つめたいとびら

 ほんもののきみは、はんぶん透けている。なんだかもう、やりきれないかなしみだけが、そのあたりを漂っている感じで、初夏だというのに、くうきは、冬のはじまりかのごとく、つめたい。
 そういえば、実験室のとびらも、いつも、氷のように、つめたかった。実験室では、ひとびとのくるしみだけをとりのぞき、解放するという、うたい文句のもと、夜な夜な、あやしい儀式が、粛々と、とりおこなわれていたという。それって、つまり、なんらかの宗教的なものでしょ、と思っていたのだけれど、実際のところは、詐欺団体だったらしく、多額の入会金をだましとり、訴えられた実験室は、すぐに閉鎖された。実験室、というなまえは、けっこうかっこよかったのに、と、あたたかいレモンティーを飲みながら、きみは言っていた。喫茶店だの、ライブハウスだの、居酒屋だのが入る雑居ビルの、一階に、実験室はあって、ぴかぴかの銀色のとびらは、夏の暑い日にさわると、心地のよいつめたさだった。実験室の、ちょうど真下のライブハウスで、アルバイトをしながら、バンドをやっている、きみが、厭世的で、不健康な歌詞の楽曲を、じゃかじゃか演奏しているのを、遠くから眺めているのが、ぼくは好きだった。ふいに、ラブバラードなど弾こうものなら、とたんに、形容しがたい空虚におそわれた。
 この、寂れた町で、かなしみだけが、意思を持っている。息をしている。にんげんたちは、積もり積もったかなしみに、いまにもおしつぶされそうになりながら、なんとか目を見開き、生きている。
 はんぶん透けている、ほんもののきみが、ギターをかきならし、輪切りのレモンを、ティースプーンで紅茶の底に沈めている様子に、ぼくはときどき、うっとりした。にせもののきみは、色濃くて、くっきりとした輪郭で、いやな浮き方をしているのだった。水彩画で描かれた世界に、ひとりだけ油絵みたいな存在が、にせもののきみだった。
「明らかに詐欺めいた、どんなにあやしいものでも、だれかに、なにかに縋りたいと思うときが、あるよね。にんげんって」
 実験室だったところのとびらを見つめて、きみが呟く。ぼくは、くるしみだけをとりのぞく方法というのを、想像してみたことがある。
 くるしみを、手術をするときの、メスのようなもので、きりとる。
 もしくはアイスクリームをすくう、あの丸いやつで、くりぬく。
 そもそも、くるしみとは、なに色をしていて、からだのなかのどこらへんに、巣食っているのだろう。
 知りたいような気もするし、知らないままでいたいような気もする。きょうのきみは、やや水彩画よりであった。

つめたいとびら

つめたいとびら

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-05-18

CC BY-NC-ND
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