藤花の星

備成幸

花を吐く大谷吉継。まだ日本に「花言葉」という概念など無い時代。その花は何を意味するのか……

 金吾中納言に釣られた諸将までもが寝返った。吉継の身体は病魔に侵されてから臓腑に鉛が溜まったように重くなり、声は誰にも届かず、目に薄い膜が貼りつけられたように視界を濁らせている。既に自分の死が近づいているのは明らかだった。しかしその中にあって不思議と彼の心は、晩秋の霧に包まれた戦場にはなかった。琵琶湖のほとりにあった小さな寺のことが酷く細かく網膜に焼き付いている。

 鷹狩に随行した時の記憶だ。春のやわらかい日差しが、馬上で揺れる主君の褐色の肌を包んでいる。手綱を握る黄金の刺繍が施された弓籠手がギラギラと光っていた。

その頃から彼は、この小綺麗な鼻筋をした佐吉のことを気にかけていた。他の小姓たちが憧憬の眩しい視線を主君に送る中、この男は虚空の中で燃え続けるアンドロメダのような煌く瞳で主君の背中より遥か遠く遠くを見つめているようだった。

 彼が見ていたのは後の天下人の背中では無く、その景色そのものではないか。名刀村正の切っ先のような、美麗な見た目に似合わぬ野心を見た吉継は、初めて「この男の生涯を見届けてみたい」と思った。

 色白で大人びていた佐吉は、流行の会話や冗談には興味を示さず、距離を置かれていた。周囲の罵倒や嘲笑をてんで気にせず平気な顔をして、いつまでも遠く遠くを見つめるその横顔を見る度に、異教の殉教者を見るような心持にすらなっていた。

 そしてその鷹狩の日に、彼は佐吉に声をかけたのだ。名を呼ぶと、人に気づいた獣のようにこちらを振り向く。

「お主、好きな食べ物は何かな」

「腹は空いておらぬ」

「そういうことではない、私が聞いてみたいのだ」

 佐吉はしばらく、その大きな黒目を左上へ向けた。考え事をするときはいつもそちらへ目が泳ぐ。次に視線は地べた方へと向いて、何やら口ごもった。どうやら小さく「干し柿」と言っていたようで、思わず笑った。冷たい鋼のような佐吉が口ごもる姿を見れたことが、何故だかたまらなく嬉かったのだ。その日から、二人は親友になった。



 吉継の発病は太閤が歿してすぐのことだった。ある朝目覚めると、枕元に小さな桐の花びらが落ちている。夜風に運ばれたのかと思った矢先、酷く咳いた。中々止まらぬと思ううちに何やら異物が喉をせりあがってきて、それを吐き出した。桐の花がぼたぼたと布団へ落ちている。

 その日から吉継は声を失い、花を吐くようになった。口から落ちる花びらを怪しまれぬよう、頭巾で顔を覆った。家中の者らには疱瘡であると伝えたが、時に茶会など開くと、吉継から回された茶碗の中に花びらが浮いていることもあった。

 どの医者も何が何やらわからないと言う。どうやら朝鮮、明、天竺に到るまで、この病の存在は確認されていないらしい。南蛮ならあるいはわかりませんが、とある漢方医が言った。

 自然、吉継は孤独になっていった。しかし三成は変わらず吉継の屋敷へ足しげく通い、酒を交わした。色白は変わらぬまま、若者のように黒々とした髪を結いあげて、全身黒の衣に袖を通した三成は、世界から色がまったく失せたようだった。

「刑部殿の声が聞けぬのは、口惜しい」「鷹狩の日に、柿の話をしたのを覚えております」「おっと、柿の花など吐いてくださるな」

 近頃、三成はよく喋るようになった。正面からこちらを見つめたまま、無理に口元を笑わせている。内府の派閥と対立している三成は、近頃自分の周りを固めるのに忙しいらしい。その目には灯りは無く、月の無い闇夜のような虚無であった。

 頭巾の隙間から花弁が一枚畳へ舞った。鮮血が絹に浸み込むような、葵の花。治部の官僚らしい細い眉の間に、影が一筋落とされる。

「内府につくのか」

 数年が経ち最早四肢は枝のように痩せ細り、肌も木色になった吉継だが、目だけは昔のまま鷹の如く煌いていた。

「桐の花を吐いてくれ、刑部殿。豊家をお支えするのが筋目ではないか」

 吉継の咳と共に、畳に葵が落ちた。いくつもの花びらが、憤死した鳥の羽のように散らばっている。

 心を失望が満たしていた。あの星のような目でもって遠くを見据えていた横顔が、ひび割れて崩れ落ちていった。固く閉じた瞼の裏に、親友が自分を手なずけようと気味の悪い笑みを浮かべている光景がいつまでも映っている。主君を失い病魔に侵されても流れなかった涙が、初めて花と一緒に畳へ落下していった。

 なぜ諂うような真似をする。若い潤いに満ちた野心を秘めた目を見せてくれれば、自分はこの病体を引きずり、息子たちも引き連れてお前の陣営に駆け付けてやるというのに。

 死に対する恐怖は無い。人である以上、いつかは朽果てる。それは天下人も民も変わらない。しかし徐々に体が蝕まれるほどに、徐々に焦りが生まれてきた。

 死ぬ前に、あの男の野望に満ちた目を見たい。そしてそれを叶えてやりたい。大きな権力の下働きとして死にゆくのを「忠義」と尊び、その道を突き進もうというのなら、自分は最早あの男を友と呼ぶことすら嫌悪する。

 野心に満ちていた頃の三成は、豊家の権力を握るためには何でもやった。主君にすり寄る商人を蹴落とし、彼の側近も時には身内でさえ、実に巧妙に排除した。

 しかし内府が台頭してきた時、三成はそれに反発した。吉継にはそれがどうしても解せなかったのである。長い年月で太閤を補佐しつづけるうちに、同情じみた忠義が積みあがっていき、太閤が死ぬ頃には誰も寄せ付けぬ不落の石垣ほどになっていたのだ。

 さらには時勢を読まずに内府を討つと騒動を起こした末に蟄居に追い込まれ、今までのやり方や性格が災いし、彼は昔以上に孤独になった。

 そして「挙兵をするつもりだから味方して欲しい」なんということを伝えに陣屋までやってきたので、丁重に断った。したところ「そこをどうにか」と散々押し掛けるので、その度に幻滅を覚えながら拒絶した。

 取次役の者が「本日もお見えです」と眉をひそめてやってきた。戦場で声も張れぬ自分をなぜそこまであの男は必要とするのだ、と怪訝な顔をして、今日という今日は絶縁してでも追い返そうと会うことにした。

 廊下から、開け放たれた仏間に座る三成の背中が見えた。細い体を隠すように黒い甲冑を着込み、背中には大一大万大吉の旗印を背負っている。無理に張った肩も、武芸の似合わぬ青筋の浮いた細い首もいつもの通りであった。ただ違うのは嘘くさい微笑みを浮かべていないことだった。

 何も言わなかった。出された酒にも手を付けず、ただどこか遠くを見ているようだった。

 答えは変わらぬ、という吉継の視線を受け止めながら、二人は神社の狛犬のように向き合っている。時が流れてゆく。

 夜が更けた。闇夜が這い寄って、三成の黒い身体を溶かしていく。はじめて友が人ならざる者に見えた。大きな墨色の業火を背負うようにして、煌く瞳をこちらに向けている。不動明王像に感じた恐怖と不気味さと底知れなさが彼を象っていた。

そしていよいよ顔の半分が篝火で橙色に染まった時。固く結ばれた薄い唇が、いよいよ開く。

「天下が欲しい」

 佐吉の瞳が熾火のように煙も立てず、光を放っている。



 〇



 すでに勝敗は決し、吉継の部隊は総崩れとなった。最早どこかに落ち延びる体力はなく、側近の五助を介錯人として切腹することに決めた。

 遠くで雄叫びや発砲音が聞こえている。山をかき分け、二十人ほどで奥へ奥へと進んでいく。

 朽ち寂びた寺があった。すでに吉継の目には葵の紋も、大一大万大吉の旗も、味方の顔すら見えなかったが、そこにだけ陽だまりができていることは分かった。

 甲冑を脱ぎ捨て、覆面も捨てた。真白な直垂の襟元から、皮ばかりになった胸腹を出し、短刀の切っ先をそこへ向けた。

 勢いよく突き刺した。脳裏には今日の朝、まさに今戦わんとする佐吉の横顔があった。どこまでも遠く、遠くを見つめている。東の空へ昇る陽のさらに遠く。背後で五助が振りかぶる気配がした。

 一閃。空へ放り出されたような気がした。あの男が見つめていた空へ。雲を越え、青天をも越えた、燃える星の彼方へ————

 吉継はもう花を吐くことは無い。そこが廃寺ということで、胴体と一緒にそこへ埋葬することになった。首の無い躯を持ち上げんとした時、五助はその傷口から、藤の花がいくつも零れ落ちているのを見た。



〈完〉

藤花の星

藤花の星

関ヶ原の戦いで敗れた大谷吉継。死が迫る中、彼は初めて石田三成と話した日のことを思い出していた。

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-05-18

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