ。そんなことしたら俺はこの街に居られなくなる、どうしても欲しいってんなら、他を探してくれ」
 どうやら危ないクスリの通称と思われたらしい。この地域は中央から大分離れた七番街には、やはりそういうモノを求める輩もいるということだろう。
「そういうのじゃないさ。あれはたしかに紅茶の味だった。七番街までくればまともな商売人がいると見込んだだけだよ」
 露店商の男はスーツ姿の私を上から下まで舐めるように見た。
「いや、悪かった。俺もあんたがあまりにも小奇麗な恰好をしてるもんだから、零番から来たお役人か、クスリの売人じゃないかと疑っちまった。で、何番から来た」
「二番街だ」
 私は短く答えた。そして、折角だからとアールグレイを買うことにした。
「そうか。二番じゃあマトモな紅茶はねえだろうな。ニセモノばかりだぜ。今じゃカフェインはご法度だ」
 商人が紅茶の葉を軽量スプーンで雑に袋に適当に入れていく。私はその様子をただ黙って見ていた。
 この街は番号が若い順に街の中心へと向かっていて、その境界線は運河や大きな道路、鉄道である。私が住んでいる二番街とその隣の三番街の境界線はかつて、ヤマノテという電車が走っていたという。
「しかしまぁ、こうも霧が濃い街じゃせっかくの紅茶も多少は湿気る。つまりはあんたが言うところの霧の(・・)紅茶だな」
「いくらだ」値段を尋ねると商人は手で六を示した。「それでは電子通貨で」
 商人は首を横に振った。
「そんなもんは使えねえよ。ここには読み取る機械はないし、第一貰ったところでそんな自分の足が付くような金はこの街じゃ使い物にならねえ」
 私は聞こえないくらい小さく舌打ちをして、スーツの内ポケットから適当に紙幣を掴んで渡した。
「おつりはやる」
 露店商の男は自身の後ろにおつり用の効果を準備してはいるかもしれないが、それは自分と対等な階級、つまりはこの七番街の住人と真っ当な商売をするための物で私たち用ではない。
 ずる賢い商人は特に喜びもせず、それが当然のように受け取った。
「二番育ちのお嬢様は気前がいいね」
「私も両親も生まれ育ちは五番街、それから私は自力で二番街まで辿り着いたよ」
 露店商の男は、そりゃすごいと開いた口が塞がらないでいた。自分の生まれた街よりも外側へ流れることはあっても、内側へ入ることはそう簡単ではない。私は人よりも多く努力をして、生まれ育った五番街から今いる二番街まで辿り着いたのだ。それには多くの犠牲もあったが、今では必要な物であったと受け入れている。
 内側の街へ行くほど規則は厳しくなるし、物価も上がる。私のように内側へ来た者の中にはその厳しさに耐えられず元居た街に戻るケースも良くあることだ。
「なあ、あんたまさか取り締まりの役人じゃないだろうね」
「もしそうならあんたが売ってる怪しげな葉っぱをネタに然るべきところに連れて行ってやったさ。私の紅茶にその葉っぱを混ぜようとしたら、お望みどおりにしてやるところだったさ」
 バレないようにやれよ、そう言い残して私は露店とこの薄暗い路地裏を後にした。



 私は二番街の自宅に帰って改めてこの街の空気の綺麗さと活気に安心をする。同時にどこか無機質であり、そういった点では七番街は此処よりも生を感じた。
 食事は外で済ませてきたので今日手に入れた茶葉の味を試したくてお湯を沸かした。
 まだ五番街に住んでいたころ父が紅茶を買ってきたことがあった。私は子供ながらにそれをとてもおいしいと思った。ティーカップから昇るいい香りと口の中に広がる甘味と苦みのバランスを感じた。父に紅茶の名前を尋ねたとき、キリノと教えてもらった。
 キリノであったか、それともあの露店商の男が言ったように霧の紅茶であったのか、ついに父が亡くなるまでその真相は聞くことはなかった。
 しかし、ふと当時の味を思い出したくなって、昼間に七番街にまで繰り出したというわけだ。
 ティーポットを用意して、茶葉にお湯を加える。少し待ってティーカップに茶葉から抽出した紅茶を注いだ。自分自身で紅茶を淹れるのが初めてなのでこれで合っているかはわからない。
 ティーカップからあの時と同じ香りがして、私の記憶が刺激された。これだ。紅茶を一口飲むとその予感は確信に変わった。

キリノ

キリノ

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND